jun さんのポルトガル旅行記


ポルトガル旅行記


2005年1月6日

いよいよリスボンを立つ

5日前にシンガポールを飛び立ち、全てを英語で通してきた。そして、情報を得るたびに連発したのは、「Oh, my god !!」。 旅も終盤に近づくと、情報への期待度も下がり、そのタイミングも素早くなる。それはともかく、この旅行中、会話らしい会話がなかった。 それだけに、昨日アズレージョのショップでの語らいは楽しいものでもあり、オーナーのもてなしは、心温まるものとなった。 その昨夜の感動がまだ収まらないせいか、誰かと話たくって仕方ない。 ホテルからリスボン空港へ向かうタクシーの中でしきりに話そうとする。

私:「この時間、空港までどれくらいかかる?」
ドライバー:「ちょっと分からないなあ。でもリスボンの人口は○○万人くらいだよ」
私:「はあ???」

そんなことはどうでもいい、、もう一度気を取り直して

私:「ポルトガルを旅行するならいつの季節が一番いい?」
ドライバー:「ちょっと分かんないなー。でも私の娘はポルトの大学に行ってるんだよ!」
私:「?????」(心の中でoh, my god と叫んでいる。)

こういうトンチンカンな会話をしながら、間もなく空港に着いた。
夜のホテル・ムンディアル

敵は5人に味方ゼロ

搭乗後、機内から見た朝焼け さて飛行機に預ける受託荷物の重さは、エコノミーで通常20kg、ビジネスクラスで30kg、ファーストクラスで40kgという制限がある。 (航空会社によっても違うが)今回南欧の旅を、わざわざ南回りで飛んできた理由は、受託荷物の許容のためでもあった。 前述した通りシンガポール航空のPPS会員なので、規定ではファーストクラスと同様であるが、その超過分についても今のところ目を瞑ってくれている。 つまり、実質無制限に近い。私の最高は54kgくらいまでであるが、欧州〜豪州を大移動するPPS会員は、本体の重さもさることながら、受託荷物は、家ごと飛行機に積むのかというくらい、 桁外れの重量である。コワレモノであろうと、特別カウンターで特別扱いしてくれる。これは今回非常に有難かった。

が、問題は、ばかでかいパネルを機内持ち込みにしたことだった。大きさを確認したうえで、ルフトハンザのカウンターではOKが出たが、搭乗口の荷物検査で大きすぎてX線に通らない。 立てても寝かしても、斜めにしても、どうやっても通らないが、検査官は検査する義務があると譲らない。 こちらも出発時間が迫っているので、昨夕1時間もかけた梱包をこんなところで開けられては、たまったもんじゃない。 「オマエの国のモノを買って、国外に持ち出すことのどこが悪いんだ〜〜」と啖呵をきり、周りの注目を浴びるほどボリュームアップ、さらに体温まで20℃くらいヒートアップしている。 最後は責任者まで呼び出し、敵は5人に味方ゼロ。結局15分に渡り、エネルギーを余計な戦闘に注いだ甲斐もあり、頑丈に梱包してあるほんの一部だけが見られればいいということになった。 かろうじて指が入るだけの穴を開け、手触りだけで中身がタイルであることを確認、無罪放免となる。

が、出発時間まで10分もない。ギリギリには慣れているとは言え、持ちにくい、しかもコワレモノ、さらに並外れた重量のパネルを引きずってゲートへ爆走するのは、 人生で一度きりでよいと思った。ここでの記録は更新したくないので、敢えて詳しいデータは残さないが、新春・障害物競走愛知県大会でなら、チャンピオンは間違えないと確信した。 数々の輝かしい記録を塗り替えている私も、新記録は欲しくない。明日はフランクフルトから大阪まで、このパネルも受託荷物として流すことにした。

フランクフルトからハイデルベルグへ

定刻通りにフランクフルトに到着した。ハイデルベルグへ向かう手段としては、鉄道とバスがある。当初鉄道の予定をしていたが、リスボンからコワレモノで荷物を流したため、 別のコンベアーから荷物を受け取ることになり、予想以上に時間がかかった。鉄道なら11:54発、バスなら12:00で、ハイデルベルグに着く時間は15分ほど鉄道の方が早いが、 バスは旧市街地中心部まで乗り込むため、到着時間にも大差なかった。結局のところ、リスボンからの荷物が大きくなり、乗り換えや階段など縦の移動が多い鉄道よりも、 到着ロビーの目の前から出発するバスの方が楽だ、という結論に至り、ルフトハンザのエアポートバスでハイデルベルグまで直行することにする。

この間、でかい荷物をなんとかフランクフルト・マイン空港に放置できないものか考えていた。真っ先に思いついたのがSQのチェックインカウンターで、 荷物だけアーリーチェックインをしてしまおうと考えた。出発ホールまで上がってみたが、SQのゲートは閉まっていた。それもそのはず、明日乗る予定のちょうど24時間前なのだ。 1日前の便の搭乗案内をしている時間帯であった。今度は、荷物預かりへ行ってみた。かなり遠い場所にあった。このとき、既に11:40をまわっていたが、長い行列が出来ている。 1人1人になにやら時間がかかっている様子だった。これだけ長蛇の列、自分の番が回ってきても、そこで足止め食らえば、バスにおいていかれる。

このまま荷物ごとバスに乗っかってしまえーって諦めがつき、その勢いで今度はバス乗り場にカートごと乗り付ける。ちょうどルフトハンザのバスが入って着たところだった。 地階から長〜い出発ホール、そしてその逆コースを、騒々しく暴走していた東洋人は、ドイツ人からはかなり異色に見えたかもしれない。 さらに大きな荷物を引きずりながら、しかも荷物はダンボール箱。すれ違う人が振り返るほど、リュックサックの七夕飾りも激しく揺れる。 せっかくだから、このままカートごとバスのトランクに突っ込みたかったのだが、運転手が手伝ってくれたこともあり、これは次回の楽しみにとっておく。 大学の休講期間とも重なり、バスは空いていた。大きな荷物も下のトランクにスッポリ収納でき、ひとまず安心。 あとはバスからタクシーに乗ってホテルに向かえば、帰りも同じことをすればいいだけだ。

時間に正確なドイツらしく、時計が12:00ピッタリに変わったと同時にバスはゆっくり動き出した。 空港内の緩やかなカーブを回りきると、すぐ高速道路に繋がっていた。今朝までいたポルトガルとは景色が違う。何よりも空の色が違っていたことが大きい。 そういえば数日前フランクフルトに降り立ったときも、今日のような雲が立ち込めていた。一層雪が積もれば美しいだろうに。今朝は4時半に起床したため、眠いのも無理はない。 取り立てて景色を眺めることもなく、1時すぎにハイデルベルグの中心街に到着した。心配していたタクシーもバス乗り場の横がスタンドになっていて、既に数台が待機していた。
バスのチケットと時刻表

ルフトハンザ・ドイツ航空 ここで、今後フランクフルト乗り継ぎでヨーロッパをご旅行される方のために補足をしたい。 フランクフルト・マイン空港はターミナル1と2から構成される。ルフトハンザ・ドイツ航空、シンガポール航空、タイ国際航空や全日空などスターアライアンス提携航空会社は ターミナル1から、日本航空などはターミナル2から発着する。私の場合は、シンガポール航空⇔ルフトハンザ・ドイツ航空なので、ターミナルの移動はなく、この場合のMCは45分である。 (注:MCとは、ミニマム・コネクティングの略、空港や航空会社、ターミナルによっても設定時間は異なるため、航空会社への問い合わせが必要)

しかし、航空会社が変わるため、行き先別のトランジェットカウンターで搭乗手続きをしなくてはならない。ここが気が遠くなるような長い列である。 フランクフルトからアジアへ帰る便、私の場合はシンガポール航空のカウンターであるが、このトランジェットカウンターが混むことは少ないようだが、問題はその逆である。 東南アジアからの大型機長距離便が集中して到着する早朝の、ヨーロッパ各地への乗り継ぎ便カウンターは、冬物バーゲン売り場のようである。 ここを通過しなければ、飛行機には乗れない。私はビジネスクラス・ファーストクラス専用カウンターで手続きしたが、それでも45分だとしたら、かなり危険だった。 ルフトハンザ同士の場合は別として、それ以外の乗り継ぎの往路は、時間に余裕を持って頂くことをぜひともお勧めしたい。

ホテル・ホレンダー・ホーフ

ドイツで最初の宿であり、この旅行の最後の宿でもあるハイデルベルグのホテルは、日本で念入りに選んできた。 外観は、淡いパステルカラーを基調とした、ドイツらしい重厚な作りである。内装は、木をふんだんに使い、落ち着いたクラシカルな雰囲気でコーディネイト。 アルテ橋の目の前に位置し、ネッカー川とアルテ川が一望できる絶景であり、旧市街地の中心地マルクト広場へも徒歩2分の距離である。 冬だからか特別料金なのかもしれないが、これだけ揃って69ユーロというのは、ハイデルベルグの中でも破格値だった。

さらに朝食が美味しいと評判があり、パンだけでも十数種類、ソーセージ、ハム、チーズもそれぞれ取りきれないほど種類が多く、篭盛のフルーツ、デザート各種、 ホットドリンクにフレッシュジュース、ポルトガルでは十分摂れなかった生野菜も見事なくらい盛り付けられていた。 朝はバスの時間が迫っていたので、ゆっくり食べ切れなかったが、もしもう1時間出発が遅ければ、ビュッフェの大皿が並んでいる中央の大きなテーブルに、椅子だけ持って移動して、 そこでこしかけ、片っ端から皿まで食べつくしていたことだろう。ネッカー川に面したこのホテル、ホレンダーホーフは、何をとっても期待以上のものだった。 さらにホテルのスタッフの対応が素晴らしく、部屋も隅々まで掃除が行き届き、ピカピカで清潔である。 これからフランクフルト乗り換え時は、常宿にしてもいいと思うくらい、素晴らしいホテルだった。

もとはと言えば、この1日はフランクフルトで7日の25便に乗り継ぐために調整した行程だった。当初の予約では、この日もリスボンに滞在して、7日朝ポルトガルを立つ計画をたてていた。 結果的には、吹雪に見舞われず、飛行機の遅れもなく、そのスケジュールでも間に合ったのであるが、冬のヨーロッパは初めてということもあり、 MC45分ギリギリの乗り継ぎよりも1日早くポルトガルを引き上げ、その分ドイツで1泊するプランに変更した。そのため早朝移動してきたのである。

フランクフルトで寝るだけならば、夕方の飛行機で移動する手段もあったが、寝るだけではつまらないし、フランクフルトじゃ面白くない、とだんだん欲張りになり、 寝ぼけたままリスボンのホテルをチェックアウトしたわけである。いってみれば、おまけのような旅である。
ホテル・ホレンダー・ホーフ

ハイデルベルグ城

夜のハイデルベルグ城(拡大可) なので、ここでトラブルがあったとしても致し方ない。天気が悪くても文句はない。外に出られないくらい寒いと聞いていたが、では一体どれくらい寒いものか、そんな体験だけでもよいと思っていた。 ポルトガルでは持ちきれないほどの買い物をして、見たいものも見ることができ、食べたいものも食べ、十分楽しんできた後だったので、特に望むものはなかった。 ところが、雨は降っていないし、外に出たが防寒具を着ていれば、それほど寒くもない。 まず橋を渡って、小高い斜面からお城と街並みを眺めることにした。ヨーロッパの町並みには見飽きてしまっていたので、格別目を引く建築物は見当たらなかったし、空からは灰色の雲が垂れ下がっている。川も取り立てて綺麗な色とは言えない。ハイデルベルグ城も、古めかしく、崩壊している。 さらに手前の斜面は、枯れ木に覆われ、景観がよくない。ここでは満足のいく景色ではなかった。もちろん季節を変えれば、素晴らしい眺めなのであろうけれど。 しかし、何ヶ月もここで待つわけにはいかない。

そ のとき突然、ライトアップしたお城がイメージできた。「そうだ、夜景だ。 しかもまだ空の色が青く残る時間を狙えばきっと美しい風景に違いない。」とまだ見たこともない夜景に想像だけで思いを膨らませ、ここでは早々に撤退する。 が、夜暗くなってから歩くことを想定して、道を念入りにチェックしながら急坂を下りた。 ドイツでは初めての夕方を迎える。一体何時ころ暗くなるのか、想像できないが、今朝までいたポルトガルよりは早く暗くなるだろうと勝手に推測する。 大体の時間を目測できたので、その時間を目標に、行動を開始。聖霊教会まで来ても、町なかは活気がない。今日はドイツの休日という。すべてのお店は閉まっているそうだ。 まして学生の町、ここハイデルベルグは休暇期間でもあるため、普段は活気があるだろうと想像できそうなマルクト広場も、火が消えたみたいに静まり返っている。 別に活気を求めて来たわけではないので、静かな普段着のドイツを経験でしたので、これはこれでよかった。

それよりいい加減お腹が空いてきた。オープンカフェ1つ開いていないが、どうやら何かをくわえながら歩いてくる人がいることに気がついた。 その人たちがやって来た方向に歩いて行ったら、引き売りのパンケーキ屋を見つけた。「これだぁー」と一目散に駆けつけ、特製ランチをオーダーする。 焼き上げるのを待つこと3分、やがてチーズとマッシュルームとトマトをのせたパンケーキは、温かいコーヒーと共に渡された。 だれもいない広場の冷たい石段に腰を下ろし、遅めのランチを食いついたのは、3時近かった。もう1枚とも思ったが、ここで食べては、最後の夕食に被害が被ると計算高く、ぐっと堪える。 単に食い意地が張っているだけであろうが。 それにしても今朝は、リスボン空港のラウンジで軽食、ルフトハンザでは、食べたか食べてないか分からないような機内食と続き、昨晩以来美味しいものに縁がなかっただけに、特製パンケーキの味は格別だった。

フルコースのランチを優雅に食べたところで、今度はハイデルベルグ城へ出発だ。 徒歩で登る方法と、ケーブルで上がる手段があるが、もちろん前者を選んだ。時間がなければ仕方がないが、ここまで来て急ぐ旅ではない。 ならば石畳を登って行ったほうが面白いだろうし、趣もある。と勝手に想像して歩き始めたが、たしかにその通りだった。旅の最中は、基本的に歩くことを苦痛と思わなかった。 自分のペースで一歩一歩進めるというのは、止まりたいところで休めれるし、振り返りたいところで後方の景色を眺めることだってできる。まあ健康でないと旅はできないものであるが。 ブラブラと周りの景色や大きな屋敷を眺めながら、特に疲れることもなく、ハイデルベルグ城に上がった。

実は数ヶ月前に、両親がここを訪れている。その写真のせいか、吹きさらしに立つ朽ち果てた過去の忘れ物としかイメージしていなかったが、やはり間近で見ると歴史を感じることができる。 しかし、冬という季節のせいであるからだろうか、一葉残らずすっかり散り果てた木々の向こうに見えるレンガ色のお城は、低い灰色の雲も手伝い、 どことなく孤独感ともの寂しさを感じずにはいられなかった。昨日までの薄汚れたポルトガルの郷愁とは違う哀愁であろうか。
ハイデルベルグの特製ランチ


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