True of him 3


少し時間は遡る。


良隆は普段と変わらず駅まで歩く。
時々、前中のマンションに泊まったままで送ってもらうこともあったが、それも頻回ではない。

前中は良隆が想像していた以上に紳士な人物だった。

帰宅時間も母親と暮らしている良隆に配慮するように、夜は遅くなっても日付を越えることは少なかった。

もしマンションに泊まることになったとしても、良隆がゆっくりと眠れるようにとゲストルームを提供してくれる。

しかも、そこには良隆の背丈にピッタリ合わせたような着替えまでクローゼットに揃っているのだから申し訳ないほどだった。

欲をいうならば、良隆は一緒のベッドで過ごしたいと考えていた。

前中は奇特なことに、良隆のやおい好き・・・腐男子趣味・・・を個人の趣味として認めてくれていた。
それに前中の態度が変わることはなく、良隆を大事にしていた。


ただ、その大事にしてくれる加減が良隆に戸惑いを与えてもいた。

良隆は前中から車で家から会社まで送迎すると言われたことが何度もあるが、
その度に良隆は断り続け、なんとかそれを回避している状態だった。

また、週の半分以上を良隆は前中と共に過ごしている状態だったが、そのほとんどが食事をする程度で終了していた。

食事をして、前中のマンションで他愛ない話をしたり、DVDを見たり。

それでうっかり良隆が居眠りしてしまえば、ゲストルームに移される。

それだけ大切にされているというのは、良隆にも十分すぎるくらいに分かっている。


”やっぱり、私が変なんだろうか”

”本の世界しか知らないから、こんなことを考えてしまうんだろうか”


良隆は前中と恋人という関係になってから、それまで以上に”やおい””BL”と分類される同人誌や商業誌を読み漁るようになった。

”こんなことをされたら・・・”

と考えながら読んでいた良隆だったが、現実の世界ではそんなことは全くなかった。

付き合い始め一年近くになる2人が身体を重ねたのは両手が辛うじて足りない程度だった。

毎回ドキドキしながら前中の部屋を訪れる良隆だったが、自分から言い出せるわけもない。


”きっと男の、しかもおじさんの私だからかもしれない”


良隆が読んでいる本では、10代や20代前半の若い男性達が主人公になっている物が多い。
その若さでもって会えば身体を重ねているような感じだった。

決して良隆は毎回したい訳ではないのだが、不安になる材料にはなった。

しかし、それを前中に打ち明けることもできず良隆は穏やか過ぎるような毎日を過ごしていた。


「代理、携帯・・・」

「あ、ごめん」


仕事をしている途中で時折前中からメールが入ることがあった。

仕事用の携帯、またはプライベート用から。

内容はたいしたことではなく、

『今何してますか』

といったものがほとんどだった。


「いいですよね、たいした仕事してないと」

「え・・・」

「そうやってメールしながらでも出来るぐらいの仕事量で」

「そんな・・・」


確かに良隆が行う仕事内容は重要な位置づけではない。
いくつかの課を転属している良隆は、その役職に係長代理が与えられている。

だからといって直属の部下がいるわけでもなく、忙しいと休憩がとれない程もない。


定時出社、定時帰宅。


それが当たり前だった。

だからといって全く仕事をしていないというわけではない。
毎日パソコンと向き合い、その日のノルマをひたすらこなす。

ただ、それ以上をしようとしないだけ。


そんな良隆は出世コースから外れているのは明らかで、周囲の反応は冷ややかだった。
特に良隆よりも年下で、出世コースを夢見ている人間は分かりやすい態度。

しかも、それまで目立った行動がなかった良隆が、最近は仕事中にその携帯が震える回数が増えていた。
それまで存在感があまりなかったが、携帯が震える度に慌てて画面を見ている良隆の様子は課内でも悪目立ちしていた。

営業職だったり、普段から携帯で連絡を取り合うことを必要とする課に所属していたなら良かったのかもしれない。
しかしながら、良隆が所属しているのは経理部。

仕事で必要なのはパソコンと、そして伝票達。
用といえば全て社内電話で済んでしまう程度のものだった。


そんな状態で携帯が震えるとなれば・・・それはプライベートな用事でしかなかった。

良隆もメールが入ったとしても慌てて返信せず、時間が空いた時にすればいいだけのこと。
なのに、良隆は初めて出来た恋人を待たせることに罪悪感を捨てられなかった。


”せっかくメールをくれたのに、待たせるなんて”


良隆は同僚や部下達の目を気にしながらも、メールが届けばすぐに返信という行為をし続けた。


ただそんな良隆の行動がさらに良隆の立場を悪くさせていることに本人は気づいていなかったが・・・




メールは良隆が予想していた人からだった。


「分かりました・・・と」


良隆は返信すると、チラチラと時計を気にするようになった。


「代理、そんなに時計を見ても時間は一定でしか進みません」

「え、あ、・・・はは」


そんなことは良隆も分かっているが、どうしても見てしまう。

そして、昼休みまであと10分という頃。


「あの、ちょっと早いけど・・・」


良隆は周囲の同僚達を気にしながらも、携帯と財布を手に席を立とうとしていた。

数人が良隆のことを非難めいた眼差しで見つめるが、だからといって「行くな」という声はあがらない。


「このまま残ってても同じことをするんだったら、早く食事にでも行って思う存分メールしてきてください」

「あの、早めに帰ってきて続き・・・」

「別に早く帰ってきてもらわなくていいですよ。
どうせ、同じですから」


嫌みをたっぷり言われながらも、良隆は


「お先です」


と言葉を残し、部屋をあとにした。


しかし、その後いくら昼休みが終わろうと、終業時間が終わろうとも良隆が会社へと戻ってくることはなかった。






その日の前中も普段と変わりはなかった。

朝、会社に出勤すると秘書から1日のスケジュールを聞く。
だいたい朝から昼にかけては書類整理や、経営に関する報告があったり、会議に出席することもあった。

昼は接待が多い。
良隆と付き合い始め、前中は夜の接待を断るようになったからだ。

どうしてもという場合以外は昼の会食で済ませる。


「まさか自分がこんなにあの人に溺れるなんて」


と前中自身がそう言うほど、前中の中心はほぼ良隆と言ってもいいほどだった。

良隆のことで前中が知らないことはない、そう言えるほどにこの1年はなっていた。

ただ、前中のことを良隆には話していなかった。

そのことについても

「まさかこの私が嫌われたらどうしようなんて考える時がくるなんて」

と言う。

もし前中の本当の姿を良隆に知られたからといって、前中は良隆を逃がしてやるつもりはなかった。

しかし、できれば良隆に知られずにいれたらとも考えていた。

前中は朝の仕事を終えると、良隆にメールを打つ。

『これから昼ご飯ですが、接待のようなもので気が重いです』

本当は接待するのか、されるのか微妙な会食だった。
良隆には気が重いとメールをしたが、実際は”面倒くさい”の一言につきる。

メールを送ってしばらくすると、

『大変ですね。私もこれからお昼です。お互い、お昼からも頑張りましょう』

という返信があった。

良隆は基本的に母親が今でもお弁当を作ってくれている。
だから他の同僚と一緒に食事に出掛けるということもない。

そして、今の良隆の状況でそんなにお昼から頑張る必要のある仕事もないことまで前中は知っていた。

それでも前中はこうして良隆のメールで度々出てくる
”頑張りましょう”
の言葉が好きだった。

いつもの、よく良隆が返信してくるメール文。
ただ、

「珍しい・・・」

それが今日のメールの最後には絵文字が1つだけ使われていた。
普段の良隆が送ってくるメールはいたってシンプルだった。

心に何か引っかかりを覚えた前中はもう一度メールを送ろうとしたが、


「社長、そろそろ」


その声に叶わなかった。


この後、前中はメールをしなかったことに、そして良隆の所在を配置している部下に確かめさせなかったこと後悔することになる。



昼の会食相手は前中にとっては”どうでもいい”と言えるような人間だった。


前中の今の立場としては一応、楠本組若頭。
しかし、組長の楠本自身は生きた屍と言えるものになっている。

殺しても別に前中の腹は痛まないのが現状だった。

そんな組長という肩書きだけの人間を生かしている理由。
それは”面倒くさい”からでしかない。

ただ、周囲はそうは思っていない。

前中のことを組長同等に扱い、そして媚びを売ってくる者もいる。
それとは逆に、前中を警戒し駄犬のごとく吠えてくる者もいる。

前中は気が向かない限り、吠えてくる者も媚びてくる者も同等に扱う。

今日はそんな人間の中の1人が会食の相手だった。


「前中よ。お前、そろそろ狙ってるんじゃねーか」

「お昼から飲み過ぎじゃないですか」


前中が料亭に着いた時点で相手はすでに杯を何杯か煽っていた様子だった。

前中が席に腰を落ち着かせ、女将が座を離れるとすぐに吠えかかってきた。


「しらばっくれようって腹か」

「しらばっくれるとか言われましても・・・」


前中は本当に困ったという顔を作った。

作っただけで、心の中では相手をバカにしていた。


”狙うも何も、お前のような末席を狙うわけないだろう”


というのが本心だった。

会食の相手は楠本組などを束ねる松山会系倉西組の組長、橋谷(ハシヤ)。

楠本組と同じく3次団体の位置づけだが、組の規模や上層部への影響力としては楠本組と均衡しているといえた。

そのため、何かと楠本組・・・ひいては前中のことを気にしていた。

前中が組長の座を狙っているのではないか、それ以上に自分達よりも上の地位を狙っているのではないかと子犬のようにキャンキャンと吠えかかってくる。

残念ながら、相手が考えているよりも前中は組のランクに興味はなかった。

少し前であったなら、面白半分に松山会自体を飲み込んでしまうこともできた。

しかし、今の前中はそんな気持ちはなかった。

それどころか、

”良隆さんは今頃お昼休憩が終わった頃だろうな”

と良隆のことを考えている。

相手はしたたかに酔っぱらい、


「もしおめぇが何か仕掛けようってなら、俺にも俺の考えがあるっていうんだ」

「橋谷さん、これ美味しいですよ」

「楠本のオヤジに忠告してやらねぇと・・・そ、それと、松山のオヤジにも・・・」


2人の会話は全く噛み合うことはなくなっていた。

そのまま1時間半、1人は飲み続けた。
一方で前中は

”今度は良隆さんを連れてきてあげようと”

と食事を十分に堪能していた。


「社長・・・そろそろ次の会議のお時間が」


そして、前中が食事を終えるそのタイミングを見計らったかのように障子の向こうから声が掛かる。


「分かりました。橋谷さん、すみませんが・・・」

「お前、俺を残して帰るってぇのか」

「また今度は私が一席設けさせていただくということで」


言い終わると同時に障子がスッと開く。
前中はクダを巻いている人間をそれ以上構うことなく、部屋を出ていく。


「全く暇な人ですね」


廊下を歩きながら秘書に話す前中は、その表情から笑顔を崩すことはなかった。

「毎月1回はこうして私を呼びだして、よっぽど仕事がなくてお暇なのか、それほど私のことが怖いのか」

秘書はただ黙って後をついていくが、

”理由はその両方だと思います”

と心の中だけで答えた。


「そうだ・・・いいことを考えつきました」

「何でしょうか」

「来月はあの人からの会食の誘いを一切お断りしましょう」

「分かりました」

「その代わり、福平(フクヒラ)さん達との会食を」


松山会を支えている理事は3人。
それぞれが大きな組を構えているが、その一つ本山組の若頭をしているのが福平という男だった。

前中が橋谷の誘いを断り、福平達と接触を図ったとなれば面白くなるだろうという考えだった。

前中はそうなった時の橋谷のことを考えると笑みを深くする。

車に乗り込むと、

「ここ、来週の夜に予約を入れておいてくださいね」

と秘書に告げる。

秘書としてはさっきからの流れから幹部の誰かを招待するのかと思い、


「女の方はどうしますか」


と接待役のことを聞いただけだった。

しかし、

「女なんて用意するようだったら、その女を八つ裂きにしても足りないぐらいに・・・」

「すみません、あの方と来られるんですね」

秘書はすぐに自分の失言に気づき、訂正する。


「そうだ、良隆さんにもメールしておきましょう。美味しいお店を見つけたからと」

「そうですね、喜ばれると思います」


前中は失言したことに対してそれ以上の咎めはなく、秘書も内心恐々としながらも努めて冷静に返事をした。


『良隆さん、お仕事中すみません。

接待自体は退屈なものでしたが、食事は美味しかったです。

ぜひ次は良隆さんと一緒にと思います。

勝手ですが、来週さっそく行きたいと思ってます。

きっと良隆さんも気に入ってくれると思います』


前中がメールを送ったのは15時になる少し前。

しかし、そのメールに対して返信が来ることはなかった。





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