当時12歳だったシェスナとガゼの族長ホレットを脱獄させ、その命を救った騎士-----それは、彼の父で当時の騎士団長を務めていた“鋼の騎士”ペーレウスに他ならなかった。
「パトロクロス、これって……」
「あぁ……」
パトロクロスとガーネットも気が付いたらしい。一人事情を知らないフリードだけが訝(いぶか)しげな顔をしつつ、意外にも状況をわきまえて沈黙を守っている。
アキレウスは父の形見である愛剣ヴァースをきつく握りしめた。
まさか、シェスナの口からこんな形で父の話を聞くことになろうとは思わなかった。
「『紅焔(こうえん)の動乱』-----あれを忘れたとは言わせませんよ。国王レイドリック、貴方が即位するきっかけとなった事件でもあるのですから」
束縛され身動きの取れない国王の鼻先に小剣を突きつけながら、シェスナはそう詰め寄った。
「私の父は清廉潔白を絵に描いたような人だった……あの父が秘宝を盗み出そうとするなど、有り得ない! あの人は決して咎人(とがにん)となるような人ではなかった! そんな父が、どうして死ななければならなかったのか……どうして、殺されなければならなかったのか! 私はその真実を知る為に来た! 答えなさい!」
血を吐くような、シェスナの叫び。それまで沈黙を守っていた国王レイドリックは、静かな灰色(グレイ)の瞳をシェスナへと向け、ゆっくりと重い口を開いた。
「……そうか。あの時の、トゥルクの子供か」
シェスナの全身に刻み込まれた痛々しい呪紋に目をやり、一度瞑目すると、レイドリックは彼女に問いかけた。
「ガゼの族長に、話は聞いたのか」
「大国の脅威の前に屈した腑抜け者の話など! 逃げるように住処を変え、全てを忘却の彼方に置き去りにし、部族の汚名を雪(すす)ぐこともせず、ただ漫然と生きているだけの敗北者……! 勇猛で誇り高きガゼの魂を忘れてしまった老人の口舌は、何を聞いても知らぬ存ぜぬ、で吐き気がする!」
激しい怒りを露わにするシェスナの琥珀の双眸を、レイドリックは正面から受け止めた。
「果たして、そうだろうか?」
「何……?」
シェスナが微かに眉宇をひそめる。
「真実とは、求める者の望む形であるとは限らない。それでもお前は、真実を望むというのか」
その口調が静かなものだったにもかかわらず、シェスナはわずかに気圧される自分を感じて瞳を揺らした。だが、彼女は瞬時にその動揺を押し隠し、答えを返していた。
「私はそれを知る為にここへ来た。迷いなど、ない」
言い切ったシェスナを真っ直ぐに見据え、レイドリックは頷いた。
「……そうか。では、望み通り語ろう。『真実の眼』にまつわる、真相を」
*
沈みゆく太陽が、戦場と化した王城を黄昏色に映し出す。どこか切なさを感じさせるその光に形の良い頬を染めながら、国王レイドリックは淡々と語り始めた。
「全ての始まりは、ガゼの占術師トゥルクからの申し出だった。彼は古い因習に縛られた部族の未来を憂い、その門戸を開こうとしていたのだが、頑なな長老衆の反対にあい、それを成し遂げられずにいたのだ。そこで彼が思い立ったのが、我々の力を借りることだった。我々にガゼの村の場所を教える代わりに、偶然の発見を装って国王から親睦の書状を送らせ、自分を含めたガゼの代表者達を王城へ呼び交易を図らせる-----それがトゥルクの考えたシナリオだったのだ」
「!? 何ですって……!?」
その内容に、のっけからシェスナは目を見開くこととなった。
深い森に迷い込み、衰弱しきった状態でガゼの村にたどり着いたドヴァーフの兵士-----人道上の理由からガゼの者達は彼を手厚く介抱し、やがて回復したその兵士を王都の近くまで送り届けた。これを知ったこの国の王がひどく感激し、後日親睦の書状を送ってよこしたというのが、彼女が、ガゼの民達が聞かされていた経緯(いきさつ)だった。
「いい加減なことを言うと-----!」
憤りかけるシェスナを目で制し、レイドリックが諭すように言い含める。
「深い森のあれほど奥地にあるガゼの村を、偶然で発見出来ると思うのか? 我が王家がそれまでその所在を掴めなかったことも納得の、秘境中の秘境だ。内通者がいなければまず無理だ」
「……!」
シェスナが唇をかみしめる。
父のトゥルクは、確かに拓かれたガゼを望んでいた。古い因習を尊(たっと)ぶのも大事だがそれに縛られ続けるのは愚かなことだと、時代は常に動いているのだと、常々嘆いていた。
「ガゼの竜を操る技には、かねてから我々も注目していた。しかし、閉鎖的で警戒心の強いガゼの村の所在をなかなか掴むことが出来ず、長い間膠着状態が続いていた。そこへその申し出だ……革新的な思考の持ち主だった私の父は喜んでそれを受けた。そして、ガゼの代表者達をこの城へ招く運びとなったのだ」
シェスナの脳裏にあの日の光景が甦る。あんなことになるとも知らず、あの時の自分はただ目の前の新しい世界に感動し、その胸いっぱいに希望を溢れさせていた。
「トゥルクは当初は純粋にガゼの未来を考えていたのだろう。だが……その優れた占術能力ゆえに、『真実の眼』の魔力に捕まった」
「捕まった……? どういうことです……?」
「真実の眼は、我が王家に古くから伝わる闇の秘宝-----この世のあらゆる真実を飲み込み、それを己の中に映し出す神器として伝えられている。だが、真実というものは美しいものばかりではない。真実の眼はそれにまつわる邪気をも飲み込み、当初は透き通るような美しい色合いだったものが次第に黒く変化していき、やがて漆黒の色彩を纏うようになったのだと言われている。真実の眼からはその邪気が溢れ、触れた者を次々と狂わせた。その為、この城の地下深くに封じられることとなったのだ。だが-----」
言葉を区切り、レイドリックはシェスナを見つめた。
「お前の話にもあったように、鋭い感覚の持ち主であったトゥルクには強力な結界を通してなおその波動が感じられた。そして-----トゥルクはある日、己の水晶球の中に真実の眼の姿を映し出してしまったのだ。そして、その力に魅せられた」
「-----そして真実の眼を欲し、それを奪いに走ったと? ……くだらない」
シェスナは口元を歪め、一笑に付した。
「そんな話には何の根拠もない……こじつけもいいところです。そもそも、稀代の能力を持つと言われた私の父の占術は一度として外れたことがなかったのですよ。真実の眼を欲する理由がない」
「確かにトゥルクは稀有な占術能力の持ち主だった。だが、それ故に己の力を過信しすぎた。真実の眼の存在を知った時、トゥルクにはそれが神の啓示であるように思えたのだ。そして、全てを知る力を持つ神器を不当に眠らせておくことはそれを授けた神に対する冒涜であり、“真実”を扱う者である自分にはそれを解放する義務があるのだと考えた。自分こそが神に選ばれし唯一絶対の使い手であり、真実の眼にふさわしい者だという妄執に囚われてしまったのだ」
淡然としたレイドリックの切り返しに、シェスナは瞳を険しくした。
「どうあっても賊と私の父とを結びつけたいようですね。ですが、冷静に考えてみて下さい。辺境に住まう一部族の占術師にすぎない父が、大国の秘宝を奪うことなど出来ると思うのですか? あれほど厳重な警備の中を、いったいどうやって? 得る物に対して背負う危険(リスク)があまりにも高すぎる。バカバカしい……まともな者が考えることではありませんよ」
「トゥルクは何も自分でその危険(リスク)を負う必要はなかった。秘宝を持ち出しても咎められない者にそれをやらせればよかったのだ」
レイドリックの回答に淀みはなかった。その言葉の示す意味に、それまで平静を保っていたシェスナの表情がゆっくりと驚きを纏い、崩れた。
「……! まさか……」
喉を大きく震わせ、シェスナは茫然と目の前のレイドリックを見やった。
「そう。私の父-----当時の国王オレインに、だ」
「まさか……そんな!」
色を失くしてシェスナが叫ぶ。
「……有り得ない! 父は確かに、国王に気に入られていた。しかし……しかし! たかだか一介の、しかも余所者の占術師が、仮にも一国の王たる者を操ることなど出来ると思うのですか!」
「国王も一人の人間だ。その内に傷も弱みも持っている。トゥルクは占術によって、私の父のそれを知り得てしまったのだ」
「それを知った私の父が、国王を恫喝したと言うのですか」
シェスナの持つ小剣がカタカタと切っ先の定まらない音を立てる。
「恫喝ではない。その方向へと導いていった……という言い方のほうが正しいだろう」
「占術を使い、まんまと国王を篭絡(ろうらく)した私の父が、秘宝を手にし、用済みとなった国王を殺したと言うのですか!」
絞り出すようなシェスナの声は悲鳴に近かった。
『シェスナ、これから言うことは二人だけの秘密だ。いいかい?』
あの日の父の声が、耳に甦る。
『真実の眼は、自らの使い手を求めているんだよ。真実の眼は諸刃の凶宝として人々に恐れられ、今では地下深くに厳重に封印されてしまっている。そこから解放してくれる者を、真実の眼は求めているんだよ。我々のように感覚の鋭い者には、その“声”が聞こえる』
『シェスナ、決してこのことを他の人に言ってはいけないよ。族長達にもだ』
いつもと同じ、穏やかだったあの時の父の顔。
聡明で占術の能力に長け、村の人々から尊敬されていた父。そんな父はシェスナにとって誇りであり、憧れだった。
父のような占術師になることがシェスナの夢であり、目標だったのだ。
何よりも、シェスナは優しい父のことが大好きだった。
-----その、父が。
「私の父が、国王を殺したと……!」
それを信じるつもりはなかった。だが、目の前に滲んできた得体の知れない暗い翳に、心が押し潰されそうになる。
「-----いや」
しかし、意外にもレイドリックはそれを否定した。
「父達を殺害したのがお前の父親だとは、私は考えていない」
「何……!?」
その意外な回答に、シェスナが琥珀色(アンバー)の瞳を大きく見開く。
「……どういうことです?」
用心深くレイドリックの表情を窺いながら、シェスナは先を促した。顔色ひとつ変えずに、事務的な口調で話を続ける彼の真意を読み取ろうと必死だった。
「何故なら、トゥルクは私の父母が殺害される前に既に殺害されていたからだ」
「何……です、って……!?」
愕然と、シェスナが呟く。
「いったい、誰に……!?」
「-----それが、分からない。誰がトゥルクに手を下し、真実の眼を持ち去ったのか……全力を挙げて調査に当たったが、容疑者を特定することは出来なかった」
「分からない!? そんな答えが通ると----!」
激昂するシェスナを遮り、レイドリックは続けた。
「あの日-----城内には、不特定数の侵入者がいたことが確認されている。お前達を殺そうとした男しかり、我がドヴァーフの繁栄を妨げようとする何者かの介入があったことは明白だ。周到な計画を立て、身分を偽って城内に潜入し、虎視眈々とタイミングを計っていたその者達は、トゥルクの行動に乗じて密かに作戦を遂行させたのだ。その者達にとって、ガゼとドヴァーフの親睦は阻止せねばならない事由だった」
「……。あの男は……何者だったのです? ウィルハッタの者ですか?」
押し殺した声でシェスナが尋ねる。レイドリックは瞳を伏せ、わずかに首を振った。
「残念ながらその者達の身元を完全にはたどることが出来なかった。よほど緻密に計算された上での計画だったのだろう。証拠となるようなものは何ひとつとして出てこなかった」
「当時の国王夫妻を殺害され、秘宝を奪われた挙句がその結果ですか……魔法王国の名に恥じる、あまりにもお粗末なものですね」
痛烈なシェスナの皮肉をレイドリックは甘んじて受け止めた。
「何とそしられようとも、弁明のしようがない」
レイドリックの父オレインはより良いものを取り入れる政策を積極的に行っていたが、古いしきたりを重んじる家臣達の中にはそれを良しとしない者も少なくはなかった。オレインはそういった家臣達の不満を緩和させる為、賄賂や口利きといった古くからの因習に関しては黙認している節があった。
それが入城時の身元審査の緩みに繋がり、ひいては侵入者を許すこととなり、結果、このような不測の事態を招いてしまったことは否みようがなかった。
「ならば何故! それを公式に発表しないのです! 世間ではあたかもガゼ族が『紅焔(こうえん)の動乱』を起こした犯人であるかのように扱われ、私の父はその首謀者とされているのですよ!」
「世間で言われているのは“ガゼ族”という固有名詞ではなく“ある蛮族”という普通名詞だ。一般の民達はそれをガゼ族のことだとは認識していない。トゥルクについてもその名称は一切出ていないはずだ」
「そんなのは詭弁です!」
頬を紅潮させ、シェスナは叫んだ。
「何故、そんな情報操作をする必要が!? 貴方がたにやましいところがあるからでしょう!? だから私達を助けてくれたあの騎士を追放し、死に追いやった! 彼に証言されては困る事実があったから! 違いますか!?」
アキレウスが頬骨に力を込める。対照的にレイドリックは灰色(グレイ)の瞳にいささかの感情も見せず、粛々と述べた。
「……トゥルクの起こした行動に『紅焔の動乱』が端を発したのは事実だ。その結果、たくさんの血が流れ真実の眼は行方知れずとなった。きっかけはどうあれ、お前の父が犯した罪は非常に重いものなのだ。本来であれば娘のお前はもちろん、ガゼ族全体にその罪が波及するのは避けられない情勢だった」
「な、ん……!」
「偽りの親睦を持ちかけ、占術を弄(ろう)して国王に背信し、国家の秘宝を強奪せんとした大罪-----事件は暴走したトゥルクによる単独の犯行だったが、それを目論んだトゥルクが死んだことで、それを証明する者はいなくなった。状況から見て、ガゼ族総ぐるみでの国家に対する冒涜(ぼうとく)、動乱……そう取られることは必至だった。事はもはやトゥルク一人の責任問題で済む話ではなかったのだ。お前の父が犯した罪はそれほど重いものだった」
シェスナは一瞬言葉を失い、それから茫然とした面持ちで呟いた。
「罪人、だと……? 私の父が……!?」
「そうだ。お前の父は咎人だ」
レイドリックのその言葉はシェスナの胸を深く穿った。
あれほど切に望んだはずの、“真実”。この命と引き換えにしてでも国王の口から聞き出そうと心に決めた、“真実”。しかし今、その国王の口から自身の父親が罪人である、と直に告げられ、彼女は激しく動揺した。
それを見つめるアキレウスの胸に、鈍い痛みが去来する。彼には今のシェスナの心情が痛いほど理解出来た。
憧れであり、誇りだった父。その父がいわれのない罪を着せられたなら、子供は真実を追究し、その罪をどうにかして晴らそうと考えるだろう。
父の無実を信じるシェスナは、その身を魔道に堕としてまでそれを果たし、父を死に追いやったこの国に復讐しようとした。それが今、最悪の結末を迎えようとしている。
アキレウスは拳を握りしめた。
真実を追究する為に魔物(モンスター)ハンターへの道を選んだ自分と、真実を追求するあまり復讐への道を突き進んだシェスナ。
自分と彼女の立場は、よく似ている。もしかしたら、あそこで国王に刃を向けていたのは自分だったのかもしれなかった。
「その事実を胸に刻み込んだ上で聞いてもらいたい」
シェスナに向けられるレイドリックの視線は真っ直ぐで揺るぎなかった。その視線をどうにか受け止めながら、彼女は肩で大きく息をつき、上ずる声で答えを返した。
「……話して、もらいましょう。その上で、それを“事実”として胸に刻むかどうか考えます」
「いいだろう」
静かに頷き、レイドリックは続きを語り始めた。
「ガゼ族全体に波及しかねなかったトゥルクの罪が事実上うやむやのものとなり、今日に至っているのは、十年前お前達を助けた一人の騎士の行動によるものだ。騎士の名はペーレウス……当時の騎士団長で、そこにいる青年……アキレウスの父親だった」
「何……です、って……!?」
初めてもたらされるその情報にシェスナは耳を疑った。愕然と琥珀色(アンバー)の瞳を見開き、背後のアキレウスを振り返る。
あまりにも様々なことが起こり過ぎたあの夜-----古い記憶の中にある騎士の顔は、もはやぼやけて思い出せなかったが、ただあの真っ直ぐな黒茶色(セピアブラウン)の眼差し、一点の曇りもなく強い光に満ち溢れたあの眼差しだけは覚えている。目の前のアマス色の髪の青年はあの騎士と瞳の色こそ違ったが、言われてみれば確かに、彼はこんな顔立ちをしていたような気がした。
だとしたら、何という皮肉な神の巡り合わせなのだろう。
「十年前のあの夜-----秘宝が姿を消し、国王夫妻が殺害され、城内が未曾有(みぞう)の混乱に陥る中、ペーレウスだけはおおよその事態を把握していた。そして彼は事件に関わった疑いが濃厚として捕えられたガゼの者達の救出に向かったのだ。トゥルクが死亡したことで他のガゼ族の無実を証明する術がなくなった今、このままでは捕われた者が皆、国家動乱の罪で死罪になることをペーレウスは確信していた」
「何故……」
シェスナの瞼にあの時の騎士の姿が甦る。
本来味方であるはずの兵士達と対峙し、血路を開いて自分達を逃がしてくれた黒茶色(セピアブラウン)の瞳をした騎士。翼竜の背から見下ろした、あの孤高の後ろ姿は忘れられなかった。
「何故彼は、あれほどの危険を冒してまで私達を救ってくれたのですか。そんなことをすれば、ただで済まないことは分かっていたでしょうに……」
「罪のない命を救う為-----そして、彼自身の責任を果たす為だ」
重々しい口調でレイドリックは言った。
「ペーレウスは『紅焔の動乱』が起こる少し前から城内に漂う異変を感じていた。彼はトゥルクの占術に傾倒する国王オレインを憂いそれを進言したのだが、逆鱗に触れ、謹慎処分を言い渡されていたのだ。彼は国王を止めることの出来なかった自分の責任を強く感じていた。……そして、ガゼの族長ホレットとある取引を交わしたのだ」
「取、引……?」
シェスナの瞳が揺れる。
そういえば城を脱出する前、牢獄で騎士とホレットは何か話をしていたかもしれない。しかしシェスナのその辺りの記憶はあいまいで、二人が何かの取引をしたことなど全く覚えていなかった。
「族長ホレットは薄々事態に気付きながらもトゥルクを制止することが出来ず、一方のペーレウスは国王を制止することが出来なかった。そして腐敗した管理体制の不備から城内への侵入者を許し、その輩はトゥルクの行動に乗じて作戦を開始した。彼らはおそらく全ての罪をガゼ族に被せるつもりだったのだろう。さすれば侵入者達の母体は傷付かず、ドヴァーフとガゼの親睦は白紙となり、抗争となればガゼ族は滅亡への道をたどることとなる。そうなればドヴァーフの国力自体を低下させることへと繋がる。侵入者にしてみれば、これほど都合のいい話はなかっただろう。二人の交わした取引は、それを現実のものとさせない為の手段だった」
淡々と続く国王の説明は、シェスナの呼吸を次第に不規則にさせていく。
「ペーレウスは彼の独断でお前達を脱出させる。ホレットは速やかに脱出したのち、現在の村を捨て、村の者達をまとめて新天地へと移る。ペーレウスは重い処分を受けるだろうが、それによって罪のない多くのガゼ族の命が救われる。ガゼ族は犯罪者の汚名を着ることになるだろうが、ホレットはこの夜起きたことを一切口外しない。これによってドヴァーフ側は城内に不得定数の侵入者を許したという不名誉な事実を秘匿出来る」
「そん……な、まさか……!」
シェスナは茫然と呟き、全身をわななかせた。
「それが……それが、“真実”だというのですか……!」
「そうだ」
「そんな……そんなことが、真実だと……!」
喘ぐようにそう繰り返し、シェスナは目の前の国王レイドリックを見つめた。
殺すつもりだった。この男の首を取り、父を殺したこの国を叩き潰すつもりで、自分は今日ここへ来たのだった。
魔道に、この身を堕としてまで。
-----それなのに。
レイドリックの鼻先に突きつけた小剣が、今、迷いを見せて大きく震えている。
「ならば何故! あの騎士を死に追いやったのです!? そこまで分かっていて、いったい何故……!」
「……組織というものには、体面がある。何か問題が起こった場合、誰かが何らかの形で責任を取り、体裁を保たなければならないのだ。それを心得ていたペーレウスは全てを一身に引き受けてくれた。そして、自ら私に騎士資格の剥奪を申し出、真実の眼の奪還を志願したのだ」
アキレウスはレイドリックの語る父の話を胸に刻みながら、だが、まだ全てが彼の口から語られたわけではないことを知っていた。
炎に彩られた記憶の中の、秀麗な顔立ちをしたあの男-----かつて魔導士団長という要職に就き父と肩を並べていたはずのあの男の話が、一切出てきていない。
「ペーレウスは実直な人柄で、義侠心の強い人物だった。ガゼの族長ホレットもまた、そういう人物であったのだろうと私は思っている」
国王の意外な言葉にシェスナは驚いた。
「真実を黙したままでありながら村の者達を説得することに成功し、彼らをまとめあげて新天地へ移り住み、以後十年もの間ペーレウスとの口約束を守り続けているのだ……並大抵のことではない。卓越した手腕と、村人からのよほどの信頼がなければ到底成し得られることではなかっただろう」
シェスナは大きく目を見開き、同時に遠い記憶を思い起こした。
決死の脱出を果たし、無事に村に帰り着いた後-----緊急に催された集会で、トゥルクと二人の竜使い(ドラゴンマスター)の死を知ったガゼの人々は、嘆き、悲しみ、ドヴァーフ王家への怒りを露わにした。武力行使での抗議も辞さない構えを取る村の者達をホレットは言葉巧みに説き伏せ、それでも納得をしない者の家には一軒一軒足を運び、彼らを何度も繰り返し説得していた。時間はかかったが、やがてそんなホレットの意思に村の者達も賛同し、村の中からは過激な発言が少しずつ消えていった。
シェスナにはそんなホレットの行動が理解出来ず、何故父達の敵を取ろうとしないのかと彼に詰め寄った。共にあの夜を体験した唯一の人物に、手ひどく裏切られたような思いがした。
シェスナはホレットの知っている限りの『紅焔の動乱』の情報を聞き出そうと、何度も彼を問い質したのだが、その度にホレットは自分の知っていることはもう全て話したし、ドヴァーフへの報復は愚かなことだとシェスナに言い聞かせるのだった。暴力の連鎖はより大きな犠牲しか生み出さない、それを知って踏みとどまる勇気こそが必要なのだ、せっかく助かった命を大切にして今を生きるのだ、と。それこそが亡くなったトゥルクが望んでいることなのだと。
シェスナにはそんなホレットの態度が納得出来なかった。あの夜の恐怖が彼の中の勇猛で誇り高きガゼの魂を殺してしまったのだと、彼はもはや腑抜けた老人に成り下がってしまったのだと侮蔑し、憎悪すらした。
そのホレットを、あろうことか仇敵であるはずのドヴァーフの国王が称えている。
「彼はトゥルクの娘であるお前にすら真実を明かさなかった。それは、お前がどれほど父であるトゥルクを尊敬し、愛していたかを知っていたからではないのだろうか」
その言葉にシェスナは胸を突かれ、呼吸を止めた。
「おそらく、彼は彼なりにお前を慮(おもんばか)り、守ろうとしていたのだろう」
不意に、ホレットの優しい温もりがシェスナの中に甦った。
あの夜、牢獄の中で泣きじゃくるシェスナの背をしわがれた腕でなで、抱きしめてくれたホレット。不気味に迫る暗殺者の盾となり、自分を犠牲にしてまで守ろうとしてくれたホレット-----。
シェスナの中で何かが音を立て、堰を切って溢れ出した。
「-----っ、それが、真実だと言うのならば……! 私、が……私がやってきたことは、いったい何だったと言うのですか……!」
甲高い金属音を立てて、小剣が床に転がる。
「私がやってきたことは、いったい何だったと-----!」
自らの胸に手を当て、張り裂けるような声で叫びながら、シェスナは目の前のレイドリックに詰め寄った。
その時、自らを戒めるムチの楔がふと緩んだことに、レイドリックは気が付いた。
「! 待て-----!」
牽制するレイドリックの元に、シェスナは更に一歩踏み込んだ。
「それが真実であると言うのなら……!」
その、刹那。
ズシュッ、という音を立て、悲痛な声を放つシェスナの胸を、緑のムチが貫いた。
「…………!」
突然の出来事に、アキレウスが、パトロクロスが、ガーネットが、フリードが-----レイドリックが、目を瞠る。
レイドリックを拘束していたセルジュのムチが一瞬にして彼から剥離し、目にも止まらぬスピードでカラムスの加護をも突き破り、シェスナの胸を貫いたのだった。
「ごふっ……」
くぐもった音と共に、シェスナの口から赤黒い血が溢れ出る。
緑の凶器はなおもその動きを止めず、まるでシェスナの身体を縫うかのように、突き出た背から腹部、腹部から腰部、下腹部、更には大腿、ふくらはぎをも貫き、彼女の肉体に幾つもの大きな穴を穿つと、既に事切れていたはずの主人の手へと舞い戻った。
大量の血を吹き上げながら血溜まりの中に崩れ落ちるシェスナと入れ替わるようにして、その背後から血糊を浴びた美しい魔性がゆっくりと立ち上がる。
「見苦しいわね、シェスナ……」
そう言ってひどく冷たい目で、セルジュはシェスナを見下ろした。
「セ……ル、ジュ……」
「あら……まだ喋れるの? カラムスの護り、大したものね」
「ど……し、て……」
切れ切れの息の下から紡がれるシェスナの声にうっすらと酷薄な笑みを返して、セルジュは言った。
「心臓をひとつ潰されたくらいでこのあたしが死ぬとでも思ったの? あたしを本気で殺そうと思うんなら、首を落とすべきだったわね」
「…………」
シェスナは何かを言おうと唇を動かしかけるが、その口からは苦しげな呼吸がもれるだけで、言葉にならない。
「とどめは刺してあげないわよ。そのまま出来るだけ長く苦痛を味わって、惨めな人生を終えるがいいわ」
セルジュは冷酷にそう言い捨てると、息を殺すレイドリックにゆっくりとその瞳を向け、自らのパールピンクの唇をちろりとなめた。
「美味しそう……今いただくのはもったいない気もするけど、まずはあなたの精気で傷を癒してもらいましょうか。こんな姿じゃ、さすがに帰れないわ」
「-----待てッ!」
一歩踏み出そうとするセルジュにアキレウス達が牽制の声を上げ、剣を構える。そんな彼らを振り返り、可笑(おか)しそうにセルジュは笑った。
「あんた達、そんなヒマあるの? シェスナが死んだら大切なお仲間も死んじゃうのよ」
「……!」
「あたし的にも、今彼女に死なれると困るのよね……さっさと探しに行ってくれない? のんびりしている時間はないわよ」
「くっ……!」
唇をかみしめるアキレウスに、パトロクロスが静かな声で告げた。
「アキレウス、オーロラを探しに行け。ここは我々が引き受ける」
「パトロクロス……!」
驚いて振り返るアキレウスにひとつ頷き、パトロクロスはわずかに口角を上げた。
「頼んだぞ」
ガーネットとフリードも同じように微笑んで、アキレウスに全てを託した。
「任せたわよ」
「こっちはボク達に任せといて」
アキレウスはそんな仲間達を見やり、力強く頷いた。
「分かった……!」
唯一オーロラの居場所を知っているのは、瀕死のシェスナだ。アキレウスは血まみれの彼女に向かって、切実な声で訴えた。
「頼む、オーロラの居場所を教えてくれ!」
その声が聞こえたらしく、シェスナは瞼を震わせながら、微かに唇を動かした。その唇の動きを読み取ったレイドリックが、アキレウスに向かって叫ぶ。
「城の地下にある封印の間だ! 入口は一階の立ち入り禁止区域にある!」
アキレウスは息を飲み、自らの血とシェスナの返り血とで紅く染まった国王を見つめた。
「……分かりました!」
言って背を翻しかけながら、一度踏みとどまり、レイドリックを振り返る。
「……貴方との約束を、思い出しました」
その言葉を聞き、レイドリックが微かに目を見開いた。
-----だから、絶対に死なないでくれ。
言外にそう紡がれるアキレウスの声が聞こえたような気がした。
「……そうか」
瞳を伏せ、彼が頷いたのを確認した次の瞬間、アキレウスは背を翻し、オーロラの元へと向かって駆け出していた。
*
「……そう。お前がこだわり続けたあの場所に“イヴ”はいるのね」
レイドリックの口からターゲットの居場所が確認出来た瞬間、してやったりの表情でセルジュはほくそ笑んだ。
己のしてきたことが大きな誤解の上に基づくものであり、アキレウスが命の恩人の息子であることを知った今、彼の口から求められればシェスナはあの少女の居場所を吐く-----彼女の読みは見事に的中した。
大幅に妖力を失い、満身創痍の状態ではあるが、右腕の麻痺は回復し、切断された左腕は完全に修復している。後は、この場にいる上等の男達の精気を吸い尽くし、エレーンを殺した後、捕われの少女の元へ先回りすればいい。
修羅のような笑みを浮かべ、セルジュは背後から剣を構え立ち向かってくるパトロクロスを振り返った。
*
意識を取り戻したエレーンは、目の前で展開されている光景に言葉を失った。
白い法衣を真紅に染め、床に膝をついている主君の姿。その前には見覚えのない血まみれの女が転がっており、彼の傍らにいるべきはずのオルティスは近くの床に倒れ伏し気を失っている。
そのすぐ側で激しい戦闘を繰り広げているのは、姿を変えたピンクの魔性と、いつの間にか現われたパトロクロスとガーネット、そして見慣れない薄茶色の髪の青年-----黄昏色に映し出された戦場は、死力を尽くす者達の最後の攻防を不吉な色合いで見守っている。
「わ、私にはさっきから、いったい何がどうなっているのか……あぁっ、エレーン!?」
「殿下はここに隠れていて下さい」
青ざめた表情のアルベルトにそう言い置き、エレーンはよろめきながら守るべき主君の下へと向かった。
魔力はもはや残っておらず、体力も限界に近い。だが、いざという時にレイドリックの盾となることくらいは出来る。
その時、セルジュの高速のムチの連打がパトロクロスを打ち据えた。全てを防ぎきれず、パトロクロスが弾き飛ばされる。セルジュはそのまま恐ろしいスピードで弓矢を構える青年の間合いへと飛び込むと、彼にもムチの洗礼を浴びせた。そしてその勢いのまま、彼の後方にいた白魔導士の少女へと襲いかかる!
「ガーネットッ!」
鮮血に染まったフリードはとっさに弓矢をつがえようとしたが、重いダメージを受けた肉体が悲鳴を上げ、それを為(な)すことが出来ない。
心臓を凍りつかせる彼の前で、深い赤色の外套がひらめいた。ガーネットを抱きかばうようにしたパトロクロスの背にムチが炸裂し、深い赤色のそれを千々に引き裂いていく。
床にもんどり打った彼らに背を向け、セルジュがレイドリックに向き直る。そのレイドリックの前に駆けつけたエレーンが立ちはだかり、主君を背にかばった。
それを目にしたセルジュの全身の血液が沸騰する。艶やかなパールピンクの唇が大きく左右に裂け、悪鬼のような表情を湛えながら、セルジュはエレーンへと襲いかかった。
その時、予想だにしない事態が起こった。エレーンの背後にいたレイドリックが彼女の肩を乱暴に押しのけ、自ら魔性の前に立ちはだかったのだ。
「陛下ッ……!」
エレーンの心臓が一回、鼓動を飛ばす。床に膝をつき、振り仰いだ彼女の目に映ったのは、錫杖でセルジュのムチを受け止める主君の姿だった。
パリッ、と錫杖の結界が音を立て、目を見開くセルジュと鋭い眼差しでそれを見据えるレイドリックとの間に薄い障壁があることを知らしめる。
「-----そういうコト……」
セルジュの瞳の中にどす黒い感情が生まれた。口元を引きつらせ、美しい顔を歪めながら、彼女は胸の中に吹き荒れる激情のままに叫んだ。
「なら、お望み通りお前から殺してあげる! 流麗円空乱舞(グラディエラ)ッ……!」
技を繰り出そうとしたセルジュの背に、フリードの魔力の矢が立て続けに突き刺さった。
「……!」
苦痛に頬を歪めながらも流麗なフォームから円を描くようにして繰り出されたムチの連打が、レイドリックに襲いかかる!
「陛下ーッ!」
青ざめながら立ち上がるエレーンの眼前で、レイドリックを護る錫杖の結界が大きくたわみ、その限界を訴える。
エレーンがその只中に飛び出そうとした時だった。見覚えのある大きな影がその間に割って入り、絶体絶命の主君を救ったのだ。
「オルティス……!」
目を瞠るエレーンの前で、セルジュのムチを剛剣で受け止めた傷だらけの聖騎士は、これまでの遅れを取り戻すかのように裂帛の気合もろとも、奥義を放った。
「-----聖断撃滅破(せいだんげきめつは)!」
その激烈な一撃を、疲弊したセルジュはかわすことが出来なかった。
「ああああッ……!」
苦痛に満ちた悲鳴と共に血飛沫を噴き上げながら、セルジュはここが潮時と悟った。はらわたが煮えくり返る思いだが、退き時を誤るのは愚の骨頂だ。
-----この借りは、何倍にもして必ず返す。
だが、その前に……!
憎悪に満ちたセルジュの眼差しがエレーンを捕える。
-----その自慢の美貌を、ぐちゃぐちゃにしてあげる……!
セルジュの双眸が妖しい輝きを帯び、掌に生み出された不浄な光が、満足に身動きの取れないエレーンに向かって放たれた!
「エレーン!」
レイドリックが顔色を変えて叫ぶ! その瞬間、エレーンの前に淡い光の膜のようなものが出現し、セルジュの放った不浄な光を跳ね返した!
「なッ……!」
驚愕に目を疑うセルジュ。その眼前に、跳ね返された不浄なチカラが迫り来る!
「きゃああああぁ-----ッ!!」
凄絶な叫びが轟いた。自らの呪力をその顔面に受け、セルジュは断末魔のような声と共に、空中に掻き消えるようにしてその姿を消した。
「…………」
しばらくの間、声もなくその光景を見守っていた人々は、やがて互いに顔を見合わせ、ゆるゆると息を吐き出した。
「どうやら……何とか防ぎ切った、のかな……?」
それをまだ完全には信じ切れない様子でフリードが呟く。
「おそらくは……な」
そう返しながらも、パトロクロスも完全には気を抜いていない。
ガーネットの回復呪文の詠唱が響く中、レイドリックは血の海に横たわるシェスナの元へと歩み寄り、その傍らに膝をついた。
大きな穴が幾つも開いたシェスナの肉体は冥竜カラムスの護りによって修復しようとする動きだけは見せていたが、損傷があまりにも激しく、回復が既に困難であることは傍目にも明らかだった。
皮肉なことにカラムスの加護が仇となり、致命傷を負いながら、それがもたらす延命効果によって安らかな死を迎えることが出来なくなっているのだ。
その彼女の手に、砕け散った比較的小振りな水晶球が握られているのを見て、レイドリックは目を細めた。彼は知る由もなかったが、それは彼女が幼い頃から肌身離さず身に着けていた、彼女の一部と言っても過言ではない水晶球だった。
「……そうか。お前がエレーンを救ってくれたのだな」
主君のその言葉に、背後に佇むエレーンとオルティスが微かに息を飲んだ。
シェスナはわずかに瞬きを返したようだった。レイドリックは血まみれのその手を握り、苦痛に満ちた死を迎えようとしている彼女に告げた。
「酷なことを言うが、どうか許してほしい。なるべく長く、生きてくれ」
アキレウスが、オーロラの元にたどり着くまで。一分でも一秒でも、シェスナには生きていてもらわねばならなかった。
それは、彼女の苦痛が長引くことを意味する。徐々に輝きを失っていくシェスナの琥珀色(アンバー)の瞳を見つめながら、レイドリックは言葉を紡いだ。
「エレーンを救ってくれて感謝している。……お前の死は、私が一生背負って生きていく。それでお前の気持ちが救われることはないだろうが、それが唯一、私がお前にしてやれることだ」
初めて感情を滲ませたレイドリックの灰色(グレイ)の瞳に浮かんだ光に、シェスナは大きな十字架を背負っている咎人の姿を見たような気がした。
-----貴方も、楽ではない生き方を選ぶ人、ですね。
血の気を失ったシェスナの唇が、ゆっくりとそう刻んだようにレイドリックには見えた。
それから、ほどなくして。
黄昏の光が薄闇に飲み込まれて消える頃、魔法王国ドヴァーフの国王らに見守られ、動乱に翻弄されたガゼ族の占い師シェスナは、短いその生涯を閉じたのだった。