けれど分かりたくないことだった。
怖くてその可能性を考えたくなかった。
独りぼっちになりたくなかった。
居場所を失いたくなかった。
それは、とても怖くて悲しいことだったから-----……。
けれど、貴方は言ってくれた。
貴方達は、行動で示してくれた。
どんなチカラを持っていても、あたしはあたしだと。
あたし以外の何物でもないのだと-----。
だからあたしは、もう逃げない。
『あたし』として、生きていく------。
*
その瞬間、辺りは目が眩(くら)むような閃光と爆風のような衝撃波に包まれた。
「……!」
腕をかざしてそれから身をかばうようにしながら、アキレウス達は息を詰めてその中心を見据えていた。
凄まじいエネルギーが渦巻く中心にいるのは、彼らの仲間である黄金(きん)色の髪の少女だ。
「あァアアアアぁアぁァあ----------ッッッ!!!」
藍玉色(アクアマリン)の瞳をいっぱいに見開いて細い喉をのけ反らせ、絶叫を迸(ほとぼし)らせる彼女の背から、白に近い銀色の光が溢れ出し、鉛色の天を貫く。圧倒的なチカラを前に、空にはびこる黒雲が霧散し、その姿を消していく。
「さぁーて、鬼が出るか蛇が出るか……?」
この事態を引き起こした張本人、鳥のような翼と猛禽の足を持つ男は、いち早く光の氾濫の圏外へと逃れながら愉快そうに高みの見物を決め込んでいる。
「……。光の……翼……」
めくるめく光の氾濫に目を細めていたガーネットの口から、そんな言葉がこぼれた。
長い黄金色の髪を宙にたなびかせたオーロラの背から迸る光の形状は、確かに巨大な両翼のように見える。
気のせいだろうか。その光の色彩が時折白みを増したり黒みを帯びたり、不安定に移ろっているように見えるのは……。
それを見ていたパトロクロスは、ローズダウンの王宮で賢者の石から放たれた光の光景を思い出した。
似ている-----賢者の石がその負荷に耐え切れず砕け散ってしまった、あの時の光と-----。
その時だった。少女の口から迸っていた絶叫がピタリと止み-----固唾を飲む仲間達の前で、見開かれていた瞳が静かに閉ざされた。
一瞬の静寂。
次の刹那、静寂は光の津波へと姿を変え、何もかもを飲み込んでいった-----!
「!!!」
網膜を焼き尽くさんばかりのその眩(まばゆ)さに、アキレウスが、パトロクロスが、ガーネットが、たまらず目をつぶる。
次に彼らが目を開けた時、少女の藍玉色(アクアマリン)の瞳は開かれ、その背には光を凝縮し具現化した、巨大な鈍色(にびいろ)の輝きを放つ翼があった。
ほっそりとした肢体を包む陽炎のようなオーラ。静かな、だが力強い眼差しには純然たる決意が湛えられ、毅然とした横顔にはどこか神聖さすら感じられる。
少女の右手がゆっくりと上がり、宙空で高みの見物を決め込んでいた紅い翼を持つ男を捉えた。
「-----へェ。ヤるか?」
男の口角がニィィッ、と吊り上がる。
それに応えるように、少女の右手の先に凄まじいエネルギーが生まれ、収束し、膨れ上がっていく!
その尋常でない波動に、大気が震える。人間達は息を飲み、その光景を見やった。大気を唸らせ、風を巻き込み、大地を軋ませ-----恐ろしいほど強大なチカラがうねりを帯びて、男へと解き放たれる!
「伏せろッ!」
とっさに叫んで大地に伏せたパトロクロスは、身の毛がよだつような威力をその背(せな)で感じた。
耳をつんざくような轟音を伴い、きつく閉じた瞼の向こう側で世界を焼き尽くすような光が踊り狂う。烈風が吹きすさび、荒れ狂う大気が、大地が鳴動する!
この世の終わりのような時が過ぎ、やがて、その余波が和らぐ頃、じゃりっ、という音を微かに捉えたパトクロスが顔を上げると、膝から崩れ落ちるようにしたオーロラの元へアキレウスが駆け寄っていくところだった。
「オーロラッ……」
駆け付けたアキレウスが自らの外套を外し、半裸に近い姿になった少女の身体へかけてやる。それでくるむようにして抱き起こすと、意識のない彼女の瞼が微かに震え、薄く開いた口から細い息がもれた。
「生きてる……」
その事実にとりあえず胸をなで下ろすアキレウスの隣で、少し遅れて駆け付けたガーネットがオーロラの手首を取り脈を確かめながら彼女の様子を見取り、頷いた。
「大丈夫……チカラを使い切って、気を失っているだけみたい……光の翼も消えている、わね」
「……。凄まじいチカラの放出だったな……」
パトロクロスはそう呟いて、先程までの荒天が嘘のように晴れ上がった空を見上げた。
雨雲が蹴散らされた上空には今や抜けるような青空が広がり、柔らかな太陽の光がぬかるんだ大地を優しく照らしている。
濡れ鼠のようになった自分達の姿とはあまりにちぐはぐなその光景に、まるで狐につままれたような気分を味わいながら、気を失ったオーロラの姿を見て、改めて今し方の出来事が現実のものだったのだとかみしめる。
そしてその現実は、未だ進行中なのだ。
「イヴ……お前の決意表明、確かに受け取ったぜェ……」
歓喜と憤怒がないまぜになったような呟きが、宙からこぼれ落ちた。
緊張感に満ちた三人の視線が、空中に浮かぶ紅い人影を捉える。
「痛ってェなぁ……記憶が戻ってどの程度のモンか、試しに食らってみたけどよぉ……」
自らの血で深紅に染まった男は、想像以上のダメージだったのか、イラついた調子で独りごちると、紅の翼を羽ばたかせた。
「ヤルじゃねェか……“不純物”が、よぉ! 四翼天が一人、グランバード様をナメんじゃねェぞ!」
「! グランバード……」
紅い男の口からようやく飛び出したその名を耳に刻みながら、アキレウス達が戦闘態勢に入る。気を失ったオーロラを守るようにその傍らに立ったガーネットが朗々と守護の呪文を唱える中、その前衛で油断なく剣を構えたアキレウスとパトロクロスの視線の先で、グランバードの掌に現れた紅蓮の球が怪しい輝きを放つ!
「おらァ!」
獣のような咆哮が轟いた次の瞬間、投げつけられた紅蓮の球がガーネットの結界にぶつかり、激しい爆音を奏でた。爆炎が散る中、瞬時にして獲物達へと距離を詰めたグランバードの暴虐の笑みが間近で弾ける!
「!」
速いっ……!
「こいつァ挨拶代わりだ!」
息を飲むアキレウスとパトロクロスに、目にも止まらぬ勢いのグランバードの拳と蹴りが叩き込まれた。重い衝撃と共に吹き飛ばされる二人の鼓膜に、嬉々とした声が届く。
「さぁーて、どの程度楽しませてくれるかなぁ!?」
「くっ!」
吹き飛ばされながらもどうにか踏みとどまり、二人が体勢を立て直した時には既に、グランバードは地面に突き刺さったままになっていた己の武器を手にしていた。人の身長のゆうに倍以上はあろうかという、物々しい装飾の施された巨槍だ。
「くっく、お粗末だなぁ、おい。せっかく手放してやってた武器をこうもあっさり取り戻されちまうたぁ……」
「ちっ……これ以上、てめえに好き勝手させるかよ……!」
苦々しく吐き捨てるアキレウスに紅い舌を出し、グランバードは挑発した。
「はっは……コイツを手にしたオレ様は強ェぞぉ? てめェ如き小僧に止められんのかぁ? ムリムリ、ゼ・ン・メ・ツ・だよ。せいぜい最後の刻を楽しもうぜェ、男はなるべく苦しむように殺してやるし、女はたっぷり犯してから喰ってやる」
実際には四翼天側の取り決めがあり、セルジュの領域内でこの人間達を殺すわけにはいかなかったのだが、そんな内情を知らない血気盛んそうな目の前の相手は、その瞳をみるみる怒りに燃やした。
「フザけんなよ……!」
アキレウスの身体から黄金色のオーラが立ち上り、それに呼応した大剣(ヴァース)が唸りを上げる!
「てめえを倒す!」
「ヤれるモンならヤってみな!」
グランバードに向かって駆け出すアキレウスにパトロクロスが続く。
「食人嗜好(カニバリズム)とはいただけない……」
「男は喰わねェよ、オレが好きなのはぁ、魔力を持った若い女の、柔らけェ肉!」
甲高い金属音を響かせてアキレウスとパトロクロスを同時に相手にしながら、グランバードが鋭い牙を覗かせる。
「さぁて、おめェらのお仲間はどんな味かねェ!?」
巨槍一閃。
アキレウスとパトロクロスがそれを凌いだ次の瞬間、グランバードは飛翔し、驚異的なスピードでガーネットへと襲いかかった!
「まずいっ!」
「ガーネット!」
叫ぶ二人の視線の先で、ガーネットが波動の杖を振りかざす!
「はぁッ!」
「おっとぉ」
魔法の杖から放たれた波動にわずかに身体を揺らしながら舞い降りた紅い悪魔は、鋭い爪の光る頑強な腕で、杖を握る白魔導士の少女の二の腕を捕えた。
「つぅかまえたぁ」
「くっ……!」
「面倒臭ェ、暴れんなよ。先にそこの女の頭かち割んぞ……っと」
「-----地裂斬(ちれつざん)!」
パトロクロスの怒号と共に凄まじい剣圧が大地を割ってグランバードに迫る! 申し合わせたようにガーネットが強く抵抗し、舌打ち混じりにグランバードが手を放す。しかし、手土産はしっかりともらった。
「へっ!」
爪先から滴るかぐわしい少女の血の匂いを嗅ぎながら、空中へと跳んだ男の周囲を大気の変動が取り囲んだ。
「んん?」
ガーネットの波動の杖に宿る魔法の力だ。先程とは違い、グランバードの翼に照準を絞っているらしい。それを見計らったように、ゴッ、と空気を切り裂き、黄金を纏った刃が放たれる!
「破風剣(はふうけん)!」
「へっ、オレ様の翼をナメんなよ-----」
魔法の力をものともせず、常人では到底不可能なタイミングで斬撃をかわした男の背後から、跳躍したパトロクロスが斬りかかる!
「鷹爪壊裂斬(ようそうかいれつざん)!」
「甘ェッ!」
振り返りざま強烈な裏拳をパトクロスの顔面めがけて叩き込むが、魔法の加護か、思ったような手応えがなく、舌打ちした男の脇を、龍の形を纏った闘気がかすめていく。
「うっぜェなぁ、仲良し連携攻撃……」
口元を歪めながら身体を返して、袈裟懸けに斬りつけようとするアキレウスの豪剣をいなし、巨槍を突き込む!
「ちっ!」
こちらもまた、手応えが浅い。案の定、アキレウスは大地に叩きつけられることなく、自らの足で着地した。その彼を、癒しの光が包み込む。
「ケッ……白魔法ってのは厄介だなぁ」
そういえばアルファ=ロ・メがあの白魔導士の娘をなかなかの力量、と評していたような覚えがある。
今回はあくまで『遊び』なのでグランバードは本気を出してはいないし、忌々しい“不純物”によって少なからぬダメージを受けてはいるが、それでも“オモチャ”が受けているダメージが想像以上に少ないのは、白魔法のレベルの高さにあるのだろう。
紅の翼を広げて地上との距離を取りながら、グランバードは自らの爪に付着した白魔導士の少女の血液をなめとった。そして、吊り上がった瞳をひとつ瞬かせた。
「お? 旨(うめ)ェ……」
“それ”は久しく口にしていないほど芳醇な味わいだった。
「はっは……」
自然と笑い声がこぼれていた。
「そういや、そうだったなぁ……初めて見た時、旨そうな女だと思ったのをイヴの方へ頭が行っててすっかり忘れてたぜ」
その瞬間、気まぐれな男の目的は別のものへとすり替わっていた。吊り上がった紅い瞳が、獲物を見定めた肉食獣のそれへと変わる。
お遊びの代償に手痛いしっぺ返しは食らったが、とりあえず、当初の目的は果たしたと言える。
イヴの一撃によってダメージを受けた状態とはいえ、思いの外(ほか)グランバードを愉しませたオモチャ達。そして見つけた、希少な一品。
このオモチャ達と全力で遊びたい。全力で遊んで、ぐちゃぐちゃに叩き潰してやりたい。そして、至高の一品となりえる素材を最高の状態にして、骨の髄までしゃぶりつくしたい。
その為には-----……。
「……よぉし。決めた」
どす黒い笑みを浮かべて、グランバードは地上を見下ろした。
「おい、てめェら!」
「!?」
「今日はヤメだ。気が変わった。オレは普段ウィルハッタにいるからよ、今日の続きがやりたくなったらいつでも来な」
「はァ!? 何言ってやがる!」
突然の身勝手な通告を受け眉を吊り上げるアマス色の髪の青年に、紅い悪魔は投げやりな口調で言った。
「こっちにも色々面倒臭ェ決まりっつーか事情があるんだよ。だがおめェらの方からオレのトコに来るってんなら話は通る……」
「何をごちゃごちゃと……こっちはまだてめえに聞きたいことが山ほどあるんだ!」
「はっは、そりゃあ次回のお楽しみにとっとけ、小僧」
「フザけやがって……!」
いきり立つアキレウスを冷静にガーネットがたしなめた。
「落ち着いて、アキレウス。オーロラも気を失ったままだし、今戦いを継続するのはあたし達にとっても好ましくない。理由は分からないけど相手が引く気ならラッキーと捉えるべきよ」
「くくっ、その通りだよ、お嬢ちゃん」
その刹那―――一瞬の隙を縫うようにして、紅い凶弾が飛び込んできた!
ヒヤリとした予感がアキレウスとパトロクロスを襲う。自分の目の前に瞬時にして立った男を、ガーネットは驚愕の眼差しで見た。
「こいつァ次に会う時までの餞別だ……」
優しい、とさえ思えるような声音で告げ、グランバードが牙を剥く。
とっさにガーネットは身体をよじった。左肩に鋭い牙が打ち込まれ、熱い痛みが走ると同時に、肉の繊維がちぎれる嫌な音が耳に響く。
「あああッ!」
「ガーネット!」
「貴様ぁッ!」
割り入ったアキレウスがガーネットを抱えるようにしてグランバードから引き離し、パトロクロスが長剣を一閃させる! 口元をぬめる血に染めた紅い悪魔は、哄笑しながら中空へと逃れた。
「はっはァ……柔らけェ喉にかぶりつきたかったんだがな、狙いがそれちまった。くくく、旨ェなぁ、いい血肉だ! 芳醇な香りがたまんねェ……血を飲むだけのつもりがつい噛みちぎっちまったぜ」
紅い悪魔は衣服の繊維を吐き捨て、ぐちゃぐちゃと少女の肉を咀嚼しながら、ゾッとするようなことを言い放つ。
「次は最高に旨ェ状態にしてからいただいてやるよ、楽しみにしてるんだなぁ-----あばよっ」
一方的な宣言を残して、紅の翼を羽ばたかせ、グランバードは空の彼方へと消えていった。
「……!」
その姿が見えなくなるまで空をにらみ上げていたアキレウスは、頬骨が軋むほど奥歯を噛みしめた。
「くそっ……!」
剣を収めたパトロクロスがガーネットに駆け寄り、心配そうな声をかける。
「大丈夫か!? 傷は……!?」
「今、回復呪文をかけたから大丈夫……あいつ許さないわ、乙女の柔肌を〜……パトロクロスにもかじられたコトないのに!」
「いや、私は女性をかじったりはしないぞ……」
「そんだけ口が叩ければ大丈夫だな」
気丈なガーネットの様子に安堵しながら、アキレウスはオーロラを抱き起こし、固く瞼を閉ざしたままのその顔を見つめた。
「とりあえずどこか落ち着けるところを……」
言いかけた唇が、止まる。
パトロクロスとガーネットもハッと息を飲んで周囲を見渡した。
「-----囲まれている」
いつの間に現れたのか-----紅い脅威が去って間もない空には複数の飛影、地上も距離を置いたところから完全に包囲されている。
「あいつの仲間か?」
「……分からない」
「一難去ってまた一難、イヤになっちゃう」
オーロラの身体を再び大地に横たえ、彼女を中心に背を合わせるようにしながら、三人は再び戦闘態勢を取った。
考えたいこと、考えねばならないことは山積していたが、落ち着くことが出来るのはまだ先になりそうだった。