影王の専属人は、森のひと SS影王と専属人の日常

踏み出せない男達


「どういうつもりでオレにマタタムブを渡したんだ? クリストハルト。ご丁寧にリーフィアと一緒に飲むように仕向けて」

 人払いを済ませた国王の私室。

 険しい表情でそう迫るオレを顔色ひとつ変えずに見つめ返す、双子のようにそっくりな容貌をしたこの国の王は、豪奢(ごうしゃ)な椅子に深々と腰掛けたまま、悪びれもせずこう答えた。

「お前がそんなふうに感情を荒げるのは珍しいな。あの酒を飲んで、専属人と何かあったのか」
「よくも、しゃあしゃあと……。危うく何かあるところだったから怒っているんだろうが」
「ほう……。詳しく聞きたいところだ。実はあの酒には、気になるメッセージが添えられていてな」
「気になるメッセージ?」
「ああ。例の酒は彼(か)の国の王族に連なる者から贈られた品だったんだが、私が最近クォルフの従者を登用したという話をどこからか聞き及んでいたらしくてな、主従の結びつきを深める為の縁(えにし)として活用してはどうか、というような内容が綴られていた」
「へえ? で、お前はそれを……」
「どういう意味か少々気になったのでな、含みを持たせてそのままお前に下げ渡した」
「フザけんなよ!」

 クリストハルトの胸倉を掴み上げて、オレは語気を強めた。

「お前のことだ、マタタムブがマタタビを使った果実酒だってことは想像がついていたんだろ? そういうメッセージが添えられていた以上、クォルフにとってそれがどういう影響を及ぼすものなのか、想像に難(かた)くなかったはずだよな?」
「想像はあくまで想像だ。大事なのは事実であり、その実証だ。実際にクォルフを召し抱えている以上、マタタビを含んだものを摂取した場合にどういう事象が発生するのか、主として把握しておかねばなるまい。私自身が確かめても良かったのだが、お前にそれを委ねたのは私なりの忖度(そんたく)だったのだがな」

 こちらの目を見据えたまま、あくまでも淡々と語るクリストハルトをオレはしばらくにらみつけた後(のち)、腹立たしい思いと共に、ヤツの胸倉を突くようにして押し離した。

「だったら、最初からオレにそれを伝えておけよ!」
「伝えたら、お前は彼女に酒を勧めないかもしれないと思ったんだ」

 見透かされていることに舌打ちしながら、オレは譲れない一線を示した。

「リーフィアに害が及ぶような検証方法は、例えお前でも許さない。彼女はオレの専属人だ、彼女に関わることは今後は必ずオレに話を通すようにしてくれ」
「……ほう。お前にとって思いの外(ほか)大切な存在となっていたようだな、あの専属人は。……。分かった。今回の件は私の見込み違いだった……彼女を軽視したことを詫びよう」

 クリストハルトが興味深そうな表情で謝罪の言葉を口にする。気が収まらないオレは苛立ち混じりにヤツを促した。

「で? マタタムブを贈って寄越した彼の国の貴人とやらは、どこのどいつからそんな情報を仕入れたんだよ?」
「やはりそこが気になるよな?」
「そりゃまあ。わざわざこんなモン寄越すくらいだから、贈り主はそいつから相当意味ありげな話の振られ方をしたんだろ? 今まで亜人を登用してこなかったグスタール王国に誕生した、初の国王付き亜人従者とはいえ、それだけで他国の王族関係者がこんなモン寄越さないだろ。場合によってはお前を侮辱してると捉えられて無用な火種になりかねないし」
「私もそう思い、それとなく探らせてみたのだ。するとな……どことなくオーウェン公爵の影がチラついているんだ。例の如く、尻尾は掴ませてくれないのだがな」
「オーウェン公爵……!」

 因縁の相手の名に、オレは奥歯を噛みしめた。

「あのクソ狸、またあいつか……!」
「あ奴は前回、お前の専属人のおかげで目論みが破綻して、さぞ面白くない思いをしただろうからな。今回の件はそのささやかな意趣返しといったところだろう」
「卑しいやり返し方をしやがって……!」

 吐き捨てて憤慨するオレとは対照的に、クリストハルトはどこまでも冷静だった。

「先方には丁寧な礼状を送ると共に“そういう対象”としてクォルフの従者を置いたわけではないという旨を伝えておいた。何かの折にまたそういうものを贈られても困るからな。……それとヴァルター、お前の私情とは別に、これは国王付き従者としての業務だ。マタタムブを摂取した際のクォルフの経過状況について後で報告書を上げてくれ」

 ……こっのクソ国王。

 事務的なその対応に眉を跳ね上げたオレは、いかめしい顔を作って頷いた。

「分かった。……クリストハルト、それとは別にこれはオレからの超個人的なお知らせだ。オレは今回の件、百パーセント私情でシルフィールに言いつけるからな」

 妹の名を出した瞬間、それまでおくびにも動揺を見せなかったクリストハルトの動きがピタリと止まった。

「…………。何故そこでシルフィールの名が出てくる」
「うるさい、オレは怒っているんだ。知ってるか? お前の大好きなシルフィールはリーフィアのことが大好きだって。そのリーフィアにお前が何をしたのかシルフィールが知ったら、お前、間違いなく嫌われるぞ。それこそ一回手酷く嫌われて、大いに反省したらいい」
「待て。その件については先程詫びただろうが」
「お前さ、オレの立場でシルフィールが媚薬飲まされたとしたら簡単に許せる?」
「バカな。許せるわけが」
「だよなぁ? 因果応報」

 口角を上げて意地悪く微笑むと、クリストハルトは押し黙り、瞳を眇(すが)めた。

「……ち。それほどか。私としたことが、完全に見誤ってしまっていたな……。何だ、どうすれば気が済むんだ」
「妹に一回嫌われてみるって選択肢はねぇの?」
「ない」
「即答かよ」

 いっそ清々しいほどの断言に、クリストハルトがそう答えると分かっていても、オレの口元にはほろ苦い笑みが広がった。

「どんだけシルフィールのことが好きなんだよ……」

 クリストハルトがシルフィールに向ける感情は、兄が妹に向けるそれの度合いを超えている。そしてそれはおそらく、シルフィールにも言えることだ。

 実際に血の繋がった兄妹なら、それは救いようのない感情でとても笑えたものではないが、この二人にはそれが当てはまらないことを知っているから、オレはクリストハルトをシスコンと揶揄出来る。

 シルフィールは、クリストハルトの実妹ではないのだ。

 先々代の王と身分の低い愛妾との間に生まれた娘―――当時の後宮の熾烈な世継ぎ争いの中、我が子の生命の危険を感じた実母によって、出生まもなく流産したことにされ、秘密裏に後宮の外へと逃された、かつての王の娘。それがシルフィールだ。

 数年後、先王によるクーデターが勃発し、その戦乱の中で彼女の実の両親は命を落とした。

 クリストハルトの父親から全てを聞かされ育ってきた二人は共にそれを知っており、幼い頃から父親に妹を守る立派な兄であるよう教育されて育ったクリストハルトは、呪縛のようなその教えにがんじがらめにされ、今もそこから抜け出せずにいる。

 そもそもクリストハルトが前政権を打倒する為に立ち上がるきっかけとなったのは、怠惰で傲慢だった先王が何かの折にシルフィールの出生の秘密を嗅ぎつけ、彼女を側室として所望したことだった。それが前政権に大いなる不満を抱きながらも小都市で息を潜めていたクリストハルトの逆鱗に触れ、この国に新しい王が立つ契機となったのだ。

 一国民の意見としてオレはそれで良かったと思っているのだが、クリストハルト自身は私情で多くの者を巻き込んだ己に本当の王である資格はないと断じていて、全ての憂いを取り除き国の基盤が安定したその時は、シルフィールに王位を譲ろうと考えているらしい。

 そしてそれを、シルフィールは知っている。

 血の繋がらない妹に全てを捧げるような生き方を義兄にさせてしまったことを悔いている彼女は、自身を押し殺して、義兄の思いに準じようとしている姿が見受けられる。

 傍(はた)で見ていると歯痒い限りの両片想いなのだが、第三者が口を出すことではないし、いずれ本人達の心境に変化が起こり得るかもしれないので、オレはその流れをただ傍観していようと決めている。

「……お前こそ。いつの間に私を脅しにかかるほど、あの専属人が大切になったんだ」

 しばらくの間を置いて、溜め息混じりにそう返してきたクリストハルトを見やりながら、オレは苦笑をこぼした。

「日々のささやかな積み重ねって、怖いよなぁ? 分からねぇよ。まだ、お前ほどの領域に達しちゃいないけど」

 いつかそこまで達してしまったら、正直怖いな―――そう、思った。

 クリストハルトのように自分を抑え続けられる自信が、オレにはない。

 日陰にいるオレには、日なたの幸せを彼女に与えてやることなど出来ないと、頭では分かっているのにな―――。

「……。知らなかったとはいえ、悪かったな……」

 クリストハルトの声に初めて謝意がこもった。

「反省したか?」
「自分の身に置き換えて大いに。……冷や汗が出た」

 したり顔で促すオレにそう返したクリストハルトはやおら立ち上がると、オレと同じ目線に立ち、改めて尋ねてきた。

「それで―――どうすれば気が済む? お前は私に何を望むんだ」
「……さっきも言ったけど彼女に関する話は今後必ずオレを通すこと。それと、近々彼女にまとまった休みをあげられないか? 王城(こっち)に出仕してから仕事で一度故郷に立ち寄ったきりで、ずっと里帰り出来ていないから、たまには実家でゆっくりさせてやりたいんだ」
「……。分かった。そのように調整してみよう」

 深い息を吐き出して、クリストハルトは頷いた。

 発端は最悪だったが、結果的にリーフィアへまとまった休みをプレゼント出来ることになりそうだ。その点についてはまあ、良かったのかな。

 ついでに、その休暇でイーファの方にも決着(ケリ)がつくといいんだけど。

 そんなふうに考えてしまった自分自身の浅ましさに、自嘲が漏れた。

「どうした?」

 思わず額に手を当てがったオレに、クリストハルトが不審げな顔をする。

「……いや。ずるいなぁと思って。オレも、お前も」

 失うことが怖くて行動には移せないくせに、密かに他の男を牽制して、踏み込まれるのを恐れて一線を画すくせに、一丁前に独占欲だけは強くて、肝心なことははぐらかすくせに、手元に置いておきたがる。

 最悪だ。

「言うな。耳が痛い」

 自覚はあるらしい良く似た男が不機嫌な面持ちになってかぶりを振った。そこに自分自身を投影しながら、こんな面倒臭い男に魅入られてしまった日なたの香りがする専属人に、心の中で懺悔する。

 ごめんね、リーフィ。

 姑息なオレは願わくば、体(てい)のいい専属人という鎖で繋がった、付かず離れずのこの関係を維持したい。この緩やかな檻の中で、君に傍にいてほしいんだ―――。

 いつかオレが本能に抗えず、自らの手でその鎖を引き千切ってしまうその時が来ないよう―――今はただ、そう祈りながら―――。



<完>
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