リルムの魅了の術に堕ちた男達から必要な情報を聞き出したわたし達は、通路の向かって左側のルートからの脱出を図ることを決めた。
左のルートは昼間リルム達が見つけた意図的に植樹されて隠された箱型の棟へと続いているらしく、おじさんがひどい臭いがすると言っていた右のルートの先には通称「処理部屋」と呼ばれている空間があって、そこにはクンツが飼っている何でも食する悪食の魔物が生息しているらしい。
その処理部屋には現在、角を採取された大量のカールマーンの亡骸が投げ込まれているのだと男達は言っていた。それを何日も何日もかけて、その魔物が自らの胃に収め、処理しているのだと。
錬金術のカールマーンの角は、別荘のどこかにあるクンツの保管庫に納められ、厳重に管理されているらしい。
処理部屋の先はプライベートビーチの埠頭にある箱型の建物へと繋がっており、彼らは違法にカールマーンを狩ってここへ戻ってきては、角を切り落とした遺体を処理部屋へ投げ込み、また狩りに出るといったことを繰り返していたようだ。
酷い話だ。キューちゃんもそうなるところだったのかと思うと、胸が痛む。
カールマーンも自分と変わらぬ命を宿した一個の生物だという認識が、クンツにはないんだな。同じ人間に対してさえ……!
強い憤りを感じながらわたしは拳を握りしめた。
思い上がったあいつに知らしめてやる。お前もみんなと同じ、ただひとつの命を宿す生物なのだと。生きている命の重みに何ら差はないのだと……!
その為にも、まずはここにいる人達を解放する!
「あんた達は怪しまれないように上へ戻りなさい。鍵や剣を持っていないのは何としてでもごまかすのよ! それと、あたし達の脱出がバレた場合は気合を入れて仲間の邪魔をして手助けすること。いいわね!」
リルムの命を受けた男達は恍惚の表情で頷き、その言葉に従って石造りの階段を上がっていく。彼らの剣を手にしたわたしはもうひとつの剣を牢から解放されたおじさんへと手渡しながら、リルムに尋ねた。
「あの呪文、どのくらい効果が持つ?」
「個人差があるから何とも言えないけれど、多分数時間ってトコじゃないかしら?」
「なら、上手くいけば次の巡回が来る二時間後まではわたし達の脱出がバレないってコトだな」
「まあ、現実そう上手くはいかないでしょうけれどね。この人数で外へ出たらどうしたって目立つだろうし」
わたしも実際そうだとは思うけどさ。希望的観測としてね。
女性陣はわたし達を含めて16人、向かいの牢から解放したおじさん達4人を合計すると全部で20人の大所帯だ。
「まさかこんな形で、この牢から出られるとは……あんた達、何者なんだ?」
急転直下の展開に、これが確かに現実のことなのだとまだ完全には飲み込みきれていない様子のおじさんがそう言ってわたしとリルムを見やった。
「詳しく話している暇はないけど、わたしは剣士でこの娘(こ)は術士(メイジ)。カールマーンの件でクンツを調べに来ていたんだ。それにまだ牢から出れただけで脱出出来たわけじゃないからね、安心しないで。おじさん達だいぶ弱っているみたいだけど、走れる?」
「剣士に術士(メイジ)か。頼もしいねぇ。オレ達ゃ痩せても枯れても海の男だ、お嬢さん達が頑張ってくれてるのに、オレ達が頑張らねぇわけにはいかねぇよ! なぁ!?」
勢い込んで振り返ったおじさんの言葉に、これまでの監禁生活でしおれかけていた仲間達が奮起する。
「おお、さっきまでくたばりかけてたけどよ、おかげで今は、気力だけはみなぎっているぜ!」
「やってやろうじゃないか!」
「ああ、絶対に家へ帰るぞ!」
彼らの見てくれはくたびれ果てていたけれど、落ちくぼんだその瞳には希望に照らされた生気が宿っていた。先の見えない絶望に打ちひしがれていた彼らにとって、この状況はまさに天の助けとなったようだ。
この分なら大丈夫そうかな。
「あんた達は? 催眠ガスの影響で具合が悪い人とかいない?」
女性達に確認の声をかけると、彼女達は互いを見やりながらおずおずと頷き合った。初対面の人がほとんどだろうし、状況が状況だから具合が悪くても言い出せず我慢している人もいるかもしれない。
こっちは少し注意してやらないとダメだな。
「よし、行こう!」
わたしが先頭に立ち、その後におじさん達、女性達と続いて、最後尾にはリルムが付いた。
左側のルートへ進みしばらく道なりに歩いていくと石造りの階段があって、そこを上っていくと施錠された金属製のドアがあった。鍵の束からこのドアのものを抜き出し、鍵穴に挿入すると、カチリと微かな音が響いて開錠される。用心しながらそっとドアを開けると、四角い壁に覆われた何もない部屋へと出た。その先には頑丈そうな金属製の扉だけがある。
どうやらこの向こうが外だな。扉の向こうから微かな物音と人の気配がする。
リルム達の話では扉の前には二人の警備員がいたということだった。
全員が部屋の中へ入ってきたのを確認してから、みんなに少し下がるよう伝えて慎重に鍵を開けるとタイミングを計って勢いよく扉を開け放ち、驚き振り返った二人の警備員の鳩尾に剣の柄を突き込んで気絶させる。突然の出来事に声を発することも出来ず崩れ落ちた男達を植え込みの陰に隠しながら、黒雲に覆われた暗い空を振り仰いだ。
何だ? まだ夜になる時間じゃないはずだよな? さっきまであんなに晴れていたのに……。
気絶した警備員から新たに入手した剣をおじさんの仲間二人に手渡しながら、わたしは辺りに注意深く視線を走らせた。
ここを見下ろせるバルコニーの窓は閉まっていて、付近には人の姿もない。まだ誰にも見られていないようだ。
「ああ、久し振りの外の空気だ。美味い……」
肺いっぱいに新鮮な空気を吸い込みながら、漁師のおじさん達が感無量といった様子で呟く。
「本当に生き返るようだ……だが、何だ? この不吉な風は……。嵐でも来るのか?」
「良くない風だな……海が荒れる前触れのような……」
彼らは口々にそう言いながら微かな遠雷が聞こえる海の方角を見やった。
海から吹きつけてくる生ぬるい風が、何とも言えない不穏な空気を運んでくるのを感じる。敷地内のあちらこちらで慌ただしくやり取りされる声や、どこか騒然とした雰囲気が伝わってきて、何かは分からないけどどうやら異変が起こっているらしいということだけは認識した。
でも、この状況はわたし達にとっては好機だ。警備が混乱してくれているなら好都合、今のうちに敷地外へと脱出だ!
「走るぞ!」
植樹された樹々の間を縫うようにして、庭園とは反対側から敷地の外を目指す。
異変のせいか警備の配置は大幅に変わっていて、警備員の数自体が少なかった。時折遭遇する彼らをわたしが瞬時に昏倒させ、増援を呼ばれることをどうにか避けながら最短ルートを突き進んでいると、最後尾のリルムから声がかかった。
「待ってフレイア、一人倒れた!」
振り返ると、列の中程にいた女性が真っ青な表情で膝をついている。わたしは彼女に駆け寄り自らの背に背負い上げると、リルムに先導を頼んだ。
「あたしはあんたと違ってか弱いから魔法でバンバン行くわよ、見つかるからね、覚悟してよ!」
「ドルク達への合図にもなるから構わないさ! 薙ぎ払って強行突破だ!」
そのまま殿(しんがり)につき、これ以上脱落者が出ないよう祈りながら先を急ぐ。みんな頑張って走っていたけれど、行程の半分を過ぎた辺りで目に見えてスピードが落ちてきた。
おじさん達は監禁生活で体力が落ちているし、女性達は普段こんなに走ることがないだろうから仕方がない。苦しいだろうけど、今は頑張ってもらうしかない。
「後少しだ、頑張れ!」
励ますわたしの声にリルムの怒声が重なった。
「どきなさいよッ!」
直後、前方で派手に上がった爆音とくぐもった男の悲鳴―――間近で炸裂する魔法の威力に、女性達が悲鳴を上げながら足の回転数を上げた。
「―――待て、お前達っ!」
爆音を聞き駆けつけた新たな警備員がわたし達を見咎め、声を上げながら追いかけてくる。
「うざいッ!」
リルムの魔法がわたしの後方で爆発し、警備員を噴煙の中に飲み込んだ。慄いてへたり込み、逃げ出していく警備員の影が煙幕越しに見える。
おお、ちゃんと考えて直撃は避けるようにしているんだな。
宣言通りバンバン魔法を使って道を切り拓いていくリルムにそんな感心をしながら、横合いから出てきた別の警備員を蹴り倒しつつ先を急いでいると、ほどなくして聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
「フレイア!」
「―――クラウス! ドルク達は!?」
リルムの魔法を道標にここへたどり着いただろう彼に足を止めないままそう尋ねると、こんな答えが返ってきた。
「アデラと一緒に装備を整えに行っている! 僕は君達から何らかの合図があった場合に備えて残っていて―――」
「分かった! もうこっちへ向かっている頃か!?」
「だと思う!」
「空の様子がおかしいけど、何かあった!?」
「夕日で海一面が染まる頃、沖合に突然出現した渦のようなものが竜巻を生み出して、それがみるみる発達して黒雲を呼び寄せてこんな状況になったんだ! どうやら自然現象じゃなさそうだ。海神の怒りじゃないかって怯えている人達もいる。海の様子が、明らかにおかしいんだ」
並走しながらクラウスは簡潔にそう語った。
わたし達の会話を聞きつけたおじさんが荒い息の下から言葉を紡ぐ。
「か、海神の……ハルマナーンの怒りだ……や、やはり……海神様は、怒っている……!」
そんな彼をチラと見やりながらクラウスがわたしに尋ねた。
「フレイア、この人達は?」
「行方不明になっていた漁師さん達。カールマーン狩りを目撃してクンツに監禁されていたんだ」
「じゃあやっぱり、クンツは黒か―――本当に海神の怒りなのかは分からないけど、念の為高台に避難した方がいい。もしかしたら津波のような現象が起こるかもしれない」
「分かった。クラウス、悪いけどわたしの代わりにこの人を背負ってリルムと一緒に行ってくれないか。ドルク達もこっちに向かってきているなら間もなく合流出来るだろうし、みんなでこの人達を安全な場所まで誘導してほしい」
「君は!?」
「わたしはクンツのところへ向かう。証拠を持ち逃げされても困るし、あいつにはキチンと落とし前つけておかないと」
そう言うと、クラウスは目を見開いて珍しくやや声を荒げた。
「僕の話、聞いていた!? もし津波が起こったら、こんな別荘なんて簡単に飲み込まれてしまう! それにそんな格好のまま独り敵陣に乗り込むなんて、無茶も甚だしいよ!」
「だからだよ。もし津波に飲み込まれたら証拠も何も流されてなくなっちゃうし、まんまとクンツに逃げおおせられてしまう。それだけは避けないと」
「ならせめて、ドルク君達との合流を待ってからにすべきだ! 壊劫(インフェルノ)も持たずに……!」
「時間が惜しい」
細いフレームの眼鏡の奥で心配そうな光を湛える彼の青い瞳を見つめ、わたしは少し口元を緩めた。
「大丈夫だよ、クラウス。壊劫(インフェルノ)を携えていなくてもわたしは魔眼だ。滅多なことでやられたりしない。それに、絶対にドルクが壊劫(インフェルノ)を持って駆け付けてくれるから―――わたしは少し先に進んで待っているだけ」
「フレイア、でも」
「壊劫(インフェルノ)に見初められたことで得られたわたしの能力(チカラ)は、こういう時の為に使うものだと思うんだ。それを成し得たくとも、成し得られない人達の代わりに」
目を瞠り息を飲むクラウスの猫っ毛を、リルムの魔法の爆風が激しくたなびかせた。
「……昔、別れ際に似たようなことを君に言われたのを、思い出したよ」
「え、何? よく聞こえない!」
声を張り上げるわたしに彼はどこか切なげな表情を向け、ほろ苦い微笑みを浮かべた。
「“壊劫(インフェルノ)を得たことで手にしたわたしのこの能力は、神様が授けてくれたとても素晴らしいもので、それを持たない人がどんなに望んでも得られない奇跡の能力なんだ―――わたしはそう信じ、それを活かせる道を歩んでいきたい”」
わたしは耳をそばだてたけど、爆音が入り混じって、クラウスが何を言っているのか上手く聞き取れなかった。
「君はその信念を貫いて進み続け、同じ道を共に歩める相手と巡り合った。……道を分かって進んだつもりで、その半ばで立ち止まっていたのは、僕だ」
自嘲気味に呟いて瞑目し、クラウスはわたしに告げた。
「……分かった。行きなよ」
「? うん―――悪いけど、頼む」
何だかよく分からないけど承諾の意を返されたわたしは足を止めて背中の女性をクラウスへと引き渡すと、そこからダッシュして先頭のリルムに追いつき、手短かにそれを伝えた。
「分かったわ! あんたの心配なんかしないけど、い、一応気を付けなさいよ」
唇を尖らせて、内心はわたしを案じてくれているらしいリルムに笑顔を向け、頷く。
「ありがとう。クラウス達を頼んだよ、リル」
そのまま足を緩めてリルム達を見送り、わたしは集団から離脱した。去り際に彼女達を追ってきた警備員の前に立ちはだかって剣を一閃させ、彼らを牽制し追い払うと足早にその場を走り去る。
ここは昼間クラウスと探りを入れに来た辺りだ。この近くに裏口があったはず―――。
そこを目指し、疾走する。
―――逃がさないぞ、クンツ!