もう良隆には今が夜なのか、朝なのか、どれほどの時間が経ったのかは分からない。
ウトウト眠っては、少しだけ起きている。
ただ、音には敏感になってきていた。
人の歩く音、扉の開く音。
扉が開き、人が入ってくると良隆は体をなるべく小さくし、防御の態勢を取る。
何人かは分からないが、足音が近くまで聞こえてきた。
「これが・・・」
それは良隆が初めて聞く声だった。
若くない、渋めのというか掠れた声。
それまで聞いていた若い人間の声ではない。
だからといってその人間だけがいるわけではないようだった。
「そうです、こんなのがアイツの好みだそうです」
アイツというのが、前中のことだというのはすぐに分かった。
そして、嫌でも良隆には自分が今陥っている状況が少なからず前中に関係しているということが分かってしまう。
「年を食ってるように見えるが」
「まあ、アイツよりも年上は年上です」
「しかも、たいした身体をしてるようにも見えないな」
「事務職みたいですからね。
しかも、運動はほとんどしてないみたいで」
良隆の身体は言葉と同時に、軽く小突かれる。
もう何度となく同じ行為を繰り返され、良隆は感覚が麻痺してくるようだった。
「こんなのにどれだけの値が出るか・・・」
「ビデオに撮っても、需要があるかどうかというところです」
その時、すぐに良隆の脳裏に浮かんだのはビデオ=ゲイポルノビデオだった。
良隆が普段読んでいる本はBL物と言われている。
また、BLの中でもリーマン系または学園物というカテゴリーに分類されていた。
ただ自分の好きなジャンルではないからといって、全く読まないということはないのが”やくざ系””裏社会物”だった。
数は読まないものの、その展開は何度か読んでいるので理解できている。
理解はできているものの、自分がそんな漫画の主人公のような状況にいるとは信じられなかった。
というか、そう思いたくなかった。
しかし、想像力だけは豊かな良隆は嫌でもこの後の展開を考えてしまう。
”私は・・・犯されるのかもしれない。
1人・・・じゃない、何人にも襲われるのかもしれない。
それをビデオに撮られて・・・”
良隆はその想像だけで身体が小刻みに震えそうになる。
そんな良隆をよそに傍にいる人間達は、
「というか、こんな人間を相手にする者が・・・」
「だな、もっと若くて可愛い奴なら良かったのに」
「アイツの趣味を疑いますね」
「ホントだな」
良隆とここにはいない前中をネタに下卑た笑いを浮かべていた。
「こんな奴でも最後には役に・・・」
掠れた声の男の方が話している途中だった。
その声を遮るように、携帯の音が部屋の中に響いた。
「おっと、連絡だ」
そう言うと、そのまま携帯に出たのか
「はい、はい・・・それはもちろん、大丈夫です。
・・・・分かりました、3日後に。
はい、はい。では」
「なんて・・・」
電話は終わったらしい。
若い方の声が固唾を飲むようにしながら、返事を待っているのが良隆にも伝わってきた。
「まだバレてないみたいだから、このまま作戦は続行ってことだ」
「そうっすか」
「3日後・・・まあ、正確には4日後だな。お楽しみは」
途端に男達の雰囲気が緩むのも敏感に察知した。
良隆には3日後に何かあるんだということを悟った。
しかし、その3日後が自分にとって良い意味でのイベントではないことは分かっている。
”私に残された時間があと3日ということなのか。
ただ、今の状況であと何日、何時間の猶予があるのかが分からないのが辛い”
部屋から人の気配が消えていくのを聞きながら、良隆もまた身体から緊張を解き眠りに落ちていった。
「朝・・・ですね」
前中は窓の外がすっかり明るくなったのを見ながら呟いた。
時計は朝の9時を回ったところだった。
ビル内では前中の周りで大きな事件が起きているとは考えつきもしない、一般社員がバタバタと仕事を始めている。
目敏い人間は何人か気づいているかもしれない。
いつもは見かけない種類の人間が度々ビル内を歩いているということに。
「そろそろ、ですね」
時計を確かめた前中は携帯を手にする。
「もしもし」
『おはようございます』
「どうですか」
『いきなりだね』
「こちらは急いでるんです。1分、1秒でも惜しいほどです」
『まだ手がかりはないって感じみたいで』
「こっちから網を放ってみましたが・・・」
『引っかからなかった』
「そうです」
前中が夜中に打ったメール。
犯人の携帯には確実に届いているはずだったが、返信は5時間を過ぎた今もない。
「そちらはどうですか」
『手続きは完了しましたよ。
で、洋に早速取りに行かせた』
「それはどうも」
『たぶん、1時間もしないでそっちに着くんじゃないかな』
「分かりました」
『あと、洋にちょっとした情報が入ったみたいだから』
話ながらも思わず前中が怪訝な表情を見せる。
「情報って何ですか」
『それは聞いてのお楽しみってことで』
「そんな情報、手に入ったのなら夜中でもすぐに連絡をくれても・・・」
『まあそれは洋との愛の交歓を邪魔されたってことで』
前中はそれ以上相手に放つ言葉を失う。
もしここで口撃したとして、相手の機嫌を損ねてしまえばせっかく手に入ろうとしている情報が失われてしまうのは確実だ。
さらに向こうは黄金のバッチを持っている、表向きには最強の人間だった。
裏で前中は恐れられているが、表世界では電話相手でもある赤城が恐れられている。
検事時代に暗躍していたようで、弁護士をしている現在でも赤城のことを恐れている人間は多い。
『洋を1日だけ貸してあげる』
「それはどうもありがとうございます」
『嘘くさい声。
1日と言えば、24時間、1440分。
それだけの時間、私から洋を取り上げるんだ。
非常事態だからって思いで、泣く泣く洋を貸し出すんだ、もっと感謝されても・・・』
「貴重な時間を・・・」
『本当、貴重な時間を貸し出すわけだよ。
洋の主な仕事は、書類配達と夕方数時間の護衛。
その護衛対象がいない今は書類配達だけでいいはず。
空いた時間で洋の淫乱アナル調教や、乳首開発、ペニ・・・』
「それに関しては、この件が解決したら臨時休暇を与えるということで」
前中がうんざりしたように言うと、
『その言葉が欲しかった。
今の言葉、ちゃんと録音させてもらいましたから。
昨日は録音し忘れてたんで』
あっさりと相手は話を止めた。
一晩寝ていない前中が良隆がいなくなったという精神的ショックに加え、赤城の相手で更に疲労感が増したのは間違いなかった。
「・・・・そうですか。じゃあ」
『それじゃあ』
電話を切る時、前中の声と赤城の声のテンションには大きな差が出ていた。
「はぁ・・・」
赤城の相手をした後、必ずと言っていいほど前中はため息をつくことになる。
それは、赤城の相手にも関係していた。
前中も良隆という”中の下”というような相手を恋人にしている。
溺愛している、そう言える。
しかし、赤城はそんな前中以上の人間だった。
ストーカーの一歩手前、いやストーカー以上かもしれない。
相手の行動の全てを知り、全てを手に入れようとする。
そして、相手が触ったものや見たもの全てに嫉妬さえしているほど。
前中は荷物と情報が届くのを待っていたが、案外それは早く届くことになった。
内線電話が鳴り響き、
「はい」
『社長、すみません。小野さんと言われる方が・・・』
受付からの電話だったが、その声に少しばかり恐怖が混ざっているのを前中は感じとった。
「お通しして」
『はい』
電話から数分後、
「社長・・・」
部屋の扉がノックされる。
「どうぞ」
裏の仕事も任せているのは男だったが、それだけが秘書の全てではなかった。
他にいる秘書は全て女性だが、そのうちの1人が笑顔を引きつらせながら客人を連れて来る。
秘書の後から入ってきたのは、明らかに一般人とはかけ離れた容貌の人間だった。
性別は男、目元はサングラスで隠れているがそれが人に更に威圧感を与えている。
その手には前中が待ちに待っていた包みを抱えていた。
「お茶はいりませんから2人にしてください」
「はい」
そう言うと、秘書は明らかにホッとした表情で部屋を出ていく。
「これだ」
扉が閉まると同時に、男は持っていた包みをローテーブルに放り投げる。
「どうも。赤城さんとさっきまで電話していたところなんですよ」
「げっ・・・」
「昨日は愛の交歓中に失礼しました」
「あ、あ・・・」
サングラスをしていても、その奥で目が焦ったように泳い
でいるだろうということはすぐに分かった。
きっとこんな姿を赤城が見れば、その場で押し倒し犯しまくるんだろう。
しかし、前中には目の前の人間にそんな感情を抱くことは人類が滅亡しそうになったとしても無いと断言できた。
顔も態度も、その身体も大きくそして厳つい。
赤城は二言目には「洋は本当に可愛い」と言うが、その可愛さがどこにあるのか、前中は1年以上経っても見つけられない。
「それから、今日は1日あなたを貸し出してくれるそうです。特別休暇と引き替えに・・・」
「ぅげ」
前中には目の前の男が変な声を出す気持ちも分からないでもない。
赤城が男に対して示す愛は極めて”変質的”と言えた。
休暇という名の下、男が赤城にされるのはセックス三昧の日が待っている。
「1日、馬車馬のように働いてくださいね」
前中はにっこりと笑ったのと対照的に、男はその場に崩れ落ちた。
そんな男を後目に前中は机に置かれた包みを手に取る。
中身は前中が赤城を通じて手配してもらった物で、DVDディスクが1枚。
すぐにパソコンにセッティングし、再生を開始させる。
「良隆さん」
画像は鮮明とは言えないが、確かにその画面には良隆が映っている。
そこは会社の非常口として存在しているが、ほとんど使用されていないところ。
音はないが、良隆が携帯を見ながら歩いている様子だった。
そして画面から切れてしまいそうになるところ、端っこで良隆に2人の人間が近づきそのまま引きずっていくのが見えた。
前中はDVDの再生を終えると、
「DVDが届いたので、映っている人間が誰か調べてください」
携帯を使って連絡を取る。
電話を切ると、前中はすぐに良隆の携帯を手にする。
良隆が歩きながら携帯を触っているのが気になったからだ。
受信メールには前中の名前が並んでいて、他の人間の名前は無かった。
しかし、
「・・・このメール、私は送ってない」
確かに送信者は”前中さん”と記されているが、その内容に当の前中に覚えがなかった。
気づけば、前中が送っていない内容のメールが何通もあった。
「これが始まりですか」
そうやって見つけたメールの内容に前中は正直驚かされる。
『仕事用の携帯を持つようになりました。
これがそのメールアドレスです。
また登録お願いします』
前中が携帯を見ていると、少し立ち直ったのか男が覗きこんでくる。
「そういえば、最近あんたの鼻をあかしてやるって言いふれ回ってた奴がいるみたいだな」
「・・・初耳ですね」
恐らく赤城が言っていた情報がそれだと気づいた前中は視線だけを上げ、話の先を促す。
「新宿の方で聞いてきただけだが・・・」
前中は話を聞きながら、これからの行動をフル回転で整理し始めた。
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