病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

二十一歳F


 フラムアーク率いる連合軍はカルロ率いる“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”の軍勢をイズーリの丘陵地帯にて退け、人的被害をほとんど出すことなく勝利を収めた。

 この戦いにおけるスレンツェの功績は突出していて、彼の活躍により短期決戦に持ち込めたことが勝利に大きく影響を及ぼした。その戦いぶりを目の当たりにした兵士達は戦闘前とは明らかにスレンツェを見る目が変わり、畏敬(いけい)の念を込めた眼差しを送るようになっていた。

 特筆すべきは、スレンツェは驚異的な単騎駆けで敵陣の奥深くまで到達していたにも関わらず、彼自身は敵側に一人の死者も与えていなかったということだ。スレンツェが斬り開いた道を追って彼の救出に向かった兵士達の証言によれば、薙がれて負傷した人馬はまるで道標のように連なっていたものの、死体が転がっている様は目にしなかったという。

 実際、戦闘後に兵士達が戦場を見回った際には、スレンツェが駆け抜けた周辺に遺体は見当たらなかったそうだ。戦場跡に置き去りにされた遺体そのものが、この規模の戦闘があったとは思えないほど少なかったらしい。

 とはいえ、こちらも全く死者を出さずに済んだわけではなく、残念ながら幾ばくかの尊い生命が失われてしまった。

 私は負傷者達の手当てに追われながら、救護所の片隅に布をかけた状態で並べられた自軍の兵士達の遺体を視界の端に捉え、その事実に胸を痛めた。

 相手側の兵士の遺体はフラムアークの命により丘陵地の一角に集められ、後ほど荼毘(だび)に付されるそうだ。

 スレンツェもフラムアークも無事で良かったけれど、亡くなった彼らにだってそう願う相手はいただろうに……それを思うと、やりきれない気持ちになる。

 こんな戦いが起こらなければいい。もう、二度と。

 そんな思いを噛みしめていた時、本陣の方がにわかに騒がしくなった。人の流れがそちらへと集まり始め、救護所にいる負傷兵達も何事かと首を巡らせて、歩ける者はそちらへと移動を始める。

「何かあったんでしょうか……?」

 私の治療を受けていた兵士がそう言って、そわそわと周囲を見渡した。

「そうみたいね―――はい、包帯を巻き終えたから見に行って来ていいわよ。ただし走らないようにね」
「はい。ありがとうございます」

 一礼してそちらへ向かった彼と入れ替わるようにして、本陣の方からエレオラがやって来た。

「ユーファさん、お忙しいところすみません。私も診ていただけますか」
「エレオラ! 怪我をしたの!?」

 現れた彼女の姿に私は目を瞠った。止血用の端切れを巻いたエレオラの左肩は、乾いた血で赤黒く汚れている。

「大した傷ではないんです。もう血も止まっているようですし……ただ、ユーファさんに診てもらうようスレンツェ様から勧められたものですから」
「化膿したら大変だもの、診せて。きちんと手当てしないとダメよ。さあこっちへ」

 私は人目を憚らず手当て出来るよう、重傷者の治療用に設置してあった天幕の中へとエレオラを招き入れた。

「相手の剣を受け止め切れなくて……こんなことではいけませんね、もっと鍛えて強い筋力を手に入れなければ」

 上衣を脱いだエレオラは気丈にそう言ったけれど、兵士達の屈強な肉体を見た後では彼女の線の細さが余計に際立った。さほど深い傷ではなかったものの、華奢(きゃしゃ)な肩に横たわる赤黒い刃の痕は痛々しく、より凶悪なもののように映る。

 この傷は、もしかしたらうっすらと残ってしまうかもしれない。

「……あなたが無事で良かったわ。本当に」

 色々な感情を飲み込みながら、私はそう呟いた。エレオラが心身共に過酷な状況から生還を果たしたのだと実感して、恐ろしさと安堵がない交ぜになった冷たい余韻を紛らわすように話を続ける。

「そういえばさっき、本陣の方が騒がしかったようだけど―――」
「ああ、それは―――別動隊がブルーノを捕えて帰還したからです」
「えっ、ブルーノを!?」

 私は目を見開いた。

 ブルーノはスレンツェの使いを騙(かた)ってカルロを唆(そそのか)した今回の騒動の中心人物だ。その背後にはおそらく第三皇子フェルナンドがいる。

 フラムアークはその確証を得る為、そう遠くないところで今回の戦乱の行く末を見守っているであろうブルーノを捜索する為の別動隊を編成していた。

 今回の事件を引き起こした首謀者はあくまで扇動役のブルーノであり、カルロ達は彼に主導され蜂起した一般国民として処理したいとフラムアークは考えており、ブルーノの身柄の確保は私達にとって最重要事項だったのだ。

「先程面通しをして確認してきましたから、間違いありません」

 ブルーノの顔を知るエレオラがそう言うのなら、間違いない。

「良かった……! 別動隊、よくやってくれたわ……! よくブルーノを見つけて捕まえてくれた……!」

 安堵の息をもらしたその時、私の兎耳はこの天幕へ足早に近付いてくる何者かの足音を捉えた。

「―――誰か来たみたい。少し待っていて」

 エレオラにそう言い置いて、万が一にもこの中へ誰かが入ってくることのないよう、天幕の入口を自分の身体で塞ぐようにして表へと出る。

「何か御用ですか? 今は女性の治療中ですので―――」

 言いかけた私は足音の相手を目にして、ひどく驚いた。

 そこにいたのは、浅黒い肌に黒褐色の髪をした、白目部分のほとんどない大きな黒目と側頭部にある丸い小さな耳が特徴的な、見覚えのある穴熊族の少年だったのだ。

「―――! ピオ……!?」

 私は愕然とその名を呼んだ。

 記憶にある面影より少し大人びて背も伸びているけれど、間違いない―――ピオだ。

「ユーファさん!」

 ピオは人懐っこい笑顔を見せて、私に駆け寄ってきた。

「久し振り! 元気にしてた!? こっちにユーファさんがいるって聞いて」
「本当にピオ……!? ど、どうしてここに!?」
「へへ。フラムアーク様から要請を受けて、少し前に村の大人達と一緒にここへ来たんだ。オレ達の助けがいるって言うからさ、恩返し! さっきまで悪い奴を探す手伝いをしていたんだ」
「えっ、もしかして別動隊ってピオ達のことだったの!?」

 目を丸くする私にピオは首を振って、事の次第を語った。

「ううん、その別動隊ってトコにオレ達が飛び入りで加わっていた感じ? 穴熊族は鼻が利くからさ、急遽頼まれて。そっちはついでで、オレ達は本領の分野で呼ばれたんだ。フラムアーク様はその、敵兵も人としてきちんと弔ってあげたいんだって」

 穴熊族は土や岩盤を掘るのが得意な種族だ。

 フラムアークはカルロ達とぶつかることが避けられないとしても、せめてそういった部分で人として彼らに報いたいと考えたのだろう。

 人の義を重んじるフラムアークらしい―――。

 知らず目元が和らいだ時、私達の会話を聞きつけたエレオラが背後から顔を覗かせた。

「―――ピオ?」
「あっ、エレオラさん! エレオラさんも来てたの!? 久し振り、こんな所で再会するなんて」
「久し振りねピオ、元気そうで良かった。ユーファさん、積もる話もありますしどうでしょう、彼にも天幕の中へ入ってもらっては」

 確かにここで話すのは人目にもつくし、兵士達には聞かれない方がいい話もあるものね。

「エレオラは大丈夫?」
「はい、キチンと手当てしていただきましたし、服ももう羽織りましたから」
「えっ、何? エレオラさんケガしたの? 大丈夫!?」

 てっきりエレオラは看護要員としてここにいるものと思っていたらしいピオが、心配そうな表情になった。

「大丈夫よ。問題ないわ」

 そんなピオに明るく笑って、エレオラは彼を中へ招き入れた。



*



「ええと……まずはユーファさん、二年前のこと……ごめんなさい。親切にしてくれたのに―――オレの為に、オレ達の為に力を尽くしてくれたのに、オレ、ユーファさんに八つ当たりして……ひどいこと、たくさん言って。自分の心に余裕がなかったからって、やっていいことじゃなかった……本当にごめんなさい。それから、あの時オレを助けてくれて本当にありがとうございました」

 天幕に入ったピオはまずかしこまって、私に謝罪と感謝とを述べてくれた。

「ピオ……」

 私は心が温かくなるのを覚えながら、しゅんと獣耳を伏せている彼に言った。

「そう言ってくれてありがとう、嬉しいわ。あなたが元気そうで本当に良かった。他のみんなは元気?」
「うん、元気だよ! ユーファさん、今度オレ達の村へ来たらきっとビックリするよ! あの時とは全く雰囲気が変わっているから!」

 ピオはパッと顔を輝かせて、私に穴熊族の村の近況を語ってくれた。

 それによると、私達が村を立ち去ってほどなくアズール城から派遣された支援部隊が村にやってきて、食糧の配給や生活に関する様々なサポートがなされるようになったらしい。支援部隊はそのまま村に駐留し、現在も彼らによる保全活動は続いているのだそうだ。

 ダーリオ侯爵の計らいで支援部隊主導の下、村は観光地として整備されることになり、ピオ達は故郷を失わずにそこで従事する仕事を得て、安定した生活を送れるようになったという。働き手として近隣の村からも人が雇われるようになり、周辺一帯の暮らしぶりは以前より良くなったそうだ。

 ダーリオ侯爵は社交の場で積極的に穴熊族の村を新たな景勝地として触れ込み、その義理立てで半信半疑でやってきた貴族達のほとんどが、異界のような村の光景を目の当たりにして言葉を失い、大変満足して帰って行くのだという。

 その評判が評判を呼び、現在穴熊族の村はアズールの新たな景勝地して認知されるようになってきており、上流階級が足繁く通うようになったことで、人々の穴熊族に対する偏見の目にも徐々に変化が出て来ているのだそうだ。

「まだ、微々たるものではあるんだけどね」

 ピオはそう言ってちょっと笑った。

「オレ、自分の生まれ育った場所にこんな力があるなんて、今まで思いもしなかったよ。見慣れた村の景色が、見たことのない人達の心をこんなにも揺さぶるものだなんて、想像もしていなかった……ダーリオ侯爵は自分の手柄みたいに言っているらしいけど、本当はフラムアーク様の発案なんでしょ? 全部全部、フラムアーク様のおかげだよ。感謝してもし足りない。オレ達にとって、フラムアーク様は神様みたいな人だよ……」

 ピオの表情にはフラムアークへの感謝が溢れている。

「だから今回、フラムアーク様がオレ達を頼ってくれて嬉しかったんだ。本当は大人だけ呼ばれていたんだけど、無理を言ってオレも付いてきちゃった。どうしても、あの人の役に立ちたくて」

 フラムアークを支えてくれる小さな手が、またここにひとつ。

 ささやかな希望の光をそこに感じて、私の表情はほころんだ。

「エレオラさんもフラムアーク様に呼ばれて来たの?」

 無邪気なピオの質問にエレオラはかぶりを振った。

「私はダーリオ侯爵の使者としてフラムアーク様の元へ遣わされたのよ」

 この数日の間に書簡を使って行われたフラムアークとダーリオ侯爵の密約により、エレオラはダーリオ侯爵がフラムアークに送った正式な使者として扱われることが決まっていた。

 今回の“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”の挙兵はダーリオ侯爵にとっても不測の事態で、長年自領に潜んでいた大規模な反帝国組織に気付くことが出来ぬままここまで放置してしまったという事実、更にはその組織が皇帝暗殺を目論んで八千という規模の挙兵に至るのを未然に防げなかった大失態、おまけにそれを第四皇子からの報せで知った上、あろうことか第四皇子にその一報をもたらしたのが使者の証を無断で持ち出した城の使用人とあっては、面目が潰れるどころの騒ぎではなかった。

 これが公となれば無能の烙印を押され、領主という地位から排斥され訴追されるのは免れないと青ざめたダーリオ侯爵は、フラムアークが“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”の反乱を未然に防いでくれることを願い、自身の命運を賭けて全面的に協力することを決めたのだ。

 これにより、エレオラはダーリオ侯爵がフラムアークへ送った正式な使者として扱われることとなり、使者の証を無断で持ち出した罪を免除されることになった。同時にダーリオ侯爵も使用人に使者の証を持ち出されたという不名誉な事実を秘匿出来ることとなったのだ。

 また、首謀者をあくまでブルーノにしたいと考えるフラムアークは、アズール領へ敗走するであろう“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”の兵達を見かけてもみだりに捕えず便宜を図るよう、ダーリオ侯爵に要請した。

 スレンツェ曰く、カルロはいくつかの撤退ルートをあらかじめ定めており、撤退時は分散して逃げる手筈になっているだろうという見立てだったけど、あの規模の人数が完全に人目に付かずに逃げ切るというのは無理があるものね。

 あくまでも彼らをブルーノに唆されて蜂起した一般領民とするのなら、この騒乱に“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”というレジスタンスは存在してはならないのだ。ここまでの事態になった以上、情報を完全に統制することは無理でも、公的にそれが公になることだけは防がなければならなかった。その為にはアズールの兵に彼らを見逃してもらう必要があったのだ。

 ダーリオ侯爵も今回に限るという条件でそれを了承した。今後は“比類なき双剣(アンパラレルドゥ・デュアル・ウィールド)”の動向に厳しく目を光らせるが、今回に限り彼らの存在を黙認すると。

 後は捕えたブルーノからどうにかして背後関係に迫りたいところだったけど、おそらく素直に口を割ることはないだろうし、相手がフェルナンドだと考えると、そうやすやすと尻尾を掴ませてくれるとは思えないのよね……。

 そんな考えに沈んでいた私の前で、ピオがふと思い出したように言った。

「そういえばあの悪い奴、何か独特の匂いがしたなぁ……」

 独特の匂い……?

 それを聞いたエレオラが軽く小首を傾げる。

「ブルーノのこと? そんなに変わった匂いがした? 私は気が付かなかったけれど……」
「そんなに強い匂いじゃなかったし、人間には分からないかもね。オレも初めて嗅いだ匂いだからちょっと気になったってだけだし」
「それって、どんな匂いだった?」

 身を乗り出した私にピオはちょっと眉を寄せて考え込んだ。

「ううん……口で説明するの難しいなぁ……オレの身近にはない匂いだから―――でも、もしかしたらユーファさんなら分かるかもね。気になるなら会って確かめてみたらいいんじゃない?」

 そうね……どんな些細なことでも情報が多いに越したことはないし、もしかしたら何かの手掛かりになるかもしれない。後でフラムアークに頼んで、ブルーノに面会させてもらおう。
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