「ふわぁ〜」
傭兵軍団イクサオン軍団長戸田為政は大きなあくびをしながら目を覚ました。
そして体を起こすと体を覆っていた毛布が音もなくずれ落ちた。
すると為政の脇から妻のうめき声が聞こえてきた。
「う、ううん〜」
そこで為政はそれ以上体を起こすのを止めた。
妻を起こしてしまうと思ったからである。
しかしそれは手遅れであった。
妻が目を開け、そして為政に微笑んだからである。
「おはよう、プリシラ」
「おはよう、貴方」
夫の言葉にプリシラはにっこり微笑んだ。
為政の朝の日課は体の鍛練から始まる。
とは言ってもそれ程たいしたことではない。
ただ単に真剣を使って素振りを500回、そして軽くスィーズランドの町並みを走ってくるぐらいである。
そのおかげで為政の体は今でも20代のように若々しかった。
もっとも為政は男であって女ではないのでそれ程のメリットはとくになかったが。
鍛錬を終えて為政が屋敷の食堂に入るとそこにはすでに老若男女を問わず多くの人間が朝食を摂っていた。
すなわち屋敷で勤めている使用人や私的家来たち、それらの家族や引き取った戦災孤児たちなど。
むろんその中には妻であるプリシラと子供たちも混じっていた。
むろん為政も黙って立ち尽くしている訳ではなかった。
お腹がすいているのは当然なので席に着こうとする。
するとツンツンとズボンを引っ張る手がある。
何事かと思い見下ろすと、そこには長い黒髪の幼女が 為政のズボンに手を掛けているところであったのだ。
「…おはようございます、お父様」
「ああ、おはようメイファ」
為政は娘から挨拶に笑顔で答えた。
ちなみにメイファは実子ではなく十数人いる養子の中の一人である。
ただ為政も、そしてプリシラも実の子供と同じように扱っており、子供たちもみな懐いてくれていたのである。
「メイファはもう朝ご飯は食べたのかい?」
為政の問いかけにメイファは首を縦に振った。
「うん♪ メイファ、もうご飯食べたよ」
「そうか。お父さんはまだなんでね、この手を離してもらえるかな」
「うん♪」
メイファは元気よく頷き、為政のズボンから手を離してくれたのでようやくと朝食にありつけたのであった。
朝食を終えると普段の為政ならば非常に暇であった。
しかし今日は昨日のこともある。
為政は店に向かおうとしていたプリシラを呼び止めた。
「すまない、ちょっと話があるんだがいいか?」
「ええ、良いわよ。ところで話って一体何かしら?」
「重要な話なのでここではちょっとまずい」
「これから店に行くから忙しいのだけれど…まあ良いわ」
為政とプリシラの二人はとりあえず手近にあった部屋へと入り込んだ。
「忙しいので単刀直入に聞くけど話って何かしら?」
「かくかくしかじかこういう訳で…」
為政の言葉にプリシラは眉をつり上げた。
「冗談は良いからさっさと本題に入ってちょうだい!」
「はい…」
プリシラの尻に敷かれっぱなしの為政はさっさと本題にはいることにした。
「今年のドルファンは数年ぶりに豊作という話を聞いているか?」
為政の言葉にプリシラはうなずいた
「ええ、聞いているわ。近年まれに見る大豊作ですってね。でもそれがどうかしたの?」
「それをありったけ買い占めて欲しい」
「買い占めて欲しい……って貴方、本気?」
「本気だ」
「理由聞かせてもらえるわね」
「ああ」
うなずいた為政は二人の他には誰もいないにも関わらず小声でプリシラに囁いた。
「…正気の沙汰とも思えないわね」
為政の説明を受けたプリシラは思わず苦笑した。
それほどプリシラにとって突拍子もない話であったのだ。
「ああ、俺も初めてこの話を聞いたときはそう思った。だが決して損はしない話だと思うんだがどうだ?」
「まあたしかにそうなんだけど…、まあ良いわ。この話はあくまでも予定なのよね?」
「ああそうだ。もし昨日の話を引き受ける、ということになったら実施して欲しいんだが」
「分かったわ。資金の準備だけ整えておいてあげる。…しばらくは節約しないとダメね」
「すまない…」
為政はプリシラの言葉に項垂れた。
するとプリシラは慌てたように手をぱたぱた横に振った。
「別に気にしないでよ、私たちは夫婦なんだから…。
それに今回の件は私だって無関係じゃないんだからね♪」
「そう言ってくれると助かるよ」
為政がそう言うとプリシラは微笑んだ。
「それじゃあこの話はこれでお終い。それじゃあ行って来るわね」
「ああ、行ってらっしゃい」
戦場に仕事がないときはまるでヒモのような生活をしている戸田為政なのであった…。
プリシラを見送った為政は屋敷の一番頂上にある尖塔へと登った。
ここは非常に高く、スィーズランドの街並みを一望することが出来る。
また逆にスィーズランドの何処にいても見ることが出来るのである。
そこで為政はここに信号旗を揚げることで傭兵軍団イクサオンの幹部を召喚することにしていたのだ。
むろん機密がばれると一大事なのでそれぞれ自分が呼び出される旗しか見極められないようにしてあるのは言うまでもない。
というわけで為政は諜報活動を主任務とする二人の指揮官を呼び出す信号旗を掲げたのであった。
そしてそれから数時間後。
為政は対諜報用に特別に作らせた二重壁の会議室で二人の部下と対していた。
「二人ともよく来てくれたな」
為政が軍団長として威厳を持ってそう言うと呼び出された一人、グイズノー・ファルケンは拗ねたように言った。
「まったく昨日の今日だぜ。もう少し休ませてくれよな」
「そうか、それは悪かったな」
為政の言葉にグイズノーはおうおうと頷きながら言った。
「分かっているなら止めてくれ。せっかく女の子をナンパしていたんだからな」
それに対してもう一人は沈着冷静、何とも思っていないように言った。
「…用件は一体何なのかしら?」
「まあそう急かすな。用事があるから呼び出したのだからな」
そして為政は昨日あった依頼について話した。
「今度はドルファンが相手なのか?」
「ああそうだ。もっともまだそうと決めた訳ではないが」
為政はグイズノーの言葉にそう答えた。
するとグイズノーは満面の笑みを浮かべた。
「そいつは楽しみだな。あの腐れ騎士どもをけちょんけちょんに蹴散らせる訳だ」
「そんなに奴らのことを恨んでいるのか?」
「いや、別に何も。ただ騎士団の人間が気に入らなかっただけだ」
「…そろそろ無駄話はいいかしら?」
為政とグイズノーが会話しているともう一人がちょっと焦れたように急かした。
そこで二人は無駄話を止めると本題に戻った。
「ところで俺を召喚したのは何故だ?」
グイズノーの質問に為政は答えた。
「それはだな。まあドルファンの騎士団の戦力とか国情を調べて欲しくてな」
「それくらいなら定期的に報告書を提出しているはずだが?」
「確かに受け取っている。しかしあれは現地の連絡員からの定時報告だけだからな。もっと詳しい情報が欲しいんだ」
為政の言葉にもう一人がボソッと尋ねた。
「…いつまでかしら?」
「一ヶ月以内。ただし細かいことは構わない、必要なのは騎士団の戦力と練度・志気・編成・配属など戦闘力に関してだ」
「わかった、さっそくより詳しい情報を得られるよう手配しよう。しかしうちの隊では得られる情報はたかが知れているぞ」
情報部の責任者であるグイズノーは指揮官にあるまじき暴言を吐いた。
が為政はそれを咎めようとはしなかった。
「だからライズに来て貰ったんだ。」
そう言うと為政は特務隊の指揮官ライズ・ハイマーの顔を見た。
だがその顔はいつものようにポーカーフェイスのまま。
何を考えているのか皆目見当も付かなかった。
だが為政は続けた。
「何せ非合法活動は特務隊の得意技だからな。というわけでライズ、手段は問わない。
とにかく奴らが表沙汰にしたがらないような情報の収集を頼む」
「わかったわ、それで良いのね」
ライズは頷いた。
これで何とか当面の指示は完了した。
しかしまだ先はある、というわけで為政はさらに命令を追加した。
「それとな、緊急ではないが最初の件が終わったら経済状況や政治状況・人間関係等も当たっておいてくれ。
何かと役に立つからな」
為政がそう言うとグイズノーは渋々頷いた。
「…わかった。しかし面倒だな」
「仕方がないだろう。負けない準備というのはそれなりに大変なんだ」
「へいへい、確かにその通りですとも」
グイズノーの言葉に為政は指示する際に読み上げたレポートを机でトントンとまとめながら言った。
「何か質問は?」
するとグイズノーが手を挙げたので為政は尋ねた。
「一体何だ?」
するとグイズノーは涼しい顔で座っているライズを指さしながら言った。
「…一体こいつは何者なんだ?」
グイズノーの言葉に為政は一瞬戸惑ったものの『そう言えばまだ紹介していなかったな〜』と思いだし、とにかく紹介した。
「彼女の名前はライズ・ハイマー。秘密部隊である特務隊の指揮官でな、非正規戦のスペシャリストだ」
為政の説明を聞いたグイズノーは『ああ、成る程』といった表情を浮かべて頷いた。
「最近情報部が報告していないのにやけに詳しい情報があったが、その出所は彼女の部隊が?」
「ああ、そうだ。もっとも他にもいくつか情報収集のルートは存在する。
特務隊はどちらかと言えば非合法活動を得意とするからな。」
「わかった。ところで何で俺に今まで黙ったままでいたんだ?」
グイズノーはちょっとむっとしたような表情を浮かべていたので為政は謝った。
「すまん。ただちょっとした事情があってな。あまり表沙汰にしたくなかったんだ」
「事情というのは?」
グイズノーの問いかけに為政は『どうしよう?』と思い、ライズの顔を見た。
するとライズは頷いたので為政は事情を話すことにした。
「グイズノー、昔お前も彼女に会った事があるんだが見覚え有るか?」
為政の問いかけにグイズノーは首を横に振った。
「いいや、覚えていない。一体いつ会ったんだ?」
そこで為政は昔のことを思い出しつつ言った。
「今から十年前、ドルファン首都城塞でだ」
「 ? ? すまん。やはり覚えていない」
「そうか。もう少し補足すれば分かるだろう」
そう言うと為政は首都城塞攻防戦、すなわちレッドゲートでの出来事を話した。
するとグイズノーはぽんと手を叩いた。
「思い出したよ。そうか、あんたあのヴォルフガリオの娘の……まあよく生きていたもんだな」
まあごく一般的な感想に為政は苦笑いした。
「まあ当然の反応だな。しかもライズは隠密のサリシュアンだったからな」
為政の言葉にグイズノーはあんぐり口を開けた。
「ま、まさかヴァルファ八騎将の?」
「そうだ」
為政の言葉を聞いたグイズノーは呆れた表情を見せた。
「驚いたもんだね、仮にも非正規戦のスペシャリストを釈放だなんて……。
いくら王家の血を引いているからって言っても限度があるだろうにな」
「それじゃあ私、行かせて貰うわ」
とりあえず伝えたいことは全て伝えたところでライズは立ち上がり、そう言った。
そこで為政はライズに声を掛けた。
「あいつに逢って行かなくて良いのか?」
するとライズは頭を大きく横に振って言った。
「今更どういう顔をしてあの子に逢えって言うの」
「仕方がなかったんだ。別に気にしなくても……」
為政はそう言ったがライズは頷かなかった。
「…私はあの子を捨てたのよ。これは間違いない事実。だから私はあの子には逢えない」
そう言い放つとライズは乱暴に扉を開けるとさっさと会議室を後にした。
「おいおい、今のやりとりは一体何なんだ?」
当然の事ながら事情を知らないグイズノーが為政に今のことを尋ねてきた。
そこで為政は考え込んだ。
それは間違いなくライズ個人のプライバシーに関わることであったからである。
だがしばらく考え込んだ後、為政は話すことにした。
なぜならばライズのことを知っているのはほとんどいない、自分の身に何かあった時の事を考えたのだ。
なんせこのことはプリシラと執事のグランフにしか知らせていなかったからである。
「それじゃあこれから話すがオフレコで頼むぞ」
「わかった」
グイズノーが承諾してくれたので為政は話し始めた。
「実はだな、俺はライズ……隠密のサリシュアンと一騎打ちをしたんだ。
あれはドルファンを出る一週間前のことだったな、そして当然のことだが俺が勝ったんだ。
そしてその時ライズは死のうとした。だが俺は止めたんだ『親父さんの遺言に背くのか!』ってな。
グイズノー、お前覚えているか?」
為政の問いかけにグイズノーは頷いた。
「ああ、忘れていたけど今思い出した。たしか『普通の女として生きろ』だったっけか」
「その通り。だからライズはここスィーズランドに戻ってからそのように生きたらしい。
普通に仕事をして、普通に生活して、普通に恋をして、普通に結婚して、普通に出産した。
だがな、そんな生活も長くは続かなかったんだそうだ」
為政の言葉にグイズノーは険しい顔をした。
「…一体どうしたんだ?」
為政は沈痛な面もちになると続けた。
「詳しくは聞いていないが旦那が病気か何かで死んだらしい。それで生活が成り立たなくなったんだそうだ。
なんせ乳飲み子を抱えていたからな、仕事だって見つからなかっただろうし。
それでどうしようもなくなったライズは俺の所を尋ねてきたんだ。自分の腕と経験を買ってくれってな」
「そう言うことか。」
「ああ、そうだ。そしてライズはこう言ったんだ。
『やはり普通の女にはなれない』ってな。そして自分の子供を俺の所に託したんだよ」
「…哀しいもんだな」
「ああ。そしてそれからライズは旧バルファヴァラハリアンの残党を中核にして特務隊を結成した。
そして後は今に続いている」
「それで子供には逢えないというわけか」
「まあそう言うことなんだろう。だがけっしてあの子は母親を恨んだりはしていないんだがな」
「自分が許せないんだろうな」
グイズノーの言葉に為政はああとばかりに大きく頷くと溜息をついたのであった。
あとがき
久しぶりの「Condottiere2〜傭兵軍団奮戦記」をお届けします。
二ヶ月以上明いてしまいましたからね、誠に申し訳有りません。
さて今回の話は思いっきりライズが主役を張っています。
もともと2を考えついたのも1ではライズの出番がイマイチだったな、と思ったのがきっかけ。
もっともその段階ではライズは独身のままだったんですけどね、そのままでは不自然なので未亡人にしてしまいました。
それにライズって何となく不器用そうだったものでこうなりました。
ちなみに親娘関係修復?は予定に入れていませんがもし何か良いアイデアが浮かんだら入れるかも知れませんね。
2001.05.27