Beside You 2

02


 その日の夕刻-----一行は、どうにか予定通りマウロの町へたどり着くことが出来た。

 マウロはこじんまりとした印象の町だったが、薬草の栽培が盛んで、薬の産地としては有名な町らしい。

 シュリの薬のおかげですっかり元気になったフユラは、自分が寝ている間に、薬師(くすし)の老婆ともう少しだけ一緒にいられることになったという報告をガラルドから受けて、上機嫌になった。

 町の入口近くにある安めの宿に落ち着き、その一階にある食堂で夕食を取りながら、ガラルドはシュリに依頼内容の確認をした。

「“レウラの丘”ってトコへ行くんだったな。仕事を引き受けることになった以上、参考までに、いったい何の用事があってそこまで行くのか聞かせてもらおうか」
「……孫の願いを、叶えてやる為さ」

 薬草サラダを食べ終えたシュリはそう言って、左の手首の、美しい珊瑚(さんご)色の石を組み合わせた、繊細な細工のブレスレットを見やった。

「お孫さんの?」

 そう聞き返すフユラに頷いて、シュリは穏やかな微笑を浮かべた。

「あぁ。このブレスレットを、レウラの丘で待つあの娘(こ)の想い人に届けてやるのが、わたしの役目さ」

 老婆には不釣合いなデザインの、上品で美しいブレスレット-----シュリが何故それを身に着けていたのか、その理由に納得して、ガラルドは確認する口調で尋ねた。

「その孫は、死んだのか」

 フユラがハッ、とガラルドの顔を見やる。

 旅慣れていない様子の、高齢のシュリが孫の代わりに危険な旅路を行く理由-----それは、容易に推察出来た。

「……あぁ。あの娘は、あんなに会いたがっていた想い人に再び会うことが、とうとう叶わなかった。あの娘の最期の言葉と、このブレスレットを……せめてその男(ひと)に、わたしが届けてやりたいんだ」
「シュリさん……」

 切なげな表情になるフユラを見て、シュリは微笑んだ。

「フユラ、元気なうちにたくさん恋をしておきな。こんな強面(こわもて)の保護者が一緒じゃ、ちょっと難しいかもしれないけどね」

 その言葉にガラルドは不機嫌な面持ちになりながら、問い重ねた。

「で、その『想い人』ってのは、今もレウラの丘に住んでんのか」
「住んでいる……という言い方は適当じゃないね。孫の話によると、レウラの丘は、二人の“約束の地”なんだそうだ」
「約束の地?」
「あぁ」

 シュリはコップの水をひと口含んでから、ゆっくりと続けた。

「『黎明(れいめい)の空に月が浮かぶ頃-----彼(か)の地で、君を待つ』……これが、二人の間で交わされた約束だそうだよ」
「はぁ? 何だ、そのあいまいな約束。具体的な日時とか、そういうのは一切ナシかよ」

 形の良い眉を跳ね上げるガラルドに、シュリは溜め息をもって答えた。

「あぁ、困ったことにね。ナシなんだ」
「で、でも-----それで、どうやってその人に会うの? 黎明って確か……夜明けのことでしょ? それだけじゃ……それにその人、いつもレウラの丘にいるワケじゃないんでしょ?」

 困惑顔のフユラに、シュリは微苦笑して頷いた。

「相手の顔も、住んでいる所も分からない-----手掛かりは、その約束の言葉だけ。雲を掴むような話だけどね、それしか分からないんだ。わたしとしては、あの娘の言葉通り、その地に足を運ぶしかないワケさ」
「ずいぶんとムダ足の確率が高い賭けだな……そんなあやふやなモンの為に、高い金払って、命懸けで、ここまで来たのかよ。正気の沙汰じゃねーぞ」
「ガ、ガラルド」

 身も蓋もないガラルドの言い方に、フユラが諫(いさ)めの声を上げる。それを静かに受け止めたシュリは、複雑な思いの滲(にじ)んだ視線をテーブルに落として、ぽつりと呟(つぶや)いた。

「確かに……自分でも、正気の沙汰とは思えないよ。その男(ひと)が今も孫を待ってくれている保障すら、ないのにね……でも-----それだけ、あの娘にとっては大事な約束だったんだ……」

 共に行動するようになってから初めて見せる、寂しそうな横顔だった。

 しかしそれは一瞬だけで、次の瞬間にはいつもの不敵な表情に戻ると、シュリは腹黒い笑みを浮かべてガラルドを見た。

「どれだけムダ足の確率が高かろうが、契約は契約だからね。しっかりついてきてもらうよ!」
「-----ダリぃ……」

 うんざりと溜め息をつきながら、ガラルドは追加で運ばれてきた骨付き肉のローストを若い男の給仕係から受け取った。

「だいたい、レウラの丘ってのがどれくらいの規模なのか知らねーが、そいつが今もあんたの孫を待ってるとして、約束の場所ってのがそのどこを差すのか分かってんのかよ?」

 熱々のそれに早速パクつきながらそう尋ねると、シュリは胸を張ってこう答えた。

「それはぬかりないよ! 孫に何度も確認したからね」
「だったらその時に、相手の容姿やら何やら他のことも確認しとけよ……」
「場所だけは覚えとかないと、ってそこだけに気を取られちゃってね、うっかりしてたねぇ」
「うっかりにもほどがあんだろ……」

 その時、料理を運んできたついでに空いた皿を下げていた給仕係が、遠慮がちに口を挟んできた。

「お客さん達、レウラの丘に用があるんですか?」

 じろりと見上げるガラルドにやや居竦(いすく)んだ様子を見せた彼に、フユラがフォローの笑顔を送る。

「そうですけど、何か?」
「や、実は……」

 ちらりとガラルドの方を気にする素振りを見せながら、給仕係は話し始めた。

「レウラの丘に行く人は、今は、よほどのことがない限りいませんよ」

「どうして?」
「何故だい?」

 思いがけないその言葉に、フユラとシュリの声がハモる。

「……どういうことだ」

 ガラルドが低い声を発すると、線の細い給仕係は怯(おび)えながら先を続けた。

「も、もうだいぶ前の話になりますが、いつの頃からか、レウラの丘へ続く道には深い霧が立ち込めるようになってしまいまして……たどり着くまでの道程は険しいですが、あそこは良質な薬草が採れることで有名な場所でしたから、昔は薬師達が薬草の採取によく行っていたんです。ですが-----その霧が立ち込めるようになってからというもの、誰一人、レウラの丘に足を踏み入れることが出来なくなってしまったんですよ」

 軽く息を飲むシュリの隣で、フユラが不思議そうに問い返した。

「え? 霧のせいで?」
「ええ-----どうやらこれが、普通の霧ではないみたいなんです。無理に足を踏み入れようとすると、どこからか、この世のものとは思えない怖ろしい声が聞こえてくるそうで……。これまでに何度か、腕に覚えのある者達が原因を突き止めようとレウラの丘に向かいましたが、霧の中に足を踏み入れて帰ってきた者は、一人もいません。それ以来、レウラの丘には霧の神が憑いたと噂されるようになり、今は誰も近付かない禁域となってしまっているんです」
「霧の神、か……胡散(うさん)臭い話だな」

 あからさまに鼻を鳴らすガラルドの隣で、フユラが小首を傾げた。

「その、霧の中から聞こえてくる声の主が、レウラの丘を取り巻く霧を発生させている、ってコト?」
「そういう噂にはなっていますが、実のところは分かりません。何せ、その声の主を見たという者がいないので……何にしろ、よほどの用がない限りは、レウラの丘へ行くのはやめておいた方がいいですよ。お客さん達のようにレウラの丘を目指してくる旅の人がたまにいるんですが、そういう人を見かけた場合は、こうやって一応忠告をするのが、この町の人間の慣(なら)わしなんです」
「何かスゴいコトになっているんだね……声の主の正体、確かめてみないとね」

 一礼してテーブルを下がる給仕係に会釈を返しながら、興味深げにそう言うフユラの様子を見て、シュリは浅葱(あさぎ)色の瞳を瞬(またた)かせた。

「おや、まぁ……今の話を聞いて、尻込みしないのかい? わたしとしては、その方がありがたいけど……」
「うん、平気! シュリさんは大丈夫?」
「ふふっ。わたしはもともと、正気の沙汰とは思えないような旅をしてきた人間だからね。覚悟は出来ているよ」

 そう楽しそうに笑って、シュリは正面の席のガラルドを見やった。

「頼んだよ、保護者。何だか色々ありそうだけれど、フユラと二人で、わたしをどうか約束の地へ導いておくれ」
「……まぁ、そういう契約だからな。やるだけのことはやってやるよ」
「大丈夫! あたしは大したことないけど、ガラルドは強いから!」

 グッと親指を立てる連れの少女に、ガラルドは溜め息をついた。

「お前な……オレにだって倒せるヤツと倒せないヤツがいるんだぞ」
「その時は、あたしが微力ながら力になるから! 二人で力を合わせれば、今までみたいにきっと何とかなるよ!」

 実際、今のガラルドに一対一で勝てる者は、そうはいないだろう。

 魔人(ディーヴァ)、と呼ばれる存在を除いては-----……。

「ふふ、頼もしい限りだね。……さて、明日は必要物資の調達か。わたしはそろそろ休ませてもらうよ。フユラ、先に行っているからね」
「あ、うん。お休みなさい、シュリさん」

 同室の老婆を先に見送って、フユラは骨付き肉をたいらげる保護者の青年に向き直った。

「ガラルド、もう一杯ジュース頼んでもいい?」
「あ? ……まぁ、いいけどよ。お前、その……腹は、大丈夫なのかよ」
「え? あ、あぁ、うん……シュリさんの薬、めっちゃくちゃ効いているみたい」

 笑顔で動揺を押し隠しながら、フユラは卓上のメニューを開いた。

「な、何にしよっかなー。ガラルドも何か頼む?」
「そうだな……じゃ、麦酒(ビール)をもう一杯頼むか」
「麦酒ねー」

 今日、自身の身体に訪れた異変と、シュリからもたらされた情報は、フユラに少なからぬ衝撃を与えていた。

 成長するにつれ身体の線が変わり、生理が来て-----こうしてみんな、大人になっていく。

 世の中には、男の人と女の人がいて-----二つの性が交わることによって、新しい生命(いのち)が生まれ、人の歴史は紡がれていく-----。

 世の中には男性と女性がいることを当たり前のように思っていたフユラだったが、二つの性が在ることには意味があるのだということを今日シュリに初めて教えられ、恥ずかしいような、納得がいったような、何とも言えない複雑な気分になった。

 表面上はいつも通りを装いながら、フユラは隣の保護者の青年をチラッと見た。

 いつの頃からか、宿に泊まる時はガラルドとは別々の部屋に泊まるようになった。

 その理由をガラルドは「もう一人で寝れる年だろ」としか言ってくれなかったから、最初の頃は突き放されたような感じがして、何だか寂しくて、不安で、彼のことを意地悪だと思ったりしたこともあったのだけれど、それにはこういう意味も含まれていたのだろうか。

 実際にはガラルドはそこまで深くは考えておらず、フユラがある程度の年齢になり、世間的な観点から部屋を分けるようにしただけで、今回の騒動に至ってはあのような醜態を晒してしまったのだが、彼女にはそこまで思い至らなかった。

 -----もう、どのくらい一緒に寝ていないのかな……。

 今でも時々、あの腕の中で、彼の体温を感じながら眠りたいと思うのは、自分が精神的にまだ子供だからなのだろうか。

「フユラ」
「ひゃっ!?」

 突然ガラルドに名前を呼ばれて、フユラは思わず変な声を出してしまった。

「なっ、何!?」
「……頼んでたモン、来たけど。飲まねーのか?」
「え? あ……」

 いつの間にやら手元に来ていたジュースのグラスを見て、フユラは慌ててストローを手に取った。

「あ、あはは……飲む飲む。ちょっとボーッとしてたみたい」
「……お前、今日はいつにも増しておかしいぞ。それ飲んだら早く寝ろ」

 溜め息混じりのガラルドの言葉に引っかかるものを覚えて、フユラは保護者の青年ににじり寄った。

「『いつにも増しておかしい』ってどういう意味ー?」
「まんまだろ」
「ったくぅー、口が悪いんだから」

 柑橘系の果物の実を絞った、オレンジ色のジュースを味わいながら、隣で麦酒を飲むガラルドを見やり、フユラはふと思ったことを口にした。

「……あと何年かしたらさー、二人でこうしてお酒を飲んでいたり、ってコトもあるのかな?」
「はぁ? お前とか?」

 保護者の青年に心底意外そうな顔をされ、未成年者の少女は頬を膨らませた。

「別におかしくないじゃん。あと三年したら、あたし十六だよ」

 世間では一般的に十六歳に達すると成人と認められ、大人に許される特権も楽しめることになるし、結婚も出来るようになるのだ。

「お前が十六? 想像できねーな……」

 ぽつりと呟いて、ガラルドはまじまじとフユラの顔を見つめた。切れ長の暗い緋色の瞳に正面から見据えられて、フユラの頬がほんのり赤くなる。

「ついこの間、麦酒の泡をなめて『苦い』って目に涙溜めていたヤツだしな。まだ当分はジュースとミルクでいいんじゃねーか?」
「んなっ……そ、そんな昔の話、引っ張り出さないでよっっ」

 麦酒の泡というものは、見た目的には非常に甘くて美味しそうに見える、子供心にクリームのような味のイメージをもたらすモノなのだ。

「昔って言うほど昔の話じゃねーだろ」
「あ、あの頃は子供だったのっっ。十六になったら、多分、麦酒も美味しく感じられるようになっているはずだもん」

 多分、と自分に言い聞かせるフユラを見て、ガラルドが小さく笑った。

「じゃ、万が一、麦酒がウマく感じられるようになっていたら、一緒に酒でも飲むか」

 あ……笑った……。

 普段いかめしい顔をしていることの多い保護者の青年がこんなふうに笑うのは、四六時中行動を共にしている身としても、なかなかお目にかかれない光景だった。

 胸の奥がほんのり温かくなるのを覚えながら、フユラはガラルドに小指を差し出した。

「じゃ、約束だよ、約束!」
「あ? 誰がンな恥ずかしい真似すっか……」
「するの!」
「あ! てめっ……」

 ガラルドの一瞬の隙をつき、強引に指切りをして、フユラは半ば無理矢理に約束を交わした。

 久し振りに触れた保護者の青年の指は、長くて無骨な、力強い大人の男性の指だった。



*



 マウロの大通りには様々な店が軒を連ね、こじんまりとした町ながら、なかなかに活気に満ち溢れている。その中で目に付くのは、薬屋の多さだ。

 五軒に一軒は薬屋という環境と、薬草の産地ということも相まって、各店舗が競合した結果、店頭に並んでいる薬には、余所者(よそもの)が見たらビックリするような安価がつけられている。

 事実、大量に買い付けていく業者のような者や、遠路はるばる薬を求めに来た者達でどの店もそこそこ賑わい、薄利多売でそれなりに潤っているようだ。

 その大通りをシュリと一緒に歩くフユラの側を、町の子供達がはしゃぎながら駆け抜けていく。

 元気一杯のその姿を見送るフユラの表情は、生理痛に苦しんでいた昨日に比べ、だいぶ晴れやかになっていた。痛みはまだ少しあるものの、昨日よりはずいぶん軽くなっていて、今日は薬を飲まなくても大丈夫そうだった。

 痛みはなくとも、生理二日目というと一般的には経血の量が多く、憂鬱になる女性は多いものだが、フユラの足取りは何故か軽い。それは、先程シュリから聞いた話によるものだった。

 今日は朝からガラルドとは別行動で、二手に別れて必要物資の調達に行く、としか聞かされていなかったフユラは、何故別々に行動する必要があるのかと訝(いぶか)しんでいたのだが、その理由をシュリから聞いて納得すると共に、とても嬉しくなった。

 ガラルドは、ちゃんと自分のことを考えてくれていたのだ。

「初めからそう言ってくれればいいのになー、もぉ。そしたらあたしだって、『何で』とか、『どうして』とか、駄々こねるようなコト言わなくて済んだのにさ」

 そうぼやくフユラに、薬屋の軒先を目で追いながら、シュリが返す。

「照れがあって言えないんだろうね。そういうことに関して不器用そうだからねー、お前さんの保護者は」

 それが的を射ていたので、フユラは軽く溜め息をついた。

「そうなんだよねー……。ガラルドって、言葉や態度に感情を出すのがスッゴく下手っていうか苦手っていうか。だから、第一印象とか悪く取られちゃうことが多いんだよねー……。あたし、それ、スゴく悔しいんだ。みんなにそうやってガラルドが誤解されるの……。ホントは、すっごい優しいのに……」

 そう言って唇をとがらせるフユラを見て、シュリは思わず顔をほころばせた。

「フユラは本当に、保護者のことが好きなんだね」
「へへ……うん、大好き!」

 屈託のない笑顔を浮かべて、フユラは澄み切ったすみれ色の瞳を輝かせた。

「シュリさんみたいにガラルドを怖がらない人って、珍しいんだよ。ガラルド、背高いし、無愛想だから、昨日の給仕係の人みたく、みんな雰囲気だけで怖がっちゃってさー。ガラルド的にも、人付き合いを面倒くさいと思ってる部分があって、そういうオーラを醸し出しちゃってるトコがあるから、余計に」
「まぁ確かに、そういう雰囲気はあるね。わたしはあまり気にならなかったけど……」
「だからあたし、嬉しかったんだ」

 フユラは頬を上気させて、同じくらいの身長の老婆を見やった。

「あんなふうに正面きってガラルドにものを言える人って、なかなかいないから。ガラルドも久し振りで、小気味良かったんじゃないかな? 傭兵の仕事、いつもはイヤそうにしてるけど、今回はそんな感じがしないもん」
「そうかい? だとしたら光栄だね……。まぁ、フユラがこんなに懐(なつ)いていることだし、わたしも年の功で、保護者が悪い人間じゃないのは分かるよ。ちょっとクセは強そうだけど、なかなか男前だしね」
「シュリさん、話が分かるねッ」

 シュリの言葉に一人盛り上がったフユラは、ここぞとばかり、堰(せき)を切ったように保護者自慢を始めた。

「ガラルドね、本当にカッコいいんだよ! 剣を振るう姿とか、凛々しくって……強くって。あたしね、ガラルドの声も好きなんだ。低くてよく通る、耳に落ち着く声……。でも、ガラルドってあんな感じだから、必要なコトしか話さなくてさー、自分から話しかけてくれることってあんまりないんだよね。だからあたし、自分からバンバン話しかけるんだ! うるさいって、よく言われるけど」

 はにかみながら素直な思いを述べるフユラを、シュリは少しだけ眩しそうにして、目を細めた。

「フユラは本当に素直で、気持ちがいいね。『月の女神(フユラ)』のような容姿に、『太陽の女神(ハルヒ)』のようなほがらかさ。双子の女神をひとつにしたような娘(こ)だよ」
「や、やだ、シュリさん、何突然っ」

 褒められることに慣れていないフユラは赤くなって、慌てて別の話題を探した。

「え、えーっと、シュリさんは薬師だよね。この町、薬草の栽培が盛んで、薬屋さんもいっぱいあるけど……薬師にとっては、魅力的?」
「あぁ、魅力的だね。ここは珍しい薬も売っているから……時間があれば、各店舗をゆっくり回って見てみたいと思うよ」
「ふーん……ねぇ、聞いてみてもいい? シュリさんはどうして薬師になろうと思ったの?」
「……昔、両親が流行り病にかかってしまってね。わたしの故郷は薬師も呪術師もいない小さな村だったし、貧しかったから、どうしてやることも出来なくて……。まぁ、このご時世、よくある話だけどね。こんな思いは、もうたくさんだと思ったのさ」
「……そうなんだ-----」

 うつむきがちにそう呟いたフユラは、そこであることに思い当たったらしかった。

「……あ。じゃあ、シュリさんのお孫さんってもしかして」
「あぁ……わたしの背中を見て、薬師になろうと思ってくれたらしくてね。この町で、しばらく修行をしていたことがあったんだ。その時に、薬草を摘みに行ったレウラの丘で、例の想い人と出会ったらしくてね」

 シュリはそう言いながら、左手のブレスレットに視線を落とした。孫のことを思い出したからなのか、その顔が穏やかで優しい、何とも言えない美しい彩りを帯びて、フユラは一瞬、老婆の横顔に目を奪われた。

「わたしも聞いていいかい? フユラはどうして、呪術師になろうと思ったんだい?」

 シュリにそう尋ねられて、フユラはハッと我に返った。

「あ、えーと……あたしの場合は、物心ついた頃にはもうガラルドと一緒に旅をしていて、元々呪術の素地(そじ)もあったみたいで、それを教えられていたから、必要に迫られて自然に、っていう感じかな。でも、最近は自分なりに目標も出来て、やる気に拍車がかかっているんだ」
「へぇ? どんな目標なんだい?」

 そう尋ねられたフユラは、少し考える素振りを見せた後、言いにくそうに口を開いた。

「笑わない?」

 軽い調子で尋ねたつもりだったシュリは、その様子に意外そうに目を見開きながら、頷いた。

「笑わないよ」

「あたしね……『空間転移の術』を究めたいんだ。ただの空間転移じゃなくて、あたしオリジナルの」

 空間転移の術は、術者の訪れたことのある地に一瞬で移動することの出来る、超高等呪術である。扱いが非常に難しく、高い魔力と精神力、それを操る高度な技術力が要求され、更にそれに適した素地を持っている者でなければ、習得することが出来ない。その為、現在この術を使える者は、世界にも数えるほどしかいないとされている。

 フユラはそれに更にアレンジを加え、自分独自の術を編み出したいと言っているのだ。

「それはまた……高い目標だねぇ」

 素直に驚くシュリに、フユラは少し赤くなりながら説明した。

「空間転移の術って、術者の訪れたことのある場所にしか行けないでしょ? それって、転移先の地の明確なイメージ化がこの術の要(かなめ)だかららしいんだけど……。あたしは術者が訪れたことのない場所でも、第三者を媒介として行くことの出来る術を創りたいんだ。まぁ、その為にはまず、空間転移の術を習得できないと話にならないんだけど。やっぱ、アヴェリアまで行かないと学べないんだろうな〜」
「それが実現したら、世界が広がるだろうねぇ。今まさに、それにあやかりたいところだよ」
「ホントだね。レウラの丘へ行ったことのある人と一緒に、目的地までひとっ飛び! なんてね」
「ふふ、今回は無理だろうけど、わたしのような年寄りの為にも、なるべく早く実現してほしいものだね。……どこか、行きたい場所でもあるのかい?」
「-----ねぇシュリさん、会いたいって思う人、いる?」

 唐突なその質問に、薬師の老婆は浅葱色の瞳をやや見開いて、澄み切ったすみれ色の瞳の少女を見やった。

「……そりゃあ、ね……叶わなくとも、ひと目会いたいと願う人は、いるよ」

 フユラはそれを、彼女の孫のことだと受け取った。

「あ……ゴメンね、そうだよね……。あたしもさ、物心つく前にお母さん死んじゃって……どんな人だったのか、会ってみたいなぁとは思うけど、それはどうやっても叶わないことだから……。けれど、そうなる前に会える人……今はまだ、会える可能性のある人……会わせてあげたいと、望む人がいるんだ」

 それを聞いたシュリは静かな声で、呪術師の卵の少女にこう尋ねた。

「それは……お前さんじゃなくて、別の誰かの為かい?」
「へへ、内緒っ」

 照れ笑いを浮かべて、フユラはシュリにこう口止めした。

「シュリさん、これ、ガラルドには内緒だからね。そんなこと言おうモンなら、『そういうことは一人前になってから言え』って、絶対あきれられるから。出来るまで秘密にしておいて、完成したら、ビックリさせてやるんだ」
「それは楽しそうだね。保護者のその驚く顔を見てやりたいよ。目標は、実現させる為にあるもんだ。強い意志のもとに人が努力することは、いつか必ず実現出来るっていうよ。実現出来るかどうかは、フユラ、お前さんの努力次第だ……頑張るんだよ」
「……うん。ありがとう」

 微笑んで視線を交わし合ったその時、唐突にシュリが足を止めた。

「……おっとっと。話し込んでいて、あやうく通り過ぎてしまうところだったよ」
「え? あ!」

 シュリが立ち止まったその軒先を見上げたフユラは、思わず小さな声を上げた。

 そこにあったのは、本日最初の目的地である、ランジェリーショップの看板だった。



*



 フユラ達と別行動で一人町に繰り出したガラルドは、食料などの必要物資を買い足しながら、レウラの丘に関する情報を集めていた。

 耳にした情報は、だいたいが食堂の給仕係から聞いたものと似たような内容だったが、より詳しく分かったことは、レウラの丘に行く為には小さな森を通り抜けていかねばならないということ、その森を覆うようにして例の深い霧が立ち込めているということ、そして、この現象はここ数年来の話ではなく、かなり前、何十年も前に遡(さかのぼ)るほど古いもの、ということだった。

 そんなにも以前からの話だと思っていなかったガラルドはそれを聞いて驚いたのだが、言われてみればあの給仕係は、『レウラの丘を尋ねてきた旅人がいたら一応忠告をするのが、この町の人間の慣(なら)わしなんです』というようなことを言っていた。あの時はさして気に留めなかったのだが、町の人間の慣わしになるくらいなのだから、冷静に考えれば相当古くからの事象であって然(しか)るべきだ。

 シュリはかなりの老齢だ。彼女の孫の年齢を考えれば、それくらい昔の話でもおかしくはなかったが、もしもその『想い人』とやらが今もシュリの孫を待ち続けているのだとしたら、その人物は何十年もの間、いつ会えるかも分からない相手を想い続けていることになる。

 身近に似たような人物を知っている立場上、有り得ないとは言い切れないのだろうが、それにしても、かなり確率は低いと言えるだろう。

 それに、レウラの丘へ続く道は前述の霧によって塞がれているのだ。その人物がレウラの丘へ行こうと試みて、たどり着けるものではなさそうだが……。

 元々がかなりあいまいな約束の上に成り立っている今回の依頼だ。孫の願いを果たしたい一心でシュリはその約束にすがりついているが、これはいよいよもって、怪しい雲行きになってきた。

 今回の件をさほど問題視していなかったガラルドだったが、どうやらその考えを修正しなければならないようだった。何十年もの間続いている異変となれば、それだけの力量を持った者の仕業ということになる。

 少し、気を引き締めた方が良さそうだな……。

 マウロの町並みを歩きながらひとつ嘆息したガラルドは、通り沿いにある地図屋の看板に気が付いて足を止めた。

 六年前、ゼルタニアという街でアヴェリアへの地図を求めた時は、距離が離れすぎているせいもあって詳細な地図を扱っておらず、置いてあるものの中で一番アヴェリア寄りだったマウロの地図を購入したのだった。

 そしてようやく、マウロ(ここ)までたどり着いた。

 ガラルドの当初の予定では、もう少し早い段階でマウロにたどり着き、今頃はアヴェリアに到着しているはずだったのだが、セラフィスという魔人(ディーヴァ)がフユラを付け狙っているせいもあって、彼女が今身に着けている護符を用立てるなど、慎重を期して回り道したこともあり、その行程は大幅に遅れていた。

「今度こそ、アヴェリアへの地図が買える、か……」

 そう独りごちて地図屋の入口をくぐったガラルドは、揉み手をした店主に迎えられ、真っ直ぐにカウンターに向かった。

「いらっしゃいませ! どちらまでの地図をお求めですか?」
「アヴェリアへの地図が欲しい。……あるか?」
「アヴェリアですね。はいはい、ございますよ!」

 営業スマイル全開の店主は背後の棚からひとつの地図を取り出すと、それをカウンターの上に広げて見せた。

「こちらでよろしいですか?」

 マウロを南にして、地図の北北東-----そこには、確かにアヴェリアの文字が刻まれている。

 軽く息を飲んでその文字に見入っていたガラルドは、熱心に見つめてくる店主の視線に気が付いて、地図の購入を告げた。

「ありがとうございましたー」

 ワントーン高くなった店主の声に送り出されたガラルドは、早速近くの空き地に腰を下ろすと、買ったばかりの地図を広げた。

 地図の上にある、アヴェリアの文字-----それを見ると、長い旅路にようやく終わりが見えてきたのだということを実感し、微かに心臓の鼓動が跳ね上がるのを感じた。

 順調に行けば、後二年ほどでたどり着くことが出来るだろうか。

 しばらくの間食い入るように地図を眺めた後、様々な思いの入り混じった、何とも言えない溜め息をもらし、ガラルドはアヴェリアへの地図を道具袋にしまいこんだ。その時にふと、これまでの道標(みちしるべ)となってきた古い地図が目に留まり、それを取り出した。

 ゼルタニアで購入した、マウロまでの地図だ。くたびれ果てたその姿は、共に過ごしてきた年月を感じさせる。

 それを見つめるガラルドの瞼に、懐かしい光景がぼんやりと甦った。

 この地図を購入した時、フユラはまだ七才で-----母親の呪術の影響もあり、当時の彼女は年齢よりずいぶんと子供じみていたから、何かあっては取り返しがつかないと、自分はかなり神経を尖らせていたものだ。どこへ行くにも一緒で、人の多いところでは、必ず手を繋いで歩いていた。

 そういえば、この時だったな……。

 無意識のうちに自らの唇に触れ、ガラルドはそっと瞳を伏せた。

 まだ理解力のおぼつかなかったフユラは、ペンダントを買ってもらったことが嬉しくて、よく意味も分からないまま、ガラルドにキスしてきたのだ。

 幼い少女の予想だにしなかったその行動に彼はひどく驚かされたものだったが、あの時の無邪気な彼女の笑顔は、忘れられない。

 もちろん、今のフユラはそれがどういう意味を持つものであるのかを理解している。そして、その時のペンダントは姿形こそ変わってしまったものの、今も彼女にとっては大切な宝物で、肌身離さず身に着けているのだ。

 今となっては、懐かしい思い出だ。

「アヴェリア……か……」

 自分達の旅の終着点-----今まではどこかぼんやりとしていたその目標を明確に認識して、ガラルドは青く晴れ渡った空を見上げたのだった。
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