”私に残されたタイムリミットはどれぐらいなのか・・・”
良隆はただジッとしているしかなかった。
”前中さん”
「俺をどこに連れていくつもりだ」
シンは逃げ道を考えながらも、小野の後を歩く。
「お前、記憶なくしたんだってなぁ」
「それが何だっていうんだ」
人通りはまばらであるが、全くないわけでもない。
強面の男と一緒に歩いているというだけで、その注目度は上がる。
しかし、当の本人達はそんなことを気にしている雰囲気はない。
「最近さぁ、お前に会いに来た奴、いるだろ」
「さあな」
「昔のことは思い出せなくても、最近のことは覚えてんだろ」
「さあな」
「自分の名前も、何もかも忘れるような脳ミソしか俺は持ってないからな」
歩きながら会話していたが、小野が突然止まった。
大通りに面した場所。
「お前、本当は思い出してんじゃネェのか」
「何をだよ」
「全部だよ」
小野はシンの方を振り返るとそう言い放った。
「何言ってんだ。
そんな記憶が戻ってたら、今ココにいるわけないだろ」
シンは小野の言葉を一蹴するが、
「こんにちは。ご無沙汰しています・・・羽生（ハニュウ）さん」
小野の背後に停めてあった車から前中が出てくると、シンの表情がとたんに強ばった。
「ま、前・・・」
「おかしいですね、あなたは私の名前を知ってるようです」
前中の言葉に、ハッとした様子を見せたシンは
「いや、知らない・・・あんたなんて、知らない」
目を逸らしながら否定の言葉を並べた。
しかし、それで前中が納得するはずもなく、
「そうですか。私は昔のあなたを知ってますよ」
「そうか、でも俺は別に過去なんて知らなくてもいいと思ってるんだ」
「でも、彼はあなたの過去を知りたいと思うんじゃないですか」
前中は”彼”という部分を強調しながら、ニッコリと微笑む。
「あいつだって、別に・・・」
「そうでしょうか。
さすがに何回、何年と刑務所に入っていたことがある人と一緒にいたいと思うでしょうかね」
「それは脅しか」
「おや、過去を覚えていないのに刑務所に入った経験があることは否定しないんですね」
「お前・・・」
シンは唇を噛みしめ、気持ちを落ち着かせようとしている。
傍で見ている小野にはその気持ちが伝わっていた。
「ああ、彼は確か歌舞伎町でも名のあるNo.1ホストとか・・・嫌ですよね、強面の人間が店の周りをウロウロされるのは」
「おい」
「しかも、そのホストと知り合いだなんて言いふれ回ったらどうなるんでしょうね。
売り上げは半減・・・それ以上でしょうか。
店にはいられなくなるでしょうね。
そうなっても彼はあなたの傍にいてくれるでしょうか」
「おい」
「さっそく明日から実験してみましょうか」
「やめろ」
シンは顔を歪め、全身を震わせていた。
そして大きく息を吸い込むと、小さく長く息を吐き出すことで落ち着きを取り戻そうとしていた。
「何が知りたいんだ」
「とても簡単なことです」
「悪魔め・・・」
シンが呟いた言葉を前中は笑顔で受け流す。
そうした上で、
「あなたに最近会いに来た人間はいませんでしたか」
と聞いた。
シンは前中の目を直視したままで
「誰も・・・」
と答えた。
2人の間に数十秒の沈黙が流れたが、シンが口を噤んだままなのをどう捉えたのか。
「分かりました」
前中はそう言ったが、シンはそれを疑わしそうに見ている。
「小野さん」
「ああ」
シンから目を離さず、前中は小野の名前を呼んだ。
小野はポケットから携帯を取り出すと、
「始めてくれ」
どこかに電話をかけた。
「おい、どこに電話した」
「別にどこってことはありませんよ。
ただ、売り上げに貢献できるように団体でお邪魔しようと思っていただけです」
シンの問いかけに答えたのは前中だった。
返答の内容にシンの表情は青褪め、
「なんでだ、俺は知らないって言ってるだろ」
「ええ、分かってます」
「じゃあ」
シンが前中に掴み掛かろうとするが、それを小野が防ぐ。
「やめろ。さらに地獄を見ることになるだけだ」
「だからってなぁ」
「お前んとこに誰が来たんだ」
小野がシンと対峙している間にも、
「小野さん、もう別にいいじゃないですか。
”知らない””誰も来てない”って言ってるんですから。
私もちょうどストレス解消したかったことですし・・・」
そんなことを前中は小野の後ろで言っていた。
シンは拳を握りながら、
「誰も・・・」
”来ていない”という言葉を繰り返そうと口を開いた時だった。
「そうだ、アキさんでしたっけ。
彼をパーティーにご招待しましょう。
皆さんも喜びますよ、あんな綺麗な顔の人が無惨に切り刻まれていく様を見るのは・・・
そんな状態でも死ねずに、犬に犯されながら絶頂を極めるシーンなんて最高でしょうね。
ちゃんとあなたもその時には特別ゲストとしてステージに上がってもらいましょう」
小野の背中越しに顔を覗かせた前中は、ニッコリとシンを見て笑いかけながら
「パーティーは4日後ですし、それまで身体を隅々まで清掃するように今日から別荘に来てもらうことにしましょうか」
良いアイデアでも浮かんだかのように、前中は自分の携帯をポケットから取り出す。
小野も話を聞いているだけで鳥肌が立ってくるのが分かった。
前中がすると言えば、確実にそうなるのを知っている。
シンもそれを想像するだけで吐き気を催してくるほどだ。
「もしもし、お店に着いたら・・・」
前中が掛けた電話は繋がったようだ。
小野はこれが最後のチャンスだと感じ、
「おい、早く来た奴の名前を言えぇっ」
ほとんど叫んでいた。
小野の叫びにシンもハッとさせられる。
そして、目の前にいるのが”人間の皮を被った悪魔”だということを思いだした。
「・・・・だ」
「それじゃあ、お願いします」
シンが何かを呟いたと同時に前中の電話は終わりを告げる。
「さあ、私達は先に別荘へ行きましょうか」
前中は小野の肩にポンと手を置く。
「羽生っ」
「黒下だっ」
小野の叫びと、シンの叫びが重なった。
「黒下だと思う。あいつの下に付いてる向田（ムカイダ）が1週間か2週間前にいきなりやってきた」
シンは吐き捨てるように言った名前に、前中は特に表情を変えることはなかった。
一方で、小野は「まさか・・・」と驚きの表情を隠せない様子だった。
そんな2人の反応を確認する余裕はなく、
「前中のイロを誘拐して、鼻をあかしてやろうって・・・
俺はそんなこと無理じゃないかって言った。
でも、あいつはやけに自信満々で・・・協力してくれる人がいるから大丈夫だって」
そこまで一気にまくし立てた。
前中はそこまで聞くと、シンの顔を覗きこみ
「その人って誰ですか」
と尋ねた。
しかし、シンはその問いには明確な答えを持ってはいなかった。
「そこまでは教えてくれなかった」
「そうですか」
前中はあっさりとシンから離れていく。
「お、おい・・・あいつは・・・」
すでにシンの顔に色はなくなっていた。
「ああ、そうでしたね」
「そうでしたって・・・」
前中の言葉にシンは欠片だけ残っていた怒りが爆発しそうだった。
「お店にはまた今度お邪魔しますよ。
それと、これをどうぞ」
そう言うと、前中はシンに封筒を手渡す。
何が入ってるのか、ある程度の重さのあるそれをシンは前中が去るまで開けることができなかった。
「それでは」
前中は変わらない微笑みで車上の人となる。
「お前、もう少し遅かったらまずかったぞ。
・・・まあ危機一髪ってところか」
「お前の方こそ、何であんな奴の下なんかに・・・」
「こっちにも色々事情があんだよ」
小野とシンが向き合いながら話していると、
「小野さん。置いていきますよ」
僅かに開いた窓から前中が小野のことを呼ぶ。
小野はその声に、
「ちょ、待てよ」
焦ったように車に向かっていったが、
「じゃあな」
そんな中でも、途中でシンに挨拶をすることは忘れなかった。
シンは走り去る車を睨みつけていたが、すぐにアキの勤めている職場へと走りだす。
一方で前中は
「こんなところで黒下さんの名前を聞くことができるなんて思ってもみませんでしたね」
小野に聞かせるように呟きながら、携帯を取り出す。
「もしもし」
相手はいつも傍にいる秘書だ。
『お疲れさまです』
「どうですか」
『はい、大筋は見えてきました』
「そうですか。こちらも良い情報を掴むことができましたよ」
『それは・・・』
「ただ、まだ裏に誰かがいるようです」
『誰か、ですか』
秘書は何かを考えるかのように言葉を止めるが、
「それは今はいいです」
それを前中が遮る。
『え・・・』
「今はそれよりも良隆さんの居場所を突き止めることです」
前中の言葉に秘書は息を呑み、
『あと少しで割りだします』
いくらか緊張した声で言う。
それをどう感じているのか分からないが、
「朗報を待ってますよ」
と前中は言うと携帯を閉じる。
会話が終わるのをミラー越しに確認した運転手が
「次はどこに・・・」
こちらも緊張を含んだ声で尋ねる。
前中は
「記生（キセイ）病院へ。
久しぶりに組長のお見舞いに行きましょうか」
そう告げた。
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