もったいない!
09


 ―――ウソッ……何でこんな簡単に!?

 愕然とするあたしの前で、不機嫌さ全開のノラオががなった。

「あーもう、人が意識を再構築してんのに、キュンキュンキュンキュンうるっせぇ! おちおち寝てらんねぇっつーの!」

 あまりにも唐突なノラオの登場の仕方に、喜多川くんが驚きの声を上げる。

「ノラオ……? 何の準備モーションもなく出てこれるようになったのか?」
「何だよ、お前までノラオって言うのかよ……」

 肩甲骨の辺りまであるあたしの栗色の髪を乱暴にかき上げながら、恨みがましげな視線を向けてくるノラオに、喜多川くんはひと呼吸置いて冷静に答えた。

「仮の呼称だよ、君が自分の名前を思い出せるまでの。……意識を再構築したと言っていたけれど、その辺りは思い出せたの?」

 そう問われたノラオはちょっと眉根を寄せた。

「んー……そこまでは。でもおいおい思い出せそうな気はするな。何つーか、この身体にも馴染んできた感あるし……てか、コイツ汗ばんでてあっちぃ!」

 無雑作にうなじの辺りに手を入れて、乱暴に髪をバサバサやるノラオにあたしは悲鳴を上げた。

 ぎゃー、汗ばんでるとか言わないで! てか、髪ボサボサになるからやめてよ! ゆるふわが台無し!!

「うっせえなぁ……」
「エージさんのことは? 苗字とか、何か新しく思い出せたことはある?」

 そう尋ねる喜多川くんにノラオはずいっと顔を近付けると、その整った顔立ちをマジマジと見つめながらこう言った。

「んー……お前、本当にエージじゃないんだよなぁ。よくよく見ると、エージに比べて幼いもんなぁ。目鼻立ちとか、スゲー似てるんだけどなぁ」

 ちょ、近い近い! 近いって! ノラオ!

 あたしの制止ガン無視のノラオは喜多川くんの眼鏡に手を伸ばすと、それをスッと外してしまった。

 知的な爽やかイケメンが現れて、あたしは思わずその顔面に見入ってしまう。

 うわー、やっぱりカッコいい! って見とれてるじゃなかった。ノラオ、やめなよ!

「……やっぱ違うんだな」

 喜多川くんの素顔を改めて確認したノラオは、少し悲しそうな声でそう呟くと、それを確かめるように喜多川くんの頬に指先で触れて、ゆっくりと撫でた。

 きゃあぁぁぁ! 待って! 待って! それ、あたしの指だから!

 勝手なことしないでぇぇぇ!

「うん―――似ているけど……違う」

 自分を納得させるようにもう一度呟いたノラオは、静かに喜多川くんから手を離した。

「……君とエージさんは、どういう関係だったの?」

 ためらいがちに尋ねる喜多川くんに、ノラオはぶっきらぼうにこう返した。

「友達。学生時代の」

 ! そこは思い出せたんだ!?

「その学生時代っていうのは……高校? それとも……」
「大学……だと思う、多分。エージの制服姿って、記憶にないし」

 大学!

「どこの大学かは……」
「分かんね。ボンヤリしてて」

 そっかぁ……。

「他に思い出せたことは?」
「さーな。ところどころ点はあるけど線で結ばれてねー感じっていうの? それよか……おい、お前レントっていったっけ?」
「あ、ああ。そうだ。蓮人」
「レント、オレ行きたいところがあるんだよ。ちょっとそこまで付き合ってくんね?」
「オレが連れて行けるようなところであれば構わないけど……どこに?」

 戸惑い気味の喜多川くんにノラオはニカッと笑ってこう言った。

「本屋! なるべくでっかいとこ!」

 ―――本屋!?



*



 あたしから現代の性的マイノリティに関する情報を聞いていたノラオは、それを自分の目でどうしても確かめたかったらしい。その足掛かりとしてまずは本屋へ行きたいと言い出したみたいだった。

 放課後、喜多川くんと事情を知る紬に付き添われて駅前の大型書店へとやって来たノラオは、それ関連の書籍が並ぶ本棚を興奮気味に眺めやった。

「うわ……! 本当にいっぱいあるんだなー」

 そんなノラオを、後ろからちょっと引き気味に紬が見つめている。

「話には聞いてたけど不思議……マジで中身、陽葵(ひま)じゃないんだよね?」
「うん。付き合ってもらってごめんね、牧瀬さん。もし女性しか行けないようなところへ行かれたら困ると思って」
「や、それは全然いいんだけどさ。今日はバイトなくて暇してたし」

 そんな会話を交わす二人をよそに、ノラオはマイペースに次々と本棚から本を取り出しては内容をパラ見している。

「ね、陽葵は今どういう状態なのかな? あいつの中で眠ってるの? ちゃんと元に戻るんだよね?」
「岩本さんから聞いた話だと、この状態でも岩本さん自身の意識はあって、ノラオを通して周りの様子も見えているらしいんだ。これまでは割と短時間で岩本さんに戻れていたから、今回もそうだといいんだけど」
「ええ……何か心許(こころもと)なー。いったい何をどうしたら陽葵に戻るワケ?」
「最初の時は名前を呼び続けたら岩本さんに戻って、次の時はノラオの電池切れ的な感じで戻れたらしいけど……」
「統一性ナシかよ! ぶっちゃけ、どうやったら戻れるのか分かんないってコトじゃん!」
「まあ、そうなんだよね……」

 そうなんだよねー! 困ったことにあたし自身、自分の意思で戻れたことはないんだよなぁ。

 ノラオに主導権握られっぱなしでも困るから、どうにかしなきゃいけないんだけど、どうやったら戻れるのか―――正直、てんで見当もつかない。

 毎回ノラオにやられてる意識をぐんって引っ張るようなあの感覚、あれをあたしもやれたらいいんだけど……何をどうしたらああ出来るのか、まったくもって分からなくて、今のところ詰んでいる。

「なあなあ、オレ、これが欲しーんだけど。これ読んでみたい」

 あたしの悩みからはかけ離れたノラオのお気楽な声がして、見ると、けっこうな厚みのある本を二冊手にしたノラオを喜多川くんが困り顔で見やっていた。

「うわー。これ買うと陽葵、今月破産すんじゃない?」

 値段を確認して眉をしかめる紬に、ノラオはちょっと渋い顔になって口を尖らせた。

「んー……ま、確かに高校生にはちーとキツい金額か」

 ぎゃああああ! お願いだからやめて、やめてよ絶対ダメぇ―――ッ!

「―――その本なら市の図書館にもあるみたいだ」

 スマホで本のタイトルを照会したらしい喜多川くんがそう言って、妥協案をノラオに提示した。

「今日はもう閉館時間が迫ってるから、明日にでも岩本さんに借りに行ってもらうっていうのはどう?」

 喜多川くん、神〜! ありがとう!!

 あたしや紬じゃ絶対思いつかなかった解決策だ!

 ノラオ、絶対にそうしなさい! 明日借りに行ってあげるから!

「へー、そんな情報も見れるんだ? そのスマホってヤツ。スッゲー便利じゃん! いや、文明の進化半端ねーわ」

 目をまん丸にしたノラオはそう言って喜多川くんの隣へ行くと、スマホを持ったその手元を無遠慮に覗き込んだ。

 わあぁぁぁ、近い近い近―――い!

「これで通話も出来るし、離れたトコにいる相手に文面も送れるんだろ? イラストとか付けて」

 言いながら見上げたところにある喜多川くんの顔が有り得ないくらい近い! きゃー! こんなの恋人の距離感だよ!!

「はいはいホラ、ちょっと離れて。こんなトコまた学校の誰かに見られたら妙な噂加速しちゃうからさー。ホレ、あんたはあたしとくっついてな。スマホ見たいなら見せてやっから」

 紬、ナイス! 

「何だよ、空気読めよ、オレはレントにくっついて見たかったのに」
「はぁ? 喜多川はあんたの好きな男とは別人なんでしょー?」
「別人だけど、顔似てるしめっちゃ好みだし。お前だって、どうでもいい男と好みの男がいたら、好みの男の方から見せてもらいてーだろー?」
「ちょっ、あたしは『どうでもいい男』ポジかよ! フザけんな!」
「―――ま、まあまあ二人とも」

 くだらない揉め事に発展しかける二人の間に喜多川くんが割って入った。

「とりあえず、明日図書館に行くからここでは本は買わない、ということでいいかな?」
「んー……、まぁしゃあねぇな」

 ノラオは渋々了承して手にした本を書棚に戻し、性的マイノリティの関連本が集められたその一角をもう一度眺めやってから、その場を後にした。

 高い本を買わずに済んだことにあたしはホッと胸を撫で下ろし、みんなで本屋を出ようと売り場を横切っていたその時だった。ノラオがふと足を止め、小さく息を飲むのが分かった。

「―――何だ、これ」

 ノラオが受けた衝撃が、そのまま電気ショックみたいになってあたしにも伝わり、その原因を確認したあたしは大きく目を見開いた。

 ―――あ!

 ノラオの視線を釘付けにしたのは、耽美(たんび)な雰囲気が漂う、カラフルなポップが躍るBLコーナーだった。

「え……何、これ……え!? 男同士の恋愛モノ?? この一角、全部!?」

 信じられないものを見た面持ちで勢いよく食いつくノラオから、喜多川くんが静かに距離を取った。

「ごめん牧瀬さん、お願い出来る? オレ、ここはちょっと厳しい……」
「りょ。あたしもあんま得意ではないけど、喜多川には酷だよねー」
「ありがとう。近くにはいるようにするから」
「オケ」

 そんな二人のやり取りなんて耳に入らない様子で、ノラオは忙しくそのコーナーに目を走らせている。

「スゲー……何か全部キラキラして、線が細い綺麗な絵……」
「BL……ボーイズラブの読者は主に女子だからね。少女漫画的な画風が基本」

 紬の説明を聞いたノラオは目を剥いた。

「えっ!? これ読むの、女子って……男同士の恋愛モノなのに!?」
「男同士の恋愛モノだからだよー。回り見てみ」

 言われて周囲を見渡すノラオの視界には当然女子ばかりが映り、愕然とする彼に紬は自分なりの解釈を伝えた。

「性を超えて交わされる愛情が尊いって感じる女子が多いのが理由なんじゃない? 男の読者も一定数いるらしいけどー、女の方が圧倒的に多いイメージ」
「お、お前もこういうの読むのか?」
「あたしは男女物の方が好きだからあんま読まないけどー、あ、でもこの作品がドラマ化された時は話題になったからテレビで見てたかな。ほら、一巻が試し読み出来るようになってるから読んでみ?」
「お、おぅ」

 紬に促されて試し読みを始めたノラオは、ページをめくるごとに頬を赤らめていった。

「な、何か小っ恥ずかしいな。こんな公の場で読んじゃいけねーもののような気がする」
「えー? そう? だったらさあ、陽葵に漫画アプリとか入れてもらって、落ち着いた環境で読んでみたら? 無料で読めるヤツもけっこうあるし……」
「アプ……?」
「あー、スマホで。スマホで見れるのがあるから」
「スマホ、そんなのも見れんのか!? スゲェな!」

 ―――何だろ、これ。ノラオが新しい発見とか刺激を受ける度に、何だかよく分からないものがあたしにも伝わってきている気がする。

 言葉にするのは難しい、心に響く何か―――まあ悪い感覚のものではないかな……。

 BLコーナーを後にしたノラオは相当なカルチャーショックを受けた様子だった。

「―――いや、あいつから話に聞いてはいたけど、何ていうか……スゲェ。オレが生きていた頃とは環境とか概念とか、まるで変わってんのな。色んな嗜好とか考え方とかが認められてて、人による違いの受け皿が広がってるっつーか」
「んー、難しいことはよく分かんないけど、学校でも多様性を尊重するっていう言葉はよく聞くかなー。制服の下もスカートかスラックスか選べるようになったし……まぁあたしはスカート一択だったけど!」
「へえ……」

 ―――ねえノラオ、もういいでしょ? そろそろあたしと交替してよ!

 あたしは深層意識からノラオに呼びかけた。

 おーい、聞こえてるんでしょー? あたし、今日は早く帰っておじいちゃんに電話したいんだけどー!

 そう呼びかけるも、ノラオはガン無視。喜多川くんと合流して、まるであたしなんかいないみたいに紬と三人で楽しくお喋りしながら、駅の方へと歩き出した。

 コ、コイツ〜!

 自分の中から一人その光景を見守るしかないあたしは、ムクれながら文句を言った。

 ずるい! これ、あたしの身体なのに! あたしだって二人と楽しく喋りたいのにー!

 こんなの寂しいしやだよ! 早く元に戻して!

 そう癇癪(かんしゃく)を起しながら、もしこのまま戻れなかったらどうしようと考えて、ちょっと怖くなった。

 ノラオの姿を見て、接して、ちょっと親近感湧いちゃったりして、何となく憎めなくて―――でも、あたしはノラオのことを何も知らないんだよね。

 それどころかノラオ自身、自分が何者だったのか、分かってすらいないワケで。

 この世に未練があってあのアパートに残っていたんだから、言うなればノラオは地縛霊……ぶっちゃけ、怨霊の類なワケで。

 これまでは割とすぐに戻れてたけど、もしかしたらこのまま戻れなくなるってこともあるのかもしれない。

 ―――もしこのまま、ノラオと入れ替わっちゃったまま、戻れなくなっちゃったら?

 ノラオと、完全に入れ替わっちゃったら?

 そしたら、「あたし」はどうなるの?

 そんなふうに考えてしまったら―――ヤバ。怖すぎて、震えてきた。

「…………」
「じゃーあたしこっちだから。また明日ね」
「今日はありがとう、牧瀬さん。また明日」
「親友の為だからね! いいってことよ。おーい、明日会う時は陽葵(ひま)に戻ってなよ〜」

 ニカッと口角を上げて手を振る紬に、ノラオは舌を突き出した。

「うっせ!」

 あー紬ぃ〜! 寂しいよぉ、行かないでー!

 置いて行かれてしまう―――何だかそんなふうに感じてしまって猛烈に寂しくなってしまい、届かないと知りながらも、あたしは遠ざかっていく紬の後ろ姿に手を伸ばした。

 紬ぃ……!

 じわっと涙が滲んできて、暗闇の中、一人ぼっちで涙を拭う。

 駅で紬と別れた喜多川くんはノラオのままのあたしを見やり、悩ましげな吐息をついた。

「さて……どうしようかな。君のまま岩本さんの家まで送るわけにもいかないし、今ここで彼女に戻ることは出来ない?」

 喜多川くんにそう問われたノラオは小さく頬を膨らませると、女の子っぽいしなを作りながら上目遣いで彼を見上げた。

「やだ……まだ戻りたくないよ。レントともっと喋ってたい」

 うぎゃ―――っっっ! なんっ、その、きゅるーんとしたあざとキャラはぁぁぁぁッ!?

 あたしの身体使って妙な真似しないで―――っっっ!

 あたしの絶叫をよそに、ノラオはフリーズしている喜多川くんの両手を正面から取ると、軽く小首を傾げながら甘えた声で彼にねだった。

「ね、お願い。もうちょっとだけ付き合って?」

 嘘くさい潤んだ瞳できゅるーんと見つめられた喜多川くんは、一拍置いて我に返ると、慌ててノラオから距離を取った。

「―――わ、分かったからちょっと離れて」

 途端にノラオはしてやったりの顔になると、通常運転に戻った。

「やったー! じゃあこの間の公園に行って、ちょっと喋ろ―ぜ。あそこに行けば何か思い出せるかもしれねーし」
「あ、ああ。そういうことなら……」

 その様子を見やりながら、あたしは思わず額を押さえた。

 ノラオはまだまだあたしと交代してくれる気はないらしい。

 ああ〜、今日もおじいちゃんに電話できない予感……!
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