もったいない!
04


「ぶっは! 陽葵(ひま)、どしたのその顔!?」

 翌朝登校したあたしは、寝不足でむくんだ顔と目の下のクマをさっそく紬にイジられた。

「色々考えてたら、怖すぎて寝れなかった……」

 しかも、肩とか腕とか、色んなところがひどい筋肉痛を訴えていて、動かすと半端なく痛い。もう色々とツラすぎる。

 これ絶対アレだよ、喜多川くんを無理やり抑え込んだっていうバカ力の代償だ。

 ひどい顔をしたあたしから「ガチで怨霊に取り憑かれたかもしれない」という告白を受けた紬はさすがに驚いた様子で、気の強い美人顔を青ざめさせた。

「え? あのアパートにいた怨霊に取り憑かれたんじゃないかって話? ネタじゃなくて? ガチ?」
「ガチだよ! もう絶対そう〜〜〜! だって、でないと説明つかないもん! もうそう考えたら、怖くて怖くて……!」

 昨日喜多川くんに送ってもらって、家に帰ったところまでは良かった。

 問題はその後だ。

「シャワー浴びてても背後が気になるし、鏡を見てても自分の背後に何か映ってるんじゃないかって気になっちゃうし、物音する度にビクッてなるし、怖すぎてお母さんと一緒に寝たいって言っても『高校生でしょ』って取り合ってもらえないし、お兄に頼んでも『キモッ』で終わるし、仕方なく自分のベッドで布団被って寝ようと頑張っても怖いことばっかり思い浮かんじゃって、全っ然寝れなかった! も〜最悪!」

 それでもって朝方になってようやくまどろんだ頃、奇妙な夢を見た。

 真っ暗な和室の片隅で、誰かが膝を抱えてうずくまっている夢。

 見覚えのない風景だったけれど、何故かそれがあのアパートの一室なんだってことが分かった。

 独り膝を抱えたその誰かは、そこから見える玄関のドアが開くのをずっと待っている。正確に言えば、ある人物がそこを開けて自分に会いに来てくれる瞬間をずっと待っているのだ。

 けれど、その人物がそのドアを開けに来ることはない。

 その誰かはそうであることを分かっていながら、それでもそこを動くことが出来ずに、ただひたすらに来ることのないその瞬間をその場所で永劫に待ち続けているのだ。

 気が遠くなるような長い時間。自分が誰であったのかも忘れてしまうほど、長い長い孤独な時―――。

 ―――息苦しい夢だったな……。

 その夢を思い出して、あたしは無意識のうちに喉の辺りを押さえた。

 それに何か、スッゴい切ない感じがした……。

 あたしはやっぱりあのアパートに居着いていた怨霊に取り憑かれて、その霊の記憶―――みたいなものを、夢を通して見ていたんだろうか。

「ええー、だとしたらシャレになんないじゃん。昨日はちょっと面白がって煽っちゃったけどさ、そんな悪影響が出たんじゃ笑えないね。顔、マジでヒドいけど保健室行かなくて大丈夫?」

 紬は心配そうな顔になってあたしの状態を気遣った。

「ん、とりあえず大丈夫。人がいっぱいいるところにいた方が落ち着くし」
「そっか。でも体調悪くなったら言いなよー?」
「ありがと」
「そういえば喜多川の件は? まだキラキラして見えるの?」
「あー、それがねー……」

 その件も紬に話しときたいんだよね―――と教室内を見渡した時、ちょうど入口から喜多川くんが入ってきた。

 うん。今日も絶好調でキラッキラだー。

「おはよう、喜多川くん」

 あたし達の近くを通りかかった彼に声をかけると、寝不足を絵に描いたようなあたしの顔を見た彼は、眼鏡の奥の涼しげな目を丸く瞠った。

「おはよう、岩本さん。……ええと、あまり眠れなかったみたいだね?」
「あはー……やっぱ分かっちゃう?」
「うん、分かるよ。……大丈夫?」
「あー……とりあえず今のところはまあ、何とか。あ、放課後ヨロシクね」
「うん。あまり無理はしないで、体調がすぐれないようなら言ってね」
「りょ。ありがと」

 そんなあたし達のやり取りをぽかんと見ていた紬が、喜多川くんの背を見送りながらあたしをせっついた。

「は? 何? あんた達いつの間に、何で何か仲良くなってんの? 放課後って何よ?」
「実は昨日、帰りがけに偶然同じ電車で会ってさ。あたしから声かけて、キラキラの件話してみたんだよね」

 だいぶ話を端折(はしょ)っているけど、これはあたしと喜多川くんの名誉の為だ、仕方がない。

「マジ? よくそれ言ったね。ヤバいヤツって引かれるとか思わなかったの?」 
「あはは。いい人そうだし大丈夫かなーって」

 そうだ、休み時間にでも紬に喜多川くんの眼鏡をかけてみてもらおうかな? 事情を知っている紬なら適任だもんね。

 休み時間、さっそく紬を連れて喜多川くんのところへ話をしに行くと、彼は快く了承して眼鏡を外してくれた。

「えッ……」

 眼鏡を外した喜多川くんを見た紬は絶句して、興奮した面持ちになりながら小声であたしに騒ぎ立てた。

「ちょ、何コレ、原石! 原石じゃん!! ヤッバ! 聞いてないんだけど!」

 あーやっぱり。そういう反応になると思った。紬のタイプど真ん中だもんねー。

「全っ然気付かなかった―。あたし目ェ節穴かも。あ〜今更可愛い子ぶっても遅いしなぁ―、もったいないことしたなー……こうやって知らぬうちに好みの男を見逃しちゃうんだなー、反省」
「いいから早く眼鏡かけてよ。そっちが本題なんだから」
「はいはい分かったよ」

 喜多川くんの眼鏡をかけた紬は全くキラキラしなかった。

「女子はキラキラしないみたい。後は男子で試してみたいんだけど―――」

 あたしはそう言って、遠巻きにこっちを見つめている喜多川くんと仲がいい物静かな男子グルーブを見やった。

「キラキラの件は、出来ればこれ以上広めたくないんだよねー……変な噂になって、痛いヤツ扱いされるのは避けたいし。適当に話作って、誰かに眼鏡かけてもらうよう頼めないかな?」

 あたしにそう振られた喜多川くんは少し考えてから頷いた。

「岩本さんの立場からしたらそうだよね。……じゃあ適当に」

 そう言うと喜多川くんは右手を上げて、仲がいい男子達を手招いた。

 何事かと、互いに顔を見合わせながら集まってきてくれた彼らに「こういう形の眼鏡がどんなタイプの顔に合うか検証したいから協力してほしいんだって」と分かるような分からないような適当な理由をつけて、全員に眼鏡を回してくれる。

 審美眼を鍛えたい紬は真剣に彼らの顔を再検証していたから、多少の説得力は与えることが出来たかもしれない。

 結果は全員キラキラせず、だった。

「こうなると、やっぱりこの現象に喜多川くんは不可欠なのか……」
「後はこの眼鏡である必要があるのか、オレが眼鏡をかけている必要があるのか、だね」

 そうだね! よし!!

 放課後、あたしと喜多川くんは連れ立って駅前の眼鏡ショップを訪れていた。

 バイトの紬は確認の場に立ち会えないことを残念がりながら、検証結果を報告するようあたしに言い置いて、バイト先へと向かった。

「確認するだけだし、どれでもいいか……」

 そう呟いて店頭の眼鏡を試着した喜多川くんの姿は、燦然と輝いた。

「眼鏡が違ってもキラキラする!」
「本当に?」

 試しに他の眼鏡もいくつかかけてみたけれど、どれをかけても喜多川くんはキラッキラで、この現象には喜多川くんプラス何でもいいけど眼鏡が必須だということが分かった。

 ちなみにサングラスはかけてもキラキラが発動しなかった。

 この結果から想像するに、喜多川くんに似た「エージ」って男(ひと)が眼鏡男子で、眼鏡を外すと実際の「エージ」との齟齬が出るから、喜多川くんが眼鏡をかけている時にだけ、このキラキラ現象は起きるんじゃないだろうか―――。

 そんな推論を話し合いながらいつもの眼鏡姿に戻った喜多川くんを見て、あたしは何気なく思ったことを尋ねた。

「ねえ、喜多川くんはどうして眼鏡? コンタクトにはしないの?」
「特に理由っていう理由はないけど……楽だから? コンタクト目に入れるの、何となく怖いし」
「あっは、それ分かる! 同じ理由であたしカラコン入れられないもん。あ、目はいいんだよ? これ裸眼」
「目がいいのはうらやましいな。カラコン入れたいと思ったことはないけれど」

 あたしはしげしげと喜多川くんの顔を見た。今の眼鏡も良く似合ってるし、元がいいからさっき適当に試着した眼鏡も全部それなりに似合ってた。このクオリティでコンタクトにしないのはちょっともったいないかもしれないなぁ。

「せっかく整った顔しているから、一回くらいコンタクトにチャレンジしてみるのもアリかなーって思うけどね。紬なんて今日、喜多川くんの素顔見てキャーキャー騒いでたよ。喜多川くんみたいな知的で整った顔立ち、紬どストライクだから」

 そう言うと、喜多川くんは耳まで赤くなった。

 お?

「―――や、そんな。オレ地味だし、別にそんなふうに言われるような顔じゃないよ」
「いや、充分整ってる部類に入ると思うよ? 世間一般的に見て普通にカッコいいって。眼鏡でちょっと気付かれにくいだけで」
「ちょっ、ホントやめて。褒められ慣れてなくて、どう反応していいか……」

 喜多川くんはますます赤くなって、首まで真っ赤になった。

 うわー、何ていうか、ピュア! 何コレちょっと可愛いかも。 

「え、自覚なし? 今まであんまり言われてこなかった?」
「あんまりも何も、初めて言われた……」

 そうなの? 意外! この顔面ならきっと小さい頃から整った顔をしていたんだろうに。

「岩本さんはそういうの言われ慣れているのかもしれないけど、オレはホントそういう言葉に縁遠くて」

 喜多川くんにそう言われたあたしはポカンと目を丸くした。

「は、あたし? 何で?」

 メイクやオシャレは好きだし、自分なりに頑張ってはいるつもりだけど、残念ながら薄っぺらい褒め言葉を数えるくらいしかもらったことがない。

 それこそ言われ慣れてないんですけど!

 口元を片手で覆った喜多川くんは、そんなあたしから視線を逸らしながら、思いも寄らぬ一撃をブッこんできた。

「や、岩本さん普通に可愛いし。小柄で、髪の毛ふわふわしてて、いつも元気で明るくて賑やかで―――オレからすると、岩本さんの方がよっぽどキラキラしている人に見えるから」

 ぶほぉっ!!

 特大ブーメランを食らったあたしは、喜多川くんに負けないくらい真っ赤になった。

 そっ、そんなガチめな褒め言葉、男子から初めて言われた―――! きゃ―――っっっ!

 あ―――ヤバいヤバいヤバい、これは照れるね!

 あたしが! あたしが悪かったです!!

 何かちょっと可愛いと思って、深く考えずに褒め過ぎてゴメンナサイ!

 何気ない褒め言葉がこんなにハズいなんて思わなかった―――!

 顔! 熱!!

 思わず手でパタパタ顔をあおぐようにしていると、急に瞼がずん、と重くなるあの現象が来た。

 ―――あ。ヤバ。

「え、ここで!?」って言いたくなるようなタイミングに、すぅ、と血の気が引いていく―――あせる間もなく眠気が襲ってきて、そのまま意識が闇に引きずり込まれていきそうになったあたしは、大いにあせった。

 ヤバ……ヤバい! 喜多川くん……!

 またあたし、喜多川くんを襲っちゃうかも……!

 気が遠のくような眠気から逃れようと、あたしは必死に抗った。消えていきそうになる意識の底で闇雲に足掻いていると、昨日とは違う現象が起こった。

 ―――え。

 突然グンッ、と襟首をひっ掴まれて、そのまま後ろへ思いっきり放り投げられるような感覚―――目を見開くと、そこには眼鏡ショップの風景ではなく真っ暗な闇が広がっていて、その闇の中でただ一箇所、前方に見える窓みたいなところから明りがこぼれているのが見えた。

 尻もちをつくようにして座り込んだあたしの前には人の形をした影が立っていて、性別も輪郭も定かでないその影から、機械音声みたいな、男とも女ともつかない声が漏れた。

『ソコデ大人シク見テナ』

 その瞬間、理屈抜きにあたしは悟った。

 この影は夢で見た、あの部屋で独り膝を抱えていた「誰か」だ。

 そしてここはあたしの深層意識だ。あたしはあの影に自分の内部、精神の奥底の方へと追いやられていて、影は前方の窓みたいなところから差し込む明りへと向かって歩き出していた。

 窓みたいなところからは外の風景が見えて、あの影が明りの下へ出て行った瞬間、主導権を乗っ取られてしまうと超感覚的に察したあたしは、慌てて立ち上がってその後を追ったけれど、何だか足が重くて、思うように動かせない。

「―――ま、待って!」

 あせりまくって叫ぶけど影は足を止めなくて、「窓」から見える喜多川くんがあたしの異変に気が付いて心配そうに声をかけている様子が映り、あせりが最高潮に達したあたしは、足がもつれるようになりながら火事場のバカ力的ジャンプをして、背後から影に抱きつくようにしながら、必死でその背に取り縋った。

 瞬間、あたしが触れた先から、影が纏っていた黒いモヤみたいなものが一斉に飛び散って、その下から、二十代半ばくらいの男の人の姿が現れた。

 色素の薄い柔らかそうな茶色の猫っ毛に、人懐きの悪そうな顔が印象的な、細身の青年。

 赤系の長袖タータンチェックのシャツの下に白Tシャツを着ていて、下はGパンにスニーカーという格好をしている。

 ―――!? 

 その姿に、あたしは愕然と目を見開いた。

 おと……!?

 まさかの、男!?

 その意外過ぎる正体に一瞬思考が停止したあたしのおでこを、そいつは容赦なくバチコーン! と平手で叩いて押し戻すと、あろうことか中指をおっ立てて舌を突き出してみせたのだ。

『邪魔。スッ込んでろ』

 そのまま華麗にジャンプするようにして青年は明りの中へと消えていき、一人暗闇の中に取り残されてしまったあたしは、やり場のない憤りにブチ切れた声を張り上げた。

「はッ―――はあぁぁぁぁッ!?」
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