突然現れたヴァルターに、油断していた男達は明らかな動揺を示した。
両者の間にかなりの力量差があったことも加わって、事態はそこから一方的な様相を見せ始める。
急襲に対応しきれない男二人を瞬く間に斬り伏せていくヴァルターを視界の端に捉えながら、わたしは連射で二人を仕留め、ステップを踏みながら弓矢をつがえてもう一人を射る。その間に残る一人をヴァルターが昏倒させると、一瞬にして残る者はカインただ一人となった。
「あっ、ひっ……!?」
予想だにしなかった展開に青ざめたカインは、引き攣れた声を上げて背を向けると、その場から転がるようにして逃げ出した。
偉そうなこと言っていた割に、それはちょっと情けないんじゃない?
お粗末な幕切れに鼻白みながら逃げる背中に眠り毒の仕込まれた矢を放つと、「ぎゃっ」と短い悲鳴を上げてカインは倒れ込み、そのまま動かなくなった。
その様子を見届けたわたしは、ホッと息をつきながら弓の構えを解いた。
「……ありがとう。助かったわ」
静寂を取り戻した森の中でヴァルターを振り返りお礼を言うと、小憎らしい返事が返ってきた。
「高くつくぞ? 国王の影を顎で使ったんだからな」
軽口を叩くヴァルターは身バレ防止の為か、初めて目にする仮面を身に着けた姿だった。
鼻から上をアンティーク調の黒い仮面に覆われたその姿は傍(はた)から見たら完全な不審者だったけれど、何だか不思議と様になっていて、怪しいというよりは妖しいと表現した方がいいような、妙なこなれ感があった。
そこを突っ込みたくなるところを飲み込み、ひとまず目先の会話を優先させることにする。
「顎で使ったわけじゃ……だいたい今日のあなたはシルフィール様の護衛でもあるんだから、わたしに協力するのは当たり前なんじゃないの?」
けれど、そんなわたしの認識とヴァルターの見解は異なっていた。
「シルフィールの護衛はあくまでリーフィア、あんただよ。オレは万が一を考えてクリストハルトが掛けた保険。あんたが『身元の確認が取れていない人物の馬車にうかつにも王妹殿下を乗せてしまったら、犯罪者のアジトに連れて行かれて、あまつさえ殿下の御身を危険に晒すハメになってしまいました』なんていう、通常では考えられない大失態を犯してしまったような場合に限ってフォローする為にいるんだよ」
うっ……くっ……! 嫌味ったらしい言い方だけど、そこを突かれると痛い!
「ったく、急にあんな胡散臭い馬車に乗られてこっちが後を追うのにどれだけ苦労したか……」
「分かった! 分かったわよ、その点については全面的にわたしが悪かったわ! お手数かけてごめんなさい! 助けてくれてありがとう!」
「はは、何、そのありがたみのない言い方」
くっと肩を揺らしてわたしを見やったヴァルターは、おもむろにこちらへ歩み寄ると、彼を見上げるわたしの頭にぽん、と手を乗せた。
「でもまあ、大失態を取り戻す分の活躍はしたと言えるかな。シルフィールは無事だし、結果的に世間を騒がせる義賊の偽物を捕まえることも出来た上、その裏に蠢いていた大きな謀略を止めることも出来た。冷静な判断力と柔軟な対応力だったよ。度胸もあるし、弓の腕前もさすがだった」
大きな骨ばった手が、わたしの頭を優しく往復する。
「よく頑張ったな」
白い歯がこぼれた瞬間、それまで張り詰めていたものが一気に抜けて、その場にへたり込みたくなった。
ぴんと立っていた三角耳がくてんと横になるのが分かって、ホッとしたのがヴァルターにバレバレで恥じ入る気持ちにもなったけど、それよりも何よりも、どうにかシルフィール様を護り通せたのだという安堵の方が大きくて、わたしはしばらく、柔らかく髪を撫でる彼の手にされるがままになっていた。
「……シルフィール様を迎えに行かないと」
やがて落ち着いてくるに従い、その状況がとてつもなくいたたまれなくなってきたわたしは、声を絞り出すようにしてヴァルターから顔を逸らした。
「はは、我に返ったら恥ずかしくなった? 耳も表情も珍しく一致してる」
あっけらかんと指摘されて、カッと全身が熱くなった。
―――っ、何でこの男はそういうデリカシーのない発言をするの!? ああ、もう、ホントに嫌!
「紳士失格! そこは見て見ぬふりをしなさいよ!」
思わず噛みつくと、ヴァルターはしれっと嘯(うそぶ)いた。
「オレ、国王の影ってだけで元々紳士じゃないしね」
「演じることは出来るでしょ!」
「うーん、出来なくはないけど、あんたの前ではしたくないなぁ」
「何で!?」
「せっかくオレの正体を知ってる人の前で、わざわざ窮屈なことしたくない」
牙を剥いてがなっていたわたしは、意外な答えに琥珀色の瞳を瞬かせて口をつぐんだ。
本心が読みづらい男だけど、これは多分彼の本音なのだと思えた。
「……正体を知ってるとは言っても、あなたが『ヴァルター』であることしか知らないわよ」
知っているのは、名前だけ。年齢も経歴も、他のことは何も知らない。
静かな風が、緩やかにわたし達の髪を揺らしていく。仮面越しにこちらを見つめる空色の双眸が、わずかに和らいだような気がした。
「……これから少しずつ知っていけばいいよ。長い付き合いになりそうだ、ってあんたも言ってたろ?」
「不本意ながらね」
「はは」
ヴァルターは無愛想なわたしの反応に気を悪くしたふうもなく、どこか晴れ晴れとした声で笑うと、やおら身に着けていた仮面を外し、何事かと身構えるわたしに向けて、予想外の、いつもの軽薄さを消し去った真面目な表情を見せた。
端正な容貌をしているだけにその変化が劇的で、不覚にも彼の表情に目を奪われ、ドキッとしてしまう。
そんな自分に突っ込んでいる暇もなく、彼から告げられた内容にわたしは耳を疑うこととなった。
「その一端として伝えておきたい。……影王の誕生と共に消えた義賊の名誉を守ってくれたことを、心から感謝する」
え……っ……。
思わず目を見開いて、呼吸を止める。にわかには信じがたい告白だった。
だって、言葉通りに受け取るなら、それは、ヴァルターがかつてはノヴァであったということで―――。
「ありがとう」
動きを止めたわたしの前で、ヴァルターは折り目正しく頭を下げた。
「え……何、冗談……?」
混乱するわたしの前で面(おもて)を上げた彼の表情は、いつもの軽薄なものとは違う真剣なものだ。
「ノヴァは表裏一体のオレ自身だった。そこに嘘も偽りもない」
ヴァルターが? ノヴァ?
冗談じゃなくて? 本当に?
「……クリストハルトが前政権を打倒する少し前の話だ。この国は荒れていて、勘違いした権力を振りかざしている貴族(バカ)が多かった。圧制を敷かれた国民達は不条理な行いを我慢することを強いられながら、明日をも知れぬ暮らしに喘いでいた……。オレ自身もそんな国民の一人だった。
どうにか現状を打破したい、だがそれだけの力も展望もない。そんな葛藤の中、オレは義賊として活動することで、この国の在り方にせめてもの抗議をしていたんだ。個人に出来ることなんてたかが知れているが、自分なりに誇りと信念を持って、義賊としての活動をしていた」
当時に思いを馳せてそう語るヴァルターの語調には、様々な感情が入り混じった複雑な思いが滲んでいた。
「けど、義賊としての活動を続けるうちにノヴァに対する世間の認知が広がって、想像以上にもてはやされるようになって―――オレ自身にも、ある種の奢りや気の緩みが出ていたんだろうな。ある時、当時強大な権力を持っていた大貴族の屋敷に忍び込んで下手を打って、捕まったんだ。殺される寸前、偶然屋敷に討ち入ってきたクリストハルトに助けられた時には、何ていうかもう、言葉を失ったな。オレを見たあいつも相当ビックリしてたけど―――言いたかないけど、大きな運命の流れみたいなものを感じずにはいられなかった……」
その瞬間は、両者の間に相当な衝撃が走っただろうことが想像出来る。
半眼を伏せたヴァルターの脳裏にもその時の光景が甦ったのか、彼は微かに身体を震わせたようだった。
一拍置いて、いつもの調子に戻ったヴァルターは口角を上げるとこう言い結んだ。
「で、これまでの免罪と助命とを引き換えにあいつの影になることを命じられたのが、今のオレの始まりってワケ」
そういう事情で、義賊ノヴァは表舞台から姿を消したのか。日の当たらない場所で、密かに国王の影として生まれ変わっていたから―――。
「今回の騒ぎが持ち上がってすぐ、ろくでもない連中が『ノヴァ』を利用して良からぬことを目論んでいることには気が付いたんだけどさ、そんな経緯もあって、偽物だと名乗り出ることも自由に探ることもかなわなくて―――影としての自分の立場のもどかしさを痛感していたところ、あんたとシルフィールがオレの代わりにやってくれた。
マジで助かったよ、ありがとう。今なら感謝の気持ちを込めて、ハグでもキスでもしてあげるよ」
最後の戯言(ざれごと)部分はスルーして、わたしは素朴な疑問を呈した。
「……どうしてわたしにそこまで話してくれるの? かなり重要な秘密だと思うんだけど」
多分今、わたしはものすごい話を聞いている。わたしのような身分の者にはおいそれと語られることのない、この国の秘密に関わる話を。
わたしの琥珀色の双眸とヴァルターの空色の視線とが真っ直ぐに交わり合う。やがて返ってきたのは、ひどく胡乱(うろん)な笑顔だった。
「オレの偽物を捕えてくれた立役者だからだからね。礼儀として伝えておきたいと思って」
怪しい……。
「あなたの助けがなければ無理だったわ」
「あんたの働きがなかったらこう上手くはいかなかったよ。謙遜しなくていい、オレはどうせ表舞台に出れないからね、今回のことはあんたの手柄にしておいて」
「手柄?」
「世間を騒がせる義賊の偽物を捕まえた上、王妹の誘拐騒ぎと怪しい謀略を未然に防いだんだ。かなりの功績になるはずだよ。黒幕は中々の大物が出てくるんじゃないかな?」
ええっ!?
思ってもいなかったことを聞かされて、わたしは大いに驚き、あせった。
「ちょっと待って、何だかスゴく大げさなことになってない!?」
「いやあ、結果からしたら当然じゃない?」
「いや、だって、半分失態を犯したところから始まって結果が偶然そうなっただけで、そもそもわたし一人で解決出来てもいないのに、とてもじゃないけどそんな、胸を張れないでしょ!」
「はは、リーフィアは真面目だね」
ヴァルターは可笑(おか)しそうにそう言うと、わたしの頭をぽんぽんと叩いた。
「あんたのそういうトコ、オレ、好きだけど。後ろめたさなんて感じなくていいのに」
「だって、そんな大層な功績を戴く資格がないことは、自分が一番よく分かっているもの!」
自分に相応しくない大仰な功績は、むしろ情けなさと恥ずかしさを助長させるだけだ。
「なら、その功績に報いるような働きをこれからしていけばいいんじゃない? 今回は色々思うところもあるかもだけど、そう難しく考えないで、表に出れないオレの代わりに受け取っておいてよ」
「でも、何だかそんなの、あなたに借りを作るみたいで―――」
「はは、じゃあ今度、耳を触らせてよ。それでチャラでいいからさ」
「―――は……?」
意味が分からない。
何がどうして、そうなるワケ? この男、何を言っているの!?
わたしの周りの空気が氷点下まで下がったことには気が付いただろうに、ヴァルターはまるで頓着しなかった。
「やらしい意味じゃなくて、オレ、純粋にもふもふしてるの好きなんだよね。獣耳、可愛いからずっと触ってみたかったんだ」
は? 屈託のない顔で何とんでもないことを言っているのよ。そんなセクハラ、許すわけないでしょ!
拒絶の意を烈火のごとく叩きつけようとしたその時だった。わたしの機先を制し、ヴァルターはどこからか取り出した短銃を素早く空に向けて放ったのだ。
「―――!?」
驚いて振り仰ぐわたしの視線の先で、大きな緑色の煙が空に揺らめいている。
「オレらだけじゃのびてる連中全員回収出来ないから、救援を呼んだ」
「救援?」
「あらかじめクリストハルトに伝書を送っておいたんだ。今頃例の屋敷を救援部隊が差し押さえて調べ始めているはずだから、そこから何人かこっちに来るだろ」
「伝書?」
いつの間に、と言おうとして思い出した。
そういえばシルフィール様と森に逃げ込む直前、どこからか急に羽ばたいた鳥がいたっけ。
あの時は特別変に思わなかったけど、今思えばちょっと不自然だったかな。よくよく考えてみればこの辺りには生息していない種類の鳥だった気がする。
おそらく、あれがその役目を担った伝鳥で、近くに潜んでいたヴァルターが放ったものだったのだろう。
そんなことを考えながらふと首を巡らせて、驚きに目を見開く。わたしが物思いに沈んでいるうちに、ヴァルターは忽然とその場から姿を消してしまっていたのだ。
あっ!? しまった、あのいかがわしい約束をキチンと反故にしてなかったのに!
あせって周囲を見渡したけれど、時すでに遅し。
伝説の元義賊は、深い緑に抱かれた森から立ち消えるようにしていなくなっていた。空に浮かぶ救援信号に、その痕跡だけを残して―――。