翌日、スレンツェとユーファを伴ってイズーリ城へ姿を見せたフラムアークは、皇帝グレゴリオと第三皇子フェルナンド、そして城主であるロワイア侯爵の待つ貴賓室へと案内された。
スレンツェとユーファを貴賓室前の従者の間で待機させ室内へと入ったフラムアークは、ロワイア侯爵に迎えられ、久方ぶりの対面となる父と兄に型通りの口上を述べた後、本題へと入った。他人以上に他人行儀な親兄弟のやりとりだった。
「今回の件の要旨についてご報告致します。十日程前、私の元にアズール領主ダーリオ侯爵より火急の報せが届きました。アズール領内にて反帝国思想を持つ輩が秘密裏に集会を開いているとの一報が入り、事実確認を進めたところ、反帝国を謳う大規模な集団が確認され、その中に宮廷と通じている者がいる可能性があるとの内容でした。
憂慮すべきは対象がそこから仕入れた情報によって陛下の動向を把握していると推察される点で、検証の結果、外出先での陛下の暗殺を目論んでいる節があり、危急の様相を孕む情勢なれど、当該時点で全容は掴めておらず、虚報となる可能性もあり、どのように対応したらよいか判断を仰ぎたいというものだったのです」
「陛下の暗殺……!? な、何という大それた不届きな真似を……!」
驚きの声を上げるロワイア侯爵とは対照的に、当のグレゴリオに表情の変化はない。淡々と疑問を呈したのはフェルナンドだった。
「ダーリオ候は何故お前にそれを……? 帝都には皇太子(あにうえ)もおられただろうに」
「一昨年のベリオラ鎮圧の折に得られた信頼関係と、今回の件がアズールという領地独特のデリケートな問題に関連していたからであろうと思います。ご存知の通り、私の側用人はアズールに深い所縁(ゆかり)がありますゆえ」
「アズールという領地が持つデリケートな問題―――か。それは具体的にどのような?」
瞳を細めて促すフェルナンドに、フラムアークは粛々と答えた。
「彼(か)の地は帝国の領土となって最も歴史が浅い地です。その分人心も不安定で移ろいやすいと言えるでしょう。一昨年疫病(ベリオラ)の災禍に見舞われた影響もあり、生活が苦しくなったと感じている領民も少なくないと聞き及んでいます。生活が苦しくなり現状への不満や先行きへの不安が募ると、人々は心の安寧を求め、そのはけ口を欲するもの―――反帝国を謳う集団、その中心で今回の件を引き起こした首謀者はまさにそこを突いたと言えます。弱った人心に付け込み、殊更(ことさら)に不安を煽り立て、鬱屈とした人々の怒りの矛先を帝国の統治へと向けさせた―――。現状の変化を求める人々の懐古(かいこ)心理を利用して、言葉巧みにアズール王国の再興を謳い、皇帝陛下の暗殺を目論んだ―――それが今回の件のあらましです」
「アズール王国の再興ですと……!?」
思わず目を剥いたロワイア侯爵は、直後にハッとした様子でフラムアークを見やった。
「今回の首謀者がそう謳っているだけで、私の側用人には何ら関係のないことだ」
第四皇子に静かな眼差しで諫められたロワイア侯爵は自らの非礼を詫びた。
「そ、そうですな……失礼致しました」
妙な言い回しをする、とフェルナンドはフラムアークの回答に疑念を覚えた。
これではまるで首謀者―――カルロだけを断罪し、レジスタンスの他の構成員を扇動された一般領民と位置付けるかのような発言だ。
どういうつもりだ……? お得意の薄っぺらい博愛精神で、せめて亡国の残党どもを救おうという腹積もりか?
だが、それにしても違和感が残る。らしくないのだ。長年スレンツェの為に尽くしてきたカルロだけに全ての罪を背負わせるような手法を、あの甘ったれが取るだろうか?
内心訝(いぶか)りながら、フェルナンドはフラムアークの様子を窺った。
「果たしてそう言い切れるのか? その首謀者とお前の側用人が何の関係もないと―――旧知の間柄ではないと結論づける根拠は?」
「王族であったスレンツェを向こうが一方的に知っていた可能性はありますが、スレンツェ自身は首謀者に見覚えがないと申しています。私も知らぬ顔の男でした」
「根拠としては弱いな」
「此度(こたび)の外遊に陛下が一個師団を随行しているのは宮廷内の誰もが知るところです。奇襲を仕掛けるつもりだったにしろ、一個師団の半数程度の兵力では例え暗殺が成功したとしてそこまでです。周到な兄上が陛下の命を狙った賊を見逃すような下手を打つとは思えませんし、二の策、三の策がなければ八千もの兵を犬死させるも同然の愚策ですよ。スレンツェはそれが分からない阿呆ではありませんし、それを承知で仲間を犠牲にするような非道な手法を取る男でもありません」
落ち着いた口調ながらフラムアークにしては珍しい挑戦的な物言いに、フェルナンドはほぅ、とトパーズの瞳を眇(すが)めた。
フラムアークはどうやらひどく怒っているようだった。表面上は穏やかさを保ちながらも、その目の奥は笑ってはいない。
場に何とも言えない空気が流れ、ロワイア侯爵がきまり悪げに皇子達の動静を見守る。そんな中、フェルナンドは弟の様子に密かな驚きを禁じ得なかった。
証拠も何もない状況で、“これ”がこうもあからさまに敵愾心(てきがいしん)を向けてくるとは思わなかった。正直意外だったと言わざるを得ない。
それだけ奴の逆鱗に触れた、ということか―――。
そう分析しつつ、意外な反応を見せた弟にどこか心躍るものを覚えながら、フェルナンドは素知らぬふりで話を続けた。
「二の策、三の策があったのではないか?」
「あったとしたらどのようなものなのか、ぜひ伺いたいですね。余程私の側用人が気に掛かるようですが、私達は兄上が行くはずだった任務に代わりに出向くところだったのですよ。ダーリオ候からの使者があと一刻遅かったなら行き違いになって、今回の事態を遠方の地で知ることになっていたかもしれません。さすれば取り返しのつかない結果になっていたかもしれない―――そうなったとして得をするのは、はたして誰でしょうか? 少なくともスレンツェではありませんよね。宮廷内の情報が漏れていたようですから、これからその辺りを徹底的に調査しなければならないと思っています」
フェルナンドは微苦笑を湛え、息巻くフラムアークを軽くいなした。
「どうも言葉の端々に棘を感じるが、私は別にお前の側用人を犯人に仕立て上げたいわけではないよ。状況からその可能性もなきにしもあらずと言っているだけだ。己にやましいことがないならば、堂々としていればいい。
首謀者は捕えたのだろう? ならば今後の調査で自ずと背景が明らかになってくるはずだ。捕えた首謀者は何と言っている? 後先を考えず闇雲に陛下の命を狙っただけだと言っているのか?」
「……詳細は未だ。なかなか口を割りませんので」
歯切れの悪い弟に兄は軽く吐息をついてみせた。
「やり方が手ぬるいのではないのか? まあいい。ところで―――先程のお前の言いようだと、まるで今回の件はその首謀者に唆された一般領民が帝国へ反乱を起こすように仕向けられたもの、というような体(てい)に聞こえたが、その解釈で合っているのか?」
「はい」
フェルナンドは皮肉気に口角を上げてフラムアークを質(ただ)した。
「八千もの武装蜂起した集団が、扇動された一般領民によるものだったと?」
カルロ達は農具や工具ではなくれっきとした武具を装備していたはずだ。そのように入念に準備を整えた上での一般領民の蜂起、ましてそれが扇動によるものであるなど、普通に考えたら道理に合わない回答である。その場しのぎの出まかせにしてもあまりに稚拙(ちせつ)だ。彼らと対峙した兵達に話を聞けばすぐに裏が取れることで、あまりにもお粗末である。
だが、フラムアークは迷いなく首肯した。
「はい。こちらは相手の半数に満たぬ三千の兵で臨みましたが、イズーリの援軍が到着するまで、さして犠牲を出さずに渡り合うことが出来ました。今回の戦闘におけるこちら側の死者は十八名です。相手が戦闘訓練を受けていない一般領民だったからこそ可能であった数字であると言えると思います」
「! 何だと……?」
その言葉にフェルナンドは耳を疑った。
馬鹿な……! 相手はカルロの下で訓練されたレジスタンスの兵だ。正規の訓練を受けた兵ほどではないにしろ、素人ではない。倍以上の兵力差があって、その程度の犠牲で済むはずがない……!
フラムアーク側に集った兵が三千として、イズーリの友軍四千を加えての数字ではないのか……!? だが、それにしてもこの規模の兵がぶつかったにしては死者数が少なすぎる……!
「三千……!? 我らが送った援軍は……!?」
同じく愕然としているロワイア侯爵にフラムアークはこう補足した。
「勝利を決定づけたのはイズーリからの援軍の到着だ。彼らが来てくれなければ戦闘は長引き、更なる犠牲が出ていたことだろう」
言いながら目線をフェルナンドへと戻して、話を続ける。
「イズーリの援軍を目にした敵は戦意を喪失して、瞬時に総崩れとなり敗走しました。総数では相手がこちらを上回っていたにもかかわらず、です。何らかの組織的訓練を受けていた兵の動きではありません。まさに烏合の衆、これが扇動された一般領民の集まりであったことを示す根拠とはならないでしょうか」
そこを誇示することで、あくまで奴らが一般領民であったとこじつけて押し通すつもりか? そのような茶番をこの私が許すとでも?
内心で嘲りながら、フェルナンドは反問した。
「―――疑念が残るな。八千という規模の人数をアズールからイズーリ手前のテラハの丘陵地帯まで、人目に付かせることなく導くというのは容易ではない。入念な計画と下準備、更には水や糧食といった物資の問題―――統率者には確かな手腕と相応の機知が必要だ。そんな人物が何の訓練も施していない一般領民を使い、二の策もなく陛下の暗殺を目論むような杜撰(ずさん)な計画を立てるだろうか?」
フェルナンドの呈した疑問にロワイア侯爵が相槌を打った。
「確かに。仰る通り、解せませぬな」
「私の力量を兄上がそのように評価して下さるのは非常に光栄なのですが―――」
謙遜を装った体で自身の手腕をねじ込んできた鼻持ちならない弟を、フェルナンドは忌々しい思いで制した。
「過大評価ではないよ。私は物事の本質を見て話をしている」
レジスタンスを烏合の衆と認めないということは、わずか三千の兵で倍以上の八千の兵を凌ぎ、ほとんど死者も出さずに収めたフラムアークの力量を認めるということに繋がる。
父上へのアピールのつもりか?
私への意趣返しか?
何にしろ不愉快だ。
「いくら言葉巧みにアズール王国の再興を謳ったとして、凡庸な者の下へ八千もの人員が集うとは思えない。元々名のあった者、例えばアズール王国に所縁(ゆかり)のある者で、それなりの地位にあった軍人……そういった者であれば、今回の行軍に至る一連の手腕にも動機にも納得がいくがな」
当て付けるようなフェルナンドのこの返しにフラムアークは短い沈黙を置いて口を開いた。
「……。我が国との戦争において、アズール王国の名だたる将は全て殉じたと聞き及んでいますが」
「将軍クラスはな。階級によっては落ち延びた者もいる。……聞き遅れたが、今回の首謀者の名は?」
「……。申し訳ありません。前述の通り固く口を閉ざしており、本名は未だ」
フラムアークの出方を窺っていたフェルナンドはその回答に少々白けた思いを抱いた。
―――カルロに全ての罪を着せるような発言をしておきながら、名を出し渋るとは―――まさかこの期に及んでカルロをどうにか助けようと算段しているのか?
甘ったれのあれらしいと言えばらしいが、いつもとはどこか違うと構えていただけに拍子抜けだ。
「……やはり、やり方が手ぬるいのではないか?」
口元に侮蔑の笑みを刻む兄を見据え、いつになく反抗的な弟はこう反論した。
「やり過ぎて死なせてしまっては、元も子もありませんから」
「必要な情報を如何(いか)にして引き出すかもお前の腕の見せどころだよ。拷問や尋問だけが情報を引き出す方法ではないのだ―――鋭い洞察力と柔軟な思考力をもって臨まねば」
「―――と、仰いますと」
ムッと眉をひそめるフラムアークへ鷹揚に頷いてみせたフェルナンドは、ロワイア侯爵へ視線を向けた。
「侯爵。貴公は確か、アズール王国との戦争に出征されていたな」
実はこの場に同席しているロワイア侯爵は、かつての戦争を経験した当事者でもあった。彼が実際に戦場でカルロと見(まみ)えたかは定かでないが、アズール側の騎兵長を務めていたカルロという人物がいたことについては知っていても不思議ではない。
「は。いかにも」
侯爵の回答を聞いたフェルナンドは満足そうに頷くと、どこか硬い表情になったフラムアークへこう提言した。
「なれば、口を閉ざしているという今回の首謀者の面通りを侯爵に依頼するという手もあるのだぞ。そやつがもしアズール王国の名ある軍人の生き残りなら、侯爵の記憶にある顔と一致するかもしれぬだろう?」
実際のところ、ロワイア侯爵がカルロの顔を知っていようがいまいが、フェルナンドにはどうでもよかった。遅かれ早かれ、カルロの身元はフェルナンドの胸三寸で割れることが決まっている。彼としては今この瞬間、身の程知らずな弟が慌てふためき、吠え面をかくところが見たかったのだ。
「―――ロワイア侯の手を煩わせるわけには。第一、スレンツェが見知らぬ顔であると言っているのです。貴重なご意見ですが、私としてはその必要性を感じません」
そつなく断ろうとする弟の退路をフェルナンドは速やかに塞いだ。
「私は別にお前の側用人を疑うつもりはないが、状況から首謀者と旧知の関係である可能性は排除出来ないと先程から言っている。お前は盲目的にあの男を信じている節があるから、第三者の意見もきちんと取り入れて不要な可能性を確実に潰していくことが大事だと、そう言っているんだ」
「フラムアーク様、私のことでしたらお気になさらず。帝国の者として当然の義務です。お任せ下さい」
ロワイア侯爵にこう言われてはフラムアークも折れるしかあるまい。この状況で侯の協力を拒否するのはいかにも不自然だ。
ほくそ笑むフェルナンドの思惑通り、しばしの沈黙の後、フラムアークは二人の提案を受け入れた。
「……。分かりました。ロワイア侯がそう申されるのなら」
だが、続いたフラムアークの言葉にフェルナンドは片眉を跳ね上げることとなった。
「では、不躾ながらさっそくお願いすると致しましょう。実は今日、こういった場合もあろうかと、念の為首謀者をこちらへ連れてきていたのです。―――ユーファ!」
―――何だと!?
目を剥くフェルナンドの眼前で貴賓室のドアが開き、一礼したユーファに続いて、後ろ手に拘束された中年の痩せぎすの男がスレンツェに引き立てられ入ってきた。
その瞬間、全てを悟ったフェルナンドは全身の血液が逆流するかのような錯覚に見舞われた。
フラムアークが首謀者と謳っていたのは、カルロではなかった。
フェルナンド自身に直接の面識はないが、これは―――この痩躯(そうく)の男は、おそらくブルーノだ。
―――何故フラムアークがブルーノを……!? 何故ブルーノの面が奴に割れている……!?
カルロはいったい、どうしたのだ!?
表面上はあくまで平静を保ちながら、遊んでいるつもりだった相手にまんまとしてやられたフェルナンドのプライドの傷付きようは大変なものだった。
―――敵愾心を覗かせたのは、熱くなっていると見せかける為の策略か。
それにまんまと引っかかった自身の失態に密かに奥歯を噛みしめながら、フェルナンドは何食わぬ顔をしている弟へ静かな憎しみを募らせた。
この私を欺くとは、生意気な―――……! フラムアーク……!
「この男が今回の騒動の首謀者で、ブルーノと名乗る者です」
要人の前に突き出され床に両膝をついたブルーノは青ざめた顔で固く唇を結び、床の一点を見据えていた。
「名乗る……ということは、本名ではないということですかな」
そう確認を取るロワイア爵にフラムアークは頷く。
「ああ。念の為裏付けを進めてはいるが、ほぼ間違いなく偽名だろう。おそらくこの容姿の『ブルーノ』という男は公的には存在しない。ロワイア侯はこの男の容貌に見覚えは?」
ブルーノの前に進み出てその顔をまじまじと観察したロワイア侯爵は、ややしてから首を振った。
「いえ、ありませんな。そもそも身体つきが武人とは言い難いですし、戦場に立つことを生業としているようには見えません。どちらかというと裏稼業で暗躍している輩(やから)といった印象ですな」
「では、首謀者がアズール王国の名ある軍人の生き残りという可能性は潰せたと捉えて宜しいか?」
「私はそれで問題ないと思うのですが……いかがですかな、フェルナンド様」
ロワイア侯爵にそう振られたフェルナンドは静かに頷いた。
「侯がそう言うのなら、そのように結論づけて問題ないだろう。しかし―――甚(はなは)だ意外だな。かような者の元に八千もの人民が集うとは、私には到底思えないのだが」
静寂の中に殺意を凝らせたような、ゾッとする眼光に射抜かれ、ブルーノは魂が凍りつくかのような錯覚に見舞われた。
「此度(こたび)のことについて何か申し開きはあるのか、下賤(げせん)な愚者よ」
フェルナンドのこの言葉が今回の騒動の首謀者に向けられたものではなく、むざむざフラムアークに捕えられカルロと挿げ替えられてしまった失態について質(ただ)されているのだと察したブルーノは、脂汗を滴らせながら沈黙を守った。
―――何を申し開きしたところで、殺される。
彼の直接の雇い主はフェルナンドの側近であり、フェルナンド自身と対面するのはこれが初めてだったが、薄暗い稼業を生業(なりわい)としてきた彼の本能は明確に生命の危機を告げていた。
秀麗で柔らかな物腰とは裏腹に、第三皇子が手厳しく容赦のない人物だという評判は耳にしている。任務の失敗は死へと直結する―――本人を目の前にして、それを確信した。
四面楚歌の只中に置かれたブルーノは、己の命の価値を最も高める手段として沈黙を選択した。
沈黙は金、雄弁は銀―――自分の存在は両皇子にとって重要な手札となっている可能性がある。余計な発言はせず、状況を慎重に見極めて、情報を自分の命の切り札とするのだ―――。
「この通り黙して語らず、苦慮している次第です」
そんなブルーノを忌々しげに見下ろし、いかにもそれらしく振る舞うフラムアークを前に、フェルナンドは不快感を露わにした。
「……陛下の御前を汚すつもりはない故(ゆえ)この場は手出しを控えるが、せいぜいつけ上がらせぬよう、己の置かれた立場というものを知らしめてやるのだな」
「お任せを。この者の所業を腹に据えかねているのは私も同じですから」
静かな怒りを滲ませたフラムアークは、一度それを内にしまうとい出したようにフェルナンドへ問いかけた。
「ところで、兄上はこの者をご覧になって何か感じるところはありましたか?」
そう問われたフェルナンドの眼光は自然と険しいものになった。
―――どういうつもりだ?
ブルーノの身柄を押さえたフラムアークが要求する見返りは、カルロ達レジスタンスの助命だろう。
今回の件をあくまでブルーノに扇動された一般領民による偶発的な蜂起とし、こちらがレジスタンスの存在を秘匿する代わりに、そちらはブルーノの背後関係を追求しない―――これは、そういうことではないのか。
「……いや、特には。先程の侯爵の意見と相違ないな」
「そうですか。やはり、我々の感覚からするとそうですよね」
「……!? どういう意味合いだ?」
怪しい雲行きに眉をひそめるフェルナンドへフラムアークはこう応じた。
「実は、我々人間の感覚では分からないことなのですが、亜人からするとブルーノからは珍しい匂いがするそうなんです」
「珍しい匂い……?」
「はい。詳しくはこちらのユーファから説明させていただきます」
フラムアークに答弁を任されたユーファが一礼し、口を開いた。
「ブルーノからは仄(ほの)かに甘いような独特のすえた匂いがします。この匂いは、鎮痛薬として用いられることもあるオピュームです。人間の嗅覚では無臭のように感じられますが、私共亜人にはハッキリと感じ取れる匂いです。オピュームはケルベリウスという花の未熟果から作られます。鎮痛・鎮静作用があり薬用としても用いられますが、一方で強い依存性をもたらす弊害があり、扱い方を間違えると重大な健康被害をもたらす、いわゆる麻薬の一種です。故に、帝国内では使用目的を薬用に限ったものだけが皇帝陛下の許可を得て一部地域で栽培され、精製されたオピュームは薬師の資格を持つ者にしか扱うことが許されていません」
それを聞いたフェルナンドは特に感慨を受けた様子もなくこう述べた。
「後ろ暗い世界に身を置いていそうな男のことだ、そういった薬に手を染めていても何ら不思議はないだろう。特段取り上げるような事柄ではないと思うが」
ユーファはひとつ頷いて説明を続ける。
「この男の素性を考えればそういう意見にもなりましょう。しかし、オピュームは他の麻薬と比べて手に入りにくく、精製されたものは非常に高価です。裏ルートで出回るものは精製前の純度の低いものが主で、そういったものには不純物が多く含まれており、もっと粗悪な匂いがします。ブルーノから香るものとは明らかに匂いが違うのです。そして、純度の高いオピュームが裏で取引されるのは主に上位貴族の間であると言われています。多くの場合、使用目的は精神的快楽を得ることにあるようです。その使用方法は半固形状のオピュームを炙って吸煙するというものが一般的で、人間の嗅覚では煙草とは違い移り香が残らないことから、煙草代わりに愛好する者もいるようです。いずれにしても、ブルーノのような者には手が届かない高級品です。
また、ブルーノは囚われの身となってから約一日が経過していますが、未だ禁断症状のようなものは見受けられません。よって、この匂いはブルーノ自身がオピュームを使用した際に付着したものではなく、ある程度の時間をブルーノと共に過ごした第三者が吸煙していたオピュームの香りが移ったものであると考えられます」
「……」
フェルナンドは感情の読めない表情で黙している。そんな兄へフラムアークはこう語りかけた。
「宮廷内の情報が何者かによってブルーノへ流れていたことは、疑いようのない事実と言えるでしょう。その人物は違法にオピュームを使用していた可能性が高く、それなりの身分にある者だと考えるのが妥当です。その線から調べればある程度人物像が絞り込めると思うのですが、私は何分中央の貴族達から敬遠されていまして……兄上にご協力いただけると大変ありがたいのですが、いかがでしょう? お願い出来ますか?」
フェルナンドは短い沈黙を置いて承諾を返した。
「……無論だ」
「そうですか、助かります。参考までに伺いたいのですが、兄上の側近の一人であるグリファスは確かファーランド領の出身でしたよね?」
「……そうだ」
グリファスはファーランド領主ヴェダ伯爵の三男で、フェルナンドの下で辣腕(らつわん)を振るう若手の有望株だが、一方で後ろ暗い噂が囁かれる人物でもあった。
「ファーランド領はケルベリウスの栽培が認められている数少ない地域のひとつだったと記憶しています。グリファスにもぜひ、彼のつてを使って協力してもらうよう呼びかけてもらえませんか」
「……いいだろう。そのように計らおう」
「ありがとうございます」
淡々と応じるフェルナンドへ折り目正しく礼を取ったフラムアークは、ゆっくりと顔を上げ兄の双眸を正面から見据えると、一聞するには不自然でない言葉を用いて、にこやかに宣戦布告した。
「このような所業、決して許すわけにはまいりません。二度とこのようなことが起こらぬよう、全身全霊をもって臨む所存です。兄上もどうぞよしなに」
意訳すると「今回の件はお前が仕組んだことだと分かっている、こんな汚いやり方をオレは絶対に許さない、二度とこんな真似が出来ないよう全力でお前を制し皇帝の座に就いてみせるから、覚悟しろ」といった内容である。
橙味を帯びたインペリアルトパーズの瞳が、強い輝きを放ってフェルナンドを射た。隠す気もない敵意を乗せた獰猛(どうもう)な眼差しを受けたフェルナンドは、正確にその真意を汲み取った。
敵愾心を覗かせてみせたのは、純粋な策略というわけではなかったようだ。フラムアークは正真正銘、肚(はら)の底から激怒していたのだ。
そして明確な意図をもって、売られたケンカを買ったのだ。
―――そんな目が出来るのだな。知らなかったよ。
初めて目の当たりにする弟の姿にフェルナンドはうっすらと笑みを湛え、フラムアークからの宣戦布告を受け取った。
―――だが、気に入らないな。小賢しくもこの兄に楯突いたこと、徹底的に痛めつけて、今日のことを心の底から後悔させてやろう。
ここで退場していた方が余程マシだったと、そう後悔する未来をお前にくれてやる。
協調関係を築いているようなやり取りを交わしながら、その実、対立姿勢を鮮明に押し出した息子達の様を、皇帝グレゴリオは感情の窺い知れぬ眼差しでじっと見つめていた。