市電のある風景・京 都

 (1) 伏見線 その1
日本国旗
 
撮影: 1968~1969, 制作: 2017/4, 改訂:2017/10 

※新たに写真が見つかりましたので、改訂版を制作しました。

新しいシリーズとして、京都の街に市電が走っていた頃の、懐かしい写真をお目に掛けます。
第1回目は、日本の電車発祥の地、伏見線です。今回と次回の2回に分けてご紹介します。
小生railbusは名古屋の出身ですが、就職して京都へ移り住みました。但し、伏見線の写真は、まだ学生だった時に京都を訪問して撮影しました。

京都市電伏見線勧進橋
Kyoto City Tram at Kanjin bashi, Oct-1969 (My favorite picture)

京都市電伏見線地図   良く知られているように、伏見線は我が国で最初に電車が走ったところです。
1895(明治28)年2月、京都電気鉄道の手によって、七条停車場(八条口)と伏見油掛町(京橋)との間に開業したのが始まりです。当時の軌間は1,067mmの狭軌で、単線運転でした。1900年に東海道線をまたぐ高倉の陸橋が完成し、翌1901年に京都駅の塩小路側から電車が発着するようになりました。
勧進橋~稲荷の支線、稲荷線は1904(明治37)年の開業です。また、1914年には京橋~中書島が延長されて、全線が開通しました。
1918(大正7年)、京都市が京都電気鉄道を買収、以後は市営になります。1,435mmの標準軌に改軌されたのは、1921年です。そして幾星霜、1970年3月31日限りで伏見線は廃止されました。

伏見線には3つの系統がありました。
 [9] 京都駅~中書島
 [18] 河原町二条~中書島
 [19] 京都駅~稲荷

※竹田出橋から南の地図は、次回に掲載します。
 

京都市電伏見線塩小路高倉   Shiokoji-Takakura

塩小路高倉の南にある跨線橋への坂道です。ちょっと小高い場所で、京都の市街地の向こうに北山を望むことが出来ます。

(1968/10/19)
京都市電伏見線高倉跨線橋   Takakura Overpass

高倉の跨線橋です。1914年に旧高倉陸橋から現在の位置に移動しています。尚、この橋は1954年に架け替えられたものです。
京都市電伏見線京都駅八条口   Kyoto Station Hachijo Gate

高倉跨線橋を渡って、ガードをくぐります。残念ながら列車は写ってませんが、上が新幹線のホームです。
【※写真を追加しました。】


(1969/12/31)

 
京都市電伏見線京都駅八条口   市バスの八条車庫の中に、1本だけ引き込み線があり、数両の市電が待機していました。右端の3階建ての建物は、市電の変電所です。
ここは元々伏見線の車庫でしたが、その機能が九条車庫へ移されて、のちにバスの車庫になりました。
※現在のアバンティの敷地です。
【※写真を追加しました。】
 
京都市電伏見線京都駅八条口   京都駅八条口の電停です。背景は、京都市水道局の旧庁舎で、アーチの装飾が見事でした。
※現在は7階建てのビルに建て替えられています。 
【※写真を追加しました。】
京都市電伏見線大石橋   Ohishi bashi

九条通との交差点、大石橋です。角にある2階建て民家の瓦屋根が大変大きくて、印象に残っています。富士銀行や朝日生命の建物はもうありません。
背景に京都タワーが見えます。


(1969/10/10)

京都市電伏見線札ノ辻   大石橋~札の辻には古い民家が軒を連ねていました。
車両は左が600型、右の4枚折戸が700型で、いずれも車掌さんが乗務するツーマンカーです。
京都市電伏見線札ノ辻   Fudanotsuji

札ノ辻の商店街を700型が走っていきます。方向幕にひらがなで「いなり」と書いてありました。

京都市電伏見線札ノ辻   札ノ辻とは、御触書(おふれがき)を書いた高札を立てた場所で、人々が良く集まる街道筋の地名です。
伏見線は竹田街道(国道24号線)に沿って敷設されています。

札ノ辻~十条通にて

京都市電伏見線勧進橋   Kanjin bashi

竹田街道は、勧進橋で鴨川を渡ります。背景には染色会社の煙突が何本も聳えていました。
現在この場所には、阪神高速道路京都線の鴨川西ICが造られていて、広々とした景色は望めません。
 
京都市電伏見線勧進橋   勧進橋の南行き電停です。屋根のある大きな待合所が見えます。
ここから支線の稲荷線が分岐していました。稲荷線の北行き電停は、写真の右側にありました。冒頭の写真です。

 
京都市電伏見線稲荷   Kanjin bashi ~ Inari

ここから稲荷支線に入ります。写真は、師団街道の踏切から西側を見ています。稲荷へ向かう線路は専用軌道になっていて、途中に停留所はありません。
【※写真を入替えました。】


(1969/12/31)


 
京都市電伏見線稲荷   Inari

終点の稲荷の手前に京阪電車と市電の平面交差がありました。丁度、京阪の特急テレビカーが通過するところです。市電は停止標の位置で待機しています。交差の角にあるのが、信号所の建物です。

(1968/3/15)

京都市電伏見線稲荷   稲荷の電停に憩う古豪500型の勇姿です。
503号は1924(大正13)年に、大阪・京橋の田中車輛(現近畿車輛)で造られました。
【※写真を追加しました。】


(1969/12/31)
 
京都市電伏見線稲荷  
終点、稲荷の電停は、疎水の上に造られていました。
 
【※写真を入替えました。】
京都市電伏見線深草下川原町   Fukakusa-Shimokawaracho

再び伏見線に戻ります。勧進橋から先、線路は竹田街道の東端寄りに敷設されていました。京都の市街地では見られない配置です。

勧進橋~深草下川原町にて
(1969/10/10)

京都市電伏見線竹田久保町   Takeda-Kubocho

延々と続く竹田街道の直線区間を走る[18]系統です。方向幕に「河原町二条」と書かれています。この系統は昔は京都駅に立ち寄ってから河原町線に入っていましたが、撮影時には塩小路高倉から直接河原町二条へ向かっていました。
すれ違うのはプリンス自動車の名車、スカイライン1500DXです。

深草下川原町~竹田久保町にて

京都市電伏見線竹田出橋   Takeda-Idebashi

700型は1958~62年に造られた軽量電車です。屋根上の張り上げが少ないため、他の型式と比べて近代的なスタイルが異彩を放っていました。但し、無骨な形の京都市電のイメージを好む人も多く、意見が分かれるところです。総勢48両がワンマン化されることなく、原型を保っていました。

竹田久保町~竹田出橋にて

京都市電伏見線竹田出橋   竹田出橋で名神高速道路の高架をくぐります。
車両は800型の第一次車で、戦後間もない1950~52年に65両が造られました。全長12mの大型車でありながら、車体両端に乗降口のある、京都市電を代表するスタイルです。



この先は、伏見線その2に続きます。


 

表題の通り、本シリーズは京都の風景の中を走る市電の姿を紹介しています。車両の紹介については、マニアックにならないよう、最低限に留めました。車両の詳しい説明は、下記の文献をご参照下さい。
References:
京都市交通局「さよなら京都市電」毎日写真ニューサービス, 1978.9.30
鉄道ピクトリアル増刊356「京都市電訣別号」1978.12.10
福田静二 「京都市電が走った街今昔」 JTBパブリッシング, 2000年
福田静二 「京都の市電 昭和を歩く」 トンボ出版, 2015年



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