冷めた声で、少女はポツリと呟(つぶや)いた。
蝋燭(ろうそく)の灯りが照らし出す薄暗い石造りの部屋の中、甘ったるい香りが充満するその中で、彼女は不機嫌そうに足元に転がるモノを蹴りつけた。
「シャルーフで一番の剣豪だっていうから、どんなモノかと思ったら……見てくれもイケてないし、大した精気も持ってないし、ホ〜ントがっかりっ! 最高の魔導士ってのも全っ然お話にならなかったし……クズだわ、クズクズッ! クズの国よ、シャルーフなんてっっ!」
ひどい暴言を吐きながら、その少女-----セルジュはピンク色の前髪をかき上げ、床に転がる抜け殻と化した男達の遺体を憤然と見下ろした。
「ったくぅー、こんなんじゃ抱かれる気にもならないわ。ドヴァーフに行く前に充電しときたかったのにぃ〜もぉ! 役に立たないわねっっ」
ぷんぷん、と愛らしいカーブを描く頬をふくらませながら、彼女は腕組みをして宙をにらんだ。
こんなんじゃ、全然足りない……どこかにもっと、極上の精気を持ついい男はいないかしら? 例えばルシフェル様みたいな……。
主君の端麗な顔を思い浮かべて、セルジュはピンク色の大きな瞳をとろーんと潤ませた。
「いやーん、一度でいいから抱かれてみた〜いっっ」
きゃっ、と腰をくねらせつつ、上気した頬を両手で押さえる。
それは彼女にとって、願望というより野望と言えた。
その場に佇(たたず)むだけで伝わってくる、ルシフェルの極上の精気……他者の精気を糧(かて)とするセルジュにとって、その存在はまさに至高の宝玉-----あの方に抱かれたなら、自分はどれだけ美しく、そして強大なチカラを手に入れることが出来るのだろう?
そして、どれほどまでに満たされるのだろう……?
部屋の大きな鏡に自分の姿を映してチェックしつつ、セルジュは小首を傾げた。
「こぉーんなに可愛いのに……ルシフェル様はロリ系はお好みじゃないのかしら?」
鏡の中に映るのは、14、5才の少女に見える自分。
パッチリした大きなピンク色の瞳に、愛らしいパールピンクの唇。緩やかなクセのある、ふわふわのピンクの髪を両サイドの高い位置で結い上げ、そのまま垂らしている。
「今のあたしと、本当のあたし……あたしって、一粒で二度美味しいのにな〜っ……。ルシフェル様、本当のあたしをずいぶん見ていないと思うし、久々に見たらビックリするんじゃないかしら。昔よりもいっそう綺麗になっているものっ」
うふっ、と笑って、セルジュはゆっくりと鏡をなでた。
「ドヴァーフはいい機会だわ。あたしの磨きのかかった美貌と実力とをルシフェル様にアピールする、絶好の舞台っ! うふふ、たぁっのし〜い!」
亡国の英雄達の屍(しかばね)が累々(るいるい)と横たわる部屋の中を、少女の場違いなくらい高らかな笑い声が不気味にこだましていた。
*
戦場から送られてきた映像を、闇の水晶球(クリスタル)を介して眺めながら、ルシフェルはグラスに注がれた赤い果実酒を飲み干した。
蒼白い光に映し出された薄暗い部屋の中-----水晶球には、ジャイアントビーと戦う四人の若者の姿が映し出されている。
豪奢(ごうしゃ)なソファーにゆったりと背を沈めながら、彼は形の良い唇の端を上げた。
「この分だと、近日中にドヴァーフの王都にたどり着きそうだな……」
切れ長の蒼天色(スカイブルー)の瞳を細め、こう呟く。
「“イヴ”……」
その視線は、水晶球の中の、長い黄金(きん)色の髪の少女へと向けられていた。
空になったグラスに、傍らに控えていた女が新しい液体を注ぐ。美しすぎるその女は、この世のものとは思えないほどの超絶の美を纏っていた。
「ドヴァーフ……セルジュの領域、ですね」
呟く彼女の真紅の瞳(クリムゾン・アイ)を見つめ、ルシフェルはこう尋ねた。
「……どうかしたのか」
「いえ……」
小さく首を振る彼女に、“人類殲滅計画(ユートピア)”を目論むその男は、意外なくらい穏やかな声をかけた。
「お前がその表情をするのは、何か思うことがある時だ。カルボナード……言ってみろ」
主君たる男にそう促されて、カルボナードは遠慮がちに口を開いた。
「はい……あの……」
「何だ」
「……先日のシャルーフの陥落後、ルシフェル様は残る四カ国に我々四翼天(しよくてん)を割り当て、こう言われました。『すぐに滅ぼすことはせず、じわじわと真綿で首を絞めるように攻め滅ぼせ』-----と」
ドヴァーフはセルジュ。
ウィルハッタはグランバード。
アストレアにはアルファ=ロ・メ。
そして、ローズダウンにはカルボナードを-----。
「そして----“イヴ”達についても、『その担当領域(エリア)の者に順次任せる』……と」
「……それが不満か」
主君の端麗な顔を見つめ、カルボナードは艶やかな唇をきゅっと結んだ。
「危惧(きぐ)です」
「セルジュでは心許(こころもと)ないか」
「そういうわけではありませんが……例えどれほど小さな芽であろうと、万が一の可能性のあるものについては、その芽の出ぬうちに、確実に摘んでおいた方が良いのではないかと。現在、目標がドヴァーフにいるのは分かっているのですから……」
「四翼天での総攻撃を……?」
「シヴァの復活が成されれば厄介です」
進言するカルボナードに、ルシフェルはふと口元を緩めた。
「お前は心配性だな……」
他の者には決して見せぬ表情、口調だった。
「シヴァの能力は未知数です。それに、“イヴ”は貴方の-----!」
頬を紅潮させてそう言いかけ、カルボナードは口をつぐんだ。
「……この二人が出会うようなことがあれば、由々しき事態に発展しかねません。“イヴ”達については担当領域にこだわらず、すぐにでもなさるようになさった方がよろしいかと思いますが」
「……シヴァは確かに邪魔だ。復活させぬに越したことはない-----」
「でしたら……!」
「だがな、カルボナード。私は最近、こうも思うのだ」
「は……?」
怪訝(けげん)そうな顔をする臣下を見やり、ルシフェルはこう続けた。
「シヴァは-----封印によって守られている、とも言える。封印が解けるということは、すなわち奴を屠(ほふ)る機会が生まれるということでもあるのだ」
蒼天色(スカイブルー)の瞳に、冷たい輝きが生まれる。
主君の言葉に、カルボナードは真紅の瞳を見開いた。
「貴方は……シヴァをわざと甦らせて殺す、と-----?」
「案ずるな。奴を甘く見ているわけではない。ただ-----地図に認められし者を亡き者にし、小さな火種をそのままにしておくのか、あるいは火種ごと消し去り、人間どもを絶望の淵に叩きこむか-----運命に任せてみるのも一興だとは思わぬか?」
「ルシフェル様……しかし-----」
ためらいの言葉を口にしながら、カルボナードはチラリ、と水晶球に視線を走らせた。漆黒の球に映る、ある光が彼女の心に一抹の不安を覚えさせているのだ。
そんな彼女の絹のような漆黒の髪に触れ、ルシフェルはこう囁いた。
「どのような途中経過をたどろうとも、“人類殲滅計画(ユートピア)”の結末が変わることはない。シヴァであろうと誰であろうと、それを阻む者はこの私が許さぬからだ」
静かな、それでいて力強いその声を聞いていると、胸のざわめきがすぅ、と引いていくのをカルボナードは感じた。
「ルシフェル様……」
自分を見つめるルシフェルの蒼天色(スカイブルー)の瞳は、冴え冴えとした冬の空のようだ。鮮やかに澄み切っていて、一点の曇りもない-----ピン、と研ぎ澄まされた緊張感を持っている。
それ故、冷たい氷蒼色(アイスブルー)の瞳という印象を持たれることが多いようなのだが、その彼の瞳がこれほど美しい蒼天色だということに、いったいどれほどの者が気付いているのだろうか……。
カルボナードの迷いは消えた。
-----私は、この方を信じる。
漆黒の水晶球に映る翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳を頭の片隅に意識しながら、彼女は密かに決意を固めた。
この愚考(ぐこう)が万が一、杞憂(きゆう)にとどまらなかった場合には、それで済むよう、全身全霊をもって処理すればよい-----。
「はい……」
柔らかく髪をなでる主君の手を感じながら、カルボナードは静かに瞳を閉じた。彼女の艶やかな漆黒の髪をもてあそびながら、ルシフェルの双眸(そうぼう)は水晶球に向けられていた。
「どれほどのモノか-----見せてもらおう、“イヴ”よ……」
呟くその瞳には、氷刃の如き光が宿っていた。
*
ルシフェルの私室から出てきたカルボナードを見て、セルジュはひどく不機嫌になった。
また、この女っ! あたしなんて一度も入ったことないのにぃ〜っ!! 何でルシフェル様はこの女ばっかりっ!?
「……セルジュ」
彼女の存在に気が付いたカルボナードの方から声をかけてきた。
「どうした。ルシフェル様はお前を呼ばれてはいないぞ」
「そんなこと、分かってるわよっ」
「では何故こんなところにいる」
すぅ、とカルボナードの真紅の瞳(クリムゾン・アイ)が冷たい光を帯びる。
「何であんたにそんなこと言わなきゃいけないのよっ」
「私は聞いているのだ」
静かな声でピシャリと切り返され、セルジュはぐっと言葉に詰まった。
何のことはない、彼女はルシフェルの姿が何となく見たくなってこの辺りをうろついていただけなのだが……それをカルボナードに素直に言うのは癪(しゃく)に障った。
「……これからドヴァーフへ向かう前に……ひとこと挨拶でもって思っただけよ」
「ルシフェル様は私室におられる時に、その時間を邪魔されるのを嫌う。火急の用件でなければ、玉座におられる時にするのだな。お前も知らないことではないだろう」
「……!」
えっらそーに!
こめかみの辺りがヒクつくのを覚えながら、セルジュは言った。
「そういうあんたは何しにここへ来ていたのよ」
「私はルシフェル様に召されたのだ。用件が済み、これから戻るところだ」
「用件て……どんな用件よ?」
「お前に話すことではない」
切り捨てるようなその回答に、カッチーンとくるのを感じながら、セルジュはカルボナードをにらみつけた。
はっら立つ〜! この女はどうしてこう、優位に立ったものの言い方をするワケ!?
「自分はまるで特別だと言わんばかりね」
「……そういうつもりで言ったわけではない」
「よく言うわよ。ルシフェル様の私室へ召されるのはあんただけだもの。……一番の古株だか何だか知らないけど、いつまでも自分が一番だと思っていたら大間違いよ」
美しい眉宇(びう)をひそめるカルボナードに向かって、セルジュはこう続けた。
「ルシフェル様だって男だもの。たまには違う女を試したいって思う時もくるわ。せいぜい足元をすくわれないよう気を付けるのね」
「何を勘違いしているのか知らぬが……私とルシフェル様はそういう関係ではない」
冷ややかなカルボナードの一瞥(いちべつ)を受けて、セルジュは自分の内から黒い炎が湧き上がってくるのを感じた。
この女……よくもしれっと……!
「前から聞こうと思っていたが……セルジュ、お前はどうしてそう私に突っかかってくる? 先程の誤解に基づくものか?」
カルボナードのこの問いかけはセルジュの怒りに油を注ぐことになった。
何なの、その涼しい顔……何なの、その余裕に満ちた問いかけは!?
だいたい、初めて見た時から気に入らなかった。
艶やかな、腰まである絹のような漆黒の髪。長い睫毛に縁取られた、神秘的な真紅の瞳。スッと通った鼻筋に、魅惑的な紅い唇。特徴のある、先端のとがった長い耳。スラリと伸びた手足に、豊かな胸、引き締まったウエスト。
神の寵愛(ちょうあい)を一身に受けたかのような容姿を持つその女は、最初から当たり前のような顔をして、ルシフェルの隣にいた。
そうあることが当たり前のように、そこにいた-----。
その時の光景を思い出して、ざわ、と鳥肌が立つのをセルジュは感じた。
忘れない-----あの時の、屈辱。
あれからいったい、どれほどの時が経ったのか-----その女は、あの時と同じ姿のままで、ここにいる。
あの時と同じ姿のまま、一人だけ、ルシフェルの寵愛を受け続けている-----。
なぁにが、『私とルシフェル様はそういう関係ではない』よ! 見え透いた嘘を……!
長命種であるエルフでさえ、何十年もの時が過ぎれば、わずかずつであれ老いていく。亜人種の中で最も長命なのは、このエルフ族だろう。
カルボナードは、エルフではない。何かの異端種なのだろうが、それにしても、これほど変わらないということは有り得ない。
-----カルボナードのあの容姿は、ルシフェルから与えられる精気によって保たれているに違いない。
セルジュはそう確信していた。
あたしが、この姿を保つ為にどれだけ努力しているか……! それを、この女はっ-----!
「あんたのそういうトコぜ〜んぶひっくるめてキライなだけっ! それ以上でも以下でもないわっっ!!」
「……そうか。それは構わぬが、任務に支障をきたすことだけはないようにな」
しれっとしたカルボナードの態度にはらわたが煮えくり返るのをこらえながら、セルジュはぷいっと踵(きびす)を返した。
「ホンットにムッカつく女ねっ!!」
勢いよく階段を下りながら、セルジュはぎりっと奥歯をかみしめた。
あたしなんか眼中にもないってワケ!? あの女っ……絶対に許さない! -----そうよ……何よりも許せない、のは……。
その時の光景が、鮮やかにセルジュの脳裏に甦った。どうしようもないほどの屈辱と共に、脳裏に焼きついている、その光景-----。
あぁ……そうだ。
初めてその姿を見た瞬間-----……美しい、と。
あの女を見て、思ってしまったのだ、自分は。
この世にこれほど美しい存在が、と-----……。
「絶対に許さないっっ!!」
その記憶を振り払うかのように短く叫んで、セルジュは回廊の石壁に拳を打ちつけた。
一番は、あたしよ! あたしが一番なのよ!!
ずっと、そう思っていた。あの女が目の前に現れる、その時までは。
それ以来、あの女を前にすると、自分の中のどろりとした部分-----女の本能とでも呼ぶべきモノが、どうしても刺激されてしまう。
あの女の美しさに自分はまだ及んでいないのだと、思い知らされてしまう-----。
「……見てなさいよ」
ひとつ息をついて、セルジュは前方をにらみすえた。
絶っっ対にルシフェル様に取り入って、あの女が持っているものを何もかも奪い取ってやる。
その為には、まず-----……。
「これじゃ……全然足りないわ」
自分の両の掌を見つめ、ポツリとセルジュは呟いた。
力を得る為に、もっともっと、上質な男達の精気がいる。
「魔法王国、ドヴァーフ……あたしを満足させてくれるような男達がどれくらいいるかしら?」
自分は常に、更なる美しさを追い求めて努力を重ねてきた。
美しい女を嫌う男は、まずいない。ドヴァーフでの働き次第で、ルシフェルの自分に対する評価は格段に違ってくるはずだ。
「いつまでもあんたの下になんかいないわ……カルボナード」
幼い表情の下に醜悪な女の劣情をにじませて、セルジュはピンク色の瞳に狂気にも似た光を宿した。
カルボナードに対する彼女の嫉妬は、もはや憎悪に近いところまで転じていたのだった。