※拍手で回っていたナイトウォーカーと同設定の話だけを集めてみました。ナイトウォーカーを未読の方は読んでからどうぞ。



1・白衣の謎編


 リヴァイは物理教師だ。勝手なイメージだが、エレンは男は文系ではなく理系だと思っているので彼が物理教師だというのはしっくりとくる。だが、不思議に思っていることが一つあった。

「先生はどうしていつも白衣を着ているんですか?」

 エレンのイメージでは学校で白衣を着ている教師というと、保健室の養護教諭か化学教師だ。いや、別に他の科目の教師が着ていても特に問題はないだろうが、毎日着用しているのでどうしてなのか気になっていたのだ。放課後の物理準備室でエレンが物理教師にそう訊ねると、男はにやりと笑った。

「その方がそそるだろう?」
「……そそるって何ですか、そそるって。白衣なんて見慣れてますからどうも思いませんよ」

 エレンの父親は医師だ。白衣なんてものは小さな頃から見慣れているし、おかげでたいていの幼児が予防接種などで医師を見ただけで泣くときに、エレンは白衣姿の医師を見てにこにこと笑っていたものだ。なので白衣姿の女医にときめくなどというシチュエーションは少年には有り得なかった。男もそれに気付いたのか、ああ、お前はそうだな、と頷いた。

「単に汚れるからだ」

 あっさりと回答を述べた男にエレンは首を傾げた。何か実験をするときなら判るが、男は毎日白衣を着用している。普段の生活でそれ程汚れるとは思えないのだが。重ねてそれも訊ねてみると、男は意外に汚れるんだぞ、と続けた。

「チョークの粉が飛んだり、ちょっとした作業で汚れるからな。白衣なら汚れたらすぐ判るし、漂白も出来るから便利だろう」
「そういう理由なんですか?」
「そういう理由だ。着るものがないからって年中ジャージの体育教師と一緒にするなよ」
「……先生、それ、体育の先生に対する物凄い偏見ですよ」

 確かに男は白衣の下にはちゃんとした服を着ているし、白衣もいつも綺麗にしているのは知っていたが、そのような理由だとは知らなかった。男の綺麗好きはこういうところにまで反映されているようだ。

(まあ、似合っているとは思うけど)

 白衣にそそられるというのはないが、男の白衣姿は様になっていると思う。見慣れてしまったせいか、学校で白衣を着ていない男を見たら違和感を覚えそうな気がする。

(それに、家に行けば私服の先生を見られるし)

 白衣姿のリヴァイは皆知っているが、私服のリヴァイを知っているのは自分だけだ――そう思うとちょっとした優越感というか、特別な感じがして気分がいいことは確かだ。そんな風に思うのは良くないことかもしれないが、それくらい楽しんでもいいよな、と思いながらエレンは男から手渡された紅茶に口をつけたのだった。


 渡された合鍵を使って男の自宅マンションに入ったエレンは買ってきた食材を冷蔵庫にしまい、軽く掃除を済ませた。そして、ふと思いついて洗面所へと向かった。男のマンションはよくある作りだと思うが、洗面所と脱衣所が一緒になっており、扉の向こうに大きめの風呂場がある。脱衣スペースには全自動洗濯機が設置されていて、乾燥も出来る高性能のタイプだった。ドラム式で乾燥機能付きって物凄く高い奴なんだろうな、とこの洗濯機を見たときに思ったのをエレンは覚えている。
 男は昼間洗濯することが出来ないので、夜に洗濯をしているようだった。男のマンションは防音に気を使っていて音は漏れないから夜に掃除洗濯しても気にしなくていいのだと教えられていた。まあ、さすがに真夜中に部屋の模様替えとかをしたら苦情がくるかもしれないが。
 後に、壁が薄いと教えておいて隣に声が聞こえちまうぞ、聞かせてやれ、というのをやれなかったな、とかふざけたことを言われたので、思わずエロ教師と罵倒してしまったが、男にはあっさりと男なんて皆エロいもんだろうと返された。腹立たしかったので、次の日の男の弁当には甘い卵焼きと金時豆とかぼちゃの煮物と桜でんぶを入れてやり、当然肉類はなしにした。男はきれいに残さず食べて返したが、その後、ベッドの上でしつこく鳴かされたのでこの仕返しはやるまいと誓ったエレンだった。

(先生が帰ってくる前に洗濯機回しておくか)

 エレンが思いついたのはそれだった。さて、と脱衣籠に手を伸ばして目についたのは男が着用していた白衣で。思わず手にとって眺めてみるが、男が言うように特に汚れている感じはなかった。手にして香るのは煙草の臭い――綺麗好きなくせに煙草はやめない男にエレンは苦笑する。壁が黄色くなりますよ、と言ったら、リフォームすりゃいいだろう、とあっさり言われたことを思い出す。
 エレンは男の白衣に袖を通してみた。男は自分より背が低くて小柄だが、きっちりと筋肉がついているので、見た目より体格がいい。着やせするタイプなのだと思う。白衣は服の上から着ることもあって大きめなものを選んでいるのだろうか、エレンでも着ることが出来た。
 白衣からはやっぱり煙草の香りがして、煙草は好きではないけれど――男に抱き締められているような気がして、エレンは両手を交差させるようにしてそこに顔を埋めた。

「何してるんだ、エレン」
「うひゃああ!」

 突如、背後から声をかけられて、エレンは飛び上る程驚いた。慌てて振り返ってみれば、そこにいたのは勿論この部屋の主で。

「か、帰ってたんなら声かけてくださいよ!」
「今、言っただろ。気付かないお前が悪い。で、何してるんだ?」

 男に言われて、エレンは真っ赤になった。男の白衣を着て顔を埋めているなんてバカな真似をしているところを見られてしまった。

「そんなものを着るほど俺が恋しかったのか?」
「違います!」
「彼シャツは無理だろうが……白衣ならいけるか。盲点だったな。悪くない」
「は?」

 男の発言に怪訝な声を上げる少年に男は機嫌の良さそうな顔をして、ひょいっと少年を持ち上げた――いわゆる俵担ぎというやつだ。男の身体のどこにこんな力があるというのか、毎度のことながら驚かされる。

「え? え? 何、先生?」
「――リヴァイだ、エレン」

 名前呼びが何を意味するか知っているエレンは真っ赤になってじたばたと暴れた。

「暴れると落ちるぞ」

 途端、おとなしくなった少年に男は捕食者の笑みを浮かべた。

「そんな恰好で待っていたお前が悪い。諦めるんだな」

 一体どうして男のスイッチを入れてしまったのか判らず、少年は声が枯れるまで鳴かされる羽目に陥ったのだった。



 2014.2.10up



 またしてもお約束オチなベタネタです(汗)。作中で白衣設定が全く活かされてなかったので、書いてみました。兵長とエレンだと彼シャツ出来ないですが、白衣ならいけるだろう、ということで。どんなことをされたのかはご想像にお任せします(笑)。





2・ぬいぐるみのその後編


「りっくん、りっくんって抱き心地いい〜。ふかふか〜」
「…………」

 上機嫌で少年が抱き締めているのは大きなイルカのぬいぐるみ――寝るときに抱き枕にもなる抱きぐるみというものだ。以前に二人で水族館に行った際に男が記念にと言ってプレゼントしたものであるが、少年はその手触りと抱き心地がいたくお気に召したらしい。手持無沙汰になるとそのぬいぐるみを抱いたり、クッション代わりに倚りかかったりしている。
 別にそのこと自体はいいのだ。そうしていると、少年は普段よりも子供っぽく見えて可愛らしいと男は感じているし、自分が贈ったものを喜んで使用してくれているのなら何よりだろう。問題は少年がそのぬいぐるみにつけた名前にある。

「オイ、エレン、それやめろ」
「何がですか?」
「その呼び方だ。何でりっくんなんだ」
「だって、名前つけて可愛がるって最初に言ったじゃないですか」
「だからって何でりっくんなんだ」

 確かに、一番最初に少年にこのイルカのぬいぐるみを渡したときに、折角だから名前をつけて可愛がりますよ、という宣言をされていた。更に自宅には置かずにこのマンションに置くことの同意を求められ、自分はそれを了承した。だが、まさか「りっくん」などという名前をつけられるとは思ってもみなかったのだ。

「他の名前にしろ」
「んー、でも、もうこれで固定されちゃったというか、今更別の名前が思いつかないんですよね。いいじゃないですか、りっくんで。だいたい、オレがもらったものに何て名前をつけようが、オレの自由でしょう?」
「……お前、絶対にわざとだろう」

 りっくんというのは少年が男と初めて出逢ったときに呼んでいたあだ名だ。幼い子供にはリヴァイという発音が難しかったらしく、勝手にりっくんという名前で定着してしまったのだ。当時、高校三年生であったリヴァイは今更りっくん呼びされることに抵抗を示したが、無邪気にりっくんと連呼する子供に早々に訂正を諦めた。小さい子供が相手を愛称で呼ぶのは普通のことであったし。
 だが、それは小さな子供だったからで、大人とは呼べないまでももう幼児ではない高校生がりっくん呼びなのはどうかと思う。リヴァイに対して言っている訳ではないが、ぬいぐるみに自分の名をつけて呼ばれると微妙な気分になる。
 無論、少年も最初は無意識につけたのだろう。再会した当時は少年は自分のことを覚えていなかったのだから。
 しかし、昔を思い出した――年齢のことを考慮すれば、おそらくは全部のことではないだろうが――今でもりっくんと呼び続けるのは絶対にわざとなのだ。男が嫌がるのが判っていてやっている。これは普段、何かとやりこめられている少年の些細な意趣返し――というか、悪戯のようなものなのだ。

「……判った、そのままでいい」

 男の返答が意外だったのか、少年はきょとりとした顔で訝しげに男を眺めていたが、それ以上物理教師が何も言わないので不審に思いつつも、お気に入りのぬいぐるみに顔を埋めたのだった。


 ――が、数日後、エレンは年上の恋人の逆襲を受ける羽目になった。

「先生、何ですか、それ……?」

 いつものように恋人の自宅マンションに訪れたエレンの目の前には可愛らしいパステルピンクの大きなイルカのぬいぐるみを手にした男の姿があった。

「イルカのぬいぐるみに決まっているだろうが」
「イヤ、それは見たら判ります。何でそれがここにあるのか訊いているんです」
「俺が買ったからに決まっているだろうが」
「先生、それ買って帰ってきたんですか……?」

 目つきの悪い三十男――正確には男はまだ三十前らしいが――が可愛らしいピンクのイルカのぬいぐるみを抱えて歩く図をエレンは思い浮かべ、シュールだ、シュールすぎる、と心の中で叫んだ。その思いが通じたのか、男は軽く少年の頭を叩いた。

「買って帰ってきたんじゃねぇよ。通販で送ってもらったんだ」

 さすがにこんな大きなピンクのぬいぐるみを持って帰ってくる程、羞恥心がないわけじゃねぇよ、と続ける男に、そんな大きなぬいぐるみを持たせて帰らせたのは誰ですか、とエレンは思わず抗議せずにはいられなかった。
 見たところ、ピンクのイルカはエレンの持っているパステルブルーのイルカの色違いのように見えた。実際にピンクのイルカなどは存在しないが、女の子用に作られたのだろう。
 ぬいぐるみを眺める少年に男はにやりと笑った。

「可愛いだろう? 俺のエレンちゃんは」
「は?」
「このイルカはエレンちゃんだ。俺がそうつけた」

 男の言葉が脳内を駆け巡り、ようやく、エレンは男の意図に気付いた。これはいつまで経ってもりっくん呼びをやめない自分に対する嫌がらせ――意趣返しなのだと。

「ああ、エレンちゃんは手触りがいいな。どこもかしこも柔らかくて、なめらかだ。ずっと触っていたくなる」
「…………」

 ここは反応してはいけない、絶対に、何があっても反応したら負けだ、とエレンは己に言い聞かせ、男の言葉に無視を決め込む。

「そんな目で見つめて、そんなに触って欲しいのか、エレンちゃん。どこでそんなおねだりを覚えた?」
「…………」
「この柔らかさだ。中はどうなっているんだろうな? 中に突っ込んだらさぞかし――」
「セクハラ、反対! ダメ、絶対!」

 ついに堪えきれなくなったエレンがそう叫ぶと、男はにやりと笑った。

「じゃあ、もう、あれをりっくんとは呼ばないな?」

 仕方なく頷いたエレンに男は手にしていたピンクのイルカを手渡した。どうやら元々こちらも少年に渡す気だったらしい。
 男からピンクのイルカのぬいぐるみを受け取ったエレンは、それをブルーの方のぬいぐるみの横に置いて並べ、両方を交互に撫ぜた。手に伝わる感触はどちらも変わりなく心地好い。

「ありがとうございます、先生。こいつらも一匹だときっと寂しいから、二匹になれて良かったと思います」

 一人では寂しいけれど、二人ならきっと寂しくはないから――自分のことを思い浮かべてそう告げるエレンの肩に、男はそっと手を置いた。

「エレン、イルカの数は匹ではなく、頭だ。初歩的な間違いだぞ」
「…………」

 この雰囲気でそれを言うか、と突っ込みたくなるようなことを言われ、エレンはその場に突っ伏したくなった。確かにイルカの数の単位は頭であるが、単純に言い間違えただけで、しかもぬいぐるみでそれを言うか、と言いたい。
 視線を向ければ、男はくつくつと笑っている。

「冗談だ。そうむくれるなよ」

 男はそう言いながら、エレンの頭を優しく撫ぜた。

「そうだな。一匹より、二匹――一人より二人だな」

 そうして、優しくついばむような口づけを落としてきた男に、少年は先生はやっぱりずるいです、と唇を尖らせたのだった。



 2014.3.31up



 誰も気にしてないだろう、作中に出てきたぬいぐるみの話です。ピンクのイルカのぬいぐるみを見たことありますが(サイズは小さめ)、イルカがピンクだと不思議な感じに……。そして、リヴァイ先生はずるいのがデフォルトです(笑)。





3・午後の紅茶編


 物理教師であるリヴァイは不機嫌そうな顔がデフォルトだと言われている。確かに目つきが悪いので普通にしていても機嫌が悪そうに見えるし、眉間に皺を寄せると悪人にしか見えない。浮かべる笑みも人を食ったようなとか、何かを企んでいるような、と形容されるのが相応しいと思われている。元々の顔の造りは整っているのに惜しいよね、と言っている女生徒がいるのをエレンは知っている。
 だが、近付き難い容姿には反してリヴァイの授業は判り易く、指導も丁寧なので彼は生徒から慕われていた。自身に対しての質問は上手くはぐらかすところも、どこかミステリアスで良い、となっているようだ。――そんなリヴァイの周りが知らないところをエレンはいくつも知っている。


「何か……意外でした」
「何がだ?」

 いつものように雑用を手伝うように言いつけられた物理準備室で整理を終わらせ、ご褒美だと手渡されたカップに口をつけたエレンはぽつりと呟いた。その言葉を聞きとめた物理教師がその意味を訊ねると、少年は先生の紅茶です、とカップの中で揺れる液体を眺めながら答えた。
 リヴァイの紅茶はその辺のカフェなどで出されるものよりも段違いに美味しい。カップは事前に温められているし、淹れるときの温度や蒸らす時間、総てが計算されているようで、紅茶専門店で出されているのかと思う程だ。勿論、茶葉もティーバッグではなく、男の好みで選んだ高級なものらしい。紅茶に余り詳しくないエレンでもその差は歴然としていて、教師をやめてもこの道で食べていけるのでは?と本気で思える腕前なのだ――いや、接客業は男には無理かもしれないが。料理は得意なエレンだが、紅茶の淹れ方に関してはリヴァイには敵わない。

「こういうのって実験室のビーカーで湯を沸かせてインスタントが定番だと思ってました」
「お前、それは科学教師の定番じゃねぇのか?」
「物理も似たようなものでしょう」
「全然違うぞ。……まあ、紅茶は好きだからな。どうせ飲むなら旨い方がいいに決まっているだろう。それに、紅茶じゃなくても誰がどんな実験に使ったのか判らない実験器具で作ったものなど口に入れる気はしない」

 想像したのか眉を顰める男に、確かに綺麗好きなこの物理教師が実験器具を使用して淹れた茶など口にするわけがないな、と納得した。いくら綺麗に洗ったとはいえ、何の液体を入れていたか判らない器具を使うのはさすがに自分も嫌かもしれない。逆にそういうのも楽しそうだとも思うのだが。

「それ飲み終わったら帰るぞ」
「………! はい」

 どうやら今日は一緒に帰れるらしい。嬉しい気持ちを隠せずに自然に緩んでしまう少年の口元を見て、男はくつくつと笑った。


「先生、また混ざってましたよ! 洗濯物は分けてくださいって言ったでしょう!」
「ああ、悪いな。忘れていた」

 男の自宅マンションに着き、食事の支度の前に洗濯物を片づけてしまおうと、洗面所に向かったエレンからの声に男は悪びれずにそう答えた。これも意外だったのだが、男は洗濯物の分別をしない。ドライや手洗い表示、色の濃いものもまとめて全部適当に入れてしまう。綺麗好きで必ず清潔な衣服に身を包んでいるのに、洗濯物の分類は適当なのだ。あんなに立派な洗濯機があるのに今までどうしていたのか、とエレンが訊いたところ、面倒臭そうなものは全部クリーニング業者に出していたという。なので、家での洗濯は下着や白衣などの限られたもので、分類などしていなかったらしい。大学の頃から一人暮らしをしていたというのだから、家事能力は高そうなものだが、どうも掃除以外の家事は全部適当だったようだ。
 食事はどうしていたのかと訊ねたら、全部外食か出来あいのものを買って済ませていたという。自炊を考えたこともあったそうだが、一人分だけ作るのは手間がかかるし、食材も余ってダメになることが多い。何より面倒だ――という結論に至ったらしい。

「先生はやれば出来る子だと思いますけど?」
「出来る子ってのは何だ、子って年じゃねぇだろが」

 目上の者は敬え、と軽くでこぴんを食らわされてエレンは額を押さえて唸った。まあ、子というのは言葉のあやだが、この物理教師は何でも器用にこなすのでやる気になれば料理も出来るのだと思う。何事も「出来ない」のではなく「しない」のではないか、というのがエレンの見解だ。

「それに今は必要ねぇだろ」
「え?」
「お前の作ったものを食べたら他では食べられなくなるからな」
「…………」

 さらりと言われた言葉に、ああ、この男はどうしてこうなのだろう、と少年は真っ赤な顔で唇を尖らせたのだった。


 その日の夕食はエレンが作った――これも定番となっていることだが。男は好き嫌いがないと言った通りにエレンの出したものは全部残さず綺麗に食べる。箸使いも凄く綺麗で、テーブルマナーをきちんと習ったのが見て取れる。他界したエレンの母親は箸使いや鉛筆、筆の持ち方などに関してはきっちりと子に学ばせていたので――将来、そういった場で恥をかくことのないようにという配慮だったようだ――エレンもきちんと扱えるが、高級レストランのフルコースの大量のカトラリーを前にしたらどうなるかは少し自信がない。だが、この物理教師なら平然と美しい所作で扱うのだろうと思う。

(あ、これ、気に入ったんだな)

 男はエレンの料理で特に気に入ったものはこれが一番美味しかったと言うが、他にも一緒に食事をしていると何が好きなのかよく判る。男は気に入ったものは箸の進みが早いし、余り口に合わなかったと思われるものは遅くなる。それでも全部残さず食べるし、どんなものでも文句は言わない。更に何か食べたいものがあるかという質問にも何でもいいという、却って困る返答ではなく、食べたいものがあるときはきちんと答えてくれるからエレンも作りがいがある。

(後でメモしておこう)

 エレンが勝手に始めたことだが、その日作った献立と、男が特に気に入ったものをメモ帳に記録している。男はどうも、最初の頃は特にエレンの好きな料理ばかりリクエストしていたから、男が本当に好きな料理がエレンには判らなかったのだ。自分の好きな料理ばかりではなく、男が好きなものも作らなければ一緒に食事をする上ではフェアではないとエレンは思う。それに、折角なら美味しいと言われた方が嬉しい。なので、男の好きな料理を知るためにメモは欠かせなかった。どうやら味付けの好みは共通しているようで、お互いに無理せずにすんでホッとしている。


(これでよし、と)

 男が風呂にいったので、エレンはその間にメモに今日の献立を記録することにした。明日は何を作ろうかな、と考えていると、後ろから耳元で囁かれた。

「何してるんだ?」
「うぎゃああああああああああああ!」

 囁かれると同時に耳朶を甘噛みされて舐められたエレンは思わず悲鳴を上げて、飛び上がってしまった。

「セクハラ、反対! ダメ、絶対!」
「ぼーっとしているお前が悪い。で、何だこれは?」

 そう言って男が拾い上げたのはエレンが咄嗟に放り投げてしまったメモで。
 しまった、と思ってもときは遅く、男はそれに目を通してしまった。

「エレン、お前……」
「……何ですか」
「イヤ、クソ可愛いことするな、と思ってな」

 くつくつと楽しそうに笑う男に少年は真っ赤になって、顔を背けた。

「お前、相当、俺のことが好きなんだな」

 断定的に言われた言葉は事実ではあるが、言われるとつい対抗心が湧いてしまうもので。

「ええ、好きですよ! 悪いですか!」

 開き直ったように宣言する少年に男は目を瞠って、それから逆ギレかよ、とまた笑った。

「イヤ、悪くない。惚れた相手に好かれて嫌だと言う男なんていないからな」

 言葉と同時に額に優しく口付けを落とされて、少年は先生はやっぱりずるいです、と唇を尖らせたのだった。



 2014.4.23up



 またしてもナイトウォーカーネタ。普段自分の書く攻めタイプじゃないのに、先生書くのは実は楽しいです。結城は箸の持ち方がおかしいのですが、もう治せません……(哀)。





4・筆跡診断編


 リヴァイは癖のない綺麗な文字を書くとエレンは思う。物理の授業時間に黒板に書かれる文字達はいつも整然としていてひどく美しかった。この学校の教師の中で彼が一番字が上手なのではないかとひっそりと少年は思っている。勿論、教師によって授業スタイルは違うので、板書きを殆どしないものや、自分で作成してきたプリント等を中心に進めるものもいるため、総ての教師の文字をしっかりと見ている訳ではないのだが、物理ではなく書道の教師だと言われても納得してしまうだろう。
 リヴァイはきちんとノートを取らせるタイプだ。物理教師曰く「自分で書かなきゃ覚えねぇだろ」ということらしい。リヴァイの授業は判り易いし、要点をまとめてノートに書くのはやり易かった。
 男の字が綺麗なのはやはり、綺麗好きな面が字にも反映されているのかと、授業を受けながら少年はそんなことを思った。


「リヴァイ先生の字? 確かに綺麗で見やすいよね。でも、字の綺麗さと綺麗好きとは無関係だと思うけど」

 いつものお昼休みの時間、そんなことを話したエレンに幼馴染みの少年はそう答えた。その論理から言うとクリーニング業界の人間の字は総て綺麗だという話になるから、と。

「ああ、でも、字が綺麗にこしたことはないよね。今は手書きで書類を作成することは少なくなっているけど、意外に書く機会あるしね」
「まあ、テストは手書きだしな」
「でも、エレンだって字はすごく綺麗じゃないか。変な癖ないし、そういえばちょっとリヴァイ先生の字と似てるよね」
「似てる? そうか?」

 自分ではそうは思えないが――リヴァイの方がずっと綺麗な字を書くとエレンは思う。自分の字は下手ではないと思うが、書道をきちんと習った覚えはない。母親は自分に箸や鉛筆の持ち方などをきっちりと学ばせていたと思うが、本格的な指導を受けた記憶はないし、一年時の芸術選択時も書道は取らなかったので、小学校の習字の時間くらいしかきちんとやったことがないような気がする。

「やっぱり付き合っていくと字も似るのかな……」

 アルミンがそんなことを言ったので、エレンは口に入れていた弁当を噴き出しそうになった。何とか堪えて咀嚼してから涙目で軽くアルミンを睨む。

「なわけ、ねぇだろ!」
「いや、似たもの夫婦とか言うだろ?」
「それ、そういう意味じゃねぇし! 大体、夫婦じゃないからな!」

 頬を染めながらツッコミを入れた少年に対してアルミンはくすくすと笑っている。少年が自分をからかっているのは明白だったので、エレンはそれ以上は言うことはせずに、残りの弁当をつついた。



 ――そんな会話を幼馴染みとした日、男の自宅でくつろいでいた少年はふと、リヴァイに先生の字はすごく綺麗ですね、と話してみた。

「そうか?」
「はい、すごく見易いです。たまに、何て書いてあるのか悩む先生とかいるんですよね……」

 授業の内容で見当はつくが、教師相手に読めませんとは言いにくいので――優等生キャラの自分では特にそんな真似は出来ない――見易いリヴァイの字には助かっている。
 紅茶の淹れ方や、ピアノ、字の綺麗さ――男には隠された特技がきっと他にもあるのだと思う。それを一つ一つ発見していくのは少年にとってとても楽しく嬉しいことだった。

「ああ、たまに癖が酷いやつがいるな。俺の場合は書道教室に通っていたからな」
「書道を習っていたんですか? ああ、だから、あんなに字が綺麗なんですね」
「まあ、通っていたのは小学校までだがな。中学生になったら、やめさせられたからな」
「やめさせられたって……」
「受験科目に書道はないからな。将来芸術専攻を目指しているならともかく、続けさせても意味がないと判断したらしい。ピアノだけはねばって続けることが出来たが」
「…………」

 まずい話題を振ってしまったか、とエレンは俯いた。――リヴァイは自分の過去の話は滅多にしない。エレンの小さい頃の今では赤面ものの話はすることはあるが、自分の昔のことは話したがらず、上手くかわしてしまう。それは、家族と絶縁したという事実に触れてしまうことになるからだろう、とエレンは推察している。リヴァイが自分から語ってくれるまでは訊き出すことはやめようと考えていたのだが、思わぬことで触れてしまった。

「あ、そういえば、アルミンから先生の字とオレの字って似ているって言われました。そんなことないのに」
「いや、あるかもな。お前に字を教えたのは俺だからな」

 話題を変えようと明るく言った言葉にそう返され、エレンはぽかんとした顔でリヴァイの顔を眺めてしまった。男は勿論、幼稚園でも教えていたとは思うが、自宅で学習するときは大抵自分が教えていたのだと続けた。

「遊びとセットになっていたから教えてもらったという感覚はないんだろう。まあ、教えたといっても平仮名と片仮名くらいだが、ペンの持ち方とか字を書く姿勢とか基本的なことは全部教えたぞ? 三つ子の魂百までと言うし、似ることもあるのかもな」
「三つ子って……オレ、先生と三歳のときまでには会ってませんけど」
「それくらいの誤差は許容範囲だ。男が細かいことを気にするな」

 意味合いとしては幼い頃の性質は老年になっても変わらないということだから、年齢を議論しても無意味かもしれないが――そんな小さな頃からリヴァイは自分の「先生」だったのかと思うと、エレンは何だかおかしくなって小さく笑った。

「ねえ、先生、じゃあ、今度はピアノを教えてくれませんか?」

 エレンの頼みごとにリヴァイは少し驚いた顔をして、俺の腕は人に教える程じゃないと苦笑いを浮かべた。

「充分、上手でしたけど」
「アマチュアとしてはな」
「……なら、今度また先生のピアノを聴かせてください」

 音楽室のピアノがあいているときに借りるくらいなのだから、男はピアノを弾くのが好きなのだと思う。だが、彼の自宅にはピアノは置かれていない。一昔前ならピアノの音がうるさいと苦情がきたかもしれないが、男が住むこのマンションはまだ新しく防音効果にも優れていて、音が近隣に漏れることはまずない。一人暮らしには広い間取りなのでピアノを設置する余裕もある。なのに、男が自宅にピアノを置かないのは、ピアノに対してきっと複雑な気持ちがあるからだと思う。その理由が何かまでは推察することは出来ないのだが。
 けれど、リヴァイはとても楽しそうにピアノを弾くから――その時間を共有出来たらいいと少年は思うのだ。

「……音楽室は自由に借りれる訳じゃねぇから、難しいぞ?」
「はい、時間が合ったときだけでいいですから」

 リヴァイは何か悩んでいるようだったが――あそこならいいが、連れていく訳には行かねぇしな、と呟いたのが聞こえた――やがて頷いた。

「だが、ただで聴かせるわけにはいかないな」
「え? まさか、お金取る気なんですか!?」
「キス一回だ」
「は?」
「一曲聴かせる度にお前から俺にキスしろ。そうしたら、少しは上手くなるんじゃないのか?」

 にやり、と口の端を上げて見せる男に、エレンは真っ赤な顔で口をぱくぱくさせた。

「お前、キス好きだろう?」
「べ、別に普通です!」
「嘘つけ。……しているとき、すげぇエロい顔をするぞ? 気持ち良くてたまらないって顔だ」
「してません! 絶対にしてません!」
「自分じゃ顔を見られないだろうが。何でそう断言できるんだ?」
「……………」

 痛いところをつかれてエレンは黙ってしまった。そういうときの自分はいつでも余裕がないのでその手の話は自分には不利だ。

「――で、聴きたいのか? 聴きたくないのか?」
「…………聴きたいです」

 渋い顔でそう告げる少年に男はくつくつと笑って、じゃあ、前払いで一回もらっておくな、と口付けを落とした。
 こっちからしろって言ったんじゃないか、とか、何で先払いなんだ、とか言いたいことはたくさんあったが、その言葉は総て飲み込まれてしまう。
 やがて、解放されて先生はやっぱりずるいです、と唇を尖らせる少年に男は楽しそうに笑った。



 2014.5.11up



 本編の補完的な話。ピアノ好きなリヴァイが家族と絶縁後も何故自宅にピアノを置かないのかと言えば、複雑な思いがあるからです。家族と絶縁するになったきっかけがピアノ教師とのことがばれたからなので、その辺りのごたごたの記憶とピアノはセットになってる訳です。でも、弾くのも聴くのも好きで、弾いていると無心になれるのも本当なので。先生の中のボーダーとして自宅には置かない、となっているわけです。でも、エレンと再会したので、ピアノ買うこともあるかも。





5・初対面編


 物理教師から今夜は呑みに行く約束があるから、帰りは遅くなる、真っ直ぐ家に帰れよ、と言われて少年は頷いた。やはり、社会人になれば呑み会やら何やら付き合いなどで色々大変なんだろうな、とそのときは思った。自分も社会に出たらそういう人付き合いをしなければならないのだろうと思うが、少年にはまだ未来は漠然としすぎていて想像がつかなかった。
 そんな会話をした翌日。少年は恋人の自宅マンションを訪れた。本日は休日で男の家に行く約束は前もってしていたからメールなどの連絡は入れていなかった。昨日の夜は遅かっただろうし、まだ寝ていたら起こしてしまうかもしれないと――平日ならもうとっくに起きて支度している時間だが――少年は合い鍵を使って中に入った。途端、目に入ったのは見慣れぬ女物の靴だった。当然、物理教師のものではないし、自分のものでもない。第三者の物なのは確かで、エレンは戸惑った。恋人の家を訪ねたら見知らぬ女物の靴があった――などというと浮気現場に遭遇してしまったようだが、物理教師が同性しか愛せないのは知っている。なら、客が来ているのだろうか――だが、自分が今日来ることは男も知っているはずである。どうしたものか、と思っていると、物音に気付いたのか、誰かが玄関先までやって来た。

「あー、頭痛い……ねー、リヴァイ、ドリンク剤あった?」
「…………っ!?」

 突如現れた女性――しかもどう見ても下着姿だ――にエレンはぽかんと口を開けてしまった。相手も自分のことに気付き、目を見開いてこちらを凝視している。取りあえず、見てはいけないと思い、エレンは視線を下に向けた。

「あ、あの、あなたは――」
「うっわー可愛い! ねえ、君、いくつ? まだ高校生くらいかな?」

 先生のお知り合いですか、という言葉は相手の女性に消されてしまった。

「え? 今、高校二年ですけど……」
「惜しい! 下は最低でも大学生からなんだよね、私。高校生はさすがにまずいじゃない? すごく可愛いのに、残念!」
「え? あの、え?」

 口元に手を当てながらそう言う女性に、少年がついていけずにただ困惑していると、背後からオイ、何してるんだ、と声をかけられた。
 確認するまでもなく判ったその声の主は片手にコンビニエンスストアのレジ袋を提げて呆れた顔で女性を見ていた。

「先生、あの、この人は……?」
「おかえりー、リヴァイ、あった?」

 男はやれやれと肩を竦めながら女性に袋を手渡し、少年の頭を撫ぜた。

「お前、服くらい着ろ」
「だって、リヴァイの服じゃサイズ合わないじゃない。寝るときは楽にしたいしさー」
「スウェット出してやっただろ。合わねぇのは多少は我慢しろ」

 とにかく何か着ろと言う男に、はーいと返事して女性は部屋の中に入って行った。

「あの、先生、あの人は?」
「ああ、昨日はあいつと呑んでたんだ。あいつが珍しく呑みすぎて終電逃したから家に泊めたんだが、起きたら起きたで二日酔いで頭痛いとか騒ぐし。仕方ないからコンビニでドリンク剤を買ってきた」

 男は酒に強いので二日酔いの薬など常備していないため、仕方なく買いに出たらしい。その僅かな外出の時間に少年が訪問してしまったという訳だ。先に連絡しておけば良かったな、驚いただろう、という男に少年はこくこくと首を縦に振った。

「あいつは大学の頃からの付き合いで同期なんだが、昔から変人なんだ。まあ、悪い奴じゃないから気にするな」
「先生って……」
「何だ?」
「友達がいたんですね」

 それが女性であんなに変わった人だとはダブルで驚きだった――いや、男の性格を考えると、あれくらいのインパクトのある人じゃないと付き合っていけないのかもしれない。

「オイ、誰が、ぼっちで寂しい人間なんだ……?」

 一人で納得している少年に、男は眉間に皺を寄せ、デコピンを投下したのだった。



 女性はハンジ・ゾエと名乗った。リヴァイとは大学時代からの付き合いで最近まで海外勤務だったそうだが、帰国して新しい部署に配属されたらしい。昨日は取引先の会社の嫌な男に会ってしまったせいで、つい呑み過ぎてしまったのだと言う。エレンが自分も名乗ると、何故か彼女は目を丸くした後、大爆笑してしまった。突然の行動に戸惑っていると、ごめんごめん、と明るい声で謝罪された。

「それと、押しかけちゃって悪かったね。恋人同士の時間を邪魔するつもりじゃなかったんだけど」
「は?」
「恋人なんでしょ? 合い鍵持ってるくらいなんだからさ」

 リヴァイは自分のテリトリーには気に入った人間しか入れないタイプだし、合い鍵持ってるなんてそれしか考えられないでしょ、と言うハンジに、エレンはどう答えるべきか判らずに男に視線をやると、こいつは知ってるから大丈夫だ、と告げられた。

「俺が同性愛者だって知ってるからな。ちなみにこいつはバイだから気をつけろ」
「バイって……」
「そう、男女の性別を問わず愛せる心の広ーい人間ってこと」
「単に節操がないだけだろうが」
「人のこと言えないでしょ、リヴァイ。ちなみに好きなのは綺麗なお姉様タイプと、可愛い年下の男の子タイプなんだ。エレンは年齢がなければストライクゾーンなんだけど。三年後くらいにリヴァイと別れたら言ってね?」

 そうエレンに告げてからからと笑う彼女が本気で言っているとは到底思えない。少々――いや、相当変わっている人のようだが、何だか憎めない人だな、とエレンは思った。

「何か、お腹空いたね。朝食食べない?」
「お前、二日酔いはどうした?」
「ドリンク剤飲んだら治ったみたい。食べたら帰るからさ」

 お前、相変わらずマイペースだな、とリヴァイが呆れた声を出すのに、じゃあ、オレが何か作りましょうか、と少年が申し出る。

「え? 料理出来るんだ?」
「はい、人並みには作れると思います」
「愛妻料理食べたい! 私も手伝うね!」

 家主に意見を訊かず、ハンジは少年の手を引いてキッチンに向かった。

「あの、待っていてもらっても大丈夫ですよ? 簡単なのにしますから」
「大丈夫! これでも片手で卵は割れるんだよ!」
「…………」

 そう力説されても、とエレンは頭を押さえたくなった。いったい、他には何が出来るというのだろうか。

「……でも、良かった」

 不意にハンジが呟くようにそんな言葉を口にしたので、エレンは怪訝そうにハンジを見つめた。

「リヴァイはちゃんと、大切なものを見つけて、それを手放さなかったんだね。安心した」

 君みたいないい子で良かったよ、と微笑むハンジにエレンは恥ずかしいようなくすぐったいようなそんな気持ちに襲われた。

「あ、私、リヴァイは全然タイプじゃないから安心してね! まあ、リヴァイは根っからの同性愛者だから心配することないんだけど」
「あ、はい。大丈夫です。オレも安心しました」

 きょとんとするハンジにエレンは先生にあなたのような友達がいて、と続けた。

「ちゃんと、先生のこと理解してくれた人がいたんだって――それが判って嬉しいです」

 そう嬉しそうに言う少年をハンジは可愛い、いや、君、本気で可愛いよ、と思い切り抱き締め、それに慌てるエレンの声を聞きつけた男に無理やり引きはがされたのだった。


 朝食を食べたハンジが帰り際に見せたいものがあるんだ、と言って取り出したのは何故か携帯電話だった。アドレスの交換でもするのだろうか、と首を傾げていると、見せられたのは画像のフォルダで。

「ほら、可愛いでしょ?」

 そこに写っていたのはまだ小さい黒猫だった。真っ黒な毛並みに金色の瞳の子猫は確かに可愛らしかったが、これは彼女の飼い猫なのだろうか。

「猫を飼われているんですか?」
「ああ、違うよ。私が拾った猫なのは確かだけど、私は一人暮らしで夜遅くなることも多いから、飼い主を探してもらってもらったんだ。預かっていたのは少しの間なんだけど、そのときに撮ったんだよ」

 消すのも何か寂しいから保存してあるのだと、彼女は言った。

「エレンは今は幸せに育ててもらってると思うよ。ちゃんと信用出来る人に渡したから」
「は?」
「この猫、エレンって名前なんだ」

 思わぬ言葉にエレンはハンジと画像を交互に見た。

「名前ないのも寂しいかなって――少しの間でもいいからつけようって思って、リヴァイに何がいいと思うって訊いたら即答でエレンって答えたからさ。うん、今日、やっと納得がいった」

 エレンは先程自分が名乗ったときに彼女が爆笑した訳がここにきて理解出来た。同時に頬が熱くなってくる。

「今日は本当に会えて良かったよ。じゃあ、後は二人で楽しんでね!」

 そう言って家を出るハンジを見送った後、エレンは男に視線を投げた。

「……先生」
「……仕方ねぇだろうが。見たときにお前っぽいって思ったんだから」
「オレって猫っぽいですか?」
「猫っぽいときもあるし、犬っぽいときもあるな」
「先生はどっちかというと、ネコ科っぽい気がしますけど――」

 ネコ科と言っても可愛らしい猫などではなく、猛獣と呼ばれるものだとひっそりと少年は思った。
 男はそれに何言ってるんだと、笑った。

「俺にネコは出来ないと言っただろう?」
「―――っ! 何の話をしているんですか! そっちの話じゃないですからね!」
「大体、男はケダモノだと決まっているだろうが」

 そう言ってにやりと笑う男に身の危険を感じたが、ときはすでに遅く。
 その後、少年は男においしく食べられてしまったのだった――。



 2014.5.16up



 本編の補完的な話。誰も気にしていないだろう子猫のその後です。ハンジさんとの対面は本編に入れてもいいようなエピソードですが、話の流れを考えて小話でup。子猫のもらわれ先はアルミンのところにしようかと最初思ったんですが、子猫放置して飲み歩いた末にリヴァイ宅で過ごしているのはハンジさんならやらないだろう、と思い飼い主が見つかった後になりました。






←back next→