Beside You 3

02


 レイオール・ウォルシュは、かつてない危機に直面していた。

 根っからの女好きである彼は、良家の子息でありながら、これまで裏通りにある店にちょくちょく足を運んでは気に入った女達と大人の遊びを楽しむこともままあった。今のところ特定の相手を求める気がない彼には、良家の子女も、街でナンパをする普通の娘も、妖艶な夜の女達も、等しく愛しいただの女性に過ぎなかった。

 好みの娘を手練手管で落として遊ぶ恋愛ゴッコは楽しかったし、年上の女と過ごす濃密な時間は、男としての彼の経験(キャリア)を大いに磨いてくれた。

 レイオールの素性を知る店側の多くは、気前良く金を落としていってくれる上々の客として、彼を特別に待遇してくれた。通常ではご法度となるようなことでも大概は許されたし、聞き入れられたのだ。

 -----だが、今回。どうやら彼は踏み込んではいけない領域を踏み抜いてしまったらしい。

 今まさにガラの悪い男達によって手荒く連れ込まれようとしている店は、界隈でもあまりいい評判を聞かない店だった。しかし店の女の子達はそれなりに可愛かったし、レイオールはこれまでの経験から、自分ならば平気だろうと軽く考えていたのだ。

 世間知らずのお坊ちゃまが、と嘲笑われても返す言葉がない。持ち上げられてちやほやされることに慣れきって、何をしても許されると思い込んでいた自分の浅はかさが今更ながら呪わしかった。

 その時だった。

 不意にレイオールの背中を押していた圧力が消え、ぐぇっ、という潰れた声が彼の耳をかすめた。と同時に、彼の両腕を抱えるようにしていた二人の男が凶暴な視線を背後へと向けたのだ。

 それに導かれるようにして振り返ったレイオールは、旅人風の格好をした長身の青年がいつの間にか自分の背後に立っており、その足元に先程まで彼の背中を押していた男が白目を剥いて無様にのびている様を見た。

「何だ、テメェは!」

 突然の横槍を受けお決まりの台詞を吐く男達に、薄茶色の髪をしたその青年は無言のまま、ギラついた暗い緋色の瞳を向けた。瞬間突き刺さった、寒気がするようなその迫力に、レイオールはおろか両脇の男達も居竦(いすく)み、息を飲むのが分かった。

 レイオールは戦慄した。こんな体験は初めてだった。青年が醸し出す圧倒的な迫力に圧(お)されて、身動き出来ない。

 動いたら、殺される-----。

 レイオールがそう確信してしまいそうなほど、目の前の青年からは剣呑な空気が漂っていた。

「-----っ……な、何だって聞いてんだよっ!」

 突き刺さるプレッシャーに耐え切れなくなった男達がレイオールを放り出し、叫びながら青年に殴りかかる。それを当然のごとくかわした青年が男達を両手でいなすと(レイオールには青年が軽く触れたようにしか見えなかった)、彼らはそれぞれ路地の両壁に顔面から激突し、仲間と同じように白目を剥いて気絶してしまった。

 -----ス、スゴい……。

 へなへなと地面に座り込んだレイオールは、こちらに鋭い眼差しを向けてくる青年を茫然と見上げた。

 どこか影のある、精悍な顔立ち。均整の取れた長身は、鋼のような筋肉で覆われているだろうことが想像出来る。大振りの剣を背負っているところを見ると、旅の剣士なのだろうか。

 -----カッコいい。

 青年の目的も正体も何もかもが不明だったが(表情を見ている限りは到底友好的には見えない)、彼を見上げているうちに、レイオールの胸には畏怖を通り越して湧き起こる憧れの気持ちの方が強くなってきた。

 レイオールの家は由緒ある呪術師の家系で、その長男に生まれた彼には生まれながらにして呪術師としての道を歩むことが義務づけられていた。しかし彼自身は呪術よりも剣や武道の道に興味を持っており、出来れば父親の跡を継ぐのではなく、将来はそちらに進みたいと考えていたのだ。

 レイオールは父親にそれを幾度となく訴えてきたが、嫡男である彼のその申し出を父親は決して認めてくれなかった。にべもなく却下され続けて数年、呪術師の象徴である杖やロッドではなく、細身の剣を携帯し続けていることがレイオールの父親へのささやかな反抗であり、彼自身の意思表示だった。

 男である限りは、肉体的に屈強でありたい。

 目の前の青年は、そんなレイオールの憧れを体現していた。

 と-----その憧れの存在の腕が伸び、地面にへたり込んだままのレイオールの胸倉を乱暴に掴み上げると、その場に無理矢理引き立たせた。

「さっきの話を詳しく聞かせろ」

 低い、恫喝を含んだ声が彼の耳朶を打つ。

「へ? さっきの……?」

 とっさにそれが何を指しているのか分からないレイオールは、パチクリと瞬きしながら間抜けな返事を返してしまう。その様子を見た青年は苛立たしげに目をすがめると、説明を付け加えた。

「ガキに無理矢理キスしたって話だ」
「え? オレがキスしたのはガキじゃなくて、めちゃくちゃ可愛い女の子……」
「だぁら、その話だよ!」

 牙を剥いて怒鳴りつけられ、レイオールは思わず首をすくめた。

「わ、分かりました! 話しますから、あの、少し手を緩めてもらえませんか」

 胸倉を掴み上げられた爪先立ちのままという体勢は苦しいし、何よりも生命の危機感を覚える。

 青年は舌打ち混じりにレイオールの胸を突くようにして押し放すと、一応彼の要望を聞き入れる姿勢を見せてくれた。

 よろめきながら体勢を整え直したレイオールはひとつ深呼吸をし、めまぐるしく頭を働かせた。

 どうやらこの青年は、その話を聞きたいが為に自分を助けてくれたらしい。そして何やら自分に対し怒りを覚えているようだ。

 とすると、彼はあの少女の関係者か。そういえばあの少女は連れがいると言っていたが、もしやこの青年がそうなのだろうか。

「お前がキスした相手ってのはどんなヤツだ」

 イラついた口調で青年が問いかけてくる。根が単純なレイオールは青年の迫力に気圧されたこともあって、つい正直に答えてしまった。

「えーと、多分オレより少し年下で、銀色の髪とすみれ色の瞳が印象的な……」

 口にした瞬間、目の前の青年の理性がぶちっと切れる音をレイオールは聞いたような気がした。

「てめぇ……」

 瞳の奥にたぎる怒りを宿した青年がその後何を言いたかったのかは分からない。

 彼の目にも止まらぬ一撃をみぞおちに受け、レイオールは気を失ってしまったからだ。



*



 レイオールを殴り倒してしまってから、ガラルドはハタと我に返った。

 しまった。この少年には色々と聞かねばならないことがあったはずなのに、思わず手が出てしまった。

 足元に崩れ落ちたレイオールを苦々しく見下ろしながら、ガラルドは盛大な溜め息ををついた。

 面倒だが、とりあえずこの少年をこのままにしておくことは出来ない。店の奥から騒ぎを聞きつけた男達の仲間が出てくる気配を感じるし、路地からこちらを覗き見る野次馬達の好奇に満ちた視線もわずらわしい。

 まずはこれ以上騒ぎが大きくなる前にこの場から退散した方が良さそうだ。

 そんな結論に達したガラルドは気絶したレイオールを肩に担ぎ上げると、足早にその場を立ち去った。



*



 ガラルドが戻ってきたら、何て声をかけよう。

 普段どおり、でいいんだよね……? 上手く出来るかな……?

 ガラルドは……何て、声をかけてくるだろう……?

 そわそわと落ち着かない気持ちでガラルドの帰りを待っていたフユラは、慌ただしく戻ってきた彼の肩に担ぎ上げられた人物を見て、すみれ色の瞳を大きく見開いた。

「え……ええっ!?」

 自身の目を疑うような彼女の反応を見たガラルドはばつの悪そうな表情になりながら、とりあえず気絶しているレイオールをベッドの上に横たわらせた。

「え……え? ガラルド……!?」

 困惑を表情に刻むフユラに、ガラルドはぞんざいな口調で事の経緯をかなりかいつまんで説明した。気絶した少年を抱えたまま街中を歩くのは衆人の注目を集めてしまうので、やむなくここへ連れ帰ったのだと。

「お前はコイツの顔なんか見たくもねーだろうけど、あのまま放っとくワケにはいかなかった。ウォルシュの息子ならいろんな情報も持っているだろうし……こうなったらついでだ、コイツに直に詫びてもらえ」

 フユラは複雑な面持ちで瞼を閉じたままのレイオールを見やった。正直二度と会いたくなかった相手ではあるが、事情が事情なだけに仕方がない。出会いが出会いなだけに、名前を聞いた時はまさか、彼があのウォルシュの子息だとは思わなかった。

 望まなかった思わぬ再会に、ガラルドの帰りを待っていた間の甘い気持ちはすっかりどこかに吹き飛んでしまった。偶然とはいえ、件(くだん)の相手がレイオールだと知ったガラルドが自分の為に彼を怒ってくれたのは嬉しかったが、それによってあの甘い余韻を消されてしまったことについては、少々残念に思う。

 その件に関して言えばガラルドはレイオールに救われていた。あんなことがあった後でどんな顔をしてフユラの元に戻ったらいいのか、実のところ彼は大いに悩んでいたからだ。

「う……ん」

 ベッドの上のレイオールが小さく呻(うめ)いた。反射的にフユラがガラルドの後ろに隠れる。

 震えるレイオールの瞼がゆっくりと開き、ぼんやりと天井を見つめた。見覚えのないそれに戸惑うように瞬きをした後、その視線がこちらに流れ-----直後、驚いたようにはしばみ色の瞳が見開かれた。

「!? え……!?」

 ガラルドと、その後ろに隠れるようにしたフユラの姿を認めて起き上がろうとしたレイオールは、みぞおちの辺りに鈍い痛みを覚え、整った容貌を派手にしかめた。

「痛っ……」
「気が付いたか」

 レイオールは痛みに顔をしかめたまま、ゆっくりと室内を見渡した。

「ここは……?」
「裏通りにある安宿の一室さ。あのまま放り出さずにここまで運んでやったんだ、ありがたく思え。その痛みはてめーの所業のせいだ。半殺しにされなかっただけ感謝しろ」

 気を失う前のことを思い出しながら、レイオールはみぞおちの痛みを堪(こら)えつつ、今度は慎重に半身を起こした。

 この青年はやはりあの少女の連れだったのだ。しかし、これ以上レイオールに危害を加えるつもりはないらしい。態度は横柄だが、どうやら悪人ではなさそうだ。

 ならばここは、結果的に助けてもらったことへの礼と、少女への謝罪の言葉を口にするのが先か。少女の件に関しては、どう考えてもレイオールに非があるのだから。

「あの……助けていただいて、ありがとうございました。お手数かけてしまってすみません。それから、君……あんなことして、ごめん。あんまり可愛かったから、つい」

 つい、のところで強面の青年の片眉がぴくっと跳ね上がったのが分かった。本当はもう一度彼女に会えたならリトライしたい、などと不埒なことを考えていたのだが、そんなことは口が裂けても言えない。

「……もう絶対にあんなことしないでね。スッゴく嫌だったんだから」

 ガラルドの背後から顔を覗かせるようにしたフユラの言葉は、色々あってヘコみ気味のレイオールの自尊心を更に深く抉った。女性からこれほどハッキリした拒絶の言葉をかけられたのは彼の人生の中で初めてのことだった。

 リトライどころではない。『スッゴく嫌だった』と、嫌だったことをことさら強調されて、彼女にとって自分とのキスはそんなにも嫌なものだったのか……とかなり本気で落ち込む。返す語尾も自然と弱々しいものになった。

「うん……反省してる……本当に、悪かったよ」

 哀れなくらいうなだれてしまったレイオールの様子は、フユラに彼が心の底から反省しているのだと誤解させた。その後のガラルドとのキスで心の傷が癒されていることもあって、彼を許してあげよう、という気分になる。

 そんな彼女の思いは保護者の青年にも伝わったらしい。見上げるフユラの視線を受けて、ガラルドはレイオールに尋ねた。

「本当に悪かったと思っているし、助けられたことを感謝しているんだな?」

 念を押すようにして問われ、レイオールはやや慌て気味に頷いた。

「そ、それはもちろん……! あの、言葉とは別にぜひお礼と謝罪をさせて下さい」

 元々それを要求するつもりだったガラルドは、それを求める手間が省けたことに幾分機嫌を良くした。

 生活が豊かで世間知らずな人種は、交渉が楽でいい。

「それなら頼みがある。小耳に挟んだんだが、お前、この街の名士の息子なんだろ?」
「え? ええ、まぁ……」
「期間限定でオレ達を雇ってくれ」
「えっ?」

 驚いたのはレイオールだけではなかった。

「ガラルド!?」

 耳を疑わんばかりの反応を示すフユラを視線で制し、ガラルドはレイオールに淡々と要望を伝えた。

「しばらくはあの胡散臭い連中に狙われるコトになんだろ。今日ここから帰るにしても護衛が必要なんじゃねーのか? オレは剣士でコイツは呪術師、こう見えてその辺の傭兵よりよっぽど腕は立つぜ。どうだ?」

 レイオールの父、ウォルシュがどういう人物なのかはまだ分からない。フユラの出自のこともあり下手な接触は図れないが、その息子を通して彼の人物像やこの街の中枢に関わる人物達に迫れるならば、これはまたとない好機だ。それに何より、ウォルシュ自身がこの街で一、二を争う呪術師としての実力の持ち主であるという、彼らにとって絶対に欠かせない重要な事実がある。

 フユラの母によって施された、ガラルドとフユラの運命を繋ぐ呪術を解く為には、彼の力が必要となるのかもしれないのだ。

 魔法都市アヴェリアで何のつても情報も持たない二人にとって、期せずして出会ったレイオールの存在は、今や非常に重要な意味合いを持つものへと変わっていた。

 突然のガラルドの発言に驚いた様子を見せていたフユラだったが、一拍置いて彼の意図を理解したらしく、今は静かにレイオールの反応を見守っている。

 そのレイオールの反応は、二人が予想だにしていなかったものだった。

「本当ですか!? -----なら、こちらからぜひ!! ぜひお願いします!!」

 レイオールは喜色に顔を輝かせると、ベッドから降り立ってガラルドの手をきつく握り締め、一も二もなく快諾したのだ!

「!?」
「そうだ、ついでにオレに剣術と体術を教えてもらえませんか!? さっきの貴方の強さ、圧巻でした! オレ、正直見惚れちゃって! オレも、貴方みたいに強くなりたいんです!!」

 興奮した口調でまくし立てきらきらと輝く瞳を向けてくるレイオールに、ガラルドは眉をひそめ、やや引き気味に返した。

「はぁ? お前の父親、有名な呪術師なんだろ? それにそのカッコ……息子のお前も呪術師なんじゃねーのかよ」

 じろりと長衣(ローヴ)姿のレイオールを見やりながら握られた手を邪険に払うと、頬を紅潮させた少年はそれを気にする風もなく、誇らしげに胸を張ってこう言った。

「オレは、呪術より剣術の方に興味があるんです。父の跡を継ぐ気はありません」
「……そうかよ。ま、ンなこた正直どうでもいい。剣術が習いてーんなら家庭教師でも雇え。ガキのお守りはゴメンだ」
「そこを何とか! ぜひ貴方に教えてほしいんです」

 臆することなく真正面からガラルドの瞳を捉え、レイオールは熱っぽく懇願してくる。

 -----面倒くせぇ……。

 ガラルドは渋面になった。こういうタイプは何度断ってもしつこく懇願してくると相場が決まっている。普段なら断固拒否、絶対に関わらないと決めている人種なのだが。

 が-----、せっかく事がスムーズに運びかけているのに、ここで断ってレイオールの気が変わるようなことになってしまっては元も子もない。仕方がない、と諦めにも似た境地で、ガラルドは彼にしては珍しく自分に妥協を言い聞かせた。

「……気が向いたらな」

 無論、口だけだ。教えてやる気などさらさらない。だがそれだけでも、彼にしては破格のリップサービスと言えた。

「本当ですか!? やったぁッ」

 ガラルドの内心など知るはずもないレイオールが無邪気に喜ぶ。その様を、彼の内心を知るフユラだけがこっそりと溜め息をつきながら見つめていた。



*



 護衛兼剣術指南役としてレイオールに雇われたガラルドとフユラは、宿を引き払い、日がすっかり落ちた頃、彼と共に街の一等地にあるウォルシュの邸宅までやってきた。

「お帰りなさいませ、レイオール様」

 立派な門の両脇に立った門番がうやうやしく頭を下げて迎えた先には街で見かけた幌(ほろ)のついていない馬なしの馬車のような乗り物が用意されており、一行がそれに乗り込むと、不思議なその乗り物は美しく手入れされた広大な庭の向こうに見える建物に向かって自動的に動き始めた。

「わわ……すごーい! ねぇ、これ何ていう乗り物なの?」

 興味津々のフユラがレイオールに尋ねる。彼女はウォルシュ家の門構えを見た時から、そのあまりの立派さに少々興奮気味だ。

「エルオンていう魔動車(まどうしゃ)だよ。アヴェリアだけにしかない魔力を動力源にしている乗り物なんだ」
「へぇー、魔力を……」
「どういう仕組みで動いてるのかは聞かないでくれよ。オレもよく分からないんだ」

 ほどなくしてエルオンは屋敷の入り口にたどり着くと、自動で止まった。

「わぁ……大きくて素敵なお家……」

 その規模の大きさと壮麗なたたずまいに、フユラが感嘆の溜め息をこぼす。下手な貴族の屋敷よりよほど立派だ。

「見てくれの通り、部屋数はいっぱいあるから。すぐに部屋を用意させるよ。えーと、二人は同じ部屋の方がいいのかな?」

 ガラルドとフユラの関係が良く分からないレイオールは気を回してそう尋ねた。

 フユラがガラルドのことを彼氏ではないと言っていた通り、どうやら二人は恋人同士ではないようなのだが(ガラルドの言葉を借りれば保護者と被保護者という関係らしい)、その割には宿屋のシングルの部屋に二人で泊まっていたり、レイオールの所業に対するガラルドの怒りの度合いが半端ではなかったりと、単なる旅の連れ、というのではしっくりこないような気がする。

「別々にしてくれ」

 当然、といった風情でガラルドが即答する。色々と聞きいたところではあったが、余計なことを聞けるような雰囲気ではなかったし、フユラも特に異論はないようだったので、レイオールは軽く頷くにとどめた。

「じゃあ別々の部屋を隣り合わせに用意させますね」

 レイオールが入口の扉を開けると、眩い明りが降り注ぐ広い玄関ホールが現れた。吹き抜けの天井の下で、初老の男性を筆頭とする使用人達が一斉に頭を下げて彼らを出迎える。

「お帰りなさいませ、レイオール様。……そちらの御二方は?」
「オレの恩人だ。危ないところを助けてもらった……しばらく屋敷に泊まっていただくから、隣り合わせの部屋を用意してくれないか」
「それはそれは……かしこまりました。では、すぐに」

 初老の男性の合図を受けて、使用人達が静かに素早く散っていく。その様子をもの珍しげに目で追っていたフユラと、対照的にまるで興味なさげなガラルドとをレイオールが促した。

「部屋の準備が整うまで、こっちでお茶でもどうぞ」

 彼に案内されて広い回廊を進んでいくと、その途中反対方向からこちらへとやってくる一団と出会った。

 先頭はレイオールと同じ色彩を持つ壮年の男性だ。前髪を後ろへなでつけるように流した知的な顔立ちは、見る者にどこかひんやりとした印象を与える。背はそう高い方ではないが、スタンドカラーに呪術的な紋章をあしらった白い上等な長衣(ローヴ)を着たその姿は、がっしりとした骨格のせいか、身に纏う威厳のせいか、実際よりも彼の体格を良く見せていた。その後ろには秘書官や護衛らしい四〜五人の男女が付き従っている。

 彼らを認めた瞬間、レイオールの背に軽い緊張が走ったのをガラルドは見逃さなかった。

 先頭の人物を見ればそれが誰なのかはおいそれと想像がつく。はたして、その人物は彼らの前で立ち止まるとレイオールに声をかけてきた。

「レイオール、今帰ったのか」
「はい、ただ今戻りました」

 父の問いかけに対するレイオールの口調は硬い。どうやら円満な親子関係ではないらしいことが窺えた。

「そちらは」

 ウォルシュが息子の背後にいる怪しい二人組に鋭い眼差しを投げかけてくる。

「こちらは……」

 レイオールが言葉を選びながら父親に二人の説明をする。いかがわしい職業の男達ともめていたところを助けられたなど彼としても本当のことを言うわけにはいかないのだろう、街のチンピラに因縁をつけられていたところを助けてもらったという趣旨の説明をした。

 息子の話を聞き終わったウォルシュは感情の読めない表情をガラルドとフユラに向けた。

「見た目から察するに流れの傭兵、といったところか。暴漢から息子を助けてもらったことには感謝する-----カーラ」

 主の声に、背後に控えていた女が動いた。

 雷鳴のような一閃。

 刃のぶつかり合う、甲高い音が回廊に響き渡った。

 突然の出来事に、フユラとレイオールが目を剥く。

 カーラと呼ばれた女が放った容赦のない一撃を、ガラルドが剣で受け止めていた。

「なっ、何を……! 父さん!!」

 抗議の声を上げるレイオールを無視し、まるで何事もなかったかのようにウォルシュは言った。

「腕は確かなようだな」
「父さん! オレの恩人に何をするんですか!!」
「オレではなく私と言えと、何度言えば分かるんだ」
「そんな話をしているんじゃない! 失礼にも程があります!! 万が一のことがあったらどうするんですか!?」

 怒る息子には答えず、ウォルシュは淡々とガラルドに告げた。

「非礼は詫びよう。手っ取り早く腕の程を確かめさせてもらった……」
「何の為に?」

 ガラルドが暗い緋色の瞳をすがめる。

 カーラと呼ばれた女の剣には殺意があった。受け止められない者などこの場で処して当然、という未必の故意が。

 非礼、と言いつつ、詫びる気などさらさらないウォルシュの態度にも腹が立つ。

 レイオールが色を失くして父親にたてつくのも不本意だが理解できた。「万が一」のことなどあるわけがないのだが、この女はかなりの手練だった。ガラルドだったから受け止められた、と言えるほどの-----。

 自身に流れる半分の好戦的な血が疼き沸き立つのを冷静に御しながら、ガラルドはウォルシュの答えを待った。待ちながら、皮肉に思う。

 自分もずいぶんと大人しくなってしまったものだ。昔の自分なら理由など聞かずに即反撃し、今頃はカーラともどもウォルシュをも血祭りにあげていただろうに。

「息子のボディガードとして私が雇おう」

 ウォルシュからもたらされた回答は、ガラルドが予想だにしていなかったものだった。

「あぁ?」

 口元を歪めながら、真意を質(ただ)すようにウォルシュをねめつける。

 この発言にはレイオールとフユラも驚いた様子だった。レイオールはまだ、ガラルドとフユラを護衛として雇った件についてはウォルシュに伝えていない。何故、と問いたげな眼差しで、レイオールは父親の顔を注視している。

「簡単に説明すると、つい先刻、私と敵対しているある組織が不穏な行動を起こそうとしているらしいという情報が入った。だが、恥ずかしながら不測の事態で警護の人員が足りなくてね……優秀と認められる人材であれば多少の難は目をつぶってでも雇いたいという実情なのだよ。悪い話ではないと思うが……傭兵稼業ではなかなかお目にかかれない程度の報酬は約束しよう」

 カチンとくる物言いだったが、ガラルドはこの十数年で培った強靭な忍耐力をもって耐えた。

 元々彼がレイオールに自分達を護衛として雇わせたのはウォルシュに近付くのが目的だった。これほど早く会うことになるとは予想外だったし、出来ればもっと色々な情報を掴んでから接触を図りたかったのが本音だが、この状況を逃す手はない。こんな展開にいたっては万々歳、と喜ぶべきだろう。

 だが、ウォルシュの印象は最悪だ。

 知的な顔立ちの下に一物も二物も隠し持っていそうなこの男-----出来れば鼻持ちならないこの男の手を借りることなく呪印を解きたいものだ、と願わずにはいられない。

「どうだ? 私に雇われるか」
「傭兵稼業ではなかなかお目にかかれない程度、っつー報酬次第だな」

 皮肉を込めてそう返すと、ウォルシュはかすかに鼻で笑って言葉通りの額を提示してきた。それを聞いたフユラがオウム返しに最初の数字を呟いたきり、絶句している。

「……確かに、お目にかかったことのない額だな」
「交渉成立、だな。では、詳細はカーラに聞き後は彼女の指示に従ってくれ」

 その言葉から察するに、カーラはどうやら警護関係の業務をウォルシュに一任され取り仕切っているらしい。

「後ほど部屋へ伺わせてもらう」

 静かに響く低音で義務的にそう告げた女剣士は、すっきりとした切れ長の瞳が印象的な、ややきつめの顔立ちをしていた。

 年齢は二十代半ばといったところだろうか。赤みの強い、顎の辺りでそろえられた前下がりのボブベースの茶色の髪に、怜悧(れいり)な光を湛えた灰色の瞳。背は女性にしては高く全体的にスラリとしていて、えんじ色の短衣(チュニック)の上から鈍色(にびいろ)の金属製の鎧を身に着けている。

 そんなカーラをガラルドの隣で見つめていたフユラは、彼女に対して何故かひどく不思議な印象を抱いた。

 何だろう……この女(ひと)、何だか……。

 フユラはその答えを求めるようにガラルドを見上げたが、彼はカーラを一瞥しただけで、特別な反応は示さなかった。



*



 あてがわれた客室は、これまで目にしたことがないようなとても豪華なものだった。

 ゆったりとした室内にはふんわりとした絨毯(じゅうたん)が敷きつめられ、広いベッドに大きな姿見、品の良い調度品に、洗面所やトイレ、シャワールームまで完備されている。たっぷりとした光沢のある布地が瀟洒(しょうしゃ)なカーテンの向こうには中庭を見下ろせるバルコニーも付いていて、フユラは思わずすみれ色の大きな瞳を輝かせた。

「うわぁ……スゴい!」

 ベッドの上には寝間着とおぼしき上品なレースの施された薄手の服と、頬擦りしたくなるような上質な手触りの上掛けが置かれており、彼女をさらに夢見心地にさせた。

 スプリングの利いたベッドの上に身体を投げ出すようにして転がりながらそれを広げて見やり、フユラはしばし貴族のお姫様になったような気分に浸った。

 体験したことのない、まるで別世界のような場所にいる。その現実は彼女の胸を弾ませた。

 さっそくそれに袖を通してみたくなり、フユラは勢いよく起き上がると、まずは身体の汚れを落とすべくシャワールームへと向かった。

 一方のガラルドは、隣り合わせにある同じ造りの部屋のベッドの上で天井をにらみ、もの思いにふけっていた。

 -----あの女……。

 彼を難しい顔にさせているのは、先程のカーラの存在だった。

 ひと目見た瞬間に、分かった。

 向こうも特別な反応は示さなかったが、気が付いたはずだ。

 面倒なことにならなければいいが……。

 ひっそりと嘆息した、その時だった。

 控えめなノックの音が響き、そちらに首を向けたガラルドは、ドアから顔だけを覗かせ、はにかんだ表情をしているフユラを見つけた。

「入ってもいい?」
「? あぁ……どうした?」
「えへへー」

 ガラルドの部屋に素早く入り込んだフユラは後ろ手にドアを閉め、大きく両手を広げると、その場でぐるっと回って見せた。

「じゃーん! どう? 似合う?」

 そんな彼女の姿に、ガラルドは目を丸くした。

 部屋に用意されていたらしい、淡いピンクのひらひらした夜着に真っ白な上等の上掛けを纏ったフユラは、元々の愛らしい顔立ちが衣装によって更に引き立てられ、彼女の持つ独特のふんわりとした可憐さも相まって、まるで貴族の令嬢のように見えた。

 旅装と安宿の寝間着姿、そんな彼女しか見たことがなかった彼にとって、その姿は小さな衝撃だった。

 着る物によって、こんなにも、印象が違って見えるものだろうか。

 不覚にもその姿に見とれていたことに気が付いたのは、反応のないガラルドの様子を怪訝に思ったフユラが小首を傾げて尋ねてきた時だった。

「ガラルド? あの〜、似合わない……かな?」
「いや……」

 口ごもり、どこか気まずい思いで視線を逸らしながら、ガラルドはぶっきらぼうに答えた。

「まぁ……それなりに、いいんじゃねぇか」

 それを聞いた途端、少し不安げだったフユラの表情がパッと華やいだ。

「へへ、ホント? 良かった〜っ」

 屈託なく微笑みながらガラルドの目の前までやって来ると、夜着の腰の辺りを指でつまんで、にこにこともう一度衣装を披露してみせる。

「こんなの、初めて。何だかちょっとくすぐったいね」

 無邪気に言いながらガラルドの隣に腰を下ろしたフユラからは、上品な石鹸の香りがした。夜着に着替える前にシャワーを浴びてきたらしい。

 ガラルドは何とも言えない思いで隣に座るフユラを見下ろした。

 夜着は下着の線が透けるほど薄いものではなかったし、上掛けも羽織ってはいるが、こんな姿で夜に男の部屋へ来るというのは、ほめられたことではない。

 無論フユラは相手がガラルドだからこそこんな姿でこの部屋を訪れたのだろうし、それが彼女の彼に対する信頼の証であり情愛の証でもあるのだろうが、昼間の件への負い目があるガラルドからすると、どうにも複雑な心境にならざるをえなかった。

 どうやらフユラが昼間の件をもう気にしていないらしい、と安堵を覚える一方、あれが彼らの中で日常的に有り得る行為なのだと彼女に認識されてしまうのでは困る、とも思う。

 だが正直、あの話を二度と蒸し返したくはなかった。出来るなら永遠に忘却の彼方へ葬り去ってしまいたい。

 そんなジレンマに苛まれ、ガラルドは内心で額を押さえた。

「……お前、そんなカッコで屋敷内をうろつくような真似はするなよ」

 結局、無防備極まりない連れの少女にそう言うにとどめると、彼女は心外だと言わんばかりに口を尖らせた。

「子供じゃないんだから。そんなコト、しないよ」

 充分、子供だ。

 心の中でぼやきながら、ガラルドは頷いた。

「ならいい。で……そのカッコを見せる為だけに来たのか?」
「ううん。ちゃんと話があって来たんだよ」

 フユラはきもち姿勢を正すと、ガラルドの顔を覗き込むようにして声のトーンを落とした。

「ねぇ、あのカーラっていう人、後からガラルドの部屋に来るって言ってたけどもう来た?」
「いや……」
「そっか。あのさ……あたしの気のせいかもしれないんだけど」
「何だ?」

 フユラは一度言葉を飲み込んだ後、少しためらうようにして口を開いた。

「あの人……何か、ガラルドに雰囲気が似ていたね。もしかしたら……」

 ガラルドは驚いてフユラを見た。まさか彼女がそれに気付いているとは思わなかった。

「あ、まぁ、あたしがそう感じただけで、違うかもなんだけど、でも、もしかしたら……って気になって」
「……よく、分かったな」

 ゆるゆると息を吐き出しながらそう言うと、フユラは安心したような表情になった。

「あ、やっぱりそうなんだ? ガラルド、まったく普通にしているから……あたしの気のせいなのかと思った」
「いや……気のせいじゃない」

 ガラルドは首を振り、視線を落としてフユラの言葉を肯定した。

「あの女……オレと同じ、半魔だ」
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