真実の彼 9

「見事に荒れてますね」


そう言いながら無断で入ってきた悪魔を見たのは、ホテル滞在7日を過ぎていた。


「何だよ、もうご褒美期間は終わったのか」


俺はそう言いながらソファから起きあがる。


「ますます人を殺しそうな顔になってますね」

「っせぇよ」


悪魔がそう言うのも当然だった。
俺はこのホテルに来てからというもの、初日を除いて風呂にも入ってないし、ましてや髭を剃るなんてことはしていない。

食事も口に入れても旨くないから、ほとんど食べてない。

伸びた髭も、そして食べていない状況から考えても、ここに来るまでよりも俺の容姿は酷いものになってるはずだ。

それ以上に、俺を精神的に追いつめているのは眠れないという状況だった。

身体は睡眠を欲している。

だからベッドに横になるのに、いっこうに睡魔がやってこない。
やっとウトウトしたとしても、嫌な夢を見てしまって飛び起きる。

眠りは浅く、ベッドで寝れなくなった。

もう今は寝るなんてことを諦め、ソファに座ってテレビを眺めてる。


「その格好で連れていくわけにはいかないので、シャツだけでも着替えてください」

「どこへ連れていく気だ」


俺はのっそりと起きあがると、悪魔が持っている服を受け取る。

下着類はないけれど、シャツやズボンは用意されてる。

どんな目で見られるか何て考えないで、俺はその場で着ている物を脱いでいく。


「すっかりキスマークも消えてますね」

「るせーよ」


そんなもの、1週間もしないうちに消えてしまった。

俺に残されてるものなんて、何もない。


「着替えたら、出てきてください」


それだけ言い終えると、悪魔は部屋から出ていった。

俺は着替えながら、髭を剃るべきか、とか顔を洗うべきかなんて考えていた。

でも、自分の情けない顔を鏡で見ることができずに床に散らばってる荷物の中から、携帯だけを手にすると扉を開ける。

これからどこに連れて行かれるのか、そんなこと考えるもの面倒だった。

用無しの俺を養ってくれる心優しい奴なら、悪魔なんて呼ばれない。
きっと消されてしまうんだろうってことは分かる。

それなのに、今の俺は死ぬことに恐怖も何もない。
何の感情も浮かんでこない。


「それじゃあ、行きましょうか」


悪魔が扉の前に立って、俺を導く。


「ネクタイどうぞ」

「・・・ああ」


歩きながら渡されるネクタイを無造作に結ぶ。

どこに連れて行かれるのかと思えば、そこはホテルのロビーだった。

悪魔は店員の案内を片手で断ると、迷うことなく奥へと突き進んでいく。

俺の目には何人かの客がそれぞれにお茶をしながら歓談しているのが映る。


「あそこにしましょう」


そう言って座った席。
座った瞬間に俺は驚きに声を上げそうになった。

俺達が座った場所、そこから見えたのは赤城と見知らぬ女の姿だった。

赤城と女は俺達に気づいていない様子だった。

いや、女の方は俺に気づいた。
でも俺の顔を見るとあからさまに視線を避けた。

悪魔が称するように、今の俺はいつも以上に人相の悪い顔になっているんだろう。

奴と背中合わせになるように悪魔が座る。


店員がメニューを持って来たが、俺は何も頼まなかった。
いや、それどころじゃない。


俺の視線も、耳も、全神経が奴らの方へと向かっている。

女は何かを喋っているが、話している表情は奴に対して好意があるのが見え見えだった。


「私はイングリッシュティーをストレートで」


悪魔が暢気に注文しているが、その声も今の俺には雑音でしかない。

耳を澄ましてみても、どうしても2人の会話は聞き取れなかった。

俺の必死な姿に

「席、替わりましょうか」

と笑顔で悪魔が持ちかけてきた。

俺は頷き返し、すぐに席を交換すると


「・・・こんな場所をしてくるなんて」


すぐに女の声が俺の耳に飛び込んできた。


「こんな場所というのは」

「こんな場所っていうのはこんな場所」

「私は別に他意があったわけでは・・・」


久しぶりに聞くアイツの声。
それがどんな言葉であったとしても、俺の身体は軽く震えてしまう。

どんな顔をして言ってるのか、そんなの見なくても分かってしまう。

いつもと寸分変わらない無表情。
そこには何の感情も読みとることが出来ない。

ハーフフレームの眼鏡を指先で上げ、冷めた目で話す姿が
嫌でも目に浮かぶ。


「他意って、先生、こんな場所を指定された時点で・・・」

「何か誤解があるみたいですが。

ここを選んだのは、不特定多数の人間が常にいる場所を選んだ。

それだけです」

「でも、それだったらわざわざホテルじゃなくても」

「言いたいことは分かります。

が、宮下さんの現在の置かれている状況を鑑みてホテルが最も安全であると・・・」


俺にはその後の言葉は入ってこなかった。


”宮下さん”


その単語を1つ聞くだけで、俺は奴が誰と会っているのか分かってしまった。

今までは想像の産物でしかなかった女の姿がリアルに浮かび上がる。

席に座る直前に見た女の顔。

俺を苦しめてきた夢の中の女。
見えなかった顔が、はっきりと像をなした瞬間だった。


「お待たせいたしました」


店員が注文の品を運んできたんだろう、2人の会話が途切れる。

それと同じタイミングで悪魔の前にも紅茶が運ばれてきた。


「ポットサービスというのは気が利いてると思いませんか」


悪魔は今の俺の心境を全て分かっているはずだ。
分かっていてのその言動。

俺が無視をしたとしても許されるだろ。


「午後の一時をこうしてお茶をしながら過ごすって、ある意味贅沢ですよね」


再び俺の意識は後ろへと引かれていく。


「先生。私、先生があまりに親身になって話を聞いてくれるから・・・」


宮下と呼ばれていた女が話しているのが聞こえてきた。

その声に確実に女を意識してるような、甘えを含んだような感覚を覚えた。

さっきからの話から考えても女が目の前の男に惹かれてるのは分かる。

でも、いつもと違って俺の心の中はそれを笑ってやり過ごすことができない。

”親身になって”

女の言葉が頭を離れない。
それと同じで

『お付き合いされてるんだと思います』

と言った事務所スタッフの言葉も離れてくれない。

”お付き合い”しているように見えるぐらいには”親身”にしていたってことだ。

しかも、それを肯定するみたいに奴は何にも喋ろうとしない。


まさかこんな風にして現実を見せられるなんて思ってもいなかった。

無意識に俯いていた顔を上げると、悪魔は相変わらずニコニコ笑いながらお茶の途中だ。


「俺にこんなのを見せて、聞かせてどういうつもりだ」


ホテルに1週間。

奴からの連絡は全くなく、嫌でも俺は捨てられたんだということを自覚するしかなかった。

最初は嬉しかった。

男に後ろを掘られることもなくなったんだし、やっと新しい人生を送れるんだと思った。

でも、そんなのは自分を誤魔化ししてるんだってことにもすぐに気づいた。

だからって今さら俺に何ができるなんて・・・

そんな俺に悪魔は嬉々として止めを刺したいらしい。


「まさか、小野さんは赤城さんのことを好きだなんてこと」

「あるわけないだろ」


悪魔に何も言うわけにはいかない。

俺がここで「そうだ」なんて言ってしまえば、慰めるどころか喜んで傷口をさらに広げるべく言葉を重ねてくるだろう。


「そうですか。私の目には失意に暮れているという風にしか見えないんですが」

「ふん、あんたの目はいつも節穴だらけだな」

「そうでしょうかね」


悪魔はカップに2杯目の紅茶を注ぎながら、楽しそうな顔を隠そうともしない。

俺は少しでも悪魔の楽しみを逸らそうと表情を消そうとする。

でも、どうしてもアイツのようには上手くできない。


「宮下さん、ここからは込み入った話をしたいと思います」


ふいに奴の声が耳に届いた。

言葉が意味すること。
それはどんなにバカな奴が聞いても分かるような誘い文句だった。

俺との時は回りくどいような言葉を使うことなんてなかった。


『俺はデザートとしてイチゴのように真っ赤に熟れた洋の乳首を味わいたい。

というか、洋の乳首も俺の歯にカリカリっと噛まれながらいっぱいペニスからミルクを飛ばしたいだろ。

俺が洋の乳首からも、ペニスからも搾乳してやる。

だから、乳首を今すぐ俺に晒すんだ』


『俺はもうお腹いっぱいだけど、洋はまだまだ余裕があるだろ。

でも残念ながら洋の上の口から食べさせてやる物はないんだ。

だから、後ろの口から俺のザーメン食べさせてあげる。

大丈夫。ちゃんと奥まで届くように、まんぐり返しの態勢で注いであげるから』


奴の言葉はいつでもストレートで、卑猥に満ちていた。

ただ、女性を目の前にしていることや公共の場であることから奴があからさまな言葉を避けていることも考えられた。


「込み入った話だったら・・・私、実は部屋を取ってるんです」

「そうですか」

「先生さえ良ければ・・・」

「ぜひお邪魔させてもらいます」


”ガタンッ”


俺は奴の返事が聞こえると同時に、椅子から立ち上がった。

膝が机に当たってしまい、カップの中の紅茶が激しく揺れる。
カップの中身がほとんどなくなっていたから良かったものの、もしかして悪魔にその滴が掛かってしまう危険もあったわけだ。


「わ、わりぃ」


俺の声は微かだが、震えていた。

悪魔は何も言わないまま、微笑みを崩すことはなかった。

俺は反射的に後ろを振り返ると、女は俺のことを恐怖の眼差しで見つめていた。

女の目の前に座っていた奴も、俺のことを見ていた。

そして、俺とも目が合った・・・はずだ。


「じゃあ、宮下さん」

「あ・・・あ、はい」


奴はその顔に何の感情の変化も浮かべなかった。

それどころか、俺のことを無視するように女の方へ顔を戻す。

女は俺と顔を合わさないように、俯き加減で支度をし始める。


「行きましょうか」


奴がまるで女をエスコートするように手を差し伸べる姿を見ていた。




「・・・え」


女が驚いたように見ていた。

俺だって驚いてるよ、自分のしでかしたことに。


「洋」


その声は赤城にしては感情が滲み出ている方だった。

驚きと、そしてほんの少しの喜び。


「小野さん、手を離しても先生は逃げませんよ」


不意に後ろから声が聞こえてきた。

俺はその声で呪縛が解けたように、ようやく掴んでいた赤城の腕を離す。

俺は赤城を女と一緒に行かせたくなかった。

で、無意識に腕を掴んで引き留めてしまったわけだ。


「せ、先生」

「俺はどこに帰ればいい」


俺の声と、女の声が重なる。

俺は自分が言ってることが無茶苦茶だっていうのは分かってる。
でも、今の俺には何を言えばいいのか分からない。


女は訳の分からない状況に何を思ったんだろう。


その場にいる人間を見回すと、急に出口に向かって走り始めた。


俺は女の後ろ姿を見つめながら、


「彼女、行っちまったぞ」

「そうですね」

「追いかけなくていいのか」


心にもないことを口にした。


ここで本当に赤城が追いかけて行ったりしたら、俺は暴れ狂うだろう。


ドキドキしながら、赤城の次の言葉を待つ。


「洋」

「・・・・」

「その髭、洋の顔をさらに可愛く演出してる」

「・・・・」

「帰ったら、俺のペニスをくわえて。

きっとその髭がザリザリ当たって気持ちいいだろうね。

俺もちょっと伸ばしてみようか。
お返しの気持ちを込めて、洋のペニスを髭でしごいてあげる。

ペニスだけじゃなく、乳首も擦ってあげようか。

きっと1本1本が乳首に当たって、たまらく気持ちよくな・・・」


俺は溜まらず途中で赤城の口を手で塞いだ。


「おい、もうそれ以上は喋るな」

「んん、んぐぐぐ」


口を塞がれたままでも、赤城は喋り続けてる。

その顔には相変わらず表情は全くなかった。

でも、俺には分かる。

赤城の表情は1週間前と変わらず、

”俺が好きだ”

と言ってる。

というか、フレームの奥の瞳はギラギラと欲情の兆しを見せていた。


その時の俺は見せつけられた赤城の表情に、安堵感とそして同じように欲望を感じた。




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