魔眼 情動

11


 広大な庭の一角へと場所を移したわたし達は、出店で買い込んできた彩り豊かな昼食を青い芝生の上に広げ、積もる話を後回しにして、今回の件について話し合っていた。

 リルムがコンテストに出場していることを知ったドルクがクラウスとアデライーデの了承を得て、アレクシスとベルンハルトに先立って協力を要請していたのだ。

「君達には前回世話になったし、ここで恩を売っておくのもいいかな」
「ついでだし構わないけど、その代わり飲み代おごれよー」

 二人はそんな感じで快諾してくれて、今に至っているというわけ。

 正直人手が足りなかったし、信頼出来る協力者が得られるのはありがたい。

 芝生の上に円陣を組んで座っているわたし達は、周りから見たら仲良く昼食を囲んで談笑しているようにしか見えないだろうな。実際はどこからも死角が出来ない位置に陣取り、常に周りに視線を配りながら、不穏な内容を話しているわけだけれども。

「フレイアが言ってた『成り行き』ってそういうことだったのね」

 南国の太陽をたっぷり浴びたフルーツをかじりながらリルムがわたしを見た。

「そうなると、ぜひクンツ邸で行われるビュッフェパーティーに招かれたくなるわね。クンツ自身も出てくるんでしょうし、他の招待客からも有益な情報を得られるかもしれないし。抽選枠を作ったのはパーティーを盛り上げる為なのかしら? でもあたしは本選に勝ち進むだろうから、これはフレイアの担当かなー。あんた、抽選に外れたら何としてでも当たった女からその権利を奪い取るのよ! 得意だとは思うけど」

 色々と失礼だな、そんな特技はないぞ!

「ところでその『キューちゃん』の方は大丈夫なの? あんた達全員こっちへ来ていて」

 リルムの疑問にドルクが答えた。

「一昨日大規模な襲撃をオレ達に潰されたばかりだから、相手もすぐには動かないだろう。何か仕掛けてくるとしても、昼間は多分ない。アデライーデの結界が何重にも張ってあるから余程の相手でない限りは、最悪何かあってから駆け付けても間に合う」
「んじゃ、これ食べ終わったら、さっそく別れて動く? あの豪邸にそれぞれアプローチかけてみようか」

 ベルンハルトが散歩に行くか尋ねるくらいの気軽さでみんなを見渡した。こういうことに慣れていないクラウスとアデライーデの顔が多少強張っていたのは、まあ致し方ないだろうな。

「リルとフレイアがいるうちは女の子と一緒に行動した方がいいよね、見咎められた時に言い訳しやすいし」

 アレクシスのそんな意見もあり、予選の結果発表があるまでの間、わたしとクラウス、ドルクとアデライーデ、それにリルム達の三手に分かれて行動することになった。わたしとリルムが抜けた後はドルクとアデライーデはそのまま二人で行動し、残りの三人はそれぞれバラバラに行動する形で、コンテストの本選が始まる頃に一度落ち合うことにして別れた。

 今後の為にもまずはクンツ邸の全貌と侵入経路を探っておかないとな。

「クラウス、わたしが抜けた後は一人で無理するなよ。少しでも不穏な動きがあったらすぐにドルク達と合流して」

 海岸の反対側から散策を装ってクンツの別荘へと歩を進めながらそう気遣うわたしに、彼は頬を緩めた。

「僕は腕っぷしの方はからきしだからね。君が抜けた後は会場内へ戻って人混みの中で情報収集でもするよ」

 うん、そうだな、それがいい。

 会場から流れる賑やかな楽曲が遠ざかりクンツの別荘が間近に迫ってくると、行き交う人の数に対して警備の数が明らかに多くなってきた。散歩するふりをしながら別荘へ侵入出来る経路はないかと目を光らせつつ、クラウスと会話を交わす。

「人は少ないのにメイン会場と変わらないくらい警備がいるんじゃない? こっち側にこんなに人員を割く必要ないだろうに」
「確かにちょっと物々しすぎるね……」

 うーん、やっぱり怪しい!

 一定の距離を保ちつつしばらく建物沿いを歩いていると、ところどころで警備員達が交代の申し送りをしていることに気が付いた。

 ちょうど昼食時の休憩の時間帯なのか? 引き継ぎをする間、警備員達の注意は周りから逸れている。

 ―――よし、ここだ!

 比較的警備が手薄なところを突き、わたし達は一気に建物側へ詰め寄った。植え込みの間や物陰に身を潜めながら移動し、別荘のドアや窓の位置を確認しつつ、覗けそうなところは覗いて、間取りを推察しながら建物の全貌を探る。

 時折遭遇しそうになる警備の目をかいくぐりながらしばし進んで行くと、裏口とおぼしきところへ出た。ドアの傍らには警備員が二人立っていて、辺りに目を配っている。

「ここにもしっかり警備がいるね……」
「うーん、二人か……いざとなったら強行突破出来なくもないけど、なるべくそれは避けたいしなぁ。とりあえず今は来た道を戻って、反対側へ回ってみるか」

 クラウスを促して今来た道を引き返していくと、背後で彼が深い吐息をつくのが聞こえた。

「大丈夫? 疲れた?」
「いや、そんなこと感じている余裕ないよ。慣れないことに緊張しきりで……少し落ち着こうと思って、深呼吸しただけ」

 わたしと違ってクラウスは一般人だものな。こんな潜入の真似事をすること、まずないだろうからな。

 わたしの瞳に気遣わし気な色が浮かんだのが分かったのだろう、クラウスはちょっと笑ってこう続けた。

「大丈夫だよ、緊張はしているけど不思議と怖くはないんだ。君といるからかな。不謹慎かもしれないけど、スリルにも似た高揚感、それに近いものを味わっている感じ。後でどっと疲れが出る予感はするけどね」
「はは、それは多分間違いないな」

 軽口を叩くクラウスに少し安心した時だった。

 前から巡回する警備員がやってきて、樹木の影に身を潜めてやり過ごそうとしたわたし達の背後から、タイミング悪くもう一人警備員が現れた。

 まずいな。そっち側からも来られると、完全に身を隠すことが困難だ。

 周囲に首を巡らせたが、あいにく他に身を隠せそうなところがない。

 ―――今は、ここまでか。

 仕方がない。ここで無理をするわけにはいかないものな。

 わたしはクラウスの青い瞳を見つめ、唇だけ動かして「終了」を告げた。見つかった場合に備えて事前に申し合わせていた「盛り上がり過ぎて人気のない場所へ侵入したバカップル」を演じる動きへと移る。

 わたしの腰を引き寄せるクラウスの肩越しに、こちらへ気付いて剣に手をかける警備員の姿が見えた。

「―――おい、そこで何をしている!」

 声を上げ大股で歩み寄ってくる警備員を油断なく見据えていたわたしの耳に、ジッ、と勢いよくファスナーが引き下げられる音が届いた。

 ―――えっ?

 それを確認する暇なく、視界がクラウスの顔で覆われる。

「フレイア、ごめん」

 詫びる言葉と共に、唇に少し体温の低い柔らかな感触が押し付けられて、わたしは目を見開いた。

 静かに重なった、覚えのある感触―――昔、何度もこの感触を唇に感じたのを思い出す。

 けれど、胸に去来したのは記憶の中にある悦びではなく、頑(かたく)なな拒絶感だった。

 ―――違う。

 脳裏をよぎったのは、冬の朝の澄んだ空気にも似た香りを纏った、しっとりとした熱い唇。

 今わたしが欲しいのは、求めているのは、「これ」じゃない。

 強烈な違和感と抵抗感を覚えたけれど、でも、クラウスが警備員を欺く為にこの行動に出ているのは明白だったから、わたしはぎゅっと目をつぶってそれを抑え込み、彼の衣服を握りしめた。

「そこで何をしている、と聞いているんだ!」

 警備員が荒々しくクラウスの肩を掴んで詰問する。それに気付いたもう一人の警備員も駆けつけてくる。

 振り返ったクラウスはそこで初めて見咎められていることに気が付いたといった風情で、ひどく慌てた素振りを演じながら警備員達に向き直った。

「あ―――す、すみません。僕達―――」

 警備員達はそこで彼の背中に隠れていたわたしの存在に気が付いたようだった。ファスナーを引き下ろされ着崩れたラッシュガードと頬を上気させて瞳を潤ませたわたしを見て、合点がいったような顔になる。

「彼女の水着姿を見て盛り上がる気持ちはわかるが、ここは進入禁止エリアだぞ。受付でもらった紙にも明記されているし、注意を促す看板もあっただろう」
「乳繰り合うなら会場の外で頼むぜ。ったく、こっちは仕事中なんだからよ……やる気が削がれるっての」
「すみません、つい……気を付けます」
「警告で済むのは一度だけだぞ」

 詰め所に連れて行かれて事情を聞かれるくらいは覚悟していたけれど、クラウスの機転と言っていいのか、ともかく彼の演出が功を奏して、わたし達は生暖かい眼差しで注意を受けるだけにとどまった。

「……悪かったね。あれくらいしないと怪しまれるんじゃないかと思って」

 並んで会場の方へと戻りながら改めて謝罪の言葉を口にしたクラウスに、わたしは小さくかぶりを振った。

「いい。結果的にはあれで良かった」

 不本意だったのはクラウスも同じはずだ。任務の為の必要措置だったんだ、仕方がない。

 唇に残る感触を思い起こさないように努めながら胸の奥がどこかもやもやするような気分に苛まれて、わたしはそれをごまかすように口を開いた。

「演技力、あるじゃないか」

 意識的に冗談ぽく言って、どことなく漂う気まずい空気を追い払う。

「そろそろ結果が出ているかもしれないから、見に行ってこようかな。クラウス、また後で落ち合おう。くれぐれも気を付けてよ」
「了解。……幸運を」
「はは、本選出場はないから。ビュッフェパーティーが当たるといいんだけどね……」

 苦笑混じりにそう告げて結果発表の確認に向かうわたしの背中を見送ったクラウスの口から、やるせない溜め息と共にこんな独白がこぼれ落ちたことを、わたしは知る由もなかった。

「―――……唇、固かったなぁ……」



*



 例の天幕のところへ戻るとそこには予選の結果が張り出されていて、女の子達の歓声と悲鳴とが交錯していた。

 おお、出てる。どれどれ……。

 張り出された数字に目を通していくと、予想はしていたことだけどそこにわたしの番号はなくて、やっぱりな、とひとつ息を吐く。意外だったのは、そこにリルムの番号もなかったことだ。

 ええ? 確かあの娘(こ)、35番だったよな?

 見間違いかと思ってもう一度確認してみるけれど、やっぱりない。

 ウソだろ? 周りの反応も良かったし、本人もその気満々だったのに。

 わたしもてっきり、リルムは午後からの本選に進むものだと思っていた。世の中、分からないモンだなぁ……。

 ところで、抽選で当たるというビュッフェパーティーの当選者はどうやって知らされるんだろう?

 きょろきょろしていると、傍らから「失礼」と声を掛けられた。そちらを見るとこの暑いのにキチンとした給仕の身なりをした壮年の男性が立っていて、わたしの着けた番号を目で確認しながらこう述べた。

「78番、フレイア様ですね? 本選出場は叶わず残念でしたが、おめでとうございます、クンツ・オーヴェルフ邸で行われるビュッフェパーティーへ貴女をご招待させていただくことになりました」

 ―――よっしゃ!

 思わず心の中で拳を握りしめる。そんなわたしに、その男性は上質な紙で作られた品の良い白封筒を手渡した。

「本選終了後、こちらの招待状をお持ちになって、あちらに見えるクンツ邸の正面玄関へいらして下さい。なお、これは『ミスオーシャンブルーコンテスト』を記念して催されるパーティーですので、お着替えなされず、そのままの格好でお越し下さい。何かご質問はございますか?」
「えっと……このパーティーに招待されるのは、わたし本人だけになるのかな? 連れは……」
「招待者は出場者様ご本人様のみになります。申し訳ございませんが、お連れ様は招待者に含まれません」
「そうか、分かった。ありがとう」
「詳細はそちらの招待状にも明記してございますので、ご確認下さい。それでは、お待ち致しております」

 折り目正しく一礼して、その男性は次の当選者のところへと去っていった。

 ふぅん……こんなふうに当選者を知らせることになっているのか。何だか手間のかかるやり方だなぁ、本選出場者を張り出した横にでもパーティーの当選者を張り出しておけば、分かりやすくていい感じがするけれど。

 まぁこの方が親切と言えば親切だし、特別感もあってありがたみも感じるのかもしれないけどさ。

 招待状に目を通してみると、招待客はパーティー終了後にクンツ邸の馬車で自宅まで送ってもらえることになっていて、連れの人間は各自で帰ってもらうように記されていた。コンテスト終了後も夕方まではお祭り騒ぎが続き、引き続き各店舗も出ているので、それまでは会場内にいてもいいらしい。

 しかし、ビュッフェパーティーも水着で参加とは……今日は何だか、水着を着たままで一日が終わってしまいそうだ。
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