ノラオが消えていった空を見上げ続けるあたしの元へ、英一郎さんを部屋に送り届けた蓮人くんが戻ってきた。
あの日からずっとキラキラフィルターがかかっていた彼が、今はもうあの輝きを纏っていないのを見て、ノラオは本当にいなくなってしまったんだなぁ―――と実感する。
「陽葵(ひま)、お待たせ。―――ノラオは……?」
「……成仏したよ。光の粒子になって、キラキラ空に昇っていった」
「……。そうか―――成仏、出来たんだね」
噛みしめるように呟いて青い空を仰いだ蓮人くんの隣で、あたしは小さく苦笑をこぼした。
「最後に大泣きして、ノラオを困らせちゃった。最初に取り憑かれた時はまさか、こんな寂しい気持ちになるなんて思わなかったな―――。初めは女の人の霊に取り憑かれたと思ってたし、有り得ないような怪現象が次々起こって、色々怖くて大変で―――。何度蓮人くんに泣きついたか分からないよね。ノラオは子どもじみてて口は悪いし態度は横柄だし、勝手にあたしの身体を乗っ取って暴走するし、もう、毎日いっぱいいっぱいで―――」
何で自分がこんな目に―――あの頃は毎日そう思って、早く厄介払いしたい思いでいっぱいだった。
それなのにいつの間にか―――いなくなってこんなにも寂しいと、そう感じる存在になっていた。
「……まさか、あたしの大伯父さんだったなんてね。それでもって、蓮人くんのおじいちゃんとこんな繋がりがあるなんて、夢にも思わなかった」
目元を赤らめたあたしの言葉に、蓮人くんはしみじみと頷いた。
「……うん。本当に、驚いたよね。まさかこんな繋がり方をしているなんて―――」
「ね? こんなビックリ、なかなかないよね」
事実は小説より奇なり、なんて言うけれど、本当だ。
「……英一郎さんの様子は? どんな感じだった?」
目尻の涙を拭いながらそう尋ねると、蓮人くんは下目がちに淡く笑んだ。
「自室に戻って、古い日記らしいものを取り出してそれを見ながら、色々な思いを馳せているみたいだった。ありがとう、ってひと言、そう言われたよ」
「そっか……今日は比較的、お加減が良かったのかな?」
初めて会った英一郎さんは傍目にはしっかりとして見えて、認知症を患っているような印象は受けなかった。
「そうだね。オレのことも分かっていたし、良かった方だと思う。かと言って、全く症状がないわけじゃなくて―――部屋に戻った時には陽葵(ひま)のことはもう忘れているみたいだったし、オレ達とノラオの関係性についても気にならなかったみたいで、どういう繋がりでどういう流れで今日に至ったのかとか、そういうことを全く聞いてこなかった。普通ならその辺り、すごく気になるところだと思うんだけどね……」
そうなんだ……。しっかりしているように見えても、症状が治る、ということはないんだな……。
「でも、ノラオのことはちゃんと分かっていたよね」
「うん。それは間違いないと思う」
ためらいのない蓮人くんの回答に、あたしも大きく頷いた。
あの瞬間、間違いなく二人の心は通じ合っていた―――あたし達には確信を持ってそう思えた。
「例え病気で今日のことを忘れてしまったとしても、英一郎さんの心の深いところには、きっとノラオとの新しい結末が刻まれているよね。それこそ、魂レベルで刻印されているよね」
「うん。……そう思うよ」
涼しげな目元を細めて柔らかく微笑む蓮人くんの表情は優しくて、木漏れ日の光を受けて静かに煌めいて見えた。
「―――そういえば、オレが輝いて見えるって言っていたあの現象はどうなったの? ノラオが祖父と再会して成仏した今は、もう治まっているのかな? 陽葵(ひま)の目に、オレは今どう映っているの?」
ふと思い出したように蓮人くんがそう聞いてきて、ちょうど木漏れ日を受けて煌めく彼の姿を眩しく感じていたあたしは、タイムリーな質問に口元をほころばせながらこう答えた。
「今はもう、キラキラは消えているよ……。ノラオが本物のエージに会って彼を認識した時に多分、蓮人くんのキラキラは消えていたんだと思う」
あの時―――パチッ、と一瞬目の前で火花が散ったような感覚の後、英一郎さんの姿が一気に眩い光に包まれたように見えたあの瞬間に、多分蓮人くんのキラキラは消えていた。
「そうか……じゃあもう元通りになっているんだ。陽葵(ひま)の目に、今オレは普通に見えているんだね」
ホッとしたような、どこか気が抜けたような面持ちになって言う彼に、あたしは小さく首を振った。
「ううん」
「えっ? まだ、どこかおかしなところがある?」
少し慌てた素振りを見せる彼に、あたしは思わず頬を緩めて、笑みをこぼした。
「おかしなところなんてないよ。ただ、あたしの目に蓮人くんが眩しく見えているだけ」
そう口にしながら、心臓が緊張の音を奏でて、ぎゅっとなるのが分かった。
ドキン、ドキンと急激に高鳴る胸の鼓動が、耳の奥でこだましている。
『この時期っつーのはあっという間に過ぎていくモンだからな。今しかない貴重な時期なんだから、後悔だけはしないようにしろよ。今しか掴めねぇモンってのは、確かにあるからさ』
『だから悪(わり)ぃ方向に考えて身動き取れねぇまま過ごすなんざ、もったいねぇぞ。そんでオレみてぇに未練になって残っちまったんじゃ、シャレにならねーから』
『……お前の場合はさ、オレと違って堂々と自分の気持ちを主張しても何の弊害もねぇんだから』
『―――だからヒマリ。結果は保証してやれねぇけど、お前のタイミングで行ける時には行っておけ、ってオレは思う。例え上手くいかなかったとしても、それでお前とレントの縁が切れる、ってことは多分、ねぇと思うから』
胸に甦るのは、あの時のノラオの言葉。ノラオが真摯に伝えてくれた、数々の言葉。
その言葉に後押しされるように、あたしは深く空気を吸い込んだ。
―――怖いけれど、伝えなければ届かないから。
この想いを伝えずに後悔することだけは、したくないから。
何より、蓮人くんに伝えたい―――あたしは蓮人くんのことが、大好きなんだって。
これからも同じ時間を共有して、たくさんの思い出を積み重ねていきたいんだって。
もうすぐ始まる夏休みには出来るだけ会いたいし、花火大会やプールにも一緒に行きたい。
四季折々、様々な季節を蓮人くんと共に感じて、過ごしていきたい。
その為に、今、なけなしの勇気を振り絞るんだ。
―――どうか、あたしの気持ちが、蓮人くんの心に届きますように。
「あたしにとって、蓮人くんは大切な人だから。かけがえのない特別な人だから、だから、ノラオのキラキラが消えてもまだ、あたしの目には蓮人くんが眩しく見えているんだ」
こちらを見つめ返す眼鏡の奥の綺麗な双眸が少し見開かれて、その反応から彼の感情を推し量ることが出来ずに、弱気な思いが頭をかすめる。
ここで切り出すのは、性急すぎたかな。引かれちゃうかな、戸惑わせちゃうかな。
思わず怯みかけるあたしの心を奮い立たせるように、ノラオの声が耳に甦った。
『―――ヒマリ、お前のタイミングで行ける時には行っておけ』
左の鼓動が、胸を叩く。
あたしはしっとり汗ばむ掌を握りしめて、震える唇を動かした。
「蓮人くんのことが、大好きです。だから―――よかったら、あたしの彼氏になって下さい」
ありったけの勇気を振り絞って、溢れる想いを言葉に込めて、精一杯の笑顔で、大好きな人に、初めての告白をした。
青く晴れ渡った夏の空はどこまでも高く、セミ達が精一杯、短い生を謳歌していた。
後に蓮人くんはこの時を振り返って、あたしの笑顔がまるで向日葵(ひまわり)みたいだったと、はにかみながらそう言ってくれた―――。
<完>