真実の彼 3

二人っきりになった部屋には重い空気が流れていた。

俺を所望したという男は喋らないし、俺も何を話せばいいのか分からないし。

だからっていつまでも男二人が見つめあってる訳にもいかねーし、


「えっと・・・初めまして。小野洋です」


あの悪魔が先生と呼んでいたのを考えれば、きっと偉い奴なんだと思う。

見た目から考えれば俺よりも確実に年下だろう。

タメ口を聞いてもいいんだけど、それで気分を悪くしてあの悪魔に告げ口されるのは勘弁だ。


「・・・」


ところが、しばらく経っても相手の方は俺をジッと見たままで何も答えようとしない。

もしかして人違いかと一瞬考えるが、さっき『本物だ』と言ったんだから俺で間違いないはずだ。

俺は気が長い方じゃない。

いつまでも喋らない目の前の男にイライラしてくる。


「あのさ。あんた、名前は」


さっきまで丁寧な言葉遣いでって思っていたのに、こうなればそんなこと関係ねぇ。


「・・・」

「名前だよ、名前。っていうか、俺はなんでここに連れてこられたわけ」


俺は不機嫌丸だしの体で話しかけると、男はようやく口を開いた。


「小野洋、年齢36。

家族構成は両親共に健在だが、10歳の時に離婚。
高校まで父親と共に暮らしていた。

子供の頃から喧嘩が絶えず、高校時代には補導歴4回。

高校中退後はバイトを転々としていたが、20歳の時にバイトとして雇われていた風俗店に正社員として雇われる。

迫石組の準構成員として事務所に出入りすることが多かった。

31歳の時、被害者の宮本氏を口論の末、仲間と共に暴行を加え、死に至らしめた。

その直後、兄貴分にあたる黒下に出頭を勧められるが抵抗、黒下の腹部を刺し重傷を負わせる。

その後自ら出頭。
裁判では実刑判決を受け、5年間刑に服した上で本日、仮出所となった」


いきなり男は口を開いたかと思うと、俺の生い立ちを話始めた。

俺は男の言葉に黙るしかない。
真実とは少し違う部分はあるものの、ほとんど当たっていた。

”なんで初めて会ったばかりの男が、こんなに俺のことを知っているんだ”

そこまで考えると急に恐怖が沸き上がってくる。


「怯えないでいいですよ。これは調書に載っていたものを覚えていただけですから」


男にも俺の恐怖は伝わったらしい。
優しい言葉を掛けられたが、その表情は相変わらず無表情で優しさの欠片もない。


「調書って・・・あんた何モノだよ」

「俺ですか。俺はこの間まで検事で、最近弁護士になった男です」

「名前は」

「赤城充。年齢は30歳、性別は見ての通り男。家族構成は・・・」


赤城と名乗った男はさっきの俺の生い立ちを言う時のように、語り出しそうな気がして


「いい、いい」

「え」

「そんなの教えてもらわなくても良いって」

「でも、お互いのことを分かり合うのに・・・」

「生い立ちなんて聞いても俺は困るだけだ」

「そうですか」


赤城は少しだけ残念そうな声音をしていた。
でも、声だけで俺の目には残念そうな表情には見えなかった。


「それよりも、あんたが俺をここに連れてくるように言ったって・・・前中さんから聞いたけど」

「はい。それが条件ですから」

「何の」


俺にはさっぱり話が見えなかったが、赤城との次の会話でようやく理解できた。


「前中さんから顧問弁護士として雇いたいと言われていましたが、私はずっと断り続けていました」

「で・・・」

「前中さんは何でも望みを叶えてあげるので、どうにか顧問弁護士をということでした」

「はぁ・・・」

「なので、私は望みを言っただけです」

「・・・・どんな」

「小野洋が欲しい」


俺はあまりのことに、口をあんぐり開けたまま閉じることを忘れてしまった。

頭の中では赤城の言った『小野洋が欲しい』と言う言葉が何回も繰り返される。


”俺が・・・欲しい”


今までそんなことを言われた試しがない。

何かの冗談かと思うが、目の前にいる赤城は無表情のままで、どんなつもりで言ったのか真意が分かりづらい。


「あ、あの・・・小野洋って・・・俺のことだよな」


俺は思わずそんな間抜けなことを聞いてしまう。

さっきからも似たような質問を俺はしてると思うが、何回聞いても足りないぐらいだ。

もしかして人違いなんじゃないかって・・・
小野違いじゃないのかって・・・


「小野さんですよね。生年月日が・・・」


赤城はまた俺のプロフィールを並べ立てるつもりだったのかもしれない。

俺は慌てて、


「いや、その生年月日とか生い立ちとかから考えれば俺なんだけどよ・・・」


と赤城の言葉を止める。

何度も自分の恥ずかしいプロフィールを聞きたくないだろ。
ちょっとでも輝かしい証でもあるなら違うかも知れないが、俺のプロフィールは汚点だらけだ。


「そうですよね。その声、その体つき、そしてその表情。俺が求めていた小野洋さんに間違いないです」


そこまで言われると恥ずかしくなってくる。


「あのさ・・・」

「何ですか」

「俺を求めてたって・・・何で」


ただ単に求めていたって言われて納得できなかった。

俺の顔や身体がっていうことなのかもしれない。
だってただでさえ俺の顔は人に言わせれば”恐い”らしいし、体つきからも自分で言うのもなんだけど用心棒向け。
もしかして、俺を求めてるって言ってもそういった面でってことが有力だ。

まあ、だからって女みたいに・・・


「お付き合いしたいからですが」


そう、そんなことを言われるなんて・・・


「ぅえぇぇえぇえ」

「そんなに驚くことですか」


俺の叫び声にも眉一つ動かさず、淡々とした口調で赤城はそんなことを言った。


「驚くことですかって・・・普通は驚くだろっ」


まさかそんな意味でもって俺を”求めて”いたなんて、俺は何を言っていいのか分からない。

自慢じゃないが、俺は男に迫られたことはない。
同時に、悲しいかな女にも求められたことなんて・・・ほとんどない。

高校時代にはちょっと悪く見える男がモテる。
そんな波に乗って、何人かつき合ったこともある。

でも、そんなブームもすぐに過ぎ去ってしまうもので
「ごめんなさい。やっぱりもうちょっと・・・」
と言わない部分は分かってる

『優しい人がいい』

って言葉にしないがそう顔が言っていた。

別に俺は女に対して手をあげることはない。
怒鳴ることだってない。

それなのに、この顔のせいで・・・

そこでようやく悪魔が帰り際に言っていたことが理解できた。

『是非教えてください。あなたのどこが良かったのか』

本当にその通りだ。

一体俺のどこが良くってそんなことを言うのか、俺自身が知りたい位だ。


「あのさ、そもそもあんた・・えっと、赤城さんだっけ、会うの初めてだよね。

それなのに、俺が欲しいってどういうわけ」


俺がそう言うと、赤城は片手で少しズレた眼鏡を直した。

そして、

「初めてじゃないですよ」

ともちろん無表情のまま言った。

もうたった数十分しか一緒にいないけど、赤城の表情の無さには馴れてきた。

きっと検事や弁護士なんかになろうっていう位で、人に感情を読みとらせないようにっていうのが癖になってしまったんだろう。

無表情の割に、その声音は時に優しくも聞こえてくる。
そう声には表情がある感じ。


「初めてじゃないんですよ、俺達」

「え・・・」


俺には赤城にそう言われても記憶の欠片も、赤城と会ったなんてものは残っていない。


「どこで会ったのか覚えてないんだけど」

「それもそうだと思いますよ。だって俺が一方的に見ただけですから」

「それってどういう意味だよ」

「俺があなたを見たのは、ちょうど地方検察庁でした」


検察庁と言われて思い浮かぶのは、裁判の前に行った場所。

裁判の前にそこで警察官じゃなく、検事に取り調べを受けに行ったことは覚えている。
でも、そこで取り調べをしてくれた奴は目の前にいる男じゃなかったはずだ。

そんなことを忘れるなんて、そこまで俺はバカじゃない。


「ちょっと・・・俺はあんたと・・・」


俺が話そうとしているのに、赤城はそんな俺を無視して語り始めた。


「俺が普段働いていたのは高等検察庁でした。
なので、地方検察庁に行くなんてことはあまりなかった。

でも、その日は上司の命令である書類を取りに出向いた。

本当に今考えても、ラッキーだったと思う。
あの日に行かなければ俺は運命の人と出会うことなく、一生をただ過ごすことになったかもしれないんだから。

そして、俺が他の検事と話していた時だった。

取り調べの為に連行された彼が来た。

俺も最初は気にならなかった。
被疑者が取り調べの為に連行されてくるなんて当たり前のことなんだから。

それなのに、あまりの怒鳴り声に思わず見てしまった。

彼はきっと怒っているわけでも、不機嫌というわけでもなかったんだと思う。

それなのに、彼は『その顔はなんだっ』と怒鳴られていた。

俺はそんな彼の表情を見た時、心に雷が落ちたような衝撃を受けた」


「あの・・・ちょっと・・・」


俺は何を言い出すのかと顔が引きつってくるのが分かるほどだった。

それなのに、男の話は止まることを知らない


「つり上がった目は、まるで誰にも懐かないぞと威嚇している子猫のように愛らしく。

凛々しい眉はその可愛い目を誤魔化すように男らしさをアピールしているように見えた。

唇はポッテリと厚みがあり、俺を誘っているようだった。

身体も程良く鍛えられた筋肉がその服の下に眠っているのが分かるぐらいで・・・抱き潰したいと思った」


男の表現力に、

「それって・・・本当に俺・・・なのか」

と疑いたくなる。


「俺は彼を見た瞬間、今まで恋だと思っていた全ての恋愛が偽物だったと悟った」

「えぇ」

「俺の運命の人は彼しかいないと思った。

それなのに・・・運命は本当に残酷だ。

せっかく巡り会えた私と彼は刑期という時間に裂かれてしまうのだから」


俺は言葉だけは熱烈な・・・いや、常軌を逸した言葉の数々にこの場を逃げ出したくなっていた。

明らかに目の前の男はオカシい。

元検事ってことは、よっぽど頭がいいはずだ。
というか、頭が良すぎてお花畑に片足を突っ込んでしまっているとしか言いようがない。

ジリジリと俺は後ろへと身体をずらす。

目の前の男は語ることに集中して、俺の行動に気づいていないはずだ。


「それからすぐに俺は彼の担当検事を変わってくれるようにと嘆願してみたが、まだ入って1年目の俺にそれは叶わなかった」


いや、俺からすれば叶わなくて良かったと思う。


「だから俺は時間を割いて、彼の裁判を傍聴に通った。

陳述をするために俺の前に立つ彼の背中も綺麗だった。

下った判決を聞いている時の彼は、その判決をしっかりと胸に受け取ったかのように凛々しかった。

その表情は見ているこちらが思わず勃起してしまいそうになるほどに・・・」

「・・・・ぼ、勃起って」

「もし俺が担当だったなら、証拠不十分ということで立件すら見送ったかもしれないのに・・・

いや、俺が弁護士なら無罪を必ず勝ち取り、愛が溢れる肉欲の日々へとすぐに突入できたのに・・・」


俺は背中に襖が当たるのを感じていた。

ここを開け、さっさとおさらばするんだ。

目の前の男は確かに俺を求めているんだろう。
でも、それは俺が求めているような種類じゃない。

後ろ手でゆっくりと襖を開ける。


「まあ、交換条件ということだったけれど前中さんが彼を俺に渡してくれるっていうし・・・

前中さんの話だと、刺された相手はまだ彼のことを狙っているってことだったし」

「え・・・マジかよ」


もう5年も経っているのだから、ほとぼりは冷めていると思ってた。

でも、やっぱりあいつはまだ根に持ってるんだ。
ってことをこんな形で知らされるなんてな・・・


「彼も前中さんの後ろ盾があれば安全だろうし、ちょっと俺が弁護士みたいな仕事をするだけで愛欲の日々が手に入る」

「あ、愛欲って」

「さあ、洋」


いきなり呼び捨て。

俺はタイミングを見計らい、襖を大きく開けると身体を反転させ逃げる・・・はずだった。


「・・・・ぅそだろ」


そこには逃げ道なんてなかった。


「嬉しいよ、洋もその気になってくれてるなんて」

「いや、俺にはその気もなにも・・・」


俺の目に飛び込んできたのは、純白の化粧布団だった。


「前中さんは赤でもいいんじゃないかって言ってたんだけど、俺は断然白だと思ったんですよ」


外はまだ明るいはずなのに、この部屋だけは薄暗く枕元に置かれた行灯がさらに部屋の淫靡さを強調していた。


「じゃあ、俺にその綺麗な身体を見せて」


眼鏡を光らせ、表情乏しく迫ってくる相手に対し、俺は年甲斐もなく恐怖で身体が硬直してしまった。

そして、


「い、イヤだぁアァ・・・」


誰も助けになど来ないと分かっていたが、その時の俺は叫ばずにはいられなかった。




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