病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十九歳K


「……どうしてオレを助けたの。あのまま死なせてくれたら良かったのに……」

 自らが一命を取り留めたと知ったピオの口から最初に出た言葉は、それだった。

「……あなたに生きていてほしいと願った薬師(わたし)の我が儘ね。目の前で病気やケガに苦しんでいる人がいたら助けることが、私は薬師としての使命だと思っているから」

 二人だけの室内。ベッドの上であさっての方を向いている彼にそう答えると、やるせなさで震える声が返ってきた。

「―――ん、なの、ただの自己満足だ……! 勝手だよ……! 助かりたくなかったのに助けられて、何の希望もない生き地獄に独り放り出される方の身にもなれよ……!」
「……。あの時少し話したけど……私もあなたみたいに突然独り取り残されて、いっそこのまま死んでしまいたいと思った時期があったの。けれど、絶望したその先には想像もしなかった出来事や出会いが待っていて……今は生きていて良かったと、そう思っている。だから未来を決めつけて諦めないで、ピオ。あなたの生き方次第で、未来はきっと様々な景色に色を変えていくはずだから」
「そんな、綺麗事……! 言っただろ、兎耳族と穴熊族では置かれた環境に違いがあり過ぎるんだって!」
「……あなたの言うとおり、皇帝に救済された兎耳族の私は衣食住に困ることはなかったわ。それ自体はとても恵まれていて、贅沢なことなのだと思う。……けれど、代わりに失ったものもあるわ。自由よ」
「え……?」

 ピオの声が初めて揺らいだ。

「皇帝の庇護下に入った私達には種の保存という名目で様々な制約があるの。宮廷の外へ出ることは固く禁じられているし、仕事は宮廷内で割り振られたものをこなして、日用品や食料品は支給されるものの中から選び取る。婚姻が認められるのは同族間のみよ。だからどんなに帰りたくても故郷の土を踏むことは出来ないし、懐かしい家庭料理を作って味わうことも、町で買い物を楽しむことも、川で水遊びをすることも、場合によっては好きな相手と結ばれることも許されない。自分の意思に基づいて何かをするということは、ほとんど出来ないの」
「……でも、あんたはこうして宮廷の外へ出ているじゃないか」

 背を強張らせて疑問を呈する彼に、私は淡く微笑んだ。

「今回はベリオラを鎮圧する為、フラムアーク様の働きかけがあって、皇帝陛下から特別に許可が下りたの。保護されてから宮廷の外へ出たのはこれが初めて……十四年振りよ。どこまでも続く景色に世界の広さを思い出して、何とも言えない気持ちになった。
生活の保障のない自由と、生活を保障された不自由……どちらが幸せなのかは人によっても異なるでしょうし、私には何とも言えない。だけどピオ、私はこれまで生きたくても生きられなかった人達を大勢見てきた。彼らから言わせれば、例え今どんなに辛い状況にあったとしても、五体満足で命があるだけあなたは恵まれているわ。これからの人生をどうするのか、あなたは自分の意思で選択することが出来るのだから」
「……っ。そんなの……!」

 呻(うめ)くように呟いて、ピオは上掛けをきつく握りしめた。

「そんなの……!」
「病み上がりなのにごめんなさい。でも……とても大切なことだと思うから、きちんと考えてほしくて。あなたのご両親はあなたが生まれた時、とても喜ばれたと思うの。望まれて生まれてきた自分の命を、どうか今一度見つめ直してほしい。あなたは、ご両親が精一杯生きた証でもあるのだから」
「…………」
「お薬……ここに置いておくからちゃんと飲んでね。また、様子を見に来るわ」

 沈黙するピオの枕元に薬を乗せた盆を残して、私はその場を後にした。



*



「どうでしたか、ピオの様子は?」

 部屋を出た先の廊下でエレオラに声をかけられた私は、ほろ苦く笑んだ。

「うん……難しいわね。身体の方はもう問題ないと思うけれど、心の方が……」
「そうですか……無理もないですが、どうにか前向きになってほしいものですね。今、他の患者達を回ってきましたが、特に問題ありませんでした。皆順調に回復してきているようです」
「そう……それは良かった。そろそろ終息の目処(めど)が立ちそうね」

 そんな会話を交わしながら、私達は拠点にしている村長の家を出てその先のテラスへと足を進めた。青空の下、春の和らぎを帯びてきた風に髪を遊ばせながら、洞窟住居の最上層からの景色を眺めやる。

「……こうして景色を眺めていると、疲れた身体に元気をもらえる気がしますね」
「そうね……澄み渡った空と雄大な景観が、溜まった陰の気を浄化してくれるよう……エレオラ達が一緒に来てくれて本当に助かったわ。私達だけじゃきっと立ち行かなかったもの」

 新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んで感謝の気持ちを伝えると、彼女は穏やかに微笑んだ。

「お役に立てて光栄です」

 エレオラは真面目で慎ましやかだけど一本芯が通っていて、サポート上手な女性だった。人当たりが柔らかく他人の気持ちを汲むことに長けていて、周りによく目が行き届く。仕事は丁寧で物覚えが良く、私はそんな彼女にかなり助けられていた。

 意外と頑固な一面もあって、気さくに接してほしいという私の要望は頑なに固辞されてしまった。祖国のカリスマ的存在だったスレンツェは今も彼女にとって畏敬(いけい)の対象であり、その彼の同僚である私は彼女にとって礼節を取るべき相手であって、ざっくばらんに接することは出来ないという。

 仲良くしたい思って差し出した手を取ってもらえなかったような寂しさはあったけれど、エレオラはそれで壁を作るようなことはせず、自然な距離を取って接してくれた。だから私も無理をせず、自分のしたいように敬語を取り払って話すようにした。そして、今に至っている。

 エレオラは、アズール王国の王子だった当時のスレンツェを知っているのよね……。

 そう思うと何だか不思議な感じがした。彼女はスレンツェがあまり話したがらない当時の彼のことを知っている希少な人物でもあるのだ。

「あなたは、スレンツェの古い知り合いなのよね?」

 一応周りに誰もいないことを確認してから切り出すと、エレオラは控え目に頷いた。

「スレンツェ様からお聞きになっているのですね。知り合い、と言われると畏れ多いですが……あの方のことは昔から一方的に存じ上げています」
「あなたは確か、かつてのアズール城に出仕していたのよね? 前にあなたを助けたことがあるらしいっていう話をスレンツェから聞いたことがあるんだけど、それはその時……?」
「あの方と初めてお会いしたのは確かにかつてのアズール城ですが、それは私が王城に出仕する以前の話になります」
「そうなの?」
「はい。あの方はまるで覚えていらっしゃらないご様子でしたが」

 エレオラはそう苦笑すると、スレンツェとの昔話を少しだけ語ってくれた。

「私はさほど階級の高くない貴族の娘でした。代々続いてきた家は国の滅亡と共に無くなってしまいましたが……。スレンツェ様と初めてお会いしたのは、王城で催されたとある舞踏会の夜のことです」

 ―――エレオラは貴族の出身なのね……どおりで……。

 彼女の所作の綺麗さに合点がいきつつ、自分には縁のない舞踏会という場での二人の出会いに、漠然とした距離感のようなものを感じずにはいられなかった。

「私はその日が社交界デビューだったのですが……慣れない舞台に不安と緊張でいっぱいでした。そんな右も左も分からない中、あまり評判の良くない有力貴族のご子息達から強引なお誘いを受けてしまい、困っていたところをあの方に助けていただいたんです」

 昔から変わらないのね。困っている人を見過ごせない、スレンツェらしいエピソード……。

「あの時のことは本当に感謝しています。なのに、当時の私は精神的にいっぱいいっぱいで、ろくにお礼を申し上げることも出来ずに……父には叱られましたし、私自身とても反省して後悔しました。
縁あって王城に出仕するようになってからは時折スレンツェ様の姿をお見かけすることもありましたが、あの方は私のような身分の者がおいそれと声をかけられるような存在ではありませんでした。そうこうしているうちに国があのようなことになり―――三年前、偶然再会出来た時は、無事なお姿を拝見することが出来て心から安堵しました。ご存命であることは存じていましたが、人質として帝国へ赴かれたあの方が宮廷でどのような扱いを受けているのか、勝手ながら案じていたからです。第四皇子の側用人となっているとは思いませんでしたので、驚きました」

 ―――人質? 虜囚ではなくて?

「スレンツェは……多くの国民の助命嘆願によって処刑を免れた王家唯一の生き残りで、虜囚として皇帝陛下の元へと下ったのではなかったの?」
「表向きはそうですが、実質的にはアズールを帝国の領地として統治する為の人質です。当時はスレンツェ様を旗印に母国を取り戻そうとするアズールの残存勢力が活発でしたから、皇帝はあの方を手元に置くことでそれを収めようとしたんです。争いが長引いて“自分の領地となる場所(アズール)”が荒れるのは皇帝の本意でなかった。その思惑通り、旗印を失った残存勢力は鳴りを潜め、一方で、祖国を領地とされ国民を人質に取られた形のスレンツェ様もまた、身動きが取れなくなった。そして、自分達の助命嘆願により王子を助けることが出来たという既成事実は、敗戦に揺れる国民感情をなだめる役を担い、帝国がアズールを統治しやすくなるひとつの要因となったのです」

 それは言われてみればいちいちもっともなことで、スレンツェの傍にいながら今の今までそこまで思い至らなかった自分を私は恥ずかしく思った。

 私はこれまで聞いたことを額面通りに受け取るだけで深く掘り下げて考えることをしてこなかったけれど、政治の動きには様々な思惑が絡んでいるんだから、そういう世界に挑もうとしているフラムアークの手助けをするつもりなら、これからは物事の様々な側面を考えられるようになっていかなければならないな―――そう、気持ちを引き締めた。

 最近はこんなふうに反省することばかりだ。

「そういうことだったのね……教えてくれてありがとう。それで……エレオラ自身はどうなの? 帝国に関して、今もあまりいい感情は抱いていない?」
「……どうでしょうか」

 少し遠い目をして彼女は言った。

「あの戦争は悲惨でした。私は家も家族も失いましたし、第四皇子の側近である貴女に率直な意見を述べることはためらわれます」

 それは……そうよね。アズールの領民の多くは、きっと今もエレオラと同じような気持ちでいるに違いない。

「ただ……フラムアーク様のお人柄には驚きました。その隣で、スレンツェ様が思いの外(ほか)穏やかな顔をされていることも。今回こうして帯同することが出来て、何となくですが、その理由の一端を知れたような気がします。スレンツェ様の置かれた境遇を垣間でも見ることが出来て良かった。少なくとも今、あの方が復讐めいた重苦しい感情に囚われていることはないようだということが分かりましたから……」

 うららかな陽光が差す中、そう述べたエレオラの表情は安心したようにも、どこか寂しそうにも見えた。

 スレンツェをそういう苦しみから救ってくれたのはエレオラ、あなたなのよ。あなたの存在、あなたがかけてくれた言葉によるところが大きいのよ。あれがあったからこそ、彼は今の彼でいられているの。

 そう喉まで出かかったけれど、私が彼女にそれを伝えるのは違うと感じて飲み込んだ。

 これは、スレンツェが伝えてこそ意味のある言葉だ。第三者の私が軽々しく口にすべきことじゃ、ない。

「帝国に対して様々な思いはありますが、辛い役目を担ってきたあの方が今を穏やかに生きていけるのなら、私はそれでいいです。皆が平穏に暮らせるのが、一番だと思いますから。……ユーファさんから見て、今のアズールはどうですか? 出身に関係なく、自分の生まれ故郷を好きになってもらえたら嬉しいと、私はそう思います」

 エレオラ……。

 私は少し考えてから口を開いた。

「宮廷の外へ出ることが叶わなかった私にとって、アズールはこれまで遠い異国のような場所だったの。幼いフラムアーク様とアズールについて書かれた書物を卓上に広げながら『スレンツェの故郷はどんなところなんだろうね』って想像して話し合う……決して行くことの出来ない、遠い遠い場所」

 そうすることでしか話せなかったスレンツェの故郷―――その実際の景色を彼と共有することなど、私には叶わないのだと思っていた。

「そんなふうにずっと想像することしか出来なかった場所へ、まさかこんな形で訪れることになるとは思ってもみなかったけれど―――実際にこうしてアズールへ来ることが出来て、自分の五感でそれを感じて、この地に住む人達と触れ合って……毎日バタバタで余裕がないけれど……不思議ね。スレンツェにとって大切な場所は、いつの間にか私にも……私達にとっても大切な場所になっていたみたい。ささやかながらアズールの為に尽力したいって、心から思えるのよ」

 それは素直な気持ちだった。

 私達にとって思い入れのあるかけがえのないこの地で、微力ながら力になれることが嬉しい。悲惨な戦争の爪痕から立ち上がり、この場所で懸命に生きようとする人々の助けとなれることが、純粋に喜ばしい。

 そんな私にエレオラは深々と頭を下げた。

「アズールの民として、心から感謝します。そんなふうに思って下さるユーファさんやフラムアーク様が近くにいて下さったからこそ、今のスレンツェ様があるのですね」
「そんな、大げさよ」
「いいえ、大げさではないと思います。ベリオラが落ち着いて、帝都へ戻るまでにお時間が取れるようでしたらぜひ、アズールが誇る景勝地などもご覧になっていって下さい。この地独自の文化や他にはない絶景など、見ていただきたいところがたくさんあります。アズールの民として、この地の為に尽力して下さった皆様には大変だった思い出だけでなく、心の滋養となるような記憶もお持ち帰りいただきたいのです」

 エレオラのその気持ちは分かる気がした。

 誰だって、自分の故郷のいいところを知ってもらいたいわよね。疫病の暗いイメージだけになってしまうのでは忍びなさすぎる。

「……そうね。せっかくだから私も色々なところを見て回りたいわ。時間さえあれば、だけど」

 こんな機会はきっともうないだろうから、出来るだけたくさんの風景を目に焼きつけて―――ああ、それに何か喜ばれるようなお土産をレムリアに買っていきたいな。

「良かったら、後でお勧めの名産品なんかも教えてもらえる?」
「はい、喜んで」
「確か……アズールでは髪用のオイルが有名なんだったかしら?」

 以前スレンツェからもらったお土産を思い出してそう言うと、エレオラの顔がパッと華やいだ。

「はい! もしかして、以前スレンツェ様からいただきました? 小瓶に入った、ピンク色のお品」
「え? ええ……」
「それ、実は私がお勧めさせていただいたんです。女性用のお土産には何がいいかとスレンツェ様からご相談いただいて」

 えっ!? そうなの!?

 意外な情報に目を丸くすると、エレオラはふふ、と悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「実はユーファさんにお会いした時から薄々、そうではないかと思っていました。スレンツェ様がオイルを贈られたのはきっとこの方ではないかと」
「えっ……それは、どうして?」
「言うなれば―――女の勘、というものでしょうか。お二人を見た時、何となくそう感じたんです。きっとこの方にスレンツェ様はあの品を差し上げたのだろうな、と」

 当たっていましたね、と冗談ぽく言われて、私はうっすら頬を赤らめた。

 ええと……これは私、どう受け取ってどう返したらいいのかしら。

 反応に困っていると、そんな私を見つめていたエレオラは表情を改めてこう言った。

「ユーファさん。……私は、あなたにこんなことをお願い出来るような立場にはないのですが―――もうこんな機会はないと思いますので、どうぞ無作法をお許し下さい。どうか、スレンツェ様を宜しくお願い致します。出来ることならば末永く、あの方の味方であって下さい。アズールの民として、心よりお願い申し上げます」
「エレオラ……」

 そんな彼女の様子に、あまり働いたことのない私の女の勘もこの時働いた。

 あくまで一国民としての立場を崩されないけれど、かつての王族、かつての恩人―――それだけでは説明のつかない感情を、エレオラはスレンツェに対して抱いている。

 けれど聡明な彼女は自分の立場をわきまえており、自分で引いたラインの内側に立ち入る気はないのだ。そう律して、心からスレンツェのことを案じている。

 静かだけれど切実な想いを秘めた青黒の双眸―――私はその想いを汲み取って、頷いた。

「ええ。私は―――私とフラムアーク様は、どんな時でもスレンツェの味方よ。何があってもそこが揺らぐことはないわ」

 それを聞いたエレオラは頬を緩めると、静かに深く腰を折った。

 新しい季節の到来は、もうすぐそこに来ている。

 アズールでの私達の活動も、最終局面を迎えようとしていた―――。
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