Beside You 番外編

それは、まるでおとぎ話のような

※この作品は時系列的に第三章後の話となります。
第三章読了後に読まれることをお勧めします。
「出動要請?」

 ある日の昼下がり。住み込み先の雇用主から告げられた内容に、カーラは切れ長の灰色の瞳を瞬かせた。

 顎の辺りでそろえられた前下がりのボブベースの赤みの強い茶色の髪に、ややきつめにも感じられる毅然とした印象の顔立ち。二十代後半とおぼしき外見の彼女は女性にしては身長が高く、その肢体はしなやかな筋肉に覆われている。

 護衛業務も担う彼女は腰に長剣を帯びており、えんじ色の短衣(チュニック)に黒いレギンス、こげ茶色のショートブーツといった格好だ。

 そんな彼女の視線の先で、はしばみ色の髪に同色の瞳をした青年がにこやかに頷いた。

「うん。北の森で見かけない生物の目撃情報が相次いでいるらしくて、その確認をオレ達にしてきてほしいんだって」

 さらりとしたクセのない長めの髪を後ろでひとつに結わえた彼の名は、レイオール・ウォルシュ。優男風の甘い顔立ちをしたカーラの雇用主だ。彼は白地の長衣(ローヴ)に緑色の外套(がいとう)を羽織り、繊細な細工の施された短い杖を腰に差している。

 彼は十年前の不幸な事故で零落したウォルシュ家の現当主であり、今年弱冠二十七才の若さでこの街の評議会入りを果たした魔法都市アヴェリアの若手注目株で、回復と防御に秀でた高位の呪術師でもあった。

 まだまだ復興途上にあるウォルシュ家の使用人は現状住み込みで働くカーラのみで、屋敷というにはささやかな大きさのこの家には現在、彼らの他に十年前の事故でレイオールが養育義務を負うことになった三人の子供達が暮らしている。

 レイオールの父親の違法な研究によって、人とは違う見た目と能力(チカラ)を持って生まれてきた彼らがこの街で人として不自由なく暮らしていけるよう、評議会の前代表スレイドは晩年まで力を尽くし、その協力を得て、レイオールもまた子供達を隠すのではなく、積極的に街へ連れ出して人々の目に触れさせ交流を図るように努めてきたのだが、それは想像以上に苦難の連続だった。

 自らが魔人(ディーヴァ)と人間の間に生まれた半魔(ハーフ)であることを公表したカーラは、子供達と共に外へ出て様々な矢面に立った。

「皆が私達を怖がるのは、私達のことを何も知らないからだ。私達がどういう者なのか知ってもらえれば、次第に周りの反応も変わってくる。だから堂々としていよう。私達はありのままの姿で存在しているだけで、何ら悪いことはしていないのだから」

 子供達が街の人達から心ない言葉を浴びせられたり、理不尽な仕打ちに遭って泣く度、カーラはそう言って傷ついた子供達を励まし、その心に寄り添って、彼らが昔の自分と同じ道をたどらないように尽くした。

 あれから十年―――理解を示してくれる人も受け入れてくれる人も増え、以前より住みやすい環境になってきたとはいえ、全ての人が「人」として、見た目や人種の垣根なく、当たり前のように暮らしていける世界にはまだ、程遠い。

 それを辛抱強く発信し続けて行く為には、自分達が危険な存在ではなく有益な存在であると人々に示し続けていかなくてはならない―――その為カーラやレイオールは街の治安維持部隊で手に余るような案件や、難易度の高い特殊な案件を評議会から依頼として受け、街に貢献することで人々の信頼を勝ち得ていた。

 今回レイオールが持ってきたのもそういった案件だ。

「分かった。向かうのは私達二人か?」
「うん。目撃情報と完全に合致する既存の生物がいなかったらしくて、突然変異種か新種の可能性があるんだって。もし手強い相手だった場合、足手まといになっても迷惑だろうから、今回は互いの安全を考慮して治安維持部隊からの派遣は見送るってさ」

 もっともらしい耳障りの良い言葉を用いてはいるが、隊員の中には未だ半魔のカーラに対する根強い偏見を持つ者もおり、隊としては関わらずに済むのであればなるべく関わりたくない、という思惑がそこには透けていた。

 実際半魔のカーラの存在だけで治安維持部隊一隊の戦力に匹敵するし、更に変現(メタモルフォーゼ)すればその能力は格段に跳ね上がるので、彼らに下手にウロチョロされるよりはレイオールと二人きりの方が余計な気も労力も使わずに済み、カーラとしてもありがたい。

「まあ賢明な判断だな……その生物の系統は?」

 相槌を打ちながら先を促すと、レイオールは少し難しい顔をした。

「植物系で自歩行可能な大型種だって。どんな能力を有しているのかは不明らしい」
「能力が分からないというのは厄介だな……」

 そんな話をしていた時、開けてあったドアから三つの人影が顔を覗かせた。

「また仕事の話?」
「カーラ、レイオール、そろそろお茶の時間にしようよー」
「休憩も大事だよっ」

 いずれも銀色の髪にすみれ色の瞳をした三人は、レイオールが養育義務を負う件(くだん)の子供達だった。

 十二〜十三才といった年頃に成長した彼らは少年が一人に少女が二人で、瞳孔が収縮した猫のような瞳と牙を持つ少年の名はライネル、先端の尖った長い耳と牙を持つ少女はエイメラ、額の真ん中に短角がある少女はアイネスといった。

 三人の名前はレイオールとカーラが彼らに負う最初の義務として、大いに悩み考えながら決めたもので、兄妹神(きょうだいしん)とされる戦神・豊穣神・守護神の名にあやかって、三人で協力して生き抜いていってほしいという願いが込められている。

 常人より明らかに高い魔力を有していてる三人がその能力(チカラ)を暴走させず正しく使えるように、レイオールは暇を見ては彼らに呪術の仕組みや魔力の制御方法、その効率的な扱い方を教え、カーラもまた空いている時間を利用して基礎的な護身術を彼らに叩き込み、子供達が自分で自分の身を守れるように心を砕いていた。

「そうだね、ちょっと休憩しようか」

 レイオールの返答に三人の顔がパッと輝き、軽やかな足音を立てて、キッチンへとお茶の準備に走っていく。

「今日は『グランマ』の看板娘から新作の試供品をもらってきたんだ。あの子達のあの反応、キッチンに置いてあった包みを見たな」

 馴染みの菓子店の名前を挙げてクスリと笑ったレイオールに、実は子供達に負けないくらい甘いものが大好きなカーラは、自身の心も浮き立つのを覚えながら表面上は努めて平静を装った。

「そうなのか」

 それを知っているレイオールは平静を装いながら目の輝きを抑えきれていないカーラを見て、内心にんまりとしてしまう。

「しかしお前は毎回色々なところから色んなものをもらってくるな……私はそんな経験、数えるほどしかないのに」

 そう感心してみせたカーラに対し、レイオールは実に軽い調子でバッサリと切り捨ててみせた。

「はは、社交性の違いだね」

 ムッと眉をひそめてレイオールをにらみつけるカーラの視線を余裕で受け流してみせる彼の目線は、この十年でわずかに彼女より高くなっている。

「ふん、お前のはほぼ女限定の社交性だろうが。あんまりあちこちでいい顔をしすぎて、いらん敵意(ヘイト)を集めるなよ。浮名を流すのはほどほどにしておかないと、そのうちいつか刺されるぞ」
「んー、モテる男はツラいよねぇ。見た目も良くて実力もあって、社交性も兼ね備えているなんて、どうしたって敵意(ヘイト)集めちゃうもんなー。でもご心配なく、世の女性達を誤解させるような言動は取らないように慎んで、ちゃんと一線引いているから」

 謙遜を知らないレイオールの物言いにカーラはげんなりと白い目を向けた。

「ああ、自分には長年想い続けている相手がいて、その本命以外誰も好きになることが出来ない―――だったか。私はそれのせいで二次被害を被っているんだが」

 それはレイオールが女性達から寄せられる好意を避ける為に使っている常套句だった。

 それ自体は事実であって、レイオールなりの誠意であることは間違いないと実情を知るカーラは分かっているのだが―――だが、その本命がとうの昔にカーラと同じ半魔の男と結ばれ、現在は人妻となって子宝にも恵まれていることを知らない街の人々は、それが一緒に暮らすカーラのことではないのかと面白おかしく憶測してくるので困っているのだ。

 実際のレイオールの本命は、月の女神の名を冠する明るく快活な太陽のような女性であって、こんな自分とは何もかもが正反対のタイプだというのに―――。

 それが何とも重苦しく澱(おり)のように胸の底でわだかまっていて、カーラとしてはどうにもいたたまれない気持ちになるのだが、そんな彼女の心中など察するに至らないレイオールの回答は、いたってのんびりとしたものだった。

「カーラには悪いけど、甘んじて受けといてくれないかなぁ。それが一番問題なく落ち着くんだよね」
「……。女の方は大方それで済むかもしれないがな、男の嫉妬というやつも見くびらない方がいいぞ。何にしろ用心した方がいい」

 実際、現在のレイオールには敵が多い。

 若手で台頭してきた彼を快く思わない者は多いし、評議会の古株の中には彼の父親と確執があった人物もいて、ウォルシュの息子というだけで目の敵にしてくる輩もいる。

 人間の彼が半魔のカーラや異端の子供達と暮らしていること自体が気に食わない連中もいる。

 レイオールが目指す、全ての人が「人」として、見た目や人種の垣根なく、当たり前のように暮らしていける世界―――それを頭ごなしに否定する、保守派の人々もいる。

 ―――うん、見事に敵だらけだ……。

 改めて考えると溜め息をつきたくなるような現状だが、当のレイオールはそんなカーラに軽く微笑んで、もう少し気楽にいこうと言わんばかりに彼女の肩を優しく叩いた。

「心配してくれてありがとう。いざという時は頼りにしているから、どうかオレのことを守ってね、オレの騎士様」
「誰がお前の騎士だ」

 すげなく答えながら、自分に躊躇なく触れてくるこの青年に頼られるのは悪い気はしないと思っている自分がいることを、カーラは知っている。

 そんな会話を交わしながらキッチンに併設されたダイニングに足を踏み入れると、かぐわしい茶葉の香りがして、お茶の準備を終えた子供達がテーブルを賑やかに囲みながら二人を待っていた。

「あっ、来た!」
「早く座ってー」
「ねえ、もう包み開けていい?」

 ―――今でもふとした瞬間に不思議に感じられることがある。

 当たり前のようにカーラの分も用意されたテーブル。中央にはさっきレイオールが話していた包みが置かれていて、気の置けない温かな空間に、明るい声とたくさんの笑顔が溢れている。その中に、自分もいる。

 いつの間にかその光景が日常のものとなっている現状に、カーラはここが確かに自分の居場所になっているのだと不意に実感し、不思議な感覚に捉われるのだ。

 それは、彼女がずっとずっと求め続けて、でもどんなに努力しても届かなくて、どう足掻いても手に入れられないものなのだと、一時は完全に諦めていたものだったから。

 それが今、この手にある奇跡。

 それを手繰り寄せてくれたのは―――……。

 肩に残るレイオールのぬくもりにそっと意識を戻しながら、言われずとも守るさ、とカーラは心の中で呟いた。

 レイオール(お前)はこの大切な場所の要なのだ―――何者からも、絶対に守り抜いてみせる。



*



 後日、北の森に赴いたカーラとレイオールは植物系の大型種の目撃情報が寄せられている付近まで歩を進めていた。

 森の深部に当たるその場所は鬱蒼とした緑に覆われ、太陽の光もわずかにしか届かない。

 評議会からの情報では薬草採取に訪れた薬師や獣を狩りに来た猟師がその姿を目撃しているとのことだった。

「この辺りだな……」

 地図を確認しながら呟くレイオールの傍らでカーラは軽く呼吸を整えると、自身が持つもうひとつの姿へと変貌を開始した。

 変現(メタモルフォーゼ)と呼ばれる、半魔特有の現象だ。

 どくん、と均整の取れた肢体が脈動し、怜悧(れいり)な光を湛えた切れ長の灰色の瞳が暗い輝きを帯びる。

 カーラの中に眠るもうひとつの血―――魔人(ディーヴァ)の血が覚醒し、彼女の体内で細胞が目まぐるしく配列を変え、筋肉が、骨が、軋むような音を立てて人外のモノへと変化していく。

 十数秒の時を置いて、先程までとは明らかに異なる異質な空気を纏った彼女は、顎の辺りでそろえられた前下がりのボブベースの赤茶の髪はそのままに、耳は細長く先端が尖り、切れ長の灰色の瞳は瞳孔が収縮して獣のような鋭さを帯び、紅い口元からは鋭利な牙が覗いていた。こめかみの上には二本の角が生え、その体表には半魔の証たる深紅の紋様が浮き出ている。

「久し振りに見た、カーラのその姿」

 特に驚いた様子も見せないレイオールに、その存在の尊さを知るカーラはどことなく気恥ずかしい気持ちになりながら、もっともらしい言葉を返した。

「得体の知れない相手である以上、この姿であった方が確実だからな」

 とはいえ、カーラがこの姿を晒すのは基本的にレイオールと二人きりの時だけだ。

 この変現体はカーラにとって素の自分を曝け出すこと、言うなれば裸体を晒すことと同義である。

 その変現体をカーラが早々に取ったのは、この依頼に一抹の懸念を感じてのことだったのだが―――変現(メタモルフォーゼ)によって研ぎ澄まされた感覚が、彼女の懸念を現実のものとして捉え、浮き彫りにした。

 彼女の感覚が捉えたのは、呪術で気配を隠して周囲に潜む複数の人間の存在だった。カーラの変現(メタモルフォーゼ)を目の当たりにして怯え、動揺する、震えた声―――。

『ひッ……何だ、あの姿は……!』
『バ、バケモノッ……!』

「―――レイオール。罠だ」

 冷静に告げるカーラにレイオールは溜め息をついた。

「あちゃあ……久し振りだなぁ」
「お前が評議会に入ったのが余程気に入らん連中がいるんだろう」

 この依頼は正式に評議会から出されたものであり、内部にそれが手配出来る手腕と影響力を持った者が彼の殺害を目論んでいることを示している。

「こういう形で人の才能を妬むのは良くないよねぇ……こう見えてオレ、裏でかなり努力してるんだから。妬む暇があるなら死ぬ気で努力しろっての」
「その努力が目に見えないお前の振る舞い方が問題なんだろう」
「えー、だって、努力は見せない方が格好いいじゃん?」

 緊張感のないやり取りを交わしながら、レイオールは素早く宙に紋様を描き出し、カーラと自分に最上級の守護の呪術を付与する。

『! おい、バレてるぞ!』

 それに気付いた敵があせりを含んだ声を発した時にはカーラが一番手近にいた相手の懐に飛び込み、最初の一人を斬り伏せていた。

「うわあぁぁぁッ!」
『く! 何故居場所が分かる!?』
「―――それはお前らの呪術がつたなすぎるからだよ」

 混乱する敵に小さく呟きを返しながら、カーラは隠匿の呪術を使ってその姿と気配とをカーラの感知からも消してみせたレイオールの腕前にわずかに口角を上げる。

 ―――さすがだ。

 暗殺対象が忽然と姿を消し、カーラに次々と仲間を斬り伏せられていく状況に、奇襲を断念した相手は一斉にその姿を現すと、総攻撃を仕掛けてきた。

 その数、十五名ほど。

 元々二十名以上はいたであろう剣士や呪術師からなる暗殺者集団―――だが妙だ、とカーラは油断なく周囲を警戒する。

 カーラとレイオールの二人を相手取ることを想定した戦力としては弱いのだ。

 その時だった。

 パンッ!

 戦闘音に入り混じって乾いた破裂音が耳をかすめた次の刹那、呪術と剣戟が入り乱れる戦闘の隙間を穿つようにして何かが大気をつんざき、カーラの頭のすぐ横を通り過ぎていったのだ!

 ―――矢!? いや、違う!

 カーラの動体視力は自らの横を通過していく矢じりにも似た、小さくて細長い金属製の飛び道具を捉えていた。そこから、首筋をチリつかせるような呪術の反応を感じる。

 何だあれは―――!? ……嫌な感覚だ。

 それを皮切りに立て続けに破裂音が響くと、カーラはその飛び道具を避けることを余儀なくされた。レイオールの守護の呪術に守られてはいるが、これを受けてはいけないと彼女の直感が言っている。

 この飛び道具の正体は分からないが、おそらくは開発された新たな魔道具に違いない。

 それを用いて、弓や呪術よりもっと遠い場所から狙撃されている―――それも四方に散ったところから。

 まずは、こちらから片付けねば。

「―――どけ!」

 カーラは襲い来る暗殺者集団に長剣を一閃させて道を開くと、まず比較的近場に気配の感じられた北側の狙撃手のところへと走った。ある程度そちらへ距離を詰めると他の射程圏内から外れたらしく、北側以外からの攻撃を受けなくなる。

「ひぃっ! く、来るなぁ、バケモノッ……!」
「ならば最初からこんな計画に加担しないことだ」

 樹木の影からこちらを狙っていた狙撃手を発見し、魔道具を構えるその腕をひねり上げて、へし折る。

「ぎゃあぁぁぁッ!」

 草の上にボトリと落ちたそれ―――筒状をした白銀色の魔道具を拾い上げたカーラは、見慣れない形状のそれについて狙撃手に尋ねた。

「これは何だ? 初めて目にする代物だが……」
「……」

 口をつぐむ相手のもう一方の腕に力を込めると、青ざめた男はつらつらと喋り始めた。

「しゅ、呪銃(しゅがん)ていう最新の魔道具だ。呪術を仕込んだ弾丸を込めて発射する……防御系の呪術を無効化して貫通させる特性を持っているっていう話だ」
「! 何だと―――」

 それが本当なら、レイオールが危ない。

「とりあえず貴様は眠っていろ」

 男を銃床で殴りつけて気絶させたカーラは、不吉な予感に胸が急くのを覚えながら、次に近い位置にいる東側の狙撃手を片付けるべく走った。

 隠匿の呪術で姿を隠しているレイオールがそう簡単に発見されることはないだろうが、流れ弾に当たる可能性もある。

 彼はカーラと同じようにまずは狙撃手を片付けることが優先だと考えて、おそらくはカーラが向かった北側と真反対の南側へと向かっているはず―――!

 東を経由して急いで南へ向かい、彼と合流しなければ……!

 敵の残党を掃討しながら東の狙撃手を見つけて排除し南へと向かうと、そこにはレイオールにやられたらしい南の狙撃手が倒れていた。

 残るは西か……!

 大きく息を吸い込んで肺に空気を取り込み、カーラは再び駆け出した。

 辺りに感じられる敵の気配は残りわずかだ。

 大した距離を走っているわけではないのに、息せき切れて、肩が上下する。

 胸を圧迫するように重くのしかかる不安がそうさせているのだと分かった。

 そんなあせりがカーラの注意力を散漫にさせていたのだろうか。

 パンッ!

 予想だにしていなかった頭上からの破裂音にハッとした瞬間、背中から胸部にかけて呼吸が止まるような衝撃が走り、カーラは前につんのめるようにして膝をついていた。一拍置いて灼熱感を伴う痛みを覚えた直後、そこを狙い撃ちする銃撃音が響き、彼女は舌打ち交じりにそれをかわしながら、その弾道上に斬撃を見舞う!

 隠匿の呪術を付与した狙撃手が潜んでいた大木が切断され、重々しい音を立てて地面に沈み込むが、相手はそれを想定していたように鮮やかに着地してみせた。

 四方に配置した狙撃手は囮で、中央付近の木の上に潜んでいたコイツが本命だったか―――。

 じわりと口内に広がる鉄の味を意識しながら、カーラは苦々しく自身の失態を飲み下した。

 まさかレイオールではなく、私の方を狙ってくるとは―――。

 弾丸はカーラの身体を貫通せずに体内にとどまっている。

 激痛を堪(こら)えながら剣を構えるカーラに、相手は思わぬ言葉を投げかけてきた。

「ずいぶんと腑抜けた顔つきになったものだな。家族ごっこはそんなに楽しかったか、カーラ?」

 聞き覚えのあるその声に、カーラはザワッと全身が総毛立つのを感じた。

「貴様ッ……バルトか」

 隠匿の呪術による認識阻害の影響で相手の姿は判然としないが、その声は彼女がかつて籍を置いていた過激派組織『フォルセティ』の2の男のものだった。

 今回の陰謀にはフォルセティが絡んでいたのか―――。

「……今頃、私を粛清に来たのか?」
「まさか。我々は我々の理念の為にしか行動せぬよ」

 フォルセティの理念、それは『自然との共生』―――神が創り出したこの世界に不必要なものはなく、また足りないものもないというのが彼らの持論だ。

「なら、何故―――」
「我らの理念を達成するのにレイオール・ウォルシュは非常に邪魔でね。評議会がもっともらしい理由をつけてお前達に庇護させているあの子供ら―――あれは先代ウォルシュによって成された負の遺産だろう?」
「……! 違う。魔人(ディーヴァ)の強襲によって、奴の研究施設は完膚なきまでに破壊された。おかげでそこでどのような実験が行われていたのか、知る術は永遠に失われてしまったんだ。私はお前達にそう報告したはずだが?」

 バルトはそんなカーラの主張をまるで信じていない風情だった。

「ああ、そうだったな。その後お前は一方的に我らの元を去り、レイオールの元へと下った。我々としてはこの上ない損失であり痛手だったよ……最大の戦力が最大の障壁へと変わってしまったのだからな。
おまけにあの家にはレイオールの高度な結界が常に張られていて、迂闊に手出し出来ない……粛清すべき対象を目の当たりしながら、それを実行すべき手段を見出せない、ジレンマに苛まれる長い日々を我々は過ごすこととなった」

 淡々と語りながら、バルトはカーラに銃口を向けた。

「だが、それも呪銃(コイツ)のおかげでようやく潮目が変わる時が来たと言えそうだ」
「……」
「なあカーラ……人工的に造られた生命は、この世界にどんな弊害を及ぼすか分からない。自然物に人工物が入り混じってはならないんだ……手遅れになる前に、全てを自然に帰すのが我々の役目―――お前もかつてはそれに賛同していたじゃないか」
「……だから、当時我々が疑っていたその答えは永遠に失われたと言っているだろう。私はあの場にいて、全てを見ていた! だから断言出来る、あの子らは違う!」

 同じ主張を繰り返しながら、カーラは視界がぐらぐらと歪んで徐々に狭まっていくような異変を感じていた。

 呼吸が苦しい。指先の感覚が曖昧になって、少しでも気を抜くと意識を闇に引っ張られていきそうな、強い睡魔にも似た感覚に襲われる。

 守護の呪術を貫通して彼女に届いた呪力の込もった弾丸は、今まさにその威力を発揮していた。

 そんなカーラを見やりながらバルトは薄く笑った。

「ようやく効いてきたか。この弾丸はお前用の特別製だ……人間なら瞬時にショック死しかねないほどの強力な状態異常を複数詰め込んである」
「……!」
「辛いだろう? 強力な睡眠作用に数種の麻痺毒……思考は鈍り、感覚機能にも異変を来しているはずだ。ああ、その傷も痛そうだな……なあ、レイオールを呼んで回復してもらってはどうだ?」
「はっ……この私を餌にしてあいつをおびき寄せる気か? 愚策だな」

 カーラは鼻の頭にしわを寄せて一笑に付した。

「そもそも私に人質の価値などないし、あいつは飄々(ひょうひょう)として見えて、自分の価値も、何を優先するべきかもちゃんと分かっている。こんなものには釣られないぞ」
「それはどうかな?」

 言葉と同時にカーラに向けられていた銃口が火を噴いた。

「!」

 右肩に熱い痛みが走り、溢れ出る鮮血と共に腕から力が抜けていく。奥歯を噛みしめて剣を取り落とすまいと堪(こら)えるカーラにバルトは思いがけない言葉をかけてきた。

「恋愛感情というのは、時に人を愚かにする。長年想い続けている相手の死を間近に感じた時、冷静でいられる人間は極めて少ない」

 まさか、とカーラは目を見開いた。

 街に流れているあの噂を、バルトも真に受けているのか。

「―――出て来い、レイオール・ウォルシュ! さもなくば、お前が姿を見せるまでカーラを撃ち続けるぞ!」

 バルトは大声を張り上げて辺りを見渡し、そう警告した。

 愚かなのはお前の方だ、と内心で嘲りながら、カーラはともすると飛びかける意識をバルトの呪銃へと集中させる。

 バルトはああ言っているが、形状から見て、無限に撃ち続けられる仕様であるとは思えない。装弾出来る数には限りがあるはずだ。

 おそらく、あと数発といったところ―――。

 レイオールの隠匿呪術のレベルの高さを知っている彼らは、こうでもしないと彼の暗殺は難しいと踏んだのだろう。

 意味のないムダ弾をせいぜいこちらに向けて放つがいい―――無論、大人しく食らい続けてやるつもりはないが。

「聞こえているんだろう? レイオール・ウォルシュ! 出てこないならカーラを撃つ!」

 バルトの指が引き金を引く直前、カーラは左手で握り込んだ石つぶてを全力でバルトへと投げつけていた。浅からぬ傷を負い状態異常に侵されているとはいえ、変現(メタモルフォーゼ)した彼女が全力で投げれば、石つぶてでも立派な凶器と化す。

「ち!」

 弾幕のように襲い来る石つぶてをバルトが回避する隙にカーラは地を蹴り、彼に肉薄すると、鋭い蹴りを放った。タイミング的にはこれで決着する一撃だったが、呪弾の影響と隠匿の呪術による認識阻害の影響で距離感を見誤り、僅差で空振りに終わってしまう。

「……!」

 筋肉が強張って自由の利かないカーラはそのままバルトを追撃することがかなわず、九死に一生を得たバルトは続けざまに引き金を引いた。その一発がカーラの腹部に命中し、たまらず膝をついた彼女は、目の前が赤く染まり、耳鳴りがして、全ての感覚が急激に遠ざかっていくのを感じながら、迫りくる死の影に全力で抗った。

 ―――まだ、死ねない。

 家に残してきた三人の子供達―――それに、レイオール。彼らに危害が及ぶのを防ぐ為にも、自らの過去を清算する為にも、せめて、刺し違えてでもバルトを始末しなければ。

 そんな思いとは裏腹に、深淵の闇が彼女の意識を蝕んでいく。

 ……レイ……オー……。

 ―――その闇を、眩い光が消し飛ばした。

 今にも闇に飲み込まれそうだったカーラの意識はその光に導かれるように急浮上し、瞼を開けた彼女はそこに、自身を包み込むようにして降り注ぐ黄味を帯びた柔らかな光と、森の只中に現れたレイオールの姿とを目の当たりして、心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けた。

 ―――レイオール……!? 私を助ける為に出てきたのか!?

 ああ、でも、何故、どうして―――!?

 お前は全ての要だと、誰よりもお前自身が分かっているはずなのに―――!

 喜び、戸惑い、あせり、不安―――込み上げてきた様々な感情がない交ぜになって胸に溢れ、収拾がつかなくなる。カーラの口からは、喘ぎにも似た悲鳴のような声が上がっていた。

「レイオール!? 何故―――」
「ようやくのおでましだな、レイオール・ウォルシュ。危うくカーラを殺してしまうところだったじゃないか」

 してやったりとほくそ笑むバルトに向けられるレイオールの表情は、これまでに見たことがないほど険しいものだった。

「女性に対する礼儀がまるでなっていないな、君は。さぞやモテない人生を送ってきたんだろうね?」
「はっ、これを女扱い出来る貴様が特殊なんだよ。守備範囲が広すぎるだろ」

 銃口をレイオールに向けて嘲るバルトをレイオールは鼻で笑った。

「オレが特殊だとしたら、君を含めた世の男達は見る目がなさすぎるよ」
「ふん。その特殊な嗜好で身を滅ぼすもまた本望か?」
「や……やめろ、バルト……!」

 カーラは思うままにならない身体を必死で操ってバルトに訴えた。

 レイオールの回復呪術によって彼女は生命の危機からは脱した一方、呪銃による状態異常は続いており、それは三度の被弾によって更に重篤な状態へと至っていた。

 この状態では、どう足掻いてもレイオールを守ることなど出来はしない。

 何とかしてレイオールにこの状態異常を解除してもらう必要があったが、その猶予をバルトが与えてくれるとは思えなかった。

 バルトの装弾はそろそろ尽きる頃だろうが、おそらくまだ一発か二発、銃身に残っている。

 もし、あの引き金が引かれたら―――!

 現実となって訪れてしまうかもしれない恐ろしい未来を予感し、カーラはかつてない恐怖に心を震わせた。

『いざという時は頼りにしているから、どうかオレのことを守ってね、オレの騎士様』

 あんなふうに言われておきながら。

 今の自分の、この体たらくは何だ。



 ―――このままでは、レイオールを喪(うしな)ってしまうというのに!



 その恐ろしい未来が色濃く現実味を帯びて目の前にチラついた時、彼女の心は全力でそれを拒否していた。



 嫌だ―――!!!



 そんなことは、絶対に許さない!



 その瞬間―――カーラの中で、何かが目覚めた。

 体表に表れた深紅の紋様がそれに呼応し、淡い輝きを放つ―――同時に同じ色合いの結界が生まれ、彼女の周囲を包み込んだ。何が起きているのかは分からない。肉体(カラダ)が、精神(ココロ)が、沸騰しそうなほどに熱い。肌が粟立つほどに、全身の感覚が研ぎ澄まされていく―――まるで自分が生まれ変わっていくかのようだ。

 身体の奥底から力が漲り、闘気となって全身から溢れ出す。ひとつひとつの細胞が新たな力に目覚め、傷口からの出血が止まり、体内にとどまる異物を消滅させ、肉体を苛む異常を打ち消していく。

「!? 何だ―――!?」

 異変を察知したバルトが視線を向けた瞬間、その顔面にはカーラの拳がめり込んでいた。

「ッ!!」

 自身の骨が砕ける音を聞きながら、何が起こったのかも分からないまま宙を舞った彼は、地面にもんどり打って転がると、そのまま動かなくなった。

「……わぁ。その姿、まるであの時のガラルドさんみたいだね」

 目を丸くしてそんな感想を述べるレイオールに足音荒く歩み寄ったカーラは、憤然と彼を怒鳴りつけた。

「お前は! どうして危険も顧みずノコノコ出てきたりしたんだ! 本当に死んでしまうところだったじゃないかッ!!」
「……いや、でも、オレが出て行かなかったら、カーラこそ本当に死んでいたよ?」

 カーラの剣幕に押されながらそう応えたレイオールに、自身の力不足を痛感するカーラはやるせない表情で言い募った。

「助けに来てくれたのは、正直―――正直、嬉しかった。だが、そのせいでお前が死ぬという状況になるのは、金輪際ごめんだ……! 今後、私が自分の未熟さで死にそうになった時は、頼むから捨て置け。私と違って、お前は全ての要なんだ。あの子達の幸せも将来も、この街の今後の在り方も―――お前がいるといないでは、全てが大きく変わってくる……! それは、お前自身よく分かっているはずじゃないか……!」

 色が変わるほど握り締められたカーラの両の拳を見やりながら、レイオールは睫毛を伏せた。

「うん……そうだね。でも、カーラを捨て置くっていうのは無理かな。―――ねえ、それ、二人で協力してどうにか困難を突破していくっていうふうには変えられない? 今だってオレ、死ぬつもりはこれっぽちもなくて、何とかしようっていう思いでここに立っていたんだけど」

 それは、カーラからすれば目から鱗が落ちる提案だった。

 長年自分一人の力で生き抜いてきた彼女には、思いも寄らない考え方だったのだ。

「だが……だが、それではお前の生存が不確実になるじゃないか! 今回だって、隠れるに徹していれば危ない橋を渡らずに済んだものを!」
「でもそれだと、カーラが死んでいたよ? けれど、今はこうして二人で会話が出来ているよね?」
「わ、私は―――私はっ、お前が死ぬかもしれないという状況が生まれること、それ自体が嫌なんだ!」

 たまりかねて、カーラは叫んでいた。

「だったら、自分が犠牲になった方が余程いい! お前は私にとって、私達にとって、太陽にも等しくてっ……! 温かいと感じるもの、全ての根源で、拠り所でっ……! そんなお前が、もし、いなくなってしまったら……! それを考えると、ゾッとする……! 居ても立っても居られなくなるんだ!!」

 それは、一人きりで深い夜の闇を永遠に彷徨い続けるにも似た、途方もない孤独と絶望。

 そしてそれは、レイオールや子供達と暮らし始める前のカーラの日常だった―――たくさんの温かさを知ってしまった今となっては戻れるはずもない、虚無の生。

「―――それは、オレも同じなんだけどな」

 そう呟いて指を伸ばしたレイオールに、すい、と頬を拭われた時に初めて、カーラは自分が涙を流していることに気が付いた。

「ねえ……君が血まみれになって殺される寸前の場面に立ち会ってしまったオレの気持ちを、ちょっと想像してみて? カーラ」

 はしばみ色の双眸に切ない光を湛えて、レイオールは諭すようにそう言った。

「それこそ、居ても立っても居られなかったよ。身体中の血が逆流して、怒りで気が触れるかと思った……本当に」

 確かに、あの時のレイオールは見たことがないほど険しい顔をしていた。

 逆の立場で想像してみるとそれももっともだと思えて、けれどやっぱり、自分とレイオールとではその価値があまりにも違うとも思えて―――……。

 混乱して沈黙するカーラに、レイオールは語りかける。

「……ねえカーラ、こうして考えてみると、大切なものが増えるっていうことは、とても怖いことであるのかもしれないね。けれど同時に、とても素敵なことでもあるとオレは思うんだ。だから、勇気を出してオレと一緒にそれを守っていってみない? もちろんオレも君も、両方欠けることなく。子供達もその方がずっとずっと嬉しいと思うよ。それに、オレ自身も」

 きつく握り込んだままのカーラの拳をそっと包み込むようにして手を重ね、レイオールは微笑んだ。

 カーラは彼に応えようとして―――込み上げてくるもので胸がいっぱいになり、わななかせた唇から言葉を発することが出来なかった。

 そんな彼女を優しく見つめて、レイオールはこう提案する。

「ねえカーラ、君さえ良ければなんだけど―――オレと、本当の家族になってみるってのはどうかな? 君がそうなってくれたら嬉しいなって、オレは思うんだけど―――ねえ、どう?」

 それこそ、青天の霹靂のような申し出だった。あまりに突然のことにカーラは切れ長の双眸をいっぱいに見開いて、自身の耳を疑った。

 彼の言葉を頭の中で何度も反芻(はんすう)して、確かに聞き間違いではないと確信してから、それでも確証を持てずに、改めてその意図を確認してみる。

「……それは、額面通りに受け取ったとして―――私をお前の配偶者に……というふうに、聞こえるんだが?」

 レイオールはにっこり笑ってそれを肯定した。

「うん、君がオレの奥さんになってくれたら嬉しいなって」
「ま―――待て。待て待て待て。お前、本命はどうしたんだ」

 目に見えてあせり動揺するカーラに、レイオールは小首を傾げてみせる。

「うん? 本命って、君だけど」
「は? フユラはどうした?」
「えっ、フユラ? あー……確かに彼女のことは好きだったけれど、十代の頃の話だよ? しっかりフラれているし、とっくに吹っ切れているけど」
「えっ? だって、前に宿屋の女将やグランマの従業員に本命について聞かれた時、スゴく可愛い人だって、そう言ってたじゃないか」
「ははー。カーラ、無自覚なんだね。てか、そんな他愛もない話覚えてる辺り、オレのこと興味持っててくれたんだな」
「は!?」

 カーラは生まれて初めて、自分の頬が気恥ずかしさからカーッと紅潮するのを覚えた。

「ははっ、そういうトコ。可愛い」
「なっ……、なっ……! だいたい、何でそんなこと、急にっ……!」

 熱い頬を意識してうろたえるカーラにレイオールはうーん、と小さく唸って、少し面映ゆそうにその理由を説明した。

「正直、君には男として見られてなさそうだなって感じてたし、子供達のこともあって今の関係を壊したくなかったから、本当はまだしばらく言うつもりなかったんだけど―――さっき泣いてるカーラを見たら、スゴく抱きしめたいなーって思って―――それに、あんなふうに泣いてくれるくらいオレのことを想ってくれているんなら、例えそれが恋愛感情からでなかったとしても、告白された気まずさから家を出ちゃうことはないだろうなーって思って、それで、いいタイミングかなって」
「―――な、何故私なんだ? 私はこんな身の上で、家事能力も高いとは言えないのに」
「はは、知ってる。最初の頃、お互いに家事全般からきしだったよねぇ。特に料理がヒドかった」

 一緒に生活し始めた当初の悲惨な食生活を思い出して、レイオールは苦笑した。

 生粋のお坊ちゃまだったレイオールはそれまで料理などしたことがなかったし、長年その日暮らしで糊口を凌いできたカーラは食べられればそれでいいという食基準で、食材をそのまま焼くか煮るの二択しかなかった。

「ふふ。今更取り繕うところもないんだよね、オレ達。お互いにダメなところも格好悪いところも全部見せちゃってるからさ」
「―――っ、だが、私は、お前の父親をっ……」

 言い淀み視線を伏せるカーラを見つめ、レイオールは微かに瞳を揺らした。

「……うん。でも、それについてはオレはこうも考えているんだ。もしもあの時カーラが父さんを殺していなかったら……あの人を殺していたのは自分だったのかもしれないって」
「え……?」
「あの人が生きていたら、何が何でも自分の研究を守ろうとしただろう。オレは多分、それを許容出来なかったと思うんだ。あの子達を人体実験に使うなんて……絶対に、許せない。だから……おかしな言い方かもしれないけれど、カーラがオレの代わりにあの人を止めてくれたんだって、今ではそういうふうにも感じている」
「レイオール……。だが、私は……私は、お前の父親だけでなく、あの子達と同じように造り出された子達をも、この手にかけているんだ……」

 カーラは幾多もの血にまみれた自身の手を見つめ、声を震わせた。

 そんな彼女に、レイオールは硬い表情で頷き返す。

「知ってるよ。カーラがそれをどれだけ悔いて、そしてその重さを背負いながら、どんなふうに自らの罪に向き合って生きているのか。この十年、オレはその姿をずっと見てきた。過去の過ちは決して消えないけれど、それにどう向き合って生きていくかが大切なんだと、オレはそう思う。父親に向き合わずに好き勝手やって、その罪に気付くことも止めることも出来なかったオレの責任は、ひどく重いけれど―――」
「レイオール……」
「でも、だからこそ、それを見つめながら生き続けて、全ての人が「人」として、見た目や人種の垣根なく、当たり前のように暮らしていける、そんな世界の実現に繋がるよう、微力ながら貢献していきたいと思っている。それが、オレなりの贖罪のやり方だと思っているから」

 はしばみ色の瞳に強い決意を宿して、レイオールはカーラに告げた。

「そういう根本的な部分がカーラとは通じ合えていると思うんだ。だから、オレはそんな君と手を携えて生きていきたい。愛しているんだ、カーラ。どうか、オレの手を取ってもらえないかな?」

 そう跪いて手を差し出すレイオールを前に、カーラは感極まって、熱い涙が溢れ出すのを止められなかった。

 こんなありのままの自分を受け入れて、愛していると言ってくれる相手が現れるなんて、夢にも思っていなかった。恋愛や結婚などというものは自分の人生には無縁で、望んではいけないことなのだと思っていた。

 だから、これまでレイオールのことを恋愛対象として見たことはなかった。そんなふうに意識してはいけないという潜在意識が働いていたのだと思う。

 カーラの素性を知ってなお、手を差し伸べてきた奇特な男。寄る辺のない彼女に協力を求める形で居場所を提供し、これまでと変わらない態度で当たり前のように接して、たくさんの温かさを教えてくれた。

 何気ない言葉、さりげなく触れた手のぬくもり、ふとした瞬間流れてきた目線、柔らかで憎めない笑顔―――それらの余韻に熱を孕むこの胸の温かさは、今の幸せな生活に起因するものなのだと、そう思ってやり過ごしてきた。

 これ以上を望むなんて、その先を望むことなんて、あってはいけないことなのだと思っていたから。

 ―――けれど。

 こうしてレイオールが想いを口にしてくれたことで、自身のそれが彼に対する恋情だったのだと、初めて気付く―――気付かされる。

 ―――ああ、そうか。だから―――……。

 だから、「本命」の話を聞く度に胸に重苦しい澱のようなものが溜まっていって、ずっと消えずにわだかまっていた。

 差し出されたレイオールの手を両手で握り締めたカーラは、震える喉を張って、切れ切れに言葉を絞り出した。

「わ、私で―――いいのか……。本当に、こんなっ、……私、で……」
「こんななんて言わないで。君がいいんだ、カーラ。君じゃなきゃ、嫌なんだ」

 揺るぎのない意思を秘めた眼差しに深い愛しさを込めた青年が、真っ直ぐにこちらを見つめている。

「―――ッ、レイ、オールッ……」

 しゃくりを上げて、大粒の涙をこぼしながら、カーラは膝から崩れ落ちた。

 そんな彼女を包み込むようにしたレイオールが、その後頭部を優しくなでながら尋ねる。

「カーラ、返事は? 了承って、そう受け取っていいのかな?」

 カーラは何度も大きく頷きながら、かすれた声で告げた。

「私もっ……レイオール、お前と一緒に、生きていきたい……!」

 それを聞いたレイオールの顔に晴れやかな笑みが広がった。

「良かった……! フラれたらどうしようかと思った……!」

 心の底から安堵した様子で、レイオールは腕の中のカーラを抱きしめた。

 彼の香りとぬくもりに包まれたカーラは、こちらにも伝わるほど強く早く拍動するその心音に、彼も自分と同じ気持ちなのだと実感して、これまで感じたことのない幸福感に胸を震わせる。ためらいがちに腕を伸ばし、ぎこちなくレイオールを抱きしめ返した。

 そんな彼女に口元をほころばせたレイオールは、先端の尖った長い耳に唇を寄せ、こう囁いた。

「これからも末永く宜しくね、オレの奥さん」

 抱きしめたカーラの身体がたちまちぎくしゃくと強張り、戸惑いに満ちた返答が返ってきた。

「……! こ、こちらこそ、宜しく頼む。旦那、様……?」
「ふはっ。何で疑問形なの」
「だ、だってだな! まっ、まだ実感が……!」

 そんな愛しさに満ちたささやかなやり取りが深い森の奥で交わされた、その翌日―――。

 魔法都市アヴェリアで長きに渡って活動を続けていたフォルセティと名乗る過激派組織の本部が何者かの襲撃を受けて壊滅すると、それ以降、この街にその組織の派生が生じることはなかった。

 この組織と繋がって後ろ暗いやり取りを交わしていた評議会の重鎮とその一派はそれら全てを白日の下に晒され、その過程で彼らが目論んだレイオール暗殺未遂事件が明るみに出ると、彼らは評議会から除名されて投獄され、獄中でその罪を贖(あがな)うこととなった。

 この一件で注目されて評価が上がり、またひとつ階段を上ったレイオール・ウォルシュは、その後も堅実な仕事を積み重ねて着実に階段を上り、やがて魔法都市アヴェリアを代表する呪術師の一人となる。彼は街の発展に尽くす一方、人種間差別の撤廃に精力的に取り組み、平等な人権社会の啓発に寄与した。

 アヴェリアは著名な魔法都市としてだけではなく、人種に寛容な人権を重んじる街としても知られるようになり、多くの人々が希望をもって移住してくる街として、より一層の発展を遂げていった。

 レイオール・ウォルシュの傍らには常に美しく強い半魔の妻の存在があり、政敵の多かった彼を内外から支えたという。

 彼らが血の繋がりのない三人の子供達を育て上げたことは有名な話だが、その子らと良く似た色彩を持つ女性と、レイオールの妻とどことなく似た雰囲気を持つ大柄な男性が時折彼らの元を訪れて、家族ぐるみでの交流が交わされていたことを知る者は、ほとんどいない―――。







<完>
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