施術用のベッドの上で用意された枕に頭を乗せ仰向けになったわたしは、顔からデコルテへかけての施術を受けていた。胸から下には大判のバスタオルが掛けられていて、鎖骨から上だけが出ているような状態だ。
閉じ合わせた両手の指で代わる代わるわたしの額を撫で上げるドルクの指は、波のような滑らかな動きと羽根のような柔らかなタッチで、まるでひと繋ぎになった高級な絹布(けんぷ)のようだ。彼はその動きでわたしの顔の筋肉を弛緩させ、陶酔の世界へと誘(いざな)っていく。
咲き誇る花々を連想させる香油の清涼な香りと、室内に焚かれたリラックス効果があるという上品で優しい香の匂いも手伝って、わたしは再びうとうととまどろんできてしまっていた。
こんな環境で好きな男(ひと)にマッサージを受けているという状況は、考えてみたらものすごく贅沢なことなのかもしれない。
顎の付け根や首筋、肩の凝りを丁寧にほぐされるととても気持ちが良くて、鎖骨の辺りを緩やかに施術される頃には半分意識が飛んでしまっていた。
そんな遠のきかけたわたしの意識を手繰り寄せたのは、マニュアルに則(のっと)ったドルクの声だった。
「失礼します」
胸から下を覆っていたバスタオルが腹部の辺りまでまくられて、ふたつに折り畳まれるようにして下半身に掛けられるのを感じ、わたしは気だるい瞼を押し上げた。
ドルクのこの声掛けの後は、油断がならない。
「さっきも言ったけど、水着を脱がせるような施術はなしだぞ」
まどろんだ意識を覚醒させながら口酸っぱく再三の念押しをするわたしを見やり、改めて香油を手に取ったドルクは苦笑をこぼした。
「そんなに警戒しないで下さい。さっきも言いましたけど、露出させることはしませんから」
そうは言われても、あれだけされれば警戒したくなる。今日といい、この間といい―――あんた、ずるいんだもん。
「……。ここ―――まだ、分かりますね」
不意にドルクの指がすい、と動いて、心臓の真上にある内出血の痕に触れた。
「あっ……」
急にそこへ触れられて、思わず声が漏れてしまう。
自前のホルターネックタイプのビキニと比べて今着けている施術用の三角ビキニは圧倒的に布面積が少なかったから、そこが完全に露出して見えていた。
ドルクの大きなこげ茶色の瞳と目が合う。吸い込まれるようなその瞳から目が離せずにいると、頭上からそっと近付いてきた彼の唇がわたしの唇に重なって、触れるだけの淡いキスをされた。
あ……。
きゅう、と胸がしなり、心臓が高鳴って、離れていく彼の唇を名残惜しく目で追ってしまう。
ドルクはそんなわたしに柔らかく微笑みかけると、鎖骨の辺りに置いた手を不意にするりと下へ滑らせた。
「あっ!?」
予告なくビキニの中に手を突っ込まれて、動揺する。涼しい顔をした彼に胸を揉みしだかれるようにして香油を塗り込まれ、わたしは狼狽の声を上げた。
「や……! ちょ、ちょっと!」
「露出はしてませんよ?」
「は……やぁっ、ず……ずるい!」
そ……そう来るのか!
わたしは身じろぎしながらドルクの手を止めようと彼の腕を握ったけど、その動きは止まらなくて、ぬるぬると卑猥にわたしの胸を揉みしだき続ける。
しまった、さっきお尻を露出させられたインパクトが大きすぎた。脱がされることばかりに気が行っていて、こういった可能性を考えることがおろそかになっていた。
「や、やめ……!」
「バストトップには触れませんから、安心して下さい。そこはお客様との合意が必要な規則になっていますから」
事務的な口調で説明しながら、ドルクはわたしの胸の形を自在に変えて滑らかに揉みしだく。
確かに胸の先に彼の手は触れていなかったけれど、色づいたその周りにはしっかりその指が及んでいて、香油で滑りが良くなった魔性の指先にわたしは翻弄された。
「んっ……ふ、んんっ……!」
こ、こんなの―――感じるなって言う方が無理だ。
眉根を寄せきつく結んだ唇の先から、どうしようもなく熱い吐息が漏れてしまう。
「くすぐったいですか……?」
そうじゃないと分かっているくせに、わざとそう聞いてくる男を潤んだ瞳でにらみつけると、余裕の表情で微笑まれて、持ち上げた両胸を中央に寄せるようにして圧迫された。
「やっ……!」
抵抗らしい抵抗も出来ないまま、その動きを何度も何度も繰り返され、胸の外側に這わせるようにした指を執拗に絡められているうち、次第に胸が火照りを帯びて、たまらなく熱くなってきた。
「……!?」
腋の下の少し下から、外側の胸の輪郭にかけての場所。ここ、背中を施術されていた時も最後にドルクに刺激されて、くすぐったいような変な感じがして、やめてもらったところだ。そこを再び攻められている。
思い返してみれば、エリスの屋敷でも執拗にここを触られていたような……?
そこに気が付きはしたけれど、それがどういう意味を持つものなのかは分からなくて、ただ熱くなっていく胸に切なく身体をよじらせる。
今までも胸を愛撫されたことはあったけど、これまではいずれも布越しだったから、直接触られて行われる初めてのその行為は、香油の威力も手伝って、それまでとは比べようもなかった。
ふくらみを包み込む男らしい掌に、巧みに動く形の良い長い指に、どうしようもなく感じてしまう。声を堪(こら)えているのが、辛い。
「……ぁ……、ふっ……!」
身体を震わせて耐えるわたしを苛むドルクの指の動きが、また少し変わった。親指で腋の下の少し下辺りにあるツボらしき部分を押しながら、残りの指で円を描くようにして胸の輪郭を内側に圧すようにしてマッサージしてくる。
そうやってマッサージされながら、時折掌全体で包み込むようにきゅっ、きゅっ、と揉みしだかれ、尖りきった先端にはギリギリ触れぬように色づいた部分だけを指先でなぞるように刺激されて、切ない感覚だけが熱くなった胸に降り積もっていく。
「っぁ、やぁっ……」
頬を紅潮させ震える息を吐き出すわたしの様子を確認しながらその動きをじっくりと繰り返していたドルクは、やがてマッサージの手を止めると静かにこう尋ねてきた。
「どうしますか? 要望があればバストトップの施術も行いますが」
「……!」
真っ赤な顔で息を詰めるわたしの答えを促すように、止まっていた彼の手が再び動き出した。指先を胸のふくらみの下から上へと静かに這わせ、バストトップの手前で止めて、また下へと這わせてわたしの表情を窺う彼に、わたしは切なくかぶりを振りながら吐息を紡ぎ出すようにして答えた。
「いいっ……しなくて」
もう限界。これ以上されたら、おかしくなってしまう。
ドルクはわたしのその答えを予想していたように頷いた。
「分かりました。では、次へと移りますね」
言いながらビキニから手を抜き様、わざと両胸の先端をかすめられて、蕩けるような甘い痺れが胸を突き抜けた。
「はぁんっ……!」
突然のことで、声を抑えることが出来なかった。嬌声以外の何物でもない蕩け切った声が室内に響き渡り、恥ずかしさと驚きで自分の口を押さえる。胸は未だじんじんと甘い余韻を訴えていて、信じられないくらい敏感になっている自分の身体にわたしは戸惑いを禁じ得なかった。
「そんな可愛い声を出されると……」
困ったようなドルクの言い様に全身を朱に染めながら、ぎゅっと自分の身体を抱きしめる。
何だか変だ、胸の先をかすめられたくらいであんなに感じてしまうなんて。
「こ、香油に媚薬とか入ってるんじゃないだろうな!?」
恥ずかしさも手伝って詰問口調になると、ドルクはそれをやんわりと否定した。
「こういう店なのでオレも初めはそれを疑ったんですが、ここで使われているものは本当に純度の高い香油ですよ。金額が法外な分、そういうところには気を遣ってきちんと質の良い物を取り揃えているみたいです。女性の美への執着は並々ならぬものがありますから、その辺りは気が抜けないんでしょうね」
「ほ、本当に?」
「あなたに変なものは使いませんよ」
心外な、と言いたげな面持ちでこちらを見やったドルクは、次の瞬間魔狼の表情になってわたしの顔を覗き込むと、声を潜めてこう尋ねた。
「媚薬を使われている、と思うくらい感じました?」
「……!」
「嬉しいですね。男として、そんなに感じさせることが出来たという事実は」
くうぅ、何を言っても自爆しそうな気がして、何も言えない。
「余談ですが、アレクシス曰く『カンタネルラ』は古代語で『媚薬』という意味らしいですよ」
媚薬―――わたしにとっては、あんたそのものが「媚薬」だよ……。
口には出せないそんなことを思いながら、わたしは施術スタッフ用の青い制服に身を包んだ恋人を見た。
穢れなく整った純真な少年のような容貌とは裏腹に、表情ひとつ、言葉ひとつ、指先ひとつでいともたやすくわたしを翻弄する、魔狼のような本性を併せ持った青年。
わたしを捕えて離さない男(ひと)―――。
そしてこの後、わたしはその認識を一層強める事態を身をもって体感することとなるのだ。
*
腹部へのマッサージが始まってすぐ、わたしは自分の異変に気が付いた。
えっ……!?
特に変わったことをされているわけではないのに、香油をつけたドルクの手が肌に触れるだけで、ぞくぞくと腰が疼くような感覚に襲われてしまう。
「ふ……っ……」
色づいた吐息が漏れそうになって、わたしは慌てて唇を引き結んだ。
ドルクは真面目に施術を行っていて、わたしの腹部の上から下へと圧をかけて血流を促している。
何で……!? こんな、普通にマッサージされているだけなのに。
さっきまでは心地良いと感じていたはずの刺激なのに、それを受け止める身体が過敏になっていて、わたしは大いに戸惑った。
どうしよう。変なスイッチが入っている。
あせった側(そば)からドルクの指に反応して、小さく身体が揺れた。
「んっ……」
ダメだ、声を我慢しないと……!
身体が変なふうになっていることをドルクに気付かれたくない一心で、わたしは必死に気を逃がしながら耐え忍んだ。時折身体を震わせながらも頑張って、どうにか彼に異変を気付かれることなく腹部のマッサージを乗り切った。
「では、最後の仕上げに移りましょう」
ホッとする間もなく下半身を覆っていたバスタオルを取り去られて施術を終えた上半身へとそれが掛けられ、わたしは慌てて声を上げた。
「ドルクッ―――」
「安心して下さい、さすがにお客様の同意なくショーツの中に手を入れたりはしませんから。脱がしたりもしませんよ」
わたしの反応をそう解釈したらしい彼にそう声を返されて、わたしは二の句を言い淀んだ。
そ、それも確かに心配なことではあったけど―――今はそれよりも、何よりも、自分の身体の状態がまずくて。
わたしは膝小僧を内側に向けながら、どうしたらこの場を切り抜けられるかと頭を巡らせたけど、考えがまとまらないうちに仕上げのマッサージを受ける流れになってしまい、内心でうろたえた。
どう、しよう!?
これで最後、あと少しだと分かってはいても、正直耐えられる自信がなかったし、それに―――ショーツの方も見た目がどうなっているか心配だった。
でも、中止を申し出たところでその理由を告げるのもためらわれて、どうしたらいいんだろうと決めあぐねているうちにマニュアル通りの声掛けをされて、ドキン、と心臓が跳ねた。
「失礼します」