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20余りのショップハウスをそのまま現代建築で取り囲むように保存した『ファー・イースト・スクエア(Far East Square)』があります。
かつての建物はレストランやショップなどとして生まれ変わり、シンガポール最古の中国寺院“福徳祠”もミュージアムとして保存されているそうです。 風水に基づいて、パビリオン(土)を中心に、東西南北にウォーターゲート(水)、ファイヤーゲート(火)、メタルゲート(金属)、福徳祠寺(木)をレイアウトしています。 時間も12時半を過ぎ、お腹もすいてきたのでこのあたりでお昼ごはんにすることにしました。 ファー・イースト・スクエアのお隣の『チャイナ・スクエア・セントラル』の中にある“バンケット”というフードコートで食べようと思って行ってみたのですが営業していなかったので、ファー・イースト・スクエアに戻り、『フード・ミュージアム(Food Museum)』というフードコートにやってきました。 レストランはあるものの営業していないお店が多くありました。(営業時間が夜だけとか‥?) このフードコートにも数店のお店がありましたが、営業していたのはここともう1店くらいでした。プラウンミー(Prawn Mee:蝦面)を食べました。エビでだしをとったスープの麺で、S$5でした。 ラクサ・ローミー・バクテーなどもありました。 |
ファー・イースト・スクエア![]() |
メタルゲート![]() |
フード・ミュージアム![]() |
店![]() |
蝦面![]() |
モスクストリート![]() |
食事を終えて、13:15でした。この後は、15:00〜マッサージの予約をしてありますが、それまで1時間半以上あります。
『ジャマエ・モスク』と『スリ・マリアマン寺院』には行こうと思いますがそれでも時間があまってしまいそうです。
少し、歩いてみることにしました。 モスクストリートにはショップハウスが並んでいます。リトルインディアでは2階建てが多かったのですが、この通りは3階建てです。 ショップハウスの1階の店先はアーケードのように屋根があって陽射しに当たらないで歩けるので思ったより暑さを感じずにすみます。 |
チャイナタウンの散策中に『美珍香』を見つけました。
バーベキューポークで有名なお店ですが、ちょっとのぞいてみたら小さいポーションの物があったので買ってしまいました。
今まではもっと一枚が大きいものしかないと思っていたので‥。S$4.5/100gでした、100gだと大体12個位になります。
味は、ちょっと甘めですがおいしいです。お酒のおつまみによく合いそうです。
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バーベキューポーク![]() |
ジャマエ・モスク![]() |
『ジャマエ(チュリア)・モスク(Masjid Jamae(Chulia))』は、ワカフ・モスクのひとつです。
ワカフ・モスクとは個人、或いは委員会が寄進した土地に建立されるもので、イスラム教徒のコミュニティに管理が委託されており、他の目的のために利用することはできません。
1917年、同モスクはシンガポールイスラム教会議(MUIS)の管理下におかれました。 ジャマエ・モスクは早くも1825年には存在していました。これはチャイナタウンに大勢のタミール人イスラム教徒がいたことを示すものです。 現在の煉瓦と漆喰の建物は1830年から1835年の間に完成しました。 ジャマエ・モスクはアンサー・サヒブ氏の指揮の下、インド南東部のコロマンデル海岸を出身とするチュリア・イスラム教徒商人達によって建設されました。 そのため、時に「マスジッド・チュリア」(チュリア・モスク)とも呼ばれます。 主に貿易商や両替商を営む、チュリア・インディアンの多くがクリング・ストリートに定住し、やがて、この通りはチュリア・ストリートと名前を変えました。 海峡植民地総督は1881年11月21日、ジャマエ・モスクに999年間の借地権を与え1894年に、同モスクは裁判所が任命した保管委員会の管理下に置かれました。 同委員会はシンガポールの他のモスクすべてを管理していました。 1974年11月29日にジャマエ・モスクは国の記念物に指定され、同じように国の記念物に指定された4つのモスクの中で最古の建造物と見られています。 またジャマエ・モスクは1981年11月24日、新たに999年間の借地権を認められました。 |
ジャマエ(チュリア)・モスクはヨーロッパの古典主義からインド−サラセン風への移行期にある建築学特徴を示し、建物のデザインは折衷的です。
建築家GDコールマンが命を吹き込んだ、そのデザインはシンプルな新古典主義的要素を持ち、1930年代のシンガポールを呼び起こさせます。 門と敷地は、ラッフルが設計した完全な街路に沿う一方で、建物と塀で囲まれた構内はメッカの方向に向かって斜めに造られています。 このモスクが長方形ではなく正方形になったのは、メッカに向かって祈るというイスラム教の指向性と礼拝方式によるものです。 同モスクには近隣の建物に特徴的な歩道や典型的なストリート・ファザード(街路に面した正面)がありません。 その規模はイスラム教建築に見られる重要かつ理想的な要素をすべて備える完全な寺院であることを示しています。 | 折衷的デザイン![]() |
ガウン![]() |
かなり長いモスクの紹介になりました。サウス・ブリッジ・ロードに面していて、スリ・マリアマン寺院のほぼ隣に位置しているのですが、今まで見落としていました。
今回初めて訪れたのですが、モスクのかたは非常に親切で信者でない私にも快く迎えてくださいました。 そして、上記のことが書いてあるこのモスクの説明書(日本語)やイスラム教についてのパンフレット(英語)などを後で読みなさいと渡してくれました。 モスクの見学時は肌の露出の大きい服はダメなので、もしもノースリーブ、ショートパンツ等で行ってしまったらこの写真のようにガウンというかローブのようなものを借りることができます。 シンガポールではモスク、寺院などは入場料は必要ありません。信者でもない旅行者の私達を拒絶することもせず、受け入れてくれます。 ですから私は『Donation Box』に気持ち程度のお金を入れてくることにしています。 Masjid Jamae(Chulia) 218 South Bridge Road |
『スリ・マリアマン寺院(Sri Mariamman Temple)』は、サウス・ブリッジ・ロードに建つシンガポール最古のヒンドゥー教寺院で国の重要建築物です。
1827年に建てられました。19世紀頃までこのあたりにインド人がたくさん住んでいた名残といわれています。
本尊の女神マリアマンは、南インドの村の守り神だったと言います。 奥の閉まっている扉の中にご本尊の“女神マリアマン”がいるのですが、あいにくこの時間は閉まっていました。やはり、午後のこの時間は避けるべきでした。 午前中、もしくは夕方から夜にかけてのほうが雰囲気があります。以前、夜、通りかかった時に銅鑼の音や真剣に祈る姿に足を止めたことを思い出しました。 ヒンズーの寺院には、神様がいっぱいです。この寺院にも10人以上の神様がいます。 この寺院も入場料は無料ですが、カメラ代がS$3かかります。ビデオはS$5だそうです。 シンガポールに数あるヒンズー教寺院の中でも、このスリ・マリアマン寺院が一番観光客が多く訪れるのでしょう。係りのおじさんも観光客に慣れています‥。 Sri Mariamman Temple 244 South Bridge Road |
クリシュナ![]() |
スリ・マリアマン寺院![]() |
内部![]() |
壁面![]() |
神々![]() |
佛牙寺![]() |
スリ・マリアマン寺院を出て、再びサウス・ブリッジ・ロードを南に進みます。 サゴ・ストリート(Sago Street)とサゴ・レーン(Sago Lane)にはさまれた一角に大きな仏教系の建物が建設中でした。3年前に来た時には既に建設が始まっていました。 かなり大きな建物です、ガイドブックによると『佛牙寺』だそうです。今度来る時には完成しているでしょう、きっと。(でも今度はいつ?) |
サウス・ブリッジ・ロードがネイル・ロード(Neil Road)に変わるあたりで左折して“タンジョン・パガー・ロード(Tanjong Pagar Rd.)に‥。
次の目的地である、蘇先生のマッサージ屋さんはこのタンジョン・パガー・ロードにあるのです。
蘇先生のところの道路の、向かい側に建物があります。“フィフティーズ”というナイトスポットのようです。京劇のお面が飾ってあるのが、いかにもチャイナタウンです。 マッサージは、15:00から90分のコースを受けました。(Body+Foot)あいにく、蘇先生は施術中だったのでお弟子さんでした。ちょっと残念でしたが、翌日も予約をして帰りました。 | フィフティーズ![]() |
死人街![]() |
サウス・ブリッジ・ロードから『サゴ・レーン(Sago Lane)』の入口にこのような案内板が立っています。(このような案内板自体はシンガポールのあちこちにあるので決して珍しいものではありませんが)
“Street of The Death”“死人街”と書いてあります。死の家とは、文字通り、貧しい者が死を迎えるための場所であり、かつてはサゴ・レーンの両側に並んでいました。 シンガポールの中華系移民の多くは貧しく、狭い住居に大人数で暮らしていました。そこでは生活するのに十分なスペースさえなく、一人静かに死ぬ場所など到底ありませんでした。 それに加え、「家中に死人が出ると家中に不幸をもたらす」という迷信が信じられており、死の家が出現することになりました。 死の家には医療設備が最小限しかなく、治療や回復を目的としてくる人はいませんでした。部屋は横になり休める程度の広さしかありませんでしたが、葬儀場が併設されており墓所だけは約束してもらえました。 遺体は中国式の棺桶に安置され、周りには供物としてお金、車、家などこの世の贅沢品を形どった色鮮やかな紙細工が並べられました。 そして、これらの紙細工は故人の遺物と共に燃やされます。この儀式は、死後の世界で富と安らぎが故人を待ち受けていることを象徴しています。 気味悪がられながらも、死の家はチャイナタウンの世界において極めて重要な役割を担っていました。1961年には非合法となり、葬儀備品一式を取り扱う店がとって代わりました。 |
スミス・ストリート(Smith Street)は、チャイナタウン・フード・ストリート(Chinatown Food Street)とも呼ばれています。 2001年、チャイナタウンの活気を取り戻す開発の一環としてこの屋台街が復活しました。約100m位に渡って中華系のお店が並んでいて、夜になったほうがにぎわっています。 | スミス・ストリート![]() |
パゴダ・ストリート![]() |
トレンガヌ・ストリート(Trengganu St.)には、土産物屋やレストランなどが並んでいます。この通りは、観光政策上例外的に認められたみやげ物の路上屋台が多く並んでいます。 パゴダ・ストリート(Pagoda St.)にもみやげ物屋が多く並んでいます。奥は、MRTチャイナタウン駅の入口になっています。 通りの右側には「チャイナタウン・ヘリテージ・センター(Chinatown Heritage Centre)」があります。 今回は入りませんでしたが、ここは2002年7月にチャイナタウンの歴史を紹介する展示館として誕生しました。 かつて中国本土からこの地に移住した華人たちがいかにしてチャイナタウンを形成するに至ったか、またこれまで彼らがどのような生活をしてきたのかなどが凝ったディスプレイで克明に再現されています。 |
チャイナタウンからMRTでブギスまで移動しました。
ブギスでのお目当ては、この“フルショウ・コンプレックス”というビルでの『オーラ占い!』です。
占いの専門店ではなく水晶等を販売するショップなのですが、店の一角でオーラ写真?を撮ることができます。
手のひらを電極のようなものに置いて上半身のポラロイド写真のようなものを撮ります。するとオーラが写っている‥というものです。 写真と英語で書かれた解説(5枚くらい)をもらえます。店員さんが解説もしてくれます。今回は、写真をとるのも待ったほど混んでいたので、説明は断りましたが、以前は説明してもらいました。 ただ、そうすると自分に不足しているものを補うため、弱いところを強化するため、などと水晶をすすめられます。 オーラ占いは、写真・解説つきで、S$5です。 Kang Li Feng Shui & Crystal Centre(康麗風水文物及水晶中心) 149, Rochor Road, Fu Lu Shou Complex, #01-06/07/08/24/25(福禄壽商業中心第一層) |
福禄壽商業中心![]() |
ニュー・ブギス・ストリート![]() |
オーラ占いを終えた後、ニュー・ブギス・ストリートへ行ってみました。日曜日の夕方だったので混んでいること!
特に欲しいものがあるわけではなく、“ちょっと見てみようかな”くらいの気持ちで入ってみました。 クイーン・ストリート(Queen St.)からビクトリア・ストリート(Victoria St.)までのほんの100mほどでしたが、人がいっぱいで歩くのもたいへんでした。 屋根のある屋台街という感じですが、衣料品(Tシャツ等)・時計・みやげもの・食品など所狭しと並んでいました。 香港の女人街みたいでした。あんまりいいものはありません。でも、ひやかしにのぞいてみるのはいいかもしれません。 |
その後、ブギス・ジャンクション(Bugis Junction)地下のコールド・ストレージ(Cold Storage)でシンガのお菓子などを購入しました。
カルフールは安いのですが、店内が広いのと自分が欲しいものがあまり売っていないので、私にはコールド・ストレージのほうが買い易かったです。
日本のスーパーと同じ感覚で(広さ・品揃え等)お買い物できます。 お腹も空いてきたので、フード・ジャンクション(Food Junction)というフードコートの中の『YOSHINOYA』で牛丼を食べました。(牛丼:S$5.4、日本茶:S$1.5) ローカルのかたもたくさん食べていて、店内はほぼ満席でした。久しぶりの日本の味にちょっとホッとしました。 | 牛丼![]() |
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