別荘の門の前にはパーティーの当選を知らせてくれた給仕服姿の男性が立っていて、訪れる水着姿の女性達から招待状を受け取りながら、門の奥にある正面玄関へと誘導していた。
「ようこそいらっしゃいました。35番リルム様と78番フレイア様ですね。どうぞ」
立派な構えの門を通り正面玄関へ向かう途中、二階のバルコニーからこちらを見下ろす恰幅の良い壮年の男性の姿が見えた。年齢的には五十代半ばといったところだろうか? ロマンスグレーの髪を後ろになでつけるようにした、高級そうな身なりをしたその人物は、傍らに控える四十代前後の黒髪の男性に何やら機嫌良さげに話しかけている。
「あれがクンツかな?」
「多分そうじゃない? 偉そうな感じだし」
リルムとそんな会話を交わしながら、わたしはその姿を目に焼き付けた。
パーティーにはクンツ自身も出てくるんだろうな。正規の招待客は既に会場入りしているんだろうか? わたし達は場を盛り上げる為の添え物ってところなんだろうなぁ。
そんなことを思いながら正面玄関へ着くと、グラスを乗せたトレーを片手に持った給仕服姿の男性がわたし達ににこやかな笑顔を向けた。
「ようこそお越し下さいました。ウェルカムドリンクです、お好きなものをどうぞ」
細長い洒落たグラスに赤、ピンク、琥珀等々、様々な色合いのドリンクが注がれていて、その鮮やかな色彩に見ているだけでも楽しいような気分になる。わたし達は目移りしながらそれぞれ好みのものを取った。
「綺麗ね……これ、お酒かしら?」
「わたしのはアルコールだな。あっ、そういえばリル、あんたお酒弱かったじゃん! ソフトドリンクにしときなよ」
「そちらは果汁百パーセントのジュースですから、大丈夫ですよ」
ドリンクを手にして大きな玄関をくぐると、また別の給仕服姿の男性が「いらっしゃいませ」と出迎え、一礼してわたしとリルムの先頭に立つと「ご案内致します」と告げて歩き始めた。
玄関を入ってすぐ正面に見える豪奢(ごうしゃ)な階段へは向かわず、一階の奥まったところへ進んで行く。他の当選者達も続々とやって来ていて、わたし達のすぐ後ろからも別の女性達の弾んだ声が聞こえた。
一階にある大広間的なところでやるんだろうか? 屋敷内の間取りを頭に入れながら案内係についていくと、ひとつの重厚なドアを示された。
「こちらへどうぞ。控えの間になっております。皆様おそろいになりましたら隣の会場へご案内致しますので、恐れ入りますがそれまでもう少々こちらでお待ち下さい」
折り目正しく礼を取って通されたドアの先にはわたし達と同じ水着姿の女性が数名いて、それぞれドリンクを飲んだりお喋りしたりしながら、絢爛豪華な室内でセレブな気分を味わっていた。
ドリンクやちょっとしたおつまみが自由に手に取れるようになっていて、大きな鏡台やメイクセットなんかもしつらえられており、室内にはハーブと香水が入り混じったような高貴な雰囲気の香りが微かに感じられて、非日常の空間を演出していた。
「とりあえず座る?」
顔を見合わせ、わたし達が空いている席へと腰を落ち着けている間に、また別の女性達が入ってくる。
これで何人だ? わたし達を入れて十人か?
室内の女性達をさり気なく観察しながらわたしは隣のリルムに尋ねた。
「招待されるのって確か十名〜二十名って書いてあったよな?」
「ええ、そうよ」
考えてみると妙だよな……どうして人数が固定されていないんだろう? こういうのってあらかじめ人数が決まっているのが普通なんじゃないか? 理由は考えればいくらでも成り立つかもしれないけど、でもちょっと変じゃないか?
それに、この顔ぶれ―――……。
集まった人達を見やりながら、微かに茶色の瞳を細める。
「このジュース、美味しい。ウェルカムドリンクでこれなら、ビュッフェの料理が楽しみね」
ウェルカムドリンクを口にしたリルムが顔を輝かせる。わたしもそれとなく手元のグラスの匂いを嗅ぎ、ひと口だけ口に含んで味に異常がないことを確かめてから飲み込んだ。
うん、このカクテルも美味しい。こんな場面でなかったらもっとじっくり楽しみたいところだ。
その時、また新たに数名の女性が入ってきた。彼女達を目にして、先程感じた違和感が決定的なものになる。
「……リル、エントリーの受付用紙、正直に書いた?」
小声で確認すると、何言ってんの、と言わんばかりの顔で返された。
「まさか。名前と年齢以外デタラメよ」
「職業と居住地は?」
「職業は踊り子、居住地は―――トラッシュ辺りにしたかしら?」
トラッシュというのはここダハールがあるダハタ地方の北部に隣接するトラッサ地方の主要都市だ。
やっぱりそうか。
「それが何?」
「この顔ぶれ、おかしいと思わないか?」
「どの辺り? ……強いて言えば、あたしの足元くらいには及ぶレベルの娘(こ)がそろっているトコ?」
「それも確かにそうなんだけど」
リルムが指摘した通り、室内にいる女性達の容姿レベルはかなり高かった。本選に出ていた人達と比べても遜色ないと感じる人ばかりだ。それに―――。
「このコンテストは半年前からダハールで大々的に宣伝されてきたそうなんだ。予選会場にも小麦色の肌をした地元の人、たくさんいただろう? なのに、この中には一人もいない」
「……言われてみればそうね。人数的な割合から言ったらおかしいわ」
リルムの表情が引き締まる。
「どういう抽選をしているの?」
「抽選じゃない。作為的に抜き取ったと考える方が自然だ。ダハールに居住していない、見た目の良い女性を」
「ふぅーん……つまりクンツはあんた達がにらんだ通り真っ黒で、違法な狩りどころか人身売買もしてるってこと? このコンテストの趣旨はこっちがメインで、行方知れずになっても騒がれにくい、良質の商品を選別する市場だったってわけ? なら、あのコンテストのクソみたいな選考結果も納得よ」
口が悪いなぁ。アレクが聞いたらまたたしなめられるぞ。
「こっちがメインってわけじゃないのかもしれないけど。コンテストを主宰することで各方面への宣伝効果は大きいものがあっただろうし」
「じゃああたし達はついでの小銭稼ぎみたいなモン? 余計悪いじゃない。冗談じゃないわ。こんな格好の上、丸腰でピンチじゃないの」
「悪い。乗りかかった舟だ、付き合って」
憮然とした面持ちになるリルムに苦笑を返した時、ノックの音と共に隣の会場へと続く大扉が開かれ、姿を見せた給仕服姿の男性がわたし達に向かって深々と一礼した。
「大変お待たせ致しました。皆様おそろいになられましたので、ただ今よりビュッフェパーティーを開始させていただきたいと思います」
女性達の黄色い歓声が上がったが、次の瞬間、それは困惑と恐怖に満ちた悲鳴へと置き変わった。
給仕服姿の男が突然防護マスクを被ったかと思うと、扉の両脇から出現した二人の男が白い煙幕を噴き上げるものを室内へ投げ込んだからだ。
大扉が再び閉められ、混乱した女性達の悲鳴が交錯する。彼女達はこの場から逃げ出そうと廊下へ続くドアへと殺到したが、当然のように鍵がかけられていてそれは開かず、助けを求める声と必死にドアを叩く音が室内に虚しく響き渡った。
「多分催眠ガスだ。リル、耐えられる?」
「濃度によるわよ。頑張ってみるけど、どうかしら」
「なるべく頑張って。わたしも頑張るから」
「あんたの頑丈さと、一緒にしないで……よ」
ソファーに座ったままのリルムの声が虚ろになり、その頭がわたしの肩にとん、ともたれた。
室内には既にガスが充満して、先程まで騒いでいた女性達はみんな崩れ落ちるようにして床へ倒れ込んでいる。
結構強い催眠ガスだな……耐性のない一般人にこんなの使ったら、起きた時に体調不良を訴える人がいるかもしれない。そうなると逃げる時に厄介だな……。
そんなことを考えながら頭の中がぼんやり霞みがかってくる。眠りに堕ちたリルムの手を握り、わたしは頬の内側をきつく噛みしめた。
痛みと血の味が口中に広がり、霞みがかっていた意識が少しだけ覚醒する。
ビキニの胸元に仕込んである折り畳み式ナイフの存在を思い起こしながら、わたしはドルクが危惧していたのはこういうことだったのに違いない、と考えた。リルムの予選落ちと決勝ステージを目の当たりにして、彼はこういった事態を懸念していたのだ……多分。
ドルク……でも、これは核心に迫る絶好のチャンスでもあるよな? こちらにとっては好都合な展開とも言える。
全部掴んで、リルと一緒に戻るよ。
それでもって、この件を解決して、あんたに告白する。
じわじわと身体を苛む眠気と戦いながら決意を新たにしていた時だった。閉ざされていた大扉が再び開き、わたしは目を閉じて眠ったふりを決め込んだ。
瞼を閉じると視覚的な刺激が閉ざされて、余計に眠くなってくる。薄らぎかける意識の中でもう片側の内頬を噛み、それに耐えた。
室内に人が入ってくる気配がする。眠るわたし達を確認した男達の声が何かの膜を通したようにくぐもった音で聞こえた。
「十六人、全員眠っています」
「シュライダー様、指示願います」
シュライダー! ロッホ商会の最高責任者を務めていた、あいつがいるのか!
顔が見たかったけれど、今、目を開けたら絶対にバレる。わたしは耳をそばだて、せめてその声を拾おうと聴力を研ぎ澄ませた。
「上玉がそろっているとクンツ様が喜んでいたが……確かに、稀に見る上玉がいるな」
低い声と共に空気が動いて、わたしの肩に乗っていたリルムの頭の重みが消えた。シュライダーが彼女の顎を持ち上げるようにしてその美貌をまじまじと観察しているんだろう。
低くて掠れた中年の男の声だ。わたしはその声を耳に刻みつけた。
「大事な商品だ。傷付けないよう、全員地下へ運べ」
地下か……。そうなると脱出口が限られてしまうな……。
でも、言い方から察するに、とりあえずはみんな同じところへ運ばれて行きそうだ。その点については安心する。
シュライダーの指示によって部下達が動き出した。わたしにも無骨な手がかかり、いかつい肩に担ぎ上げるようにして乗せられる感覚―――そのままドアを出て廊下を歩く気配が感じられ、辺りに気を配りながらそっと薄目を開けてみると、わたしを運ぶ男の腰から下と流れていく廊下とが目に映った。そのすぐ後ろには別の誰かを担いでいるらしい男の靴先が見える。
しばらくするとわたしを担いだ男が足を止め、少し離れたところで何か固いものがこすれ合ってずれるような、低くて鈍い音がした。
何の音……?
「足元に気を付けろ。大事な商品を落とすなよ」
シュライダーの声が聞こえ、わたしを担いだ男の足が再び動き出す。するとまもなく、地下へと続く深く暗い口と、先の見えないそこへ伸びる石造りの階段が視界に入った。
ここは玄関を入ってすぐに見えた無駄に豪奢な階段の裏側か……? カムフラージュに置いてある像に何かをするとそれが動いて、地下への入口が現れるようになっているのか……?
ちらりちらりと視界に入るわずかな映像を繋ぎ合わせて推察しながら薄暗い地下への階段を降り始めると、視点が変わって、先を行く男達に担がれて地下深くへと連れて行かれる女性達の姿が見えた。リルムもわたしの少し前で担がれているのが見える。
壁に掛けられた薄暗い灯りがぽつんぽつんと間隔を置いて照らし出しているそこは、地下へ下りていくにつれて空気が淀み、湿度も不快さを増して、潮の匂いと生臭さが入り混じったような独特の悪臭に満ちていった。
何だ、この臭い……!?
強烈な臭気に、眉をひそめる。おかげで眠気が少し和らいだけど、涙目になるくらいキツい。いっそのこと、早く鼻が慣れてほしい。
長い石造りの階段の先にあったのは、地下を刳(く)り貫(ぬ)いて造られた、石が剥き出しになったままの鍾乳洞のような牢獄だった。そこの奥にある粗末な敷布が引かれているだけの大きな牢に、全員が横たえられるようにして入れられていく。
全ての女性を運び終え、ガシャン、と金属音を立てて扉が閉められると、鍵をかける音が反響し、二言三言交わしながら男達の足音が遠ざかっていった。やがて上方で何か固いものがこすれ合ってずれるような振動が響き、辺りが静寂に包まれる。
わたしはしばらく周りの様子を窺ってからゆっくりと身体を起こした。まだ少し頭がぼーっとするけれど、だいぶ眠気は抜けたみたいだ。リルムや他の女性達はまだ眠っている。
下手に傷物になるのを防ぐ為か手足を縛られずに済んだし、水着も検(あらた)められなくて良かった。
胸に手を当ててドルクから借りたナイフの存在を確認し、そっと息をつく。
改めて周囲を見渡すと、この地下にはわたし達が入れられた牢の他にも色んな大きさの牢がいくつかあるみたいだった。通路を挟んで反対側にも牢があり、中に囚われているらしい人の影が見える。
見張りはどうやら置かれていないみたいだな。ここから逃げ出すことなど出来ないという自信の表れなのか。それとも決まった時間に巡回が来るシステムになっているんだろうか。
まあ、とりあえずはリルムを起こすか。
「リルム……リル!」
彼女の頬をぺちぺち叩いて呼びかけると、しばらくしてから反応があった。長い睫毛が震え、緑色の瞳がうっすらと開く。
「ん……フレイア?」
何度か瞬きをした後、ハッとした面持ちになって上体を起こした彼女は、辺りを見やって溜め息をついた。
「……ここ、どこ?」
「別荘の地下。多分、玄関から見えた大きな階段の裏側―――あそこにあった隠し通路から連れてこられたっぽい」
「そう……あんた、眠らなかったの?」
「何とか耐えたよ。リルを巻き込んだ責任があるからな」
おかげで眠気が醒めてきたら、噛みしめた頬の内側がじんじん痛んだ。
いたた……放っておくとひどく腫れそうだ。後でアレクシスに治してもらおう。
「―――おおい、あんたら」
しゃがれた声がかけられたのはその時だった。
振り返ると通路を挟んだ反対側の牢から、くたびれた身なりのおじさんが格子を握りこちらを見つめている。
「お嬢さん。あんたらも、クンツに捕まったのか。他の娘(こ)はみんな動かないが、大丈夫か?」
そのおじさんは汚れた服を着て、かなりやつれた様子で髭も伸び、結構前からここに捕まっているらしいことが窺えた。
「みんな眠っているだけだから大丈夫。美味しい話で騙されたんだ、クンツに。おじさんは?」
「オレは漁師なんだが……遠洋漁業に出た先で、奴の悪行を偶然目撃しちまってよ……口封じにここへ連れてこられたんだ。仲間もみんな捕まって、若い連中から人買いに売り飛ばすって連れて行かれちまったよ。オレと何人かの年寄りは、見目が悪くて買い手がつかねぇらしい……どうなんのかな、これから……。まいったよ、本当に……」
座り込んだまま動かない牢の仲間を振り返りながら、おじさんは弱り切った様子でそうこぼした。
漁師……遠洋漁業……クンツの悪行……。
いくつかの符号を示すワードに、わたしは小さく息を飲んだ。
「おじさん達が偶然目撃したクンツの悪行って……?」
「あんたらには馴染みのないことだろうが……捕獲が禁止されているカールマーンという魔物を、クンツの手下が違法に狩っている現場を見ちまったんだ」
―――やっぱり!
わたしとリルムは目配せし合った。
ドルクが言っていた、遠洋漁業に出たまま戻ってこない船が何隻かあるって。連絡が取れずに港の人達は困惑して騒ぎになっていると。
ここにもクンツが絡んでいたのか……!
「酷い光景だったよ。辺り一面の海がカールマーンの血で赤く染まって、生臭い匂いが立ちこめて……。オレらも生きる為に魚は獲るが、獲り尽くしたりはしない。漁師は海の恵みに感謝しつつ、必要な分だけをいただくんだ。だが、クンツは違う……あいつは獲り尽くす気だ。
カールマーンは海神ハルマナーンの眷属と言われる魔物……そのカールマーンをあいつら、みだりに殺しやがって……! 今にきっと、海神様の怒りがクンツの奴に降り注ぐ! 港で度々話題に出てはいたんだ、最近海の様子がおかしいって―――あれはきっと、前兆だったんだ。クンツの所業に対する、荒ぶる海神様の怒りを表しているに違いない……!」
海神ハルマナーン―――伝説の海の王か。
職業柄、その名を耳にしたことはあった。
ハルマナーンの存在は古い書物や昔話、各地の口伝等に度々登場するが、彼(か)の海神が実在するのかどうかは定かでない。姿形も様々な伝えられ方をしていて、統一性がないのだ。
その理由は、各海域に君臨するその時々の魔物の覇者をその地域の人々が「ハルマナーン」という海神の呼称を用いて崇めた為だと考えられている。つまりは海域ごとに「ハルマナーン」と呼ばれる伝説の魔物の王がいるのだ。
この地方の漁師の間ではカールマーンは海神の眷属とされ、神聖視されているのか……。
ここ最近の海の異変はドルクも話していたっけな。ハルマナーンの仕業かどうかは分からないが、海で何かが起きていることは間違いなさそうだ。
「おじさん、分かる範囲でいいからこの牢獄のことを教えてくれないか? 何とかしてここを出たいんだ、クンツの悪行を止める為にも」
「え? こ、ここを出るって?」
わたしの言葉におじさんは耳を疑う様子で落ちくぼんだ目を見開いた。
「バカな、無理を言っちゃいけねぇ……。あんたらみたいなお嬢さんが、まさか」
「無理かどうかはやってみないと分からないよ?」
「ほ、本気で言ってるのか? いったい、どうやって……」
「それはこれから考えるんだけど。まずはその為にも話を聞かせてもらえないかな」
「な、何でそんなに落ち着いていられるんだ? あんたら。本当に、本気か?」
「だから、さっきからそう言ってんじゃない! いいから聞かれたことをさっさと話しなさいよ!」
しびれを切らしてがなるリルムをいなしつつ、わたしは半信半疑のおじさんを促した。
「本当に、本気。だから教えてくれる?」
「わ、分かった……。だが、オレが知っていることなんて、本当に限られているぞ……」
「構わないよ。ここへ連れて来られたばかりのわたし達よりはマシだ」
おじさんは戸惑いを隠せない表情でわたし達を見ていたけれど、やがてぽつぽつと知る限りの情報をわたし達に話し始めてくれたのだった。