病弱な第四皇子は屈強な皇帝となって、兎耳宮廷薬師に求愛する

十九歳A


「何かあった? ユーファ」

 日課である就寝前の体調チェックの為にフラムアークの部屋を訪れていた私は、彼にそう声をかけられて少し驚いた。

「えっ?」
「何だか元気がないように見えたから。昼間もどことなく物思いに沈んでいるふうだったし」
「そう―――ですか?」

 いけない。昼間のスレンツェとのやり取りがずっと頭の中にあって、ぐるぐる思考が渦巻いてしまっていた。表には出さないようにしていたつもりだったのに、どうやら漏れてしまっていたらしい。

 フラムアークに余計な心配をかけてしまうなんて……ダメね、しっかりしなければ。

「特に何もありませんよ。すみません、ここのところ少し寝不足気味だったので、そう見えてしまったのかもしれませんね。今日は早く寝るようにします」
「……そう? ならいいけど」

 全てを見透かすようなインペリアルトパーズの瞳を意識的に受け止めて、私は表情を取り繕った。

「フラムアーク様の体調はここのところずっと良好ですね」
「優秀な宮廷薬師が管理してくれているからね」
「お褒めの言葉、ありがたくちょうだいしておきます。でも、フラムアーク様ご自身の努力も大きいですよ」

 心からそう思う。本人の努力あってこそ、私のサポートは活きてくるのだ。

「ありがとう。ユーファも体調を万全にしてね。もし疲れが溜まっているようなら、明日一日休養を取ってもらっても構わないけど」
「大丈夫です、ひと晩ぐっすり眠れば回復しますから」
「何ならここで一緒に寝ていく? 人肌には安眠効果があるっていうし」

 冗談めかして広いベッドを示すフラムアークに私は苦笑を返した。

「確かに昔からそう言われていますけど、大問題になってしまいますのでご遠慮申し上げます」
「つれないな。ユーファは昔からどんなに頼んでも一緒に寝てくれない」

 幼い頃、母親の温もりを恋しがるフラムアークは私に添い寝してほしいとせがむことがあった。気持ち的にはそうしてあげたいところだったけれど、第四皇子という身分にある彼にそんなことを出来るはずもなく、私は泣く泣く断って、せいぜい枕元で小さな手を握り、泣き疲れた彼が眠るのを見届けてやるのが精一杯だった。

「心情的には、一緒に寝て差し上げたかったんですよ」
「今ならユーファの立場も分かるよ。称号って、邪魔だな。どんな血筋に生まれようが、子どもは等しく子どもなのに。オレはユーファの温もりに包まれて眠りたかった」

 フラムアークが当時の心境を語っているのだと分かっていても、昼間のスレンツェとのやり取りが引っ掛かって変に意識してしまった私は、余計なことを口走ってしまった。

「これからは、アデリーネ様にお願いしたらいいんじゃないですか?」
「えっ?」

 フラムアークがあんまりビックリした顔をしたものだから、それに驚いた私は慌てて自らの発言を詫びた。

「あっ……すみません。冗談にしても、出過ぎました」

 私のバカ、デリケートなところへ考えなしに……!

 内心で不用意な自分の発言を戒めていると、短い沈黙を置いてフラムアークはこう返してきた。

「……どうしてそこにアデリーネ嬢が出てくるの?」

 気のせいか、彼の声がいつもよりも硬さを帯びている気がする。不快な気持ちにさせてしまったのだろうかと、私は口ごもりながら彼の表情を窺った。

「え……それは、その……最近のお二人を見ていて、とてもいい雰囲気のように見受けられたものですから……」
「ユーファの目にも、そう映った?」
「はい……」
「ふぅん……そうか。いい雰囲気に、見えたのか」

 一人納得するように頷いた彼の顔は、微笑しているようにも、どこか愁いを帯びているようにも見えて、それをどう捉えたらいいのか読み切れず、私は無難な方向に逃げた。

「……お優しくて、素敵な方ですよね」
「そうだね。彼女とは何だか気が合うんだ。考え方が似ているからかな……一緒にいて、自然体でいられるんだ。聡明で信頼出来る、可愛い人だよ」

 不意にぎゅっ、と胸が詰まった。心臓が軋んで、その辺りがひんやり冷たくなっていくような感覚に、私は戸惑い、内心で息を飲む。

 ―――何、これ……。

「傍から見ていい雰囲気に見えたなら、向こうもこちらに対して、同じような気持ちでいてくれてるのかもしれないな」
「そうですね。……そう思います」

 動揺を抑えて相槌を打ちながら、この場にいることが猛烈にいたたまれなくなった私は、フラムアークが飲み終えた薬湯の椀を手早く片付け、話を打ち切った。

「―――では、また明朝、伺いますね。おやすみなさいませ」
「……うん。おやすみ、ユーファ」

 一礼して、逃げるように彼の部屋を後にしながら、私は激しい自己嫌悪に苛まれた。

 ―――何!? 何なの!? 何なの、私!?

 自分から話を振っておきながら。無神経にデリケートな話題に触れておきながら。それでもフラムアークは応えてくれたのに、話を広げるでもなく、あんな形で打ち切るなんて、失礼極まりないじゃない!

 ああ、最低だ。今朝までは、あんなにフラムアークとアデリーネ様の仲が気になって仕方がなかったのに。

 いざ彼の口から、彼女を想う言葉が出てきた途端―――こんなにも、入り乱れた気持ちになってしまうだなんて。

 その衝撃から逃れるように急ぎ足で調剤室へと戻ってきた私は、ドアを閉め肩で大きく息をつきながら、天井を仰いだ。

 フラムアークがあんなふうに誰かのことを語るのを、初めて聞いた。アデリーネ様に対して「可愛い」という言葉を使っていた。

 それに対し突如として湧き起こった、この浅ましい思い―――これは、この感情は……大人げのない、嫉妬だ。

「嫉妬って……」

 自嘲気味に呟いて、私は自分の額に手を当てた。

 自分の反応が、信じられない。予想だにしていなかっただけに、そんな自分の有り様がまた二重にショックだった。

 ―――情けない。フラムアークが「可愛い」と言ってくれるのを、いつの間にか自分だけの特権のように思っていたの? いつか彼が成長して私の元を離れていくのは、分かり切っていたことだったのに。そして私は、それを望んでいたはずだったのに。

 私は心のどこかで、本当はそれを望んでいなかったのだろうか? 自分を慕ってくれる彼の幸せを願いながら、その実、彼の手を離す覚悟が出来ていなかったのだろうか? 

 ―――何て身勝手で卑しいの、ユーファ。

 彼はもう小さな子どもではなく、立派な青年になったのだ―――頭では、分かっていたつもりだったのに。

「……ああ、もう」

 きゅっと唇を結んで、私は思うままにならない自分の心を叱咤する。

  私も気持ちを切り替えて、成長しなければ。フラムアークが大人になって、私から離れていくことを気持ち良く祝福してあげられるように、この空虚な気持ちから脱出しなければならない―――……。



*



 期せずして眠れぬ夜を過ごすことになってしまった私は翌日、レムリアが仕事を終える頃合いを見計らって、保護宮の彼女の元を訪ねていた。

「ユーファ! こんな時間に珍しいね、どうしたの?」

 人懐っこいトルマリン色の瞳をまん丸に見開いて迎え入れてくれた彼女に、私は力ない笑みを返す。

「んー、ちょっと元気を分けてもらいたくて」

 色々考えすぎて疲れたのと、フラムアークに昨日早く寝ると言った手前、寝不足を悟られるわけにもいかず、妙な心配をかけないように気を張ったこと、それにスレンツェのことも変に意識してしまい、彼に対していつも通り振る舞おうとしゃかりきになってしまったこと、様々なことが重なって、精神的にひどく消耗してしまったのだ。

 自分の気持ちも何だかぐしゃぐしゃになっていて、誰かに話を聞いてもらいたかった。そんな思いから、助けを求めるようにここへとやって来たのだ。

「仕事がらみで何かあったの? また貴族の令嬢達から嫌がらせを受けてるとか? よしよし、お姉さんに話してごらん? 楽になるよー」
「仕事がらみと言えば仕事がらみだけど、そういうんじゃないの。私自身の心構えの問題というか……色々あって、ちょっと落ち込んでしまって」
「任せて! 今ならあたし、ちょーたくさん元気を分けてあげられる自信がある! どんとこーい!」

 両手を大きく広げて、レムリアは頼もしく私を受け入れてくれる姿勢を示した。そんな彼女の明るさに引きずられて、私の表情も自然とほころぶ。

「ありがとう。レムリアは何かいいことがあったの?」
「うふふ。実はそうなんだよ〜! ちょうどユーファに会って話したいな〜って思っていたところだったから、訪ねてきてくれて嬉しいビックリだった!」
「ええ、何? 何があったの? 気になるじゃない」
「いやいや、あたしのは後でいいから―! まずはユーファだよ。さ、話してみ?」

 そう促されて、私は少しためらいながら口を開いた。

「……ここだけの話にしてほしいんだけど」
「うんうん、もちろんだよ! 分かってる!」

 レムリアがこう見えて口が固い娘(こ)なのは分かっている。けれど一応そう前置きをしてから、私はとつとつと話し始めた。

「……私、どうやら子離れ出来ていなかったみたいなの。ダメ親だったみたいなの……」
「はい?」
「実は―――……」

 私の話を聞き終えたレムリアは、細い眉を寄せて少し難しい顔になった。

「ねえユーファ、それって母性からくるものだったのかな? 女としての情動だったりはしない?」
「え?」
「ユーファはフラムアーク様が小さい頃から見ているわけだし、半分育ての親みたいな心境だっていうのも分かるから、微妙と言えば微妙なんだけどさ……。何か今、話を聞いていて、フラムアーク様とアデリーネ様がどうこうっていうよりは、彼が『可愛い』っていう言葉を彼女に使ったことに対してショックを受けているように感じられたから」
「……? よく分からないわ……それって、どこか違うの?」
「うーん、難しい理屈としては説明出来ないけどー、あたしが直感的に感じた印象としては!」

 レムリアはそう言い置いて、彼女なりの解釈を説明した。

「可愛いっていう言葉って、言われたら単純に女としては嬉しい言葉じゃない? 『人』としてじゃなく、『女』として嬉しいっていうか。あたしはそうなんだけど。
それをさ、子どもの頃からとはいえ、一人の男にずっと言われ続けたら、無意識に意識するっていうか、特別な言葉になるんじゃないかな? って思って。それを自分以外の女に使っているのを初めて聞いちゃったのが、ショックの大元なんじゃないのかなーと。聞いてて、そんな気がしたんだけど」

 つまり……刷り込みによるショックみたいなものってこと?

「……。だとしたら、何だか私、痛い人みたいじゃない?」
「痛くないよー! ユーファは痛くなんかない!」

 レムリアは首を左右に振って、全力で否定した。

「フラムアーク様、いい男になったし! そんな人に『可愛い』って言われ続けたら、大抵の女は意識しちゃうよ! あたしがユーファだったら、彼のこと絶対に意識しちゃうもの! やむを得ないって!
……たださ、彼が人間の、年相応の相手に想いを寄せているようなら、こっちとしてはやっぱり、静かに引いて見守ってあげるのが正解なんだろうなぁって思うけど……。スゴくお似合いだって、宮廷中で噂になっているもんね、二人」
「……。そうね……」

 私は下目がちに頷いた。

 傍から見て、絵になる二人だもの。本当にお似合いだと、私も思う。

 フラムアークに対してやましい想いを持っていたつもりはないけれど、ぽっかりと穴が開いてしまったようなこの気持ちには、そういう部分もあったのかな。心のどこかで彼に「可愛い」と言ってもらえるのを喜んでいる、女としての自分がいたのかな。

「それよりも、スレンツェ! ユーファ、スレンツェよ!!」

 私の様子を心配そうに見ていたレムリアは、暗い空気を払うように一転、目を輝かせてそう言うと、勢い込んで私の手を握り締めてきた。

「彼、絶っっ対にユーファに気があるよ! じゃなかったら、そんなこと言わないって!! ねっ、ユーファはどうなの!?」
「わ……私?」
「そう! ユーファ自身の気持ち! 種族の違いうんぬん難しいことは抜きにして、ユーファはスレンツェのこと、どう思っているの!?」

 私? 私は―――……。

 これまでの様々な出来事を振り返りながら、今までどこか意識的に考えないようにしていた、男性としてのスレンツェのことを初めて考えてみる。

 職場の同僚を異性として意識すると色々仕事がやりにくくなるし、そもそも同族間での婚姻しか認められていない兎耳族には人間を恋愛対象とすること自体が不毛で、そんなことは考える余地もない、無意味なことだと思っていた。

 けれど、そんなふうに自分に言い聞かせながらも、ふとした瞬間チラつくその可能性を心の奥底で感じていたことは否めない。ただ、こうして改めてそれを考えてみるなんて、臆病な私には一人では怖くてとても出来なかったことだった。

 レムリアの助けを得て、初めて―――勇気を出して、自分の心と向き合ってみる。

「―――わあ、ユーファが女の子の顔になった」

 固唾を飲んで見守っていたレムリアに、ほぅ、と感嘆の息を漏らされて、スレンツェのことを考えていた私は恥ずかしてくたまらなくなった。

 全身、真っ赤になっている自覚がある。くてんと兎耳が横になって、思わず自分の顔を両手で覆い隠した。

「初めて見たぁ。もぉ、ユーファったら可愛いなぁ〜! あたしがスレンツェだったら、今この場で押し倒してる!」

 ぎゅうっと抱きつきながらそう言われて、私はただでさえ赤くなっている顔を更に赤くした。

「か、からかわないでよ」
「うふふ。宮廷ロマンス来た―――ッ! それで、いつから? いつからユーファは彼のことを意識していたワケ?」

 兎耳をぴるぴるしながら顔を覗き込まれて、私は唸るように声を絞り出した。

「……よく、分かんない。多分、色んな事が少しずつ、少しずつ積み重なって―――」

 きっかけは、彼が初めて弱みを見せてくれたあの時だろうか。それまで頑なに閉じていた扉を、私に向けて開けてくれた、あの瞬間からだろうか―――……。

「ちなみにあたしは彼のことを良く知らないんだけどぉ―――ユーファは彼のどんなところが好きなの? 教えてよ」
「どんなところ!?」

 頭の中に色んな情報が一気に思い浮かんで、自覚したばかりの感情に理性が付いて行かない。

「ま、待って待って。自分の気持ちに気付いたばかりで、頭の整理が追いつかない」

 顔面がゆだりそうな私を見て、レムリアはニヤーッと口角を上げた。

「ふふ〜、自覚したての恋心に悶える乙女、見てて楽しいわぁ。同士よ! これから一緒に、禁断の恋を楽しもうねぇ〜!」
「禁断の恋って」

 大袈裟な言い回しに赤面を返すと、レムリアは心底嬉しそうな笑顔を見せた。

「ユーファに好きな人が出来たことはもちろん嬉しいけど、それがまた、自分と同じ状況っていうのが何よりも心強くて嬉しいな! 何でも相談してね! あたしも色々相談するし」
「ありがとう……」
「にしても、同族間でしか婚姻を認めてくれない縛り、どうにかしてほしいよねぇ。両想いになってもイチャイチャ出来ないし、キスする場所を探すのもひと苦労だよ」

 ……あら?

 そんなレムリアの物言いに私はひとつ瞬きして、まじまじと彼女を見やった。

「レムリア。もしかして……?」
「うふふー。実はね、例の彼と両想いになれたの! これをユーファに報告したくって」

 ええっ!

「そうなの!? スゴいじゃない! おめでとう!」

 心の底から驚きながら、長かった彼女の片想いが報われたのを知って、私は胸が熱くなった。

「本当におめでとう……想いが伝わって、良かったわね」
「ふふ、ありがとう。きっとユーファもすぐなんじゃない?」
「私はそんな……まだ自分の気持ちに気が付いただけで、実際にスレンツェが私をどう思っているかは分からないし」

 立場的にも、おいそれと行動には移せない。皇帝の庇護下にある兎耳族が人間と不貞を働いたとなれば、主であるフラムアークの立場を失墜させかねないし、そんなことはスレンツェも望まないだろう。私だけの感情で彼らに迷惑をかけるわけには、いかない。

「二人が両片想いっていうのは間違いないと思うんだけどな〜」
「……どうかしら」

 そう濁して、私はレムリアをせっついた。

「それよりも聞かせてよ、あなた達の詳しい経緯(いきさつ)を。いつ付き合うことになったの?」
「待って待って。飲み物用意してからね!」

 そう言って席を立ったレムリアの背中を見やりながら、私は初めて自覚したスレンツェへの恋心が持つ危うさを、そっと胸に刻み込んだ。

 きっと、この想いは秘めていなければならないものだ。例えレムリアの言うように両想いであったとしても、この国の法律が変わらない限り、口にすることは許されない気持ちなのだ―――……。
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