魔眼 

わたしの黒王子


「今宵は半月が綺麗ですから、宜しければ夜のお庭を散策などいかがです? 涼やかな虫の声も風情がありますよ」

 特にすることもなくそろそろ休もうかと思っていた頃合い、エリスの屋敷の使用人頭カーロスからそう勧められたわたしとドルクは、まあせっかくだから……と連れ立って夜の庭を散策することになった。

 あとはシャワーを借りて寝るだけだったし、夕食が美味しくて少し食べ過ぎちゃったから、腹ごなしがてら涼しい夜の空気を吸うのも悪くないな、と軽い気持ちで。

 テラスから外へ出るとカーロスの言った通り蒼黒(そうこく)の夜空に静謐(せいひつ)な輝きを湛えた半月が浮かんでいて、地上にたおやかな光を投げかけていた。虫の声が静かに響く手入れの行き届いた夜の庭をドルクと並んで歩きながら、わたし達は他愛もない会話を交わした。

「広い庭だよね……石畳の敷かれた小径(こみち)がずっと続いてる」
「この庭はハドルの両親が手入れをしているそうですよ。彼自身は馬番ですが、両親は庭師をしているんだそうです」
「へえ……これだけ広いと管理が大変だろうなぁ」
「雑草と格闘する毎日らしいですよ……特に春は大変だとか。虫の駆除や予防にも気を遣うみたいです」
「詳しいね?」
「あなたが着替えている間、カーロスとハドルから色々聞きました」

 ああ、わたしが着替えている間、ドルクの相手をカーロスとハドルがしていたんだっけな。男三人であれだけの時間、間を持たせるのはさぞや大変だっただろう。話すネタがなくなって、ついにはそんなことにまで話が及んでいたのか。

 想像するとおかしくて、わたしは小さく吹き出した。

「けっこうな苦行だったんですよ……」
「うんうん、思った以上に時間かかっちゃったからね。エリスとマリーに変な火がついちゃって」

 恨めし気な口調のドルクをそうなだめると、彼は大きなこげ茶色の瞳でわたしを見やり、こう続けた。

「現れたあなたを見て、その苦行も報われた感がありましたけどね」
「え?」
「そういう女性らしい格好も似合うだろうなと何となく想像はしていましたけど―――想像以上に綺麗で、驚きました」
「えっ……」

 わたしは自分の頬が一気に火照るのを感じた。

 今では「紅蓮の破壊神」なんて仰々しい二つ名を付けられてしまっているわたしもその昔はごく普通の女の子だったから、小さい頃はエリスのように童話の中のお姫様に憧れた時期があった。あの頃はいつか自分にも王子様のような男(ひと)が現れるのだと、無邪気に信じていたっけ……お姫様みたいな綺麗な格好をするのは、憧れだった。

 お姫様のドレスとは違うけど、今日は思わぬ成り行きで着たことがないような綺麗なワンピースを着せてもらえて、久々に女子らしい理由で心が高揚した。

 エリスとマリーが頑張ってくれたから、鏡の中の出来上がった自分を見た時、そこには今まで見た中で一番綺麗なわたしがいた。エリスもマリーもとても素敵だと言ってくれて、カーロスやハドルの反応も悪くなかった。けれどやっぱり、ドルクにそう言ってもらえるのが一番嬉しい。

 嬉しさの、破壊力が違う。

 改めて彼に綺麗だと言ってもらえてその言葉に胸をふわふわさせていると、慣れないヒールが石畳の窪みにはまってかくっとなり、弾みで靴が脱げてしまった。

「わわっ……」

 たたらを踏んだわたしをドルクが支えてくれる。振り返ると置き去りになった靴だけが物悲しそうに月明りを浴びていた。

 ああ、ヒールが窪みにきれいにはまっちゃっている。細いヒールだとこういうことが起こり得るのか、注意しないといけないなぁ。

「あそこにベンチがありますから、そこで履き直しましょう」

 小径の少し先に設置されていたベンチをドルクが示した。そちらを見やって頷いた瞬間、ふわっと彼に横抱きにされて、わたしは驚きの声を上げた。

「自分で行ける、いいよ!」
「その格好で片足跳びはなしですよ……」

 うう、それもそうか。もう一方も同じようにはまっちゃったら目も当てられないしな。

 大人しくなったわたしにドルクが柔らかく微笑みかけた。どこか艶を感じさせる、大人びた微笑み。

 ―――うわっ……何、何なの、その顔。不意打ちもいいトコだ!

 至近距離でにわかにそれを見せつけられ、ぶわっ、と顔が熱くなる。

 履いていた靴のヒールはそれほど高いものではなかったけど、それでも同じくらいの身長のドルクより、さっきまではわたしの目線の方が高かった。けれど今は横抱きにされて状況が逆転し、彼に見下ろされているこのアングルがどうしようもなくわたしの胸を落ち着かなくさせる。

 顔が近い、香りが近い、体温が近い。全部、近い!

 お姫様抱っこは前にも一度されているけど、やっぱり慣れないし恥ずかしくて、かつ、心臓に悪い。

 どきまぎしているわたしとは対照的に、ドルクはそういう素振り、まったく見せないよなぁ……自然にやっている感じなのがある意味すごい。どれだけ慣れているんだ、と突っ込みたくもなるけれど。

 そんなことを思いながらふと、ドルクを王子様みたいだと言っていたさっきのエリスの話を思い出した。

 王子様、か……確かに見た目だけなら王子様然としているよな、ドルクは。実際初めて会った時、童話の中に出てくる王子様の格好が似合いそうだと思った覚えがあるもん、わたしも。

 ドルクはわたしをそっとベンチの上に座らせると、石畳の上に残された靴を取りに行ってくれた。

「ありがとう……」
「いいえ。足、捻ったりしてないですよね?」
「ん、大丈夫」
「じゃあ履かせますから、足、出して下さい」
「え!? いいよ、自分で履くから!」

 まさかそう来るとは思わなかった!

 驚いて辞退したけど、人畜無害な笑顔で有無を言わさず却下されてしまった。

「たまにはこんな経験をするのもいいでしょう? どうぞ」

 ドルクに足を取られて、鼓動が跳ねる。男の人に靴を履かせてもらうのなんて、初めてだ。

 何だかすごく緊張する。彼に持たれた足が震えそうで困ってしまった。

「足の爪も整えてもらったんですか……?」

 綺麗に磨かれたわたしの足の爪を見やりながらドルクが尋ねる。

「うん……せっかくだからクオリティーを高めましょうって言われて、出来るとこは全部綺麗にしてもらった」
「へえ……」

 相槌を打ちながら、彼はわたしに靴を履かせてくれた。

「エリスとマリーに感謝……ですね。でも―――」

 つと立ち上がり、ドルクはわたしの隣へやってくると、彼を見やるわたしの顔を覗き込むようにして、年齢相応の大人びた表情を作った。

「正直、困りました。あなたが綺麗すぎて―――落ち着きません。出来ることなら、今のあなたをオレ以外の男に見せたくない。それくらい……綺麗ですよ」

 吸い込まれそうな輝きを放つ魔性の双眸が、月明りの下、艶を含んで妖しく揺らめく。その輝きに、思わず瞳を囚われた。

 ドキリ、と胸が高鳴るのを覚えた次の瞬間には、わたしの後頭部を支えるように回された彼の手に速やかに引き寄せられ、キスされていた。

 あ……っ……。

 遅ればせながら、それを認識した心臓が早鐘を打ち始める。

 しっとりとわたしの唇を押し包む彼の熱い唇の感触が緊張するのに心地良くて、陶然と瞳を閉じる。次第に深くなっていくキスに震えが走り、どうしようもなく吐息が乱れた。

 ああ……どうしよう。もともとドルクのキスに弱かったのに、彼への想いを自覚した今は、何だか今まで以上に感じてしまって―――気を抜くと、変な声が出てしまいそうだ。

 蕩けてしまいそう―――蕩けて、しまう。何も考えられなくなる。

 巧みなドルクのキスに誘(いざな)われ、意識が陶酔の海へと沈んでいく―――……。



*



 腕の中にいるのは、今宵あまりにも美しい側面を見せつけてくれたあの女(ひと)。

 甲冑を身に着け剣を振るう、普段の凛々しい姿も好きだ。

 街を散策する時の軽快な私服姿もいい。

 あまり目にする機会はないが、宿の備え付けの部屋着姿はややしどけなく、愛らしい。

 女性らしい装いは目にしたことがなかったが、きっとそういう姿も似合うだろうと、何となく想像してはいた。

 だが、期せずして目にすることになった彼女のその姿は、想像を超えていた―――思わず、息を飲むほどに。

 腕の中のフレイアに口づけながら、オレの中のどこか冷静な自分が警鐘を鳴らし、呼びかける。

 ―――この状態で、止まれるのか……?

 今の彼女は鎧も、防護スーツも身に着けていない。腕の中にあるこのしなやかな肢体は、襟ぐりが大きく開いた橙色のロングワンピースを纏っているだけだ。

 自問する理性とは裏腹に、彼女に対する口づけはどんどん深さを増していく。

 虚影(ホロウ)との戦いの後から、フレイアの態度は少し変わった。

 それまでは受け入れるだけだったキスを返してくるようになった。

 今も―――彼女はオレのキスに応えて、そっと舌を絡めてくれてきている。

 愛しい感触に、理性が薄らいでいくのが分かる。

 止まれないかもしれない。

 出来ることならば―――このまま、彼女を抱いてしまいたい―――。



*



 わたしの後頭部を支えるようにしていたドルクの手が耳の後ろを滑り落ちるようにして首筋へ下り、なだらかな鎖骨を通って、そのままわたしの胸へとたどり着いた。掌でそっと包み込むようにされて、予想だにしていなかった彼の行為に、思わず閉じていた目を見開く。

 え……っ……。

 今までドルクがそこに触れてきたことはなかったから、何となく、今夜もそういうことにはならないだろうという思い込みがあった。それが崩れて、動揺する。思わず腰を引きかけたけど、もう一方の彼の腕がわたしの身体を抱え込むように回されていて、距離を取ることが出来なかった。

「ちょっ……ドルクッ……」

 戸惑いの声を上げながら彼の胸を押した時、人の気配がして、わたし達はハッとした。

 緩んだドルクの腕の中から脱け出しながら振り返ると、玄関からエリスが一人で出てきたところだった。

 遠目に彼女の姿を確認したわたしは内心首を捻る。

 こんな時間に、どこへ行くんだろう? もしかしてハドルのところ?

 その時、ドルクの腕が後ろから伸びてきて、わたしの腹部を左右から抱え込むようにした。そのまま引き寄せるようにして背後から抱きしめられ、驚く間もなく、うなじに彼の熱い唇が押し当てられた。あっと思った次の瞬間、そこを甘噛みされて、甘い戦慄が背筋を駆け抜ける。不意を突かれたわたしは思わず声を漏らしてしまった。

「……ぁ……っ……」

 エリスが足を止めて周囲を見渡した。

 ヤバい、聞こえた! ドルクのヤツ、何考えて……!

 あせるわたしの耳元にドルクが後ろから唇を寄せて囁いた。

「距離がありますし、この暗さでは樹木の影に紛れて彼女の方からは見えません。声さえ出さなければ気付かれませんよ……」

 えっ? それはどういう―――。

 意味、と尋ねる間もなく、うなじに、襟ぐりから半ばまで露出した肩甲骨にドルクの煽情的なキスが降り注ぐ。わたしは大きく身体を震わせ、背を弓なりに反らせた。

「……っ、ん……!」

 やっ……ダメぇ、声、出る……!

 ドルクに触れられて教えられる。わたしは、自分で思っていた以上に敏感なんだと。わずかに湿った音を立て、官能を煽るように繰り返される彼のキスに反応してゾクゾクとした快感が腰を這い上ってきて、色づいた声が漏れそうになる。

 自分の口を両手で覆い、堪(こら)えるわたしを翻弄するように、なだらかな腹部を上がってきたドルクの両手が双丘を持ち上げるようにして包み込んだ。

「…………!」

 予想外の展開に真っ白になって、思考が働かない。為(な)す術もなく頬を紅潮させるわたしの胸の感触を確かめるようにドルクが動いた。自分の胸が、彼の手の中で柔らかく形を変えるのが分かる。真っ赤になって吐息を噛み殺す視界の先で、エリスが耳をそばだてている様子が見えた。

「程良い大きさですね……」

 滾(たぎ)りにぶれ、少しかすれたドルクの声が耳朶に触れる。わたしの胸は彼の手にやや余るくらいのサイズだった。

 恥ずかしくて、どう反応したらいいのか分からない。わたしは自分の口を覆ったまま、首を振り彼に余裕のなさを訴えたけど、結果は彼を焚きつけてしまっただけのようだった。

「可愛い……フレイア、すごく可愛いです……」

 熱に浮かされたように熱く囁かれ、弱い首筋に唇を這わされて、身体がわななく。眉根を寄せて唇を結び、必死で与えられる刺激に耐えた。

 ほどなくして、エリスの姿は見えなくなった。声を出せないプレッシャーからようやく解放されて、切れ切れの息の下からやっと制止の声を上げる。

「やっ……ドルク、待って……!」

 自分の胸を弄ぶ彼の手に手を重ねたけど、加熱するその動きを止めることは出来なくて、逆に自分が今何をされているのか如実に思い知らされ、羞恥心で眩暈がした。

 ドルクは胸の先端には触れてこなかった。意図的にそこを避け、わたしの反応を見るようにして動きを変えながら、時間をかけて胸の輪郭をじっくりと揉みほぐしてくる。微妙な力の加減で揉み揺らされ、まるでマッサージを受けているような心地良さにも似た、もどかしいような感覚が胸に降り積もっていって、わたしは無意識のうちに身体をくねらせた。

 こんなところでこんなことをされて反発心にも似た思いを抱かないでもなかったけど、好きな相手に触られるのが本気で嫌なわけじゃないから、抵抗の度合いも弱い。ドルクの手を止めようとした動きもなし崩し的に弱まっていって、しばらくすると震える息を吐き出しながら彼の愛撫を甘受するだけになった。

「……ぁ……ぁぁ……っ」

 およそ自分のものとは思えない、色づいた弱々しい吐息。

「んんっ……! ふ……、あぁっ……」

 時折ドルクに弱い部分を攻め立てられ、堪(こら)えきれない恥ずかしい声が漏れてしまう。

 いつ触れられるか分からない緊張に晒された、胸の先端が落ち着かなかった。ドルクの指が周囲をかすめる度、身体がびくっと反応してしまい、それが恥ずかしくていたたまれない。身体はじわりと切ない熱を帯び、胸に降り積もるもどかしい感覚は色濃さを増して、耐えるわたしを苛んでいた。

 もう、どれくらいこの状態が続いているんだろう。緩い享楽の檻に囚われて、どうにかなってしまいそうだった。

 それに、ずっと後ろから抱きしめるようにされているからドルクがどんな表情をしているのか分からなくて、彼の顔が見たかった。

「―――っ、ドルク……」

 わたしは後ろに手を伸ばして、手探りで彼の頬に触れた。

「顔……見せて……」

 ドルクの腕が緩んだ。同時に後ろを振り向かされ、熱い情動を孕んだこげ茶色の双眸にぶつかり、ドキンッ、と心臓が音を立てる。

「フレイア」

 わたしの名を呼んだドルクの声がいつもより熱を帯びている。彼の表情はどこか余裕がなく吐息はわずかに荒ぶっていて、昂る自身をどうにか抑え込もうとしているようにも見えた。

 そんな彼の様子に動悸が激しくなる半面、何だか安心もした。わたしとおんなじだ。ドルクも、わたしと同じようにドキドキしているんだ。

 それが、表情から伝わって―――。

「……ヤバいですね、その顔」

 ドルクが気持ち困ったような顔になって、ふと、口元を緩めた。

「自分が今、どんな顔をしているか分かります?」
「え? わ……分かるわけないじゃん。そんなの」

 本当はおおよそ想像がつくけど、恥ずかしくて絶対に言いたくない。

 今のわたしはきっとこの上なく頬を赤らめて、瞳を熱く潤ませて―――わたしらしくもない、すごく女の子っぽい顔になっている。

 可愛げのない言い方で瞳を逸らしたわたしの頬をドルクの掌が包み込み、これ以上ないくらい甘く微笑みかけた。

「オレの理性を破壊する、たまらない顔をしていますよ―――」

 そういうあんたは、その穢れなく整った容貌に、何て凄絶な色気を纏っているんだろう。

 開眼していない彼の眼で、息の根が止められてしまいそうだ。

 ドルクが頬を傾けて気持ち大きく口を開け、わたしに知らしめるようにゆっくりと、深く口づけてきた。

「ん、っ……! ぅ、ふ……」

 今までとは違う。激しい―――食べられてしまいそうな、キス。

 再びわたしの胸に伸ばされた彼の手が、先程までとは動きを変える。両手で下から掴み上げるようにして双丘を揉みしだきながら、それまで触れてこなかった胸の先端を爪弾(つまび)くように刺激してくる。

 散々じらされたからなのか、服の上からなのにひどく感じて、身体がびくついた。

 ドルクの器用な指先はわたしの弱点を探すように刻々と動きを変え、追い立てていく。先程までとは打って変わって胸の頂を集中的に攻められ、わたしは小さく声を上げ、たまらずのけ反った。のけ反って自分から彼に胸を差し出すような形になり、また攻められて、切なく喘ぐ。

「ぁんっ、あ……あぁっ……!」

 のけ反って晒された喉に淫靡(いんび)なドルクの舌が這う。ぴりぴりと胸の先を走る甘い痺れがそれまで胸に降り積もっていたもどかしい感覚を覚醒させて、うねるような快感へと変えていく予感―――それに反応するようにして、下腹部がじん、と甘く疼いた。

 ―――えっ……な、何……!?

 自分の肉体の反応に、心の中で戸惑いの声を上げる。

 触られているのは胸なのに、何で、そこが―――。

 この感覚に似たものに覚えがあった。

 以前、フローレの宿で―――それに虚影(ホロウ)との戦いの後、ドルクに深いキスをされた時だ。キスされただけなのに、胸から下腹部にかけて甘い痺れが走るような感覚があって、身体がわなないたことがあった。

 あの時の感覚に、似ている―――。

 その瞬間、尖りきっていた胸の先端をきゅっと摘まれて、腰が跳ねた。そのままそこを指先で扱(しご)き上げるようにされて、頭の中に白い光が瞬くような錯覚を覚える。

 やあっ! ダメぇ……!

「んんんんッ……!」

 ドルクにキスで口を塞がれなかったら、きっとあられもない声が夜の庭に響き渡っていた。縋るように彼の衣服を握り込みながら、胸から下腹部へと連動する甘い疼きの衝撃に身体を震わせる。

「んっ……んんっ……!」

 乱れた吐息が重ねた唇の間から漏れて、ひどく淫らな空気をもたらした。

 わたし、こんなに胸が弱かった? 胸って、こんなに感じるところだった?

 直接触られているわけじゃないのに、先っぽが快感で蕩けてなくなるかと思った。そこから伝わる甘い痺れが首筋をピリピリさせて、触れられていない下腹部にまで切ない疼きが走った。

 与えられる快感が降り積もり、生み出された行き場のない熱が、その行き先を求め、うねりを帯び体内を彷徨っているような感覚―――肌が火照って、熱くて熱くて、もどかしい。どうにかしてほしい。

 わたしの濡れた瞳とドルクの荒ぶる瞳がぶつかった、その時だった。



「―――!」



 不穏な気配を二人同時に感じ、スイッチが切り替わった。

 馬のいななきと微かな悲鳴が、夜の風に乗って聞こえてくる。

 闇の向こうで何か切迫する事態が起こったことが分かった。

 乱れた息を整えながらわたしは急いで居住まいを正し、ドルクはやりきれなさを隠さず、苦々しい溜め息を吐き出して立ち上がった。

「こんな時に……」

 彼にしては珍しくそうぼやいて、熱の冷めやらぬ眼差しでわたしを見やる。

「―――そうも言っていられないので行ってきます。あなたは屋敷の人間に報せて下さい」
「分かった」

 頷くわたしの頬にドルクは名残惜しそうに手を伸ばして触れると、唇に軽くキスして、何かが起きた現場へと駆け出して行った。

 半月が照らし出す夜の庭を疾走する彼の姿は瞬く間に見えなくなっていく。それを見送り屋敷へと踵(きびす)を返したわたしは、その道中、今し方のことを思い出して全身を朱に染めずにはいられなかった。

 あっ……危なかったぁぁぁぁ! 

 まだ甘い余韻に包まれる自分の身体を抱きしめるようにして、心の中で身悶える。今更ながら、胸の拍動がもの凄いことになった。

 夜は危険だ、黒王子の独壇場だ、なし崩し的に行くところまで行ってしまうところだった!

 ドルクの前で自分がこんなにも「女」になってしまったことが驚きだった。いつもと違うシチュエーションも大きかったんだろうけど、彼を好きだと自覚してしまったら、今までのように止められなかった―――彼も、自分も。

 ううう、わたしとしたことが!

 まだきちんとこっちの気持ちを伝えていないのに、雰囲気に流されてことを致してしまうのは出来れば避けたい。わたし的にはやっぱり、きちんと両想いになってからそこへ至りたい。

 となると、今回ここまで許してしまった以上、早く自分の気持ちを伝えないとまずいよなぁ……そう考えながら、ドルクにそれを告げる自分を想像して頭を抱え込みたくなった。

 改めてこっちから告白するのってすごく恥ずかしいし、タイミング的に難しい。

 ううう……でも、頑張らないとな。ドルクはわたしにずっと気持ちを伝え続けてくれているんだから。

 とりあえず、わたしの気持ちを伝えるまでは、なるべく甘い雰囲気になりそうな事態は避けて通るように心掛けよう。

 今回みたいに、夜、暗いところで、二人っきりっていうのは絶っっ対にダメだ!

 夜の闇は、黒王子ドルクの独壇場。表情ひとつ、仕草ひとつでいとも簡単に甘い雰囲気を作り出すあの男は手練手管に長けていて、一度捕まってしまったら、わたしはもう太刀打ち出来ない。それがよく分かった。

 ―――だって、好きだから。

 その想いを、改めて自覚する。

 触れられて、嬉しいと思ってしまうから―――。

 お姫様に憧れていた、昔のわたしがこれを知ったらどう思うかな。

 見た目は童話の王子様風、中身はとても爽やかとは言えない黒王子を、あなたは将来好きになるって―――……。



<完>
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