3.
リア充という言葉を良隆は今、実感していた。
人に大きな声で言えないような趣味を持っている自分に恋人ができるなんて、奇跡のようなものでしかないと思っていた。
だからこそ、テレビや雑誌で見かけるリア充という言葉を見れば、自分とは縁のないものだと気にすることもなかった。
それが今や自分自身がリア充と呼ばれる人種にまで発展することになるとは・・・奇跡としか言いようがなかった。
しかも、趣味を隠して付き合っているわけではなく、自分の趣味を知った上で付き合ってくれているというのだから、世の中には物好きな人もいるものだと思っていた。
「良隆さん、こっちです」
いつもの待ち合わせ場所。
すでに恋人である前中が待ってくれているのが見え、良隆は思わず小走りになる。
小走りというのがポイントで、良隆自身は慌てて走っているつもりなのだが、客観的に見ればほとんど歩いているのと大差がない。
しかし、そんな姿が前中には可愛く見えるのだから仕方がない。
「お、お待たせ・・・し、ま・・・はっ、はっ、」
たった数メートル走っただけなのに、良隆の息は上がっていて、言葉が途切れ途切れになってしまっている。
「そんな急がなくても良かったんですよ」
前中はそう言いながら、持っていたマフラーを良隆の首もとにそっと巻いてやる。
まだ肌寒い気候にも関わらず、良隆はスーツだけしか身に纏っていなかった。
冬の間は前中にプレゼントされたコートを愛用していたが、さすがに季節外れという感もあり週明けから着るのを止めていた。
良隆自身、夕方になると寒い気はしていたが
『もうすぐ暖かくなるだろう・・・』
と気にしなかった。
しかし、良隆が気にしなくても前中が気にしない訳はなかった。
「良隆さん、コートは?」
良隆の行動については全て把握しているつもりだった前中は、想像とは違う良隆の格好に顔には出さなかったが少なからず驚いていた。
前中はさりげなく良隆の荷物、リュックを肩から下ろさせると、車の助手席へと促した。
「あ、あ、その、あの、も、もう、き、季節的に・・・あの・・・」
前中の誘導に素直に助手席へと向かいながら、良隆は心の中で
『ああ、前中さんと会うんだから、プレゼントしてくれた物を身につけてくるべきだったんだ』
と視点がずれた考えをしていた。
「す、す、すみま、せん」
その結果として良隆の口から謝罪の言葉が出てきたのだが、前中にはどうして良隆がそんな言葉を口にしたのか理解できる筈もなかった。
前中は良隆を助手席に乗せると、すぐに自分も運転席へと回る。
ここまで前中は特に言葉を発することはなかった。
それは良隆の『季節的に』という言葉を受けて、スプリングコートか、それに準じるアウターが良隆には必要なんだと察し、どんな物がいいのか考えていたからに過ぎない。
一方で、良隆は別のことを考えていた。
前中が後部座席に置いてくれたリュックを見れば、コートに続きリュックも前中にプレゼントされた物ではなく、昔から使い古しているリュックだったことを気づいてしまった。
今日の天気予報では曇り、もしかして雨がパラツく可能性もあるということで、古いリュックを持ってきていたのだが、いいのか悪いのか、天気は持ちこたえ雨は降らずに今に至っている。
そうなると、恋人に贈られたリュックじゃないことが逆に申し訳なく思えてきた良隆だった。
黙ったままの前中の横顔をチラチラ見ながら、もしかして機嫌を損ねたのではないかと良隆の心の中は強風が吹き荒れていた。
「あの、ま、前中さん。きょ、今日、は、あ、雨かもしれないって・・・その、て、て、天気予報が・・・あの、で、で・・・」
「良隆さん」
「は、は、はい」
前中が何を今から言おうとしているのか分からず、良隆は自分の心臓が極限まで鼓動を早めるのを止められなかった。
「今日はこれから買い物に行きませんか?」
「・・・え?」
「私も失念していました。そうですよね、もう今の季節がらダッフルコートはいただけません。
そんなことにも気づかなかったなんて・・・」
「ま、前中・・・さん?」
「スプリングコートといえば、やっぱり素材は通気性とか肌触りを考えて・・・そうだ、手に持つ時も軽い方がいいと思いますから、素材はコットンがいいでしょうか」
前中は車を走らせながら、あそこの店に行こうか、いやあの店しか良かったかと呟いていたが、隣に座る良隆はただそんな前中の横顔を見ているしかなかった。
そして、こんな時の前中には何も言わずにいる方がいいと1年以上の付き合いでなんとなく分かっている。
その分かるというのが、少し、いやかなりくすぐったい気持ちになり、リア充の自分を実感する時だった。
「で、どうですか?」
全く話を聞いていなかった良隆は慌てて
「え、あ、あの、前中さんが、い、いいと思うお店で・・・わ、私、お、お店とかに、詳しくないので」
どもりながら答えるが、決して前中は嫌な顔をすることはない。
「そうですか。もし、お気に入りの店とか、ブランドがあれば言ってくださいね」
「は、はあ」
むしろ笑顔で前中は再びどんなコートがいいか、色はどんなものがいいのかと、また話し始める。
今までにも似たような場面が何度もあり、最初の頃は申し訳ない気持ちで断ったりしていたが、
『それは、他の誰かに買ってもらうとかいうことですか?』
と変に勘ぐられることがあった。
母親に買ってきてもらうのだと話せば、
『じゃあ、恋人の私が買うのもいいですよね』
そう切り替えし、良隆を黙らせてしまう。
親と恋人は違うような気がしないでもない良隆だったが、それ以上前中に反論することは止めた。
しかも、悲しそうな顔を見せられると良隆の良心が疼き、きっぱりと嫌だと言えず、それ以上に良隆が了承した後の前中の嬉しそうな笑顔に折れるしかなかった。
「それで、コートを見に行った後は本屋さんに行きましょうか」
「え・・・」
「確か今日は発売日だとか言ってたかなと」
さらに、前中はちょっとした良隆の言葉を覚えていてくれていて、たまに良隆自身が言ったことを忘れていたようなことまで覚えてくれていたりする。
良隆にとってはそんな場面こそ、前中の良隆に対する好意を実感できる時だった。
恥ずかしい気持ちを抑えつつ、
「ありがとうございます」
と言葉を返せば、
「どういたしまして」
車の中は春と言うには暑すぎるぐらいの雰囲気を醸し出していた。
部下達はそんな車内の様子を想像することもできず、ただ気重な状態でひたすら前の車につかず離れずといった距離を保つように車を走らせていた。
ところが、
「あの・・・」
運転している若い人間が、少し言いにくそうにしながら口を開いた。
「なんだ」
「あの、気のせいだと思うんですが・・・さっきから後ろの車がずっと追いかけてきてるような」
「あぁ?」
その言葉に助手席に座っていた部下が眉をしかめつつ、ミラーで件の車を確認する。
確かに後ろから1台ぴったりと付いてきているようだった。
「どうしますか?」
後部座席に座っていた前中の秘書に指示を仰ぐ。
それまでタブレットでこの後の予定や仕事の調整していた秘書は顔をあげると、同じように車の存在を確認し、
「そのまま走り続けろ」
「はい」
運転手にはそう命令し、自分は携帯である人間に電話を入れた。
電話の相手がすぐに出ると、
「これから車のナンバーを今すぐ調べてくれ。ナンバーは・・・」
と用件だけを伝えて電話を切った。
「あの、社長には・・・」
不安げな部下の声に、
「ちゃんと状況が掴めてから報告する」
そう答えた。
関係がない車なら、下手に報告をした方が恋人との時間を邪魔したとして責められるだろう。
と、前を走る車は商業施設が建ち並ぶエリアに入っていくのが目に入る。
そして、自分達の車もそれに倣うが、ミラーで確認する限り後ろの車も付いてきていた。
「社長の車が駐車場へ入ろうとしていますが・・・どうしましょう?」
「そのまま通り過ぎろ。それから、少し離れた所に停めろ」
後ろの車を注視しながら部下に指示を出せば、
「分かりました」
という返事と共に、車は前中が入っていったビルを通り過ぎる。
すると、気にしていた車も何事もなかったかのようにビルを通り過ぎると、別のビルの前で止まった。
「やっぱり気にし過ぎだったんですかね?」
助手席に座る部下は少し安心した様子だったが、
「あ、女ですよ」
さらにその車の後部座席から降りてきたのが女だと分かると、さらに安心したようだった。
女はすらりとしたモデル体型だが、だからといって身体の線を強調するわけでもない、膝上丈のフレアスカートにニット生地のセーターをチョイスすることで、お淑やかなお嬢様タイプが完成されているようだった。
顔も少し下がり気味の目尻が人におっとりとしている印象を与えさせる。
その姿を見れば、部下達も無意識に緊張が解けたようだったが、
「だといいけどな・・・」
前中の秘書として様々な人間の顔を覚えるようにしていた脳に、その女が危険だと知らせるアラームが聞こえた気がした。
どこで見たのか、どんな人間だったのか、それが思い出せずにいる間にも、女は有名ブランド直営のビルに入って行く。
部下をその店に向かわせたかったが、その出で立ちから入店拒否されそうな雰囲気に断念するしかなかった。
「くそ。どこで見たんだ、あの顔」
一人悶々としていると、部下達は
「どっかのキャバですかね?」
「いやー、あれはキャバって感じじゃねぇだろ」
「素人AVとかに出てるんじゃねぇ?」
「あり得るな、へへへ」
と下世話な話に花を咲かせているところに、早くも車の持ち主が分かったという報告電話が入った。
「どうだった」
『最悪な人間です』
「誰だ」
『車の名義は本山組長ですが、実際にその車の所有者は英華です』
その名前は聞きたくなかったと同時に、どこで女の顔を見たのかをはっきりと思い出した。
何年か前に組の年始行事で本山邸に前中と共に訪れた時に顔を合わせていた。
ただ、その時とは髪の色も違えば服装も違ったからすぐに思い出せなかったのだろう。
「分かった。社長には俺から連絡する」
電話を切ってすぐに、車を降りると女が入っていったビルに向かったが、
「さっき入ってきた、ピンクのスカートに白のセーターを着た女性は?」
店を一目見ただけで英華がいないことは分かった。
焦る気持ちを抑えつつ、近くにいた店員に訪ねると
「え?」
一瞬驚いた顔をしたものの、
「ああ、そのお客様でしたら、こちらの入り口から出て行かれましたけど」
裏通りへ抜けるための入口を示した。
「くそ。やられた」
秘書は舌打ちをしながらも、急いで前中の携帯を鳴らすしかできなかった。
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