jun のポルトガル旅行記


ポルトガル旅行記 (3/7)


2005年1月3日

トラム、ケーブル、庶民の足

3日券を買ったので、乗り間違えても大丈夫。「まあいいっか、お金かかんないし。」と、訳もなく気が大きくなり、ホテル近くの広場前から行くあてもなく、トラムに乗る。 行くあてもないなら、わざわざ動きかけたトラムを止めるまでして、無理やり乗るほどのことでもなかったが、「まあいいっか、最初だし」。

このトラムがステイ先のホテルの目の前で止まるのも、最終日まで気がつかなかった。言い訳その1として、時差ボケが帰りのシンガポールへ戻る飛行機まで治らなかったこと。 (おい、ホントに時差ボケかぁ?)その2として、トラム乗車中、広い通りや大きな建物には感心がなく、軌道ギリギリいっぱいにひしめきあっている軒先や、 細い路地でネコが食べている餌などに全神経集中していた。とまあ、こんな感じで12番のトラムでかなりいい加減に旧市街地を1周してきた。 途中乗り降りの多い停留所があり、自分の意思に沿うことなく、はじきとばされるように下車。 軌道の前には展望台があり、旧市街地とテージョ川が見下ろせるビューポイントには違いなかった。 それにしても、下車した人は皆山側に方に歩くけれど、教会でもあるのかな?と思ったくらいで、とくに見上げることもなく次のトラムで元の広場に戻る。
コメルシオ広場のトラム

庶民の足、ケーブル さて、リスボンの地理を知るには丘に上がるのが一番と思い、今度は次々にケーブルを目掛け丘に足を運ぶ。 ケーブルといっても、観光客用ではなく、庶民の足となっているものだ。場所によっては10分も15分も動かないケーブルもあり、その度にケーブルの軌道上(かなりの急勾配)を駆け上がる。 それこそ、高いところという高いところには、ほとんど自分の足を使ってよじ登ってきた。「バカとけむりは高いところが・・・」と言うが、それなら煙になりきって上へ上へと這い上がる。 まあこの旅自体が風まかせのような放浪なので、煙という表現はまんざら大外れではない。 気に入った場所には、時を忘れるほど停滞するし。ともあれ、まだまだ土地勘がつかめない。

さらに街へ戻り、バイシャ地区にある展望台にも上がる。ここの展望台へは、木製のエレベーターがアクセスしている。 私の前に並んでいた団体は、どの人も例外なく自国イタリアで起きている時間の半分以上は食事に費やしていると、体じゅうに書いてある。 (わぁーこわ、今度はSQローマ線も要注意だ)人数制限のエレベーターは、そんな形をしていても8人収容してしまう。一方若い細身の女性たちでも9人目には拒まれる。 どう見ても納得いかないが、この国のルールなら仕方がないであろう。ともかく、私の前でワイヤーが切れなくてよかったよかった。 ようやく自分のホテルと、町の位置関係、そしてサンジョルジェ城の真下であることも分かったが、どうやら裏側から上がるルートがあることに気がついた。

思えば、数時間前12番のトラムで途中下車した停留所は、紛れもなくサンジョルジェ城の真下だった。なるほど、たしかに観光客が多かった。あの場所だけお土産物屋が並んでいた。 そして山側はたしかに見なかった。もう陽は大分傾いている。大急ぎでさっきの広場まで戻る。さきほど動き出したトラムに乗ったので、実を言うと正しい乗り場は知らなかった。 ただ知っていたのは12番であり、広場が起点となっていることだけ。やっと戻った広場で、28番、15番、またまた28番、やっと探し当てた12番。

「おーこれだ、これだ!」と言わんばかりの勢いで今度は止まっている12番のトラムに突撃するが、おかしい。ドアが開かない!押しても引いても、ゆさぶっても開くはずがなかった。 まだ停留所に着く前に待機していた時間待ちのトラムに乗ろうとしていたのだった。さっきは動き出したやつ、今度は列車で言えば車庫に入っているものに乗ろうというのだから。。。 ついでにトラムの運転者は数時間前にムリヤリ乗せてもらったときと同じ人で、「またオマエか?」というような顔をされたが、こっちは一向に気にならなかった。
サンジョルジェ城を望む

サンジョルジェ城での夕焼け

暮色のフィゲイラ広場 さて再び同じ停留所で下車、今度は山側に向いて歩き出す。標識はないが、お城は高いところにあるから上がれば分かると、楽観的に思い、間もなく城壁に出た。やはり高いところにあった。 「やったぁー!」 ならば、数時間前に山側を眺めろ!と突っ込まれそうだが、同行者がいるわけでもないので、これも旅の醍醐味である?!  こうして自分は効率良く回っているつもりでも、はたから見れば力いっぱいのマヌケさぶりを絵に描いたような旅行が続く。 お城は日本での情報は無料とあったが、どうやらお金がいるらしい。そんなことはどうでもいいが、どこでチケットを買うのか分からない。 ゲートに窓口もなければ、券売機もない。ついでに、初日に間違えそうになったテレフォンカードの自販機もなく安心?! 仕方なく門番に聞いたところ、この坂を下った売店で売っているという。 坂の下?と思いながら、チケットを買ってようやく中に入れてもらう。

入口は樹木で覆われ視界が利かないが、前方の空が茜色に染まっているのは、木々を通してもはっきり見えた。 そこから小走りに100Mくらい行った先で、急に視界が開けた。眼下には最初にトラムを止めたロシオ広場にバイシャ地区、それをはさんでバイト・アルロ地区、コメルシオ広場、 昨日バスを降りたポンバル公爵広場、そして数々の教会に、美しいレンガ造りの街並み、そして遠くにはモンサント森林公園、さらには昨日エヴォラへ行く折に渡った4月25日橋と テージョ川が、リスボンを取り巻く全ての景色が今ここに集約されているかのようだった。1500年前、ここに立った人の目にはこの風景がどのように映ったのだろうか。 一人旅でありながら、一人で見るにはもったいないくらい、夕日の沈んだ後のひとときの静寂さ、紫色に染まりつつある町を眺めながら、はるか遠くに来た“憂愁のポルトガル”を実感する。

ポルトガルでのトラブル対処法

先にも書いたが、旅行者への情報は、時として正しくないこともある。聞いた時間の列車がないとか、表示の行き先と、実際の行き先が違うことはあった。 常に最新情報を収集することが大切だと思った。また聞く相手によっても、返答もまちまちだ。 このあたりは柔軟なプランを立て、何かあっても、別の手段を考えられるようにしておくと安心する。 ポルトガル語ができるにこしたことはないが、私のように数日間の観光であれば、英語が使えれば、まず問題はない。衛生上も他のヨーロッパ諸国とさほど変わりはない。 ただ物価が安いだけに、必ずしも治安がいいとは言い切れない面がある。 今回直接被害にあったわけではないが、出発前もそういう話は聞いていたし、何度かスリが起こりそうな場面に遭遇した。

まず混んでいるトラムの中。もともと車内は狭いので、他人とぶつかり合うことに抵抗はないが、通路を譲ってもぶつかってくる人には要注意だ。 もともと私はスラれるようなところに財布はないので、体当たりされても大丈夫なのだが、条件反射だろうか、下車時にぶつかってきそうになった人を、 とっさに体の向きを換えて即座に交わした。そして、その相手の目をにらんでやった。その停留所で一旦降りたが、動き出す前に、また前方のドアから乗ってきた。 間違いなくスリの常習犯である。

町を歩いていて、不用意に近寄ってくる人にも注意が必要である。 私は南アフリカのヨハネスブルグで襲われそう(ここでも咄嗟に交わし、被害なし)になって以来、背後や人影にも、時と場合によっては注意している。 横から平行に歩きながら近づいてくる人なら視覚に入るので、危険は察知できる。問題は後方からである。 この国は命を奪うほどのことはないらしいが、特にひとり旅であるので、必要以上に警戒がいる。ちょっと怪しい予感がしたときは、足を止め迷わず後ろを振り向いた。

リスボン滞在中、何度となく後ろを振り向いては、誰もおらず過剰の心配であったが、1度だけ手ぶらの男が私のすぐ後ろにいた。 この男が怪しい者かどうかは分からないが、大きな通りでわざわざ私の真後ろを歩くのは、それなりの理由があったからだろうと思う。 もう1回は郊外から鉄道で。午後2時すぎにリスボンへ戻る普通列車だった。1車両に数人しか乗客はなく、どこでも空いているのに、4人掛けのボックス席で、 私のボックス席に黒人男性3人組が座ってきた。これはさすがにまずいと思い、早々に車両を変えた。結局のところ、私の過剰反応なのかもしれないが、危険予知ができたため、 被害に遭遇するところまでは至らなかった。

ある朝トラムの中で、車内を撮影しようとカメラを出したところ、「そういうのは危険だよ!」とポルトガル人のおばあさんが教えてくれた。 実際に言葉も通じないことは向こうも承知していたせいか、言葉ではなく、身振り手振りで必死に教えてくれた。 その車内には、運転手のほか、そのおばあさんと数人の小学生しかいなかったので、怖い目には遭わなかったが、どの時間帯であれ、気をつけなければならないと自分自身戒めた。
夜のリスボン夜のリスボン

2度目の夕食もポルトガル料理

コジート・ア・ポルトゲーザコジート・ア・ポルトゲーザ 昨日に続き、今夜もレストランへ。前回のアイスランドでは物価が高かったこともあり、なかなか郷土料理を堪能できなかったので、このポルトガルではその反動かもしれない。 何のこだわりもない風まかせの旅と言いつつ、食べ物のことを半年以上も覚えているなんて、執念深いヤツである。どんなに疲れていても食欲だけは旺盛である。 歩き疲れた足は、剥がれたタイルに蹴躓くほどよろけながらも、元気よく出かけた。ホテルがロシオ広場に近いことで、今晩はバイシャ地区で見つけることにした。 昨夜のエヴォラと変わって、選びたい放題のレストラン。この地区は、2つの丘バイト・アルト、アルファマに挟まれた低い土地と言う意味で、リスボンで最もにぎやかな繁華街である。 歩行者天国となっているアウグスタ通りでは、昼間には名物の花売りが彩りを添え、ブティックや銀行、オープンカフェも出て、大勢の人でにぎわっている。 また陽が落ちると南北と東西の通りでは、それぞれ赴きの異なるイルミネーションで飾られ、冬の長い夜を楽しませてくれる。おそらくクリスマスイルミネーションだと思うが。

さて、今晩のレストランは、ロシオ広場からコレエイレス通りを少し入った小さなところ。スープと肉料理をオーダーした。 スープは魚介類のクリームスープであったが、とくにえびでよく出汁がとってあり、コクのある味わいでクルトンが表面を覆っていた。 ポルトガルでは、クレーム・デ・マリシュコという名前だ。そしてメインの料理は、これもこの国を代表するコジート・ア・ポルトゲーザという名の、ポルトガル風ポトフである。 ポトフというからには、具たくさんのコンソメスープのようなものを想像していた。 各種のぶつ切りソーセージ、肉、じゃがいも、キャベツ、たまねぎ、豆などを煮込んで、その煮汁で炊き上げたご飯を付け合せた料理であった。 お腹は空いていたものの、あまりにもボリュームが多く、最後まで完食できなかったが残念。 でも、今日の午後どこかの路地裏で見かけたネコちゃんのごはんにも、盛り付け方が良く似ていたのは気のせい?シェフのせい?アルミ皿のせい?


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