True of him 10


久しぶりに見た光景は、良隆には眩しすぎた。
だからすぐに目を閉じてしまう。


「良隆さんっ」


突然聞こえた良隆の名前を呼ぶ声。

それは良隆がずっと聞きたかった声。

声と共に誰かが近づいてくるのも感じ取れた。
それはいつも良隆を傷つけたり、バカにする連中とは違った。

空気が、良隆の求めていたものだということを教えてくれる。

それまで良隆を縛り付けていたものが1つずつ取られていく。

目隠しも取られた。

そして、何度も名前を呼ばれながら懐かしい匂いに全身を包まれる。

少し慣れてきた目をゆっくりと開いていく。

光の洪水に目を眇めながら、彼の背中越しに見えたのは・・・





「社長、到着しました」

報告を受け、すぐに出発した前中達が到着したのは夜中だった。


「よくこんなところまで・・・」


そこは都心から車で3時間は要する場所だった。

周りには夜だからという理由だけではなく、これといった光は見えなかった。

というのも、金を持った人間達が避暑地として利用するような場所であるため家と家が離れている。

鬱蒼とした木々がひしめき合っているため、隣の家であったとしても光が届くことは滅多にない。

そして、近くの家で何が行われているとしても決して周辺の住民には気づかれない。

その時、前中の視線の先には小さなログハウスが見えていた。

電気は付いている。
が、中の様子は全く見えない。

前中が乗ってきた車の他に、2台の車が近くに止まっている。
その1台から男が1人出てくると、前中の車に近づいてきた。


「中は」

「ガキが数人と、それから黒下がいるようです」

「そうですか」

「あの方は、おそらく下かと思います」

「まあそうでしょうね。あの部屋は人間を1人入れておくのにはちょうどいいですから」


前中は男と話しながら、ぼんやりとログハウスを見ていた。


「他には」

「気づかれてはいません」


男はそう言ったが、これだけの人数を動かしていることを考えれば気づかれるのも時間の問題だと言える。


「いいですよ」

「え・・・」

「気づかれても、いいですよ」


前中の言葉に男は少し驚いた様子を見せたが、すぐにその表情を元に戻した。


「むしろそうやって恐怖を少しでも長く感じればいいんですよ」


前中は懐から出したライターの火を見ながらそう言った。

そんな会話をしている間にも、後ろで動きがあった。


「ちょ、黒下さんっ」


ログハウスから何かが飛び出してきた様子が前中達の場所からも分かった。

黒い固まり。

それが人間だということは考えなくても分かった。

小柄で、肉付きのいい身体が暗闇の中でせわしなく動いている。

そんな男を追いかけるようにログハウスから1人、男の名前を呼びながら出てきた。


「どうしたんですかっ」


その声は男の行動に戸惑いを隠せないといった様子。

黒下と呼ばれた男は置いてあった車に乗り込もうとしたところで、追いかけてきた男に捕まった。

「急に・・・」

「離せ、このガキっ」

「ちょっ・・・」

腕を捕まれた黒下は空いていた方の腕で乱暴に男を殴りつけようとする。

相手は訳が分からないといった様子で思わず掴んでいた腕を離す。

その隙を見逃さず、黒下は


「俺は帰るからな」

「か、帰るって・・・」

「お前等も早く逃げた方がいい。もうすぐ奴が来る」

「奴って・・・」

「なんでもいい、俺はもうこの件から降りる」


焦っているのだろう、その声は周囲をはばかることなく叫びに近い状態だった。

自分の言いたいことだけを言うと、黒下は立ちすくんでいる男をそのままに、無情にも車の扉を閉める。


「ちょっと、黒下さんっ」


窓を何度か叩く男を無視し、黒下は車のエンジンを掛け始めた。


「冗談じゃない。冗談じゃないぞ・・・俺は知らない。

そうだ、俺は何にも知らないんだ。
ただ、そそのかされただけなんだ・・・」


黒下は言いながら、舎弟からの電話の内容にただならぬ恐怖を感じていた。




その時、黒下は酒を飲みながら笑っていた。

「あと2日ですね」

「招待状も送ったって話だ」

黒下を中心に、金で雇った不良青年達が笑いながら酒の肴に手をのばしていた。


「へへ・・・黒下さん、これが成功したら」

「あんな肝っ玉の小せぇ組長を押し退けて、俺が組長になってやるぜぇ」

「おー、すげー」

「まあ、そん時はおめえらも俺の下に・・・」

「お願いしまっす」


計画は終盤に差し掛かり、黒下はこの計画が失敗するなんて米粒ほども考えていなかった。

酒を注がれ、煽てられ、バカみたいに笑い合っていた。

そんな黒下はポケットの中で携帯が震えていることに気づくと、

「お、定期連絡かぁ」

何の疑いもなく電話に出た。


「そっちはどうだぁ」

『今、連絡が入ってきた』

「おう、それでぇ?」


電話を掛けてきたのは黒下の部下ではない。
この計画の絵図を書いた人間の関係者だった。

主に前中側の動きを知らせてくる係だったが、その人間の声は明らかに強張っていた。

報告内容を聞けば、それまでのほろ酔い気分は一気に吹き飛ばされることになる。


『そっちに向かった』


黒下にはそれだけで十分だった。


「な、な・・・」

『すぐに逃げた方がいい』

「お、俺がやったっていうのは・・・」

『それは分からない。
俺が言えるのは、早く逃げろってことだ』

「わ、分かった」


電話を切った黒下にはもう”逃げる”以外に考えられる余裕はすっかりなくなっていた。


「く、黒下さん?」


それまで一緒に飲んでいた人間を視界に入れることすらせず、身の回りの物だけを手にすると急に部屋を飛び出した。




黒下はどうしても震える手で車のキーを何度も回すが、機械音のみでエンジンがかからない。


「くそっ、くそっ・・・」


それでも何度か挑戦していたが、不意にコンコンと窓を叩く音に意識が向いた。

さっきまでの男とは明らかに叩き方が違う。

しかし、そんな違いにさえ今の黒下には判断できなかった。


「おい、ちょっとエンジンを・・・」


そう言いながら黒下が少しだけ扉を開けた瞬間だった。


「どこに行かれるつもりですか」


黒下の耳に入ってきた声は果たして悪魔が人間を誘惑する時に出すようなものに聞こえた。


「あ・・・あ・・・あ・・・」


固まったように動けなくなってしまった黒下だったが、その襟元を引っ張る人間がいた。

「くっ」

そのまま車から引きずり出された黒下は、地面に全身を打ち付ける。

「てめ・・・」

ほんの少しだけ残っていた反抗心やプライドのようなものがその声に現れていた。

それも、すぐに消えてしまうことになる。

暗闇に浮かび上がるようにして存在する悪魔を見た瞬間に。


「黒下さん、私は悲しいです」

「・・・・っ」

「まさか前に見逃してあげた恩を、こんな形で返されるなんて・・・ねぇ」

「ひ・・・ぃ」


全身黒い衣装で固められた前中の表情だけが白く、黒下の恐怖を煽った。

黒下は無理矢理に前中から視線を逸らした。

その視線の先には、さっき黒下を追いかけてログハウスから出てきた男がすでに捕らえられていた。

声が漏れないように、口の中には何かを詰め込まれている様子だった。

2人の男に殴られ蹴られているのが見えたが、くぐもった声しか黒下の耳に入ってはこない。


「や・・・いやだ・・・」

「何を言ってるんですか」

「俺は、俺は誘われただけなんだ」


黒下は身体が震えるのを止めることができないまま、目の前に立っている前中に縋りつく勢いだった。

視界の端ではボロ雑巾のように地面に転がされている男が写る。

自分も同じようにされるのではないかという恐怖で黒下は言い訳を始める。


「もうそんなことは関係ないんですよ」


しかし、黒下の頼みの綱はあっさりと切り離されてしまった。


「そんな・・・そうだ、この計画を言ってきた人間を教える。

それに、それに、そいつらをあんたの前に差し出してやってもいい」


黒下は細い糸をたぐい寄せるように前中へと言い募る。


「だから、もういいって言ってるじゃないですか。

ああ、でも安心してください。

あなたはすぐには殺しません」


しかし、そんな蜘蛛のような糸も前中によってプツンと切られてしまう。


「え・・・」


それどころか、スッと音もなく前中が膝を折り黒下と目線を合わせると、


「1分でも、1秒でも、長く生きてください。

そして、痛みに泣き叫び、もがき苦しんでください。

死ぬのはあなたの精神が壊れた時・・・ああ、それでも足りないかもしれない。

あの人が苦しんだ何倍、何十倍、何百倍もの恐怖をあなたに与えてあげます」


笑顔でそう囁き、言い終わると同時に地面に敷き詰められている砂利を手に取った。


「大丈夫ですよ。あなただけじゃありませんから」


前中は言いながら黒下の口の中へと手を伸ばしてくる。

黒下には前中が何をしようとしているのか、嫌と言うほど分かっていた。

さっき見た光景も記憶に新しすぎる。


「い、嫌だ・・・」


固く口を閉じていた黒下だったが、後ろから別の手によって顔を固定される。

その上鼻を指で摘まれ、呼吸ができない状態を故意に作られる。

呼吸をしないわけにはいかず、脳は口を解放することを選んだ。


「はぁ・・・ぐぅ・・ふぐぁ」


大きく息を吸うのと同時に、口の中に大量の砂利が詰め込まれた。


「さあ、これから歯が全て無くなるまでそのままですから」

「んん・・・ぐんんん」


前中は黒下の顔を覗き込むようにして言うと、さっきと同じようにスマートに立ち上がる。

そして、何の前触れもなく黒下の頬をめがけて足を蹴りだした。


「ぶへぇ・・・」


前中の足にゴリッという感触と共に、何本かの歯が折れたのが感覚的に分かった。

黒下はその衝撃に耐えきれず、地面に砂利と血が混じったものをばらまいた。

同じことを数回繰り返していた前中だったが、


「まだ少し残っていますよねぇ。

残念ですが、私はこれからあの人を助け出さないといけないので後はこいつらにしてもらってくださいね」


部下達に目配せをしてその場を離れたが、その時のもう黒下には言葉を発するという気力は残されていなかった。

前中は部下を2人連れだった状態でログハウスへと足を向ける。


「中は・・・」

「気づいたようですが、逃げてはいません」

「そうですか」


扉には当然ながら鍵は掛かっていない。

前中を庇うようにして男達が先に入っていくが、中はシンと静まり返っていた。

リビングとして使用されている部屋には、さっきまで黒下と男が酒を飲んでいた状態がそのままになっていた。

残っていた人間達はきっと窓から前中達を見つけたに違いない。

逃げることをまっさきに考えただろうが、すでに前中達の部下かログハウスを取り囲んでいる。

逃げたくても逃げられない状況だった。


「あなたは2階を、あなたは他の部屋を。

私は地下へ行きます」


前中の指示に、2人は軽く頷くとそれぞれ行動を始める。

前中自身もゆっくりと二階へと続く階段下にある扉へと近づいていく。

それは地下に続く階段への入り口となっているが、普段は閉じているはずだった。
しかし、今は大きく開け放たれている。

前中はその階段を1段ずつ降りながら、胸の動悸が大きくなるのを感じていた。


「こんな場所、作ったのが間違いだった」


今更ながらに前中は後悔していた。




「せっかくなら、地下室を作ってください」

「なんだ、お前。そんな物を作ってどうする」


このログハウスを買うと言ったその人に、前中がそんな提案をしたのはいつだったのか。


「お楽しみ部屋ですよ」

「はっ、お前の楽しみなんて空恐ろしいわ」

「床は洗い流せるようなコンクリート敷きがいいですね。

それと、中からは勝手に扉が開けられないようにするのは絶対で、監視用のカメラも設置しましょう。

それから・・・」

「おい、ここを買うのは俺だぞ」

「はい、分かってますよ。

それで、トイレと・・・」


その人は笑いながら、でも前中の要求通りにログハウスを改築してくれた。

しかし、時は流れ前中はすっかりこのログハウスの存在を忘れていた。

まさかそれが今の自分に大きく関係してくるとは考えもしていなかった。




カチャッ




扉が開く感覚が前中の手を通じて感じられた。




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