病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

二十歳F


「ユーファ!」
「レムリア……!」

 フラムアークの引き合わせにより宮廷内の一室でレムリアと再会を果たした私は、彼女と固く抱き合った。

「ユーファ、ごめんねぇ……! あたしのせいで迷惑かけちゃって、本当にごめんね……! こっ、こんな大事になって……フラムアーク様にまで迷惑をかけちゃって……!」

 ぼろぼろ泣きながら謝罪する彼女に、私は涙を堪えながら首を振った。

「いいのよ。あなたが無事で、本当に良かった……!」
「うっ……心配かけてごめんね、ごめんなさい……!」

 私にぎゅっとしがみついたレムリアは顔をぐしゃぐしゃにして、ひとしきり泣いていた。

 はつらつとして健康的だった彼女の身体は細く薄くなっていて、そこに拘留中の辛さが窺えるようだった。

 彼女が牢獄でどんな目に遭ったのかは、フラムアークから聞いて知っている。

 連日に及んだ尋問という名の証言の強要は、どんなに辛かっただろう。浴室で裸の男達に囲まれた時はどれほど心細かったか。怖かっただろうに、屈辱的だったろうに、それでも勇気を振り絞って、レムリアは私の為に詮議の場で証言をしてくれた。

 その彼女の証言を巡って新たな審議が近々執り行われることになっており、そこに出廷しなければならない彼女は釈放された現在も保護宮の自室に戻ることは許されず、監視付きの部屋に詰める生活を送っていた。ここへも女性の刑務官に付き添われて来ており、この面会には制限時間が設けられている。刑務官は今はドア付近に立ちこちらを注視していた。

「ユーファさん、私からも謝罪させて下さい」

 フラムアークの取り計らいでこの場に同席していたレムリアの恋人、バルトロが遠慮がちに申し出た。

 色素の薄い髪と瞳が優しそうな印象をもたらす、純朴そうな顔立ちをした青年だ。

「こんな形で挨拶をすることになってしまい、申し訳ありません。初めまして、バルトロと申します。この度は、私達のことであなたに多大なご迷惑をおかけすることとなり、本当に申し訳ありませんでした。フラムアーク様には既に誠心誠意謝罪させていただきましたが、あなたにも言葉では言い尽くせないほど申し訳なく……」

 沈痛な面持ちで深く頭を下げるバルトロに、私は顔を上げてくれるようお願いした。

「どうか頭を上げて下さい。あなたの気持ちはもう充分に伝わりましたから」
「そう言って下さるあなたの優しさに感謝致します。……レムリアからあなたの話はよく聞いていました。とても仲の良いルームメイトがいるのだと。まさか初めての対面がこのような形になってしまうとは思いも寄りませんでしたが……こうしてお会い出来て、嬉しいです」
「そうなんですね……私もお会い出来て嬉しいです、バルトロさん。改めまして、ユーファと申します。事の次第を初めて耳にした時は驚きましたが、レムリアのお相手が誠実そうな方で安心しました」

 彼の存在をこれまで知らなかった体(てい)を装い、私はバルトロに挨拶を返した。

 実際に彼と会うのはこれが初めてで今まではその顔も知らなかったから、こうして対面出来たことは純粋に嬉しい。

「想像もしていなかった展開でしたが、想い合う二人が離れ離れにならずにすみそうで良かったです。今日はあまり時間もありませんので、今度また改めて、ぜひ色々お話をさせて下さい。これからもレムリアのことを宜しくお願いします。どうぞ彼女を傍で支えてあげて下さいね」
「はい、いえ、こちらこそ。今後とも宜しくお願い致します」

 そんな私達のやり取りを黙って見ていたレムリアの顔にゆっくりと笑みが広がり、傍らでその様子を見守っていたフラムアークが頃合いを見計らって穏やかな声をかけてきた。

「ユーファ、そろそろ時間だ」
「はい」

 私は頷いて、後ろ髪を引かれながらレムリアの両手を握った。

「……レムリア、それじゃあまた」
「うん。ユーファ、会いに来てくれてありがとう。またね。今度はあたし達の部屋で会えるといいな」
「そうね。その時はたくさん話しましょう」
「ふふ。そうだね。フラムアーク様、本日は本当にありがとうございました」

 次の再会を待ち望む言葉を交わし合い、フラムアークに向けて深々と腰を折るレムリアの隣からバルトロがつと進み出て、フラムアークの前に片膝をついた。

「フラムアーク様。この御恩は、一生忘れません。私はしがない下級貴族の次男で、何の力もない非力な身ではありますが、私に何か出来ることがございましたら、いつでも、何なりとお申し付け下さい。どこにいても必ずや駆け付けて、貴方の為に尽力すると誓います」

 かしこまるバルトロにフラムアークは白い歯をこぼした。

「感謝する。だが、その気持ちだけで充分だ。今は何よりもレムリアのことを考えてやるといい。彼女はまだ別の審議を控えている身だ。軽微な刑にとどまったとはいえ、君達への風当たりはしばらく厳しいものがあるだろう。二人で支え合ってこの難局を乗り切っていってくれれば、それでいい。無論、次の審議にはオレも参加するし、理不尽な圧力がレムリアにかかることのないよう配慮する」
「フラムアーク様……」

 目に輝くものを浮かべながら、バルトロは堪えるように頭を下げた。

 後日、日を改めて執り行われたレムリアの証言を巡る審議の場は、大変に紛糾したという。

 争点となったレムリアの証言の真偽を巡って揉めに揉めた後(のち)、証言を強要されたとするレムリアの訴えが認められると、最後は彼女に虚偽の証言をするよう迫った看守長に全ての責任が押し付けられた。

 皇太子ゴットフリートは一切の関与と非を認めず、勝手な思い込みで無用の忖度(そんたく)に走った看守長の暴走だと切り捨てた。卑劣極まりないやり方で得られた証言をさも本当であるかのように報告された自分こそが被害者であると、声高に看守長を非難した。

 看守長は青ざめ、大柄な体躯を震わせながらも、さながら蛇ににらまれた蛙のように一切の反論をせず、皇太子の言うがままに全ての罪を認めた。

 結審の場で彼はその場に崩れ落ち、むせび泣いたそうだ。

 彼に同情する気持ちはなかったけれど、誰の目にも疑念が残る、こんな皇太子の横暴な主張がまかり通ってしまう現在の審議の在り方には大いに疑問を覚えるところだった。

 ―――それから三ケ月後。

 皇帝グレゴリオにより兎耳族の保護の撤廃が正式に公布なされ、十五年に及ぶ兎耳族の異例の救済措置はここに終わりを迎えることとなった。なお、保護の解除は一斉に行われるものではなく、五年を目処に段階を踏んで希望者から順次解いていくことが発表され、皇帝により兎耳族の新たな居住地が用意される運びであることも明らかにされた。

 それに対し当事者の兎耳族はもちろん、一般国民の間からも反発や賛否の声が上がり、宮廷の内外で悲喜こもごもの反応が沸き起こったけれど、兵が駆り出されるような大きな騒動に至ることはなく、やがて兎耳族の皆は粛々と現実を受け止め、保護が解除された後の生活の準備に入っていった。

 そんな中、レムリアは今後も宮廷で働き続けたいという意欲に燃えていた。

 その理由は恋人のバルトロにあった。実家の父親から「今回の騒動の汚名を雪(すす)ぐまで家に帰ってくることはまかりならん。石にかじりついてでも宮廷勤めを死守しろ」と厳命されてしまったという彼は、針のむしろとなる覚悟で、これまでと同じ職場でこれまでどおり働くことを選択していたからだ。

 真面目な仕事ぶりを評価されていた彼の続投を、職場の上長は大様に受け入れてくれたという。

 恋に燃え恋に生きるレムリアは、そんな彼の傍らで針のむしろを分かち合い、愛を深めていきたいという思いに溢れていた。

「新しい兎耳族の居住地に行ったって、どうせあたしは針のむしろだもの。だったら断然、一人でいるより二人でいる方がいい! せっかく公に付き合うことが認められて、やっとコソコソしないでイチャイチャ出来るようになったのに、あたしが宮廷を出て行ったらバルトロになかなか会えなくなっちゃうし、そんなの本末転倒、我慢出来ないもん! あたし達、楽しいのはここからなんだから! あたし、仕事は真面目にやってたし、物覚えも手際もいいって褒められていたから、そこはきっと評価してもらえると思う……!」

 レムリアはそう力説し、職場の責任者に自分もバルトロ同様続投を許可してもらえるよう直談判すると息巻いていた。

 最悪認めてもらえない場合は五年間ギリギリまで残って、その間にバルトロにプロポーズしてもらえたら言うことないんだけどなぁ……なんて、夢と打算が入り混じった呟きを漏らしながら。



*



「―――そうか……兎耳の薬師はあれの宮廷薬師として残ることになったのか」

 夕暮れ時の第三皇子の執務室内。臣下からそう報告を受けたフェルナンドは、手元の書類に目を落としながら静かに頷いた。

「第四皇子は当初彼女を手放す意思を示したようですが、彼女の強い要望を受けて、改めてその裁量により任命したという流れのようです」
「ふぅん……あれが私に示した言葉に嘘はなかったということか。まああれも内心では彼女を手放したくないと認めていたから、なるべくしてなったということなのだろうな。数少ない味方を失わずに済んで何よりだ。あれも今頃はホッとしていることだろう」

 レムリアとバルトロをきっかけに発した種の保存にまつわる一連の騒動は、フェルナンドにとってさして重要なことではなかった。彼にとってはこの問題は些末なことで、どう転ぼうが痛くも痒くもなかったからだ。

 そんな彼が兎耳族の保護の是非という根幹の問題をわざわざ提起したのは、このところ頭角を現してきたフラムアークに対する嫌がらせであった。

 病弱で次期皇帝候補になることはないと見限られていた一族の爪弾き者のくせに、ここ数年、妙にその存在感を増し、フェルナンドに警戒感を抱かせるに至った不遜な弟をひとえに苦しめたかったのである。

 幼い頃から心の拠りどころにしてきた母親代わりの相手を失いかねないカードを切られたら、あの泣き虫がどんな反応を見せるか? それが見てみたかった。

 そこそこ頭は回るようだから、あれは小生意気にもフェルナンドがこういった動きに出ることを予測してくるだろう。その上で青ざめながら保護の継続を訴えるか、苦悩の末、保護の解除に追随するか―――いずれにしても、あれが精神的に苦しい思いをすることは間違いない。

 皇太子(ゴットフリート)辺りなら例え保護が撤廃される流れになったとしても、皇子の権限を振りかざして無理やりにでも相手を慰留するだろうが、あの弟の性格的にそれはないと踏んでいた。

 近頃何かと目障りなあの弟は昔から生真面目で、まず相手の立場を慮(おもんばか)る傾向にある。それが大切にしている相手となれば尚更だ。臣下など使い捨ての駒にすぎないというのに、上に立つ者にそぐわない、甘っちょろい精神論を抱えているのだ。

 その甘っちょろさでせいぜい苦しむがいい、とフェルナンドはほくそ笑んでいた。そして出し得た苦渋の決断を見せてみろ、と。

 彼としては様子見がてらの退屈しのぎ、ほんの余興のつもりだったのだ。

 ところが、思うようにはいかなかった。

 この問題の提起にフラムアークが苦しんだことは間違いないだろうが、彼はそれをおくびにも出さず、自ら事前に兎耳族に聞き取り調査まで行って、積極的にこの問題と向き合う姿勢を見せた。そしてあろうことか、フェルナンドの提言を自ら取りまとめるようなところにまで持っていったのだ。

 それが、大いにフェルナンドの癇に障った。

 兎耳族の保護を始めた張本人、皇帝グレゴリオにとってもこれは面白くない展開だったはずだ。父の不興をフラムアークは間違いなく買うことになった。その点は目論み通りだった。

 だが、それに臆することなく振る舞ったフラムアークに対し、上座にいた要人達が向けた視線―――あれは気に入らなかった。フラムアークに対する彼らの暗黙の評価が窺えたからだ。

 皇位継承順位を未だ鵜呑みにしている皇太子(バカ)のお粗末極まりない下手のこき方も、忖度(そんたく)なく意見をつけてくる飄々(ひょうひょう)とした第五皇子(おとうと)の物言いも、逐一神経に障った。

 ―――もう少し内面の動揺も葛藤も見せてくれるかと思ったのだが、な。

 フラムアークはチラともそれを見せなかった。フェルナンド的には非常に不本意な結果に終わったのだ。

 存外ふてぶてしい奴だ。あの虚弱な泣き虫が、まさかここまで変貌しようとは。

 フェルナンドは自身の想定以上の立ち回りを見せたフラムアークに対し、苛立ちを覚えると同時に彼に対する認識を改めねばならなかった。

 どうやら過小評価し過ぎていたようだ。ここ数年、あれの動きに感じていた変化や違和感は杞憂ではなかった。取るに足らない小物と断じ、しばらく自由にさせ過ぎてしまった感は否めない。

 分不相応な成長を遂げたあれは、駆逐すべき害虫だ―――この自分が次期皇帝になる為に摘まねばならない、不穏の芽だ。

 かつては歯牙にもかけなかった皇族の面汚しをこの自分が相手にすることになろうとは、何という時の悪戯か。

 だが、何事にも手を抜かない主義のフェルナンドは万が一を考えて、密かに網を張っておいた。備えあれば憂いなし、だ。

「両翼がその背にあるということは―――それを引き千切る楽しみが残っているということだ。さて、どうしてくれようか―――? 引き千切られた翼を見ても、お前は果たして今回のように涼しい顔を保てるかな?」

 秀麗な面差しに薄暗い笑みを湛えて、フェルナンドは三つ下の弟へ未来の闇を暗示した。
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