「MUSIC FOR ATOM AGE」SPECIAL INTERVIEW VOL.3
特別寄稿
編曲家
ゲイリー芦屋氏
ゲイリー氏

 「MUSIC FOR ATOM AGE」のオープニングチューンとしてリスナーから高い支持を集めている
 「Beep beep beep!」の編曲者・ゲイリー芦屋氏が語る樋口氏との出会いから本作制作まで。 



樋口さんとはじめて会った時の事はよく覚えています。場所は赤坂だかどこかのホテルのロビー。もう10年くらい昔の事になると思うのですが‥。
シングアウト、リバティベルズのシングル、火の鳥2772等が大好きで、もっとこの「樋口康雄」という作曲家の曲が聴きたいと思ってた僕は濱田高志と二人で樋口さんのクレジットがあるレコードを中古屋で発掘しては片っ端から聴きまくっていたのですが、ある日濱田が「こんなレコード見つけたんですけど」といって電話口でかけてくれたのが「ABC」だったんです。その瞬間‥そう、まさに瞬間的に僕は「あ、この作曲家に会わなければダメだ」って、ただそう思ったんです。
今となってはどうやって樋口さんの連絡先を手に入れたのか思い出せないのですが、緊張で震える手でダイアルを回し留守番電話に「会ってお話を聴きたい」旨を吹き込む…(当時ちょっとした書き物もやってたので、それの取材という事で)。今となってはなんとも無謀で、失礼極まりない怪しげな若者だっただろうなあと反省することしきりですが‥。

 ホテルのロビーに颯爽と現れた樋口さんはひげ面の物腰の柔らかな紳士という印象。ただのイチファンにすぎない僕を相手に、色んなシングアウトの想い出などを2時間くらい語ってくださいました。そして別れ際に樋口さんが「あなた、音楽もやってるのなら、そのうちなんかお仕事振りましょう」と仰ったんです。‥‥前置きが長くなりましたが、その時はまさかそんな事が10年後に実際に起こるなんて事は想像だにしませんでした。

 こういう仕事をしていると、普段なかなか会えない人に会えたり、自分の思い入れのある人や音楽に直に接する機会も多く、色々な想い出が沢山ある方だとは思うのですが、その中でも今回のお仕事は白眉。樋口さんの伴奏でヤングの皆さんがリハをやってるのをブースの入り口で眺めながら、思わず熱い物がこみ上げてくるのを押さえられませんでした。世代的にはステージ101どころかレッツ・ゴー・ヤングさえもまともに見た記憶がないような僕ですが‥。

 さて、今回アレンジをやらせて頂いた「Beep beep beep!」ですが、オファーはフィフスディメンション風という事だったのでいわゆる記号的なソフトロック・フレーズをちりばめつつ、僕独自のアイデアとしてはサビでの疾走感を際だたせるために、ワンコーラスカットして尺を短くし、コンガとエレキのワウカッティングというアナクロな(僕にとっては全くアナクロでもなんでもないんですけどネ)手法を盛り込みました。基本的に僕のやりたい事を尊重して頂けて、こんなにやりたい放題でいいんだろうか?後でオケ全段の譜面を細かくチェックされたりするんだろうな、と思ってたら「いいのいいの、聴いた感じよければ!」と意外にアバウトなお言葉も‥。まあ、勿論この辺りは曲にもよるんだとは思いますが。
しかしながら「一言」だけアレンジの極意についてアドバイスを頂いたのですが、それは今まで僕があまり明確に意識してなかったポップスの本質をズバリ言い当てる様な鋭い極意中の極意で、兎に角僕は今回の仕事中その「一言」を四六時中ぶつぶつ唱えながらピアノに向かってました。
いや、大した事じゃないんですけど言われてみればその通り‥みたいな座右の銘的な極意で、多分一生僕はそれを意識しながら仕事をしていくと思うのです。

 最後になりましたが尊敬する樋口さんの曲のアレンジなどという大役を任せて頂いて、これ以上の光栄はなかったです。樋口さんの新曲を聴きたい!とずっと思ってたいちファンとしての僕の気持ちが、このアレンジを通して一人でも多くのファンの方と共有できれば嬉しく思います。

 一言最後に付け加えるなら、やっぱりPICOのボーカルがもっともっと聴きたかったなあ(笑)。

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