jun のポルトガル旅行記


ポルトガル旅行記 (2/7)


2005年1月2日

バスターミナルはどこだ!

空港でエヴォラゆきのバスの時間を聞いたところ、ほんの数日前にネットで調べた情報と違っている!しかも、発着バスターミナルまで。さて困った、 この情報じゃあ、一番早くエヴォラに着いても、夕方5時をまわってしまう。せめて陽のあるうちに着きたいものだ。 「ここでは一体何時に陽は沈む?」と聞いても、的確な答えは返って来なかった。今さらネットと情報が違うとヤツアタリする相手も見つからず、途方に暮れる。

仕方なく、聞いた通りに黄色の車体の91系統エアロバスに乗っかり市内に向かう。乗車券は運転手から買う。 ルフトハンザのボーディングパスを提示すると割引があるらしく、3 EURO だった。 ちなみにこのバスは、07:00〜21:00まで約20分間隔で運行され、Maruques de Pombal からAvenida da Liberdade、Praca dos Restauradores、Praca do Comercioを経由して、 Estacao de Casis do Sodreまで行く。つまり、市内の中心部を通るので、中心街に宿泊先がある場合はもちろんのこと、 その他のエリアでも地下鉄Gaivota線、Caravela線に接続しているため、どこへ行くにも便利なバスである。

空港でもらった地図をグルグル回しながら、逆さにしたりしながら、なかなか現在地がつかめない。 バスは、停留所で留まるものの、アナウンスもなければ、ボタンで押さないと留まってくれない。 「さあー困った、困った。」乗り換える場所は、大きな広場らしいが、何に比べて大きいのか、今着いたばかりのリスボンでは皆目見当もつかない。 途中で、広場は通りすぎた。「あれは、まだまだ小さい方だな」と何の根拠もなく、自分だけで満足している。 こんなとき、広場にプラカードでもあればいいのになーと馬鹿なことを思ったりしながら、現実逃避。なかなか道路標識も見当たらない。 右の目で左側を見て、左の目で右側のランドマークを探し、やっと現在地が確認できたところは、乗り換え場所の少し手前だった。 「よし、次ぎだ!」と思った瞬間、私の乗り換え場所『Marques de Pombal』という英語のアナウンスがあった。 しかもここでは地下鉄に乗り換えられます、と丁寧なアナウンスまで。ポンと降り立ったのは広場の外れだった。
ポンバル侯爵広場

リスボンの地下鉄 さて、間違えなく大きな広場である。一体地下鉄はどこから出るのか?地下から出ることは間違えなさそうだが、どこを見渡しても地下鉄のサインが見当たらない。 この広場を1周するとかなり大変だなーと、動物的鋭い勘を働かせて、目掛けたところに地下に潜る穴を発見。 しかし、その穴には地下鉄のサインはなく、どこかに通じる通路?と思ってしまえばそう見えるのだが。 日曜日のせいか、人通りが少なかったのも、容易に見つけられなかった敗因でもあった。

ともかく最短で地下鉄入り口に着き、ポルトガル語表記の券売機で、ムリヤリ切符を購入した。 実は、もう少しで隣の自販機で間違えてテレフォンカードを買うところだった。本来なら地下鉄駅に駅員がいるらしいが、これも日曜日のため、聞く人もおらず、自力で解決。 この『Marques de Pombal』駅は、Gaivota線とGirassol線の総合乗換駅である。バスから降りてポンバル公爵広場を反時計回りにまわった入り口(最短ルート)からは、 改札を通るとすぐにGirassol線がある。

今回はエヴォラへ行くため、Sete Riosバスターミナルに行かねばならない。 この駅からGaivota線のPontinhaゆきに乗り、4つ目の駅『Jardim Zoologico』に向かった。駅にもほとんど人はおらず、いちかばちかで 乗った地下鉄も無事行きたいところへ到着でき、 ほっと一安心。

あとは地上に出ればバスターミナルがあるはず、と駆け足であがった出口は、山の手線のガード下のような、いかにも屋台のラーメン屋が並んでいそうな場所だった。

やっと歩いている人を見つけて藁をも掴む思いで、バスターミナルを聞くが、英語が通じないのか知らないとあっさり言われる。さてどっちに歩くかで真反対になるが、 ガード下からはどの方角にもバスターミナルなど見えっこない。次ぎの人が来るのをガード下で待ち伏せる。今度は若そうな英語ができそうな人だった。 期待をして聞いたら、やはり知らない、と言う。が、ちょっと考え込んで、その地名ならガードをくぐった方向に違いないとの言葉を信じて、 2分の1以上の確率で歩き出す方向が決まる。しかしガード下をくぐってもバスターミナルは見えない。地図ではすぐ近くなのに。また足が止まった。 しばらく周りの標識や人の流れを見ていると、どうやら右方向に流れていく人がチラホラ。そこにさきほどの若い青年が駆けつけ、 きっとあのフェンスの向こうだよ」、とフェンスを越える階段を教えてくれる。その瞬間、私もそう確信でき、深くお礼を言って階段を駆け上ったところに大きなバスターミナルがあった。

たしかに地下鉄と近くであるが、標識がなく、それでいて死角になるため、なかなか発見するのに時間がかかったが、それでも空港で教えてもらった時間よりは早く着いた。 聞いていたバスには、まだ2時間もあるが、とにかくチケットを買う。が、驚いたことに、あと45分で出るバスがあるではないか! 大喜びで、リスボンに着いて初めて安心したせいか、ようやくお腹が空いてきた。やはり初めての土地というのは、どんなに経験があっても緊張するものだ。 同時にワクワクも、新鮮な感動もあるのだが。バス待ちの間に、軽いランチをとり、13:45発RE社の黄色いボディのバスはエヴォラへ向けて出発。
エヴォラへのバス

長距離バスで一路エヴォラへ

アレンテージョの大地 バスは想像以上に快適で、ターミナルを出るとすぐに高速道路に乗った。高さ100Mくらいありそうな城壁の真下をバスは潜り抜け、リスボンの古い町並みを高いところから見下ろしながら、 さらにスピードを増していく。まもなくアナウンスが入り、世界で3番目に長いという吊り橋を快走する。バスの遥かかなた下は、飛行機の中から見たテージョ川である。 全長2278Mという長さは、たしかに長いが、抜けるような空の青さがテージョ川に映え、川面をより一層美しく輝かしている。

制限速度の120Kmギリギリのスピードで、車窓からはアレンテージョの大地が流れるように次々と移り変わる。春や夏の色とは異なるが、想像以上に春に近い感じがする。 空港の滑走路脇に咲いていた花も、この大地でも同様、所々一面にじゅうたんを敷き詰めたようである。羊や牛を放牧している農場もある。 のどかな風景、緩やかな丘陵地帯、窓越しに浴びる温かな爽春の日差しが、昼下がりのひとときを贅沢な時間にしてくれる。 そしてバスは定刻通り15:30に、田園風景に囲まれたローマ時代の町、エヴォラの外れにあるバスターミナルに着いた。

町じゅうが博物館のようなエヴォラ

ここエヴォラは1986年に歴史地区が世界遺産に登録されたところである。スペイン国境に近く、町全体は城壁に囲まれ、今もなお残っている。 ローマ時代からのもの、中世、そして現代に至る長い歴史の年表を見るような町であり、それぞれの時代を物語る建築物には圧巻する。

さて、バスターミナルから今日の宿泊先、ソラール・デ・モンファリムまでは、徒歩15分くらいの距離だった。 今回の航空券もアワードだったため、飛行機代が浮いた分、宿泊先では少し贅沢?をしようとブッキングしたのが、ここだった。 ホテル自体の創業は19世紀かららしいが、建物は16世紀の王室に連なる貴族が住んでいた屋敷らしい。 場所的にも奥まっていて、分かりにくいところにあり、外観はさほどでもないが、内装や調度品は見事なインテリアであった。 が、チェックイン時には、ほとんど何も気がつかず、案内された部屋に入るなり、荷物を転がし数秒で鍵を閉め、夕暮れ迫る町に大急ぎで飛び出した。 まるで、ランドセルを放り投げ、おやつをくわえて、バットを持って空き地へ飛び出した幼少時代のように。

地図で見る限り歩けるサイズの町。ブルージュより、もう一回り小さい感じだ。町の中心であるジラルド広場のスケールからも、全体の規模が推測できる。 冬だからか、夕方だからか、正月だからか、はたまた日曜日だからか、分からないが、広場の活気はなかった。かろうじて1軒だけ開いていたカフェも、日没前には店じまい。 明日は、再びリスボンに戻る。帰りのバスを調べたところ、この時期は閑散期に相当し、午前10:15のバスを逃すと、リスボンに戻るのは、夕方近くになってしまう。 それでは、リスボンでの初日のオリエンテーションができないので、やはり午前のバスしかない。と逆算していくと、エヴォラで滞在できる陽の当たる時間は、正味2時間45分程度だ。 春のように暖かいとは言っても、冬のヨーロッパに来ている実感がした。

そんなわけで、ホテルで休むこともなく、一目散に飛び出し、日没前のたったの45分くらいで、町の3分の1くらいの道という道は歩き回る。 もちろんその中には、修道院やカテドラル、ディアナ神殿や城壁など、古都らしい建物にも目を張りながら。 やがて空の色が赤く染まり、統一された町の白壁も、それを映し出すかのように淡いピンク色に染められる。町ゆく人の影も長くなる。 冬のヨーロッパで、このような黄昏どきが迎えられるとは思ってもいなかっただけに、迷い込んだ路地裏で見た夕焼け、玄関掃除をしている女性の影、石畳を堂々と歩く大きく太った猫、 そして日曜日だからか、どこかの教会からだろうか、子供たちの賛美歌が、より神聖な響きとなって、今もなお私の中でこだましている。
ディアナ神殿

エヴォラで初めてのポルトガル料理

バカリャウ・ア・ゴメス・デ・サ 午後6時半、すっかり暗闇に包まれる。広場も、すっかり静まり返っている。 シンプルなクリスマスイルミネーションだけが、冬の空に冷たく光っているだけだ。正月&日曜日という最悪の条件で、通常は営業しているだろうレストランも閉めているため、 人の行き来はほとんどない。やっと見つけたネオンは、カフェテリアだったので、パス。次ぎに見つけたところも開店待ちのナイトクラブ。 ここもパス。こうなったら、スーパーマーケットを探しに歩くが、どこにも見つけられず。 そういえば全く水分を取っていないことに気づき、やっと見つけた売店で水分を保存用に確保。ついに一軒発見、ここに入ろうとするがドアが開かない。 どうやらポルトガル語で19:00〜開店とあるようだ。店の中には明かりがついているのを確認して、部屋に手袋を取りに帰る。

入ったレストランは、ジラルド広場から近いオ・アンタオンというお店だった。幸い英語メニューもあり助かる。 席につくなり、パンとオリーブ漬け、そしてチーズがテーブルに置かれるが、これらは要らないと断る。 このポルトガルに限って言えば、これらは断らないと、あとで追加料金として請求されるのだ。 もちろんそれを承知で手をつけるのは構わないが、たとえ手をつけていなくても要らない場合は、皿を引いてもらわないと、あとでトラブルの元になる。

郷土料理が有名とのことで、スープにメイン、デザート、エスプレッソ、あと白ワインをハーフボトルオーダーする。 まずは、長旅の疲れを取るため、野菜スープから。カルド・ヴェルテと呼ばれるスープは、ポテトのすりつぶしたものをベースに、たまねぎやガーリック、 そして千切りのチリメンキャベツなどをこってり煮込んだものだった。疲れた体と、冷える夜には、最高のスープであった。そしてメインは魚料理をチョイスした。 この国では干しダラが非常に多く使われると聞いていた。その料理もまさにそれで、エビ、干しダラとたまねぎを炒め、ゆで卵とジャガイモ、 ほうれん草をあわせてオーブンで焼いたものだった。見た目は、シーフードグラタンのような感じで、ポルトガル語では、バカリャウ・ア・ゴメス・デ・サというのが料理名らしい。

デザートも数種類から選ぶことができたが、ウェイターのお勧めというものを注文した。今まで色んな国でちょっと怪しいものを美味しく食べてきた自分。 カンボジアで水を飲んでも(注:一般家庭におじゃました折、コップに入った水を歓迎に勧められたので)平気なくらい丈夫な胃腸。 日本では普通食用にしない両生類なども東南アジアでは美味しく頂いてきた。場所や雰囲気によっては手掴みで、現地の人に紛れて。が、このレストランで勧められたデザートは、、、、、、 5年前に治療した虫歯が再発するほど、とんでもないくらい甘かった。卵黄を水飴+ガムシロップで溶かし、山盛りの砂糖とキャラメルとおたま一杯の蜂蜜をたっぷり入れて、 焼き上げようとしているデザートのようなもので、せっかくだから我慢して3口食べたが、口直しに飲んだワインまで不味くなったので、それ以上は手をつけなかった。

1月3日

再びリスボンへ

エヴォラを10:15のバスに乗り、再びリスボンのSete Liosバスターミナルには12:00ちょうどに着いた。まだまだ十分時間がある。 ここまでは昨日市内から地下鉄で来ているので、逆戻りは簡単だ。今日は月曜日。駅員もいる。駅で地下鉄・トラム・市バス・エレベーター・ケーブル乗り放題3日券を購入する。 結果的には、1回1回払ってもいくらも変わりないが、小銭を用意しなくていい。しかもポルトガルでの公共交通機関内は、スリが多発しているらしいので、 財布を出さなくてすむ3日券は、何かと都合がよかった。これは日本で調べた情報にはなかったが、到着時に空港のインフォで聞いた切符だった。

日本で調べるのもいいが、それは参考程度で、現地で生の最新情報を収集するのが何よりも堅実だと、今回のポルトガル旅行では何度も痛感した。 結局のところ、日本での情報が古すぎるということと、ポルトガル自体、国の中で情報を管理し切れていない部分が多いのだと思う。 管轄外のことに関しては、全く情報が得られないか、得られても正しい情報ではなかったことの方が多かった。 2日も滞在すれば、その国のペースも分かり、大きな問題には至らなかったが、1つ1つの情報を着実に確認しながら行動したので良かったのかもしれない。 リスボンにも実質2日半の滞在だったため、ロスタイムを出来る限り縮めたかった所以である。

とは言うものの、先を急ぐあまり、行き先を確認しないで逆方向の地下鉄に乗るは、間違えを気がついて降りた駅では正しい方向には乗ったものの、途中で分岐をする路線があるとも知らず、 またまた思いもよらない方向に行くはで。乗り間違えでいい加減疲れて、地上に出てトラムを乗ろうにも、駅が見当たらず。バスの乗り方もトラムの乗り方も、 同乗者がいるところからの挑戦。つまりポルトガル人の真似をして、トラムやバスの乗り方を習得した。これらはどうやら間違っていなかったが、最初に覚えた地下鉄の乗り方は、 正しくなかったようだった。というのは、私が初めて見た乗客は自動改札を飛び越えて出口を出てきた。正規の切符を持っている自分も、当然その人の真似をしたが、 以来自動改札を飛び越える人は、通勤ラッシュアワーであっても1人も見ることはなかった。
トラム


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