「気になる依頼をあらかた片付け終えたら、付き合ってほしいところがあるんですけど……お願い出来ますか?」
そう申し出た彼の態度がいつになく改まったもののように感じられて、わたしはそれに少々戸惑いながら頷いた。
「? それは別に構わないけど……」
突然、どうしたっていうんだろう。
「何ならそっちを先に済ませてもいいけど。どんな用事?」
清らかに整った彼の面差しをしげしげと見つめながらそう尋ねると、軽く首を振って話を打ち切られた。
「急ぎではないので、後でいいです」
「そう……」
ドルクが今はそれを話すつもりがないのだと分かってわたしはそれ以上追及しなかったんだけど、この時のことは胸の片隅に引っ掛かって残った。
だって、こんなの初めてだ。
でも、彼がいずれそれを話してくれるつもりでいるらしいことは分かったから、気にはなりつつもそれまで待とうと思えた。
ドルクがこんなふうに改まってお願いしてくるなんて―――いったい何なんだろう?
全く心当たりはなかったけれど、それを知る機会は存外早く訪れたのだった。
*
オルフラン地方へ来て三件目の依頼をこなした帰り道だった。
乗合馬車に揺られてうとうとしていると馬のいななきと共に急ブレーキがかかり、反動で座席から投げ出されそうになって、わたしはとっさにシートに掴まり事なきを得た。
な、何だ!?
多くの乗客達は突然座席から投げ出されてあちこちに身体を打ちつけ、車内は騒然となっている。
ドルクと共に馬車の外へ出てみると、近くの斜面から流出したらしい大量の土砂で道がせき止められ、それを目の当たりにした御者のおじさんが興奮した馬をなだめながら困り果てた様子で立ち尽くしていた。
「まいったなぁ……昨日までこんなことになってなかったのに」
今日は久々に太陽が顔を覗かせていたけれど、ここ最近は天気が悪くて激しい雨が降る日が続いていたから、そのせいで地盤が緩んでいたんだろうか。
それにしても半端ない量だ。これは―――通るの、無理だな……。
素人目にも無理だと分かる土砂の堆積具合を御者のおじさんと一緒になって溜め息混じりに眺めていると、後から馬車を降りてきた他の乗客達も目の前の惨状を見て口々に嘆きの声を上げた。幸いなことにひどいケガを負った人はいなかったようだ。
「どうするんだよこれ、通れないじゃないか」
「困ったなぁ……迂回路は?」
「今日中にオルフレアにたどり着けるの?」
「―――え、ええと。すみません、少しお待ち下さい……」
御者のおじさんはわたし達に向かって申し訳なさそうに頭を下げ、顔に困惑を刻みながら地図を広げて迂回路を探している。
黄昏色に染まり始めた空を見やりながら、今日中にギルドの支部があるオルフレアにたどり着くのは無理そうだなと心の中で吐息をついた。
「巡り合わせ、か……」
ふと隣に立つドルクからそんな呟きが漏れた。
うん?
どういう意味かと思ってそちらに首を巡らせると、わたしの視線に気付いた彼は淡く微笑んで口をつぐんだ。
「……いえ」
そのままドルクは弱り切った様子の御者のおじさんへと歩み寄って声をかけると、彼と迂回路について協議し始めた。わたしも彼らのところへ行って後ろからその話に耳を傾ける。
まずは土砂崩れで道が塞がれているこの状況を然(しか)るべきところへ連絡しないといけないということ、それから迂回路を使って今日中にオルフレアにたどり着くというのは無理だという結論に至り、とりあえずは近くにあるロベンダという比較的大きな町を目指して、乗客達はそこから各々別の馬車に乗り換えて目的地へ向かってもらうことになった。
「お手数をおかけして、申し訳ありません」
御者のおじさんは憤懣(ふんまん)やるかたない様子の乗客一人一人に丁寧に頭を下げてお詫びしていた。
大変だよなぁ。土砂崩れは誰のせいでもないのに。
彼は最後にドルクのところへやって来てお礼を言った。
「いやぁ、突然のことであせりました。まさかこんなことになるとは思ってもいなかったので……アドバイスしてもらえて助かりましたよ。慌てちゃいけないと分かっていても、いざとなると慌ててしまうものですな。いやいや、本当にどうもありがとうございました」
「いえ」
軽く首を振ってドルクがそれに応じる。おじさんは彼にぺこりと会釈して御者台へと戻り、少し間を置いて手綱を操る音が聞こえると、それに合わせて馬車がゆっくりと動き出した。
「ドルク、この辺りの地理に詳しいんだな?」
再び動き出した馬車に揺られながら何の気なしに傍らの彼にそう尋ねると、思わぬ回答が返ってきた。
「ああ、オレこの地方の出身なんですよ。だから比較的」
びっくりし過ぎて、反応が一拍遅れる。わたしは茶色の瞳を盛大に瞠って彼に聞き返した。
「えっ、そうなの!? オルフラン出身!?」
「そういえば話していませんでしたね」
聞いていない! ていうか、それを言うならわたし自身もまだ自分の出自をきちんと彼に話せてないな。
今更ながらそんなことに思い至った。
思えば出会った頃にわたしもドルクも互いの故郷を魔物に襲われた、似たような過去を体験しているという趣旨の話をほんの少ししただけで、そこからずっとお互いその話題には触れてこなかった。
だからわたしも彼も互いの故郷がどこで、そこで何があったのか―――具体的なことは何も知らない。
気にならなかったわけじゃないけど、何となく相手の心の傷に障るような懸念があって、これまでどこか意図的に避けてきていた話題だった。
でも、それじゃいけないよな。
ドルクとの関係も変わって公私共にパートナーと呼べる存在になった今、わたし達は今のわたし達になるきっかけとなったそこを互いに知るべきなんだと思う。
わたしは意を決して口を開いた。
「今更だけど、わたし達、お互いの故郷のことって何も知らないんだよね。わたしもさ、自分からちゃんと話したことなかったし……今度さ、聞いてもらいたいな。でもって、あんたが嫌じゃなければ、その……あんたの故郷の話も聞いてみたい」
少し緊張しながらドルクの表情を窺うと、彼は穏やかに頷いてくれた。
「ええ。オレも聞きたいですし話したいです、ぜひ」
良かった……ドルクも同じ気持ちだった。そのことにホッとしながら、またひとつ彼との仲が深まったような気がして嬉しい気持ちになる。
「うん。じゃあ、今度改めて」
そう約束を交わして、ほんのり温かな気分に浸りながら夕焼け色に染まる外の景色を眺めていると、どことなくその光景に見覚えがあることに気が付いた。
黄昏に彩られるラダフィート山脈に連なった山々の稜線―――季節の花がそこここに咲き誇る、自然豊かな風景。景色自体はどこにでもあるような光景だ。これまでに渡り歩いてきたどこか―――ああ、ラーダの村へ行く時に見た景色と重なっているんだろうか……?
そんなふうに思いながら窓の外を見やり続けていると、しばらくして流れる車窓に畑が見え始めた。村か町が近いんだろうか。そういえばロベンダへ着くまでにいくつか小さな町を通り過ぎるってドルクと御者のおじさんが話していたっけ……。
ぼんやりとそれを思い出していた時、道端に立てかけられた木の看板に目が留まった。
―――この先、エランダの町。
それを見て思い出した。
あ―――そうか、ここ、わたしがギルドに入って初めて一人で仕事をしに来たところ……!
もう八年くらい前になるのか。初めて一人で任務を任され、気負いながら通った道。様々な思いを胸に急いだ道だから、何となく覚えていた。
ついさっきドルクと少し踏み込んだ話をしたばかりということもあって、その発見に胸が騒ぐ。魔眼としての自分が始まった思い入れのあるこの地に降りて、彼と深い話をしてみたい気分に駆られた。
「ねえ、ドルク」
そんな思いを抱きながら彼を振り返ると、わたしの隣で同じように窓の外の景色を眺めていた彼は何故か息を飲んで、驚いたような表情を見せた。
あれ、そんなにビックリする? そこまで勢いつけて振り返ってないと思うんだけどな、わたし。
「どうかした?」
「……いえ。何ですか?」
ドルクはすぐにいつもの表情に戻った。その様子をどこか不審に感じながらも、伝えることに気が急いていたわたしはひとまずそれを傍らに置いて話を続けることにした。
「どのみち今日中にオルフレアにはたどり着けないし、少し寄り道していってもいいかな?」
「それは構いませんけど……どこに?」
「この先のエランダっていう町」
ドルクが大きなこげ茶色の双眸をこれ以上ないくらいに見開いた。
あー、そうだよね、ドルク的には何の脈絡もないし、突然この先の小さな町に立ち寄りたいって言われても、いきなり何なんだって感じだよね!
でも詳しく説明していると馬車がエランダを通り過ぎてしまいそうだったので、わたしはここは強引に降りてしまうことにした。一応寄り道して構わないって了承は得てるしね!
「理由は後で説明するから! すみませーん、ここで降ります!」
御者のおじさんに声をかけて止めてもらい、わたしとドルクはエランダの町の前で馬車を降りた。
「……。突然、どうしたんですか」
「はは、ごめん。窓から景色を見ていたら、急にここが思い入れのある場所だっていうことに気が付いて」
「思い入れのある……」
「うん。わたしが魔眼として初めて一人で任務に赴いた場所なんだよね、ここ」
「……! 初めての……そうだったんですか……」
わたしの話を聞いたドルクは何だか感慨深そうな様子を見せた。目の前に広がるエランダの町へと視線を走らせ、じっと何かを噛みしめるようにして町並を眺めやる。
「仕事帰りで疲れているだろうけど、付き合ってもらえないかな? 話しながら少し町の中を歩いてみたいんだ」
「構いませんよ」
「良かった、そう言ってもらえて」
あの土砂崩れがなかったらこんな展開にはならなかったよなぁ。偶然の賜物だけど、何だか劇的に感じてしまう。
心が高揚するのを覚えながら、わたしはドルクと連れ立って久し振りにエランダの町へと足を踏み入れた。
「ここへ来たのは14歳の時だったから、もう八年くらい前になるのかな。あの年は天候が不順で自然の恵みが乏しくてさ、その影響で魔物が人里へ下りてくる件が後を絶たなくて、ギルドも手が回らないほどの忙しさだったんだ……」
ここ、エランダの町も猿人という魔物の襲撃を受けた。
ギルドには前もってエランダからの支援要請が入っていたけれど、頻発する魔物の襲撃に人員的な余裕がなく、実際に魔物の襲撃を受けていない自治体には事前に人員を割くことが出来ていなかった。
そしてエランダ襲撃の一報を受け、その近場で仲間と共に別の案件に当たっていたわたしのところへ急遽要請が回ってきたのだ。当時レイゼンのグループで活動をしていたわたしにとって、初めての単独任務だった。
わたしの記憶の中にあるエランダの町は悲鳴と血の匂いにまみれていて建物もあちこち損壊していたけれど、あれから八年の時を経て、町はささやかに復興を遂げていた。規模としては以前より小さくなった感じを受けるけど、町並は綺麗に修復され、黄昏色に彩られるメインの通りにはこじんまりとした店が立ち並んでいる。そろそろ店じまいにかかろうとする店舗もちらほら見受けられる通りには夕餉の香りが漂っていて、この地で生活している人達の確かな気配が伝わってきた。
自分の働きが報われたと感じる瞬間だ。
夕食時だからか通りにはあまり人の姿が見えなかったけれど、傭兵の姿が珍しいのか、時折すれ違う人達がわたし達を物珍しげに振り返っていた。
―――この道、何となく覚えている。猿人を斬り伏せながらこの大通りを抜けて、確か激しい戦闘の気配を感じた左側の側道へと進んでいった。
「とにかく、猿人の数がすごかったんだ。でもその割には死傷者が少なかった……町の自警団が頑張ってくれたらしくてね、駆け抜けていく道のいたるところに猿人の死体が転がっていた」
ドルクにそう話しながら緩やかな傾斜のある道をたどっていくと、当時の記憶が鮮明に甦ってきた。
ああ、そうだ―――いつもより紅く色づいた大きな月が上る夜だったっけ。
月明りに照らされた凄惨な道を駆け抜けていくうち、当初は激しく感じられた戦闘の気配も徐々に弱まっていって―――逸る心を抑えながら現場にたどり着いた時には、猿人の猛攻に果敢に立ち向かいながらも力尽きてしまった、町の自警団らしきメンバーが血溜まりに横たわり、その地獄のような光景の中、まだ年端もいかない男の子がただ一人だけ、血まみれの剣を握りしめて立っていた。
「その子、すごかったよ。どうやら自警団のメンバーだったらしいんだけど……周りの大人がみんな倒れて、自分自身も傷を負って、たった一人猿人に囲まれて―――なのに、まだ諦めていなかった。諦めずに剣を構えて、猿人に立ち向かっていっていた。やけくそになっているわけじゃなくて、本気でこの局面を突破しようとしていた」
その姿は12歳の時の自分の姿に重なった。
助けたい、絶対に助ける―――その思いで壊劫(インフェルノ)を振るった。
「―――この辺りだったかな」
呟きながらわたしは足を止めた。
当時おびただしい数の猿人で埋め尽くされていた場所は今は何もない更地になっていた。
「ここで猿人のリーダーを討ち取って―――司令塔を失った残りの猿人は散り散りになってこの町から引き上げていったんだ。ぎりぎりその子を助けることが出来て、ホッとしたのを覚えている―――」
少し小高くなった場所に立ってドルクを振り返ったわたしは、少し距離を置いた先で佇む彼の姿を見て、何故か奇妙な既視感を覚えた。
―――……あれ?
瞬きをするわたしをドルクは真っ直ぐに見据え、ひどく真剣な表情を向けている。
―――ドルク?
ザァッ、と一陣の風が吹いて、わたし達の髪と外套を少し強めにたなびかせていった。