リゾート地として有名なダハタ地方の中心都市ダハール―――その街の一等地にある高級旅宿、その最上階にある特別室のテラスに面した窓から、わたしは一人夜の海を眺めていた。
室内は天蓋付きの大きなベッドがある広い寝室の他に、立派なダイニングや真鍮(しんちゅう)の脚が付いた浴槽付きのシャワールーム、紺碧の海を臨む絶景のテラスまで付いていて、調度品ひとつ取ってみても、いつも泊まっている旅宿とは高級感がまるで違う。
スゴく、特別。
特別な感じだ……。
シャワールームから微かに聞こえてくる水の音を意識しながら、わたしは素肌の上に纏ったバスローブを軽くめくって自分の身だしなみをチェックした。
先にシャワーを使わせてもらって身体の隅々まで綺麗にしたし、おろしたてのまっさらな下着も問題ない。
主要な明りの落とされた室内はヘッドボードの傍らに置かれている小洒落たカンテラの灯りと窓から差す淡い月明りだけになっていて、密やかな夜の気配に包まれている。
月明りだけにしてもらうとして、どのくらい見えるのかな。
そんなことを考えていた時、シャワールームのドアが開く音がしてバスローブを羽織ったドルクが出てきた。タオルで無造作に頭を拭く彼の姿を視界に捉えて、ドキリ、と心臓が音を立てる。
「海を見ていたんですか?」
いつもと変わらない口調で尋ねてくる彼に、わたしはぎこちなく頷いた。
「うん……月の光を映して綺麗だなと思って」
「昼間とはまた違った趣がありますよね」
そう声を返す彼の容貌も、昼間とはまた違ったものに見える。
いつもは整髪料で立ち上げている前髪がしっとりと濡れて額に下り、整った清らかな面差しを少しだけ妖しげに見せている。どこかあどけなさを残すその容貌とは裏腹に、バスローブの合わせ目から覗く首から胸にかけての骨太なラインが男らしい色気を醸し出していて、わたしの鼓動を不規則にした。
「……緊張してます?」
どことなくうつむきがちになるわたしの頬に手を伸ばしながらそう聞いてくる彼に、隠せないと悟ってわたしは小さく頷いた。
忙しなく響く動悸が耳の奥で反響して、全身を支配している。自分でも思った以上に緊張してしまって、指先が冷たくなっているのが分かった。
「……震えてる。可愛いな」
月明りを映した大きなこげ茶色の双眸が凄艶な光を湛えてわたしを捉えた。魅惑的なその顔がゆっくりと近づいてきて、彼の額がわたしの額にこつんと合わさる。
「出来るだけ、優しくしますから……」
囁きながら距離を詰めてそっと重なる温かな唇。わたしの緊張を解きほぐすようについばむような優しいキスを角度を変えて繰り返しながら、ドルクは次第に口づけを深くしていった。
わたしを抱き寄せる彼の肌からわたしと同じ石鹸の香りが仄かに立ち、夜の空気に溶けていく。
柔らかく食むように、時に悪戯にそよぐように―――しっとりと甘やかに口づけられて、強張っていた身体からだんだん力が抜けていく。巧みなドルクのキスに誘(いざな)われて、わたしは緩やかに陶酔の世界へと足を踏み入れていった。
微かな衣擦れの音と共にわたしの肩からバスローブが滑り落ち、足元にしどけなく波を打つ。そのぬくもりを感じながらそっと瞼を開くと、息を凝らすようにして下着姿になったこちらを見つめる熱い眼差しにぶつかって、思わず頬が赤らんだ。
フリルとレースがふんだんに使われた、上下おそろいの白の下着。ブラのカップの間とショーツのサイドはレースの紐で結ばれている仕様で、リルムの評価は微妙だったけど、わたし的には結構頑張ったつもりだ。
これ、ドルク的にはどうなんだろう。この下着、変じゃないだろうか。彼の好みに、合っているんだろうか。
そんな思いが胸をかすめる。注がれる彼の視線に耐えられなくて、わたしは目を逸らしながらか細い声を絞り出すようにした。
「そんなに見られると、恥ずかしい……」
「ああ、すみません……見入ってました。あなたがオレに見せる為に―――オレに脱がされる為に用意した下着なんだと思うと、たまらなくて」
―――なっ、何て言い方をするんだ、もう!
率直な彼の物言いに、わたしは顔を真っ赤にした。
その通りなんだけど、それ以外の何物でもないんだけど、そんなふうに言われたら恥ずかしくてたまらなくなるじゃないか!!
「困ったな。下着姿のあなたをもっと見ていたい気持ちと、これを早く脱がしたい衝動に苛まれる―――」
「はっ、恥ずかしくなるようなことばかり言うなよ……!」
募る羞恥を堪(こら)えきれず彼の言葉を遮るようにして言うと、ドルクは薄く笑ってわたしの顔を覗き込んだ。
「知ってました? オレ、あなたの恥ずかしがる顔が好きなんです。可愛くて、たまらなくて―――もっともっと、恥ずかしがらせたくなる―――」
言いながら湿った音を立てて首筋を吸われ、色を帯びた声が鼻から抜ける。
何となく、そういう雰囲気は感じていたけれど―――面と向かってそう言われて、納得する気持ちと気恥ずかしさとでいっぱいになった。
「そう、その顔―――スゴくそそられます」
弱い首筋にわざと歯先をかすめるようにして囁かれ、ぞくぞくとした感覚が背筋を這い上っていく。肌を上気させて吐息を乱すわたしの様子を窺いながら、ドルクは徐々に唇を下へ滑らせていった。
「首―――弱いですよね。肩も……」
温かく濡れた舌で首筋を攻められ、たどり着いた肩を甘噛みしながら指先でつ―――と肩甲骨をなでられて、その刺激に身体が震える。ゆったりと背中をなで下ろしたその手でわたしの腰を引き寄せるようにしながら、ドルクはもう一方の手で緩やかに鎖骨を愛(め)で、中心の丸いくぼみに口づけた。
「んんっ……」
肌に触れる洗いざらしの彼の髪がひんやりとしてくすぐったい。色づいた声を漏らすわたしの胸の間に下りてきた煽情的な唇がレースのリボンを引っ張って、するりとほどき去った。しどけなく緩んだ下着を左右に退(の)けられふるりと露出した胸を、男らしい無骨な手が下から持ち上げるようにして包み込み、ゆっくりと揉み揺らす。
「あぁっ……」
小さく吐息を震わせるわたしを見つめながら、気持ち呼吸を荒げたドルクは感慨深そうに呟いた。
「こうやってちゃんと見ながら触るの……初めてですね」
確かにそうだ。胸を直に見られたことも触られたこともあるけれど、こんなふうに胸を露わにされて触られたことは、今まで一度もなかった。
揉み揺らされて柔らかく形を変える、わたしの胸を注視するドルクの視線に肌が焦げ付くような錯覚を覚える。昂る彼の気配に煽られて、わたしの熱も上昇していった。
目で、手で、しばらくわたしの胸を堪能していたドルクはやがて、両胸の先端を親指でなで下ろすように刺激してきた。なで下ろされて、返す指でなで上げられて、それを何度も何度も繰り返され、胸の先に痺れるような甘い疼きが広がっていく。
「あっ……ぁんっ……」
素直に反応するわたしを見やりながら、ドルクは蠱惑的に瞳を細めた。
「ここ……感じやすいですよね……」
「しっ、知らなっ……」
そう言われたことが恥ずかしくてとっさにかぶりを振ろうとすると、彼の器用な指先が動きを変えて薄紅の尖りを卑猥に弄び、そこが瞬く間に甘い疼きで満たされて、わたしは切なく身をよじった。
「ぁんっ……! あ、はっ……!」
「ほら……こんなに可愛い反応を見せる」
「こ、これはあんたがっ……」
赤くなりながらわたしは奥歯を噛みしめた。少なくともドルクに触られるまで、わたし自身には胸が弱いという認識がなかった。そもそも、ここがこんなに感じる場所だという印象もなかったのだ。
「……オレが? 何ですか?」
「あっ、あんたが、あんたの触り方がっ……」
「オレの、触り方が?」
うっすらと笑みを刻んで楽しそうにわたしを促しながら、ドルクは指先で淫らな刺激を送ってくる。胸の先に満ち溢れていく甘美な感覚にわたしは眉をひそめて言い淀んだ。
「はっ……、やぁっ……」
「何ですか、フレイア? ちゃんと言って下さい」
「んんっ……あんたが、そんなふうに触るからっ……! こんな、こんなになるの、知らなかったっ……!」
「へえ? オレに触られるまで、こんなふうには感じなかったってことですか?」
わたしの言葉はドルクの何かを焚きつけてしまったらしい。指の動きが卑猥さを増して快感が強くなり、きゅうきゅうとしなるような感覚が胸から下腹部へと下りていって、気持ちがいいのにもどかしいような切ない体感に苛まれる。
「はっ、あぁっ……!」
「嬉しいこと、言ってくれますね……」
びくつく両胸の先端を指先できゅっと摘ままれ、甘い刺激が駆け抜けた。
「んぅっ……!」
びくんっ、とのけ反るわたしのそこを親指と人差し指で挟みこむようにしたまま、ドルクは絶妙な力加減で優しく扱(しご)き上げるように指をすり動かした。
「―――、っ!」
ダメぇ、それっ……先っぽが、蕩ける……!
わたしは頬を紅潮させて唇を噛みしめた。胸の先が蕩けてしまいそうなたまらない快楽に襲われて、小刻みに腰を震わせながらそれに耐えていると、右胸の先端を突如熱い口内に導かれ、その熱さと粘膜に包まれる感覚に身体が大きくわなないて、口からあられもない声が上がる。
「―――ふぁっ……!? あぁっ!」
強い刺激から反射的に逃げようとするわたしの腰を左腕で抱え込むようにしながら、ドルクは濡れた舌先でじっくりと色づいた尖りをいらい、もう一方の胸をそのまま右手で執拗に愛撫してくる。
「はぁっ……あぁっ!」
もたらされるおかしくなりそうな感覚にじっとしていられない。わたしは身体をよじりながら反り返って喉を晒した。
やっ……ど、どういう舌の動きをしてるんだ!? 指の動きも、予想がつかなくて……!
太刀打ち出来ない。翻弄される。
全身を朱に染めながら、わたしはひたすら喘ぐことしか出来なかった。
「ふっ、あぁっ、んんんっ……!」
尖り切った先端に巧みに舌を絡ませながら緩く歯で扱かれ、かと思うと唇で挟まれて強弱をつけながら吸われ、頭の奥が熱く甘く痺れてくる。彼の手と唇が反対側を愛撫し始める頃には、ひっきりなしに喘ぐ自分の声がまるでどこか遠くのもののように聞こえた。
降り積もり渦巻いていく出口の見えない快感に、呼吸が荒ぶり、身体がたまらない熱を帯びていく。
「ぁんっ、ぁあっ、やぁ、もうっ……!」
気持ち良くて、でも切なくて、もどかしくて―――享受しきれない快感に膝がガクガクして、立っていられなくなる。
それを察したドルクが不意に愛撫を止めるとわたしをふわりと抱き上げて、ベッドまで運んでくれた。
天蓋付きの広いベッドの上に柔らかく横たえられて、乱れた呼吸が整わないまま熱で潤んだ双眸を彼に向けると、手早くバスローブを脱ぎ捨てたその鍛え抜かれた肉体が視界に入って、思わず息を止めた。
綺麗だ、と思った。
夜を纏い、月明りとベッドサイドに置かれたカンテラの灯りに映し出された彼の身体は濃い陰影を滲ませて艶を帯び、匂い立つような男の色香に溢れていた。
不意にその身体に触れたくなって、手を伸ばす。胸の辺りに触れると温かくて硬い鋼のような質感と、力強く拍動する彼の鼓動が伝わってきた。
初めて触れたドルクの素肌に、胸が高鳴りを打つ。頬を染めて黙り込むわたしの顔を彼は不思議そうに見つめ返した。
「……どうかしました?」
「……。あんたにこうして触れたこと、なかったと思って……」
「そういえばそうですね……どうですか? 触れてみて」
「うん……筋肉の質感がわたしとは違って、男らしいなって……何ていうか、こそばゆいような感じと……それと、あんたもドキドキしてくれてるんだなぁって分かって、何かこう、嬉しかった」
心臓の上に手を置いたわけじゃなかったのに、指に触れた拍動。ドルクもわたしと一緒で、普通の状態じゃないんだ。それが分かって……。
するとそれを聞いたドルクはふと瞳を和らげてわたしの赤毛を優しく梳いた。
「当たり前でしょう? ずっとずっと好きだった女(ひと)とこうしているんです―――平静じゃいられませんよ」
その言葉が、わたしの心の琴線を大きく揺り動かした。
―――もっと、触れたい。
突き上げてくる衝動に導かれるがまま、彼の背に回した腕でその身体を引き寄せるようにして、たくましい胸の中心に口づける。
「―――っ、フレイア……」
突然のわたしの行動に虚を突かれた様子のドルクの声を耳にしながら、唇を滑らせて彼の心臓の真上にたどり着くと、そこをきつく吸い上げた。
「……っ」
ドルクが微かに息を飲む。先日彼にされたように少しずつ唇をずらしながらその周辺を吸い上げて赤い花を咲かせると、ひどく色気のある吐息が彼の口からこぼれて、わたしをたまらない気持ちにさせた。
こんなの、初めて―――何て色っぽいんだ……男のくせに。
「ふふ……おんなじだね」
模倣したキスマークを付け終え悪戯っぽく微笑みかけると、濡れた瞳でわたしを見下ろしたドルクは微かに口角を上げ、滾る欲望を露わにした。
「本当に、あなたは―――オレをこんなに煽って、優しく出来なくなっても知りませんよ」
「そ、それは困る。そこは何とか努力してくれないかな」
「今もかなり努力はしているんですよ……あなたは自分の魅力に無自覚だから―――」
ぎしり、とベッドのスプリングを軋ませて、ドルクはわたしの胸に咲いた内出血の痕に指を這わせた。
「ここ―――どうしましょうね? 治すという話でしたけど……」
「このままでいい―――自然に治るまで、あんたとおそろいにしておく……」
「……そう言ってくれたら嬉しいと思ってました」
微笑んで近付いてくるドルクの整った顔がやけにハッキリと見えることに、その時わたしは気が付いた。そこでようやくカンテラの灯りがつけっ放しだったことに思い至り、慌てて彼にこう頼み込む。
「ドルク、灯り―――消して」
そうだった、月明りだけにしてもらおうと思っていたのに雰囲気に流されてすっかり忘れていた。
「消さないと、ダメですか?」
少し残念そうな彼の声にちょっと心を動かされながらも、やっぱり恥ずかしさが上回って、小さく首を振る。
「恥ずかしいよ……無理」
「……分かりました」
苦笑気味の承諾と共に枕元の灯りが消えて、室内が蒼い月明りだけになる。おぼろげになる視界にそっと安堵の息を漏らしながら、わたしはもうひとつ大事なことをドルクに話しそびれていることに気が付いた。
「―――あの、ドルク」
「何ですか?」
「避妊……のことなんだけど」
そう切り出すと、わたしの頬を指でたどっていた彼は思い出したように頷いた。
「すみません。大事なことなのにきちんと話していませんでしたね。避妊具は用意してありますから……ちゃんと着けますから、安心して下さい」
ドルクはドルクできちんと用意してくれていたんだ。
そのことを嬉しく思いながら、わたしは彼に避妊薬のことを話した。
「あの……実はわたしも、準備してて。えっと、避妊薬を飲んであるんだ。だから、その―――今日はドルクが着けなくても、問題ないから」
「―――そうなんですか?」
薄闇の中でドルクがこげ茶色の双眸を瞠り、瞬かせるのが分かった。
おお、ドルクが驚いている。
普段彼に驚かされっぱなしの身としては、さっきに続く珍しい逆転現象に少し浮き立った気分になった。
「思いがけないサプライズをしてくれますね。避妊具なしであなたと繋がれるとは思っていなかった―――嬉しいです、とても」
ドルクはそう言いながら、どこか深い想いを滲ませる語調になって呟いた。
「本当に、あなたはいつもオレを驚かせてくれる……」
うん? それはこっちの台詞(セリフ)だと思うんだけど―――……。
心の中を走ったそんな思いは、わたしに覆い被さるようにしてきたドルクのキスに阻まれて、わたしの口から出ることはなかった。