魔眼

器用な指先


 とある町でひと仕事を終えたわたし達は、ギルドの支部があるこの地方の主要都市フローレへ戻る為、乗合馬車の停留所にいた。

 緑豊かな街道沿いに野ざらしのベンチがひとつだけ置かれた小さな停留所には他に人の姿はなく、わたしはベンチに背もたれながら何とはなしによく晴れた空を見上げ、その傍らでドルクは短剣の手入れをしながら次の馬車が来るのを待っていた。

「あー……前髪、伸びたなぁ」

 ふと視界に入った自分の前髪を指でつまんでそう呟くと、隣に座っていたドルクが作業を止めてこちらを見た。

「そうですか? オレはさほど気になりませんが」
「もう眉が隠れそう。ここまでくると何か伸びるの早い気がするんだよね。次に気が付いた時にはもう目にかかるくらいになっちゃってたり」
「それは気のせいだと思いますけど……髪は伸ばさないんですか?」
「この仕事をしている限りはないかなー。長いと手入れが色々大変だし」

 同じ境遇でも頑張っている女(ひと)は頑張ってるけどね。わたしには向かないや。

「あまり長いのは大変でしょうけど、肩くらいまでならどうですか? 似合うと思いますけど」
「何? そういうのが好みなの?」

 珍しく食いついてくるなと思って何気なく尋ね返すと、ドルクは短く沈黙して、それから短剣の手入れ作業に戻った。

「そういうわけじゃないんですが……ただ、」

 ただ?

「懐かしいというか……久々に……見てみたいなと思って」

 風に溶かされてしまうほど小さな声で、彼が何て言ったのか、聞き取れなかった。

「何?」
「……何でもありません」

 それっきりドルクは押し黙ると作業に没頭した。大した話題じゃなかったからわたしも特に追及はせず、暇だったからそのままの流れで彼が短剣の手入れをするところを見ていた。

 前にも思ったけど、ドルクは指が長いな……それでもって、器用そう。

 こういう職業にありがちな、ごつごつと節くれだったいかにもって感じな指じゃないよね。粗野な感じがしない。

 しなやかで形の良い、楽器を奏でる音楽家みたいな指をしている……。

 でも、この指を握り込んだ拳骨は破壊力あるんだよなぁ……あの体格のいいレイゼンをぼっこぼこにしてたもんな。実際触ってみたことあるけど、スゴく硬かったし。見た目じゃ分からないもんだよなぁ。

 そんなことを考えているうち、彼のその指で優しく髪を梳かれたことや直接肌を触られたことを思い出し、わたしは何だか恥ずかしくなった。

 ごまかすようにドルクから視線を逸らし、さっき気になった前髪を触っていると、短剣の手入れ作業を終えたらしい彼が声をかけてきた。

「そんなに気になるんですか?」
「うん? まあ……」

 あいまいに頷くと、ドルクは手入れを終えたばかりの短剣をわたしに見せて、こう申し出た。

「良かったらオレが整えてあげましょうか?」
「え? 出来るの?」
「オレ、器用なので。大抵のことは出来ます」

 ついさっき自分が考えていたことを見透かされたような回答に、偶然とは分かっていても頬が赤らんでしまった。

「言い方が可愛げない……」
「可愛さは求めていませんから」

 口を尖らせたわたしに、涼し気な顔をしてドルクが返す。

 まあ……暇だし。前髪が気になったのも事実だし。馬車はまだ、来そうもないし。

「じゃあお願いしてみようかな。でもいいの? せっかく手入れをしたトコなのに」
「構いませんよ」

 そんなこんなで、馬車を待つ間、ドルクに前髪を切ってもらうことになった。

「これまでと同じような感じでいいんですよね?」
「うん」

 姿勢を正し瞼を閉じたわたしの視界にドルクの影が下りてきて、形の良い指がわたしの髪の状態を確かめるように緩くかき混ぜた。そうしてから指先で軽く散らすようにして整えた後、彼がそっと前髪をつまむ気配―――切れ味の良い短剣がソリッ、ソリッ、と静かな音を立てて走らされると、細かい毛がハラハラと頬の辺りに落ちてくるのが感じられた。

 髪や頭皮に触れるドルクの指の感触が思いがけず心地良くて、図らずもうっとりとしてしまう。指の触れ加減というか当たり加減が絶妙で、ひと仕事終えた後ということもあり、何だか眠たくなってしまった。

「終わりましたよ」

 ほどなくしてドルクの声がかかり、舟を漕ぎかけていたわたしはハッと目を開けた。そんなわたしに彼は短剣を差し出すと、鏡の代用にしながら言った。

「どうですか?」

 短剣の刃に映し出されたそれを見て、思った以上の出来栄えに驚く。

 う、上手い! わたしが自分でやるより上手だ!

 小憎たらしいけど、自分を器用と言い切るだけのことはある。

「上手じゃん。就く職業間違えたんじゃないの?」
「天職にしたいと思っているのは今の職業なんです」

 むむぅ。どの職業に行ってもそこそこ極められると思っている言い方だなぁ。

 実際それが出来てしまいそうなところが少々鼻につくけど、とりあえず綺麗にしてもらったお礼は言っておこう。

「ありがと。スッキリした」
「どういたしまして。……ああ、少し待って下さい」

 動こうとしたわたしを押しとどめて、ドルクがハンカチを取り出した。

「細かい髪が……」

 言いながら手を伸ばして、わたしの顔についてしまった細かい毛をハンカチで払ってくれる。

 ドルクに正面から顔を覗き込まれるような構図になって、わたしは慌てて目をつぶった。

 おでこを、瞼を、頬を―――ドルクはハンカチで丁寧になでるようにして払ってくれる。

 うわ……これ、何だか恥ずかしいかも。

 顔についた細かい毛って、なかなか取れないんだよね……自分で前髪切った後なんかは、面倒くさいから水で洗って流しちゃうもん。

「ちょっとすみません」

 断りを入れて、ドルクがわたしの頬に指を伸ばした。ハンカチで払いきれなかったらしい分を指でそっと取り除いてくれる。

「ここも……」

 彼の指に触れられて、ふるん、と唇が揺れた。

 そこに来るとは思っていなかったから、驚いて心臓が音を立てる。

「もう少し我慢して下さい……」

 一度では取れなかったのか、それとも複数ついていたのか、ドルクはそう言いながらわたしの下唇に人差し指を宛(あ)てがうようにして持ち上げると、その上を親指でなぞるようにして手前に優しく弾いた。再びふるん、と唇が揺れる。なかなか取りきれないのかそれが繰り返されて、彼の指が動く度、ふるん、ふるん、と唇が揺れ、その状況と唇に走る甘い疼きにわたしは恥ずかしくていたたまれなくなった。

 あれだよ、あれ! 顎をくいっと持ち上げてキスするような仕草を、顎じゃなくて唇でされてるような感じ!

 それに、誰かのせいで最近になって唇も性感帯なんだと気が付いてしまったから、そういう意味でもヤバかった。

 こんなの、耐えられるわけがない!

 わたしは目をつぶったまま、真っ赤になってドルクに訴えた。

「も、もういいよ! 適当で……」
「もう取れますから、動かないで下さい」
「…………。ま、まだ?」
「だから、喋(しゃべ)らないで」

 うう……。何なの、この羞恥プレイ。恥ずかしくてたまらないんだけど!

「〜〜〜っ」
「そんなに唇に力、込めないで下さい」

 だ、だって!

 そんなわたしの様子にドルクがふと口元をほころばせる気配が感じられた。

 うん!?

「ああ、すみません。あなたのキス顔が可愛らしすぎて―――はい、取れましたよ」

 言うに事欠いて、キ、キス顔って!

 ようやくいたたまれない状態から解放されて勢いよく目を開けると、至近距離もいいところにドルクの顔が見えて、ただでさえ赤い顔がぶわっと熱くなった。

「何て表現するんだよ、こっちがどんだけ恥ずかしかったか!」
「目を閉じてあんなふうに上気した顔でこっちを向かれていたら、そう表現したくなりますよ」
「だって、それは、あんたの指が!」
「オレの指が?」

 面白そうな表情で問い返されて、わたしはぐっと言葉を飲み込んだ。

 これは、この表情は危険だ! 下手に踏み込むと火傷するパターンだ!

 だんだんと分かってきたぞ。ここはひと呼吸置いて、冷静に……。

「……。あんたの指が、器用なクセして手間取るからさ……」

 言葉を選びながらそう言うと、ドルクはそんなわたしを無言で見やり、ふと首を巡らせた。

「……。ああ、馬車、来ましたね」

 ん?

 そんな彼の様子にわたしは眉をひそめた。

 何だ、今の間?

 あっ!? ま、まさかこいつっ……!

「ちょっと! もしかして、わざと手間取ったんじゃないだろうな!?」
「まさか……だとしたら何の為に、でしょうね?」

 わたしの追及にうっすらと笑みを刷いてドルクが嘯(うそぶ)く。

 この口ぶり! 絶対そうだ、こいつわざとっ……!

 そう確信したわたしは小さく憤慨しながら、馬車が近付く街道側へと歩き出すドルクの肩に手を掛けた。

「おいっ! ドルクッ……」

 停留所に馬車が滑り込んでくる。

 振り返ったドルクがわたしの顎を素早く引き寄せるようにして、唇を重ねてきた。

「―――!」

 予想外のタイミングでの早業のようなキス。次の瞬間には、目を剥いて硬直したわたしの前にまるで何事もなかったかのような顔で佇むドルクがいた。

「馬車、来ましたよ。乗りましょうか」

 にっこりと穢れのない顔でそう促され、一拍置いて頬が真っ赤に爆ぜた。

「〜〜〜ッ!」

 こっ、こっ、このおぉ〜! 人畜無害な皮を被った確信犯め!

 ふるふると身体を震わせながら、わたしは行き場のない憤りを拳で握りしめた。馬車を待たせているこの状況ではこれをどこへもぶつけようがないのが腹立たしい。

「覚えてろよ……」

 真っ赤になって低く唸るわたしに、馬車のステップを踏んだドルクが人を食ったような顔で答えた。

「分かりました。その時はもっと情熱的なお返しでお願いしますね」

 こいつめ、さらっと! くそぉ、このやり取りがもうこの先の結果を暗示しているみたいだ。

 憮然として彼の後に続き馬車に乗り込みながら、いいように翻弄されて悔しいはずなのに、それよりも高鳴る動悸が先行してあまり腹立たしくないこの現状がまずいなぁと、頭の隅で自覚する。

 唇に残る余韻が、熱い。

 前を行くドルクの背中を見やりながら、わたしは自分の唇に拳を押し当てるようにして瞳を彷徨わせた。

 どうしよう。

 ドルクの熱に確実に犯され始めている自分を、感じずにはいられない―――……。



<完>
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