金色の龍は、黄昏に鎮魂曲をうたう

プロローグ





 高校三年生―――高校生活最後の、夏休み。

 この夏は、オレにとって生涯忘れられない夏となる。



*



 ある日の昼下がり。オレのスマートフォンがベッドの上で無機質な振動音を立てた。

 季節は八月。太陽のギラついた光が燦々と降り注ぎ、熱せられたアスファルトから陽炎が立ち上っている。朝のニュースで今日の最高気温は三十七度にもなると言っていた。

 その暑さのせいで何をする気にもなれず、オレはエアコンでガンガンに冷やした自分の部屋で、音楽を聴きながらベッドの上に転がっていた。

 そこへバイブにしていたスマホが鳴ったのだ。振動音の長さからすると、ラインやメールではなく電話だろう。

 のろのろと枕元のスマホを取り誰からの着信か確認すると、友人の朝見慶太(あさみけいた)からだった。

「おぅ……。ケイタ。どした?」
「氷上(ひかみ)クーン、ダルそうな声してんねー」

 スマホから聞こえてきたケイタの声はこのうだるような暑さの中、何故か弾んでいた。

「おウチでゴロゴロしてたの? ダメだよ〜、高校生活最後の夏休みなんだから、思いっきり楽しまないと! いっぱい思い出作らなきゃ、損、損!」
「ンだよ、気味わりぃなー、どうしたんだよ」
「ははっ、それがさぁ。今、田浦(たうら)と一緒にいるんだけど、キモダメシやらねぇ? って話になってさー、お前、今晩ヒマ?」
「キモダメシぃ?」
「そ。こんな暑い日にはうってつけじゃね? 受験生とはいえ勉強ばっかしててもアレだし、たまには息抜きしようぜー。女子も誘ってさ、ど?」

 そこまで聞いて、オレはどうしてケイタが上機嫌なのかが分かった。

「女子っていうかアヤノを誘って、だろ?」

 アヤノはケイタが片想いしている同級生の女だ。片想い、とは言っても、向こうもケイタのことをまんざらではないらしく、仲間内では二人がくっつくのも時間の問題だと予想されていた。

「ばっ、なっ、ま……まぁ、否定はしねーけどよ……実はもう連絡済だし。それで、お前はどうすんだよ」

 分かりやすいケイタの反応に笑いながらオレは答えた。

「行くよ。今日はなんか勉強ヤル気出ねーし。で、女子はアヤノの他に誰が来んの?」
「多分ミコとハルカじゃね?」

 ミコとハルカはアヤノの友達だ。ケイタの絡みもあって、最近はこのメンバーで遊ぶ機会が増えていた。

「いつものメンツだな。ま、いっか。で、どこでやんの? キモダメシ」
「龍峨嶽(りゅうがだけ)ゴールドラインでどうだ?」

 龍峨嶽ゴールドライン―――そこは、地元では有名な心霊スポットだった。深い山をくりぬいて幾つもの薄暗いトンネルが走り、くねくねとした山道が続くその場所は、秋には見事な紅葉が広がる絶景スポットでもあったが、昔から霧が多く事故が多いことでも有名な場所だった。古くは龍神が住んでいたとされる言い伝えもあり、事故死したドライバーの霊や白い着物姿の女の霊が出る、地鳴りのような恐ろしい音が聞こえる等、どこの心霊スポットでもありがちな話題には事欠かない。

 ただ、その名の通り場所は山奥と言っていいところにある。高校生のオレ達が行くには不便な場所だった。

「いいけど、どうやってそこまで行くんだよ」

 そう尋ねると、ケイタは少し得意げに答えた。

「車だよ。当たり前だろ」

 ケイタは四月生まれでもう十八歳だ。春には免許を取り、オレも一度乗せてもらったことがあった、のだが―――。

「おい、マジかよ? やめといた方が良くね? 山道だし」

 友人としての忠告に、ケイタはちょっと不機嫌そうな声になった。

「あー、てめっ、今ビビリやがったな? 言っとくけど、オレはもうあの頃のオレじゃねーんだ。あれからなぁ、休みの日は嫌がるオトンに車借りて、かなり練習したんだぜ。お前もビックリするくらい上手くなったんだよ、マジで!」
「本当かよ……」

 あの時のスリルドライブを思い出すとどうしても苦い声が出てしまう。

 けれどケイタの熱意に押し切られて、オレは結局それを承諾してしまった。ケイタは意気揚々として、詳しいことは後で連絡する、と言ってスマホを切った。

 ケイタのヤツ、張り切ってたなー。アヤノの前でカッコいいトコ、ちょっと大人っぽいトコ見せたいんだろうな……。

 男としてその気持ちは何となく分かる。アヤノは色白で目がパッチリしたけっこう可愛い娘だ。彼女に恋してからのケイタはとても楽しそうで、何だか少しうらやましい気がした。

 オレはまだ、あんなふうに誰かを好きになったことがない。告白されて何となく付き合っていた前の彼女とは特に盛り上がることもなく、気が付いたら自然消滅みたいなカンジで終わっていた。

 誰かを本気で好きになるって、いったいどんなカンジなんだろう? 漠然としたイメージは湧くけれど、実際のところはそうなってみないと分からないんだろうな。

「何、着ていくかなー……」

 ぽつりと呟いて、オレは冷気に当たりっ放しでダルくなった身体を起こした。

 ケイタ、アヤノと上手くいくといいな。

 素直に、そう思った。



*



 夕方、いつものメンバーがそろって、キモダメシという名のドライブ前の買い出しにコンビニへ繰り出していた。

 何を着ていくのか迷った末、オレは結局お気に入りのショップで買った白地のロゴTシャツにいつものジーンズ、という格好になった。

 おにぎり、サンドイッチ、スナック菓子……車の中で食べるものが手当たり次第に買い物カゴの中に放り込まれていく。

 そんな中、オレが手に取った商品を見たハルカが声をかけてきた。

「氷上ってさー、意外なもの好きだよね。初めて見た時はビックリしちゃった」

 そう言われてオレはちょっと赤くなった。

「な、何でだよ」
「だって何か、そういうの食べなさそうなカンジなんだもん。イメージじゃないんだよねー。見た目クールで大人っぽいカンジなのに、コレかよ! みたいな」

 そんなオレ達の会話を聞いたケイタが口を挟んできた。

「氷上は身長あるし、見た目がクールに見えるらしいからなー。中身全然違うけど。でもコイツ、昔っからコレ好きなんだよ。必ず買うもんな、『ナッツ入りキャラメル』!」

 それを聞いて、一同大ウケ。

「何だよ、身長が180ある男はキャラメル食っちゃいかんって法律はねーだろ!」
「あっはっは、そうだよねー」

 大口を開けてハルカが笑う。

「氷上くん可愛いー」

 思わぬアヤノの発言にケイタがぎょっと目を見開いた。

「えっ、ウソ、マジ!?」
「じゃあこれは氷上専用な」

 そう言った田浦にミコが頷く。

「そうだね〜、これは彪(ひょう)ちゃん専用〜」
「彪ちゃんって言うな!」

 ったく、みんなでいじりやがって! ウマいんだぞ、これ。ぜってー誰にもやらねーからな!

 コンビニを出たところでふてくされながらジーンズのポケットにキャラメルを突っ込んでいると、車へ荷物を運び終わったハルカがやってきて、ためらいがちにこう切り出した。

「ねえ、氷上ってさ……進学組だったよね」
「そうだけど……何だよ」
「あたしはね、就職組なんだ」
「へえ? そうだっけ……」

 さして興味のない話に生返事を返すと、ハルカはうつむきながらこう続けた。

「何かさー、不思議だよね。今はこうして普通に遊んでいるけど、春には卒業して、来年の今頃はもしかしたらみんな別々のところにいるかもしれないんだなーって思うと……」

 どうしてハルカが突然そんなことを話し始めたのか、オレは不思議に思って彼女を見た。どちらかというと明け透けで、いつもは男勝りな彼女らしくない口調だと感じた。

 進学組と言ってもオレは特に行きたい大学があったわけじゃない。まだ自分のやりたいことが分からないし働くのもダルかったから、とりあえず入れるレベルの大学に入っておこう、という程度のものでしかなかった。

「ねえ、氷上……あのさ」

 ハルカが再び口を開きかけたその時、車からケイタの声がかかった。

「おーい、二人! 何見つめ合ってんだよー、行くぞー!」
「あ……おぅ」
「い、行こっか氷上!」

 何かを言いかけていたハルカは真っ赤な顔でそう言うと背を翻した。その彼女の後を追いながら、オレは内心首を傾げていた。

 何だったんだ? 今の……。

 ……まさか、な……。

 チラと脳裏に浮かんだ可能性を即座に打ち消す。

 ケイタの車は三列シート六人乗りの黒のワンボックスカーだった。最後に乗った関係で、必然的にオレとハルカは隣になった。車内は割とゆったりしていて乗り心地がいい。

「しっかしケイタ、よくオヤジさん車を貸してくれたなー」

 後部シートにどっかりと座った田浦が言う。その隣に座ったミコが「ねー」と相槌を打った。

「日頃の行いの賜物ってヤツよ。まぁ、山にキモダメシに行くとは言わなかったけどな」

 運転するケイタの隣でアヤノがその姿を頼もしそうに見つめた。

「同級生が運転する車って初めて乗ったけど、ケイタくん、運転上手ね。安心した」
「そ、そう? そう言ってもらえると嬉しいね」

 アヤノに褒められてケイタは鼻の下を伸ばしていたが、その腕はオレが乗った時とは比べものにならないくらい、本当に上手くなっていた。ビックリだ。

 これなら大丈夫そうだな……。

「昔おばあちゃんから聞いたコトあるけどー、龍峨嶽ってさ〜、龍の神様が住んでいたって言われてるトコなんだってね〜」

 後部シートから身を乗り出しながらミコが言う。それに全員が頷いた。

「聞いたコトある! 有名だよね」

 その昔、彼方から飛来した地の龍とそこに住まう水の龍が戦ったという、地元では有名な古い伝説がある。この辺りでは誰もが子供の頃に聞かされた覚えのある、昔話だ。

 山をくりぬき、道路とトンネルを造る際には『龍神サマ』の呪いで工事関係者がバタバタと倒れたという逸話も残っている。

 その昔話も手伝って、現在の心霊スポット『龍峨嶽ゴールドライン』は存在する。

「なんかさーぁ、ちょっとドキドキするね」
「どうする? ホントに幽霊出てきたら」
「とりあえず叫ぶ〜!」
「話とかしてみたくねぇ?」
「あー、何で地縛霊になっちゃったんですか? みたいな?」
「答えてくれっかな?」

 みんな好き放題言っていたけれど、実際にその場所が近付いてくると次第に車内は静まり返っていった。

「入るぞ」

 少しだけ緊張したカンジのケイタの声。

 オレ達を乗せた車は、龍峨嶽ゴールドラインに差しかかった。

 鬱蒼とした夜の森の景色が広がる車窓。

 くねくねとした細い山道を申し訳程度に映し出す、切れかけの暗い外灯。

 その全てを飲み込むように覆い尽くす、深い深い闇……。

 木の葉を揺らす夜の風が、ざわざわと時折怪しげな気配を送ってくる。

 心霊スポットって言われてる場所は、やっぱ何となく不気味だよな……あんま車も通らないし。

 何となく薄ら寒いものを覚えながら窓の外を眺めていると、次第にその闇に飲み込まれていってしまいそうな気がしてきた。

 それから三十分くらい、特に怪奇現象が起こることもなく、オレ達は無事に龍峨嶽ゴールドラインを抜けた。

「な〜んも起こらんかったな」
「ま、そんなモンでしょ」
「マジで何かあったら怖いって!」

 気が抜けた半面、みんなどこか安堵の表情を浮かべながら口々にそんなことを言い合った。

「んじゃ、引き返すべ?」

 ケイタはそう言って、道幅の少し広くなったところで車をUターンさせると、今来た道を戻り始めた。

「少し、霧が出てきたね……」

 ぽつり、とハルカが呟いた。

 本当だ。さっきまであんなに視界がハッキリしていたのに、いつの間にかうっすらと霧がかかって景色がぼんやりと滲んで見える。

「ケイタ、気を付けろよ」

 田浦の言葉にケイタが頷く。

「ああ、任せろって」

 この場所は昔から霧が多いことでも有名なところだ。

 ケイタは車を減速させ、片手で持っていたハンドルを両手持ちにし、シートにもたれていた背を起こして、安全運転に切り替えた。

 霧は刻一刻とその深さを増し、しばらくするとほとんど視界が利かないくらいになってきた。

「うわ……何だコレ、マジかよ」

 ケイタが呻く。

 瞬く間に世界を覆った霧に、オレ達も少なからず圧倒された。

「ヤダ……何か、怖い〜」

 ミコが怯えた声を漏らす。口には出さなかったけれど、他のみんなもただならぬ雰囲気に息を凝らしている気配が伝わってきた。

「ケイタ、一度車止めた方が良くねぇ? ハザード出して……」
「あ、ああ……」

 オレがそう言い、ケイタが頷いて、ハザードランプを点滅させ車を路肩に寄せようとした、まさにその時!


 ゴオォォォ―――ン!


 地鳴り!?
 突風!?
 雷!?

 分からない。

 鼓膜を震わせる凄まじい音が聞こえたと思った次の瞬間、横合いから衝撃波のようなものを受けてオレ達の乗った車が大きく傾(かし)ぎ、一瞬宙に浮きあがった!

「きゃあぁー!?」
「うあぁーッ!?」

 悲鳴と共におにぎりやスナック菓子、ペットボトルなんかが車内を乱れ飛ぶ。驚いたケイタは、とっさにアクセルを踏み込んでしまった。衝撃波に煽られた車は急激にスピードを上げながら、山道を暴走し始めた。

「いやあぁぁっ! 何ーッ!?」
「ケ、ケイタ! 車ッ……車止めろ!」
「ブレーキ、ブレーキ!」
「ブッ、ブレーキが、利かねーんだよぉ!」

 蒼白になったケイタの声。その足は必死にブレーキを踏み込んでいたが、車のスピードはまるで緩む気配を見せなかった。

 真っ白な視界。暴走状態の、車。

 車内は一瞬にしてパニックに陥った。

「いやあぁあ!」
「うそぉ! 助けてぇぇぇ!」

 アヤノとミコの悲鳴が響き、恐怖で顔を引きつらせたハルカがオレの腕をきつく握りしめてくる。

「ひっ、氷上ぃっ……」

 その時、オレは転がったペットボトルがブレーキペダルの下に入り込んでしまっていることに気が付いた。

「アヤノ、ペットボトルを取れ! ブレーキの下に入り込んでる! ケイタ、足どけろッ!!」
「え……!? え、え!?」

 パニックに陥っている二人は、とっさにオレの言葉に反応出来ない。車はガードレールに激しくぶつかりながら、暴走し続ける。

「くそっ……!」

 オレがシートベルトを外して身を乗り出した刹那、ひと際大きな衝撃が来た。

「!!」

 錯綜する悲鳴。身体があっちこっちに激しく打ちつけられ、視界が二転、三転する。衝撃に翻弄され、一瞬の無重力状態を味わった後―――凄まじい衝撃と共に、オレは生まれて初めて、意識を失ってしまったのだった。
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