※拍手で回っていたナイトウォーカーと同設定の話だけを集めてみました第二弾です。ナイトウォーカーを未読の方は読んでからどうぞ。


 6・安眠編


 勤務先である高校から自宅マンションに帰ってきたリヴァイは内心で首を傾げた。普段なら出迎えてくれるはずの少年の姿がなかったからだ。

「エレン?」

 リヴァイには本日中に片付けておきたい仕事があったため、帰りが遅くなりそうだったので手伝いはもういいからと少年を先に帰らせたのだが、こちらには来なかったのだろうか。予定ではリヴァイの家で過ごすことになっており、夕食を作って待ってます、と言っていた少年がその言葉を違えるとは思えなかったが、急用が出来たという場合も考えられる。
 だが、そういった事情があったなら自分に連絡してくるはず――そう考えながらリビングまで足を進めたリヴァイの目がある一点で留まった。正確に言えばソファーの上、更に厳密に言えばそこに横たわる人物に。
 近寄ってみると安らかな寝息が感じられた。具合が悪くて横になっていたわけではなさそうな様子に安堵して、リヴァイはその人物――エレンの寝顔を眺めた。リヴァイの帰りを待ちながらソファーで寛いでいるうちにいつの間にか眠ってしまった――そんなところだろう。

(……無防備な顔してるな)

 リヴァイが贈ったパステルブルーのイルカを抱き締め、もう片方のピンクの方は下敷きにするようにして眠っている少年の顔は安らかで警戒心というものが全く感じられない。こういった無防備な顔はエレンの通う学校内では絶対に――リヴァイと二人きりなら別だろうが――見られないものだ。
 エレンは学校で居眠りをしたことがない。眠たくなるような退屈な授業のときでも、体育のあった日の午後の授業でも、夜更かしをした翌日でも、眠りを誘うような陽気の休み時間でも、うたた寝をするということはない。無論、彼の作り上げた品行方正、優等生のエレン・イェーガー君が授業中に居眠りをするなど考えられないことだが、基本的にエレンは人目のあるところでは眠らないのだ。
 なので、バスや電車で寝過ごしてしまい、慌てて戻るという経験が彼にはない。そんな失敗は優等生に似つかわしくないから気を付けている、というわけではなく――これはリヴァイの推測だがエレンは自分が安心出来るところでしか眠らないのだろう。自宅と、リヴァイのところと、後はあの幼馴染みの少年くらいであろうか、エレンが安らげる場所は。
 エレンが貼り付けている優等生の仮面は自分を守るための鎧でもあったから、無理矢理に外させることは出来ない。エレンは高校を卒業して進学すれば素に戻ると言っているし、良くも悪くもいろんな人間が集まる大学でならエレンももう少し、自由に泳げるのかもしれない。

(……寝顔はガキの頃から変わらないな)

 出逢った当初、まだ幼稚園児だった子供はお昼寝をすることがあった。子供というのはよく眠るものだし、それは当然なのだが、リヴァイがイェーガー家に滞在中は子供の添い寝の役目は何故か母親ではなくリヴァイに任されていた。
 勿論、それに不満があったわけではないが、自分と一緒に昼寝をしたがる子供が不思議だったのだ。

 ――りっくん、りっくん、いっしょにねよう!

 そう言って引っ張っては寝つくまで話をせがまれた。そうして、大抵はリヴァイが話している途中で眠ってしまって、起きてからまた話をするようにねだられるのだ。
 更にどういうわけか、エレンは話の途中からではなく、最初から話を聞きたがった。眠るまでの話を覚えていないというわけではないらしい様子にリヴァイが首を傾げていると、子供の母親のカルラはくすくすと笑った。
 だって、最初からまた話してもらった方が、リヴァイ君は長く一緒にいてくれるでしょう、と。話を繰り返した分だけ長く自分と一緒にいてくれるから――そこまで懐かれる理由がリヴァイには判らなかったけれど、ほんのりとあたたかいものが胸に広がるのを感じた。
 話が終わったらまた違う話をしてやるよ、と頭を撫ぜると、子供は本当に嬉しそうに笑って自分に飛びつく。りっくん、だいすき、と。

(今はおとぎ話なんて聞かないだろうが)

 さて、この眠っている少年をどうしたものか、とリヴァイは思う。キッチンから漂ってくる香りからして夕食の支度は済んでいて、後は温めるか仕上げをするといったところまできちんと用意されているのだろう。少年も食べていないだろうからここは起こして一緒に食事をするべきなのだろうが、ここまで気持ちよさそうな寝顔を見てしまうと寝かせてやりたいような気持ちも湧いてくる。
 だが、このままソファーで寝かしておくのも身体に良くはないだろう。起こすか、と伸ばした男の指先が少年の頬に触れた時、少年が軽く身じろぎをして、指先が口元に逸れた。
 指先が唇に触れた――そう思ったときにはリヴァイの指は少年の口内に迎え入れられていた。

「…………オイ」

 熱く湿った口内で指先に舌が這わされる。子猫が母猫の乳を吸うような熱心さで少年はリヴァイの指先に舌を絡めた。

(……起きてるわけじゃねぇな)

 エレンはどうやらまだ眠りの世界から戻ってはいないようだ。偶然に唇に触れた指先を条件反射的に口を開いて受け入れたらしい。

(寝ているのは判っているが、これは……)

 指先を丁寧に舐めさせるのはリヴァイが教えたことだ。ほぐすために必要な準備だからとそう教えて。
 実際には世の中には潤滑剤という便利なものがあるから、そこまで丁寧に舐めさせる必要はなかったのだが、少年に自分の指を舐めさせているその光景こそがリヴァイを愉しませる。まずは指から始めて慣れさせよう、という意図があったことも少年は知らない。
 状況がこれでなければ楽しめたかもしれないが、寝ている相手に何かする気はさすがにない。事後の朝に小さな悪戯を仕掛けて起こすというのならまた別だが。

「エレン、ほら、起きろ」

 咥えられていた指先でくいっと頬を引っ張ってから抜き、とんとんと叩くと、その刺激に促されたのかエレンの瞳がゆっくりと開いた。

「んっ……せんせ……?」

 ぱちぱちと何度か瞬きしてから男の姿を認めた少年は口元に笑みを浮かべた。

「…おかえりなさい……」
「ああ、ただいま、エレン」

 ソファーから上半身を起こし、軽く伸びをしてからエレンはオレ、寝ちゃってました?とリヴァイに訊ねた。

「ああ、よく眠っていたな」
「寝るつもりはなかったんですけど。一号と二号をいじってるうちにいつの間にか寝ちゃったみたいですね」
「……お前、それで定着なのか」
「だって、先生が言ったんじゃないですか。りっくんはやめろって」

 そう唇を尖らせる少年の腕の中にあるもの――パステルブルーのイルカのぬいぐるみが少年の言う一号だ。ちなみにピンクの方が二号である。
 以前、イルカをりっくんと名付けた少年にそう呼ぶことをやめさせたのだが、かわりにつけた新しい名前がイルカ君一号だったのである。

「お前、ネーミングセンスないな」
「だって、もうりっくん以外の名前思いつかなかったので。なら判りやすく一号、二号でいいかな、と」

 そもそもぬいぐるみに名前などつけなくてもいいとリヴァイは思うが、少年が気に入っているようなので口を出す気はない。……ないが、もう少し他にいい名前はなかったのだろうか。

(……まあ、俺も人のことは言えないが)

 ハンジが拾った猫にエレンとつけた過去のある自分も少年のことはいえない。

「まあ、お前のそのネーミングセンスはおいておいて、余り、無防備になるなよ」
「? どういう意味ですか?」
「どこかで居眠りして寝惚けねぇようにってことだ」

 リヴァイとしては少年にはもっと心許せる友人なり親しい人がいた方がいいと思っている。この先飲酒が出来る年齢になれば友人と飲みに行った際に帰りが遅くなって友人宅に泊めてもらったり、皆で旅行に出かけたりする機会があるだろう。そういう経験はあった方がいいと思うし、楽しい思い出になるはずだ。
 だが、そこで寝惚けて知らない人間の指を舐めるような真似をされるのはいただけない。
 まあ、毎回寝惚けて人の指を咥えるなんてことはないとは思うが――心許せる人間は作って欲しいが、余り無防備になり過ぎられても困るな、というのが今回の様子で判ったことで。

「ああ、それなら大丈夫ですよ」

 なのに、少年はあっさりとそんなことを言った。

「寝てようが、寝惚けてようが、オレ、判りますから。先生と先生じゃない人の区別は」
「――――」
「先生じゃない人に素がばれるような行動は取らないし――だから、寝惚けて失敗するってないと思います。そもそも、オレ、寝惚けたことないと思うんですけど。あ、さっき、何か寝惚けてました?」

 寝起きはそんなに悪くないと思うんですけど、と首を傾げる少年に男は手を伸ばした。

「え? 何ですか、せんせ――」

 言いかけた言葉はちゅっという音とともに止められる。

「リヴァイだ、エレン」

 促された名前呼びと濡れた唇の意図が判らないはずがない。だが、どうしてそうなったのかがエレンには判らない。

「え? ええええ? 何でいきなりスイッチ入ってるんですか!?」
「お前が誘ったからだ」
「誘ってませんから! 責任転嫁です、それ! 誘われてつい、なんて浮気のいいわけですか!」
「浮気じゃなくて本気だからいいだろう」

 さらりとそんなことを言われて少年は固まった。その様子を見て男は笑う。

「お前が本気で嫌なら別だがな」
「…………」
「――嫌じゃないだろう?」
「――っ、あんた、本当に性質悪ぃ…っ!」

 何を今更、とまた笑う男に少年は先生はずるいです、と唇を尖らせてから、挑むように唇を重ねた。
 その後、少年がおいしく頂かれたのは言うまでもない。



 2015.8.6up



久し振りに書いたナイトウォーカーの二人。またもやのベタオチですが、そこは目をつぶってくださいませ〜。エレンはリヴァイの前だと安心して眠る&寝ていても無意識にリヴァイを判別しているということを書きたかったはずなのに逸れたような…(汗)。





 7・想い出の味編


 リヴァイにはいわゆる「おふくろの味」と呼ばれるものがない。「想い出の味」や「家庭の味」とも呼ばれるそれは、母親が一切調理をしない人間だったリヴァイとは縁がなかったからだ。かといって、リヴァイの食生活事情が悪かったという訳ではない。リヴァイの家はかなり裕福であったし、通いの家政婦は良質な食材を使った、栄養バランスの考慮された食事を提供してくれていたと思う。
 なら、家政婦の手料理がリヴァイの家庭の味かというとそれは違う。別に不味いと感じたことはなかったし、普通レベルに美味しいと言われるものであったと思うが、例え、よく食べに行くといっても外食チェーン店の味が家庭の味とはならないように、家政婦の作る料理は家庭の味と呼べるものではなかった。更に、リヴァイの家の家政婦は何度も替わっているからその都度味も変わっていた。
 リヴァイは食事を楽しむということを知らない子供だった――表面的にそれがどんなものか判ってはいても、それを初めて実感したのは彼が高校生のとき、イェーガー一家と知り合い、ともに食事をしたときのことだ。
 あのあたたかい家庭が自分に与えてくれた食卓こそが、リヴァイにとっての「家庭の味」だった。


 目の前で器用に動く指先を面白そうに眺めている男に、少年はそんなに見られてるとやりにくいんですけど、と肩を竦めた。

「イヤ、綺麗に形になるもんだと思ってな」
「慣れれば意外に簡単に出来ますよ。まあ、本職の人には敵いませんけど」

 そう言って少年――エレンは何ならやってみます?と笑った。

「お前が包んだ方が綺麗だと思うが?」
「ちょっといびつなくらいの方が可愛げがあっていいと思いますよ?」

 こういうの一緒にやったら楽しいと思いますし、と勧めながら白い皮に餡を入れ、綺麗にひだをつけて包んでいる動きには無駄がない。少年の作っているもの――本日のメインメニューである餃子は、少年が皮から手作りしたもので器用に餡を包んで見慣れた形に成形していく。
 餃子はスーパーなどに行けば後は焼くだけの形のものが売られているし、値段も安価なものが多い。だが、市販のものよりも家で手作りした方が美味しいと少年は断言し、こうしてせっせと包んでいるという訳だ。

「……まあ、形が崩れてたらあいつに食わせればいいか」

 小さくそう呟いて、リヴァイは少年に言われるがまま餃子の皮を手に取った――無論、きちんと手は洗浄しておいた。

「今日は普通の肉餃子ですけど、次は変わり種にしてみます? チーズ入れたり、明太子や納豆、ツナコーンとかも結構美味しいみたいですよ?」
「それでもいいが……チョコだけはやめておけよ」
「チョコ? ああ、デザート餃子ですか? チョコバナナとかあるって聞いたことありますけど」

 エレンの言葉にリヴァイは首を横に振った。

「違う。肉餃子の中にチョコだけは絶対に入れるなと言っている」
「………は?」

 リヴァイの言葉にエレンはきょとんとして、それからその意味を理解して、そんなことしませんよ、と返した。

「絶対にまずそうですよね、それ」
「ああ、クソまずかった」
「…………」
「…………」
「……あの、それ、食べたことあるんですか? 罰ゲームとか、ロシアンルーレット的な?」
「どっちでもない。お前が作ったんだ」

 その言葉にぽかんとした顔をする少年に、まあ、覚えてはいないだろうな、とリヴァイは息を吐いた。
 小さな子供というのは大人の真似をしたがるものだと思うし、親の手伝いをやりたがる子供も多いと思う。その反面、親がいくら言っても片づけをしなかったり、頼みごとを嫌がったりと気まぐれでもあるが。
 幼少期のエレンは素直に言うことをきく子供だった――人の話を聞いてなかったり、物覚えはいいくせにアホっぽいことをしたりと、突っ込みたくなることは多々あったが。優等生、というのとはまた違って単純に真っ直ぐに物事を捉えていたからだと思う。
 そんなエレンは母親の手伝いも嫌がらなかった――勿論、幼稚園児に出来ることなんてたかがしれていて、大したことは出来なかったのだが。特に調理などは火を点けたり、刃物を使ったりするため、そう簡単にはさせることはなかったと思う。だが。
 ある日、カルラが餃子を作るのを見てエレンが自分もやりたいと言い出した。当然ながらまともな形になるとは思ってもいなかったが、それも楽しい経験だろうとエレンに餃子を包ませたのだ。まさか、こっそりと自分のおやつのチョコを入れるとは全く予想していなかった。

「……悪気はなかったのは判っているし、こちらが注意するべきだった。だが、あのクソまずさは忘れられないな」
「……えーと、あの、すみません」

 言ってからエレンはふと気付いたように首を傾げた。

「あの、その餃子って、食べる前にはチョコ入りって判ったはずですよね?」
「ああ、焼けばチョコが融けて匂いがするからな」

 包んだ状態では判りにくくても焼けば明らかに普通ではないのは判った。子供に訊ねてみればあっさりとおいしくなるようにチョコをいれた、という回答も返ってきたし。だが、頑張って作りました!と全身で言っている子供を前にそれを食べずに捨てるという選択肢はリヴァイにはなかった。

「あの、なのに食べたんですか?」
「ああ」
「ちなみに何個……?」
「六個だ」
「…………」
「…………」
「……あの、何か、本気ですみません」

 そう謝罪してからエレンははっとしたようにリヴァイの顔を眺めた。

「あの、先生……先生が甘いおかず嫌いなのって、もしかして……」
「エレン、世の中には知らない方がいいこともあるぞ?」

 そう言ってその質問にはノーコメントだ、と笑う男に、エレンはいやいやいや気になりますから!と詰め寄ったが、答える気はないというように餃子を包む作業を開始する。少年が包んだ方が綺麗だろう、と言ったわりにはリヴァイの成形した餃子はエレンが包んだものと比べても遜色がない。こういうところを見ると、やはり、男は「出来ない」のではなく「しない」人間なんだと少年は実感する。
 と、その時、訪問者を告げるインターフォンが鳴った。

「エレン、久し振りー! はい、これ、お土産!」

 いやー、重かったよ、と缶ビールを大量に渡してくる大学の同期生に、リヴァイは溜息を吐いた。

「お前、一体、どんだけ呑む気なんだ」
「えー、だって、餃子にはビールでしょ? リヴァイはビールは殆ど呑まないから、ないだろうと思って持参したんだよ」
「ビールなんて水と同じだろう」
「リヴァイにはスピリタスだって水だと思うけどね。まあ、いいじゃない、付き合ってよ」

 ちゃんと冷えてるの買ってきたからね、と笑う彼女――ハンジは自分の家のように部屋の中に上がり込み、ソファーにさっさと座って寛いでいる。

「ハンジさん、先にビール呑みますか?」

 おつまみくらいなら出せますけど、と続けるエレンにハンジは首を横に振った。

「餃子が出来るまで待つよー。折角の餃子パーティだもんね!」
「お前、何でもパーティをつければいいってもんじゃねぇからな」
「中華食べたかったんだ! いいねぇ! 料理上手の奥さん!」
「オイ、人の話聞けよ」

 今日の献立はハンジのリクエストによるものだ。本日は早めに退社できるからエレンの料理が食べたい、と宣言したハンジは中華がいいな、餃子作って、と少年におねだりして餃子パーティ開催を決めてしまった。会場の提供者であるリヴァイの意志は無視の強制参加だったが、少年が楽しそうな様子だったので了承したのだ。

「三人でパーティも何もないだろう……」
「一人鍋パーティとか一人焼き肉パーティとかよりはいいじゃない」
「ぼっち前提で言うな。……それにしても、エレンがお前にこれ程懐くとは予想外だったな」

 このマンションで初顔合わせしてから、二人は連絡先を教え合い、リヴァイが知らないうちに仲が良くなっていたらしい。エレンは特に大人に対して不信感があるというか――壁を強化する傾向にあるから、これ程に打ち解けるとは予想外だった。勿論、エレンに心許せるような存在が増えるのはいいことだし、ハンジは信頼出来る人間だということは判っている。いるのだが。

「懐いた相手がお前だというのが非常に微妙だ。……あいつに変なことは教えるなよ」
「やだなぁ、リヴァイ。いくら何でも高校生に変なこと教える訳ないじゃないか」

 大学生なら危なかったかもしれないけどね、と本気なのか冗談なのか判らない言葉を続けてハンジは笑った。

「それにリヴァイ、忘れてるよ。あの子が私を慕ってくれてる一番の理由は『あなたの友人』だからなんだよ?」
「…………」
「あの子と話すとさ、あの子がどれだけあなたのことが好きか判るんだよね。それ、もうちょっと考えてあげた方がいいよ。……まあ、後は私の人徳だけどね! 私、後輩から頼られるタイプだし!」
「……お前に人徳なんてものがあったのか」
「リヴァイよりは断然あるよ! だって、リヴァイ、友達少な――」

 ハンジの頭に拳が落されるのと、エレンがキッチンから声をかけたのはほぼ同時だった。


「うわー美味しいよ! エレン、全部美味しい! 一家に一人エレン! うちにも欲しい!」
「ありがとうございます。あ、でも、オレは一人しかいないんで一家に一人は無理です」
「餃子もエビチリも最高! 炒飯もパラパラだし! ねぇ、小籠包は作れる? 次は小籠包がいい!」
「はい、作れますけど――」
「後、酢豚に麻婆豆腐に……あ、でも、中華じゃないのもいいな。やっぱり、ここは男を落とす定番料理と言われる肉じゃがでしょ!」
「オイ、ちょっとは落ち着いて食えよ、クソメガネ」

 リヴァイの指摘をさらりと流し、毎日、こんなに美味しいものが味わえるなんてずるいなーとハンジは唇を尖らせた。

「食後のデザートに杏仁豆腐もありますけど、ハンジさんは甘いもの大丈夫でしたよね?」

 その言葉にハンジは目を輝かせた。

「デザートまであるなんて本当に完璧な嫁だよね! やっぱり、三年後を予約したい!」
「あるわけねぇだろ、クソメガネ」

 胃袋を完全に掴まれたらしいハンジの額にリヴァイの強烈なデコピンが炸裂したのだった。


「じゃあ、帰るね。ご馳走様でしたー」

 デザートを平らげ、お茶を飲んで一息ついたハンジがそう言ったので、エレンは泊まっていかないんですか?と声をかけた。

「やだなー新婚家庭に泊まる程野暮じゃないからさ、私」
「イヤ、新婚とかじゃないですから! 結構呑まれてたみたいだし、大丈夫ですか?」
「大丈夫! 駅までリヴァイに送ってもらうからさ!」

 ハンジの言葉にリヴァイは眉を寄せた。

「オイ、俺は飲酒運転で捕まる気はないぞ」
「あれくらいじゃ全然酔わないくせに……って、冗談だってば。さすがに車で送れとは言わないよ」
「言っておくが、自転車も車両だぞ。更に二人乗りも交通違反だ」
「素直に面倒だって言いなよ。歩きでいいよ。一人だと帰る途中で寝たら困るからさ」

 それ程酔っているようには見えなかったが、途中で寝込まれた方が面倒なのでリヴァイはハンジを駅まで送っていくことにした――その先の帰りの電車内で寝たとしてもそこまでは責任が取れない。

「あ、はい、エレン。これ、約束したもの」

 帰り際、玄関先でハンジはついでのようにエレンに何かを差し出した。形状からいってUSBメモリーのように見えたが、確認するより早くエレンは受け取ったそれをしまいこんだ。
 それは何だ、とリヴァイは訊ねようとしたが――。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

 礼を言うエレンの顔が余りにも嬉しそうだったので、そのまま無言で家を後にした。


「ねぇ、リヴァイ」
「何だ?」
「あれ、何か気になる?」

 駅までの道のりをぶらぶらと歩きながら呟くように問いかけるハンジに、リヴァイははぁ、と息を吐いた。

「気になるも何も……あれ、お前、わざと俺の前で渡したんだろう。駅まで送っていけって言ったのも、二人だけで話す時間を作るためだろう?」
「ご名答! ……あれはね、写真データだよ、リヴァイ。あなたが大学生の頃のね」

 思いも寄らない答えにリヴァイは思わず立ち止まった。合わせてハンジの足も止まる。

「あ、卒業してからのも入ってるけどね。リヴァイの昔の写真持ってるって言ったら見たいっていうからさ。データ送っても良かったんだけど、生の反応見せるためにあえて手渡しにしたんだ」
「…………」
「私は大学からのリヴァイしか知らないし、それでいいと思ってるけどさ、あの子は違うだろう? 少しは話してあげてもいいんじゃない?」
「……聞いて楽しい話じゃねぇ」
「それを判断するのはあの子でしょ。……それに、別に楽しい話だから聞きたいわけじゃないだろ?」

 ふうっとハンジは息を吐いて空を見上げた。

「よく都会の空は汚れてるとか言われるけどさ、同じ空なんだよね。いろんなものに邪魔されて見えないだけで空は空だ」
「ハンジ」
「……聖域ってものはさ、すごく眩しくて綺麗なものだ。穢したくないし、壊したくない。でもさ、踏み込んじゃったからには責任とらなくちゃいけないんだよ」

 ハンジはそう言うと再び歩き出した。

「ここまででいいよ、リヴァイ。エレン君によろしくねー」
「……判った。お前が酔って道端で吐いたって伝えておく」
「えっ、やめてよ、リヴァイ! 変なイメージつけないでよね!」
「安心しろ、お前はすでに変人認定だ」
「変人と酔って吐くのは別だから! それじゃ、リヴァイの家で呑みにくくなるじゃないか!」

 問題そこなのか、と内心で呟きつつ、リヴァイはハンジに背を向けながら手を振って家路を辿っていった。


「先生、お帰りなさい! 早かったですね」

 玄関先で出迎えてくれた少年はハンジさんは大丈夫でしたか、と続けた。
 聖域に踏み込んだのは――。

「先生?」
「……判っちゃいるさ」

 踏み込んだのは自分の意志だ。手放す気も責任を投げるつもりもない。

「あの、先生?」
「イヤ、ハンジが吐いたのを思い出した」
「え? ええええ!? それで、どうしたんですか? まさか、道端に置いてきたんじゃ……」
「大丈夫だ。あいつはどこでも寝られる女だ」
「大丈夫じゃないですよ! そんなこと言ってると、数少ない友人がいなくなりますよ?」
「オイ、誰がぼっちで寂しい人間だって?」

 少年にデコピンを投下しながら、それでも、なお、出来る限り穢したくないっていうのは自分のエゴだろうか、と男は胸の中で呟いたのだった――。



 2016.4.3up



 ちなみに先生が甘いおかずを好まないのは元からなので、餃子事件は関係ありません(笑)。本編に組み込んでもいいような気もしましたが、入れるとこなさそうなので拍手文にしました〜。





 8・リヴァイ大学時代編
 ※リヴァイがモブと付き合ってた関係話なので、嫌な方はスルーで。


「どうしても納得いかない。別れるならもっとちゃんとした理由が欲しい」
「――理由なら、性格の不一致といったはずだが?」
「それが納得いかない。不満があるなら話して欲しいし、我慢出来ないくらいならもっと早くに言って欲しかった。この半年、上手くやっていたじゃないか」

 相手にそう言われて、リヴァイははあ、と内心で溜息を吐いた。これまで付き合う相手は選んできたし、別れるときにももめたことはなかった。この相手とは話もあったし、身体の相性も良かった。特に不満もないし、一生のパートナーとは思わないものの、今後も付き合っていくのに問題はなかった。だが――あることが判明してどうしてもダメになったのだ。
 告げれば、そんなことで、と言われるかもしれない。だが、リヴァイにはどうしても譲れない問題だったのだ。

「はーい、話し合いはそこまでにしてね」

 すると、背後からそう声をかけられ、二人はそちらへと振り向いた。その姿にリヴァイは軽く眼を見開いた――その姿にリヴァイは見覚えがあったからだ。

(ハンジ・ゾエじゃねぇか。何でここに……)

 そう思って、リヴァイはいや、別におかしくはないか、と思い直す。ハンジ・ゾエはリヴァイが通う大学ではちょっとした有名人なのだ――研究のためなら何もかも忘れて周りを巻き込み、好奇心旺盛で行動力があり、思ったことははっきりと口にするが空気が読めないわけではない。変人と噂されながらも持ち前の明るさからか多くの友人を持ち、人望もある。
 だが、彼女が有名な理由の一番は自分がバイセクシャル――同性も異性も愛せるという、世間一般からはマイノリティと呼ばれる性嗜好の持ち主だと公言しているからだ。偏見を恐れず堂々とした姿はいっそ清々しいくらいだった。
 彼女とはキャンパス内で顔を合わせたことはあるが、話したことは殆どなかった。まさかこんなところ――同性愛者の集まる店で出くわすとは思ってもみなかった。特にこの店の客の多くは男性同士の性嗜好を持つものが多く、女性客は少なく、彼女のようなバイセクシャルは殆ど訪れない。可能性としてはあったが、出会うことは念頭に入れてなかった。
 相手の方は当然ハンジのことは判らず、怪訝そうにあんた誰だよ、と訊ねている。
 すると、ハンジはにこっと笑って、するりとリヴァイに手を伸ばして甘えるように後ろから抱き付いた。

「答えは彼の新しい恋人です」

 何だ、それは、とリヴァイは叫びたくなったが、ハンジからの目配せを受けて、その言葉を飲み込み、頷いてみせた。

「何だよ、それ、二股してたってこと?」
「違うよ、まだ付き合ってはない。これから付き合うの。だから、君とは別れたいって話」
「そんな訳ない。だって、あんた女じゃないか。リヴァイは同性しかダメだって……」
「そんな訳あるの。ダメだと思っていたら実はイケたってだけ。リヴァイが恋人でもないのに、こんなに触らせる訳ないだろ?」

 背後から抱き付き、頬を寄せてにっこりと笑うハンジに、相手は悔しそうな顔をして判った、と言って店を出ていった。
 それを見送るとハンジはリヴァイから離れ、その隣に腰かけた。

「そんな嫌そうな顔されると傷付くんだけど?」

 そんな言葉を口にするが、彼女は全く気にしていないようで楽しそうに笑っている。

「……いくら芝居だからっていっても、頬擦りまでしなくてもいいだろう」
「だって、それくらいしないと信憑性がないだろ? リヴァイがパーソナルスペースが広くて潔癖だっていうのは有名だし。キスしなかっただけマシだと思いなよ」
「俺は綺麗好きなだけだ。……というか、お前、知っていたのか?」

 リヴァイは周りに自分が同性愛者だとはカミングアウトしていない。知られたらどうなるかは――自分の家族で十二分に知っている。いわゆるマイノリティと呼ばれる性嗜好の持ち主がどんな目で見られるかは簡単に想像がついたし、経験もしていたリヴァイは知られるようなリスクを伴った行動は極力していなかったはずだ。
 知っていても手を差し伸べてくれた――奇跡のような存在は知っているけれど、あれは本当に奇跡なのだ。
 ある程度大きな都市に行けばその手の店はあるものだが、一見して普通の店だし、露骨な店にはリヴァイは足を運ばない。よく、同性愛者は同じ嗜好を持つものはすぐに判るというが、それは間違いだと思う。確かに隠す気のないものやどうしても出てしまうものはいるが、巧妙に隠してるものを見分けるのは難しいと思う。

 だが、ハンジはあっさりと知っていたよ、と答えた。

「そっち方面の勘だけは物凄く働くんだよね、私。今まで外したことないし」
「……無駄な能力だな」
「まあね。脈がないのもすぐに判っちゃうから、いいと思ってもアタックすら出来ないんだよね」
「で、どうしてここに?」

 この店はハンジのようなタイプの人間が来るようなところではないと暗に言うと、彼女は店のマスターと知り合いなのだ、と答えた。

「あ、マスターからは何も聞いてないよ? 客の情報を漏らすのはどんな店でもタブーだからね。単にたまにここに遊びに来てただけ。そうしたら何かもめてるみたいだったからさ」

 お節介だったらごめんね、と笑うハンジにリヴァイは首を横に振った。

「イヤ、助かった。まさか、ここまでこじれるとは思ってなかったからな」
「うん、勝手な印象だけど、あなたってスムーズに後腐れなく別れそうだもんね。あ、あの子のことは心配しなくていいよ。あの子、真性の同性愛者で、一度でも女と付き合ったことのある人とは絶対に付き合わないから、復縁迫ってくることないよ」
「……お前、やけに情報詳しいな」
「自分で言うのもなんだけど、私、人脈広いし、かなりの情報通だよ? でもって、余計なことは吹聴しないから安心していいよ」

 そう言って、ハンジは折角だから呑もうよ、とカクテルを注文したのだった。


 それから、何となくキャンパスで顔を合わす度に二人は挨拶を交わすようになり、その距離は徐々に縮まっていった。ハンジは確かに噂通りの変人ではあったが、付き合いやすく、一緒にいても楽に過ごせる貴重な存在だった。リヴァイの性嗜好に関しては「ま、言いたくない人は言わなくていいんじゃない? 私は隠すのが面倒だから公言しちゃってるだけ。リヴァイはリヴァイでやればいいよ」と笑いながら、リヴァイは面白いけど全然私のタイプじゃないから大丈夫などと失礼なことを言ってきた。
 リヴァイは同性しか性愛の対象に見られない人間ではあったが、特に女性が嫌いではなかったので、ハンジを通して女性と話す機会も増えた。こちらに恋愛感情を抱きそうなものはハンジが上手くあしらってくれたし、ハンジの紹介で知り合ったものは多い。自分の世界を広げてくれたことに関しては彼女にリヴァイは感謝している。


「そういやさ、どうしてリヴァイはあの子と別れたの?」

 不意にハンジがそんなことを言ったのは、親交を深めてから大分経ったバーの席でだった。

「……藪から棒になんだ」
「イヤ、そういや訊かなかったなーと思ってさ。不満ないのに別れたって言ってたから何でだろうと思って。言いたくないことなら言わなくていいけど」

 本当に思いついたから口に出しただけなのだろう。まずいこと訊いたならごめん、というハンジにリヴァイは首を横に振った。別に隠すようなことではない――聞けばそんな些細なことで、と言われそうではあるが。

「偽名だったからだ」
「は?」
「本名だと思っていたが、偽名だったんだ」

 こういった店で偽名や通称を使うのはそんなに珍しいことではない。源氏名というのは商売ではないから当てはまらないが、自分が同性愛者だとカミングアウトしていないものは知られるのを恐れて本名を名乗らない。特に付き合うことのない一晩限りの相手になら本名を名乗る必要性もないだろう。知り合ったばかりの頃、相手はリヴァイと付き合う気がなかったから偽名を名乗った。だが、そのうち付き合い始め――その後は何となく言い出せなくて偽名で通してしまったのだという。本名が判った時、相手はきちんと事情を説明し、リヴァイに謝罪もしてくれた。

「まあ、ずっと偽名使われてたんなら信用されてないって思っちゃうのも仕方ないか」
「――イヤ、別に偽名だったのは問題ない。謝罪されたし、事情も判らなくはないからな」
「え? 偽名使われてたのには怒ってないの?」

 偽名だから別れたというのに、それに対してはもう良かったという男にハンジは首を傾げる。だが、男は彼女の怪訝そうな視線には答えなかった。

 そう、偽名を使っていたのは問題ない。問題はそこではないのだ。

 ――偽名を使ってたのは悪かったよ。すぐに言えば良かったんだけど――でも、自分の本名大嫌いなんだ。何か女っぽいし、何でこんな名前つけたんだろって思ってる。一番嫌いな名前だ。

 それは、男は知らなかったが、絶対にリヴァイには言ってはならない言葉だったのだ。

「……お前には大嫌いな名でも、俺には世界で一番大事な名前だったんだ」

 それは、とても些細なことで、馬鹿げた執着だと笑われることかもしれない。
 だが、それはリヴァイがこの先何があっても忘れない大事なものの名だ。

 ――りっくん、りっくん、だぁいすき!

 きっと、もう二度と呼ぶことのないだろう名前を胸の中で呟いて、リヴァイはそっと目を伏せた。



 2016.9.25up



 何となく思いついた先生の過去話です。同性愛者事情は勝手に書いているので、そこは眼をつむってくださいませ〜。先生は相手の本名を知っていたら絶対に付き合わなかったです。それぐらい先生にとってエレンとイェーガー一家との想い出は特別なものです。先生は過去にかなり遊んでますが、同時に複数と付き合うことは絶対にしなかったので、わりとすんなりと別れてます。勿論、今はエレンだけです(笑)。





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