部屋の明かりが地下室の中へ、一筋の光となって入り込んでいく。
そして光の先、前中の目の前にようやく恋い焦がれていた人の姿が現れる。
「よし・・・たかさん」
無意識に前中の声が震えていた。
送られてきた写真と同じ格好のまま、床に転がされている良隆は・・・一瞬、身体を震わせた。
「良隆さん」
前中は駆け寄りたい衝動を押さえつけ、再び良隆の名前を呼んだ。
一歩、足を踏み出すごとに前中は名前を呼んだ。
「良隆さん」
名前を何度も呼ぶのは見えていない良隆に対して、自分が来たことを知らせるため。
それは良隆にも伝わっているのか、何度か呼ぶうちに身体を揺らして前中の声に応えようとしているようだった。
「良隆さん、大丈夫ですよ」
「んん・・・んん・・・」
良隆の傍まで辿り着くと、
「良隆さん、触りますよ」
その頬に軽く触れる。
途端に良隆の全身がビクンと震えると同時に固まる。
そして、両足を曲げることで身体を庇うような体勢になる。
良隆自身はそんな自分の行動が分かっているのかどうかは分からない。
ただ、それが何度も暴力を受けたことによる防衛反応だということは前中はよく知っていた。
だからこそ声を掛けてから触れたが、それでも良隆には恐怖を与えたのだろう。
「良隆さん、口のタオルから取りますね」
前中はことさら優しい声で伝えると、まずはタオルを取り外す。
すると、
「ま、前中さ、・・・私、私・・・」
良隆が前中の名前を連呼し始める。
前中はそんな良隆の必死さに心が痛む感覚を覚えた。
それと同時にここまで良隆に求められているんだという暗い喜びも感じていた。
「良隆さん、もう大丈夫ですよ。私がいますから」
「前中さん・・・」
良隆は前中の『大丈夫』の声にようやく身体の力を抜いた様子だった。
「もう、大丈夫・・・ですか?」
「はい」
「・・・よ、よかっ」
『良かった』と良隆が言いたいのは前中にも伝わってきた。
ただその声は震え、第1声を発した時よりも聞きづらくなっている。
そんな良隆を前中は自分の胸に引き寄せ、ようやくその身体に自分が着ていたジャケットを掛ける。
いくらこの地下室が冷暖房完備だったとしても、相手がその室温調整をしてくれない限りキツい状況だといえる。
その点、エアコンを付けてはくれていたようだが、裸で放置されている良隆は十分寒かっただろう。
前中は自分の体温を良隆に分け与えるように身体を抱きしめてやりながら、
「良隆さん、全部外しますからね」
「ま、まえ・・・まえ・・・」
「大丈夫。良隆さん、大丈夫ですから」
足、手と良隆の身体を拘束していたロープをいつも持っているナイフで切る。
いつも人間の皮膚を切ったり、削いだりするために使うため手入れは欠かさず、その切れ味も最高だ。
前中がなんなくロープを切っていくが、
「良隆さん」
全てのロープを切り離し、もう良隆を縛るものがなくなっても良隆は腕も足も動かさない。
というか、正確には動かせない。
今の良隆は長い時間、同じ体勢を強いられていた筋肉が固まってしまい、動かそうとすると痛みすら感じる状態だった。
それでも良隆が腕を動かそうとすれば、その表情が途端に苦痛で歪む。
「う、うで。腕が」
前中は良隆の背中をさすってやりながら、
「大丈夫ですよ。すぐに動けるようになりますから」
と優しく声を掛けてやる。
そして、筋肉を解すように軽くマッサージを行う。
「こうしてあげると、もっと早く動かせるようになりますから」
「は、はい」
「それから、これから目隠しを取りますけど、すぐに目を開けないでくださいね」
「え・・・」
良隆はされるがままに、前中に身体を預けている。
「私がいいと言うまでは目を閉じたままでいてください。
いきなり目を開けると、痛むこともありますから」
「わ、分かりました」
何度か良隆が首を振ると、前中が良隆の後頭部へと腕を回す。
腕や足に比べればタオルの結び目は比較的簡単に解けた。
この時、後ろがざわめいているのが耳に入ってきたが前中がそれを気にすることはなかった。
すぐに良隆の目を覆っていた物はなくなり、良隆にも感触でそれが分かった。
「まだ目は開けないでください」
「は、はい」
前中は言いながら、その閉じた目に軽く唇を押し当てる。
「無事で良かったです」
「はい」
良隆は前中の口づけを顔中で受け止めながら、前中の言いつけを守ったままで目を閉じていた。
しばらくすると、ようやく
「ゆっくり目を開けてみてください」
と前中の声が静かに良隆に告げられた。
良隆が小さく「はい」と答えると、その閉じていた瞼がゆっくりと開かれていく。
まつげが少し震えているのも見逃さない勢いで、前中は良隆のことだけを見ていた。
「ゆっくり、ゆっくりでいいですから」
部屋には明かりをつけていない。
あるのは地上から漏れてくる光だけ。
それだけでも良隆が眩しいと感じるには十分だった。
「前中さん」
目をやっと開けた良隆はその眩しさに顔をしかめる。
だからといって、前中の顔を早く見たいという気持ちが良隆をつき動かしていた。
何度も瞬きを繰り返していると、霞んでいた前中の顔もはっきりと見えてくる。
「良隆さん、見えますか」
いつも良隆が知っている前中は、年上の良隆よりも余裕があり、どんな時も笑顔を浮かべている。
そんな男だった。
ところが、久しぶりに見た前中の表情は、良隆が見たことがない程に歪んでいた。
「前中さん」
「はい」
良隆の目にやっと前中がはっきり写ったはずなのに、次の瞬間には溢れ出てきた涙で見えにくくなってきていた。
前中はそんな良隆の涙を拭ってやりながら、その身体をまた抱きしめ直す。
「助けに・・・きてくれたんですね」
「当たり前です。ただ、少々遅くなってしまいましたが」
良隆は謝りの言葉を口にする前中に、首を横に振ることで応える。
「前中さん」
冷たく、暗い中、前中という光を求めていた良隆には前中の腕の中がとても暖かく感じていた。
しかし、そんな腕の中から見た光景は良隆の想像を遙かに越えていた。
良隆には扉が開け放たれた部屋、そして地上へと向かうための階段に誰かが立っているのが見えた。
それが誰なのか確認するよりも先に、その手に構えられたものに目が釘付けになる。
テレビドラマでしか見たことがないそれは、明らかに前中と良隆自身に向けられていた。
「ま、前中・・・さっ」
背中を叩いて知らせようとも考えたが、良隆の腕はまだ痺れたままで動ける状態じゃなかった。
良隆に残された方法は声だけだった。
さっきから少しずつ言葉を発していても、まだ喉の調子は万全ではない。
それでも、良隆は目の前の危険を前中に知らせるつもりで出来る限りの声を上げた。
しかし、そんな良隆の声と重なるように乾いた音が1回、2回と部屋にこだました。
前中は良隆を庇ったまま動かず、良隆は恐怖で固く目を閉じ、声も無くしてしまう。
「良隆さん、大丈夫ですか」
「あ・・・」
良隆がようやく声を取り戻したのは、前中の言葉と安心させるように背中を撫でられてようやくだった。
前中はゆっくりと良隆の身体を離すと、身体を点検し始めた。
良隆はといえば手を押さえながら、呻いている人間を見ていた。
「いてぇ・・いてぇ・・・よぉ」
部屋に響いているのは、良隆の声でも前中の声でもなく、若い男の泣き声だった。
「良隆さん、どこも怪我はないようですね」
「は、はぃ」
自分が狙われ、そして今はその男が後ろで泣き叫んでいるというのに、、前中の声は普段と変わらなかった。
冷静でむしろ良隆にはその声が穏やかにさえ感じた。
さらに、階段を降りてくる人間がいるのが良隆には見えた。
新たな敵かと良隆の身体に緊張が走るが、
「社長、大丈夫ですか」
聞こえてきた言葉に味方なのだと察するが、その手に自分達がさっきまで突きつけられていた物と同じ物が存在していることに言葉を失う。
前中の無事を確かめながら近づいてきた男だったが、転がっている男を見ると、
「ぅぐっ・・・ぅぁあああ」
声も出さず、その靴先を男の腹部にめり込ませる。
男がその部分を庇うように身体を曲げれば、今度はその顔を靴で踏みつける。
良隆はその光景を呆然と見つめているばかりだったが、
「良隆さん、こんなものですが羽織ってください」
「え・・・」
前中は気にする風もなく、自分が羽織っていたジャケットを良隆の肩に掛けてくれる。
良隆はあまりに自然な前中の行動に、前中が後ろで行われている行為に気づいていないのかとさえ考えてしまう。
「あの、あの・・・」
今の状況を伝えようとしている間にも、スーツの男は暴力を止めようとはしない。
「良隆さんの素肌をこれ以上晒すわけにはいきませんから」
「え・・・」
良隆は目の前で行われている暴力に視線を取られ、自分がどんな状況にあるのか失念していた。
唯一身につけていたものと言えば下着だけ。
さらにその身体も何度も暴力を受けたことで所々に痣ができている状態だ。
古い物は赤黒く、比較的新しい物は紫だったり、赤だったりと色とりどり。
前中はそのことには触れず、ただ良隆の身体を点検している様子だった。
「「「社長」」」
しばらくすると、何人もの同じようなスーツ姿の人間が階段を駆け降りてくるのが見えた。
中には良隆が見知っている秘書の顔もあった。
関係者が揃い、ようやく若い男に対する暴行も一旦中断される。
秘書が何かに気づいた様子で前中の方へと進み出てくる。
その意味を悟った前中は、
「大丈夫ですよ。少し掠っただけです」
そう言うと、シャツの裾へと視線を向ける。
「あ・・・」
前中の言葉と仕草に良隆もその場所へと視線をやると、白いシャツが焦げたように破れ、その間から赤い血が流れているのが見えた。
秘書の男は、無言のまま軽く頭を下げると良隆達を救ってくれた筈の男へと近づく。
「すみませっ」
最後までその言葉が口から出てくることはなかった。
秘書が繰り出したパンチが男の鳩尾にめり込み、
「ぐぅぇ」
男はその場に膝を折った。
秘書は再び前中の方を向き直すと、頭を深く下げ
「すみませんでした」
と一言告げた。
一連の出来事を見ていた良隆は、自分がどのことに驚けばいいのか分からず、ただただ呆然としているだけだった。
前中はと言えば、そんな暴行を目の前で繰り広げられたというのに平然としていた。
さっきとは違い、気づかないということはない。
「社長、着替えを」
だが周囲はそんな良隆に何か声を掛けるということもなく、秘書は控えていた部下らしき人間から受け取った真新しいシャツを前中に手渡す。
前中は軽く頷けば、シャツを手に良隆からついに離れて立ち上がる。
良隆はぼんやりと見上げれば、目の前で前中がボタンを全て外し終え、シャツを脱ぎ捨てる。
パサッという音と共にシャツが床に落ちれば、良隆の目に初めて前中の素肌が映し出された。
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