jun のポルトガル旅行記


ポルトガル旅行記 (1/7)


2005年1月1日

SQ981機内で

90年代後半から東南アジアへの出張の度に利用してきたシンガポール航空(SQ)。数年前にアニバーサリー100フライトを数えたが、今はもう数えられない。 SQがスター・アライアンスに入って以来、マイレージ・クリスフライヤーも貯まりやすくなった。 初年度から年間50,000マイルでクリアーできるゴールド会員を6年連続維持してきているため、航空会社からも何かと優遇されている。 最新の設備とやさしいおもてなしで、世界中から数々の権威ある賞に輝いているほどだ。 地上で空の上で、スタッフ一人ひとりの心のこもったサービスは、“おもてなしの翼”というキャッチフレーズにふさわしい。

今回の旅程も、いつも通り、飛べるだけシンガポール航空で飛び、あとはコードシェアーなどスター・アライアンス提携便の利用となる。 名古屋からシンガポールへ飛び、フランクフルト線に乗り換え、さらにルフトハンザ・ドイツ航空でリスボンへと、待ち時間を含めず機内だけで23余時間の旅が始まる。 名古屋空港で、2つ隣のゲートに待機していたルフトハンザ機は、そのまま北周りでフランクフルトにダイレクト。私よりも、半日近く先にヨーロッパ入りするが、全く気にならなかった。

3年続けて同日同便を利用しているが、年末に東南アジアを襲った津波の影響で、今年は極めて空席が目立った。 3列席を2列(つまり6席分)占有、3席はベッド用、あとの3席は、荷物置き場1席、本を読んだり書き物用の1席、さらに食事席。 部屋で言えば、ベットルーム、クローク、書斎、ダイニングといったところだろうか。知り尽くした機内は、まるで自分の部屋のようだった。 収納してあるものを勝手に持ち出すようなことはしないが、どこに何が入っているか分かるくらいのキャビンである。 前日までの仕事+途中で暗闇に紛れて脱走してきた深夜、神社での町内祭事はこたえた。シートベルトのサインが消えてから、乗務員が立ち上がるより素早く横になる。

水平飛行になるまでの時間にシートベルトをしたまま、枕3つ&キレ3枚使い、ベッドメーキングの準備には余念がなかった。 ・・・・・そんな安眠を、突如真後ろの若者2人組の叫びで起こされた。どうやら一人がコーヒーにsugarではなく間違えてpepperを入れたらしい。 「おみゃーばっかだなぁー」と名古屋弁でからかう隣人の次の言葉が、「ゲッェ、塩かりゃぁー!」。国際線に乗るならsaltやpepperは覚えておきましょう。 日本発着便でこんなんだから、この先も何かやりそうな2人組。チューブ入りのチリペーストを、歯ブラシといっしょに出されたら、間違えなくそれで歯を磨きそう?! ちなみに名古屋英語でhappyを発音すると「ヒャッピー」、carは「キャー」。I have a car は、「アイ ヒャビァ キャー」。中国人と話しているようである。
メンバーカードクリスフライヤー

シンガポールにて

Rey ちゃんRey ちゃん 1年前にシンガポールに関するウェブサイトで知り合ったsleepyさんのお出迎えに甘え、今回も図々しくお宅に上がりこむ。 静岡で生まれ育った彼女は、イギリスで考古学を勉強中、今のご主人さま(シンガポール人)と知り合いになり、結婚してシンガポールで8年。 日系企業の翻訳家として、webデザイナーとして、一児の母として、幅広く精鋭的に活動されている。 さて、お宅に着いて早々、sleepyさんのPCの中まで入り込み、あみさんとsleepyさんのHPにまで書き込みをして逃げて来る。 こんな悪さもしらず、sleepyさんご家族のご好意に甘え、パラゴンでショウロンポウをご馳走になった。 うわさ通り、何を食べても美味しかった。特にショウロンポウは、大変味にコクがあり、機内食をしっかり食べてこなかった作戦は、大成功だった。 夕食後、sleepyさん宅でコーヒーを頂いていたら、本日2度目の攻撃をまたもや背後から浴びた。 コーヒーが宙に浮きそうになったのは、ちょうど1年前のヨハネスブルグ便以来の出来事だった。 そして、そのコーヒーを飲み終えるのを待たずして、そのままsleepyさんの息子さんReyちゃんと運動会が始まる。 思えば会う度に、車に乗っているときとご飯を食べている時以外の、半分くらいの時間は、Reyちゃんとレスリングをやっているかも。 コーヒーの魔力よりもReyちゃんのパワーですっかり目が醒め、そのままチャンギ空港へ向かう。

チャンギ空港で

昨年母親に頼まれ、タイガーバームのプラスターをダンボール箱1杯買い占めた。まるで日本で怪しいドラッグストアーが始められそうなくらい。 ただ、はじめたとしてもタイガーバームプラスターしか扱っていない変な店だが。。。 昨年は、ターミナル2の店を片っ端から荒らし、それでも規定量に達せず、止む無くダンボールを抱えたままスカイトレインでターミナル1まで買出しに出た。 結果的には、その日にチャンギ空港内に陳列されていたプラスターは、1枚残らず独占してきた。

で、今年は友人にサンプルを送る約束をしたため、いつものお店へ。昨年と同じおばさんが待機しており、「あれー、今年は8枚でいいの???」と。 あのタイガーバーム騒動以来、郵便局のおばちゃんにもしっかり覚えられ、「今年の箱は小さいねー」といらんことを言われる。 これはまずいと思って、早々に立ち去り、ラウンジに入るなり、カウンターの女性から微笑まれた。 ラウンジでも数々の思い出を作ってきているので、もしかしたら以前乗り遅れそうになった名古屋便のファイナルコールで、揺さぶり起こしてくれた女性だったかも。 チャンギでは、どこへ行っても顔見知りが多いので、常日頃大変普通な行動ができるように心がけている。
タイガーバームタイガーバーム

1月2日

SQ26便出発

スペースベッドスペースベッド 近年欧州線は、順次新機材に切り替わっている。友人クルーと、チャンギのターミナルにはすっかりスマートな飛行機になったね、と話しながら、 私の利用するフライトは、例外なく新機材からはずれている。今回の往復SQ26/25便とも同様のB747-400型機だ。シートピッチも幅も狭い。 しかも体格のいいヨーロッパ人を積み込むのだから、いくら通路側を指定しても、前と横からの応力にはかなわない。 以前にもbbsで書いたことがあるが、アジア線の搭乗口を過ぎて自分の乗るヨーロッパ線のゲートに行くと、いつもながらがっかりする。 ほとんど同時刻に出る東京・成田ゆきのSQ998も同機材であるが、断然空いているように見える。 ヨーロッパ線は、一人ひとりの占有面積というのか体積が大きいため、同じ人数が並んでいても列が長くなり、明らかにキャパをオーバーしている。

さて今回も通路側C席だったが、A席は体格のよさそうなドイツ人男性である。縦にも横にも、すべてのパーツがデカイ。 おかげで窓の外は見られないが、外からの光を完全遮断できる壁のようだ。ともかく、私の隣じゃなくって良かったと一安心。 まもなく、通路いっぱいいっぱいの幅で、いえいえ、座っている乗客の腕や肘にぶつかりながら、戦車のような女性がのしのし歩いてくる。 よくあの狭いゲートが通ったものだ、なんて感心をしていたら、ドスンと腰を下ろした席は、なんと私の真横のB席だった。 ただでさえ狭いB744の機内、この時点で私の領域はどう見ても四分の一くらいは侵犯されていた。 まだターミナルに待機している状態なので、こんなことはぜったいあり得ないのだが、どうも機体が左に傾いているように思えて仕方なかった。 定刻23:55発より大幅に51分遅れてターミナル1の滑走路から飛び立つまでの、長かったこと。その間じゅう、ずっと左向きの傾きが気になってたまらなかった。

リスボン着

シンガポールからのSQ26便は定刻より早く、朝5時半にフランクフルト・マイン空港に滑り込んだ。まだまだ夜明け前。 ここからは航空会社がルフトハンザ・ドイツ航空に変わるので、搭乗手続きが必要だ。ルフトハンザの専用ラウンジで寛ぐこと2時間余り。 シャワールームでリフレッシュしたのち、今度はReyちゃんの力を借りることなくダブル・エスプレッソで目を醒まし、ソファで腰を下ろして十数秒おきに飛んでくる飛行機を眺める。 さっきまで乗ってきたシンガポール航空機も、この先のニューヨークへ向けて待機している。

さてルフトハンザのビジネスクラスは、どんなものだろうと期待したが、特記することは何もない。 敢て言うなら、この区間は、お金を払ってまでも、マイルを使ってまでも乗る価値はなしと言ったところだろうか。 ヨーロッパ内の短距離線、しかも機体がA320なので、致し方ない。 ちなみに帰りはエコノミーだったが、違いと言えば、ワインと毛布、機内食が皿で出て、ソーセージとじゃがいもとフルーツが付くということだけ。 機能的には、シンガポール航空で一番古い機体のエコノミーの方が優れていた。

どんよりと厚い雲で覆われたフランクフルト空港を立ち、3時間後、いよいよリスボンに向けて最終の着陸態勢に入る。 ここまで外の景色に興味がなかったが、街が見えてくる。リスボン空港と街の中心は6キロ程しか離れていないらしい。 つまり、街の中心部をかすめながら着陸することが想像できる。 機体は、予想通り町の真上を飛び、サンジョルジェ城や、教会の塔、大きな森や公園、レンガ色の屋根に白壁の建築物まではっきり見えた。 どこかの写真で見たような光景が、ポルトガルの地を踏む前に見ることができた。

ここまでワクワクしたのは、はじめてホームステイするときに見た、 朝焼けのパースの街並み以来実に数年振りの感激となった。思えばポルトガルは、2001年から計画してきた。 猛暑の夏を避けたり、昨年は航空会社からの招待でアフリカに行けたため、ポルトガルは先延ばしになっていたからだ。 飛行機は一旦町からテージョ川まで出て、4月25日橋(Ponte 25 de Abril)を見ながら大きく旋回して、再び町をかすめて着陸した。 そのときのテージョ川の輝きがなんと美しかったことか。滑走路の脇には、1月というのに黄色のじゅうたんを敷き詰めたような花に出迎えられる。 さきほどのフランクフルトとは明らかに違う季節。空高く、雲1つなく、あたかも春のような南欧の日差しを燦燦と浴びている。
フランクフルト・マイン空港フランクフルト・マイン空港

リスボンにて初の荷物受け取り

プライオリティ・タグ短冊 今までヨーロッパでの荷物の受け取りは、100%ロストバゲッジに当選していた。(2回中2回、パリ・シャルル・ド・ゴール空港、ロンドン・ヒースロー空港) どちらもヨーロッパでは屈指のロスバゲ命中率の高い空港であるが、今回の乗り換えも負けず劣らず悪名高い、フランクフルト・マイン空港であった。 途中乗り換え地のシンガポールとフランクフルトで荷物の流れを確認していた。 「PPS会員(編集者注:シンガポール航空、シルクエアーのファーストクラス、ラッフルズクラスに1年間で50,000マイル以上、または25セクター以上利用した人が獲得するステイタス) の方のお荷物ですから特に慎重に預かっております」と言われるものの、いくら確認してもらっていても、出てこなければどうしようもない。

今回は、ポルトガルで移動型の旅のため、後日出てきても、それが確実に私のホテルに届く保証もなし。リスボンで出てこなければ、旅行中荷物はない、くらいの覚悟はできていた。 写真を撮るために必要な道具全ては、機内持ち込みにしていた。夏にアイスランドで懲りているから。 実際預けたカバンには、ダンボール箱2つ、折りたたみ式カート、着替え1組、防寒具、ドイツのガイドブック、傘、梱包用のガムテープ&ロープ、コワレモノを包むクッション材、 それと日本からの小さなお土産程度だった。通常PPS扱いされている場合は、真っ先にターンテーブルに流れてくる。 プライオリティのタグの付いたものが流れてくるが、その中に私の荷物はない。10、20、とベルトにのっかる荷物は増えてゆくが、まだ出てこない。 こんなにプライオリティが多いのか不思議に思うと、もう既にエコノミーの荷物も流れているではないか。

「今回も記録更新か」と深いため息をついたとき、ようやく私の荷物が転がってきたときの、なんとうれしかったことか。 そしてベルトが回りはじめてから、この待っている間の時間、なんと長かったことだろうか。 受け取った荷物がなぜエコノミーの荷物と一緒に流れてきたのか、という不満よりも、ヨーロッパでは初の荷物受け取りとなり、ただただ嬉しかった。 戦争で生き別れた家族に会えたような感激だった。この瞬間私のロスバゲ記録は途絶え、命中率は66.7%にダウンした。 私の荷物には、ラッフルズクラス(編集者注:ビジネスクラス)のブルーのタグがたくさんぶら下がっている。 今回名古屋空港でチェックインの際、新しいものをつけてもらっていたが、その前とその前の前の分までのタグも残存していたため、ピンクや赤など、まるで七夕飾りの短冊のようだった。 ならば、今度のヨーロッパ線では、もっとたくさんつけてもらおうか。私にとっては、正真正銘願いごとの短冊である。それも、かなり切実な思いのこもった短冊。


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