ドヴァーフ編

踏み出す勇気


 夕刻。

 事前に示し合わせて街の酒場カシュールにひと足早くたどり着いたあたし達三人は、主役のアキレウスの到着を待つばかりとなっていた。

 店内には賑やかな楽曲が流れ、様々な人種、様々な職業の旅人達が、思い思いに飲み、食べ、歌い、踊り、語り合って、楽しいひと時を過ごしている。

 ターニャも言っていたけれど、どちらかというと厳格な雰囲気のあるドヴァーフの王都にしては珍しい雰囲気のお店だな。だからこそ、旅人達が集うのかもしれないなぁ。奥の方には小さなステージもあったりして、ちょっとした催しが出来るようになっている。

 こっちの世界の酒場って初めて入ったけど、多少の違いはあれ、雰囲気的にはどの時代の酒場も似たような感じなんだなぁ。何だか懐かしい。

 自分が働いていた海辺の小さな酒場を思い出し、あたしはちょっぴり感傷的な気分に浸った。

「オーロラは、こういうところは初めてだったかな?」

 もの珍しさと懐かしさできょろきょろしていたあたしに、パトロクロスがそう声をかけてきた。

「あ、うん。こっちの世界では」
「そうか。向こうでは、酒場で踊り子をしていたんだったな」

 思い出した様子でそう述べた彼の言葉を耳にしたガーネットが、目を丸くした。

「えっ、そうなの!? オーロラって踊り子だったの!?」
「あれ、言ってなかったっけ?」
「聞いてないわよー。何よ、あたしだけ? 知らなかったの」

 そう言ってぷーっと頬をふくらませたガーネットは、次の瞬間きらっと目を輝かせた。

「ね、あとで踊って見せてよ。ほら、丁度よくステージもあることだし」

 えぇ〜!?

「やだよー、絶っっ対無理っ!」

 お客さんの前で踊るのとみんなの前で踊るのとじゃ勝手が違って、恥ずかしいよ。ホント無理!

 即行で断ったその時、アキレウスが店内に姿を見せた。

 -----来たッ!

 あたし達は目配せし合い、手に隠し持ったクラッカーの紐に指をかけた。

 あたし達の姿を見つけたアキレウスがこちらへと歩み寄ってくる。

「あれ、オレが最後? 悪い、待たせたな-----」

 その瞬間、パパパパーン! とクラッカーの音が盛大に鳴り響き、色とりどりの紙テープの洗礼を受けたアキレウスは、翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳をまん丸に見開いて、パチクリと瞬きした。そんな彼に、あたし達は心からの言葉を贈った。

「改めて、アキレウス、お誕生日おめでとう!」

 既にお酒が入って出来上がっている店内のお客さん達からも、ノリのいい口笛と拍手が贈られる。

 そこで事態を把握した彼は、何とも言えない表情であたし達を見渡した後、照れくさそうに頬をかいた。

「ちぇっ、そういうコトか。おかしいと思ったんだ、カシュールで、みんなバラバラに集合、なんて」
「はは、お前を丸め込んだ私の口は見事だったろう?」
「ビックリしたでしょー、オーロラの提案なのよ」

 驚いた様子のアキレウスの視線を受けて、あたしは顔が強張らないように気を付けながら、笑顔で言った。

「この間は、アキレウスの誕生日だってみんな知らなかったからね。あたし達はあたし達で、改めてお祝いをしようと思って」

 クラッカーの音を合図に頼んでいた料理が運ばれてきた。

「ほら、座って座って! 何飲む?」
「あ、あぁ。じゃ、麦芽酒(ビール)」
「パトロクロスとガーネットは?」
「私も麦芽酒をもらおうか」
「あたしは何か甘めのカクテル系がいいなー」

 あ、いいねそれ。あたしもそうしようかな。

 飲み物が運ばれてくるのを待って、あたし達は乾杯した。

「アキレウスの誕生日と、間もなく控えた出立の前途を祝して! 乾杯!」

 カツン、とグラスを合わせて、アキレウスの誕生会兼壮行会が始まった。

「今日はどんどん飲んでくれ。遠慮はいらないぞ」

 金庫番のパトロクロスの発言に、あたし達は色めき立った。

「ホント!?」
「マジで!?」
「やーん、パトロクロスったら素敵っ」
「他にも何か頼みたいものがあればどんどん頼んでいい。今日くらいはパーッといこう」

 わーい!

「つーか、オレの好きなメニューばかり……よく分かったな?」

 テーブルの上に並べられた料理を見てアキレウスが言う。

「えへへ、ここのマスターに聞いたの。マスター、アキレウスのこと覚えてくれていたから助かっちゃった。このお店のことは、ターニャに教えてもらったんだ」

 自然に、自然に。いつも通りにを心がけて、あたしは彼に接した。

 余計なことは考えないように心に決めた。

 アキレウスと一緒にいられる時間は、限られているんだもん。ぎすぎすしているなんて、もったいない-----そう、思ったんだ。

「そっか……ありがとな。予想してなかったからホントにビックリしたけど、スッゲー嬉しい……みんな、ありがとう」

 少し赤くなりながら、でも本当に嬉しそうに、アキレウスはそう言ってくれた。彼のその顔が見れただけで、あたしには充分だった。

 鶏肉の岩塩焼きに、白身魚を香辛料で煮込んだソテー、燻製肉の炙り焼きに、色とりどりの季節の野菜の焼きサラダ、カラリと揚げたお芋に塩と柑橘系の汁を振ったもの-----などなど。

 アキレウスは味が濃い目で、割とあっさりしたものが好きなんだね。

 お酒が進み、同じくらい食事が進んで、会話も弾み、あたし達は久し振りにリラックスした時を過ごしていた。

 どのくらい経った頃だろう。

 小さなステージの上に一人の踊り子が立ち、ステージ脇の奏者の演奏に合わせて舞い始めたことに気が付いて、あたしは自然と彼女の踊りに見入った。

 バッチリメイクした踊り子は、薄い布地の肌も露わな衣装を身に纏い、美しく伸びた手足を駆使して、くるくると可憐に舞う。

「オーロラもあんなふうに踊ってたの?」
「うん。もっと小さな酒場だったし、あんなに大胆な衣装じゃなかったけどね」

 ガーネットにそう答えながら、あたしはこの世界に召喚された日のことを思い出していた。

 純白の衣装を身に纏い、あたしはステージで踊っていた。

 いつものように踊り終えて、海の男達の喝采を浴びる-----そう信じて、疑っていなかったんだけど。

 平穏は、唐突に破られた。

 あたしは酒場に発生した暗黒の気流に飲み込まれて、この世界へと召喚されてしまったんだ。

 気が付くと、そこは夜の砂漠だった。



 そして-----あたしは、アキレウスと出会ったんだ……。



 楽しいひと時を終えて酒場の外に出ると、空には綺麗な月夜が広がっていた。

「あー、火照った肌に夜の空気が心地良いわ」

 ほんのり赤く染まった頬に手で触れながらガーネットが言う。

「ホントだなー」
「中は熱気というか何というかで蒸し暑いくらいだったからな」

 アキレウスとパトロクロスもそんなふうに頷き合いながら、王宮への帰途につこうと背を向けて歩き出す。その時、勇気を出してあたしは彼の名前を呼んだ。

「アキレウス!」
「えっ?」

 あたしの大声に驚いた様子で、彼だけでなく、パトロクロスとガーネットまで振り返った。

 気合が入りすぎて、ついつい声が大きくなっちゃった。

 思いの外(ほか)声が大きくなってしまったことに顔を赤らめながら、怯みかける自分を奮い立たせて、あたしはアキレウスの翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳を見つめた。

「あの……アキレウス、ちょっとその辺を歩いてから帰らない?」

 その言葉を口にしながら、緊張で身体が震えた。

 断られたら、どうしよう-----。

 朝の件があって、今だ。

 今度こそ、立ち直れないかもしれない。

 拳をぎゅっと握りしめて、あたしはまるで判決を待つ罪人のような心境で、彼の返答を待った。

 アキレウスは一瞬ためらう素振りを見せた後、ややしてから頷いた。

「別に、いいけど-----」

 良かったあぁぁ〜……。

 それを聞いた瞬間、とりあえず了解をもらえたことにホッとして、そのまま座り込みたくなるくらいの脱力感を覚えながら、あたしは表面上はどうにかそれを隠しつつ、こっそりと胸をなで下ろした。

「パトロクロス〜、あたし達もちょっと散歩してから帰らないー?」
「あ、おい、コラッ」

 気を利かせてくれたのか、それとも単にそうしたいと思ったのか、ガーネットはそう言ってパトロクロスの腕を取ると、彼の意思を無視したまま、夜の闇へと消えていった。

「で……どっか行きたいトコでもあるのか?」

 二人きりになった後、アキレウスにそう問われて初めて、あたしはそれを全く考えていなかったことに気が付いた。

「え……えぇーっと……」

 必死に頭を巡らせてみるけれど、パニくっているせいもあって、全く何も浮かんでこない。

「ごめん……何も、考えてなかった」

 結局、正直にあたしはそう答えた。

「え?」
「アキレウスと二人で話せれば、それで良かったの。歩きながらでも、何でも。だから……」
「……」

 アキレウスはしばらく無言であたしを見つめていた。その視線を感じながら、あたしはうつむいたまま、顔を上げることが出来なかった。

 呆れられてしまったかもしれない。

 そう思うと、怖くて。

 だから、彼がこう言ってくれた時、あたしは心の底から安堵したんだ。

「せっかくだから……とりあえず、歩くか」
「……うん」

 肩を並べて、あたし達は歩き出した。

「何か……ごめんね、こっちから誘っておきながら……さぁ」
「いや……別に、いいけど。……そうだ。なんなら、この先を少し歩いたトコに小さな丘があるんだけど、そこに行ってみるか? あんま人もいないと思うし、大したことないけどちょっぴり夜景も見れるからさ。のんびり話すにはいい場所だと思うし」

 一も二もなく、あたしはアキレウスの提案に乗った。

 どうせだったら座ってゆっくり話したかったし、夜景という言葉にもちょっと惹かれた。それよりも何よりも、アキレウスが提案してくれたっていうことが嬉しかったんだ。

 訪れたその場所からは、王都の一部の夜景と、魔法の光で夜の闇に浮かび上がる王城を望むことが出来た。

 背の低い柔らかな草が生えそろった無人の小さな丘の上に立ち、あたしは小さく感嘆の息をもらした。

 思ったより、ずっと綺麗だ。

「-----で、何の話?」

 丘の上に腰を下ろしながらアキレウスが言う。その隣に座りながら、あたしは自分の中でなるべく言葉を整理しつつ、口を開いた。

「今朝のこととは、全く関係ないことなんだけど……アキレウスに伝えておきたいことがあって。少し長くなるかもしれないけど、聞いてほしいんだ」
「……。分かった」
「えっと……ちょっと恥ずかしいんだけど。頑張って言うから、黙って聞いてね」

 あたしのその言葉を聞いて、アキレウスは怪訝(けげん)そうな顔をした。

「……? 何だよ?」

 あたしはひとつ深呼吸してからゆっくりと話し始めた-----この世界へ来てから感じてきた、様々な自分の思いを。

「あたしね、こっちの世界へ来て-----始めのうちは特に、怖いことや悲しいこと、信じられないこと……そんなことばかりが目について、本当に辛かったんだ。自分の居た世界とはあまりにも違いすぎる環境を受け入れられなくて、こんな世界嫌だって、早く元の世界に帰りたいって、そればっかりを考えていたの。でもね、今は……違う。こっちに来て良かったなって思えることも、あるんだ。パトロクロスやガーネット……それに何より、アキレウス、あなたに出会えたこと」

 アキレウスが軽く目を瞠(みは)ったような-----そんな気が、した。

「アキレウスにとってはとんだ災難だっただろうけど、こっちの世界に来て初めて出会った人がアキレウスで、あたしは本当に運が良かったと思う。アキレウスに出会えていなかったら、あたしは多分、自分がどうしてこの世界へ呼ばれたのか、その理由を知ることもなく死んでいた。最初の頃、怖くて、心細くて、切なくて……ただ泣くことしか出来なかったあたしに、アキレウスが差し伸べてくれた手……何気ない言葉、笑顔。あたしはどれだけ救われたか分からない。本当に、感謝しているの」
「どうしたんだよオーロラ、急にそんな……」

 戸惑いを隠せない様子のアキレウスに、あたしはちょっと赤くなりながら言った。

「最後まで聞いて。けっこう、ううん、かなり恥ずかしいんだから」
「っつーか……」

 オレの方が、恥ずかしいって。

 言外に紡がれた、アキレウスの声。

 それをあえて無視して、あたしは続けた。

「あたしが自分の能力(チカラ)に怯えてぐちゃぐちゃになっていた時……アキレウス、言ってくれたよね。『誰だって、自分から逃げることは出来ないんだからな』って。そして、こうも言ってくれたよね。『泣きたい時には泣け!』って。『お前が辛い時には、オレ達が支えてやる。それが仲間ってモンだろ?』って-----。あたしはすごく嬉しかったの。涙が止まらないくらい嬉しかったし、救われた。だから-----」

 あたしは意を決して、次の言葉を口にした。

「だから、今、その言葉をアキレウスに贈りたい。一人で、悩まないで……一人で、抱え込まないで……あたし達がいることを、思い出してほしい」



 アキレウスの瞳に、衝撃のようなものが走った。



 それは、あたしが初めてアキレウスに真正面からぶつかった瞬間だった。



 支えてもらうだけだった-----今までは。

 待っているだけだった-----ずっと。

 アキレウスの後ろ姿を見つめているだけだった、今までの自分。

 彼が抱えている過去の傷に気が付きながらも、そこに触れる勇気が持てずに、ただじっと見守っているだけだった。

 だけど、あたしは敢(あ)えて一歩を踏み出した。

 余計なことだと、拒絶されるかもしれない。

 けれど-----けれど、これからは-----与えてもらうだけじゃなく、願わくば、何かを与えることが出来る存在になりたい。

 例え、それがほんのわずかな時間なのだとしても……。

 その為の、第一歩-----。

「全部じゃなくて、いい。ほんの少しでもいい-----ぶつけられるところだけで、いいから……。あたしは、アキレウスに受け止めてもらえた時……とても、楽になったよ」

 あたしは勇気を持って、アキレウスの顔を見た。

 月明りの下、不安定な光を湛える翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳が揺れている。

「あたしにとってアキレウスは……色んな意味で、とても大切な存在なの。だから、どうしてもこの言葉を伝えたかった」

 そう告げて、あたしは少しだけ頬を緩めた。

「アキレウスに出会えて、あたしはとっても幸せだよ。ちょっと遅れちゃったけど、改めて言わせてね。お誕生日、おめでとう」

 言い終えた、その瞬間-----あたしはあまりの恥ずかしさに耐え切れず、両手で顔を覆ってしまった。

 あ〜〜〜-----っっっ……自分の気持ちを言葉にして伝えるのって、すっっごい恥ずかしいぃぃッ!!!

 顔から火を吹きかねない様相で悶えるあたしに、心持ち頬を染めながらアキレウスが抗議する。

「そんなに恥ずかしいなら言うなよ……言われたこっちが恥ずかしいだろ」
「あっ、ひどいっ。あたし頑張ったのに!」
「頑張ったって……あのなぁ、こういうことって、頑張って言うことじゃねーと思うんだけど……」
「頑張らないで言える内容じゃないでしょ? アキレウスは慣れているかもしれないけどさ……あたしはこんなの、初めてなんだから」
「オレが何に慣れているって?」
「だから……誕生日の時に、自分の想いを伝えたり、伝えられたり」

 そう言うと、アキレウスは不思議そうな顔をしてあたしを見た。

「オレが? 何で?」
「えっ? だって……この国の習慣なんでしょ?」
「はぁ? 何だ、それ?」


 え゛……。


 その時あたしの脳裏に浮かんだのは、ピースサインをしてにんまり微笑むターニャの姿だった。


 ヤッ……。

 ヤラレタぁぁぁぁ-----!!!


「……誰にだまされたんだ?」

 だいたいの想像がついた様子でアキレウスが言う。

 頭のてっぺんから足の爪先まで真っ赤になったあたしは、反射的に立ち上がってその場から逃げ出そうとした。そのあたしの手首を、しっかりとアキレウスが掴む。

「はっ、離して!」
「離さない。離したら、逃げるだろ?」
「当たり前じゃない!!」

 真っ赤な顔で、あたしは叫んだ。

 だって、あんな……あんなこと。

 あたし、本人に面と向かって『とても大切な存在』とか言っちゃってるんだよ!?

 恥ずかしすぎる!!

「とりあえず座れよ」
「むっ、無理!」

 無理だって!!

 その時、動いた拍子に、隠し持っていた小さな包みがぽろりとアキレウスの前に落ちてしまった。

 あ!

 綺麗にラッピングされたそれを拾い上げ、しげしげと眺めたアキレウスは硬直するあたしを見上げ、こう尋ねてきた。

「これ、もしかしてオレに……?」

 まさにその通りだったので、少々の気まずさを覚えながら、あたしは頷いた。

「……開けていい?」
「う、うん……」
「手、離すけど……逃げるなよ?」
「分かった……」

 完全に逃げるタイミングを逸してしまったあたしは、観念してその場に腰を下ろした。

 アキレウスがプレゼントのラッピングを解く瞬間は、ドキドキした。

 気に入ってくれるといいな……。

 ちょっとゴツめのデザインの、つや消しされた銀色の腕輪(ブレスレット)。クラシックな十字架が彫り込まれたその中心には、わずかに金色の混じった青い石がひっそりと息づいている。

 それを見たアキレウスの口から、感嘆の声がもれた。

「腕輪だ……スゲ、カッコいい……」

 実際に左の手首に嵌(は)めてみると、その腕輪は、まるで彼の為に造られたもののようにしっくりと映え、その存在感を増した。

「この石……もしかして、ラピス・ラズリ……か?」
「知ってるの?」
「あぁ……名前と色くらいは」

 そう言ったアキレウスに、あたしはターニャから聞いたラピス・ラズリの効力を説明をした。

「この石には、災いを洗い流し、不安を払いのけ、成功をもたらす力があるとされているらしいよ」
「そうなのか……」

 腕輪にひっそりと輝く宝石を見つめ、アキレウスはぽつりと呟いた。

「金と青……オーロラの色彩(いろ)が入っているんだな」
「えっ!?」

 その言葉にぎょっとしたあたしは慌てふためいて弁明した。

「い、言われてみればそうかもだけどっ……で、でも、変な意味は全くないんだよ!?」

 真っ赤になったあたしを見て、アキレウスはぶはっと吹き出した。

「オレは見たままを言っただけだって」
「ほ、本当に本当だからね!? ターニャのお店で、彼女と色々相談しながら選んだんだから! 運が上がるものの中で、あたし的にこれが一番心に響いて-----」

 笑っていたアキレウスは、それを聞いてふと真顔になった。

「“運”……。そうか、これには“運”が上がる効果が付与されているのか……」
「? うん……そういう効果があるものの中から選んだから」

 そう答えると、アキレウスは何とも言えないような複雑な笑顔になり、あたしを見た。

「まいったな……。オーロラ、お前って……あぁ-----まいった……まいった、よ-----」

 これまでにない、様々な感情の滲んだ深い語調だった。

 その言わんとする意味が分からず、あたしは不安になって彼に尋ねた。

「あの……もしかして、気に入らなかった?」
「まさか。スゲー気に入った……こんなにいいヤツ、本当にもらっていいの?」
「も、もちろん! その為に買ったんだから」

 嬉しくて興奮するあたしの前で、アキレウスは何故か神妙な顔つきになってこう言った。

「ありがとう……大事にする。ターニャにも……ありがとう、だな」
「うん!」

 えへへ、良かった。喜んでもらえちゃった。

 夜風が、ゆっくりと頬をなでていく。

 緊張が解けたせいか、その冷たさを初めて肌に感じて、あたしは小さく身体を震わせた。

「寒いのか?」

 それに気付いたアキレウスが声をかけてくれる。

「ローズダウンから見たらだいぶ北に来ているからな……夜になると、さすがにちょっと冷えるな」
「そうだね……でも、平気」

 外套(がいとう)を持ってくれば良かった、とちょっと後悔したけれど、耐えられないほどの寒さじゃない。

 かぶりを振るあたしに、アキレウスは自らの外套の裾を大きく広げた。

「入れよ」
「え……いいよ、大丈夫」
「いいから」

 赤くなって辞退するあたしの肩を抱き寄せ、アキレウスは半ば強引にあたしの身体を外套の中にくるみこんだ。

 きゃあぁーっ!

 突然の事態に、さっきまでの寒さはどこへやら、今度は全身が熱を帯びて、激しい動悸に眩暈(めまい)がしてきた。

 今日は何て心臓に負担をかけまくっている一日なんだろう。

 真っ赤になりながら、あたしはぎゅっと目をつぶった。

 あたしの肩を抱く力強いアキレウスの腕。温かな、彼の体温。

 あたしは彼に抱き寄せられ、その胸に半ば頬を押し付けるような状態になったまま、そのぬくもりをひどく身近に感じながら、とくとくと響く自分の心臓の音をただ聞いていた。

 何も、考えられなかった。

「今朝は……ごめん-----」

 しばらくの沈黙の後、ぽつりとアキレウスが呟いた。

「あんなふうに……傷付けるつもりじゃ、なかった」
「え……ううん、あたしの方こそ……何か感情的になっちゃって、ごめんね」

 ここ最近アキレウスとの間にあったぎすぎすしたものが、ゆっくりと解けていく。

「オーロラは……何ていうか、強くなったよな。人間的に成長したっていうか……。それに比べて、オレは-----すっげーガキだ。さっき気付いた。過去の出来事に囚われて、周りの思いやりとか、そういうの、全然目に入らなくて。いつの間にか、自分で自分をがんじがらめにしてた……」

 長い長い溜め息を吐き出して、アキレウスは話し始めた。

「この王都に入ってから精神的に不安定になっているのは、自分でも感じていた。今まではこんなこと、一度もなかったんだけど……父さんの死以来、足を踏み入れることのなかった王城に-----背を向け続けていた過去に向き合うことになったのがその原因だと思っていたんだ。だけど……違う。もちろんそれも要因のひとつではあるんだろうけど、何ていうか……自分の中の何かが、危機感を訴えているんだ。それが何なのかは、分からない。だけど、日増しに強くなっていくそれを無視出来なくて、一人であせって、イライラして。自分の中の大事な何かが、抜け落ちているような気がして……」

 翠緑玉色(エメラルドグリーン)の瞳を彷徨わせて、彼は言った。

「実際、自分自身に驚くこともあったんだ。オーロラに言われて初めて、父さんがヴァースでなくウラノスを持っていった理由に気が付いたり、ガキの頃に国王と交わしたっていう約束を覚えてなかったり……。何だかスゲー不安になって、昨日、昔自分の家があった場所に行ってみようって思い立ったんだ。根拠はなかったけど、行ってみたら何かスッキリするかもしれないと思って。まぁ、十年前の事件で焼けて、今はもう更地になっちまってるんだけど……」

 十年前の事件……それはアルベルトの言っていた、アキレウスのお父さんが騎士の資格を剥奪されるに至った件に他ならなかった。

 騎士団長を務めていた彼のお父さん-----ペーレウスは王命に背き、独断で罪人の蛮族達を助け、その結果、王都は彼らの放った火によって業火に包まれ、結果的に当時の国王夫妻を死に至らしめることになったのだという。

「そう思って城を出たトコで偶然ラァムと会ってさ。……その後、オーロラ達と出くわしたんだ」
「じゃあ、ラァム……さんとは、偶然?」
「あぁ、偶然。向こうもビックリしてたよ。ラァムもオレの父さんの事件(こと)、知ってるからさ。まさかオレが城から出てくるとは思わなかっただろうな」
「それで……家には?」
「結局、行かなかった。そういう気分じゃなくなったっていうか……」

 それがどういう意味なのか気になったけど、結局、あたしはそれを聞くことが出来なかった。

「オレの母さんは、オレが物心つく前に死んで-----オレは、父さんに育てられたんだ。父さんは、子供のオレの目から見て、スゲーカッコいい人だった……。自分ていうものをしっかり持っていて、魔法王国と呼ばれるこの国にありながら、剣の腕一本で騎士の最高位にまで上り詰めた-----オレにとっては、英雄だったんだ。大きくて、温かくて、優しくて、強い-----強い人、だった……」

 かみしめるようにして紡がれる、アキレウスの言葉。

 彼の口から初めて語られる、過去。その心情。

 一言一句聞き逃すまいと、あたしは耳を傾けた。

「何かきっと、理由があったと思うんだ。オレには信じられなかった……父さんのその事件も、今まで優しかった周りの大人達の反応も、何もかも、全て。それまでの自分の世界が180度覆されて、悲しくて、悔しくて、オレは泣きながら王城に駆け込んだんだ。あの時のことは、よく覚えている……」

 憂いを湛えた遠い目をして、アキレウスは夜の闇に浮かび上がる王城を見やった。

「制止する門番の手をすり抜けて、中庭を駆け抜けて-----そこに今の国王……レイドリックがいた。今にして思うと、きっとそこにエレーンやオルティスもいたんだろう。追いかけてきた門番に羽交い絞めにされながら、オレは泣き叫んでアイツに訴えた。細かいことは覚えてないけど、多分『本当のことを言え』とか、そういう類のことを言ったんだと思う」

 そっと睫毛を伏せて、アキレウスは続けた。

「アイツは-----国王は、ものすごく静かな目でオレを見つめていた……。その灰色(グレイ)の瞳がとても冷たく感じられたのを、今でもよく覚えている。アイツは結局、オレの望む答えを返してはくれなかった。ガキだから、話しても理解出来ないから、そんな理由をつけられて-----」

 言いかけたアキレウスの唇が、ふ、と止まった。

「アキレウス?」
「あ、あぁ……悪い。急に、何か思い出しかけて……」

 アキレウス……?

「アイツと何か約束を交わしたっていうんなら、その時しかなかったはずなんだ。けど、オレは覚えていない。覚えているのは、難しい言葉を並べられてはぐらかされたっていうことだけ……。その時、オレは決めたんだ。絶対にこんなヤツらの力には頼らない。自分だけの力で真実を突き止めてみせるって。こんな汚い場所には二度と来ない、って-----」

 あたしは“鋼の騎士ペーレウス”について語った時のエレーンの様子を思い出していた。淡々と語る彼女の瞳は、どこか哀しげだった。

 アキレウスが思い出せないというレイドリック王との“約束”には、きっと深い意味があるに違いない。そしてそれは、アキレウス本人が思い出せない以上は、きっと意味のないものなんだ。

 だから、レイドリック王も、エレーンも、オルティスも-----知っていて、何も言わない。

 -----あたしにはいったい、何がしてあげられるんだろう?

 苦しんでいるアキレウスの声を聞いて、言葉なく彼を見守っているに違いないレイドリック王達の気配を感じながら、真実を知らない故にそれを伝える資格(すべ)を持たないあたしには、いったい何がしてあげられるんだろう?

 切なくて、たまらなくなって-----あたしはぎゅっ、とアキレウスにしがみついた。

「オーロラ?」
「ごめん……何か。何か-----」

 感情が高ぶって、それ以上言葉にすると涙が出てしまいそうだった。

「……。最近、気付いたんだ-----それは逃げだ、って」
「え……?」

 見上げるあたしを静かに見つめ返して、アキレウスは小さく微笑んだ。

「分かったんだ。自分の覚悟が、どんなに中途半端なものだったのか-----本気で真実を突き止めようと思うんなら、王城は避けては通れない場所だった。魔物(モンスター)ハンターとして世界を回って、やみくもにウラノスを探すよりは……事情を知っている人間に片っ端から当たって、詳細な情報を集めて、目的地を絞って探すべきだった。事件の真相を知ることが、もしかしたらオレは……怖かったのかもしれない。それに気付いて……オレなりに覚悟を決めて、今回、臨んだはずだったんだけどな。このザマじゃ、先が思いやられる-----」
「そんな……そんなことない!」

 力を込めて、あたしは言った。

「それが、どのくらい勇気のいることだったのか……どれくらいの、覚悟を必要とすることだったのか……。偉いよ! アキレウスは、もっと自分をほめてあげていい! その一歩を踏み出すことが、多分とても重要なことだったんだと思うから……!」
「オーロラ……気付かせてくれたのは、お前だよ」
「えっ……?」

 予想だにしなかった彼からの言葉に、あたしは目を見開いた。

 アキレウスはそんなあたしを見つめ、あたしの肩を抱いていた手をそのままゆっくり頬へと移動させると、掌で包み込むようにして、あたしの瞳を正面から捉えた。

「異世界にたった一人で飛ばされた女の子が、重い使命を背負わされて、右も左も分からない中を震えながら……泣きながら、それでも前に進んでいる姿を見た時に、オレの抱えている問題なんてちっぽけなもんだと思った……。進まなければ道は開かないんだって、気付かされたんだ-----」
「アキレウス-----」

 あたし……少しでもあなたの力になれていたの?

 だとしたら-----こんなに嬉しいことは、ない。

「今はちょっと苦戦しているけど……この旅が終わってひと段落ついたら、今度は。アイツに……国王に、面と向かって聞いてみようと思っている……」
「……うん。うん!」

 嬉しくて、自然と微笑みがこぼれた。

 その時に、きっとあたしは、もういないけど。でも-----アキレウス、あなたは多分、大丈夫だね……。

 あたしを見つめるアキレウスの瞳が優しい、少しだけ甘い光を帯びる。その光に、あたしの心臓がとくんと音を立てた。

「オーロラ……グレンの小屋で交わした約束、覚えてるか?」

 彼の顔に見とれていたあたしは、慌てて頷いた。

「えっ!? も、もちろん……幻影ホタルでしょ? アキレウス、忘れているのかと思っていた」
「覚えてたよ。ただここ最近、ちょっと余裕がなかったから……でも今日、オーロラのおかげで少し落ち着くことが出来たから……さ。良かったら明日の夜、見に行かないか?」
「ホント!? う……うん! 行く! 絶対行く!!」

 思いがけない言葉の連続に、あたしは顔をほころばせた。そんなあたしを見て、アキレウスも優しく微笑む。

 彼の心と触れ合うことが出来たのだということが分かって、あたしは言葉に出来ないくらい嬉しかった。

 小さな丘から見える夜景が、とても美しく輝いて見える。

 それは、来た時とは比べようもない美しさに思えた。
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