Beside You 2

エピローグ


 小さな黄色い草花の咲き誇る丘に、約束を誓い合った者達の姿は、ない。

 その地に二人佇(たたず)み、ガラルドとフユラは、レイヴァンの消えていった空間をしばらく見つめていた。

「……お前、ホントに大丈夫なのかよ。アイツに何されたんだ?」

 心配そうにそう尋ねるガラルドの声を聞きながら、フユラは自分の胸元に両手を当て、何かを確認するように瞳を閉じた。

「シュリさんからのサプライズ……とっても大きな、贈り物だよ」
「はぁ? アイツも何かそんな雰囲気のコト言ってたけどよ……だから、何なんだ」

 苛立たしげにそう問い重ねる彼の瞳を見つめて、彼女は言った。

「ガラルド……あたしね、ずっと思っていたことがあるんだ」
「……何だよ」
「あたし達がアヴェリアを目指して旅をすることになった理由-----それを初めてガラルドから聞いた時、あたしね、スゴく申し訳ないなって思ったんだ……」

 フユラの口からこぼれた意外な言葉に、ガラルドは意表を突かれ、微かにその目を瞠(みは)った。

「ガラルドには全然関係のないことだったのに、こっちの一方的な理由で、こんな形で巻き込んじゃって……。無理矢理、長くて危険な旅路を、あたしと一緒に歩ませることになっちゃって……。あたし、何か特異体質みたいで、魔人(ディーヴァ)には狙われているし、そのせいで……きっとこれからもまた、ガラルドを危険な目に合わせちゃうと思う。今回のコトだって……」

 しょぼん、とした面持ちになりながら口をつぐんだフユラは、一瞬黙した後、顔を上げて、真っ直ぐな瞳をガラルドに向けた。

「でもあたし、お母さんには感謝しているの。あたしとガラルドを巡り合わせてくれてありがとう、って。ガラルドがどう思っているかは分からないけど、あたしは今、ガラルドと一緒にいられて幸せだし、毎日がとても充実しているって。でも、その反面、ガラルドの育ての親の呪術師のおじいちゃんには、スゴく申し訳ないなって思ってる……。あたしがガラルドを奪うような形になっちゃったから……ガラルドだって、おじいちゃんに会いたいって思っても会えない状況にいるワケだし……」
「-----そんなコト、気にしていたのかよ……」

 あの幼かったフユラがこんなことを考えるようになっていたのかと、今更ながら、ガラルドは連れの少女の成長を実感した。

 自分の気付かないところで、彼女は着実に大人への階段を上っていたのだ。

「……バーカ、ガキがンなコト気にしてんじゃねー」

 溜め息混じりにそう言って、ガラルドはフユラの頭を小突いた。

「正直、始めはお前の母親にヤラれた、と思ったけどな。でもそれは、何だかんだ言ってオレの甘さが招いた結果だ……。今は-----お前との旅も、まぁ……悪くねぇと思ってる。それに、あのジジイとは今まで散々顔を突き合わせてきたんだ……向こうもオレも、せいせいしてんだよ」

 ぶっきらぼうにそう言った保護者の青年の顔を見上げ、フユラは問いかけた。

「会いたくは……ないの?」
「あ? 気色わりーコト言うな」
「あたしは……会ってみたいな」
「……ただのくたびれたジジイだぞ」
「ガラルドの住んでいたところも、見てみたいし」
「見てもしょうがねーよ、ンなモン。……そんなコトよりもなー」

 話題を戻そうとするガラルドの手をフユラは握り、訝(いぶか)しげな表情をする青年の顔を覗き込んだ。

「教えて。ガラルドの育った、その風景を」

 澄み切ったすみれ色の大きな瞳が、切なる想いを乗せて、切れ長の紅蓮の瞳に訴える。

 強い意志を内に秘めた、宝玉のように煌(きらめ)き、燃え立つ少女の瞳-----ガラルドは息を飲んだ。不思議な引力を、そこに感じた。

「知りたい。あたしの知らない、その風景を-----……」
「何だってんだ、突然……」

 内心のわずかな動揺を押し隠しながら、ガラルドは瞳を逸らして、渋々といった様子で話し始めた。

「……人里離れた草原の中にポツンと一軒佇んでいる、古びた家だ。家の前に小さな菜園がある他は……何もねぇ。周りは見渡す限りの草原が広がっていて、頬をなでる風と、季節ごとの緑の匂い……そんなものが印象に残っている。何もない分、月夜なんかは綺麗に見えたな」

 長い間そう思い出すこともなかった故郷の風景が、話しているうちに鮮明に脳裏に甦ってくる。

 その景色の中にはあの呪術師がいて-----いつも、穏やかな目でこちらを見つめていた。

 その瞬間、唐突な魔力の波動を感じて、ガラルドはハッと目を見開いた。空間がたわむ気配を察知した次の刹那、大きな力に導かれ、自身がその奔流に飲み込まれたことを彼は悟った。

 -----フユラ!?

 繋いだ手の先に、彼女を感じる。この魔力は、彼女のものだ。

 いったい、何が-----。

 そう意識した時には、扉なき扉をくぐり、彼の足は別の地に佇んでいた。



 目の前に広がるのは、先程までとは形を変えた、一面の緑の世界。



 そよぐ風に抱かれて、背の高い草達が揺れている。

 そして、その緑の世界に唯ひとつ在る、異質なモノ-----見覚えのある、木造の古びた平屋の家屋。

 その目の前には小さな菜園があり、季節の野菜がそこここに実を成している。

「…………」

 その光景にガラルドは言葉を失い、息を飲んで、茫然と-----ただ茫然と、そこに立ち尽くした。

「ここが、ガラルドの故郷なんだね……」

 傍らのフユラがそう言って、眩しそうに辺りを見渡した。

「出来るだけ早いうちに、ガラルドと一緒にここへ来たかったんだ。だからね、アヴェリアへ行ったら空間転移の術を究めようって、こっそり思っていたの。それを究めて、アレンジを加えて……オリジナルの術を開発して、あたしの記憶にはないこの場所へ、ガラルドと一緒に来ようって。詳しくじゃないけど、それっぽいコトをチラッと、シュリさんに話したことがあったんだ……」
「-----……じゃあ」

 ようやく言葉を発したガラルドに微笑んで、フユラは頷いた。

「それを察して、レイヴァンに頼んでくれたみたい」

 茫然とした面持ちのままそれを聞いていたガラルドは、その時あることに気が付いたらしく、ハッとして叫んだ。

「……! おい! アイツ、お前にこの術が使えるのは一度きりだって言ってなかったか!?」
「言ってたよ」
「どうすんだよ!? こんなトコまで戻ってきちまって……ようやくアヴェリアが見えてきたってのに!」

 珍しく狼狽する彼に、フユラは落ち着いた口調で返した。

「この特別な空間転移は、ね。普通の空間転移の術は、修得出来たみたい。大丈夫だよ」
「え……」
「マウロまでなら、戻れるよ」

 にっこりとフユラに微笑まれて、ガラルドは全身の力が抜けるのを感じた。そのまま座りこみたくなる衝動に駆られながら、何とか持ちこたえて、深い息を吐く。

「ビビらせんなよ……」
「ゴメン。行こ」

 フユラはそう言って、ガラルドを促した。

「-----あ、あぁ……」

 頷いて、改めて平屋の家屋を振り仰いだガラルドは、その懐かしい面影に紅蓮の瞳を微かに細めた。

 長年の風雨に耐え、黒ずみ、痛んだ木造の壁の色合いが、過ぎ去った年月を感じさせる。その様子は、彼の記憶にあるものよりも、幾分くたびれたように見えた。

 家の入口のドアに手を掛けかけ、ガラルドは逡巡した。

 あれから十年以上が経っているのだ。もしかしたら-----……。

 それは、旅の途中も薄々と感じていたことだった。

 その様子に察するものがあったのか、フユラがその手にそっと手を重ねてきた。

「側にいるよ」

 連れの少女の大人びた言動と、自らの心を見透かされことにガラルドは動揺して、心ならずも赤くなった。

「な、何だよ。オレは別に-----」
「開けないの?」
「〜〜〜っ」

 言葉を飲み込んで、ガラルドは十一年振りに家のドアを開けた。

 わずかな軋む音と共に外からの光が差し込んで、薄暗い無人の室内を映し出す。

 入ってすぐのところにある手作りのダイニングテーブル、小さなキッチン……家の中の調度品はあの頃のまま変わらない。部屋の窓は全て閉めきられていて、空気が少しこもった感じがした。

 室内はひっそりと静まり返っていて、微かな物音もしない。

「……奥に、寝室が二つある」

 そう言い置いて、ガラルドは歩き出した。家の中を見渡しながら、フユラもその後に続く。

 寝室に近付くにつれ、ガラルドは胸の鼓動がいやに高まっていくのを覚えた。窓が全て閉めきられているせいか、ひどく息苦しい感じがする。

 やがて老呪術師の寝室の前に立ったガラルドは、ひとつ深呼吸して、そのドアを開けた。

 そして、息を飲んだ。

 そう広くはない寝室のベッドの上に、鳶(とび)色の長衣(ローヴ)を着た人影が横たわっている。

 長い白髭(しろひげ)を蓄えた見覚えのある顔に、筋(すじ)張った手足。

 記憶にあるものより幾分痩せた、固く瞳を閉じた育ての親の姿が、そこにあった。

「-----っ……、おい……」

 かすれたような声が、喉の奥から漏れた。

 人にとってのこの十年は、やはり長かったのか。

 再び相見(あいまみ)えることは、やはり無理だったのか。

 背後でフユラが立ち尽くし、手で口元を覆うのが分かった。

「おい……」

 呟(つぶや)きながら、ガラルドはベッドまで歩み寄り、腕を伸ばして、そのやつれた頬に触れた。

 その瞬間、閉じられていた老呪術師の目がぱかっと開き、ガラルドは声こそ上げなかったものの、かなりの衝撃を受け、硬直した。

「……!」
「……何だ、ガラルドか」

 二、三度瞬きをしながら、昼寝をしていた老呪術師はそう言って、ゆっくりと身体を起こした。

「ずいぶんと久し振りだの。どうした?」
「てっ、てめぇっ……紛らわしいコトしやがって! 寝るんならキッチリ夜中に寝やがれ!!」
「顔を合わすなり、やぶからぼうに何を怒っとる。相変わらずせわしないヤツだな」

 うたた寝から目覚めたばかりの老呪術師は、久々の再会となる青年の真っ赤な顔をよくよく眺めて、その意外な姿に軽く驚いた様子だった。

「……おや、お前、その姿は-----」

 言われて始めて、ガラルドは自身が変現(メタモルフォーゼ)したままの姿だったことを思い出した。

「あ、これは-----」

 言葉を濁しながら元の姿へと戻る彼の背後にいるフユラの存在に、老呪術師は気が付いた。

「うん? そこの可愛らしいお嬢ちゃんは-----」
「あぁ、そいつは-----」
「フユラです、初めまして、呪術師のおじいさん」

 笑顔で会釈したフユラを見て、老呪術師は微笑んだ。

「もしかして、ワシとは初対面ではないかな?」
「はい。聞く話によると、そうみたいです」
「ほぉー。やはり、あの時のお嬢ちゃんかね。コイツと運命を繋がれてしまった……いやいや、大きくなったものだな」

 愉快そうにそう笑って、老呪術師は傍らのガラルドを振り仰いだ。

「ワシの思った通り、このお嬢ちゃんは大物だったようだな。お前がありのままの姿を晒していられるとは……いやいや、大したモンだ。ところでお前達、今日はどうしたんだ? ここに来たってことは、例の呪術が解けたのかい。ここからアヴェリアへ行って帰ってきたにしては、ちと戻ってくるのが早いような気もするが……」
「呪術はまだ解けてねー。コイツが、てめぇに会いてぇって言うから……」
「ほぅ?」

 老呪術師は楽しそうに目を輝かせてフユラを見やった。

「そいつは光栄だね。……よく見たら、フユラちゃんもワシと同じ呪術師かい。ということは、まさか空間転移の術で……いや、それは無理か。はて、ではどうやって……」
「それは秘密だ、色々とあんだよ。-----ま、せっかく来たんだ、まだくたばってなくて良かったぜ。久々に帰ってきて、死体が転がってるってのはいい気分じゃねーからな」

 半魔の青年の憎まれ口を育ての親は寛容に受け止め、こう返した。

「なぁに心配するな、ワシはくたばるのはお前の子供を見てからと決めとるんだ。それまでは、まだまだ死なんよ」
「はぁ? 何だそりゃ」
「かと言って、人間の寿命ってのには限界がある……」

 老呪術師はそう言ってベッドから降り立つと、ゆっくりとした足取りでフユラの元へ歩み寄り、その手をぎゅっと握りしめた。

「あと何年かしたら、頼まれてやってはくれんか、フユラちゃん」
「え……」
「-----な……何言ってやがる、このクソジジイ!」

 突拍子もないその発言に仰天したガラルドは、慌てて老呪術師をフユラから引き離した。

「あ、あはは……。ガラルド、あたし、外に行っているね。積もる話もあるだろうから、ごゆっくり」

 少し赤くなったフユラは乾いた笑いを立ててそう言うと、老呪術師にぺこりと一礼して、そそくさと部屋から出て行ってしまった。

「……。てめぇは、オレをロリコンにしてぇのかよ」

 育ての親をジロリとにらみながらそう言うと、老呪術師は悪びれる様子もなくこう言ってのけた。

「今は釣り合わんように見えたとしてもな、あと何年かすれば外見的には全くおかしくなくなるぞ。だいたい年齢のことを言うとったら、お前と釣り合うのはババアかその一歩手前になっちまうだろうが。それはどうかと思うがな」

 それは正論だったが、ガラルド的には受け入れかねた。

「いい娘(こ)そうじゃないか。それにな、あの娘は間違いなく美人になるぞ」
「……妙な老婆心出してんじゃねーよ。余計なお世話だ」

 憮然としてそっぽを向く青年を、年老いた呪術師は温かい目で見つめた。

「……お前、しばらく見ない間に穏やかな顔つきになったな」

 思いがけないその言葉に、ガラルドは暗い緋色の瞳を見開いて、目の前の老人に向き直った。

「以前はいつもどこか殺気立っていて、ギラついた雰囲気だったのが……険が取れて、いい表情になった。……あの娘(こ)のおかげじゃないのか」
「……さぁな。そんなん……自分じゃ、分かんねぇよ」
「はは……久し振りに会ったワシだからこそ、分かることかもしれんな」

 戸惑い気味のガラルドに、老呪術師はそう言って笑いかけた。

「本当に久し振りだの……よう帰って来たな、ガラルド」

 穏やかな温かいその言葉は、ガラルド自身も驚くほどに、深く、その胸にしみこんだ。

「……。あぁ……」

 ようやくそれだけを言った彼に、年老いた育ての親が話しかける。

「さっきもチラッと聞いたがな、まだ、あの呪術は解けてはいないんだな」
「……あぁ」
「アヴェリアまでは、まだかかりそうなのかい」
「……あぁ」
「そうか。大変だとは思うが、なるべく早く帰って来いよ」
「……あぁ」

 頷いて、しばし沈黙したガラルドは、ややしてからポツリと呟いた。

「……お前の女を奪ったヤツに、会ったぜ」

 皺(しわ)に埋もれかけた目をわずかに見開いた老人は、少し間を置いてから、こう答えた。

「そういう言い方はよせ。お前の母親だろう。……父親に、会ったのか」
「あんな野獣、父親じゃねぇ。……父親ってのは……血の繋がりとか、そういうモンじゃねぇと、オレは思ってる。遺伝子を受け継いじまってんのは、しょうがねぇから認めるけどな」

 不器用にそう語る、半魔の青年-----今の彼には、精一杯の言葉だった。唐突にその言葉を受け取った育ての親はいっぱいに目を見開いて、血の繋がらない息子を見やった。

 彼にとっては、青天の霹靂(へきれき)だったに違いない。

「……。何か、話はしたのか……?」
「……ちょっとだけな。わりぃな、アイツの横っ面を叩くことすら、オレには出来なかった」

 やるせなさを内に秘めた瞳を逸らして、そう唇を結ぶガラルドを見つめ、老呪術師は破顔した。

「何を言っとる。……お前のその気持ちだけで、ワシには充分だよ。それにしても、魔人(ディーヴァ)にケンカを売ろうなんぞ、以(もっ)ての外(ほか)だぞ。もう絶対にするなよ。命があっただけ、見っけもんじゃい」
「ジジイ……」
「辛気臭い面はよせ。……今日はこのまま、泊まっていくんだろう?」
「……あぁ」

 それを聞いた老呪術師は張り切って、おもむろに鳶色の長衣(ローヴ)の腕をまくり上げた。

「そうかそうか。では、久々に料理の腕を振るうとしようかの。フユラちゃんに好き嫌いはないか?」
「特に、ねぇよ」

 そう答えながら、ガラルドは胸に込み上げてくる様々な想いと密かに戦っていた。



 伝えられないと思っていた想いを、伝えられた。



 二度と会えないだろうと、そう覚悟していた相手に、会うことが出来た。



 胸が一杯になるというのは、こういうことなのか-----。



 寄せては返す波のように押し寄せてくる、そんな思いをかみしめながら……。



*



 夕闇が降り、太陽が地平線に沈む頃-----草原の一角に腰を下ろし、その光景を眺めていたフユラは、ドアが開く気配を感じて、そちらを振り返った。

「ガラルド!」

 戸口から現れた保護者の青年の姿を見て、笑顔で立ち上がり、大きく手を振る。

「見て見て、あの地平線。太陽がもう消えちゃいそうだけど、夜に移り変わる空の色と夕陽の色が相まって、とっても綺麗……。ガラルドの言っていた通り、周りに何(なんに)もないから見晴らしが最っ高だね!」

 絶景に興奮気味の少女はそう言って、両手をいっぱいに広げて、一面に広がる大草原を見渡しながらぐるっと回ってみせた。

「今夜は綺麗な月夜も見れそう! 楽しみだな」

 サァッ、と風が吹いて、フユラのふんわりとした長い銀色の髪と、ガラルドの薄茶の髪をなびかせていく。

 無言で歩み寄った保護者の青年を見上げ、フユラは無邪気な顔で尋ねた。

「おじいちゃんと、たくさんお話出来た?」

 一点の曇りもなく澄み切ったすみれ色の大きな瞳に、溢れんばかりに弾ける笑顔。

 愛らしい顔に昔の面影を残したままのこの少女は、いつの間に、こんなにも大人になっていたのだろう?

 無償の愛と信頼とを真っ直ぐ自分に向けてくるフユラを前に、ガラルドはそんなことを思いながら、ただその瞳を見つめていた。

「ガラルド?」

 そんな彼を不思議そうに見つめ返しながら、フユラがちょっと小首を傾げてみせる。

 宵闇(よいやみ)に佇む保護者の青年の表情は暗くて良く分からなかったが、彼女にはその瞳の奥が揺れているように見えた。

「どうしたの?」

 不思議そうな顔をして、少しだけ小首を傾げて彼を見上げる-----こんな仕草は、昔から変わらない。


 ガラルドは腕を伸ばして、運命を共有する少女をかき抱いた。


 驚いたように息を飲むフユラのふんわりとした髪に頬を埋めるようにして、その細い肢体を、抱きしめる。

「ガラルド……?」

 春風のような、彼女の香り。

 雛鳥(ひなどり)のようだった昔とは違う、しなやかな柔らかさ。

 日ごと、月ごと、傍らで少しずつ成長していくこの少女は、自分の中でその存在を増していく。



 恋愛感情とか、そんなものではなく。

 ただ、無性に。



 大切だ、と思った。



 この少女が、大切だと思った。



 言葉にならない想いを込め、ガラルドはフユラを抱きしめた。

「ガラルド……」

 そんな彼の胸中を察するには、彼女はまだ幼く-----しかし、いつもとは違う保護者の青年の様子に、彼女なりに何かを感じ取ったようだった。

 フユラはガラルドの腰に腕を回し、瞳を閉じて、その胸に静かに頬を預けた。

 明りの灯った小さな平屋の家屋から、夕餉(ゆうげ)の気配が流れてくる。

 草原を包み込むようにして広がった夜空が、満天の星明りを、固く抱き合う二人の頭上に静かに投げかけていた-----。






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