True of him 9



「姐さん、お久しぶりです」

「久しぶりね。もう私のことを忘れたんだと思ったわ」

「そんなわけないじゃないですか。大切な私達の姐さんなんですから」


前中が訪れたのは、記正総合病院脳外科病棟の特別室。
部屋の入り口には名前を示すようなものは掲げられてはいなかった。

病院とはいえ、特別室という名のもと病室とは思えない内装になっている。

患者用ベッド以外にも、付き添い用にしては立派すぎるベッド。

当然ながら大型テレビにソファもあり、キッチンやバスルームも完備されている。

そんな部屋の主はといえば、呼吸も機械によって助けられなければ困難な状態で目を閉じ、ベッドに寝かされていた。

部屋の中では呼吸器の機械的な音がリズム良く鳴り響き、ベッドの主が生かされていることを知らせているようだ。

そんな人間の隣に立ち、前中と対峙しているのは全身をブランドの服で固めた女だった。

年の頃は前中と同じぐらいか、それとももう少し上なのかというところ。

しかし自分磨きには手を抜かないのか、その姿は挑発的にも見え、本来の年齢を分からなくさせている。

前中に”姐さん”と呼ばれた女、名前を愛子という。


親はなんと女にふさわしい名前をつけたのだろうか。

誰にも愛されるようにと願って付けられただろう名前。

女はまさに愛を貪欲に求める人間へと育った。


そして今はベッドの主、楠本の正妻という位置にある。


「久しぶりにこの人の顔が見たくなったってことかしら」

「そうですね。そんなところです」

「ふん、白々しい」


愛子は前中の態度に鼻で笑うだけだった。


「そういえば、もう2年以上になりますか」

「2年9ヶ月よ」

「そうですか」


ベッドの主が突然倒れたのは2年以上前。
頭を抱えるようにして倒れ、手術を受けたがその意識が戻ることはなかった。


「全然顔を見せないと思えば、こんな時に見舞いに来るなんてね」

「こんな時・・・それはどういう意味ですか」

「別に・・・」


前中と愛子は互いに笑顔で対応をし続ける。

しかし、その笑顔の持つ意味がどれほど違うのか、それは本人達が一番良く分かっているだろう。


「私は最近ご無沙汰している組長が心配になっただけですよ」

「そう。じゃあ、好きなだけ話していけば」


愛子は前中の言葉に適当に返事をすると、ソファに腰を掛けてテレビを見始めた。

目立ちはしないが、部屋の中には数人の人間が待機している。

それらは部屋の主を外敵から守るという目的と、付属する女の世話が主な仕事だった。

前中は

「組長、お久しぶりです」

と眠り続ける人間に語り掛けた。

他愛のないことをいくつか話しかけた後、前中はゆっくりと耳元へと顔を近づけると


「あなたの愛はもうすぐ完結しますよ」


その言葉にどんな意味が込められているのか、前中にしか分からない。

周りには決して漏れない声量で呟くと、


「では、私はこれで失礼します」


前中は次の言葉を誰にともなく掛ける。

愛子はテレビに向けた視線を少しも向けようとはしなかった。




「事務所に帰りましょうか」


車に戻ってきた前中は何も言わず、ただ行き先を告げた。


「どうだった」


誰も喋らない中、小野が口火を切った。

前中は小野の問いかけに答える気はないようで、ポケットから携帯を取り出す。


「もしもし」

『洋は元気ですか』

「あまりにも役に立たないので、返品したいぐらいです」

『はは、じゃあ夜には返してください。

私の方は洋がいなくて欲求不満になりそうです』

「役に立つのは色事だけなんでしょうね」

『だからって、洋のペニスやアナルを誰かに貸してあげるようなボランティア精神は持ち合わせていませんから』


前中は不毛なやり取りに知らずため息がこぼれてきてしまう。


「もういいです。それよりも・・・」

『はい、はい。警察の方にはストップかけておいたよ』

「ありがとうございます。ちゃんと代わりは用意しておきますから、そっちを」

『ああ。で、そんなことよりも・・・』


このままではいつまで経っても埒があかないと判断した前中は、さっさと携帯を隣にいる人間に渡した。


「もしもし」


何を話しているのか、それはなんとなく分かるが前中は全く興味がなく無視を続けた。


「お、おま・・・そんなこ・・・俺、帰らねぇぞ。

・・・か、帰ります。帰らせていただきます」


隣で不毛な会話を続けているのを聞いている間にも、車は事務所前に到着する。


「・・・だか、あっ」


前中はまだ会話を続けていた小野の手から携帯を奪い取ると、そのまま通話を切った。

事務所に戻ると、2人の部下が帰りを待っていたかのように前中の前に立つ。

「こちらを」

前中には数枚の書類が手渡され、右側に立つ人間が話し始める。


「おそらく、ここに監禁されているかと思います。

これから20人体制で救出に・・・」

「おそらく・・・なんですか。それは何%の確率です」

「え・・・」

「私は100%の言葉以外は聞きたくありません。

ここに間違いないんですよね」


前中の言葉にその部下は言葉を失くした。

100%とかどうかと言われれば自信が揺らぐ。

割り出されたターゲットのここ数日の行動、携帯のハッキングなどから、場所の特定をようやく絞り込んだばかりだった。

もしターゲットが白だったら、もしその場所が違っていたら・・・


「先に何人か人間を送り込んでみます・・・か」

「・・・それを私に聞きますか」


前中の表情は全く変わらないが、その言葉は明らかに棘を含んでいた。

部下の表情は明らかに青ざめていき、それを見かねたようにもう一人の人間が後を続ける。


「早計でした。まず先発で2人、向かわせます。

その報告を待ち、動くことにします」

「タイムリミットは6時間後です」

「・・・分かりました」


そう言うと、蒼い顔をした部下を引きずるようにしてもう一人の方も前中の前から消える。

そして、次に秘書が前中の傍らに立つ。


「社長。耳に入れておいた方がいいかと」


前中は書類を見ながら

「何ですか」

と聞いた。

その声音からは前中の感情は読みとれない。

秘書はなるべく淡々と、感情を込めないように努めながら話し始めた。


「さっき連絡を受けたんですが、今度のパーティーに招待している何人かの方々にメールが送られたそうです」

「メール・・・」

「転送してもらった内容はこちらです」


1枚の紙が前中に渡されるが、それを見た前中の反応は珍しいものだった。

内容を確認した途端、紙を握り潰した。
それだけでは飽きたらず、秘書に向かって掌を差し出す。

前中が何を求めているのかすぐに理解した秘書は、ポケットから素早くライターを差し出す。


「これを受け取った人間に・・・」


ライターを受け取ると、前中はすぐにクシャクシャになった紙屑に火をつける。


「すぐに消去するように言いましたが・・・顔は出ていなかったので今度の余興みたいなものだと伝えました」

「本当に・・・私の神経を逆撫でしてくれる相手みたいですね」


紙が燃えて灰になっていくのを見ながら前中は微笑んでいた。


”どんなにバックがついているからって・・・ここまでこの人を怒らせるなんて・・・”


秘書の心には相手に対して同情する気持ちは砂粒ほどもなかった。

というか、ピリピリとした雰囲気を作り出した人間を恨む気持ちは大いにあった。


「俺はそろそろ帰らせてもらう」


一緒に事務所まで帰ってきていた小野は、その雰囲気に耐えられず帰宅を申し出た。

「帰る・・・」

前中は小野の方をチラッと見やると、


「帰って何をするつもりなんですか」

「何って・・・」

「あなたも落ちたものですね。
塀の中でも守り通した尻なのに、今は男に掘られて喜ぶ雌犬」


辛辣な言葉をぶつけ始めた。

それはただの八つ当たりでしかないということは、周りの人間も、そして言っている前中自身も分かっていた。

しかし、前中は出てくる言葉を止められることはできなかったし、止めようとも思わなかった。


「もう女に突っ込むだけじゃダメなんでしょうね。

男に後ろを突かれないとイけないんじゃないですか。

まあ、ガバガバになりすぎて飽きられないようにしてくださいね」

「ガバガバ・・・」

「そんな状態になった後で返されても、卸す所が限られて
きますから。

そもそも、どうして連れ去られたのがあなたじゃなかったんでしょうね。

あなただったら切り刻まれようと、別に困る人間はいなかったはずですから」

「・・・お前」

「さっさと帰って、その淫売な尻を差し出したらどうですか。

サービスしないと、ゴミ箱行きもそれだけ早くなりますよ」


小野が前中に向かって殴りかかろうとした寸前、秘書が止めに入った。


「すみません。社長は今混乱してるんです」

「混乱してるからってなぁ、人間言って良いことと悪いことぐらいっ」

「察してください」


もう前中は小野に毒を吐くことすら興味を無くしたのか、席を立つと何も言わずに部屋を出て行ってしまった。

前中が部屋を出たのを確認すると、ようやく秘書も小野を捕まえていた手を離す。


「今のうちに帰ってください」

「言われなくても帰る」

「そうしてください。
それでないと、先生のもとに二度と帰れなくなります」


秘書の言葉に小野は目を大きく見開く。


「な・・・」

「社長は今、とても危険な状態です」

「そん・・・」

「あの方が消えてから、関係者らしき人間をすでに2人切り刻んでます」


小野はその言葉が嘘だと思えなかった。
見れば秘書の表情には疲労の色が濃く浮かんでいた。


「でも、俺は・・・」


”関係者ではない”という言葉は無情にも続く秘書の言葉に消された。


「向こう側だけじゃなく、こちら側も無傷じゃないんです」

「な・・・」


秘書は目だけで出口を示した。
その行動に、小野は言葉を失いながらも硬直してしまった身体を何とか動かして出口に向かった。


「全てが終われば、あの方が社長を人間に戻してくれるはずです」


小野が出ていく姿を見送りながら、秘書は希望的観測を含めた言葉を送る。

一方で前中は奥の部屋、リクライニングチェアに座りながら、携帯に残された良隆の写真を眺めていた。

恋人になってからの物が大半だったが、まだ恋人になる前の物も何枚かある。

寝顔やカメラに向かって笑っているもの。

情事の時のものも撮っておけば良かったと、今の状況に不似合いなことばかりを考えていた。

身体は睡眠を欲している。
しかし、頭は反対にやけに冴えている。

前中はある電話番号を呼び出した。


『もしもし』

「部下の管理ができてないですね」

『な・・・』

「それとも、あなたも1枚噛んでるんですか」


名前を名乗ることもしない。
丁寧に主語と述語を取り混ぜ話すこともしない。

それでも向こうは前中の言っている意味が分かっているはずだった。


「どちらにしても、責任はとってもらいますから」

『おい・・・ちょっ・・・』


前中はそれだけを言うと、通話を切る。

そして、立ち上がると秘書が待機している部屋へと向かった。

そこには裏を知っている秘書以外にも、何の事情も知らない秘書も2人いる。

普段であれば言葉を選んで指示を出している前中だったが、


「天野(アマノ)さんの家族を確保してください」


今は隠すことすらしなかった。


「手配します」


事情を知らない2人は事情が掴めず目を丸くしていたが、前中はそんなことを気にする様子も見せない。

伝えることだけを言うと、部屋へと再び戻ってしまった。



それから数時間後、

「社長」

秘書がノックもせずに部屋に入ってくる。

それだけで前中にはすぐに理解できた。


「行きましょうか」


前中は自分の携帯と、良隆の携帯を手に立ち上がった。





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