Beside You 3 〜始まりの魔法都市〜

09


 壊滅的な被害を受けた夢の跡地に静かな羽音と共に降り立った魔人(ディーヴァ)の青年は、その場に出現したただそれだけで、そこにいる誰もが感じる超然とした空気を纏っていた。

 肩ほどまであるつややかな金の巻き毛に、神経質そうな繊細な眉。物憂げな氷蒼色(アイスブルー)の瞳に、高い鼻筋ー――秀麗なその容貌は蒼白く、どこか病的な雰囲気を感じさせる。ゆったりとした淡い緑色の長衣(ローヴ)に身を包んだその背からは白い羽毛に覆われた見事な翼が生えており、体表にガラルドやカーラのような呪紋(じゅもん)はない。

 人に近い姿でありながら人とは決定的に違うその種族は、長命で強靭な肉体を持ち、強大な魔力を誇る。この世界に於いて食物連鎖の頂点に君臨する最強の生物であり、その圧倒的な力の前には人間はただひれ伏すことしか出来ない。人間達の生み出した武具や呪術など、魔人(ディーヴァ)の力の前にはあまりにもささやかなものにすぎないのだ。

 その、魔人(ディーヴァ)が―――。

 『神が生み出した災厄』と謳われ恐れられるその存在を生まれて初めて目の当たりにした時、レイオールの喉は知らずゴクリと鳴っていた。

 彼にとって、これまで魔人(ディーヴァ)は現実味のない、いわばおとぎ話の中にいるような存在であって、実際にいると理解はしていてもピンと来ない、架空のものに近い存在だったのだ。しかし、それが唐突に現実のものとなった今―――レイオールは身体の奥底から込み上げてくる畏怖に襲われ、心から戦慄した。

「久しいな」

 水を打ったように静まり返る空間に、魔人(ディーヴァ)の青年の声が響いた。やや高めの落ち着いたその声は、静かなのに身体の芯に響くような不思議な旋律を伴っていた。

 彼の声とその眼差しはこの場にいるただ一人、フユラへと向けられていた。ビクリと震えた少女は蒼白になった面差しを彼に向けたまま、言葉を発することが出来ない。

「再会まで予想以上の時を要してしまったが―――約束通り迎えに来たよ。おいで」

 ゆったりと両腕を広げ、セラフィスが当然のようにフユラを招く。過去の経緯(いきさつ)を知らないレイオールには何が何だか分からない展開だったが、この魔人(ディーヴァ)の目にはフユラしか映っていないようだった。フユラ以外の者は路傍の石といった風情で、チラとも目をくれない。

 息を詰め、凍りついたように動かない少女の様子を見やった魔人(ディーヴァ)の青年は、広げていた腕を収めると、やおらその足を彼女へと向けた。

 にこりともせずこちらに歩を進めてくる美貌の魔人(ディーヴァ)にフユラは怯え、震える足を必死に動かして数歩後退(あとずさ)る。そんな彼女とセラフィスとの間に立ちはだかった者がいた―――ガラルドだ。

 半魔の青年の姿を認めた魔人(ディーヴァ)の青年は神経質そうな眉宇をひそめ、忌まわしげに告げた。

「私は醜いものが嫌いだと言っただろう―――二度と私の視界に現れるなと伝えたはずだが?」
「……んなら、しつこくコイツを付け狙うのをやめろよ。それと前にも言ったけどな、半魔を醜いって侮辱するのは筋違いだ。こっちは好きでこんなふうに生まれついたわけじゃねーんだ、文句はてめぇの知り合いに言っとけよ」
「親が親なら子も子だな、口が減らない」

 不快感も露わに言い捨てたセラフィスは氷蒼色(アイスブルー)の瞳に剣呑な光を宿した。

「父親譲りの出来の悪い頭では、今度邪魔立てすれば全力で殺す、と警告したことも思い出せないのか?」

 薄ら寒い気配を宿したその声音にフユラの動悸が激しくなる。過去の恐ろしい記憶が一斉に甦って呼吸が苦しくなり、カチカチと歯が鳴って、どうしようもなく涙が溢れてきた。

 ―――怖い。

 あの凄惨な出来事が、今日ここで、再び繰り返されてしまうのだろうか。

 自分のせいで―――また自分のせいでガラルドを危険に晒してしまう。それこそ生命の危機に瀕するほどの危険に。

 もしかしたら今度こそ、彼を失ってしまうかもしれない。

 胸を引き裂かれるような恐ろしさにフユラが打ち震えていた、その時だった。

「よく覚えているさ……。けどな、オレもフユラも、あの頃とは違う。むざむざやられたりしねえ」

 耳に届いたガラルドの声に、フユラはハッと息を飲んだ。彼の声は薄暗い予感に囚われてなどいなかった。

 ただ強い決意に満ちた声で、臆することなくセラフィスに告げる。

「今度こそ、護る。てめえには渡さねぇ」

 フユラは涙に濡れたすみれ色の瞳を見開いた。目の前の恐怖に飲み込まれて忘れてしまっていた誓いが脳裏に甦り、微かな希望が胸に芽吹いて、彼女を奮い立たせる力となる。

 ―――そうだ、何も出来なかったあの頃とは違う。努力して強くなるって決めて、これまでずっと頑張ってきたんだ……ガラルドと一緒に生きていく為に強くなろうって、あたしなりに、ずっと、ずっと頑張ってきたんじゃない!

 ―――戦う前から諦めて、どうするの!

 意識の革新が彼女の中で巻き起こる。フユラはきつく拳を握りしめ、呆然と佇んでいるレイオールに呼びかけた。

「レイオール、お願い……あたしを回復させて」

 自分でも思ったより毅然とした声が出た。

 フユラに請われたレイオールはハッと肩を震わせ、ぎこちなく頷いた。

「わ、分かった」

 セラフィスに圧倒され無意識のうちに陥っていた思考停止状態から解放された彼は、一度深呼吸をして精神を集中させると、久方ぶりの呪紋を宙空に描き出した。

 やや硬い動きではあったが、ウォルシュの嫡男たるその魔力はブランクがあっても確かなようで、黄味を帯びた輝きを纏って弾けた呪紋に包み込まれると、フユラは自身の肉体がほぼ完全に回復していくのを感じた。

「ありがとう……!」
「―――ねえフユラ、オレさ、今、何が何だか分からないうちに妙な局面に置かれてスゴく混乱しているし、呪術師のはずのフユラが呪術とは全く違う方法で傷を癒しているのにも今更ながら気が付いて戸惑っているし、ワケが分からないことだらけでおかしくなりそうなんだけど、後でキチンと分かるように説明してくれる?」
「うん、ちゃんと説明するね。全部終わったら」
「……そうだね、全部終わって……オレが生きてたら」

 はは、と乾いた笑みを湛えるレイオールにフユラはほろ苦い笑みを返し、こう尋ねた。

「みんなで生き残る為に、このチョーカーを外したいの。レイオール、暗証の文言に心当たりはない?」
「オレ、放蕩三昧で信用なかったからなぁ……あの人はそういう大事なことをオレには言わないよ。異常なくらい用心深くて、基本的に自分以外の人間を信用してない人だったから。
……。フユラ、本当にあの人―――父さんは、死んだの?」
「……うん。カーラ―――さんに、後ろから、何度も何度も、刺されて……」
「……。そう」

 硬い表情で呟いたレイオールは短い沈黙の後、顔を上げてフユラに言った。

「その場所へ案内して。確かめたいことがあるんだ」
「……分かった」

 フユラは祈るような思いを込めてガラルドの背中に一度視線をやり、その向こうに佇むセラフィスの姿を一瞥してから、レイオールと共にウォルシュが倒れている付近へと向かって駆け出した。

 セラフィスはそれを目にしながら微動だにせず、氷蒼色(アイスブルー)の瞳だけを動かして少女達を見送った。

「余裕だな。相変わらず」

 皮肉気に口元を歪めるガラルドへ、セラフィスは淡々と言葉を返す。

「これまで散々待ったのだ……手に入れるまでもう一刻待つ程度、造作もない。まずは身の程知らずの半魔を確実に排除することに専念するとしよう。……とりあえずは身動き出来ぬ程度にな」

 ガラルドとフユラの運命がフユラの母親の呪印で繋がれており、現時点ではガラルドが死ねばフユラも死んでしまうことをセラフィスは知っている。

「安心するがいい。彼女と貴様を繋ぐ呪いの楔(くさび)を断ち切ったら、速やかな死をくれてやろう」
「……八年前より、だいぶ優しい物言いになったじゃねーか」

 八年前は確か「存分に苦痛を味わわせてから楽にしてやる」と言っていた。

 自らの死亡宣告を軽口でいなしながら、ガラルドはのしかかる重圧と戦った。

「幸甚(こうじん)に思うがいい。ちょうど“これ”の威力を試したかったのだ」

 抑揚なく告げ、セラフィスが右手を掲げる。反射的に構えたガラルドの前で白い閃光のようなものが刹那の速度で飛来すると、セラフィスの手中に収まった。

「―――!?」

 それを確認したガラルドは目を瞠り、次いで表情を引き締めた。

 セラフィスの手の中に出現したもの、それは荘厳な輝きを放つ白銀色の長槍だった。まるで芸術品のような洗練された美しさと、武器としての苛烈さを併せ持った、幅広で大型の三角形の穂先が付いた真槍―――。

 以前見(まみ)えた時、セラフィスは丸腰だった。彼は素手で当時のガラルドを大きく凌駕し、ガラルドとフユラは気紛れなガラルドの父親ディーゴの介入によって、どうにか命を繋ぎ止めることが出来たのだ。

 それが―――。

 ガラルドは無意識のうちに、自らの剣を握る腕に力を込める。

 セラフィスに完膚なきまでに打ち破れてからの八年間、来(きた)るべき日に備えて、ずっと鍛錬を重ねてきた。だが、念頭にあったのは以前と同じ素手のセラフィスを相手にすることであって、彼が武器を手にしたこの状況は正直、想定していなかった。

 そこを想定する余裕がなかったと言えばいいのか。

 半魔であるガラルドにとって、純粋な魔人(ディーヴァ)であるセラフィスの存在は元々が遥かな高みにあり、その彼と渡り合えるところまで持っていくこと自体が大変な努力を要するものであったのだ。

 純粋な魔人(ディーヴァ)であるセラフィスと魔人(ディーヴァ)と人間との混血であるガラルドとでは、そもそも生まれ持った能力差があり過ぎる。そこへ武器という新たな要素が加わるとなると―――。

 考えても詮無きことだとは分かっているが、苦々しく思わずにはいられない。

 奥歯を噛みしめて長槍を見つめていたガラルドはその時、ある違和感に気が付いた。

 ―――何だ?

 長槍の穂先近くの柄に嵌め込まれた、深紅の魔玉―――これが何故か妙に引っ掛かった。槍の性能を高める役割を担うものなのだろうが、ギラついた獰猛な輝きにひどく胸の内側がざわつくのを覚える。

 これは―――この感覚は。

 細胞が疼くような感覚に息をひそめるガラルドを見やったセラフィスは、満足そうに瞳を細めた。

「気が付いたか? これは『暁の宝玉』―――あの時の見返りに手に入れた品だ」

 ガラルドの脳裏を、八年前の記憶がよぎる。


『とんだ茶番に付き合わされたものだ。これで私が引き下がるとはよもや思っていないだろうな? 見返りに何を寄越す?』
『しょーがねー、好きなモンくれてやるよ。こっちに妙なモン招き入れちまったのはオレだからな……』
『―――では、【暁の宝玉】を』
『……分かった』


 それは、当時ガラルドとフユラから手を引くよう取り成したディーゴに対し、セラフィスが対価を求めた場面―――あの時は『暁の宝玉』が如何なるものか知らなかったし、瀕死の状態だったガラルドはそんなことに気を割いている余裕などなかったのだが。

 だが。

 だが、この気配はまさか―――!

「美しく凶暴な輝きだろう? これは貴様の父親の眼球から生成した魔玉だ。これを嵌め込んだこの魔槍は“暁の凶槍”とでも呼ぼうか」

 薄ら寒い予感を肯定するセラフィスの言葉を聞いた瞬間、どう表現したらよいのか分からない感情に囚われて、ガラルドは二の句が継げなくなった。

 あいつの……眼球……?

 あの時、ディーゴはあっさりと―――実にあっさりと、その要求を飲んでいた。

 それこそ、想定の範囲内といった風情で―――……。

「……」

 一度相見(あいまみ)えただけの、存在。

 遺伝上、ただそれだけの繋がり。

 そこに愛情などないことは、分かっている。

 向こうもガラルドに感謝されることなど望んではいまい。ディーゴにとってはただのけじめ、それ以外の何物でもないはずだ。

 だが八年前、ディーゴがその対価を支払ったことでガラルドとフユラが救われたことは事実―――。

「美しいだろう? 抽出元は最悪だが、私の手で磨き上げられたこの凶悪な輝きは、魂が震えるほど美しい」

 指先で深紅の宝玉を撫でながら、うっとりとセラフィスは呟いた。

「ディーゴの息子である貴様を使って我が槍の威力を試す―――なかなかに乙ではないか?」
「何が乙だ……胸糞悪過ぎるぜ」

 口元を歪めるガラルドに、セラフィスは優雅な仕草で魔槍を操り構えてみせた。

「早速試し突きといこう―――目障りな虫けら如きに、私の貴重な時間を必要以上に費やすわけにはいかないからな」
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