何度も何度も考えて、そしていずれも同じ結論にたどり着いた。
親友シェイド・ランカートは、生真面目で、頑固で、高潔で、誰よりも自分自身に厳しい人間だった。
自らの生き方に確固たる信念を持ち、ドヴァーフをより良い方向へ導いていこうと、主君を支え、己の職務を全うすることに心血を注いできた。
シェイドがどんな人間なのかは、シェイド自身を除けば自分が一番良く知っている、とペーレウスは自負している。
だから、分かる。
シェイドは、ドヴァーフの未来を守る為に『真実の眼』の力を手にしたのだ。
そうせざるを得ない状況に、追い込まれていた。
その結果、国王夫妻を、トゥルクを死に至らしめることになったのだ。
秘宝の魔力はシェイドの強靭な精神力をも凌駕し、彼という人格を飲み込んだのだろう。
そして、暴走した『シェイド』は長年心の奥底に封じ込めてきた想いの赴くまま、求めてやまなかった存在のもとへと走った。
愛しい女性-----親友であるペーレウスの妻、テティスのもとへ、と-----。
テティスを奪い、アキレウスの記憶を操作し、街に火を放って、シェイドは何処(いずこ)かヘ姿を消した。
シェイドはどれほどの覚悟をもって、真実の眼の力を手中にしたのだろう。
あの男のことだ、こういう事態になりえることも承知の上での、苦渋の末の決断だったのに違いない。
誇り高い彼は、その瞬間どんなことを考えたのか。
万が一の事態を憂えた時、何を思ったのか。
身命を賭す際(きわ)の親友を思い、ペーレウスは瞳を閉じた。その時のシェイドの声が聞こえてくるようだった。
シェイドは全てを親友である自分に託し、戻ることの許されない諸刃の扉を開けた。
おそらく-----もしも己が失われたその時は、友であるペーレウスが粛清の刃を振るってくれると、そう信じて-----。
「-----くそっ……!」
ペーレウスは軋むほど奥歯をかみしめ、拳を自らの太腿に叩きつけた。
何故、助けられなかった。
何故、止められなかった。
いったい何故、こんなことに……!
やるせない感情が涙となって溢れ出て、精悍な頬を濡らしていく。
-----オレは……いったい、何をやっているんだ……!
親友が、妻が、息子が助けを求めていたその時に、いずれも駆けつけることが出来なかった。
全てが後手後手に回り、そこかしこに大きな傷痕を残して、まだ何ひとつ解決していない。
別人となった親友のもとで、家族から引き離された妻は今、どんなに切ない思いをしているだろう。
-----テティス……シェイド……。
眠る息子の傍らで、ペーレウスは自らの無力を呪い、声を押し殺して泣いた。
昂る感情を涙としてひとしきり押し流し、夜が明ける頃には、ペーレウスは落ち着きを取り戻し、これから進むべき道を見据えていた。
未だ煙のくすぶり続ける、一夜にして無残に変わり果てた街並を照らし出しながら、それでもいつもと変わらずに朝日は昇る。
精悍さを増した横顔に朝の光を受けながら、ペーレウスは静かにそれを見つめていた。
例えどんな過ちを犯したとしても、どんな犠牲を払ったとしても、朝は来て日が昇り、夜が来て日は沈む。天地は不変で、永遠にそれを繰り返し、生きている限り、人の営みは続いていく。
目の前に広がる焼き尽くされたこの街の光景も、時と共にやがては人々の記憶から薄れ、歴史書の一ページにその事実が残るだけになるのだろう。
歴史はきっと、そうして紡がれてきた。
生き続けるということは、時に残酷で、傲慢なことであるのかもしれない。誰かの犠牲の上に成り立っている“現在(いま)”の生活、けれどそれを自覚しないまま、与えられた環境を当たり前のように享受して、多くの者が生きている。
その環境が出来るに至るまで、どういった軌跡をたどり、どれほど多くの血が流されてきたのかということなど、思いも至らずに。
だが一方で、それを自覚して、その重みをかみしめながら生きている側の人間もいる。
-----オレは、背負う側の人間になろう。
ウラノスを手に取り、ペーレウスは鞘の上からその刀身をゆっくりとなぜた。
シェイドを古(いにしえ)の宝玉から解放し、テティスを救い出し、アキレウスの記憶を取り戻す。
それが例え、親友の命を奪うことになるのだとしても。
-----必ず助け出すと、あいつと約束をした。
テティスへの想いを、シェイドは生涯内に秘めたままでいたかったはずだ。間違ってもテティス本人やペーレウスには知られたくなかっただろう。
シェイドはペーレウスを待っている。そして、望んでいる。
例え今、その意識が彼の表には出ていないのだとしても。
深層意識の底で、シェイドの魂は叫んでいる。
真実の眼からの解放と、ペーレウスの手による粛清を-----。
*
一夜明け、動乱の混迷覚めやらぬ城内にペーレウスが姿を現した時、ホッとした表情を見せた新国王レイドリックとは対照的に、多くの重臣達は実に胡散(うさん)臭げな眼差しを鋼の騎士へと向けた。
前国王オレインの命によって謹慎中の身であるはずのペーレウスが昨夜城内にいたという数多くの目撃情報と、ロイド公爵が大々的に吹聴している、重罪人として地下牢に囚われていたガゼ族達を彼が逃がしたという証言は、彼らの不信感を大きく煽っていた。
ガゼ族の件が事実であれば、反逆罪と取られてもおかしくない愚行である。
しかもロイド公爵の話によれば、ペーレウスはその際、制止しようとするロイド公爵に対して剣を抜き、公爵の私兵を負傷させたのだという。この暴挙が真なら、査問会を開いてペーレウスを厳しく弾劾し、然(しか)るべき処分を科す必要があった。
それに、今回の国王夫妻の死についてペーレウスには黒い疑惑が囁かれていた。
国家転覆未遂罪に問われ拘束されていた彼の盟友シェイド・ランカートと共に、ペーレウスは殺害された前国王オレインの不況を買い、厳しい謹慎処分を言い渡されていた。城内では『異才の両翼』の失墜はもはや免れないとの見方が強まり、近日中にも両団長職が解かれるのではないかと噂されていた。
そんな最中(さなか)での思いもよらぬ形での国王夫妻の訃報、そしてシェイド・ランカートの失踪、その夜に目撃された不可解なペーレウスの行動-----もしやこれは国王に見限られた両団長によるクーデターではないのか-----そんな憶測が人々の間には流れていたのだ。
周囲から猜疑の目が注がれる中、ペーレウスはレイドリックの前に片膝をついて丁重な礼を取り、毅然とした面持ちを上げて口を開いた。
「陛下。参上が遅くなりまして、申し訳ございません。今回の件につきまして、至急内密にご報告申し上げたいことがございます。どうかお時間をいただけないでしょうか」
「ペーレウス-----うむ、分かった」
レイドリックはペーレウスの申し出を承諾したが、彼を取り巻く重臣達の間からそれを制止する声が上がった。
「お待ち下さい、陛下。恐れながら、昨夜の騎士団長殿の行動には疑わしき点が随所に見られます。私(わたくし)を始め、それを疑問に思われている方々も多いはず……邪推であれば良いのですが、この疑惑が晴れぬうちは、一対一の接見を許可すべきではないと存じます」
発言者はロイド公爵だった。もっともらしい口舌を述べ、胸を反らして、同意を募るようにゆっくりと周囲を見渡す。すると、それに賛同する声が保守派を中心に相次いだ。
「ロイド公爵の仰る通りです、今は慎重に期するべき時……陛下に万が一のことがあってはなりません」
「その通り、我々の目の届かないところで何かがあっては一大事ですからな、申し上げたいことがあるならばこの場で申されるべきだ」
「僭越ながら、事の真偽がはっきりするまでは、騎士団長殿の身柄を預かるべきではありませんか」
「-----皆様、いったい何を仰っているのですかッ! ぺ-----騎士団長は不測の事態を最小限にとどめようと、昨晩は陛下の叱責を覚悟の上で、謹慎の身を押し駆けつけたのですぞ! だいたい、城内に侵入者を許してしまうような穴だらけの防備態勢を放置してきたのはどこのどなたです! 他でもない貴方がたではありませんか! 謂(いわ)れのない誹謗中傷はやめていただきたいッ!!」
顔を真っ赤にしてマルバスが反論するが、それは火に油を注ぐだけだった。
「口を慎みたまえ、マルバス卿! 我々を侮辱するか!」
「侵入者が城内にいたという証拠はない! 其方(そなた)らが侵入者と称する兵士の遺体が確認されただけではないか!」
「今回の件はガゼ族の仕業だ! 亡きオレイン様に妙に取り入っていたあの占術師の亡骸はあろうことか王族と特務神官以外は立ち入ることを許されない聖域内で発見され、その娘と族長は逃亡したのだぞ! 奴等は最初から我が国の秘宝目当てでこの城へとやってきたのに違いない! 己が身にやましいところがないのであれば、逃げる必要などないではないか!」
水掛け論に発展する論議に、ペーレウスの鋭い声が飛んだ。
「静粛に! 陛下の御前です!」
ビリッ、と空気が震え、騒然としていた場が一瞬にして静まり返った。あちらこちらからごくりと生唾を飲み込むような音が聞こえ、レイドリックの前に膝をついたままのペーレウスに全ての視線が吸い寄せられる。
「……天地神明に誓って、私は国を裏切るような真似はしていません。しかし、貴方がたの私に対する疑念は理解出来る。されど、今は我が身の潔白についてひとつずつ証明している時間はありません」
淡々とそう述べ、ペーレウスは背中の剣と腰に着けていた剣帯とを取り外した。
「マルバス卿、これを預かってもらえるか」
「あ……、はっ……」
我に返ったようにマルバスがペーレウスのもとへと進み出てそれを受け取る。ペーレウスは重臣達一人一人の顔をぐるりと見やり、改めてこう願い出た。
「陛下と接見させていただくにあたり、身体検査をしてもらって構いません。立会人として、長年陛下付きの騎士であったオルティスに同席してもらいましょう。私に不審な動きがあると彼が判断した場合には、その場で斬り捨ててもらって構いません-----どうか接見を認めて下さい」
願い出る体裁ではあったが、反論を許さない空気を纏ったペーレウスのそれは命令だった。
ロイド公爵を始めとする保守派の重臣達はペーレウスから放たれる圧倒的な気迫に圧され、それを屈辱と感じながらも、誰もがそれに逆らうことが出来なかった。それは詮議する者とされる者との立場が逆転した不可思議な光景だった。
その状況を見渡し、レイドリックが提言した。
「私の身を案じてくれる皆の気持ちはありがたい。それを考慮して、ペーレウスと接見するにあたり、この中からもう一人立会人として同席してもらおうと思う。-----エレーン・カリオーぺ。其方だ」
レイドリックの指名を受け、室内の片隅に控えていた年若い少女が進み出た。凛とした雰囲気を備えた、目を瞠(みは)るような美貌の持ち主だ。
初めて見る顔だったが、ペーレウスはその名前に聞き覚えがあった。
いつだったかシェイドとの話題に上った、今年魔導士団に入団したばかりの賢者の少女だ。あのシェイドが珍しく褒めていた人物だったから、良く覚えている。
彼女が指名された理由は、続くレイドリックの言葉で理解出来た。
「我が国の守護獣たる聖竜ロードバーンに認められた者だ。皆も異論はあるまい」
-----この少女がシェイドからロードバーンを受け継ぐ形になったのか。
ペーレウスは複雑な心境で目の前のエレーンを見つめた。シェイドに似た、怜悧(れいり)な輝きを瞳に湛えた少女だった。
*
接見は別室で行われることになり、ペーレウス達は重臣達をその場に残して近くの部屋へと移動した。
「報告を受ける前に-----ペーレウス、まずは彼女の話を聞いてもらいたい」
レイドリックからの要望で、ペーレウスはまずエレーンの話を聞くことになった。
ロードバーンを受け入れた際、エレーンにはロードバーンの記憶が断片的に見えたのだという。それは、シェイドを通じてロードバーンが知り得たと思われる内容だった。
レイドリックとオルティスは、彼女がロードバーンに新たな使い手として選ばれたことが分かった時点で彼女と面会をし、その時に彼女から直接それを聞かされたらしい。
その内容はパズルのピースのようにところどころ欠けていた今回の動乱の空白部分を埋めていき、ペーレウスの中で一連の流れは全て繋がった。
「では、現在陛下の出自を知る者は、彼女を含めた我々とシェイドの計五名ということですね」
「そういうことになる」
頷いたレイドリックからエレーンへと視線を移して、ペーレウスは彼女に尋ねた。
「それで-----君は、ロードバーンの力を操ることが出来るのか」
エレーンは静かに首を振った。
「……いいえ。恥ずかしながら、昨夜はロードバーンをこの身に受け入れただけで気を失ってしまいました。彼を操ることなど、今の私には到底無理です。それに、ロードバーンはまだ私を使い手として認めたわけではないと思います。おそらく、仮初めの宿体として選んだだけかと……」
「……将来的にロードバーンに認められる自信はあるのか?」
それは、いずれこの国の魔導士団長として立つ矜持(きょうじ)と覚悟があるのかというペーレウスからの問いかけだった。
「私は、驕(おご)ることは嫌いです。日々練磨し、そうなれるよう精進するということは誓えますが、自分の現状を推し量る限り絶対の自信があるとは言い切れません。もし結果的に私がロードバーンに認められる器たれなかった場合には、然(しか)るべき人物に聖竜を継承したのち、私自身は一生この情報を秘匿(ひとく)することを誓約した上で、表舞台から退きましょう」
15歳の少女とは思えない整然とした回答だったが、ペーレウスは更に踏み込んで問い重ねた。
「立派な発言だが、口で言うことは簡単だ。私は君のことをよく知らない……君が本当にこの情報を生涯秘匿し続けることが出来る人間であるのかどうか、私には定かではないし、それはすぐに判断出来ることではない。それ故(ゆえ)、君が信用するに足る人物だという、その確証がほしい。それを提示出来るか?」
「それ、は……」
無茶とも言える振りに聡明なエレーンもさすがに言い淀み、考え込んだ。
「……騎士団長は、こちらにいるオルティス様のことは信頼していらっしゃるのですよね?」
「あぁ、彼のことは信頼している」
「ならば-----」
エレーンは長身のオルティスを振り仰ぎ、彼の黄玉色(トパーズ)の瞳を捉えてこう言った。
「私が信頼出来ない人物であると貴方が判断された場合には、どうぞ陛下の前で私をお斬り捨て下さい。そうして下さって構いません」
オルティスとレイドリックが驚きの表情を浮かべる。ペーレウスは冷静にエレーンに尋ねた。
「……何故、彼にその役目を?」
「先程、騎士団長は同じようなことを重臣の方々の前で仰りました。騎士団長からそれほどの信頼を得られている方で、かつ、陛下の一番身近にいらっしゃるオルティス様ならば、その役目にふさわしいと考えたからです」
「……君はまだ魔導士団に入団したてで15歳という若さだ。それが突然国の守護神であるロードバーンに見初められ、望みもしなかった重い秘密を知り、想像だにしていなかった重責を担わされることになった。普通ならそれを不運と嘆くか、大出世と勇み喜ぶか-----だが、君はそのどちらでもない。何故、そこまでして応えようとする?」
ペーレウスの追求を受けたエレーンはややうつむき、半眼を伏せてその理由を述べた。
「ロードバーンを受け入れた時……この国を守ってきた先人達の数々の思いが、伝わってきました。言葉で言い表すことなど出来ない、重くて、深い……英霊達の軌跡です」
エレーンは整った面(おもて)を上げ、紫水晶色(アメジスト)の瞳に毅然とした色を浮かべてペーレウスに訴えた。
「先人達の築いてきたこの国を、守りたい。綺麗事だけでは済まされない、幾多もの尊い犠牲を払った上に成り立ってきたこの国を、守っていきたい。私の力が、この国の未来へと続く礎(いしずえ)となれるのならば-----心から、そう思ったのです。これでは、理由になりませんか」
わずかに頬を紅潮させ強い気概を覗かせたエレーンは、初めて15歳の少女らしい、真っ直ぐで純粋な表情を見せた。
ペーレウスは少しの間、無言でそんなエレーンを見つめていた。深く照射し、全てを見透かすかのような黒茶色(セピアブラウン)の瞳を、エレーンは臆することなく受け止めた。
「……君は、きっといい家臣になるな」
しばしの沈黙の後、ペーレウスはそう言って、初めてエレーンに笑顔を見せた。その言葉に、エレーンが微かに目を見開く。
「意地が悪い物言いをしてすまなかった。君がどんな人間なのか、自分の目で見定めたかったんだ」
ロードバーンが仮初めとはいえ彼女を選んだ時点で、エレーンが人格的にも申し分のない人物なのだろうという察しはついていた。だが、これから行動を起こすにあたって、ペーレウスはどうしても自分自身でそれを確かめておきたかったのだ。
そしてペーレウスはレイドリック達がまだ知らない、自らが把握している情報を包み隠さずに彼らに話した。今回の動乱の一連の流れが彼らの中でも繋がり、三人の若者の表情に衝撃が走る。
ペーレウスは改めてレイドリックの前に進み出ると、その御前で片膝を折り頭(こうべ)を垂れて、若き主君に願い出た。
「……陛下。ご報告かたがた、今日はどうしてもお許しいただきたいことがあって参ったのです」
「何だ? ペーレウス」
鋼の騎士が醸し出すただならぬ雰囲気を察知し、レイドリックが硬い声を出す。
ペーレウスはじっと床を見つめ、頭の位置を更に低くして、自らの要望を主君に伝えた。
「-----私の騎士団長の任を解き、騎士資格を剥奪して下さい」
「ペーレウス!? 馬鹿な……! 突然何を言う!?」
レイドリックばかりでなく、これにはオルティスもエレーンも耳を疑った。
「どうかお聞き下さい。私は前国王オレイン様による謹慎処分中の身であったにもかかわらず、今回の動乱の被疑者であるガゼ族達を独断で解放し、それを未然に防ごうとした者達に刃を向けました。先程の重臣方の様子をご覧になってお分かりのように、彼らの私に対する不信感は相当なものです。私が何かしらの処分を受けなくては、彼らは到底納得しないでしょう。それが元で、陛下の不信に繋がるようなことがあってはなりません」
「しかし、それは……! トゥルク以外のガゼの者達は、今回のことを何も知らなかったのだろう!? ならば、無実の彼らが罰せられる理由はない! そんなことでお前が責任を取る必要は!」
「トゥルクが死亡した今、それを証明する術はありません。それにトゥルクが生きていたとして、その罪を立証することは不可能です。貴方とシェイドとの関係を世間に公表するわけにはいかない……。私の一存で申し訳ないのですが、ガゼの族長ホレットと一族の助命を引き換えに、この夜起きたことを一切口外しないよう密約を結びました。これによってドヴァーフ側は城内に不得定数の侵入者を許したという不名誉な事実を秘匿(ひとく)出来、ガゼは謂れのない犯罪者の疑いをかけられたままということになりましょうが、ガゼ族総ぐるみでの国家に対する反逆罪に問われる事態は免れることが出来、罪のない多くの者達の命は救われます」
視線を床に落としたまま、ペーレウスは淡々と説明を続けた。
「城内に潜入した間者はおそらくウィルハッタの手の者……しかし、証拠はありません。マルバス卿を始めとする精鋭達が現在調査を進めていますが、おそらく裏が取れることはないでしょう。彼らの狙いはドヴァーフとガゼの決裂……それによる、ドヴァーフの国力増強の抑止。今回の目的はそれに特化していたものと思われます」
現在のドヴァーフとウィルハッタは表面上、落ち着いた関係を保っている。それを壊し国際的な非難を浴びるつもりは、今のところウィルハッタにはないのだろう。
「トゥルクの行動に乗じて作戦を開始した彼らは、全てをガゼ族の仕業に見せかけるよう仕向けようとしました。我々はそれを逆手に取り、彼らの存在をクローズアップすることによって、前国王夫妻殺害の真犯人とこの動乱にまつわる真実とをうやむやの方向に持っていかねばなりません」
「……どういう、ことだ?」
「この動乱に確たる被疑者がいてはならないのです。絶対に迷宮入りにさせねばなりません」
ペーレウスはそう明言した。
レイドリックが不義の子だという事実。シェイドとの関係。隠し通す為には、昨夜の全ての出来事はどれひとつとして解決させてはならない。
この動乱の根源を、絶対に特定されるわけにはいかないのだ。
「正体不明の被疑者は聖域で行われたシェイド・ランカートの取調べに乗じて国の秘宝を強奪し、居合わせたトゥルクと兵士達を殺害、脱出口確保の手段としてオレイン様を連れ去り、その後めどが立ったところでオレイン様と部屋にいたイレーネ様を殺害、逃亡-----単身被疑者を追っていたシェイド・ランカートはその最中、相手と交戦となり死亡。被疑者は追っ手を逃れる為、街に火を放って逃走-----国はシェイドの死を名誉の戦死とし、一族の嫌疑を解いてランカート家の威信を回復させる-----こじつけではありますが、このような形で煮詰めていってはどうでしょうか」
考えの一端を述べるペーレウスにレイドリックは困惑の色を露わにした。
「しかし……シェイドは生きている。お前の配偶者を伴って、何処(いずこ)かヘ姿を消したのだろう?」
「そこで-----陛下。私に、『真実の眼』の奪還をお申し付け下さい」
「お前に……真実の眼の奪還を……!?」
「はい。私はトゥルクの不審な動向に気が付き、また間者の存在にも気が付いていながら、オレイン様を制止することも、友を助けることも-----この動乱を防ぐことも、家族を助けることさえも出来ませんでした。この国の騎士団長でありながら、面目次第もない結果です」
沈痛な面持ちで、ペーレウスは己の無力をかみしめるように瞳を伏せた。
「私は、責任を取らなくてはなりません。シェイド・ランカートをこの手で討ち、真実の眼を奪還する-----それが、私に科せられた贖罪(しょくざい)です」
「ペーレウス……」
臣下の悲壮な決意を感じ取ったレイドリックは喉を震わせ、やりきれない思いを吐露した。
「お前の言うことも、分からなくはない。道理に適っているのではないか、とも思う-----だが……だが! 何故、お前ばかりがそんなにも、何もかもを背負わなくてはならない!? 私は、お前がこの事態をどうにか未然に防ごうと、必死で奔走していたことを知っている! この国の為に一番尽力してくれたと言って過言ではないお前が、何故全ての責を負わなくてはならない!? 馬鹿げているッ……何故、私がお前の騎士資格を剥奪し、そんな不条理な処分を下さねばならないのだ!?」
レイドリックは語気を荒げ、行き場のない義憤に全身をわななかせた。どうしても納得出来ない。
何の因果で尊敬する二人の師がこんな形でぶつからなければならないのか。何故、親友同士の二人がこんな終焉を迎えなければならないのか。
ペーレウスもシェイドも、悪くはない。誰が一番悪い、とも言い切れない。様々な素因が絡み、今回の悲劇を生み出したのだ。
「陛下……」
なだめようとするペーレウスを遮り、レイドリックは叫んだ。
「分かっている、組織というものには体面がある、何か問題が起こった場合、誰かが何らかの形で責任を取り、体裁を保たなければならない! それくらいのことは、分かっている!!」
癇癪を起こした子供のように顔を赤く染め、両眼から涙を溢れさせながら、レイドリックは鋼の騎士に訴えた。
「何か、別の方法はないのか! お前はこの国に必要な人材だ、失うわけにはいかない!! 私の傍らでこの国を支え、これからも共に歩んでもらいたいのだ!!」
日頃聡明で臣下の前で取り乱したことなどないレイドリックの乱れように、自らの決意が若き主君の心をどれほど傷付けようとしているのかを知り、ペーレウスの胸は痛んだ。
「もったいなきお言葉……されど、これは私自身の問題でもあるのです。シェイドは私の妻を連れ去り、息子の記憶を不当に操作しました。それに……私は監獄塔でシェイドに約束したのです。ここから必ず助け出す、と-----。幽閉場所が監獄塔から真実の眼の中に置き変わっただけで、今も囚われたままのシェイドは、私が助け出す時を待っているのです。私は、行かねばならない。友との約束を果たす為にも-----」
ペーレウスは涙に濡れたレイドリックの顔を見上げ、断腸の思いで自らの意志を押し通した。
「どうか、私の我が儘をお許し下さい」
レイドリックはきつく目をつぶり、肩を震わせながら言った。
「シェイドが、どこにいるのか、心当たりはあるのか……!?」
「はい……おそらくは、レントール地方にあるランカート家の所有地に」
シェイドがテティスを伴って何処かヘ姿を消したと分かった時、ペーレウスの脳裏に思い浮かんだのはそこだった。そこしかないと、何故か確信した。
その昔シェイドに招かれて、レントール地方の彼の別荘に遊びに行ったことがある。そこはシェイドにとって特別な思い入れのある、とても大切な場所だった。
「シェイドは真実の眼の力を得、以前とは比較にならないほどの力を手にしているのだぞ……!」
「……はい」
「お前は魔力を持たぬ鋼の騎士だ……どれほど強くとも、たった一人で今のシェイド相手に敵うと思うのか……!」
「必ずや……この命に換えましても、使命は果たします」
「お前に万が一のことがあったら、残されたお前の息子はどうなるのだ……!」
話が一人息子に及んだ時、ペーレウスは初めて苦しそうな表情を見せた。
「その件に関して-----お願いがあります。私は死にに行くつもりはありませんし、この命に換えても必ずや使命を果たすことを誓いますが-----生きて帰れる保障がない、ということは承知しています。もし十日経っても私が-----私と、妻が戻らない時は-----どうか、アキレウスのことをお願いできないでしょうか。影ながら……息子が一人でも生きていけるように、手筈を整えていただきたいのです」
ペーレウスはそう言って深々と頭を下げた。
「このようなお願い、陛下に申し上げること自体筋違いだということは、重々承知しております。しかしながら、私と妻に身寄りはなく、我々に何かがあった場合には、息子は天涯孤独の身となってしまいます。これから息子に降りかかる世間の逆境を考えると、あまりに忍びなく-----」
流れ落ちる涙もそのままにそんなペーレウスを見つめていたレイドリックは、もはや臣下の固い決意を覆せないのだと悟り、きつく結んでいた唇を開いた。
「どうあっても……お前を止めることは、出来ないのだな……」
「……。申し訳ありません……」
「息子は今、どこにいる?」
「王都で酒場を経営している知り合いのところへ、預けてあります」
「分かった……後で、詳しい所在をオルティスに伝えておいてくれ」
「陛下-----ありがとうございます」
ペーレウスは口元をほころばせてレイドリックを見上げ、感謝の意を表した。
「心残りは……全力で支えると申し上げたにもかかわらず、貴方を側で支えることが叶わなくなってしまったことです。本当に、申し訳ありません……」
「ペーレウス……」
ペーレウスは切なげな表情で佇むオルティスとエレーンをゆっくりと見やり、それから目を赤くしたレイドリックに視線を戻して、進言した。
「二人は、貴方の良き支えとなるでしょう。しかし、今はまだ若すぎる。彼らが周囲に認められる存在になるまでは、当面、騎士団長と魔導士団長の両職は別の人間に任せた方が良いでしょう。私は当座の騎士団長職に現万騎隊長職にあるマルバス卿、魔導士団長には現魔導士団副団長を務めるフレイア卿を推薦します。マルバス卿は私の良く知る人物で、剣技・人格共に申し分なく、フレイア卿はずっと中立の立場に身を置いており、冷静な判断力をお持ちの方です。魔法力においても申し分のない人物であると聞き及んでいます」
ペーレウスの言葉を粛々と聞いていたレイドリックは重々しく頷いた。
「……参考にさせてもらおう」
そして、覚悟を決めたようにひとつ深呼吸をすると、かしこまるペーレウスに厳命を下した。
「ペーレウス、其方に我が国の秘宝の奪還と略奪者の粛清を命じる-----必ずや任務を遂行し、生きて戻れ。死ぬことは許さん……絶対に、だ!」
「……尽力致します」
「それに伴い-----」
ヒク、とレイドリックの喉が鳴る。こぼれそうになる嗚咽を堪(こら)え、精神力を駆使して、若き王はその言葉を絞り出した。
「只今をもって、其方の騎士団長職の任を解き、騎士資格を剥奪する! 証たる外套を速やかに返上し、直ちに発(た)て! 以後、我が国の騎士と名乗ることはまかりならぬ! 良いな!」
「はッ……」
ペーレウスは神妙な面持ちで王命を承り、この国の騎士団長たる証である深緑の外套を外し、レイドリックに返納した。
「良き君主におなり下さい、陛下。この国を継がれるのが貴方だからこそ、後をオルティスとエレーンに託して、私は城を去れるのです。聡明な貴方はそうなれる御方だと、信じております」
「ペーレウス……お前の働きに恥じないよう、私は、名実共に胸を張れる王になろう。……異母兄上(あにうえ)を……頼む」
レイドリックの頬を、またひと筋の涙が伝う。
「こんなふうに泣くのは、今日が最後だ」
そう言って無理に口角を上げる若き国王を見て、ペーレウスは淡く微笑んだ。その光景を見守りながら、オルティスは唇をかみしめて涙を堪(こら)え、エレーンは無言でそっと目頭を押さえた。
*
接見を終えた国王達が再び姿を見せた時、その時を待ちわびていた重臣達の間からは、さざ波のように驚きの声が沸き起こった。
ペーレウスの深緑の外套を国王レイドリックが手にしていたからだ。
「-----行(ゆ)け、ペーレウス」
ざわめきが広がる中、レイドリックにそう命じられたペーレウスは主君に深々と一礼し、その場を後にした。
「陛下、これは-----」
「いったい何が……!?」
背後にオルティスとエレーンを従えたレイドリックはざわめく重臣達に向き直り、厳しい表情で接見の内容を伝えた。
「-----行方不明になっていたシェイド・ランカートの死亡がペーレウスにより確認された」
衝撃の一報に、どよめきが沸き起こる。
「詳細は追って確認するが、どうやら私の両親を手にかけた輩(やから)を単身で追跡中に戦闘となり、命を落とした模様だ」
「何と……!」
「それは真ですか!?」
「それから-----ペーレウスの騎士団長の任を解き、騎士資格を剥奪した」
再び、どよめきが沸き起こる。
「問題となっているガゼ族の件を問い質(ただ)したところ、ペーレウスは彼らを脱獄させたことを認めた。ペーレウスは昨夜の動乱の首謀者が彼らではなく、城内に潜入した不特定数の侵入者の仕業だと主張しているが、その証拠はなく、あまりにも浅はかとしか言いようのない愚行だ。しかも、私の父に謹慎を命じられていた身だったにもかかわらず……。その責任を問い、ペーレウスを罷免(ひめん)した」
「しかし……それでは、処分が軽すぎるのでは?」
「そうです、もしガゼ族が前国王夫妻殺害の犯人だった場合は!」
異論の声が次々と上がる。レイドリックは頷いて、ペーレウスに科した処分を明らかにした。
「その通り、これでは処分が軽すぎる。そこで私はペーレウスに勅命を下した……単身で我が国の秘宝を奪還し、略奪者を粛清せよと。それを成し遂げるまで、王都に足を踏み入れることはまかりならぬと厳命した。任務を果たさない限り、ペーレウスは家族に会うことはおろか、二度と故郷の地を踏むことも出来ない」
それを聞いた重臣達はまたしてもざわつき、あちらこちらで審議の声が囁かれた。
ドヴァーフ史上類を見ない災厄を巻き起こした、まだ正体も定かではない犯人を、誰の力も借りずに突き止め、更に消えた宝玉を単身で奪還するなど、極めて不可能に近い。家族を人質に取られた上での、事実上の追放処分である。
納得を示す者と、それでもまだ処分が軽いのではと疑問を呈する者に分かれる中、レイドリックが看過することの出来ない発言をした者がいた。
「いや、陛下、お見事な裁断です。負傷した私の配下もこれで溜飲が下がるというもの-----しかし、何とも皮肉な英雄の末路ですな。『鋼の騎士』と尊(たっと)ばれた歴史の寵児がこんな形で消え去ることになろうとは……成り上がり者の驕りが出たということでしょうか。いやはや、残念至極と言う他ないと申しますか-----」
「黙れ、ロイド!」
雷光のようなレイドリックの怒声が轟いた。
「身命を賭し、死地に赴く者をおとしめるような発言は、この私が許さない! 恥を知れ!!」
国王の鋭い一喝に、水を打ったように辺りが静まり返る。
同じくロイド公爵の発言を腹に据えかね口を開きかけていたオルティスは、普段のレイドリックからは想像もつかないその様子に驚いた。主君の背中は、抑え切れない怒りで震えている。
思いがけぬ形で長年の怨敵が去り気持ちよく舌を振るっていたロイド公爵は、まさかの国王の逆鱗に触れ、色を失くし震え上がった。理知的な印象の強い新国王からの思いもよらない強い叱責は、驚愕と共にロイド公爵に多大なダメージを与えたのだった。
「へ、陛下! わ、私は何もそのようなつもりでは……!」
激しい怒りを見せたレイドリックは蒼白になったロイド公爵にはそれ以降目もくれず、すぐに冷静な表情を取り戻すと、重臣達に今後のことを告げた。
「ペーレウスの罷免とシェイドの死亡により空位となった、両団長職の選任と発表は日を改めて行う。今最も重要なのは、動乱の真相究明と平行して、王都の復旧に全力を挙げることだ。皆、心してかかってもらいたい」
-----それから数ヵ月後。新国王レイドリックは旧体制を一掃し、新たな体制を敷く為の大改革に着手することになる。ロイド公爵が長年務めていた要職から外されることになったのは、その直後のことである。
*
ペーレウスを送り出してからというもの、レイドリックは激務に追われながら祈るような日々を過ごすことになった。
あと数日もすれば、帰ってくるだろうか。
明日辺りには、戻るだろうか。
今日こそは、その姿を見せてくれるだろうか-----。
期限の十日間は瞬く間に過ぎていき、十一日目の朝を迎えても、ペーレウスはレイドリックのもとには戻らなかった。
そして、何の音沙汰もないままひと月が過ぎた頃-----見かねたオルティスが、陛下、と声をかけた。
「-----あぁ、分かっている……。現実を、見つめねばならないな……」
レイドリックは諦念(ていねん)混じりの吐息をつき、オルティスに辛く危険な任務を依頼した。
「……オルティス。エレーンと共にレントールのランカート家の所有地へ赴き、確認をしてきてほしい。……何があるか分からない。危険だと判断した場合は、無理をせず戻ってきてくれ。その時はまた、別の対策を立てよう」
「……分かりました」
レイドリックの命を受け、オルティスはエレーンと共にレントール地方へと馬を走らせた。
そこで彼らは変わり果てたランカート家の別荘と、凄絶な戦いの跡を目の当たりにすることになる。
そして、そこで彼らを待っていたものは-----。
帰還した二人からその報告を受けたレイドリックは、苦悩の末、ペーレウスを死亡したものと判断し、処することに決めた。微かに震える指で、家族の元に届けねばならない死亡通知書に判を押す。
「光の園、と言ったな……」
デスクに両肘をつき、組み合わせた掌に額を預けるようにしながら、レイドリックは背後のオルティスに声をかけた。
「はい。遠縁の大叔母が慈善行為で運営している孤児院で、小規模なところですが環境は悪くないと思います」
「そうか……。エレーン、ペーレウスの息子が光の園に移ったら、内密に様子を見てきてくれないか。シェイドに記憶を操作されているとのことだったが、どの程度のものなのか……こちらで解除することが可能なものであるのかどうか、知りたい」
「……かしこまりました」
オルティスと同じく背後に控えていたエレーンが静かに腰を折る。
レイドリックは伏せていた顔を上げ、窓の外を見やった。そこには皮肉なほどに澄み渡った青い空が広がっていたが、レイドリックの灰色(グレイ)の瞳はただそれを映しているだけで、彼の心の中はいつ晴れるとも知れない鉛色の雲に覆われていた。
*
その日の午後、レイドリックは思いもかけぬ人物の来訪を受けることとなった。
見た瞬間、ひと目で分かった。
見知った人物に良く似た目鼻立ち-----一点の曇りもない翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳に真っ直ぐな怒りを宿した幼い少年は、追いかけてきた門番に羽交い締めにされながら、真っ赤に泣き腫らした眦(まなじり)をつり上げてレイドリックに訴えた。
「-----子供だからって、ナメんなよッ! ちゃんとオレの質問に答えろッ!! 本当にこの事件は父さんのせいなのかよ、ちゃんと調べたのかよッ!? 本当、の……本当のことを言えッ!!」
揺るぎない道を進むと覚悟を決めたレイドリックを貫く、純真な眼差しと、真実を求める、無垢な魂の悲痛な叫び。その声はそうではいられなくなってしまった者の胸に、深く深く突き刺さる。
「何で父さんが騎士の資格を剥奪されなきゃいけない!? どうしてたった一人で、奪われた財宝を取り返さなきゃいけないんだよ!? そんなの、死ねって言ってるようなもんじゃないか……! あんたは、そんなに父さんを殺したいのかよッ!? -----この人殺しッ!!」
少年から繰り出される純粋な怒りの矛先は、この上ないほどにレイドリックの胸を抉る。どんなに言葉を取り繕ってみせたところで、レイドリックがペーレウスにそれを命じたのは事実なのだ。そして-----ペーレウスは、戻っては来なかった。
これから父の死亡通知が届くのだと知ったら、この少年の憤りと悲嘆はいかばかりになるだろう。
レイドリックは自身から感情を切り離すように努めながら、口を開いた。
「ペーレウスの息子よ……今の私が其方に伝えるべき言葉は、他にない。だが……未来においては、あるいは違う選択肢があるのやも知れぬ。其方が大人と呼べる年齢になった時……その揺るぎない信念を其方の中に見い出すことが出来たなら、今の其方の望む答えを、その時の其方に伝えよう。だが、ゆめゆめ忘れるな。これは、未来の其方の在り方次第なのだということを-----」
全ての感情を消し去って紡ぎ出された平坦な声は、自分でもぞっとするほど冷たかった。
父親の無実を信じ、泣きながらそれを訴える罪もない哀れな子供に、こんなにも冷たい声で、謎かけのような言葉しか口にすることが出来ない。ひどく心苦しかったが、それが今のレイドリックに出来る精一杯だった。
感情的になっている幼い子供にこんな言い回しが理解出来るはずもなく、あしらわれたと感じたのだろう、ペーレウスの息子はさっと気色ばんだ表情になると、ありったけの力を目に込めてにらみつけてきた。
憎んでくれていい。それだけの所業を、自分はこの子供に為(な)している。
むしろ、殺したいほどに憎めばいい。その憎む力が少年の生きる糧となるのであれば、いくら憎んでもらっても構わない。
そんな国王の姿を背後から見守っていたオルティスとエレーンは、後日、最近の主君の様子について話し合った。
「即位してからというもの、陛下は根を詰め過ぎなのではありませんか」
そう案じるエレーンに、オルティスが苦りきった顔で相槌を打つ。
「そうだな……働き過ぎだし、それにほとんど寝ていないようだ。いや、眠れないと言った方が正しいのか……。特にレントールでの件を報告してからは何かに取り憑かれたかのように職務をこなされている。おそらく、結果的にペーレウス様を死に追いやってしまったという自責の念が、立派な主君にならなければという強迫観念めいた思いになって、そうさせているのだろう」
「あれは、陛下の責任では……。このままでは、倒れられてしまうのも時間の問題です」
「あぁ……何とか、しないとな。今日もひどい顔色だ……無理にでも寝かせて差し上げることが出来たらいいんだが」
オルティスが漏らしたその言葉にエレーンがふと瞳を輝かせた。
「……そうですね。この際、私達で無理にでも寝ていただくように差し向けましょうか」
思いも寄らぬその発言に、え、と驚いた様子を見せたオルティスのことなどどこ吹く風で、エレーンは形の良い顎に細い指を当て、自らの記憶を探った。
「今日の午後は確か、それほど重要な予定は入っていなかったはず……まずは充分に睡眠を取っていただかないと心も身体も回復しませんから、ここは倒れてしまわれる前に、多少強引にでも陛下に休息を取っていただきましょう」
一人そう結論付けると、エレーンは同意を求めるようにオルティスを見上げた。
「後で一緒にお叱りを受けて下さいますね?」
呆気に取られてそんなエレーンを見つめていたオルティスは、ややしてから小さく吹き出した。
「意外と無茶をやるんだな、エレーン。あぁ、いいとも。オレ達がこれだけ心配しているんだってことを陛下に分からせてやろう」
楽しそうな表情になったオルティスには気が付かず、エレーンはうつむいて自らの力不足を口にした。
「私達がもっと陛下の負担を減らして差し上げられたらいいのでしょうが……今の立場ではどうしても手伝えることが限られてしまいますし、それに私では、陛下の御心の内を聞いて差し上げることも出来ませんから……」
そんな彼女にオルティスは心持ち瞳を和らげ、穏やかな声をかけた。
「エレーン、オレは、お前とは同志になれると思っている……いや、今、そう思った」
「オルティス様……」
その言葉にエレーンは驚いた様子を見せ、長身の彼を振り仰いだ。
「共に過ごす時間が長くなり絆が深まれば、陛下もきっとお前を頼り、心の内を明かすようになるだろう。その信頼に応え、陛下の負担を軽くする為にも、オレとお前は昇りつめなければならない。その覚悟は、あるんだろう?」
表情を引き締め、エレーンが頷く。オルティスは口元に笑みを刻み、大きな手をエレーンに差し出した。
「今日からオレに対して敬語は無用だ。オルティス、と呼んでくれ。オレは騎士の道を-----お前は魔導士の道を極め、共に陛下を-----この国を支える礎となろう」
「オル……ティス……」
同志の名をためらいがちに呼んだエレーンは、ややしてから凛とした笑みを浮かべ、差し出されたオルティスの無骨な手を握った。二人の髪をわずかに揺らし、爽やかな風が吹き抜けていく。
清々しくも決意に満ちた顔を見合わせ、二人は共に契りの言葉を交わした。
「-----共に陛下の支えとなり、先人達の想いの眠るこの国を、必ずや守り抜こう」
*
その通知を手にした時、アキレウスは世界が暗転し、足元から深い闇に飲み込まれていくような気がした。
『紅焔の動乱』以後、彼の世界は180度覆り、心ない中傷や謂れのない差別に晒されながら、父親のいない辛い日々を送っていた。
『鋼の騎士』の名で親しまれ、絶大な人気を誇った庶民の英雄の失墜は、動乱の痛手から立ち直れずにいる人々の心に更なる陰を落とし、かつての英雄は今や咎人として世間の非難と怒りの的になっていた。
それでも父親の知り合いで預けられた家の主である酒場の主人はアキレウスに比較的優しくしてくれたが、彼の妻や子供達はアキレウスを厄介者扱いして、あからさまに邪険にしている。
心にも身体にも生傷が絶えないような毎日だったが、アキレウスは父親の無実を固く信じ、父が無実の証明と共に戻ってきてくれる日を頑なに待ち望んで、どんなに辛いことがあっても、悲しいことがあっても、父が帰ってくるその日まで、決して弱音を吐かずに頑張るつもりだったのだ。
だが、九歳の誕生日をたった独りで迎えた昨日、同じ年頃の子供達からぶつけられた父を侮辱する心無い言葉に耐え切れず、大ゲンカの末、荒ぶる激情のままに王城へと駆け込んだのだが、その結果は、幼い彼の心を更に傷付けるものとなった。
-----その上に。
これまでの全てを無に帰す通知を手にし、アキレウスは小さな身体を震わせた。
父の死亡通知を届けに来た城の使いは、家の主に国王からだという心付けを手渡しながら、これからのアキレウスの処遇について話をしている。
孤児院、光の園、という単語が交わされるのを耳にしながら、アキレウスは父の死亡通知をきつくきつく握り締めた。
昨日自分が城に駆け込んだ時、この通知がこれから届くことを国王は知っていたはずだ。知っていながら、そのことには一切触れず、何食わぬ顔をして、あんなふうに自分をあしらってみせたのか。
-----あんまりだ。
あんなにも国の為に尽くしてきた父親に対する仕打ちが、これか。働かせるだけ働かせて、その挙句、都合が悪くなったら無実の罪を着せて追放し、死に追いやって、こんな紙切れ一枚で、終わらせるのか。
納得なんて、出来るはずがない。
遺体はおろかその所持品さえ、何ひとつとして自分の元には戻ってこず、こんな紙切れ一枚で父の死を認めろだなんて。
-----権力者は、汚い。
無表情で自分を見下ろしていた、ガラス玉のような国王の灰色(グレイ)の瞳が脳裏に浮かぶ。
-----あんなヤツの言うこと、信じられるもんか。
絶対に、嘘に決まっている。あんなに強い父さんが死んだなんて。オレを独り残して、死んでしまっただなんて。
心に走る痛みがあまりにも強過ぎて、涙も出ない。だが、心の中にはいつ果てるともない暗く深い慟哭(どうこく)が吹き荒れていた。
アキレウスの中に種蒔かれていた、王家に対する、権力者に対する反骨精神が一気に芽吹き、太く深い根を下ろす。そして、少年は決意した。
絶対に、城のヤツらの力には頼らない。あんな汚い場所には、二度と行かない。
自分だけの力で、父の死を、その真相を突き止めてみせる。