もったいない!

02


 結局その日一日中、喜多川くんはキラキラと輝いて見え続けた。

 あ〜〜〜慣れってスゴいなー……朝はもう超一大事!! この先どうしよう!? ってなくらいあせってたけど、放課後には何かもう普通に見慣れちゃってて、ある意味悟りを開いてしまっている。

「はあ、マジで!? 何それちょーウケる」

 結構な勇気をもって相談した紬には有り得ないくらい爆笑された。

「てか、何で喜多川!? マジでウケるんだけど」

 知らないよ。あたしがそれ聞きたいよ。

「うーん、陽葵(ひま)が実は自分でも気付かないうちに喜多川に恋しちゃってて、その乙女心が視覚効果として現れてるとかー?」

 んなワケないじゃん。ろくに話をしたこともないってのに。

「じゃーその妙な感覚を感じたって時に、あのアパートに居着いてた変な霊に取り憑かれたとかー? あそこ、怖い噂いっぱいあったもんねぇ。あんたに取り憑いたのがフラれて自殺した女の霊とかでさぁ、相手の男が喜多川に似てたとか」

 やめてよ、そういうの! マジで有り得そうで怖いから!!

「だってさぁ、今日あんたの身に起こった“いつもと違うこと”って、それしかないじゃん。その後に喜多川がキラキラし始めたんなら、もうそれじゃん絶対」

 いやーッッ、ちょ、そんなふうに結びつけないで! ホントやめて、ガチで、ガチで無理!!

 顔面蒼白になるあたしを見た紬は勢いよく吹き出した。

「あっは、子犬かよ! ってくらいブルブルすんのやめてー。ごめんごめん、そんなにビビんないでよ〜。まぁさあ、今のところ喜多川がキラキラして見えるだけで他に害はないワケだし、とりま、様子見てみたら? 案外寝て起きたら治ってるかもよ」

 うう〜、他人事だと思ってぇ……。

 でも実際、とりあえずそうする他ないかなぁ……眼科に行って解決するとは思えないし……。行ったところでこの症状を話した瞬間、他のところへ回されてしまいそうな気がする。

 あたしは深い溜め息をついた。

 本当に、この現象って何なんだろう。

 喜多川くんがキラキラして見える以外は普通なんだよなぁ……彼が視界に入らなければ違和感も何もなくて、いたって普通の、いつも通りの見え方なんだし。

 紬と別れ、帰りの電車に揺られながらこの異常事態に頭を悩ませていると、荷物を持ったおばあさんが空席を探している姿が目に入った。

「あの、良かったら座りますか?」

 そう声をかけて立ち上がると、おばあさんは笑顔でお礼を言ってくれて、あたしが譲った席に座った。

 うん、一日一善。お礼を言ってもらえるとこっちも気持ちいいなぁ。

 ドアの近くの空いてるスペースへと移動したあたしは、その時視界の端にキラッとするものを捉えて、ハッとそちらに目をやった。

 今日一日で見慣れたこの輝きはもしかして―――あっ、やっぱり! 喜多川くん!

 隣の車両に彼の姿を確認したあたしは、さりげなくその様子を窺った。

 ―――同じ電車だったんだ。

 吊革につかまっている喜多川くんは友達と一緒じゃなくて一人みたいだった。

 喜多川くんも電車通学だったんだっけ……そういえばこれまでにも何回か、見かけたことがあるようなないような。

 朝のことを謝る機会を逸していたあたしは、良いチャンスとばかりに彼の元へ向かった。

「喜多川くん」

 声をかけると、窓の外を見ていた彼は少し驚いた顔をして、意外そうにあたしの名前を呼んだ。

「岩本さん」

 おお、今日一日で大分見慣れたけど、やっぱりキラキラ眩(まばゆ)いなぁ。

「偶然。同じ電車だったね」
「そうみたいだね。あの……?」

 普段絡むことのないあたしから声をかけられたことに、彼はどうやら戸惑いを覚えているみたいだ。

「や、あのさ……今朝、あたし感じ悪かったかなーって思って……謝るタイミング逃しちゃっててさ、ゴメンね? 喜多川くん謝ってくれたのにさぁ、返事もしないで」
「ああ……それでわざわざ? 別に気にしてなかったけど……何ていうか、意外と義理堅いんだね。岩本さん」
「いやー、だってさ、あたしだったらあんな態度取られたらヤだし、何だよって思っちゃうし。自分が嫌だって思うことは人にしたくないからさ」

 そう言うと喜多川くんはちょっと笑った。

「そっか。岩本さんいい人だね」
「え、そう? 普通じゃない?」
「そう思っててもなかなか行動出来ないことって、多いんじゃないかなって思うから」
「そう、かな?」
「うん」

 あらー? 何か褒められた? ちょっと照れてしまうな。

 ほわっとした気持ちになった、その時だった。

 急に瞼が重くなったような気がして、その途端「あれ?」と思う間もなく視界が薄暗く狭まってきて、突然のことにあたしはあせった。

 えっ―――ちょ、何これ……。

 あせる心とは裏腹に急激な眠気のようなものに襲われて、瞼を上げていられない。狭まった視界が明滅して、意識が混濁していくあたしの顔を、喜多川くんが訝(いぶか)しげに覗き込んだ。

「岩本さん?」

 喜多川、く―――……。

 目の前でキラキラ輝く喜多川くんの顔が瞬く間に見えなくなっていって―――あたしの意識は、そこで途切れた。



*



 ――――――……。

 言葉に出来ない熱い気持ち。

 迸(ほとばし)るようなその想いが渦を巻いて、あたしの胸に勢いよくなだれ込んでくる。

 激情、ってこういうのを言うのかな? 気持ちに引きずられて、身体中が熱くなる。

 こんな感情は味わったことがない。切なくて嬉しくて、叫びだしたくなるような―――これはまだ、あたしが知らない―――知らないはずの、気持ち。

 こんな―――こんな強い想いは知らない―――これは―――あたしの感情じゃ、ない―――……。

 深い暗闇の中を揺蕩いながら、あたしは漠然とそんなことを感じていた。


『―――っ……さんッ……』


 ……。何か―――聞こえる……?

 不意に、暗闇の中にノイズが入り混じったような気がして、あたしはぼんやりと瞼を開けた。


『―――本、さん……!』


 ……声―――? 誰の声……? どこかで聞いたことがあるような、ないような……。


『岩本さんッ……!』


 誰だっけ……? ごく最近、この声を聞いたような気がする―――……。



「岩本さんッ!!」



 唐突に意識が覚醒して、周囲の暗闇が明けた。

 あたしはハッ、と大きく身体を揺らして、目を凝らす。

 茜色に染まる景色―――あたしの目の前には息を乱し、ひどく困惑した面持ちの見慣れない男の人の顔があって―――彼は何故か芝生の上に仰向けの状態で倒れており、というか抑え込まれていて、ていうか彼の上に馬乗りになって抑え込んでいるのはあたしで、彼は両手であたしの両肩を掴み、必死で押しとどめようとしているという状態で―――……。

 ―――は!?

 その状況に、あたしは思わず目を疑った。

「わぇっ!?」

 まぬけな声を上げながら反射的に手を離し、大きくのけ反ったあたしは、勢いあまって後ろにひっくり返り、地面にしこたま背中と頭を打ちつけた。

 いっったー! 痛い!

 え!? てかてか、何これ何これ、どういう状況!?

 は!? ちょっと待って!? 何が何だか、まったくもって状況掴めないんですけどッッ!?

「!? !? !?」

 混乱の極致に達しながら、あたしは目を白黒させて、目の前で身体を起こす男の人を見やった。疲れ切った表情のその人はあたしと同じ高校のブレザーを着ていたけど、見覚えのない顔だった。

 大人びて見えるから上級生? 紬が見たら騒ぎそうな、知的で整った顔立ちをしている。

 彼のブレザーは気の毒なくらいヨレヨレになっていて、あちこち砂埃や芝生がついていた。辺りにはカバンとかあたし達の持ち物が散乱していて、芝生の上に落ちていた眼鏡を彼が拾ってかけると、途端に見覚えのある喜多川くんになって、キラキラ輝き始めた。

 はえ!?

「き……喜多川くん?」

 知らない人じゃなかった! 眼鏡で変わる印象にちょっとビックリしつつ、キラキラの謎に眼鏡が関わっているらしいことが分かって、意味不明な現状に更なる混乱が深まる。

 あれ―――これはどういう状況……? 確か……喜多川くんとは確か帰りの電車内で偶然会って、それであたしから声をかけて、それで―――それで……?

 どっ―――どうやったらあたしが彼を押し倒しているようなこの状況に繋がるワケ!?

 混乱する記憶を整理しながら今に至るまでの経緯を思い出そうとするけれど、途中がすっぽり抜け落ちていて、どうしても思い出せない。

 何がどうしたらこんな、あたしが喜多川くんを襲っているような状況に繋がるワケェぇ……!?

「岩本さん……」

 青ざめて明らかにドン引いた様子の喜多川くんが恐々声をかけてきて、自分でもワケの分からない状況に置かれたあたしは、色々なことが急に怖くなって、言いようのない不安で押し潰されそうになって、彼に何て声を返したらいいのかも分からなくて、込み上げてくる様々な感情を処理しきれず、ぶわっと緩んだ涙腺に押し流されるまま、それを爆発させた。

「うっ……うわあぁぁぁ―――ん!!」
「いっ、岩本さん……!?」

 突然声を上げて泣き出したあたしに喜多川くんがぎょっとするのが分かったけど、一度吹き出した不安は止まらなくて、あたしはしばらく子供みたいにわんわん声を上げて泣き続けた。

 高校生にもなって人前で、しかも外で、こんなふうに大声上げて泣くなんて、普段の自分だったら考えられないけど、そんなふうに思う余裕もなかった。

 何で!? 何で!? 意味分かんない! どうなっちゃってんの……!?

 あーもう、最低最悪! 怖い! 消えたい! ワケ分かんないっ……!

「う―――っ……! ううう―――っ……」

 鼻水を垂らして号泣する勢いのあたしの前に、綺麗にアイロンのかかったハンカチがためらいがちに差し出された。

 見ると、スゴく困った顔をした喜多川くんが、どう声をかけたらいいのか分からない様子でハンカチを差し出してくれている。

「はなっ……鼻水……ついちゃうけど……」
「……別にいいよ」

 いや、良くはないでしょ。

 ただ同じクラスの、たいして喋ったこともない女子の鼻水がついちゃうなんて、普通に嫌でしょ。

 しかもこんな、頭おかしいとしか思えない行動を取った相手、気持ち悪くないのかな?

 あたしだったらハンカチ差し出す以前に全速力でこの場から逃げ出しているよ、きっと。気持ち悪くて声なんてかけられない。

 そう考えると……喜多川くん、お人好し過ぎ。でもって、優し過ぎるよぉぉ……。

 そんなふうに思ったら何だかちょっと可笑しくなってきて、おかげで少し涙が引っ込んできた。

「ありがと……借りる。洗って返すから……」
「うん」

 はは、「うん」だって。そこは「いいよ」じゃないんだぁ。

 あたしのものとは違う男物のハンカチ。喜多川くんのハンカチからはフローラル系の、うちとは違う洗剤の匂いがした。
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