jun さんのポルトガル旅行記


ポルトガル旅行記 (7/7)


2005年1月6日

ドイツで最初そして最後の夕食

ドイツで最初の夕食だが、最後でもある。そして、この旅最後の楽しみでもある。食べること以外は思考力ゼロ、つまり帽子を被るためにある私の頭は、 ただただ美味しそうなレストランを探すため、残りのエネルギーをいかんなく発揮する。哲学の道からいっしょに下ってきた地元のドイツ人男性によれば、 この界隈はリーズナブルのレストランが多く、味もよいとのこと。でも午後着いたばかりの私にとっては、生死を分ける最大の山場を迎える。 同じ通りを何度も何度も徘徊しては、通りから窓に額を擦り付け、店内の様子や雰囲気、はたまた人の食べている皿の中まで覗き込みながら、やっと1軒のレストランを見つけた。 まるで、小学生が水族館の水槽に張り付き、珍魚を観察するかのように。もっとも私が観察したのは、魚ではなくソーセージであったが。店内はドイツらしく木がふんだんに使われ、 ぬくもりと重厚感が漂う。照明も暗くしているので、シックな感じがさらにいいムードにしてくれていた。

じゃがいもスープと、ソーセージのプレートをオーダーした。ドイツでは定番中の定番であろうが、一度本場を味わってみたかったからだ。 最初に出されたスープだけでも十分な量であったが、外が冷えてきていたことと、やはり疲れている体には濃厚なスープがしみわたった。 今回の旅行中、ほとんど毎食のようにスープをオーダーしていた。不足なりがちな野菜が摂取できるほか、体を芯から温めることができたため、 ハードなスケジュールでありながら万全の体調を維持することもできた。

さきほど食べたソーセージ料理やその付け合せ全てが美味しく、上機嫌でホテルに戻る。 フロントではインターネットを使いたいと申し出してあったため、準備が整えられていた。 ここで念のため、明日のバスの時間も尋ねるが、大学休講中も通常通りの運行であると、的確な返答を頂く。収集した情報がハズレだらけのポルトガルとは違い、何もかもがスムーズで流れるようにことが運ぶ。 洗練されて大変快適であるが、一方で街並みを見ると修復されてしまって、薄汚れたポルトガルから来た私の目には、綺麗すぎて少し退屈にも映った。贅沢なことであろうが。

インターネットは、1日夜シンガポールのsleepyさん宅でアクセスして以来だった。日本語フォントはないため、あみさんのサイトに入ることまではできるが、その先はさっぱり読めない。 たしかこういう操作だったな、と画面の配色をたよりに掲示板までたどりつけた。全てが文字化けしている暗号の世界で、英文で書いてあるのはうれしかった。 前の人の投稿が読めなかったが、かなり適当に場所を決め、ハイデルベルグに来ているというメッセージだけ残して去る。今度はメール。 これもプロバイダーまでは飛べたが、その先は配置や色だけを頼りに受信ボックスを開く。230通余りの未読メールがあるらしいが、悪い夢を見たと思い、すぐフタをしてパス。そして今度は友人に一方的な送信。 これもやはりまるっきり文字化けしている画面での操作だったので、かなり試行錯誤であったが、帰国後の友人たちからの返信によれば、無事送信できていたみたい。 奇跡だっだのかも。とまあ、あたかもサルがキーボードを叩いてあそぶのと変わらない状況のまま1時間経過、再びフロントへ戻る。
ソーセージのプレート

再度の夕食、そしてビール!

親切なドイツ人女性 フロントでさきほどの夕食で美味しかったレストランの報告をしているうちに、またお腹が空いてきて、こちらからの報告が突然質問に変わる。 「2回目の夕食を食べたいんだけど、どこか美味しいお店しらな〜い?」と。お腹を抱えて大笑いされながら教えてもらったところは、ホテルから1〜2分のビア・レストランであった。 表通りは人影も少ないが、ドアを開けてみると、中の活気は想像もつかないほどであった。

学生の町であるここハイデルベルグでは、 低料金の大衆食堂が多いようだ。おおきなテーブルがいくつかあり、それを囲むように大勢の地元学生がひしめきあっている。小さなテーブルはないため、 私も15人くらい座れそうな大きなテーブルの隅に座る。ここは、醸造所直営店であり、世界一アルコール度数の高い33度のビールがある。ギネスブックに載ったこともあると フロント女性に教わっていた。たしかに誰もが美味しそうにビールを飲んでいる。日本では自分からビールをオーダーすることもない私であるが、 このときばかりは、最後の夜ということか、周りの雰囲気に呑まれてか、勢いあやまって、ついつい1杯のグラスビールをオーダーした。

私がメニューに困っていたところ、親切に救助活動してくれた同テーブルのドイツ人女性は、2杯のグラスビールにサラダで、読書に耽っていた。 大勢で騒ぐ学生たち、数人で雑誌を囲む女性たち、気が合う仲間たちと大ジョッキだけをシャワーのように浴びるおじさん達、それぞれが思い思いにハイデルベルグの長い夜を更かしてゆく。 今朝までいたポルトガルとは、一味もふた味も違い、派手さもなければ郷愁もない。しかし、何かしら日本人の感覚にも近い安堵感のあるドイツでの、 私にとっては最後の晩を、心ゆくまで楽しむことができた。

ドイツらしい木のおもちゃ

クリスマスが終わったというのに、窓越しに見た店内は、体じゅうが緑と赤になりそうなくらいの装飾である。 クリスマスマーケットで有名なドイツへは、日本からもわざわざツアーを仕立てるほどの人気ぶりである。 このハイデルベルグにも、クリスマス用品だけを1年じゅう扱うショップが何軒かある。見渡せばクリスマス用品だけではない。ここにも、あそこにも木でできたおもちゃが、お行儀良く並んでいる。 サンタクロースやくるみ割り人形、ロウソクの熱でくるくる回るピラミッド型のツリーなど、メルヘンの絵本からはさみで切り取ったような光景が、薄暮の暗がりに浮かび上がる。 思えば子供の頃、木でできたおもちゃは家のあちこちに転がっていた。素材を変え、今や日本ではその存在さえどこかに忘れ去られてしまったものが、ここドイツでは堂々と並んでいる。 いや、これは、もはやおもちゃではなく、精巧なインテリアとして進化を研ぎ澄ました逸品である。

今日はドイツの休日ともあり、各ショップのドアはクローズされ、通り越しのウインドショッピングしかできなかったのが、良かったのか悪かったのか。 もしお店が開いていれば、ここまであれだけ大騒ぎしながら、命からがら引きずってきた荷物も他人事。前後の見境もなく、思いつきだけでお気に入りを、部屋にカートを取りに帰るくらい、 買い込んだに違いない。そして、ホテルに戻ってから「これ、全部持って帰るの〜〜?さあ、今度こそ、どうする?」と、 牛かウマに背負わせるくらいの荷物と会話していたのはシナリオ通りである。そうは言うものの、勝手なもので、あの愛らしくも懐かしさがあり、ぬくもりの感じられる木のおもちゃを、 部屋に飾ることができなかったのは、何とも心残りであった。「よし、次回はダンボール3箱だー」。こうやって、部屋の中がダンボールでどんどん埋もれていく。
木のおもちゃ(拡大可)

1月7日

ハイデルベルグをあとに

難民? フランクフルトを正午ちょうどのフライトだから、朝は少しゆっくりできるかと思ったが、移動時間や搭乗手続きを含めると、そうでもない。 9:00ちょうどのルフトハンザバスで、フランクフルト・マイン空港第一ターミナルに戻ったときは、10:15であった。既に搭乗手続きは始まっていた。 ビルの壁ほどある巨大な出発便案内のスクリーンで確認するが、1時間45分後の私の便までは表示しきれない。 ともかくSQのカウンターへ行くと、各列に20〜30人くらいの乗客が並んでいたが、またしてもアジア線より長くて太い列。私は一番端の赤い表示(ファーストクラス)のカウンターに案内された。 さすがにこのカウンターでは、周りのスタッフがそこらじゅうから飛び出してきて、私は手を引っ込めたままでよい。 ここでファーストクラスのピンクのタグが付けられ、カバンも恥ずかしがるほどにドレスアップ。

私の前後に並んだ乗客は、仕立ての良さそうなスーツを上手く着こなした、ドイツ人と思しめきビジネスマン。 私の旅行代より遥かに高そうな皮製のボストンに、アタッシュケース、頑丈なスーツケースが2つ。版で押したような、ビジネスクラスの模範的装いである。 荷物の重さは、私も2人に引けは取らないが、こちらはスーパーのゴミ箱で拾ってきたダンボール2箱、壁の一部を引っ掻いてきたような大きなパネル、 そしてそこらに捨ててありそうな繕いだらけのカバン、そのどれもがコワレモノ注意という、とんでもない乗客だった。 さらに装いは、すっかり色褪せたジーンズに冬山登山で着古したジャケット、荷物からして、身なりからしても、疎開先に引っ込んでた難民のような装いだった。

フランクフルトでは自分がカウンターまで出向いたが、シンガポールから乗る場合は、本人はラウンジで待っている間に、ラウンジスタッフが搭乗手続きまで行ってくれる。 bbsでシンガポールのチェックインについてよく質問されたが、実は自分で搭乗手続きをしたことがない。 参考までエコノミーで、この荷物の超過料金を計算してみると、250,000〜300,000円くらいに相当する。これだけ優遇してもらえるので、今さら他社便には乗れない。 今回もシンガポール航空でよかった。

SQ25便でいよいよシンガポールへ

フランクフルトからの帰りは、いつも決まってこの便である。もう1便あるのだが、25便はシンガポールに朝7時に到着する。 このため朝発の大阪ゆきSQ984便(08:25)と東京・成田ゆきSQ12便(09:45)に接続できるので、深夜便を寝過ごす心配もいらない。 シンガポール・チャンギ空港では、深夜便に数回乗り遅れそうになっているので、ファイナルコールで名前を直々に呼ばれないための、ささやかな防御法でもある。 ニューヨークから大西洋を渡ってくるこの便は、大抵若干の遅れがあるが、今回は定刻ピッタリ12:00に飛び立った。 この時点で、到着地のシンガポール時間に合わせて、時計の針を7時間進める。もう夜7時である。これからずっと飛び続け、12時間後の明朝7時にシンガポールに着き、私の旅は終わる。

1回目の機内食は、飛び立って間もなく提供された。シンガポール時間にあわせているのだろうか、夕ご飯らしい。ということは、今日の昼ごはんは抜き? 1日2食ではワン公の餌じゃないぞー。昨日はパソコンをいたずらしたサル、そして一夜明ければ、今度は貧相な野良イヌである。 「犬猿の仲というが、じゃあ誰と誰の仲が悪いんじゃ?」と往路の時差ボケ?!がまだ治っていない。

行きの26便は、シンガポールを深夜に立ち、14時間の長い夜が飛んでいる間じゅうずっと続き、フランクフルトに着いてもまだ数時間は夜が明けなかった。この25便は、全くその逆である。 正午に飛び立ち、飛んでいる間じゅう、ほとんどずっと明るい空を飛び続け、ほんの僅かな短い夜を迎えてすぐ朝が来ることになる。 7時間も8時間も時差があるというのは、いつものことながら可笑しいことである。 飛び始めて3時間、シンガポール時間にして夜の10時というころ、おやすみサインなのだろうか、一斉にキャビンの照明が落とされた。地図で確認するとカスピ海からイラン上空まで来ている。 次ぎの画面で、私の残り時間も、リアルタイムで表示される。あと7時間58分で終わりかぁ。 暗闇のキャビンでブラインドに手を伸ばし、外を見ようとすると、眩しいばかり明かりが一直線に漏れ、ライン上の乗客全員が脚光を浴びる。さすがにこれは失礼なので一瞬で終わる。 それにしても、外はキャビンと対照的なくらい明るい。今までドイツにいたのだから、フランクフルト時間にして午後3時じゃ、まだ目はパッチリ。

食べるものも食べ、仕方なく、私も寝る体勢に入る。シートリクライニングを倒すと、足まで伸ばすことができた。隣の人も、通路の向こうも気にならない。 快適にぐっすり眠ることが数時間できたであろうか。心地よい眠りから醒めたときは、もう既にインドを越え、ベンガル湾にかかっていた。そしてまたもや次ぎの画面でリアル表示。 あと3時間15分だそうだ。キャビンはまだ消灯したままである。ちょっと乾燥してきたため、通りかかったクルーに水を貰おうと要求したところ、どうやら私が呼び止めたのは、 たまたまトイレへ行くために立った、身なりのいいドイツ人ビジネスマンのようだった。暗いので仕方がない。眠いので仕方がない。時差ボケなので仕方がない。 今度はバティックを着たクルーに頼み、やっと一杯の水を頂いた。
シンガポール航空機

ドリアンをむき出し状態で 3回目の機内食がきれいに片付けられた頃には、表示される地図のエリアもぐっと拡大され、なんとKL上空であった。 さらに今から数分後に除々に高度を下げ始め、着陸体制に入るとのアナウンスが入る。あと30分を切った。 クルーがシンガポールのEDカードを忙しそうに配りに来るのを見ると、いよいよ夢から醒め、現実が近くなったことを感じてしまう。パースからの帰りもそうだった。 ケープタウンの帰りも、ロンドンやアムステルダムからの帰りも同様だった。もっとも私の場合は、乗ってすぐに、EDカードはギャレー横のポケットから勝手に引っ張り出してくるが。 そして機内では見飽きるほど、次ぎの画面が先に言えるくらい見てきたシンガポールの観光案内のビデオも終わり、最終の着陸態勢に入る。

シンガポールでの乗り換えでは、今まで何度も友人が出迎えてくれている。往路もsleepyさん&元気印のREYちゃんたちに、10月はマレー人の友人とそのお母さんに、その前は、 シンガポール人ファミリーに出迎えをしてもらっていた。しかも友人クルーには、ロンドン便のゲートまで見送ってもらったり。そして、この復路も私を待っていてくれる友人がいたのは、 何ともうれしいことであった。彼女(あっきーさん)は、今まで44カ国を渡航したという、知識・経験・判断力、どれをとってもベテラン中のベテランである。 日本ではほとんど情報のないアイスランドへ行く際も、豊富な情報を頂いていた。埼玉県に実家がある彼女は、シンガポール人の結婚式に参列するため、成田からのノースウェスト(NW)でシンガポールに着き、 このフランクフルト便の到着ゲートで待っていてくれることになっていた。 NWが着いてから深夜6時間近くも、ターミナルで寝そべって待っていてくれたに違いない。 博識でもある彼女が調べてくれた情報によると、ドリアンなどのフルーツは、日本に持ち込みが可能らしい。

さて搭乗機は、定刻よりも30分早く、まだ夜も明けぬ1月8日午前6時21分、見慣れた機体がずらりと肩を並べるシンガポール・チャンギ空港に滑り込む。 晴れて、ゲートであっきーさんとの異国での再会を果たす。ちなみに、今年の目標は、『SQの機内に持ちきれないほどのドリアンをむき出し状態で持ち込むこと』と年賀状に豪語していた、 あっきーさんの両手には、まだドリアンが突き刺さっていなかった。帰りのフライトでは、周りの乗客に見せびらかしながら、当たり前のように機内でドリアンに皮ごと食いつく。 そんな手に取るように分かる彼女の自然な姿を想像しながら、私の旅は静かに幕を閉じた。

旅程

1日 名古屋09:50---シンガポール15:55 (SQ981便)
    シンガポール23:55----フランクフルト06:05+1(SQ26便)
2日 フランクフルト09:35-----リスボン11:30 (LH4530便)
    リスボン・セントリオス13:45----エヴォラ15:30 (RE社 バス) エヴォラ泊
3日 エヴォラ10:15----リスボン・セントリオス12:00 (RE社 バス) リスボン泊
4〜5日 リスボン泊
6日 リスボン07:10------フランクフルト11:05 (LH4537便)
    フランクフルト12:00-----ハイデルベルグ13:15 (LH6876便 バス) ハイデルベルグ泊
7日 ハイデルベルグ09:00-----フランクフルト10:15 (LH6875便 バス)
    フランクフルト12:00----シンガポール06:50+1 (SQ25便)
8日 シンガポール08:25-------大阪・関西空港15:25 (SQ984便)

SQ:シンガポール航空  LH:ルフトハンザ・ドイツ航空

長らくお読み下さり、ありがとうございました。またこの旅の計画段階でサポートしてくださった多くの皆々様、現地で温かく歓迎下さった方々、厚く御礼申し上げます。 今回は、私と同時期に旅行を計画され、様々な都合で延期をなさった皆様もいらっしゃられました。 少しでも早く、今の状態より良い方向に向かわれますことを期待していますと共に、この次の皆様のご旅行が、より一層素晴らしいものになられますことを、心からお祈り申し上げます。


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